麻生首相が2月5日の衆議院予算委員会で郵政事業の経営形態に関して次のように自らの考えを述べたという。
「4つに分断した形がほんとうに効率としていいのかどうかは、もう1回、見直すべきときに来ているのではないか。十分に見直しておかしくない」(NHKインターネット記事)
実行に移してみて食い違い、不足が生じて会社経営にマイナス面となっている場面が起きているということなら、改めるのは当然だろう。
だが、当初の設計図と現在の経営実態にどのような食い違いが生じ、どのような不足が見られるのか、それがどう会社経営にマイナス面として働いているのか、先ずその説明があって、どこをどう改める必要があるのではないかとの提案の形で意見表明があって然るべきだと思うのだが、そうなってはいないのではないだろうか。
麻生首相の次の言葉がそうはなっていないことを示している。「民営化された以上、もうからないシステムはだめだ。きちんと黒字にしなければならない。見直すというか改善するというのが正しい」(同NHKインターネット記事)
経営者の経営手腕に問題があるのではなく、民営化の経営形態(「システム」)そのものが問題であると言っているが、システムのどこがどう儲からない箇所となっているのか、問題点の指摘がない。
郵政民営化関連法が3年ごとの見直しを明記しているということから自民党が作業チームを設けて今月2月中の取りまとめを目指し、検討を進めているということだが、その結論を待たずに言ってしまったから、音だけ大きい花火となってしまったのではないのか。
麻生首相の発言に対して鳩山総務大臣が記者会見で次のように述べたという。
「今の持ち株会社と4つの事業会社という方式がベストのものかどうかも考えていこうということだ。一般的に郵便事業会社と郵便局会社が別がいいのか、という議論は当然出てくる。ただ、総理はそうしろ、とおっしゃったわけではない」(NHKインターネット記事)
「議論は当然出てくる」――「議論」はこれからだから、当然のこととして結論が煮詰まっているわけではない。また自民党側から大勢意見として要請を受けたことからの麻生首相の国会での「見直し」発言でもないということでもある。
鳩山総務大臣「わたしと総理の合意事項は国営の郵政に戻すことはないということだ。民営化の方向ではあるがあとはすべて見直しの対象にする。聖域なく見直す。そういうふうに打ち合わせをした」
要するに麻生総理と鳩山総務大臣の二人だけの間の取り決めということなのだろう。そこに何人かは加わっていたかもしれないが、主役はこの二人で、決定権は二人にあった。承認も二人で決めて二人で承認しただけか、そこに何人かは加わっていたとしたら、その何人かが承認したのみで、党の大勢意見として承認を受けていたわけではない。
その証明の一つとして党内からの批判を挙げることができる。
武部元幹事長(党の役員連絡会で)「郵政民営化をめぐって、政府・与党内が落ち着いているときに、なぜ、ああいう発言をするのか。民営化に伴って発足した4つの事業会社は、それぞれ税金を納めて頑張っており、それを頭から否定するような発言はいかがなものかと思う」(同NHKインターネット記事)
山本一太参院議員(記者会見)「民営化方針を全面的に見直すなら、(自民党が大勝した)この前の衆院選はインチキだったと言われかねない」(「毎日jp」)
小泉チルドレンの杉村太蔵議員「おかしくないですか、と。郵政民営化賛成で先の選挙で当選してきた議員が、郵政民営化反対という首相を支えるっていうのは。『俺もそう(反対)だったんだ』という人がボコボコ出てきたら、自民党は終わりですって!『二度と自民党に一票入れるか』って気になるのは当然ですよ。年々ダメになっていくような気がしますね、自民党」(日テレ24インターネット記事)
麻生太郎は自民党内の意見を踏まえた「郵政民営化見直し」発言ではないからこそ、余計なことを言って発言の自己正当化を図らなければならなかった。
麻生総理大臣「小泉総理大臣の下で、わたしは郵政民営化に賛成ではなかったが、内閣の一員として最終的には賛成した。皆、勘違いをしているが、わたしは総務大臣だったが、郵政民営化担当大臣ではなかった。担当は竹中平蔵大臣だったことを忘れないでほしい。妙なぬれぎぬを着せられると、はなはだおもしろくない」(NHKインターネット記事)
「わたしは郵政民営化に賛成ではなかった」ことを正当化理由に郵政民営化を見直すとする文脈に聞こえる。いわば「郵政民営化見直し」を自由民主党という組織をフィールドとしたチームプレーから外して個人プレーに変えてしまっている。
だからこそ、党内で賛否両論の渦巻く“火種”となったのだろう。
だが、ここで見落としてならないことは、「わたしは郵政民営化に賛成ではなかった」が麻生太郎の正真正銘のホンネだと言うことである。我らが麻生太郎にしたら、「賛成」だったとされることは「ぬれぎぬ」にも等しい「はなはだおもしろくない」屈辱だとしているのだから、これをホンネでないとしたらな、何を以てホンネとしたらいいのか、「100年に一度」の大混乱に陥ることになるに違いない。
<郵政民営化に反対して一時、自民党を離党した野田消費者行政担当大臣は「法律で3年ごとの見直しが明記されているので当然だ。分社化され不便になったとか、後退したといった意見が出ているので、それも踏まえて議論することは決してまちがった方向ではない」>(上記NHKインターネット記事)と麻生発言を擁護しつつ、<麻生総理大臣が「郵政民営化に賛成ではなかった」と発言したことについて、「賛成でなかったとは知らなかったので、あの発言には驚いた」と述べ>(同NHKインターネット記事)たということだが、同じ組織に所属していた一人にしては不勉強の感が拭えない。
「Wikipedia」が小泉郵政解散決定時の内閣の様子を次のように記している。
<国事行為(衆議院解散)に関する閣議決定文書への署名を拒否する閣僚が出た。臨時閣議は中断を挟みながら、二時間超に及んだ。反対閣僚のうち総務大臣麻生太郎と行政改革担当大臣村上誠一郎は最終的に首相の説得に応じて署名したものの、農林水産大臣島村宜伸は最後まで署名を拒んだため、首相は農水相を罷免した上で自ら農水相を兼務(8月11日まで。後任は岩永峯一)という形式で閣議決定文書を完成させ、解散に踏み切った。また、この閣議で参議院本会議で郵政民営化法案に反対票を投じた防衛政務官柏村武昭も罷免された。>…………
そのとおり、「郵政民営化に賛成ではなかった」。「賛成」は「妙なぬれぎぬ」以外の何ものでもない。
では、「郵政民営化に賛成ではなかった」が「私は逃げない」麻生太郎の正真正銘のホンネでありながら、なぜ小泉首相の説得を受けて解散の閣議決定書への署名を受け入れるといったホンネからの逃避行を計って「私は逃げた」のだろうか。
島村宜伸のように最後まで署名を拒否して、罷免を甘んじて受けたり、他の反対議員のように選挙で党除名や公認拒否等の迫害を受けて自らのホンネを通すこと、筋を通すことができなかったのか。「私は決して逃げない」と年頭所感でも、施政方針演説でも、自身の著作の中でも、随所に言う程に「逃げない」ことを自らの信念としていながら、その信念を自ら裏切るようなことをしたのか。
著作の「結び」では次のように言っている。
「私は逃げない。勝負を途中で諦めない。強く明るい日本を作るために」
世界中のトランペットを集めて壮大にパンパカパーンとファンファーレを世界に向けて響かせたいくらいだ。
こういうことなのだろう。郵政三事業(郵便・簡易保険・郵便貯金)の民営化がどうのこうのなど、将来は日本国の総理大臣になるという大望から比べたら、ちっぽけなことだ。反対ではあっても、ここで国会議員としての経歴も、折角手に入れ積み上げてきた党役員や大臣経験の経歴も傷をつけてはならない。つまらぬことでつまずいたら、総理大臣になるという野望はすべてアウトだ。小泉の推薦が必要になるときもある。ここは隠忍自重、ホンネは郵政民営化に反対であっても、「内閣の一員として最終的には賛成した」方が得策だということで、本人は後で「妙なぬれぎぬ」と気にすることになる「はなはだおもしろくない」誤解を受けて気にすることとなったが、敢えて妥協したということなのだろう。
但し「内閣の一員」ではなく、単なる一議員の立場にあったとしたなら、最後まで反対したかというと、「はなはだ」疑わしい。何しろ、「私は決して逃げない」を信念にしている男だからだ。
やはり誰でもなれるわけではないゆえに簡単には手に入れ難い総理大臣という将来的な地位を天秤に掛け、損得勘定を働かせた上で民営化という党の大勢と馴れ合ったに違いない。
当時の我らの麻生太郎は2001年の自民党総裁選で総裁候補として名乗りを上げ、立候補。だが小泉純一郎に総裁の座を奪われ、自身は橋本龍太郎にも負けて、最下位に甘んじる経緯を踏んでいる。下手に郵政民営化に反対して総裁候補からも弾き出されることを恐れたに違いない。
臥薪嘗胆、韓信の股潜り、燕雀(えんじゃく)安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志(こころざし)を知らんやの境地でじっと我慢の子を決め、「べらんめぇ、賛成してやらあ。郵政民営化だって?総理・総裁の方が大事じゃあねえか。俺は総理・総裁と天秤に掛けてんだ。一票や二票と天秤にかけてんじゃねえや」と総理・総裁獲得の方向には「私は決して逃げない」信念を見せた。
【燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや】「ツバメやスズメのような小さな鳥にオオトリやクグイのような大きな鳥の志が分かるだろうか。小人物には、大人物の大きな志は分からない。」(『大辞林』 三省堂)
【韓信の股くぐり】「韓信が若い頃、町で無頼の青年に辱められ股を潜らされたが、後に大をなしたという故事。大志のある者は目前の小事には忍耐して争わないという譬え。」(『大辞林』 三省堂)
【臥薪嘗胆】「中国の春秋時代、越王勾践(こうせん)に父を討たれた呉王夫差(ふさ)は常に薪の上に寝て復讐の志を奮い立たせ、ついに仇を報いた。敗れた勾践は室内に肝(きも)を掛けてこれを嘗め、その苦さで敗戦の恥辱を思い出してついに夫差を滅ばしたという故事。敵を討とうとして苦労をし、努力すること。目的を達するために苦労を重ねること。」(『大辞林』 三省堂)
小泉純一郎をツバメやスズメのような小さな鳥――小人物に擬(なぞら)えたのである。
郵政民営化などは総理・総裁獲得という大志の前には小事に過ぎない。大志のある者は郵政民営化といった目前の小事には忍耐して争わないものなのだ。郵政民営化だなどといった小事に血眼になっている小泉如き小人物には俺みたいな大人物の大きな志は理解できまい。
尤も「臥薪嘗胆」なる熟語は「目的を達するために苦労を重ねること」という意味だけではなく、「恨みを失わずに相討ち合う」という意味にも取れる。
「郵政民営化に賛成ではなかった」が正真正銘のホンネでありながら、あのとき小泉に妥協してホンネを曲げてしまった。そのお陰で「皆、勘違いをして」、「妙なぬれぎぬを着せられ」、「はなはだおもしろくない」事態に至った。
多分「妙なぬれぎぬ」は我らが麻生太郎の自尊心を相当にチクチクと痛めつけてきたに違いない。「臥薪嘗胆」――あのときの恨みを総理・総裁となった今、晴らしてやろうという思いがあったことも、ついつい不用意に「郵政民営化に賛成ではなかった」のホンネを曝してしまったということもあるのだろう。
いずれにしても、「郵政民営化に賛成ではなかった」が正真正銘のホンネであることに間違いはあるまい。
前の選挙が「郵政民営化」を唯一の争点とした。これまでは麻生首相は「争点、これはもうはっきりしているんではないでしょうか。国民生活の安定、我々は効果的な経済対策とか、生活対策とか、そういうことを迅速に打つということができるのは政府自民党と確信しております」(09年1月4日年頭記者会見)とか、「私は景気回復の後に、消費税の増税をお願いするということを申し上げました。無責任なことはできない。そういうのが政府自民党だと、私はそこを一番申し上げたいと思っております」(同年頭記者会見)と「国民生活の安定」と「消費税増税」を選挙の争点として挙げていたが、小泉選挙が「郵政民営化」で獲得することとなった3分の2以上の議席は「郵政民営化」を正当づけている3分の2でもあるのだから、その3分の2をバックボーンとして麻生政治を展開している手前(参院で否決された法案を衆院の3分の2以上の賛成で再議決する規定を利用してもいる)、「郵政民営化に賛成ではなかった」のホンネを告白した以上、その3分の2が自らの政権にとっても正当性があるか否かを選挙で問わなければならない責任を負ったことになるはずである。
当然、我らの麻生首相は次の総選挙の争点を「国民生活の安定」も「消費税増税」も取り下げて「郵政国営化」としなければならない。
麻生首相は国会での発言に関してマスコミから質問を受け、「国営化に戻すと言ったことは一回もないと思います。従って、民営化をするということで選挙をしたんですから、従って、民営化を国営化にすると言ったことは一回もないと思いますね」(「asahi.com」or「msn産経」等)と釈明しているが、これは再び「郵政民営化に賛成ではなかった」のホンネを偽る再犯行為そのものであろう。
それとも政権維持という新たな大望の手前(あるいは自民党政権を失った首相という汚名を着ることへの恐れの手前かな?)、臥薪嘗胆、韓信の股くぐり、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやというわけで、再びホンネ隠しに走るということなのだろうか。
「私は決して逃げない」の信念を一度ぐらいは貫き、ホンネに素直に従うべきである。「アキバの麻生太郎」の人気まで失わないために。