日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

ライトアップと街路灯-街路灯は街の間接照明-

2007-10-20 22:03:50 | アラカルト
以前から拙ブログで指摘しているのだが、街中のライトアップは「広告的に効果的」なのだろうか?
京都や奈良の寺院のライトアップは、確かに幻想的で幽玄な世界を作り出している。
それが、観光の目玉の一つとなっている。
先日奈良に遊びに行ったとき、ライトアップされた春日大社の大鳥居、興福寺の五重塔など確かにきれいだった。
だが、街中のライトアップは何があるのだろう?と考えてしまうのだ。
東京タワーのライトアップが映えるのも、周囲の暗さがあってのことだ。
どこもかしこもライトアップでは、その効果は半減されてしまうと思うのだ。
それだけではなく、そこに使うエネルギーは無駄ではないだろうか?
それよりも、もっと優先させるべき「灯り」が、あるのではないだろうか?

先日起きた寝屋川市の、女児殺害事件。
凄惨な事件で、一日も早い解決を望んでいる。
そして、ここ数年このような事件が多発している。
「力が弱い」というだけで、その犯罪のターゲットとされ、命をおとさなくてはならないというのは理不尽だし、あってはならないことだ。
このような犯罪現場に共通しているのは、街路灯などがとても少ないということだ。
言い換えれば、「犯人が隠れやすい場所が多い」ともいえるのではないだろうか?
華やかな街中のライトアップよりも「優先させる灯り」というのは、街路灯なのではないだろうか。

以前、「コンビニは、町の安全ステーション」ということを、言われたことがあった。
コンビニの明かりが、暗い住宅地を照らし、緊急時の避難場所となること言われた。
それだけ「街の灯り」は、大切で安心を人に与えるモノだと思うのだ。
その「街の灯り」が、肝心要な場所にないのだはないだろうか?
ライトアップのような華やかな灯りは、必要はない。
間接照明のような、人に優しく温かみのある安心感のある「灯り」が必要なのだ。

費用などの問題だけではなく、環境という点でも今は様々な「灯り」がある。
風力・太陽光発電の街路灯が、使われるようになってきた。
このような「灯り」こそ、静かな住宅地に必要なのではないだろうか?
地域の治安・安全というだけではなく、このような住宅地を商区にもつ大手スーパーなど、積極的に提供することを考えてみてはどうだろう。
その地域社会の一員としての責任を果たすだけではない、社会貢献があると思うのだが。