日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

マーケティングって何?

2005-01-16 23:33:04 | マーケティング
先日の「知的財産」と企業について、あきっちさんからコメントを頂きました。
ありがとうございます。
そして、質問を頂きましたので私なりの回答をさせて頂きたいと思います。

「マーケティングの評価」
とても難しいと思います。
というのは、マーケティングの仕事とされる守備範囲がとても広く、数値的な判断ができないからです。
ただ、多くの企業は「企業貢献度」というモノでされていると思います。
残念ながら、その評価基準は企業によって様々ですので、その程度の回答しかできません。
自分の経験から言いますと「売上実績」が、ひとつの判断材料とされたことはあります。
といっても、売上を作るのは営業や販売という「現場」ですので、営業職の人たちの2割程度でしょうか?
あと・・・私の場合は「男女雇用機会均等法」前から担当していたので、「一般女子平社員」の扱いでの評価でした(苦笑)。

「マーケティング経験者の研究者転職」
今、企業の間ではマーケティングが、ブームのようですね(苦笑×2)。
実は、この「マーケティング・ブーム」は2回目です。
1回目は、バブル真っ盛りの頃。
何かにつけて「これからは、マーケティングだ!!」と、マーケティングの意味もわからないまま、マーケティングスタッフを雇い入れていた企業は、少なくないと思います。
当時は「マーケティング=販売ノウハウの提供」とか「マーケティング=市場調査」と捉えられていたからです。
しかし、バブルが崩壊したとたん、リストラの嵐がマーケティング担当に吹き荒れました。
なぜなら、実質の売上に貢献している数字が見えなかったからです。
そして、社会が大きく変わり「顧客満足」ということが、盛んに言われるようになりました。
そこで企業が、研究開発のときから「顧客満足度の高いモノ」を市場に出そう!ということで、コンサルタント会社出身や営業出身の転職者を募集するようになったのだと思います。
ただ、あきっちさんが指摘されている通り「流行で採用している」のであれば、とても危険だと思います。
というのも、バブル崩壊後多くの企業がマーケティング組織を荒廃させてしまったために、企業のマーケティング担当者自身も「マーケティングを知らない」という可能性があるからです。
転職者自身が、どれだけマーケティングについてのトレーニングや勉強をしてきているのか、分からないからです。
「多角的視点で、研究開発をする」ということは、とても大切なことです。
でも、それは現在の研究者であっても可能だと思います。

「マーケティング論」を体系づけた、ノースウェスタン大学ケロッグ・ビジネス・オブ・スクール教授P.コトラー氏は「真のマーケティング組織では、誰かひとりあるいはある部門だけマーケティングの責任を課すのではなく、むしろ全員がマーケティングの責任者となるべきである」と話しています。
企業が社会の一員として存在するためには「顧客の利益を優先する」という考えを、企業に携わる総てのスタッフが持つこと。それが、一番大切なことです。

あの日から10年・・・

2005-01-16 12:37:42 | アラカルト
10年前の1月17日早朝、私はまだまだぬくぬくとしたお布団に包まれて、幸せな夢心地の世界に浸っていた。
そこに突然突き上げるような揺れ、そして横揺れ。
目覚し時計代わりにタイマーをセットしているラジオから、訳のわからない放送が流れ始めた。
これが、私にとっての「阪神淡路大震災」の最初でした。
名古屋に住んでいるので、その時の神戸周辺の状況など知る由もなく、ラジオ放送が震災地に近い大阪からのレポートだと分かるのに、2・3分はかかったと思う。

当時、会社員として仕事をしていた私にとっても「阪神淡路大震災」は、大きなターニングポイントとなった。
仕事の関係で関西への出張なども多く、神戸にも何度か行っている。
会社の食堂にあるテレビで見たニュース画面には、仕事で何度も行った見覚えのある神戸の町が、燃え上がっていた。
「お仕事でお世話になった、皆さんは大丈夫?」ということが心によぎるのだが、連絡する術もなければ、何も分からない。
販売会社ということもあり、スタッフの多くはお客様の安否をとても心配していた。
ただひとり、私の上司を除いては。

販売会社の本社スタッフというと、企画や管理の仕事をしていて「現場」から遠く離れたところで仕事をしている。
その代わりに、「日々の売上数字を追う仕事ではないのだから、長期的視野にたってお客様との信頼関係を築くことを考えなさい」ということを、要求される職場だった。
おかげで、マーケティングという仕事をさせて頂くことができたのだが・・・。

翌日、被災地の状況が次々と明らかにそして急速に広がっている様子が、テレビのニュースが伝える。
その日は、震災を免れた関西方面からの来客予定があった。
そして、その方は様々な交通手段を使って、1時間ほど遅れて来社されたのだった。
応接室へ案内し、お茶を持って再び応接室に行った時、お客様と上司の会話を聞き、私は「このひととは、これ以上仕事を一緒にはできない」と思った。
その内容は、以下のようなものであった。
お客様:「この度は、御社も大変でしたな~」
上 司:「イヤ~、地震で関西の倉庫のスプリンクラーが誤作動をして、商品がずぶ濡れですわ」
お客様:「・・・(絶句)」
 私 :「・・・(この人、状況判断ができない)」

マーケティングというモノは、「企業の利益のため」だけにあるのではありません。
いかに「企業・社会と生活者が、信頼のある、しあわせな関係を創っていくのか?」ということを考えることが、基となるのです。
そのことを忘れたら、企業は社会の一員として存在することすらできません。
「企業(利益)ありき」ということは、ありえないのです。
でも、その時の私の上司は「大震災時」という、緊急事態で「企業利益」しか考えられなかったのです。
いくら「全共闘世代として、体制と戦った」という武勇伝を話しても、結局は「企業という体制」に染まっていることが分からない人だったのです。
緊急時であればあるほど、その人の本質がわかりますね。

1年後、私はフリーランスのマーケターとなる道を探るように、会社を辞めました。