既に広く知れ渡っていることだが、麻生首相が国会答弁の中で恒例行事となっている発言取繕いのゴマカシを再度やらかした。尤も本人はぶれていない、最初から言っていることは同じだ、一貫していると、これも恒例となっている自己正当化の強弁を以ってして痛くも痒くも感じないまま今後とも繰返していく単なる一幕で推移していくことは分かり切っていることだが。
だからこそ、恒例となる。
今回の恒例行事とは勿論のこと、衆院予算委員会で郵政民営化に「賛成でなかった」とした5日の国会答弁を4日後の9日に同じ衆院予算委員会を舞台にして早くも「賛成だった」と180度転換したお騒がせを指す。
5日の答弁。前回のブログ記事でも書いたが。
「小泉総理大臣の下で、わたしは郵政民営化に賛成ではなかったが、内閣の一員として最終的には賛成した。皆、勘違いをしているが、わたしは総務大臣だったが、郵政民営化担当大臣ではなかった。担当は竹中平蔵大臣だったことを忘れないでほしい。妙なぬれぎぬを着せられると、はなはだおもしろくない」(NHKインターネット記事)
9日の答弁(2月9日NHK「ニュース9」)――
麻生「私はあのときは、民営化することに関しては、賛成しておりました。民営化に関しましては。これだけははっきりしておきましょう」
筒井信隆(民主党)「郵政民営化に反対だったと言っていたけども、ね、まさに変る――」
麻生「(総務大臣に)指名されたときには反対だっの。だから、私は民営化、民営化賛成と、いう話の方にはなかった方に部類に入るわけですよ。しかし2年間の間に色々勉強させてもらって、民営化した方がいいと、最終的にそう思いました」・・・・
この反対から賛成への経緯について2月10日の「毎日jp」記事≪麻生首相:郵政巡り、迷走 民営化「賛成じゃない」→「勉強して賛成」≫が具体的に解説している。
<民営化に反対していた時期について首相は、5日の段階では05年の関連法の閣議決定や衆院の郵政解散時としていたが、9日になって「03年の総務相就任時」と修正。「(その後の在任中の)2年かけて勉強し、最終的に賛成した」と説明した。また、4分社化に関しては「我々が(05年の衆院選で)問うたのは民営化で、4分社化か3分社化かなんて問うてない」と述べ、経営形態の見直しは否定しなかった。>(一部抜粋引用)
5日の答弁は誰が考えても分かることだが、賛成だったと受取られることを恐れる文脈で、「妙なぬれぎぬを着せられると、はなはだおもしろくない」(実際に使った言葉は「俺としてははなはだ面白くない」)――、いわば「賛成」は「ぬれぎぬ」だ、だが「内閣の一員として最終的には賛成した」としていて、反対姿勢であったことにウエイトを置いた答弁となっている。
その答弁が物議を醸すことになった。自分でも不適切な発言と気づいたからだろう、「郵政民営化に賛成ではなかった」時期を「(総務大臣に)指名されたとき」にずらし、「2年間の間に色々勉強させてもらって」、閣議決定時には民営化賛成にまわったと辻褄合せする必要が生じたというわけなのだろう。
このことだけを以てしても巧妙・狡猾に過ぎるのだが、「4つに分断した形がほんとうに効率としていいのかどうかは、もう1回、見直すべきときに来ているのではないか」との口実で持ち出した「4分社化見直し」の理由を「郵政民営化に賛成ではなかった」個人的理由から、「我々が(05年の衆院選で)問うたのは民営化で、4分社化か3分社化かなんて問うてない」(上記「毎日jp」記事)と国会で答弁、民意外のことだから見直しは許される、自分の発言は許されると正当化しただけではなく、10日の夕方の首相官邸での記者会見で記者団から郵政民営化関連法が4分社化を柱としていたことと発言との矛盾を問われると、「法律的には(4分社化は)あん中(法案)に入ってますよ。だけど、あの時、4分社化を知っている人は、ほとんどおられないというのが私の認識です。郵政民営化かそうでないかで、あの選挙は問われた。一般的な有権者の意識は、皆さんほど詳しくないと思ってます。国民が感じていたのは、民営化かそうではないか、だけだったと思います。内容を詳しく知っておられる方は、ほとんどおられなかったと思います」(「asahi.com」≪郵政民営化「国民は内容知らなかった」=05年衆院選振り返り麻生首相≫</09.2.10)と言って、「郵政民営化」までは民意が関与していたが、「4分社化」までは民意は届いていない、だから「郵政民営化」内で「4分社化」見直しは許されると、自らの発言の正当化に国民の理解能力、その不足を持ち出す強弁を働いている。
「一般的な有権者の意識は、皆さんほど詳しくないと思ってます」と――。
政治家の判断を国民の判断は了とした。もし国民の判断が間違っていたとしたら、例えそれが国民の理解能力不足によるものだとしても、そのこととは関係なしに政治家の判断は間違っていたことになる。政治家の判断が正しく、国民の判断が否決したわけではない。政治家側からの賛成の要請に応えた国民の賛成という意思決定であり、その賛成を云々するなら、その前に賛成の引き金を引いた政治家の判断を云々すべきだろう。
その政治家の判断に麻生は「内閣の一員として」加わり、その判断に「内閣の一員として最終的には賛成した」。その責任はあるはずだが、最終的に国民の意識に帰着させたのは責任転嫁以外の何ものでもない。
自身の発言に対する自省能力もなく、自分は正しいとしたいばっかりに国民の意識不足まで持ち出して、責任転嫁する。合理的認識に関わる脳ミソ不足のせいでどこに問題点があるか、気づいてもいないのだろう。
誰にバカにされるにしても、脳ミソ不足の麻生にだけはバカにされたくないと思っている有権者は多いのではないだろうか。
麻生は9日の衆院予算委員会で民主党の渡部恒三から首相就任後に目論んでいた解散・総選挙は支持率のあまり低さに見送ったのではないかと問われて、「負けると言われていた(1966年の)『黒い霧解散』の時は圧勝した。世論調査などできちんと予測できるものじゃない」(「47NEWS」)と答弁しているが、これも、合理的に認識するだけの脳ミソが不足しているからできる強弁に過ぎない。
当時殆どが自民党政治家絡みのスキャンダルで自民党批判の世論が沸騰したが、解散・総選挙で自民党は議席を減らしたものの安定多数を維持し、後の佐藤内閣長期政権の礎を築いたと言われているが、現在と当時の時代性と総理大臣の資質の違いを考えない表面的に事象だけを把えた浅はかな解釈に過ぎない。
断崖絶壁に立たされてあやかりたい気持ちはわかるが、総理大臣として佐藤栄作と遜色ない、あるいはそれ以上の資質を有しているかを先ず考えた上で比較すべきを、それを欠いたまま比較する脳ミソ不足を発揮している。
1966年は史上最高の年間倒産5919件を記録する不況の時期で、『昭和世相史(1945―1970』(岩崎爾郎/加藤秀俊共編「社会思想社」)なる本に次のような記事が載っている。
全国の高校生役3万人(定時制を含む)を対象に総理府青年局が10月から12月にかけて行った「高校生の生活実態調査」による結果を次のように記している。
「金や名誉を考えないで趣味に合った暮らしをしたい」――24.5%
「いい人と結婚して楽しく暮らしたい」――24.4%
「その日その日をのんきに暮らしたい」――7.2%
「日本民族の優秀性を積極的に認めている」――76.4%
「日本人に生れてよかった」――79.4%
対して、
社会的正義感や社会貢献を強く意識しているものは約26%
立身出世型は10%以下(以下略)
本の解説は<「高校生もマイホーム主義」 生活目標に関しては小市民的な回答が過半数を占め、家庭では父親に対する信頼感の低下が目立っている。>・・・・・・・
不況ではあっても2年後の1968年には国民総生産(GNP)が資本主義国家の中で第2位に達する高度経済成長期にあったことが背景にあってのことだと思うが、76%もの高校生が「日本民族の優秀性を積極的に認めて」いながら、その優秀性に挑戦する気概は持たず、「金や名誉を考えないで趣味に合った暮らしをしたい」、「いい人と結婚して楽しく暮らしたい」、「その日その日をのんきに暮らしたい」と小市民的な生活保守主義に浸っていた。「マイホーム主義」という言葉が生まれたのは1960 年代だということだから、これは会社人間化してせっせと給料を稼いでいた大人の意識を反映した高校生のマイホーム主義」意識のはずである。
当然、今の暮らしを壊したくない、失いたくないという生活保守主義に浸っていたはずで、「黒い霧事件」と言われる政治家のスキャンダルに憤激したものの、政権交代で日本の経済を混乱させたくない、今の生活を失いたくないという生活保守主義が働いた、自民党が議席を減らしたものの、安定多数を獲得した、麻生が言う「世論調査などできちんと予測できるものじゃない」という結果であろう。
だが、今の国民は生活保守主義の観点からも政権交代を願っている。それ程に自民党政治に不満を感じ、却って生活を守るためには政権交代が必要だと政権交代志向を強めている。そのことが世論調査に現れている。地方の自民党の支持基盤が揺らいでいることもその一例で、自民党政治によって地方が疲弊させられた、過疎化させられたと思っていることからの自民党支持離れであろう。
明らかに「黒い霧事件」の時代とは時代が違う。空気も漢字も読めない麻生は時代の違いも読めない。これも合理的に認識するだけの脳ミソ不足から来ている時代認識の欠如と言える。
自分の脳ミソ不足を棚に上げて、国民の意識云々をされたのではたまったものではない。解散前に辞任した方がこれ以上人間を落とさない最善の選択ではないだろうか。
麻生首相が2月5日の衆議院予算委員会で郵政事業の経営形態に関して次のように自らの考えを述べたという。
「4つに分断した形がほんとうに効率としていいのかどうかは、もう1回、見直すべきときに来ているのではないか。十分に見直しておかしくない」(NHKインターネット記事)
実行に移してみて食い違い、不足が生じて会社経営にマイナス面となっている場面が起きているということなら、改めるのは当然だろう。
だが、当初の設計図と現在の経営実態にどのような食い違いが生じ、どのような不足が見られるのか、それがどう会社経営にマイナス面として働いているのか、先ずその説明があって、どこをどう改める必要があるのではないかとの提案の形で意見表明があって然るべきだと思うのだが、そうなってはいないのではないだろうか。
麻生首相の次の言葉がそうはなっていないことを示している。「民営化された以上、もうからないシステムはだめだ。きちんと黒字にしなければならない。見直すというか改善するというのが正しい」(同NHKインターネット記事)
経営者の経営手腕に問題があるのではなく、民営化の経営形態(「システム」)そのものが問題であると言っているが、システムのどこがどう儲からない箇所となっているのか、問題点の指摘がない。
郵政民営化関連法が3年ごとの見直しを明記しているということから自民党が作業チームを設けて今月2月中の取りまとめを目指し、検討を進めているということだが、その結論を待たずに言ってしまったから、音だけ大きい花火となってしまったのではないのか。
麻生首相の発言に対して鳩山総務大臣が記者会見で次のように述べたという。
「今の持ち株会社と4つの事業会社という方式がベストのものかどうかも考えていこうということだ。一般的に郵便事業会社と郵便局会社が別がいいのか、という議論は当然出てくる。ただ、総理はそうしろ、とおっしゃったわけではない」(NHKインターネット記事)
「議論は当然出てくる」――「議論」はこれからだから、当然のこととして結論が煮詰まっているわけではない。また自民党側から大勢意見として要請を受けたことからの麻生首相の国会での「見直し」発言でもないということでもある。
鳩山総務大臣「わたしと総理の合意事項は国営の郵政に戻すことはないということだ。民営化の方向ではあるがあとはすべて見直しの対象にする。聖域なく見直す。そういうふうに打ち合わせをした」
要するに麻生総理と鳩山総務大臣の二人だけの間の取り決めということなのだろう。そこに何人かは加わっていたかもしれないが、主役はこの二人で、決定権は二人にあった。承認も二人で決めて二人で承認しただけか、そこに何人かは加わっていたとしたら、その何人かが承認したのみで、党の大勢意見として承認を受けていたわけではない。
その証明の一つとして党内からの批判を挙げることができる。
武部元幹事長(党の役員連絡会で)「郵政民営化をめぐって、政府・与党内が落ち着いているときに、なぜ、ああいう発言をするのか。民営化に伴って発足した4つの事業会社は、それぞれ税金を納めて頑張っており、それを頭から否定するような発言はいかがなものかと思う」(同NHKインターネット記事)
山本一太参院議員(記者会見)「民営化方針を全面的に見直すなら、(自民党が大勝した)この前の衆院選はインチキだったと言われかねない」(「毎日jp」)
小泉チルドレンの杉村太蔵議員「おかしくないですか、と。郵政民営化賛成で先の選挙で当選してきた議員が、郵政民営化反対という首相を支えるっていうのは。『俺もそう(反対)だったんだ』という人がボコボコ出てきたら、自民党は終わりですって!『二度と自民党に一票入れるか』って気になるのは当然ですよ。年々ダメになっていくような気がしますね、自民党」(日テレ24インターネット記事)
麻生太郎は自民党内の意見を踏まえた「郵政民営化見直し」発言ではないからこそ、余計なことを言って発言の自己正当化を図らなければならなかった。
麻生総理大臣「小泉総理大臣の下で、わたしは郵政民営化に賛成ではなかったが、内閣の一員として最終的には賛成した。皆、勘違いをしているが、わたしは総務大臣だったが、郵政民営化担当大臣ではなかった。担当は竹中平蔵大臣だったことを忘れないでほしい。妙なぬれぎぬを着せられると、はなはだおもしろくない」(NHKインターネット記事)
「わたしは郵政民営化に賛成ではなかった」ことを正当化理由に郵政民営化を見直すとする文脈に聞こえる。いわば「郵政民営化見直し」を自由民主党という組織をフィールドとしたチームプレーから外して個人プレーに変えてしまっている。
だからこそ、党内で賛否両論の渦巻く“火種”となったのだろう。
だが、ここで見落としてならないことは、「わたしは郵政民営化に賛成ではなかった」が麻生太郎の正真正銘のホンネだと言うことである。我らが麻生太郎にしたら、「賛成」だったとされることは「ぬれぎぬ」にも等しい「はなはだおもしろくない」屈辱だとしているのだから、これをホンネでないとしたらな、何を以てホンネとしたらいいのか、「100年に一度」の大混乱に陥ることになるに違いない。
<郵政民営化に反対して一時、自民党を離党した野田消費者行政担当大臣は「法律で3年ごとの見直しが明記されているので当然だ。分社化され不便になったとか、後退したといった意見が出ているので、それも踏まえて議論することは決してまちがった方向ではない」>(上記NHKインターネット記事)と麻生発言を擁護しつつ、<麻生総理大臣が「郵政民営化に賛成ではなかった」と発言したことについて、「賛成でなかったとは知らなかったので、あの発言には驚いた」と述べ>(同NHKインターネット記事)たということだが、同じ組織に所属していた一人にしては不勉強の感が拭えない。
「Wikipedia」が小泉郵政解散決定時の内閣の様子を次のように記している。
<国事行為(衆議院解散)に関する閣議決定文書への署名を拒否する閣僚が出た。臨時閣議は中断を挟みながら、二時間超に及んだ。反対閣僚のうち総務大臣麻生太郎と行政改革担当大臣村上誠一郎は最終的に首相の説得に応じて署名したものの、農林水産大臣島村宜伸は最後まで署名を拒んだため、首相は農水相を罷免した上で自ら農水相を兼務(8月11日まで。後任は岩永峯一)という形式で閣議決定文書を完成させ、解散に踏み切った。また、この閣議で参議院本会議で郵政民営化法案に反対票を投じた防衛政務官柏村武昭も罷免された。>…………
そのとおり、「郵政民営化に賛成ではなかった」。「賛成」は「妙なぬれぎぬ」以外の何ものでもない。
では、「郵政民営化に賛成ではなかった」が「私は逃げない」麻生太郎の正真正銘のホンネでありながら、なぜ小泉首相の説得を受けて解散の閣議決定書への署名を受け入れるといったホンネからの逃避行を計って「私は逃げた」のだろうか。
島村宜伸のように最後まで署名を拒否して、罷免を甘んじて受けたり、他の反対議員のように選挙で党除名や公認拒否等の迫害を受けて自らのホンネを通すこと、筋を通すことができなかったのか。「私は決して逃げない」と年頭所感でも、施政方針演説でも、自身の著作の中でも、随所に言う程に「逃げない」ことを自らの信念としていながら、その信念を自ら裏切るようなことをしたのか。
著作の「結び」では次のように言っている。
「私は逃げない。勝負を途中で諦めない。強く明るい日本を作るために」
世界中のトランペットを集めて壮大にパンパカパーンとファンファーレを世界に向けて響かせたいくらいだ。
こういうことなのだろう。郵政三事業(郵便・簡易保険・郵便貯金)の民営化がどうのこうのなど、将来は日本国の総理大臣になるという大望から比べたら、ちっぽけなことだ。反対ではあっても、ここで国会議員としての経歴も、折角手に入れ積み上げてきた党役員や大臣経験の経歴も傷をつけてはならない。つまらぬことでつまずいたら、総理大臣になるという野望はすべてアウトだ。小泉の推薦が必要になるときもある。ここは隠忍自重、ホンネは郵政民営化に反対であっても、「内閣の一員として最終的には賛成した」方が得策だということで、本人は後で「妙なぬれぎぬ」と気にすることになる「はなはだおもしろくない」誤解を受けて気にすることとなったが、敢えて妥協したということなのだろう。
但し「内閣の一員」ではなく、単なる一議員の立場にあったとしたなら、最後まで反対したかというと、「はなはだ」疑わしい。何しろ、「私は決して逃げない」を信念にしている男だからだ。
やはり誰でもなれるわけではないゆえに簡単には手に入れ難い総理大臣という将来的な地位を天秤に掛け、損得勘定を働かせた上で民営化という党の大勢と馴れ合ったに違いない。
当時の我らの麻生太郎は2001年の自民党総裁選で総裁候補として名乗りを上げ、立候補。だが小泉純一郎に総裁の座を奪われ、自身は橋本龍太郎にも負けて、最下位に甘んじる経緯を踏んでいる。下手に郵政民営化に反対して総裁候補からも弾き出されることを恐れたに違いない。
臥薪嘗胆、韓信の股潜り、燕雀(えんじゃく)安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志(こころざし)を知らんやの境地でじっと我慢の子を決め、「べらんめぇ、賛成してやらあ。郵政民営化だって?総理・総裁の方が大事じゃあねえか。俺は総理・総裁と天秤に掛けてんだ。一票や二票と天秤にかけてんじゃねえや」と総理・総裁獲得の方向には「私は決して逃げない」信念を見せた。
【燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや】「ツバメやスズメのような小さな鳥にオオトリやクグイのような大きな鳥の志が分かるだろうか。小人物には、大人物の大きな志は分からない。」(『大辞林』 三省堂)
【韓信の股くぐり】「韓信が若い頃、町で無頼の青年に辱められ股を潜らされたが、後に大をなしたという故事。大志のある者は目前の小事には忍耐して争わないという譬え。」(『大辞林』 三省堂)
【臥薪嘗胆】「中国の春秋時代、越王勾践(こうせん)に父を討たれた呉王夫差(ふさ)は常に薪の上に寝て復讐の志を奮い立たせ、ついに仇を報いた。敗れた勾践は室内に肝(きも)を掛けてこれを嘗め、その苦さで敗戦の恥辱を思い出してついに夫差を滅ばしたという故事。敵を討とうとして苦労をし、努力すること。目的を達するために苦労を重ねること。」(『大辞林』 三省堂)
小泉純一郎をツバメやスズメのような小さな鳥――小人物に擬(なぞら)えたのである。
郵政民営化などは総理・総裁獲得という大志の前には小事に過ぎない。大志のある者は郵政民営化といった目前の小事には忍耐して争わないものなのだ。郵政民営化だなどといった小事に血眼になっている小泉如き小人物には俺みたいな大人物の大きな志は理解できまい。
尤も「臥薪嘗胆」なる熟語は「目的を達するために苦労を重ねること」という意味だけではなく、「恨みを失わずに相討ち合う」という意味にも取れる。
「郵政民営化に賛成ではなかった」が正真正銘のホンネでありながら、あのとき小泉に妥協してホンネを曲げてしまった。そのお陰で「皆、勘違いをして」、「妙なぬれぎぬを着せられ」、「はなはだおもしろくない」事態に至った。
多分「妙なぬれぎぬ」は我らが麻生太郎の自尊心を相当にチクチクと痛めつけてきたに違いない。「臥薪嘗胆」――あのときの恨みを総理・総裁となった今、晴らしてやろうという思いがあったことも、ついつい不用意に「郵政民営化に賛成ではなかった」のホンネを曝してしまったということもあるのだろう。
いずれにしても、「郵政民営化に賛成ではなかった」が正真正銘のホンネであることに間違いはあるまい。
前の選挙が「郵政民営化」を唯一の争点とした。これまでは麻生首相は「争点、これはもうはっきりしているんではないでしょうか。国民生活の安定、我々は効果的な経済対策とか、生活対策とか、そういうことを迅速に打つということができるのは政府自民党と確信しております」(09年1月4日年頭記者会見)とか、「私は景気回復の後に、消費税の増税をお願いするということを申し上げました。無責任なことはできない。そういうのが政府自民党だと、私はそこを一番申し上げたいと思っております」(同年頭記者会見)と「国民生活の安定」と「消費税増税」を選挙の争点として挙げていたが、小泉選挙が「郵政民営化」で獲得することとなった3分の2以上の議席は「郵政民営化」を正当づけている3分の2でもあるのだから、その3分の2をバックボーンとして麻生政治を展開している手前(参院で否決された法案を衆院の3分の2以上の賛成で再議決する規定を利用してもいる)、「郵政民営化に賛成ではなかった」のホンネを告白した以上、その3分の2が自らの政権にとっても正当性があるか否かを選挙で問わなければならない責任を負ったことになるはずである。
当然、我らの麻生首相は次の総選挙の争点を「国民生活の安定」も「消費税増税」も取り下げて「郵政国営化」としなければならない。
麻生首相は国会での発言に関してマスコミから質問を受け、「国営化に戻すと言ったことは一回もないと思います。従って、民営化をするということで選挙をしたんですから、従って、民営化を国営化にすると言ったことは一回もないと思いますね」(「asahi.com」or「msn産経」等)と釈明しているが、これは再び「郵政民営化に賛成ではなかった」のホンネを偽る再犯行為そのものであろう。
それとも政権維持という新たな大望の手前(あるいは自民党政権を失った首相という汚名を着ることへの恐れの手前かな?)、臥薪嘗胆、韓信の股くぐり、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやというわけで、再びホンネ隠しに走るということなのだろうか。
「私は決して逃げない」の信念を一度ぐらいは貫き、ホンネに素直に従うべきである。「アキバの麻生太郎」の人気まで失わないために。
ミャンマー軍政の迫害を逃れてなのか、タイに小船に乗って逃れようとしたミャンマーの少数民族ロヒンギャ族がタイ国軍に拘束され、暴行を受けたりなどして海上に放置されインドネシアに漂着している事件を2月5日(09年)の「毎日jp」記事≪インドネシア:西部にミャンマー少数民族が漂着 「タイで暴行受けた」≫が伝えていたが、纏めてみると――、
1.インドネシア政府の発表。
・スマトラ島のアチェ州沖で、1月7日に193人、今月3日に198人のロヒンギャ族の避難民を発
見。
飢えや疲労で漂流中に20人以上が死亡し、生存者も衰弱が激しい。
・「政治的迫害が理由の難民ではなく、経済的事情による移住目的」として送還を表明。
3.ロヒンギャ族「タイ南部で軍に拘束され、暴行を受けた。その後、小舟で沖に運ばれ、3週間にわた
って漂流を続けた」
4.治療に当たったインドネシア人医師「避難民の体には、むちか棒によるとみられる傷が残っている」
5.タイの人権団体「タイ海軍が沖合を航行していたロヒンギャ族数百人を拘束し、わずかな食料と水
を与えて再び公海上に放置した」
6.タイ・アピシット首相「海上放置の証拠はない。・・・・(避難民は)仕事を目的にした違法入国者
」
7.インドネシア国内のイスラム団体は政府に対し、ロヒンギャ避難民の保護を求めている。
8.記事解説
・「タイ南部ではここ数年、イスラム国のマレーシアやインドネシアに向けて脱出したロヒンギャ族
が漂着するケースが増加。不法入国したロヒンギャ族がイスラム武装勢力の手先になっているとの
見方もあり、軍が警戒を強めていた。」
・「インドネシア当局は当初、避難民の送還を発表していたが、国連や人権団体の懸念表明を受け、
「人道的見地に基づいて対処する」と方針を転換。今月開かれる東南アジア諸国連合(ASEAN)
首脳会議などの場でミャンマー、タイと協議する考え」
9.ロヒンギャ族
ミャンマー西部ヤカイン州に多く住むイスラム教徒の少数民族。仏教国であるミャンマーの軍事政権
は、国籍を与えず、迫害の対象にしてきた。多くが国外に逃れ、日本にも群馬県を中心に100人以上
が生活。・・・・・
インドネシア政府の発表どおりに「政治的迫害が理由の難民ではなく、経済的事情による移住目的」なのかどうかは現在のところ不明のようだが、タイのアピシット首相がタイ海軍による「海上放置の証拠はない」と否定しているものの、「海上放置」と言うよりも、実態は“海上遺棄”と言うべきで、その種の出来事があったことは事実であろう。
相手はモノではなく、集団の人間である。自国領内に入れて保護すべきを領内には入れずに海上を曳航して、遥か沖にモノではない百人以上もの人間を置き去りにしたのだから、決して「放置」とは言えず、遺棄そのものである。
実際にも「飢えや疲労で漂流中に20人以上が死亡し」ているのだから、「放置」という表現では生易し過ぎる。
タイ側の「海上放置」否定に関しては2月3日の「CNN」記事≪ミャンマー難民200人、インドネシアの海岸で発見≫)が、<CNNは疑惑を裏付ける画像を入手済みで、うち1枚の画像には、難民190人前後の船がタイ国軍によって沖にけん引される様子が写っている。難民の1人はCNNに対し、タイ当局が6隻の古い船に乗っていた一行を沖に連れ戻し、放置したと語った。>と伝え、タイ側の反応を次のように報道している
<タイ国軍は疑惑を全面否定しているものの、関係筋はCNNに対し、難民の海上放置を認めた。関係筋は、難民らに食糧と水を十分与えたとしたうえで、タイの住民らが毎月大勢漂着するロヒンギャ族を恐れていたと語った。住民らは窃盗や脅迫をはたらいているとして、ロヒンギャ族を非難している。>
「窃盗や脅迫をはたらいている」は罪薄め・責任逃れの薄汚い口実に過ぎないだろう。「毎月大勢漂着」ということなら、海軍の艦船による海上警備だけではなく、警察による海岸線及び陸上警備も行っているだろうし、住民も発見次第警察等に通報するだろうから、身柄はそれが保護という状態であろうと拘束という状態であろうとも警察か軍の手に渡る。
例え一人二人逃れたとしても、住民保護の手前却って警備は厳しくなるだろうから、不安を与えることはあっても、実害までは考えにくい。
例え実害が発生したとしても、“住民が恐れている”ことを以ってして海上遺棄の理由には決してならない。
上記「CNN」記事は、<ミャンマー難民をめぐっては1カ月前、イスラム系少数民族ロヒンギャ族が乗った船が、タイ国軍によって海上に置き去りにされた疑惑が浮上した。今回発見された難民らが同じグループかは不明。>としているが、2月4日の「AFP」記事≪インドネシア、漂流中のロヒンギャ難民約200人を保護≫は複数の「国際人権団体」の証言として、「前年末にタイ沿岸部に上陸したロヒンギャ難民約1000人が、わずかの食料とともに小舟に分乗させられ、海上に放置されたと主張している。」と伝えているから、彼らが漂流後、「1月7日」の「193人」、「今月3日」の198人」のインドネシア海軍による保護へとつながったのではないのか。
このことは「AFP」記事が「病院に収容されたあるロヒンギャ難民の男性(43)」の証言として証明してもいる。<仲間1000人あまりとともにタイ軍兵士に身柄を拘束された後、孤島に連行され、2か月後にロープで繋がれた小舟数隻に分乗させられ沖合いに放置された。>
さらに男性自身の直接の言葉として次の証言も載せている。「水も食料もないので毎日のように誰かが死に、私が乗っていた小舟では漂流中に約20人が死んだ。遺体は祈りを捧げた後、海に流した。その後漁船に発見されインドネシア海軍に引き渡された」
そう、「漁船に発見されインドネシア海軍に引き渡された」――タイの住民も同じように当局に知らせるという手続きを取るはずだから、住民が恐れているとする根拠はかなり怪しくなる。
「AFP」記事は最後にダメ押しをする。「タイ政府はロヒンギャ難民への暴行や海上放置を激しく否定しているが、前月7日にスマトラ沖で保護されたロヒンギャ難民174人も、同様の証言をしており、タイ政府への非難が高まっている」
少数民族ロヒンギャ族のミャンマーに於ける存在状況を「東京新聞」インターネット記事≪ミャンマーの「ロヒンギャ」軍事政権から迫害≫が次のように教えてくれる。
<少数民族ロヒンギャは、ミャンマー西部ラカイン州に住むイスラム教徒。軍事政権から迫害され、タイやマレーシアへの密入国が増加傾向にあるとされる。
仏教徒が多数派のミャンマーでは、軍政がロヒンギャをバングラデシュからの不法移民とみなし、百三十五の自国の少数民族の中に含めておらず、ほとんどが国籍も与えられていない。ラカイン州には約八十万人が居住しているとみられる。
人権団体などによると、軍政はロヒンギャの移動の自由を厳しく制限。強制労働なども課せられ迫害を受けている。一九七八年と九一年には国軍が不法移民を取り締まる軍事作戦を展開。数十万人が隣国バングラデシュに避難した。>
但し、続けて次のように伝えている。<タイ南部ではイスラム教徒が多数派を占め、二〇〇四年以降、分離独立を求める武装勢力のテロが頻発し三千人以上が死亡。タイ国内にはロヒンギャの不法移民が同勢力の手先になっているとの根強い批判がある。>・・・・・・
このことも事実なのか、ロヒンギャ族排斥正当化の言い逃れなのか、厳しく検証する必要がある。
上記「AFP」記事が伝えていた「孤島に連行され、2か月後にロープで繋がれた小舟数隻に分乗させられ沖合いに放置された。」とするロヒンギャ難民の男性証言の「2か月後」という時間経過はタイ政府上層部で扱いについて検討が加えられていたことを物語る。タイ王国軍内部の一部部署による独断行為であったなら、時間を置かずに決行されたはずだからだ。
勿論、国防省を含めた軍部内でのどうすべきかの議論の決着に手間取ったということもあるが、手間取ると言うことは自分たちで簡単には結論を見い出せない状況を言い、さらに結論を見い出せないということは責任を取れない状況をも指すから、当然外務省や政府そのものに判断を仰ぐ方向(=責任を預ける方向)に動いたはずである。
いわばタイ政府も関与したロヒンギャ族海上遺棄の国家犯罪であろう。この国家犯罪はかつてのナチスが見せたユダヤ人虐殺と同じ線上にある一つの民族に対する抹殺意志、あるいは抹殺衝動を例え規模は小さくとも、また自覚はなくとも、タイ政府にしても同じように発動せしめたということではないだろうか。
一般にタイ国民は国王への敬愛が深い、敬虔な仏教徒で多く占められているという。「Wikipedia」はタイ国と国民を次のように紹介している。
<伝統的に王家に対して崇敬を払うよう国民は教えられているが、実際は自主的に王家を敬うものが殆どで、国王や王妃の誕生日には国中が誕生日を祝うお祭り状態となる。
また、誕生日の前後には、肖像画が国中に飾られる。日常生活においても、国民の各家庭やオフィスビル、商店や屋台に至るまで、国王の写真、カレンダーや肖像画が飾られている。映画館では本編上映の前に『国王賛歌』と共に国王の映像が流され、その間観客は起立し敬意を表わすのが慣わしとなっている。現代でも不敬罪が存在する数少ない君主国であり、最近も国王を侮辱する画像が掲載されたことを理由にYouTubeへの閲覧アクセスが長期にわたり遮断された。
特に現国王であるラーマ9世(プーミポンアドゥンラヤデート)は、その人柄と高い見識から国民の人気が非常に高い。>云々。・・・・・
「Wikipedia」にも書いてあるが、国王はまたタイの政治危機に際しては直接仲介や仲裁に乗り出し、政治勢力も国軍勢力も国王の指示に従って混乱を解消している。
<近年においても1992年に発生した5月流血革命の際にプーミポン国王が仲裁に入った他、2006年の政治危機でもタクシン首相の進退問題に直接介入するなど、国王の政治や国軍への影響力は極めて大きい。>(同「Wikipedia」)
タイ国民が国王の仲介、仲裁をよしとするのはそこに判断の正しさ・行為の正しさを見るからだろう。つまり正義を行う人とされている。いわばタイ国王は正義を行う存在だと看做されている。正義体現の存在だと意義づけられている。正義体現者であるからこそ、タイ国民はそのような国王に対して価値観の同一作用を生じせしめて深く敬愛の念を抱くのだろう。
当然のこととして、国王を深く敬愛する者は強制されるか、洗脳されていない以上、自らの道徳観を国王が持つ正義感と主体的に響き合わせる価値作用を発動せしめる。国民が国王を正義の存在として深く敬愛しながら、国王の持つ正義感を日常普段の自らの行為・行動に於いても自発的・積極的に表現することができなければ、国民の国王に対する敬愛は形だけのものとなる。国王自身の正義の体現も意味を失う。そこに対象が持つ価値観との同一作用があるからこそ、タイ国民は仏教の教えの影響もあって「敬虔」なる国民性を獲得することとなったということであろうし、そういうことでなければならない。
国王の持つ正義と国民が示す国王に対する敬愛及び国王を見習った正義は国民の代表たる政府が最も色濃く政治に反映させなければならないのは言を俟つまい。そうでなければ国民が自らの期待像としている国民性に対する裏切り行為を働くことになる。
ミャンマー軍事政権が少数民族ロヒンギャ族を異教のイスラム教徒だからと迫害するのはある意味整合していると言える。軍事政権自体がならず者の集団だからだ。国際社会が何ら有効な手を打てないことの方が問題であって、ならず者の価値観からしたら、「国籍を与えず、迫害の対象にしてきた」は筋が通っていると言えなくはない。
だがミャンマーと同じ仏教国家であっても、タイは(国民の95%が仏教徒「Wikipedia」)国王が同じ仏教徒であり、しかも正義の体現者として存在していて強く敬愛しているという点で状況が違ってくる。既に触れたように敬愛の念を通して対象が持つ価値観との同一作用を生じせしめて、国民は正義志向を自らの道徳観にもしているはずである。
ところがそのような国王と国民の価値観に反してタイ政府はナチスのユダヤ人虐殺にもつながりかねない一つの民族に向けた抹殺意志、あるいは抹殺衝動を「海上遺棄」の形で強行した。国家権力として行った。
タイ政府はこれをどう説明し得るのだろうか。それともタイでは仏教のすべてが形骸化していて、国王にとっても国民にとっても単なる仏教的慣習に従っただけの形式的な教えの習得となっているに過ぎないということなら、国王が体現していると見られている正義も、国民がそれに見習って表現する正義も国王に対する敬愛の念も、それらがタイ国民に植えつけることとなった敬虔さも、それが必要な状況が生じた場合に発揮される自身の利害得失に合わせた機械的態度――状況主義的対応に過ぎないということになって、国民の代表たるタイ政府の民族抹殺にもつながる、その一片を示す「海上遺棄」も理解できなくはなくなる。
昨2月3日記載の当ブログ≪中川秀直「国家国民のため働くのが森先生へのご恩返し」は時代錯誤の露呈≫で触れた「中川愛人問題」についての「質問主意書」及び「答弁書」がHPとなっています。引用転載しておきます。
参考までにリンクさせておきましたが、アクセスしても味も素っ気もなく、下記記事以外に何も出てきません。「中川愛人問題」で検索してたまたまアクセスできたのですが、各個別的にページにするのではなく(「質問主意書」と「答弁書」自体も別々のページになっている。)、すべての「質問主意書」及び「答弁書」をインデックスつきで纏めたページを作成して各項目別にリンクを貼ったなら、一目瞭然でどのような「質問主意書」及び「答弁書」が存在するか知ることができて、知りたい「質問主意書」及び「答弁書」にアクセスでき、「国民に多くを知らしめる」という情報公開がより簡便化すると同時に情報知識の広範化を図ることができると思うのですが。
2000年9月21日、森喜朗内閣総理大臣が衆参両院本会議(第150回国会)の所信表明演説で、「E-ジャパンの構想」を発表。そのとき「IT革命」なる文字を「イット革命」と読み上げたそうですが、官僚が提案した政策を自らの血肉としないまま演説文のみを読み上げることになるから、読み間違えが起こるのでしょう。麻生太郎や中川昭一もその類なのでしょうが、もしかしたら森喜朗は官僚の説明すら満足に聞いていなかったのかもしれない。聞いていたなら、「IT(アイ・ティー)」と何度も口にしたでしょうから、報告書の文字と照らし合わせたなら、読みは頭に入るはずです。
森内閣のIT戦略本部」が2001年1月、「e-Japan戦略」として、IT国家戦略を策定したとき、「我が国は、すべての国民が情報通信技術(IT)を積極的に活用し、その恩恵を最大限に享受できる知識創発型社会の実現に向け、早急に革命的かつ現実的な対応を行わなければならない。市場原理に基づき民間が最大限に活力を発揮できる環境を整備し、5年以内に世界最先端のIT国家となることを目指す。」(Wikipedia)と大々的に謳っています。
「5年以上」経過しているのですが、「質問書」や「答弁書」の扱い一つを取っても情報公開の簡便化や情報知識の広範化が満足な体裁を取っていないし、その恩恵を満足に受けているとは言えないことからも分かるように、「世界最先端のIT国家」とは程遠いお粗末な状況にあるようように思えます。麻生太郎の「大胆な景気対策を打つことで、世界で最初にこの不況から脱出することを目指します」も同じ類で、大々的に謳ったに過ぎないという同じ運命を辿るように思えて仕方がないのですが・・・・・。
質問主意書情報
質問主意書
質問第二号
中川秀直官房長官が日本青年社に対し礼状を送付した件に関する質問主意書
右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。
平成十二年十月四日 小 川 敏 夫
参議院議長 斎 藤 十 朗 殿
中川秀直官房長官が日本青年社に対し礼状を送付した件に関する質問主意書
日本青年社の機関紙「青年戦士」七・八月合併号(二〇〇〇年七月二五日号)一面に、「石原慎太郎都知事『尖閣問題を語る』のビデオテープ贈呈に国立国会図書館、中川秀直内閣官房長官から日本青年社に感謝の手紙」という広告が掲載されている。
贈呈されたビデオは、本年五月九日、「アイメッセ山梨」で開催された「中尾栄一を支援する総決起集会」における石原慎太郎東京都知事の講演を編集したもので、石原知事は、「魚釣島に灯台をということで、純粋な右翼学生が頑張り、我々もこれを支援した。これを聞きつけ、意気に感じてくれた立派な右翼の日本青年社が行き、ちゃんとした灯台をつくり、これを正式なものにしようということで、運輸省と相談しながら手を加えて仕上げた」などと持論を展開している場面を内容とするものである。
言うまでもなく、尖閣問題は日中間の極めてセンシティブな外交問題であり、政府高官の行動は、当該ビデオが政府の見解であると混同・誤認されることがないよう、慎重を期すべきである。
したがって、次の事項について質問する。
一 中川官房長官が日本青年社に対し礼状を出したのは事実か。国立国会図書館への寄贈に対し、官房
長官が礼状を出した例は過去に存在したか。
二 中川官房長官は、当該ビデオを見たか。あるいは、ビデオの内容を把握しているか。
三 当該ビデオが国立国会図書館に寄贈されたことに対し、官房長官名で礼状を出すということは、政
府が石原知事や日本青年社の主張を肯定したと受け取られる可能性もあるが、中川官房長官にそ
のような認識はあったか。
四 中川官房長官は、日本青年社とどのような関係があるのか。また同団体の実態をどのように認識し
ているか。同団体の滑川裕二副会長とは親しいのか。
五 日本青年社の滑川裕二副会長が、中川官房長官に対し、同長官のいわゆる愛人問題等に係る内容証
明郵便を送付した事実はあるか。あるとすれば、当該内容証明郵便に摘示されている内容について
、交渉等を行った事実はあるか。また、当該内容証明郵便送付及びその処理と前記礼状送付は何ら
かの関連があるのか。
右質問する。
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質問主意書情報
答弁書第二号
内閣参質一五〇第二号
平成十二年十月十七日
内閣総理大臣 森 喜 朗
参議院議長 斎 藤 十 朗 殿
参議院議員小川敏夫君提出中川秀直官房長官が日本青年社に対し礼状を送付した件に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。
参議院議員小川敏夫君提出中川秀直官房長官が日本青年社に対し礼状を送付した件に関する質問に対する答弁書
一及び三について
本年七月頃、中川内閣官房長官の議員会館事務所に日本青年社からビデオテープが贈られ、同議員会館事務所から、儀礼上の行為として礼状を出したことはあるが、同内閣官房長官が国立国会図書館への寄贈に対して礼状を出した事実はないと承知している。
なお、国立国会図書館への寄贈に対し、内閣官房長官が礼状を出した過去の例については、承知していない。
二について
中川内閣官房長官は、当該ビデオテープを見ておらず、また、内容を把握していないと承知している。
四について
中川内閣官房長官は、日本青年社とは何らかかわりがなく、また、日本青年社については、一般に知られていること以上の知識は有していないものと承知している。
五について
平成八年頃御指摘の内容証明郵便が当時の中川科学技術庁長官に対し送られてきた事実はあるが、その郵便物に関しては、同科学技術庁長官の議員会館事務所から相手方に対し、事実無根である旨伝えたのみであると承知している。
また、一及び三についてで述べたとおり、御指摘の礼状は、議員会館事務所から儀礼上の行為として出したものであり、内容証明郵便が送られてきたこととは何ら関係はないと承知している。
福田辞任後の次期自民党総裁選では所属派閥の実質的親分森喜朗シーラカンスが麻生を担ぎ出したのに反して派閥代表世話人3人体制の一人中川秀直は同じ派閥の小泉構造改革を支持する小池百合子を担ぎ出して反麻生の旗を掲げ、麻生が総理・総裁となってからも麻生の11年消費増税明記に反対、新党をつくって政界再編も辞さない動きを見せていたが、これに対して森シーラカンスから<「完全に反乱だ。(同派の)代表世話人を辞めて、やるべきだ」と批判、同派の集団指導体制を見直す考えも示し、中川氏が政権批判を続けるのなら派閥を離脱すべきだ>(「asahi.com」)と不快感を示されたからなのか、反麻生言動、政界再編・新党結成言動をたちまちトーンダウンさせた。
まさか無責任にも総理大臣の椅子を投げ出したのだから、既に出る幕はないのに鉄面皮にも再びしゃしゃり出ようとしている安倍元首相からも批判を受けたことが影響したというわけではあるまい。口程にもない元首相のその口から出た批判でしかないのだから、蚊に刺された程のこともないはずだ。
安倍<日本記者クラブで講演し、所属する町村派で町村信孝、中川秀直、谷川秀善の3氏が代表世話人を務める体制について「通常の組織なら代表は1人で組織論的に不自然さがある。3人の考え方が大きく違うなら見直すことになるのではないか」(「日経ネット」)
「通常の組織」云々に関係なしに「不自然」だとは考えなかったから、3人体制としたはず。「不自然」だと考えたなら、3人体制としなかったはず。体制が問題ではなく、親麻生の自分たちに逆らう反麻生が抑えがたい動きとなってきたから、外そうということになった路線対立の問題であろう。相変わらずノー天気な安倍だ。こんなのが日本の総理大臣を務めていた。こんなのと言う点では麻生も同じだが。
「3人の考え方が大きく違うなら見直す」とは普段自民党の“ウリ”としている「開かれた党」なる宣伝文句に反する一種の思想統制を図ろうとする動きに他ならない。
「開かれた党」が事実なら、言っていることに整合性を持たせるためにも「3人の考え方が大きく違う」ことよりも、仲間の考え方を統制しようとする自らの動きそのものを問題とすべきだろう。相変わらず理解音痴な安倍だ。理解音痴と言うことでは麻生も同じだが。
森シーラカンスは塩崎恭久元官房長官等の自民党内若手の反麻生の動きにも不快感を隠さない。
「どうして自分たちで選んでわずか2カ月の総裁を守っていく気持ちを持てないのか。自民党ではない。自分党だ。自分のことしか考えない。・・・・テレビが来ると我先にと麻生さんの悪口を言う。それなら(自民党を)辞めればよい。安倍内閣で官房長官をやっていた人が、まくし立てている。マスコミに受けたいならお笑いタレントでもやればよい」(「asahi.com」)
「それなら(自民党を)辞めればよい。」――ファッショ、言論統制そのものではないか。党紀、もしくは法律に反する不正を働いた、国会議員にふさわしくないから「辞めればよい」と言うわけではない。自由なる思想・言論の、その規範的自由を認めず、排除を以って代えようとしている。
組織・集団からの排除を以ってして言論の統制を図ろうとする発想・意識はそこに排除対象者の心理を脅かそうとする多少なりの恫喝が存在せずには成り立たない。排除を可能とする影響力を持った人間だから言えるのであり、そのような影響力を自由なる思想・言論の統制に向けて作動させるのだから、否応もなしに恫喝の意識を忍び込ませることになる。下劣な性格の人間でなければよりよくなすことのできない恫喝であろう。
当たり前のことだが、反麻生とは麻生の政策に向けられた反対姿勢を指す。
安倍晋三が無責任にも総理大臣の椅子を投げ出した後を受けた07年年9月の自民党総裁選で福田康夫と麻生の両候補は19日に日本外国特派員協会の記者会見に臨んでそれぞれの主張・政策を述べ合った。
麻生「参議院が与党少数であったことは、戦後の日本でこれまでに何度もあった。そう危機ではない。私たち自民党はこれまで、何度も危機を乗り越えた。そのためには開かれた政党、開かれた選挙しかない。それが民主主義を保ち発展させる」(JanJan)
消費税発言でぶれていないか問われて、麻生「いろいろな方々がいろいろなことおっしゃるのは、そら、開かれた政党ですから、いろんな方が言われるのは結構だと思います。大いに議論すべきだと最初から申し上げている。ただ、決まった以上は従って頂きます。それが党の方針ですから」(「asahi.com」
麻生首相自身が自由民主党が開かれた政党であることを自任している。断るまでもなく「開かれた政党」とは言論・主張、あるいは政策に関して閉鎖的ではなく、自由に述べることができる党だと言うことを示している。
麻生首相自身が自民党は「開かれた政党」だと真に自任しているなら、いや何よりも自由民主党総裁なのだから、いくら森親分が「福田康夫首相の無味乾燥な話より、麻生さんのような面白い話が受けるに決まっている。・・・我が党も麻生人気を大いに活用しないといけない。『次は麻生さんに』の気持ちは多いと思う。私も、勿論そう思っている」(毎日jp)と陰に陽に麻生総理誕生のキングメーカーを務めてくれた恩人だとしても、人を見る目を持っていたからだろう、「麻生さんの話」は全然面白くもなく、全然受けてもいないが、そのことは大目に見て、例え自身に向けられた反麻生の言動であろうとも、森シーラカンスの“恫喝”をやんわりとたしなめてもいいはずだ。総裁として自民党が常に「開かれた政党」であることを監視、誘導する役目を担ってもいるからだ。
ところが、「森親分、子分が差し出がましいこと言ってすみませんが、我が自民党は「開かれた政党」なんですから、色々な意見があってもいいではないですか。例えかわいい子分を、このあっしのことでやんすが、貶す言動があったとしても、「開かれた政党」であることの方を選ぶべきだと思いまがね」と言ってたしなめたという報道にはお目にかかっていない。
たしなめ、もしくは制止のプロセスを見ないままに中川秀直、トーンダウンの文字がいくつかの記事の中に見受けることとなった。
「asahi.com」が森シーラカンスの中川批判を主内容としたインタビュー記事を載せている。
≪森元首相、政権批判の中川秀氏に「派閥世話人やめよ」≫ (asahi.com/2009年1月21日21時46分)
――麻生内閣の閣僚への不満がくすぶっています。
「『派閥に造反したら、閣僚に選ばれる』という雰囲気がある。変な話だけど、麻生内閣は『裏切りの内閣』だ。麻生さんは党内が盛り上がるような選び方をしなかった」
――町村派代表世話人の中川秀直元幹事長が、政権批判を強めています。
「その辺の若い小僧っ子ならよいけど、党の政調会長や幹事長までやった人が旗を振るのは、完全に反乱だ。政策の問題ではない。清和政策研究会(町村派)の代表世話人だということを忘れてもらっては困る。それなら、代表世話人を辞めてもらいたい」
――派閥を出て構わない。
「構わないと思う。僕は麻生さんを守る立場だ。代表世話人体制の見直しも、考えなければいけない。以前、中川君は、次の総選挙では自民、民主のどちらも過半数にならない可能性があると話していた。民主党の一部と組み、第3局で自民党と連立して助けるしかないと」
――第3局志向なら、自民党を離党すべきですか。
「今の時点では思わないが、党分裂の引き金ということになるといけないから、これまで注意してきた。うちの派閥を離れていった人をみると、皆いつの間にか収まりがつかなくなって、元に戻れなくなる」
――説得しないのですか。
「そんなつもりは全くない。なだめてあやしてなんてことはしたくない」
――次の衆院解散・総選挙は、いつごろでしょうか。
「予算成立までは乗り切れると思う。節目は予算だ。僕は任期いっぱい(9月まで)やれれば良いと思っているが、待ちきれない状況だと皆が思うなら、イチかバチか。麻生さんも自民党最後の総裁になるかもしれないが、それはそれでいいじゃない。野に下り、今度は攻めに入ると」
――麻生首相で総選挙を戦うべきだと思いますか。
「麻生さんで、責任政党として戦うべきだ。地方県連も皆で一緒に推したんだから」
――総選挙の前に、総裁選をやるべきでしょうか。
「そうしたら、『麻生、降りろ』ということになっちゃう。求心力を高めるなら、思い切って内閣改造をすべきだ。なるほどという力強いパワー。皆が納得し党員も喜ぶ内閣を造ったら良い」(以上引用)
「その辺の若い小僧っ子ならよいけど」という発想は森シーラカンスが言論統制者であることを自ら物語る言葉であろう。思想・言論の自由とは年齢(=経験)・性別・地位・職業、あるいは立場等を言論容認・統制の基準としてはならないということをも含んでいるはずだが、「若い小僧っ子」(年齢=経験)を自身の中で言論容認・統制の基準としているからだ。
ここでは「その辺の若い小僧っ子ならよいけど」と言論容認の基準としているが、実際は1、2年生議員が森シーラカンスの考えに迎合する言動なら心地よく受け止めるが、考えに反する気に入らない言葉なら、「その辺の若い小僧っ子が何を言うか、何を言ってやがる」というふうに逆に抑える基準とするのは目に見えている。基準とすること自体が間違いであることに気づかない人間は基準を自分の都合次第で操ることになるからだ。
言論の抑圧・統制の問題は主体側だけではなく、客体側の問題でもある。多少なりの恫喝を受けた側が屈するのか、あくまで抵抗し、自身の思想・言論を確保し、自らの主張を貫こうとするのか。中川秀直はトーンダウンした。反麻生言論を自ら封じ込めた。
中川秀直がどういう態度を取ったか、その辺のイキサツを2月1日の「msn産経」記事≪自民党「政界再編」「新党」の動き急減退 中川秀氏もトーンダウン≫が詳細に伝えている。
<自民党内で一時盛り上がった「新党結成」「政界再編」の動きが減退気味だ。政界再編を声高に唱えていた中川秀直元幹事長も「党内改革路線」に大きくカジを切った。麻生太郎首相を看板にしたままでは衆院選を戦えないという声は根強い。しかし、総選挙に向けた国会での民主党の攻勢や、地元での対立候補の活発な動きを前にして、「党内でゴタゴタを演じている余裕もない」という危機感が広がり、首相に批判的な勢力も旗を掲げきれないのが実情だ。(加納宏幸)
中川氏は1日、地元・広島県東広島市内で「小選挙区制では第3極はあり得ず、数合わせのための政界再編や選挙のための新党では危機は乗り越えられない。国民に期待される新しい自民党にする努力を、グループ(町村派)の同志たちとしていく」と語った。
自民、民主両党の改革派結集による政界再編を主張してきた中川氏は1月、平成21年度税制改正法案の付則に消費税の増税時期を書き込むかをめぐる党内論争で、強硬な反対論を唱え、時期が明記された場合の造反を示唆するまでに発言をエスカレートさせていた。
中堅・若手とともに麻生首相を突き上げたが反発を呼び、足元の町村派内では、森喜朗、安倍晋三両元首相が中川氏、町村信孝前官房長官ら3人の代表世話人による集団指導体制を見直し、中川氏を排除する動きが活発になった。
「政策を語るのはいいが首相批判と思われる。代表世話人ならTPOをわきまえろ」
森氏は1月29日、派内の亀裂を心配して仲介に入った議員に不満をぶちまけた。森氏は政界再編を主張した中川氏に強い不満があるが、「私は代表世話人制を変えろなんて、一言も言っていない」と付け加えるのも忘れなかった。中川氏もこれに呼応した。
「森先生には若いころからご指導いただき、心から感謝している。私も、微力だが森派、森政権を一生懸命、支えてきた。無心の境地で国家国民のため働くのが森先生へのご恩返しだ」
中川氏は1日、地元から中継出演したテレビ朝日番組でこう語った。森氏は週明けの町村派総会で派の指導体制についての考えを示すとみられるが、中川氏は「3人代表体制でいいというのがメンバーの大勢の意見だ。私はその大勢に従う」と語り、代表世話人にとどまる考えを強調した。
中川氏が「政局の焦点」としてきた消費税増税問題は、実施時期を別の法律で定める「2段階方式」で玉虫決着し、国家公務員が再就職を繰り返す「渡り」斡旋(あつせん)問題も首相が「認めない」と答弁したことで中堅・若手は矛を収めた。一連の騒動は収束した感がある。
若手の一人は「選挙を考えると渡辺喜美元行政改革担当相のように離党はできない。われわれの主張が取り入れられたのであれば、声を上げ続ける理由はない」と語り、政策を通じた権力闘争の限界を認める。
こんな自民党をあざ笑うかのように、渡辺氏は1日、都内での街頭演説で「まさに安政の大獄だ。政策提言した中川さんを森さんが弾圧したのは自民党の末期症状。見限ってよかった」と皮肉った。>――
森シーラカンスの「政策を語るのはいいが首相批判と思われる。代表世話人ならTPOをわきまえろ」はシーラカンス(生きた化石)だけのことはあって、矛盾した言葉となっている。シーラカンスだから、矛盾に気づかない。「政策を語る」の中に批判も許されなければ思想・言論の自由とはならないからだ。賛成ばかり許されたのでは「語る」にならない。与党議員の全編、これヨイショの国会質問みたいになる。
尤も自民党の尾辻秀久参院議員会長が1月30日の参院本会議の代表質問で、小泉構造改革路線の全否定を求め、「首相!野に下ることは恥ずかしいことではない」と下野の勧めを説き、野党から喝采を浴びたと「msn産経」が伝えていたが、「100年に一度」ぐらいは賛成のヨイショ質問でないこともあるらしい。
森シーラカンスの上記矛盾は逆に「批判と思われる」政策は語ってはいけないと言っているのである。いわば統制を加えている。これは自由民主党が「開かれた政党」であるとしている旗印に反する言論抑圧政党であることを物語っている。
このことは自由民主党議員の間に権威主義の上下関係が成り立っていて、上が下を抑える構造になっていることを示す。
だが最近では従来からの派閥の力学(=権威主義の力学)が緩み、派閥の親分が右を向けと言えば一斉に向く時代ではなくなったと言われている。とは言え、党自体は造反した場合はその議員には選挙となったら刺客を立てるという威しを有効とさせている程には権威主義の力学が生きている。その発信者が有力な派閥の親分ということなら、その派閥と党は親分を介して権威主義の力学を相互反映させていると言える。
まだまだ健在なり派閥の力と言ったところなのだろうが、中川秀直の森シーラカンスの“恫喝”を受けた降参の弁である「森先生には若いころからご指導いただき、心から感謝している。私も、微力だが森派、森政権を一生懸命、支えてきた。無心の境地で国家国民のため働くのが森先生へのご恩返しだ」の時代錯誤には驚いた。
大体が人間が利害の動物、利害の生きものである以上「無心」などあり得ない。「無心の境地」もあり得ない。欲得、功名心、支配欲、金銭欲――すべては自己保身、あるいは生存本能から発する利害感情なのだが、そういったことからなかなか離れ難いのが人間という生きものである。
あり得ない境地を披露までして森シーラカンスに追従(ついじゅう)した。闘わずして完璧な無条件降伏を掲げたのである。「国家国民」への奉仕が主目的ではなく、「森先生へのご恩返し」を主目的として「国家国民のため働く」を中間目的としている。森親分のみに向けた無条件降伏でなければ言えない「森先生へのご恩返し」なる言葉だろう。無条件の従属宣言でもある。
この時代錯誤には驚くが、単に反麻生を言うな、言うなら「代表世話人を辞めてもらいたい」という“恫喝”を受けただけでかくかような時代錯誤の無条件降伏、無条件の従属宣言に至ったにしては、大芝居が過ぎるようにも思える。他にもより強力な“恫喝”が存在したのではないのかと勘繰らなければ素直に受け止めることができない不自然なまでの大芝居な時代錯誤に疑えた。疑うとなったなら、原因は一つしかない。
2000年10月18日の『朝日』朝刊を参考にすると、中川秀直は森内閣の官房長官をしていた2000年当時、右翼団体「日本青年社」との交際を週刊誌が報じたのに対して9月28日の衆議院予算委員会で「直接的には存じません」と否定したが、10月18日発売の写真週刊誌「フォーカス」に右翼団体「日本青年社」の幹部と会食している写真が掲載されることが分かると、民主党議員の両者の関係を質す質問主意書に政府は17日に「中川官房長官は日本青年社とは何ら関わりはない」、「日本青年社については、一般に知られていること以上の知識は有していない」といった答弁書を閣議決定したが、当たり前のことだが、そんな答弁書で野党の追及が収まるはずはない。悪いことをした場合、その殆どが最初は否定するのは大方の常識となっているからだ。
追及がやまず、辞任するまでに至ったプロセスを「Wikipedia」を参考に記すと、「2000年11月1日号の(発売は1週間前か)「フォーカス」が自宅寝室で愛人と一緒に撮った写真を掲載、その上東京放送、フジテレビジョン、テレビ東京など主要テレビ局が中川が覚醒剤常習者の愛人(とされる女性)に捜査情報を漏らす会話の録音テープを公開した。
中川とされる人物が「ともかく、なにか、覚醒剤の関係で警察も動いているよ、多少」「警視庁の保安課が動いているから。覚醒剤の動きが確かにあるよ。本当に……」「いや、君の関係を内偵しとるちゅうんだよ」
情報の出所については中川とされる人物が「それは警察情報だよ」「そう、私の方の情報だ」と捜査情報漏洩を犯している。
民主党長妻議員の国会追及「どう考えてもあなたの声なんですよ、言い回しも含めて」
中川秀直「そういう会話をした覚えはございません。記憶もございません。そしてまた、そのような情報を得てそういうことを伝えるなどという、そんなルートもなければ、そういうこともございません」
中川の寝室内で撮影した愛人とされる女性の写真については、中川の運転手に対し見知らぬ女性が中川邸を見たいとねだったため、運転手が女性の要求に従い寝室に案内したことがあり、雑誌に公開された写真はそのときに撮影したものではないか、と答弁したと言う。
中川の説明に対し、長妻は「常識で考えておかしい」「不可解な話」であると指摘。
だが、10月27日になると中川の主張は一転し、中川は録音テープの会話は「自分の声であったかもしれない」と表明し、一連の愛人騒動の責任をとる形で内閣官房長官辞任。・・・・・
運転手が中川邸を見たいからとねだられて、若い女を国会議員の寝室に案内したとはなかなか苦しい、だが見事な言い逃れだ。
派閥親分森喜朗は自身の政権の官房長官にまで重用している可愛い子分のスキャンダルの火消しに手を尽くしたに違いない。とにかく時代錯誤の親分肌の人間であり、それしか取り得がないのだから。その手の取り得はハッタリによってよりよく為し得る。森シーラカンスの声の質そのものがハッタリ向きにできている。麻生の声についても同じように言える。
直接的にか、鳩山邦夫の「私の友人の友人がアルカイダ」ではないが、間接的にか、あるいは友人をもう一人加えて間接的の間接的にか分からないが、その筋に対するにその筋――毒を以って毒を制すると言うわけで、その筋にも手を回した可能性を疑えないこともない。
さらに安倍内閣発足当時、安倍晋三党幹事長に麻生太郎を望んだが、森シーラカンスが反対、中川秀直を強く推し、2006年9月に安倍内閣時の自民党幹事長に就任。それらを持ち出して、恩を忘れたのかと言われたとしたら?――
恩を用いて自由なる言論を抑えることも言論の抑圧・統制に入る。森が言論抑圧者、あるいは言論統制者であることに変りはない。中川秀直にしても、最初に触れたが、福田辞任後の総裁選挙に森シーラカンスが麻生支持に回る中、同じ派閥の小池百合子を候補に擁立する“造反”を演じたばかりか、総理・総裁となった麻生に反旗を翻していながら、森シーラカンスの不興を買ったと言うだけで、あるいは昔の話を持ち出されて言いなりになったとしたなら、自ら手を貸して森の言論抑圧、あるいは言論統制を成功させたことになる。
中川秀直自身が福田元首相が記者会見を開いて突然辞任表明したとき、「とにかく驚いている。首相がそういう決断をした以上、開かれた党、党総裁選を行い、新布陣を作ることに全力を挙げたい」(「毎日jp」と述べている。
そう述べていながら、「開かれた党」であることを自ら閉じた。
いや、元々“開かれていない党”だったということなのだろう。各派閥に分かれてそれぞれの親分が統制していた自由民主党なのだから。その時代錯誤を今以て引きずっている。