秋篠宮の大嘗祭国費充当への疑義と象徴天皇制下で即位等の儀式を戦前天皇絶対制から伝統継承し、国事行為とすることの意味

2018-12-04 11:53:26 | 政治
                                      

 秋篠宮が自邸で53歳の誕生日に記者会見を行い、日本国憲法が禁じているにも関わらず国政への口出しとなりかねない発言をしたと、「口出し」との言葉は使っていないが、マスコミが取り上げていた。

 「秋篠宮記者会見」(宮内庁サイト)

 (一部抜粋)

 記者「殿下にお尋ねいたします。お代替わりに関する日程や規模について,いろいろ宮内庁の方でも発表があり,決まりつつありますが,先ほど殿下には皇嗣となられる公務の在り方についてのお考えをお聞きしましたが,即位の行事や儀式についてもお考えがあればお聞かせいただきたく思います。

 秋篠宮「行事,そういう代替わりに伴う行事で,いわゆる国事行為で行われる行事,それから皇室の行事として行われるものがあります。国事行為で行われるものについて,私が何かを言うことができるかというと,なかなかそういうものではないと思います。そういうものではないんですね。一方,皇室の行事として行われるものについてはどうか。これは,幾つかのものがあるわけですけれども,それについては,ある程度,例えば私の考えというものもあっても良いのではないかなと思っています」

 記者「具体的に」

 秋篠宮「具体的にもし言うのであれば,例えば,即位の礼は,これは国事行為で行われるわけです,その一連のものは。ただ,大嘗祭については,これは皇室の行事として行われるものですし,ある意味の宗教色が強いものになります。私はその宗教色が強いものについて,それを国費で賄うことが適当かどうか,これは平成のときの大嘗祭のときにもそうするべきではないという立場だったわけですけれども,その頃はうんと若かったですし,多少意見を言ったぐらいですけれども。

 今回も結局,そのときを踏襲することになったわけですね。もうそれは決まっているわけです。ただ,私として,やはりこのすっきりしない感じというのは,今でも持っています。整理の仕方としては,一つの代で一度きりのものであり,大切な儀式ということから,もちろん国もそれについての関心があり,公的性格が強い,ゆえに国の国費で賄うということだと。平成のときの整理はそうだったわけですね。ただ,今回もそうなわけですけれども,宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに,それは,私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています。

 今でも。ただ,それをするためには相当な費用が掛かりますけれども。大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。ただ,そのできる範囲で,言ってみれば身の丈にあった儀式にすれば。少なくとも皇室の行事と言っていますし。そういう形で行うのが本来の姿ではないかなと思いますし,そのことは宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ,残念ながらそこを考えること,言ってみれば話を聞く耳を持たなかった。そのことは私は非常に残念なことだったなと思っています」

 即位の礼以後に行う大嘗祭に関しては「宗教色が強い」ことから、「宗教行事と憲法との関係」から言って、いわば日本国憲法の政教分離の原則に則った場合、「国費で賄うことが適当かどうか」、政教分離の原則に抵触するのではないか、「私はやはり内廷会計で行うべきだ」と疑義申し立てを行っている。

 「内廷会計」とは内廷費による支出のことで、「内廷費」について「Wikipedia」が、日本国憲法第4条第1項の条文を根拠とし、〈皇室経済法施行法によって定められる定額が毎年支出される。金額は定額制であり、1996年度以降毎年3億2400万円と規定されている。なお、内廷皇族以外の皇族には皇族費が支出される。〉、〈一旦支出された内廷費は扱いが宮内庁の経理に属する公金から「御手元金」(ポケットマネー)となり、余剰が発生しても返還の必要はない。この支出に対しては所得税及び住民税を課されない。〉などと解説している。

 2017年12月22日に2018年度の当初予算案が閣議決定され、天皇の退位と皇太子の即位関連の準備費用として35億6千万円を計上。このうち「即位の礼」などの儀式関係費は16億5300万円。

 この35億円超の準備費用から比べると、毎年の3億余の内廷費では、残っていたとして年々の余剰を加えたとしても、かなり規模縮小を強いられる。この規模縮小は宮内庁長官の2017年12月14日の定例会見発言とマッチする。

 「宮内庁」(平成29年12月14日)

 山本信一郎長官「『週刊新潮』(平成29年12月14日号)の記事について

 宮内庁は,「週刊新潮」12月14日号33ページに掲載された記事について,週刊新潮編集部に下記の内容を伝え,抗議をしました。

 『週刊新潮』12月14日号33ページにおいて,ある官邸関係者の打ち明け話として,

 『最近耳にしたのが,陛下が華やいだ雰囲気で皇居を去りたいお気持ちを持っていらっしゃるということ。具体的には,一般参賀のような形で国民に対してメッセージを発し,そのうえでパレードをしたいと考えておられるようです。その一方で官邸は,粛々と外国の賓客も招かずに静かにやりたいという考えがあって,そこで宮内庁とせめぎ合いをしていると聞いています』

 と掲載されています。

 平成の即位のときは,お代替わりと即位の礼の間に喪の一年間があり,即位の礼が執り行われるまでに1年10ヶ月の長い期間がありました。今次御譲位に当たっては,御譲位のある年の内,しかも数ヶ月の後という短い期間の後に,新天皇の即位の礼が執り行われます。

 そのようなことから,陛下は,法案が通った非常に早い時期から,譲位の儀式の方はできるだけ簡素になさりたいとのお考えをお持ちであり,とりわけ,外国賓客の招待については,新天皇の即位の礼にお招きすることの可能性を考えられ,御譲位の儀式にお招きするお気持ちはお持ちでない,また,一般参賀については,最近のヨーロッパ王室におけるお代替わりの行事において,例外なく王宮のバルコニーで新旧の国王による国民に対する挨拶が行われていたが,陛下におかれては,そのようなことをなさるお考えのないことを度々,我々に留意するようご注意を頂いていたところであります。パレードについての言及はこれまでありませんでしたが,以上のようなことから,華やかなものをお考えとはとても考えられないことです。

 宮内庁としては,このような陛下のお気持ちについては,早くより,十分に承知しており,内閣官房に対しても,御譲位の行事については,外国賓客を招いたりすることなく,宮殿内において粛々と静かに行われたい旨を伝えていたところであります。

 冒頭引用した記事に掲載されている陛下のお気持ちやお考えは,事実に全く反するものであり,これを陛下のお気持ちであるかのように報ずることは,国民に大きな誤解を与えるもので,極めて遺憾です。

 ここに,正しい事実関係を明らかにし,誤解を正すとともに,抗議いたします」

 「譲位の儀式(=退位式)の方はできるだけ簡素」、「一般参賀も考えていない」、「パレードについての言及はない」、こういった意向は内閣官房に既に伝えてあるとしている。

 譲位の儀式(=退位式)が「簡素」にということなら、皇太子の天皇即位式もバランスを崩さないことが、いわば秋篠宮が言っている「身の丈にあった儀式」が要求される。

 だが、安倍政権は天皇退位と皇太子即位関連の準備費用として35億6千万円を2018年度当初予算に計上した。このことは安倍晋三が戦前型の天皇主義者であることも関係しているに違いない。

 秋篠宮の疑義申し立てに似通っていることとして現天皇の即位後の平成の大嘗祭に関して憲法違反との訴訟が数多く起こされ、いずれも原告側の主張が退けられたが、1995年の大阪高裁判決では、「憲法違反の疑いは一概に否定できない」との指摘もなされたと2018年11月30日付「時事ドットコム」記事が伝えている。

 いわば一般国民の疑義が儀式関係者の一人である皇族からも示されたことになる。

 果たしてこの疑義は秋篠宮一人のものなのだろうか。極々常識的に言うと、自身の疑義を皇太子や天皇に指摘して、意見を聞くことを第一段階としないだろうか。即位の礼にしても大嘗祭にしても、直接の関係者は皇太子である。次期天皇である皇太子にしても現天皇にしても、象徴天皇制に拘って日本国憲法が規定している政教分離の原則に忠実であろうとしたら、勢い宗教色が強い儀式への国費充当に抵抗を感じないだろうか。

 実際にも現天皇は結婚50年の記者会見で「象徴とはどう在るべきかということはいつも私の念頭を離れず、その望ましい在り方を求めて今日に至っています」と発言、「象徴」の在るべき姿を模索し、その姿に拘ってきた。

 言ってみれば、日本国憲法を背負っていた。安倍晋三のように明治の大日本帝国憲法に親近感を寄せてはいなかった。あくまでも推測に過ぎないが、天皇も皇太子も秋篠宮から疑義を打ち明けられたか、あるいは天皇が持っていた疑義であって、皇太子と秋篠宮に打ち開け、二人の賛意を得て、皇太子の疑義とした場合、影響が大きいことから、秋篠宮が天皇家の疑義を代弁し、記者会見を通して自分たちの疑義を国民に知らせたということもあり得る。

 秋篠宮一人の疑義とすることはできない推測しか浮かんでこない。天皇、皇太子、秋篠宮、更に天皇妃が共有している疑義に見えてくる。皇太子妃や秋篠宮妃も加わっているかもしれない。

 天皇家共有の疑義でなければ、「そのことは宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ,残念ながらそこを考えること(を宮内庁長官はしなかった),言ってみれば話を聞く耳を持たなかった」などと宮内庁長官に対して非難に近い強い言葉を吐く程にまで自身の内情を曝け出すだろうか。

 要するに秋篠宮は、あるいは天皇家は日本国憲法の政教分離の原則に則らなければならないと考え、則る必要上、皇太子の天皇即位式後の大嘗祭はより宗教色が強いゆえに国費から支出される国事行為としてではなく、そこから離れて「御手元金」(ポケットマネー)である内廷費から支出する皇室の行事として行うべきではないかと主張することになった。

 そうすることによって天皇家の誰もが日本国憲法の政教分離の原則に違反せず、違反しない姿勢を国民に示すことができる。

 ただ問題なのは秋篠宮は即位の礼に関しては国費充当の国事行為として行うことに疑義を示さなかったが、皇太子の天皇への即位式も大嘗祭も皇室が古くから伝統としてきた儀式に則って行われる点、疑義が生じる。特に日本国憲法下で天皇の地位が国民統合の象徴となりながら、戦前の専制天皇制時代からの伝統に添う儀式が執り行われて、国費を充当する両者間の矛盾である。

 大日本帝国憲法に於ける天皇の絶対性と断絶して戦後の日本国憲法で象徴天皇となりながら、天皇家の儀式は断絶せずに引き継ぐ。戦後の天皇は戦前天皇のように統治権を有しているわけでもないし、神聖不可侵の存在でもない。陸海軍の統帥者でもない。宣戦布告の権限を有しているわけでもない。にも関わらず、戦前からの伝統を引きずった即位式と大嘗祭を執り行い、国費を投入する。

 現天皇の「簡素」な儀式への望みは伝統から免れることができないながらも、その伝統から戦前の専制天皇制の影を限りなく払拭し、象徴天皇制と伝統を両立させるための最善の方法なのかも知れない。

 このように考えると、やはり秋篠宮の疑義は天皇家全体の疑義に見えてくる。

 安倍晋三は退位式や即位式、大嘗祭を用いて、新聞やテレビ、ネット等のマスメディアを通して天皇なる存在を国民に強く印象づけことが可能な演出を持たせたいと望んでいるはずだ。理由は戦前の天皇に対する戦前の日本国民がそうであったように今の国民に対しても天皇の存在を大きくするために。

 このような偉大化は天皇を国や国民の上に置くことによって完成するが、現憲法がタガとなって、それを阻んでいる。稲田朋美、その他が教育勅語を戦後教育の道徳の教科書にしたいと望んでいることも天皇の存在を大きくしたいことが理由の一つとなっているはずだ。

 天皇の存在を大きくしたいがために35億円超もの予算をつけた。あるいは国費で賄うことに意義を置いた。でなければ、安倍晋三自身が戦前回帰主義者であり、戦前型の天皇主義者であることと矛盾することになる。国の行事とすることから離れて、皇室の内廷費で賄う小規模の儀式となったなら、否応もなしに天皇家に於ける私的な行事に傾いた色彩を帯びることとなり、望んでいるとおりの天皇の偉大化は手に入れ難くなる。

 昭和天皇が戦前、日米開戦を望んでいなかったにも関わらず軍部に押されて日米開戦に踏み切ったように現天皇も安倍晋三の手による天皇の偉大化を望んでいないも関わらず、安倍晋三の巧妙な手に乗せられて偉大化されることを恐れているかもしれない。

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