日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

地元志向を強めるコンビニ

2009-11-18 21:58:56 | ビジネス
今日、何気なくテレビを見ていたらチョッと気になるコトバにであった。
ファミリーマートの「地産地食」と言うコトバだ。
「地元で取れる食材で作ったお弁当を地元の人に食べてもらう」と言うコンセプトの、コンビニ弁当のようだ。

実際、ファミリーマートのお弁当サイトを見てみると、東北・新潟地区は山形大学との共同企画の「宮城県産の豚肉を使ったとんかつ弁当」を作っている。
九州地区になると、黒豚や黒毛和牛を使った「三種の肉盛弁当」というチョッと豪華な(?)お弁当だ。
私がテレビCMで見たのは「愛知県産味噌カツ弁当」と言う、いわゆる「名古屋めし弁当」だった。

このコトバを聞いたとき、「地産・地消」から一歩踏み込んだ地元志向の発想なのかな?と、感じた。
「地産・地消」と言っても、その実「道の駅」などで販売されている美味しい野菜を、わざわざ遠くから買いに行くという方も多いのではないだろうか?
むしろ、「高速道路1,000円」になってからは、そんな遠出の買い物を楽しみして出かけている方も少なくないと思う。
確かにそれも「地産・地消」なのだが、それだけでは地方の農水産物を楽しみは半分と言う気がする。
「美味しい農水産物(出来れば、+林業木工製品)を買う+食べる+遊び」が加わることで、もっと地方が活性化するのでは?と、考えてしまったのだ。
もちろん、地元の食材を食べるだけではなく、その地方の伝統食を食べると言うコトだ。
それを象徴するコトバとして、「地産・地食」もアリなのでは?と、思ったのだ。

同時に、ここ2、3年でコンビニで扱う加工食品は「地元志向」が強くなってきているような気がしている。
サークルKサンクスでは、「MOT PROJCET」を展開している。
それだけではなく、各地域の商業高校や農業高校と共同企画で菓子パンや弁当などを展開している。
この企画はあくまでも、地元高校の学校教育の一環として、サークルKサンクスが協力をする、と言う内容のものだが、実際店頭に並ぶ商品を作ると言う企画は、高校生にとって大きな刺激となっているようだ。

これまで、コンビニに置かれる商品は「全国同じ」と言うイメージが強かった。
コンビニ飽和状態になりつつある今、一つの特徴を現す方法として「地元志向」を強めているようにも思える。
「地域に根ざしたコンビニ」と言うのが、新しいコンビニの戦略のように思える。


地方の反乱?それとも・・・

2009-11-17 22:11:36 | 徒然
毎日新聞のWEBサイトに、北陸新幹線:新潟県、負担金支払い協定破棄…機構側に通告と言う記事が掲載されていた。
Yahooのトピックスでも扱われたニュースなので、ご覧になられた方も多いと思う。

北陸新幹線の負担金支払いについて、以前から新潟県は「工事内容の内訳や明細を見せてくれ」と話していた。
その理由は、当初の金額よりも増額されていたためだ。
このような話を受け、大阪の橋下知事などは「ぼったくりバーよりも酷い」と話、話題となった。

確かに、新潟県知事さんの言うことは分る。
「工事費用が増えましたから、負担金を増額します。では、よろしく」では、納得できないだろう。
企業であれば、その内訳なり理由なりを示してもらわなくては、先に進むような話ではない。
ならば、何故負担金が増額することになったのか、その理由を示し、キチンと説明をすれば問題解決の一歩となるはずなのに、何故国交省は説明しないのだろう?
そのことに、まず疑問を感じてしまう。

もう一つ思うコトは、先週から始まった「行政刷新会議」での「事業仕分け」で、次々と明らかになってきた、 日本の交通行政(と言うのだろうか?)の問題点だ。
これまで何かと問題視されてきたのは「無駄な高速道路や橋」だったのだが、最近ではそれに「空港建設」が加わり、昨日は「港湾整備」もズサンな計画の基に造られていることが分ってきた。
おそらく、全国で心待ちにされているであろう「整備新幹線」も同じような道を辿るのではないだろうか?と言う、気がしてきた。

「無駄」といわれる高速道路や橋、空港建設や港湾整備を見るたびに思うコトの一つに、「地方も都市部も目指すことが同じ」と言うコトだ。
「高速道路や空港を建設したり、港湾整備さえすれば、地方も都市部と同じように人・モノ・金が集まり、活性化する」と言う、考えばかりが先行し、そこに利権や権力が集まってしまった結果、「日本全体のヴィジョン」がなくなってしまったような気がするのだ。
地方にそのような施設・整備がいらないと言うのではなく、その地方に合ったサイズと言うモノを考えずに、身の丈以上のモノを造ってしまった結果、地方もその負担に喘いでいるという気がするのだ。

それには、国のヴィジョンのなさと言う問題だけではなく、地方行政にも問題があるのではないだろうか?
それは、私たち生活者の問題でもあると思う。

発想を変えると、違う風景が見える?

2009-11-16 16:57:45 | ビジネス
お昼ご飯を食べながら、テレビのニュース→ワイドショーを見ていた。
その時、「こんな考え方もあるのか・・・」と思った内容があった。
それは、東京谷中にある小さな旅館の話だった。

その旅館は、海外からの観光旅行者を対象として営業をし、稼働率100%だと言う。
稼働率100%と言うことは、毎日満室の状態になっていると言うコト。
しかし、その旅館はおせいじにも近代的で、外国語が堪能なスタッフがいる旅館とはいえない、家族経営の小さな旅館。

その旅館の稼働率100%を実現させている大きな理由というのが、「高いホスピタリティー」と言うコトらしい。
と言っても、京都の名だたる有名旅館のような「おもてなし」ではない。
手作り感いっぱいの旅館近隣の地図であったり、宿泊客の問題を一緒になって考え、提案をすると言うコトが、その小さな旅館の「おもてなし」なのだ。
もちろん、そのような宿泊客の問題は、ファイルとして蓄積され直ぐに引き出せるような工夫はしているのだが、そのファイルもデジタルデータ化されたようなモノではなく、クリアファイルで保存していると言う、なんともローテックな方法だ。
そのローテックで、手作り感いっぱいのサービスが海外からの宿泊客に支持され、海外のガイドブックに掲載されるまでになっているという。

その旅館のご主人は、「うちのような小さな旅館は、宿泊と朝食のサービスしか出来ないが、近隣のお店を使ってもらうことで、大きく立派なホテル並のサービスが提供できるんですよ」と、話をされていたのだ。
そして「豪華な食事などは記憶の中に埋もれてしまうけど、人と接した楽しい思いでは簡単には消えない。むしろ、海外のお客様はそれを求めて、うちにやってくる」とも、話をされていた。

日本人の考える「観光」と言うと、「名所巡り」ばかりを思い浮かべる。
それも海外となると、決められたスケジュールで「名所巡り+グルメ+買い物」を駆け足でめぐると言うパターンが中心だろう。
最近では、だいぶ目的に合わせて、ゆったりとしたスケジュールを自由に作ることが出来る旅行が人気になりつつあるようだが、「スケジュール目いっぱいあります」的ツアーの方がまだまだ主流なのではないだろうか?
だから、「名所がないから観光資源がない」と言う発想になってしまうのではないだろうか?

そして、違うお昼の番組では「世界遺産・白川郷」を取り上げていた。
コチラは、世界遺産に登録されてから様々な問題が起きているという内容だった。
と言うのも、世界遺産に登録されて以来ひっきりなしに観光バスだけではなく、自家用車が昼夜を問わず行き交うようになり、以前のような「白川郷」の雰囲気が失われつつあると言うのだ。
それだけではなく、生活をしている住宅にまで勝手に入り込む観光客も増えていると言う。

「マナーの悪さ」としか言い様がないのだが、例えば、クルマの進入エリアを白川郷の外にし、それから先は電車などでの移動にするような制限が必要なのかも知れない、と思ったのだ。
「手軽に行くことが出来る」と言うのは、確かにメリットではあるが、折角日本の原風景のようなところに行くのだから、それなりの「不便さ」も大切な観光の楽しみなのではないだろうか?
そして、行く先々で出会う地元の人たちとの時間が、大切な思い出となっていくのではないだろうか?
むしろ、そのくらいの余裕を持った「旅」の方が、今と言う時代には合っているように感じるのだ。

そんなコトを、考えてしまったお昼のテレビだった。



主旨は良いのに、伝わらないキャンペーン

2009-11-15 08:21:40 | アラカルト
先月末くらいからだろうか、FMなどで時折流れるCMを聞きながら「主旨は良いのに、これでは伝わらないのでは?」と思うモノがある。
それは公共広告機構(通称:AC)の「ごきげんうかがい」と言う、ラジオCMだ。
実際、テレビで流れているのかは分らない(私は、見たことがない)のだが、FMという「映像のない状態」で聞いていると、とても違和感があるのだ。

と言うのも「ご機嫌伺い」というテーマであるにも関わらず、一番最初に使われている言葉が「オレ、オレ」で始まるのだ。
CM全体を通して感じるのは「オレ、オレ詐欺に注意しましょう」という内容なのか?と、思ってしまうのだ。
ところが、そのCMの主旨は「離れて住む老親へ、(頻繁に)連絡しましょう」というモノ。

我が家もそうなのだが、大学進学や就職で親元を離れ、そのまま就職・結婚をし、生活そのものが親とは遠く離れた状態にあるという方は、多いと思う。
そして、忙しさについ連絡を怠りがちになり、帰省するのはお盆と正月(+GW)程度。
気にはかけているけど、介護をするような状態ではない、元気な老親との程よい距離感と関係を考えているという場合だ。
その「程よい距離感と関係」を作るために、「ご機嫌伺い」の電話をするという提案は、とても良いと思う。
思うのだが、違和感を与えてしまっている原因は、「オレ、オレ」で始まるからだろう。

と同時に、男性の皆さんがご実家やご自宅に電話をされる場合、「俺、俺」と言ってかけられるコトが多いのだろうか?とも、思ってしまったのだ。
電話をかける時、相手が家族であっても名前を名乗る、と言うのが電話のマナーだとおもうのだが、違うのだろうか?
ラジオCMと言う制約があるのだから「オレ、オレ」で始まるのは、仕方ないと言うコトだろうか?
「特定の個人を思い起こさせるような、名前の使用は出来ない」というコトかも知れないが、太郎さん(麻生さんのことではない)とか一郎さん(小沢さんのことではない)と言った、記入例などでよく使われるような名前では、問題があったのだろうか?
麻生さんや小沢さんも「太郎だけど・・・」とか「一郎ですが・・・」と、ご家族に電話をされているのではないだろうか?

折角主旨は良いのに、内容がこのCMを台無しにしているように思うのだ。
公共広告機構は、これまで優れたCMを作り続けてきたはずだが、このCMだけは・・・いただけない。

白いたまご-新しい「鶏卵ブランド」となるか?玄米たまご・「こめたま」-

2009-11-13 21:22:55 | トレンド
今日、本屋さんで立読み(「オイオイ!買えよ」と言う、ツッコミはナシでお願いします)していたら、気になる記事があった。
記事というよりも、掲載されているモノが気になったのだった。
それが、今日のタイトルとなっている「白いたまご」だ。

「たまごって、白いんじゃない?」と思われるかも知れない。
「イヤイヤ、最近は『赤玉』といって、赤い殻のたまごもあるし・・・」と思われた方もいらっしゃるかも知れない。
だが、今回の「白いたまご」というのは、黄身が白いのだ。
厳密に言えば、「白い」のではなく「レモンイエロー」。
ただ、調理をすると白っぽくなってしまうのだ。

その理由は、鶏が食べる飼料にある。
以前、テレビ番組か何かで「たまごの黄身は、飼料の色によって変わる」というコトを聞いたことがある。
最近の生活者の志向が「オレンジがかった色の黄身」というコトで、鶏卵農家はあえてオレンジがかった黄身ができるような飼料を与えている、と言う話も聞いたことがある。
それを応用すると、イロイロな色の黄身のたまごが出来るという話もあった。
その話を聞いたとき、ある種の気味悪さを感じたのを覚えている。

そして今回の「白いたまご」というのは、玄米を飼料として与えられた鶏卵なのだ。
その名も「こめたま」という。
雑誌の記事を読んで、だいぶ前からイロイロなところで取り上げられ、話題になっていたらしい。
そして、美味しいだけではなく健康にも良いらしい。

この「美味しくて、健康にも良いたまご」と言えば、既にブランド化に成功した「たまご」がある。
ご存知の方も多いと思うのだが、「ヨード卵・光」だ。
もしかしたら、今の「赤玉・オレンジ色の黄身」というたまごが定着したキッカケは、この「ヨード卵・光」だったかも知れない、と思うほど一般的になり、たまごのブランド化に成功した商品だ。

それまで「たまご」は「たまご」であって、そこにブランドはなかったし、ブランド化する必要もなかった。
ところが、たまごの栄養を強化しブランド化に成功したのが「ヨード卵・光」だった。
「ヨード卵・光」が昔ながらの鶏卵と大きく違ったのは、その飼料だった。
ヨードを多く含む海藻類などを飼料に混ぜた事で、より高い栄養を持った鶏卵を作ることに成功したのだった。

その逆を行っているように思えるのが、今回の「こめたま」なのだ。
私が子供の頃、農家では鶏を飼っているトコロがあった。
そのような所で飼われている鶏は、主にお米を食べていた。
その頃の鶏卵を再現したのが、「こめたま」というコトになるだろう。
だがこの「こめたま」、昔の農家のたまごを再現することが目的ではなかったようだ。

数日前「日本の自給率40%は、低いのか?」という記事が、Yahooのトピックスに掲載されていた。
日本の「自給率40%」という数字は、「カロリーベースでの数字」であって、現実的な数字ではないと言うのが、その記事の指摘だった。
実際、牛乳も鶏卵も生産と言う視点では100%だと言われている。
しかしカロリーベースで考えると、その数字はガクンと下がってしまう。
その理由は、飼料を輸入しているから。
ならば「飼料から安全な完全国産を作ろう!」と言う考えから、生まれたのがこの「こめたま」なのだ。
そしてネットで検索すると、このような動きは全国に広まりつつようだ。

政治ではなく、農家とそれをサポートする生活者が、農業を変え始めているのかも知れない。




公開「事業仕分け」作業を見ながら

2009-11-12 21:36:25 | 徒然
昨日から始まった、行政刷新会議の目玉「公開事業仕分け」。
公開と言うことも初めてなら、「へ~、そんな施設があったの?」とか、「そんな事業にお金を出していたんだ・・・」と、初めて聞くモノも少なくない。
私が知らなかっただけの話なのかも知れないのだが・・・。

その中で「国の考える施設って、同じだな~」と思ったモノがある。
それが、テレビのニュースなどで頻繁に流れた「独立行政法人・国立女性教育会館」だった。
施設の必要性云々というより、広大な土地にテニスコートや運動場と言った施設を完備していると言う点で、「どこかで見たような施設・・・」と言う印象を持ってしまったのだ。
「どこかで見たような・・・」と言うのは、おそらく社会保険庁などの研修センターなどをテレビのニュースで見たからだという気がするのだが、どうして国が造る施設は似たような感じになってしまうのだろう?
そもそも、研修施設に5面もあるテニスコートや温水プールが必要なのだろうか?

もう一つ今回の「公開事業仕分け作業」を見て気が付くのは、施設や対象となる事業の殆どが東京に集中し、何となく「東京で考え、東京でやる国の事業」と言う感じに見えてしまうモノが多いように思う。
そしておそらく、似たような施設は地方でも行政が造っているのではないだろうか?
今回話題になった「女性教育会館」にしても、愛知県には「愛知県総合女性センター(通称:ウィルあいち)」と言う施設が名古屋市内にある。
それだけではなく、名古屋市も「名古屋市女性会館」と言う施設を持っている。
だから、わざわざ東京まで出かけて研修を受けると言うことは、考えないのではないだろうか?
とすれば、何も「独立行政法人」で運営する必要はないのでは?
その運営費用を基に、そのような施設のない地方に施設建設ではなく、教育プログラムなりを提供するコトのほうが、税金の使われ方としてはベストなのでは?

「東京ばかりに集中」と言うのは、極論かも知れない。
実際、「要らない高速道路」といわれているモノの殆どは、有力政治家(だった)出身地に集中している。
有力政治家(だった)人たちの権力の象徴と、東京発想で税金がだいぶ使われていたのだな~、と感じさせる「公開事業仕分け」だ。

便利さと引き換えに失っているモノ

2009-11-11 20:46:43 | アラカルト
時折見る「爆笑問題のニッポンの教養」
昨夜は、国立国会図書館の館長さんだった。

現在国立国会図書館は、蔵書の電子デジタルデータ化を進めているという。
デジタル化されることで、地方に居ても国会図書館にアクセスし、検索をすれば、読みたい本が即座に読めるコトになるという。
このデジタル化が進めば、実際手にとって読めないような本も自宅で読めるようになるかも知れない・・・という期待がある。
それはそれで、楽しみなコトだ。

ただ、便利になる反面便利過ぎて、失ってしまうモノもあるのでは?という不安にかられてしまった。
それが、番組内容にある「対戦内容」だった。
インターネットの普及で、調べモノは格段に速くラクになった。
私も、こうやってブログを書きながら、同時に調べモノをすることが度々ある。
まして、記事の内容を確認したり古い出典先を確認したりするには、ネットはとても便利だ。
瞬く間に、必要な情報をピックアップしてくれる。

でも、その生活に慣れてしまうコトに、不安を感じないわけではない。
便利だからこそ、失ってしまうモノがあるのでは?という、不安だ。
そして、見落としてしまったかも知れないモノ・コト・情報から拡がる発想があったのではないか?という、不安と言ってもよいかも知れない。

最近感じることの一つに、「マニュアル化」と言うコトがある。
「マニュアル化」することで、効率化やサービスの均一化が計られると言うメリットがある。
ファーストフード店など行けば、それを実感できるはずだ。
最近では接客の笑顔までマニュアル化されているの?と、思ってしまうコトもあるほどだ。
逆にいえば、一生懸命考え・工夫するコトなく、同一のサービスを提供できると言うコトにもなる。

最近では、あえてマニュアルに頼るコトを止める動きもあるようだが・・・。
あえて「マニュアルに頼らない」と言うのは、様々な無駄が発生するコトになるが、その分、遊びや創造性を身につけるコトになるのでは?と、思うのだ。
そしてそれらは、今の日本が失いかけているモノなのでは?
便利さと引き換えに、思考力や創造性を失ってしまうのであれば、チョッと立ち止まって考えても良いのかも知れない・・・と、思うのだった。

ロングセラー商品に見る「家族の風景」

2009-11-10 14:59:29 | マーケティング
毎日新聞のWEBサイトに、不定期企画として「ずーっと愛して:ロングセラー物語」という記事が掲載されている。
今日Upされた記事は、「バンドエイド」だった。

日本では、「バンドエイド」タイプのばんそうこうは、地域によって呼び名が違うと言われているが、そのどれもが「バンドエイド」を基にして開発された商品である事には、違いないだろう(呼び名についての資料は「役に立つ薬の情報 専門薬学」より)。
そして、「バンドエイド」などのばんそうこうをはってもらうイメージは、「お母さんが子供にはる」という光景ではないだろうか?
実際、バンドエイドなどのテレビCMでは「子供とお母さん」という組み合わせが殆どだ。

「バンドエイド」のほかに紹介されている、「三ツ矢サイダー」や「カルピス」などのも、懐かしさとともにあるのは「家族の風景」のように思う。
それは、日常の中にあるチョッとした特別なコト。
「三ツ矢サイダー」が好きだった、宮沢賢治のようにお給料日の贅沢だったり、夏休みの昼下がり(昼寝の後の「お目ざ」)だったり、何となく平凡な中にある幸福感というモノを感じる。

そして、ロングセラーとなる商品の多くは、このようなイメージのモノが多いような気がするのだ。
随分と前になるのだが、あるジャムのテレビCMに「ベストセラーよりロングセラー」というキャッチコピーがあった。
このコピーを見たとき、「商品には一時話題になり、売れる商品もあるけど、長い間多くの人に親しまれ、世代を超えて支持される商品があるんだな~」というコトを、改めて知った気がした。
そして、そのような商品は子どもの頃の思い出とともに、人の(心の)中に留まり、フッとしたときに、当たり前のようにいつもその商品を手にとってしまう、というような商品へと成長しているのだ。

だから「ロングセラー商品」の多くには、「家族の風景」を感じるのかも知れない。
そんな商品を育てることも、企業にとっては大切なコトなのだと思う。


アイディアの生まれる場所

2009-11-09 07:50:00 | CMウォッチ
テレビCMの中には、意外と言っては変だが的を得ている内容のモノがある。
先日、偶然そんなテレビCMを見た。
それがフリスクの「アイディアの生まれる場所」という、テレビCMだ。

仕事で、イロイロなアイディアを出さなくてはいけない場合が多い。
机に向かって頭をひねっているからといって、良いアイディアが生まれるわけではない。
案外、意外な場所で「!?」がひらめく事が多いというのは、実感としてある方は多いのではないだろうか?
それは、お風呂でゆったり入浴中だったり、仕事でヘトヘトになりながら帰る電車の中とか・・・。
ぼんやり風景を眺めているときに、「!?」というアイディアが思い浮かぶ事もあるのではないだろうか?
そんな時、光景を作り出したのが、この「アイディアが生まれる場所」というCMなのだ。

このテレビCMを見て、思い出したことがある。
それは以前、FM番組を聞いていた時のことだ。
作家の小川洋子さんがパーソナリティーをされている番組で、以前女性作家さんたちの集まりの時、「何故か皆さん執筆中はパジャマだ」というお話をされていたことを思い出したのだ。
もちろん、その時は「へ~、人気の女性作家さんたちが、執筆中のときパジャマなんだ・・・雑誌などで紹介されているようなオシャレな格好ではないんだ・・・」ということで印象に残ったのだった。
そんな話を聞いた後だっただけに、この「アイディアが生まれる場所」というCMを見て、「なるほどな~」と思ったのだった。
文章を書くプロである、作家さんたちも窮屈な服装では作品は生まれない、というコトなのだろう。

長い会議ほど結論も出ないまま、ダラダラと時間ばかりが過ぎていくという実感はないだろうか?
立ち話や、休憩のチョッとした何気ない会話に、「!?」のヒントとなるモノがあるという経験はないだろうか?

堅苦しい会議の場は「アイディアが生まれる場所ではない」ようだ。
会社では、パジャマというわけにはいかないが、ネクタイを外すくらいのコトは必要かも知れない。
そんなコトを、思い・感じさせてくれるCMだ。




インフルエンザ対策ビジネス

2009-11-08 20:54:23 | トレンド
テレビCMを見ていると、「インフルエンザ対策ビジネス」だと感じるモノがある。
マスクや手洗い用アルコールといったモノも、「インフルエンザ対策ビジネス」だともいえるのだが、それ以外にも空気清浄器などがある。
最近のテレビCMを見ると単なる「空気清浄器」ではなく、ウィルスを90%以上殺菌・除菌というモノもあり、「空気を洗う」という感じだ。
中にはあえて「空気清浄機」という表現で、他社との違いを出しているメーカーもある。
「器」と「機」を並べて見ると、何となく「機」のほうが「強力殺菌・除菌」という気がするのは私だけではないと思う。
もちろん「器」と「機」の意味の違いはあるのだが、イメージだけでも大きく違うように感じられてしまう。

そして気になったテレビCMというのが、衣料品についたウィルスを除菌するという衣料用スプレー除菌剤だ。
これまで衣料用スプレーといえば、消臭効果を謳ったものか、しわ伸ばしなどが中心だった。
他にも「花粉症対策」というモノもあった。
だが、今回の新型インフルエンザの流行で、気軽に洗濯できない背広やコートなどこれから着用頻度が高まる衣料品は、ある意味「ウィルスだらけ」という可能性もある。
その需要を見込んでの新商品が、このような「衣料用ウィルス除菌商品」を生み出したのだろう。

そして、ドラッグストアに行くと「マスクにスプレーする除菌剤」というモノも、販売されている。
ウィルスを90%以上カットするマスクが、一般的になってきているのにも関わらず、よりウィルスを入れないための商品というコトなのか?と思ってしまったのだが、そのような商品も人気があるようだ。
ここまでくると、やや過敏な気がしないわけでもないのだが、どうやら外出先でティッシュペーパーなどに吹き付け、テーブルなどを拭くのが目的のようだ。

このような商品がヒットする背景には、日本人特有の「念には念を入れて」とか「人に迷惑をかけたくない」、「過剰な自己防衛」感覚があるような気がする。