日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

疑問を持つ大切さ

2005-01-15 14:09:07 | Weblog
今週、なぜかアクセス件数がこれまでにないくらいありました。
特に「受験食」を書いてから増えたことを考えると、タイムリーな話題だったのか?と思えるのですが、その後も同じような状態となっていることに、こちらがやや驚きの状態です。
といっても、元々細々とやっているので「これまでにないくらい」と言っても、古田選手のブログには足元どころか影すら遠く及びませんが・・・。

そのような状況の中、コメントを下さった方がいらっしゃいます。
「多様性のある社会」にコメントを下さった、ttkttさん。
「求められる学力」にコメントを下さった、nqさん。
ありがとうございます。
特にnqさんのコメントには、考えさせられるところがありました。

身内に公立中学校で、教員をしている者がいます。
「ゆとり教育」ということに関しては、教師自身が様々な受けとめ方をし、迷っているように感じています。
というのも、「この方程式は、こうやって解きなさい」という問題をソツなくこなしてきた人たちが、現在教師をしているからです。
「ひとつの回答を求める」ことが得意な人たちが、教師として活躍している。ということになるのかも知れません。
そして、それは教師だけではなく、多くのサラリーマンも同じだと思います。

「答えがひとつ」というのは、とても明快で分かりやすいと思います。
ただ「ひとは、それほど明快でもなければ、分かりやすい存在ではない」ということだと思います。
「自分と違う」というひとや考えに対して、「どうしてなの?」と疑問を持つこと、そして尋ねることなどからnqさんが指摘された「総合的知力」は、身につくことだと思っています。
そのような観点から「総合学習」をみたとき、「理想とするゆとり教育」の基盤となるような気がします。
「すべての生徒に高度な総合的知力」を義務教育に求めているのではない、と思います。
成長段階に応じた、理解度等があると思いますし、学習分野によって「得て不得手」があると思いますから。
問題なのは「評価のモノサシ」を、今誰も持っていないということでしょうか?
ひとつ言えるとすれば、同僚教師やPTAではなく「子供達の学習意欲」が評価となると思います。

ちなみに、私は「どうして?」ということばかりが気になる「教室のお荷物のような子ども」でした。
それでも、「超詰込み教育時代」に義務教育を受け、普通に大学受験もしました。
両親が余り期待していなかったのが、良かったのかも知れません。