日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

ソフトバンクの「意見広告」

2010-11-18 12:05:40 | アラカルト
今日の朝刊に、ソフトバンクの「意見広告」が掲載されている。

「光の道」への提案(注意:pdfファイル)

広告は「AかBか」と言う、取捨選択を迫るような感じだ。
実はこの広告を見た最初の印象は、小泉さんが郵政選挙で繰り広げた「二者択一」手法を思い出してしまった。
郵政選挙では「民営化か否か」と言う迫り方で、本来争点となるべきコトが幾つもあったのに、このシンプル極まりない「二者択一型選挙手法」で、自民党は大勝した。
ただ、今回のソフトバンクの意見広告は、それほど単純ではなさそうだ。

この意見広告で初めて知ったことがある。
それは政府が「2015年までに光の道完了を目指してる」コトだ。
だからなのか?「NTT フレッツ光」のテレビCMをよく見る。
実際、ご近所を買い物がてら歩いていると、光回線の工事をしている光景をよく見かける。

しかし考えてみれば、現在の回線のメンテナンスをしつつ、光回線希望者のみを対象に工事をするのであれば、それは時間とお金と労力の無駄かも知れない。
と言うのも、光回線工事の現場を何度か見ていると、「あれ?ここって、しばらく前に光の工事をしていなかった???」と思うコトが、度々あるからだ。
オフィスビルなどが建ち並ぶ地域では、あまり気にならないかも知れないが、住宅地だと案外気になるのだ。

ところで、この広告を見て気になったコトがある。
それは、携帯電話代に含まれているはずの「ユニバーサルサービス料金」のことだ。
確かこの料金は、携帯電話と固定電話の台数が逆転した頃から始まった料金だと記憶している。
その理由は、固定電話などの利用者が減ったことで、固定電話などの回線維持・管理が難しくなり、その維持・管理負担を携帯電話利用者に一部お願いをする、と言う目的だったように思う。
新しく敷設するためにかかる費用を税金で賄いつつ、維持・管理はユニバーサルサービス料金で行う、と言うコトなのだろうか?
その部分も気になる。

もっとも一番気になるのは、この広告主がソフトバンクだけ だというコトだ。
「光の道」と言うのであれば、NTTやKDDIなども一緒になって言わなくては、意味がないのでは?
それとも、ソフトバンクが携帯電話に参入した時のような「違和感」と言うか「抵抗感」が、NTTやKDDIにあると言うコトだろうか?
とすれば日本の「光の道計画」は、生活者の方に向いてはいないと言うコトになる。

次回のこの「光の道」広告では「光の道がどのように生活を変える可能性があるのか?」と言う、具体的なアプローチの内容で見てみたい。




電子書籍にモノ申す出版社

2010-11-17 15:21:59 | ビジネス
今年は「電子書籍元年」となりそうだ。
作家・村上龍氏が「電子書籍を発信する企業を立ち上げる」と、先日発表したばかりだ。
これに、賛同する作家さんたちも発表の席に同席していた。

この火付け役となったのは、ご存知の通り「i-Pad」だろう。
アマゾンの「キンドル」の日本発売も待たれている。
端末ツールにしても、日本の家電メーカーが相次いで参入を発表している。
そんな中、今朝の新聞に宝島社の「電子書籍の正体」と言うタイトルの新刊本の広告が掲載されていた。

宝島社といえば、出版不況と言われる中「付録本」で人気になっている書籍会社だ。 
昨今の出版不況の中で、数少ない好調出版社だとも言われている。
先日発売された「GLOW」は、付録がよほど魅力的だったのか?発売直後完売してしまった。
最近では「通勤サブバッグは、本のオマケ」と言う、OLさんも多くいらっしゃるらしい。
確かに書店の店頭には、宝島社のムック本の付録バッグが所狭しと並べられている。

そんな宝島社が、「電子書籍に反対」と言っている。
今日掲載された広告のキャッチコピー「書店のない町で 私たちは幸せだろうか?」を見て、「確かに・・・」と思っただった。
随分前になるのだが、「通販はHPがあれば、カタログなんていらないんじゃない」と言う方がいた。
「HPだったら、気に入ったモノがあればすぐ購入できるし、24時間注文できて便利」と言うのが、その理由だった。
その方は、企業のHPなどを作ることを仕事としていらしたのだが、その時「そんな単純なモノじゃないんじゃない?」と言うのが、私の答えだった。
その理由は、何かお分かりだろうか?

それは「ページをめくる楽しみ」と言うコトだ。
今の通販のHPは「電子カタログ」になっていて、「ページをめくれるようになっているだけじゃなく、ズームで商品をより大きく見ることだって出来る」と、言われる方もいらっしゃると思う。
ただカタログだけではなく、雑誌や本などには「ページをめくる」と言う「独特の間の楽しみ」があるコトを実感されている方は多いのではないだろうか?

「電子書籍」は1冊あたりの単価は、通常の本や雑誌に比べると随分安い。
それはそれで、とても魅力的だ。
「活字を読む」だけであれば、それで十分かも知れない。
でも「本を読む楽しみ」と言うのは、活字=ストーリーを読むコトだけだろうか?
装丁の美しさも本の楽しみだろうし、何よりも自分の好きな場所で好きな格好で自分の「間」で読めると言う楽しさもあるのではないだろうか?
そんな楽しみのプロローグとなるはずの書店が、町から姿を消すのはとても寂しい・・・と、個人としては思うのだ。

それはそれとして、「付録本」で業績を伸ばしている宝島社としては、「電子書籍ではオマケのつけようがない・・・」と言うのが、反対の本音かな?とも、穿った見方もしてしまうトコロもあるのだが・・・。


大手メーカーと新興メーカー

2010-11-15 15:58:56 | ビジネス
しばらく前から、テレビの調子が悪い。
そろそろどころか、だいぶ前に買い替えなくてはならないほどの、古いブラウン管テレビだ。
なんと言っても、平成になった日に我が家にやってきたテレビなのだ。
そのため、週末は新聞のチラシ広告やらネットで、価格チェックをしている。

特にネットでの価格チェックをしていて、気がついたコトがある。
それは、ユーザー評価が「大手有名メーカーだから良いとは限らない」と言うコトだ。
いわゆる「新興メーカー」と呼べそうなメーカーが、高い評価を得ているコトも少なくない。
もちろん「新興メーカー」の液晶テレビなどは、大手有名メーカーに比べると、機能なので劣る部分があるように感じる。
感じるのだが、例えば「アクトビラ」と言う機能が、私に必要か?と言えば「あれば便利かも知れないけど・・・無くても十分?」と言う気がしている。
大手有名メーカーさんが力をいれている「3Dテレビ」などは、「3D酔い」傾向がありそうな私には、無用のモノだ。
ならば、私がテレビに求めている機能が十分備わった、価格の安い新興メーカーのモノで十分なのでは?と言う、気がしてくる。

そんなコトを考えていたら、フッと心配になったことがある。
今や世界の家電メーカーといえば、韓国のサムソンやLGなどが上げられるようになってきた。
10年ほど前なら、ソニーとかパナソニックと言う名前が挙がっていたはずだが、ここ数年は韓国のメーカーにその座を追われた感がある。
私自身、韓国のサムソンやLGのテレビがどのようなモノなのかは知らない。
なぜなら、量販店の店頭で見かけることがないからだ。
だが、もしかしたら今の日本の「新興メーカー」のように、実にシンプルな機能でありながら生活者が求めている「テレビ」を作っているのでは?と言う気がしてきたのだ。
そして、今の大手有名メーカーが世界の市場で優位に立てない理由は、そこにあるのでは?と、心配したのだ。

なぜなら、携帯電話がそのような状況にあるからだ。
「日本のガラパゴス化」の象徴と言われているのが、携帯電話の分野だ。
確かに、日本の携帯は「おさいふ機能」などがあり、とても便利そうだ。
だが「本当に便利なのか?」と言えば、どうなのだろう?
「小銭を持たなくて良い」とか「さいふを忘れても、大丈夫と言う安心感がある」と言うメリットはあると思うが、コンビニで使えてもスーパーや百貨店では使えないというのでは、あまり意味がないような気がする。
であれば、いっそのコトなら「スマートフォン」と「シンプル携帯電話」と言う棲み分けをハッキリしてしまったほうが、生活者にもわかりやすいのではないだろうか?

開発資金の少ない新興メーカーが安い製品で大手に対抗しているのではなく、過剰な付加価値をつけないことで大手メーカーに対抗している・・・と考えると、大手有名メーカーが見落している「生活者の気持ち」があるのではないだろうか?




1次産業を7次産業に

2010-11-14 08:03:56 | ビジネス
年上の知人が、「来週、美山町へお出掛けする」と嬉しそうに話してくれた。
関東以北の方にとって「美山町って????」、関西の方であれば「あの、美山町か・・・」と言う感じだろう。
「美山町」と言うのは、京都・南丹市美山町のことで、「茅葺屋根の里」として人気になりつつある。

「美山町 かやぶきの里北村」

以前は、高齢化が進む典型的な過疎地だったのだが、旅行雑誌などで「日本の原風景」として紹介されて以来、関西を中心に人気が出てきた所だ。
「茅葺の里」と言えば、世界遺産に登録された「五箇村」が有名だが、次の「五箇村」として注目を浴びているようだ。
3年ほど前、父と京都へ旅行に行ったとき宿泊先のホテルでは、わざわざ美山町の湧き水を運んできて宿泊客にサービスをしていた。
おそらく美味しい湧き水があることでも、人気があるのだろう。
そんなコトを思い出していたら、「これからの農・林業などは、もしかしたらもっと複合的産業になっていくのでは?」と言う気がしてきた。

「農業は6次産業だ!」と言って注目を浴びているのが、三重県の「伊賀の里モクモク手作りファーム」だ。
農・畜産業だけではなく、加工・販売を一貫して行うだけではなく、レストランなどの事業も展開し、年間を通して高い集客をしている。
その「モクモク手作りファーム」も、以前は大変な苦労をしていたと聞く。
その理由の一つは、生産者の高齢化だ。
それが、今では若い人たちがわざわざ「モクモク手作りファーム」で仕事がしたい!と、やってくると言う。
その意味で、若年層の雇用にも一役買っているというコトになる。

そして「美山町」のことを考えると、「モクモク手作りファーム」の6次産業+観光が加わるのでは?と思ったのだ。
昔ながらの茅葺屋根を維持・管理していくコトは、大変な労力が必要となる。
しかし、その「茅葺屋根の集落」が観光資源となれば、新しい雇用が生まれる。
だからと言って、農業を捨て観光だけでは「美山町」の魅力にはならない。
なぜなら、「日本の原風景」としての「田畑・(緑豊かな)山」がセットで、初めて「観光資源」となっているからだ。
とすれば農作物の販売だけではなく、加工、製造、物販、レストランなどの飲食×地域文化などが加わって、より「観光産業」が強いモノになっていくのでは?

これまで「農林水産=1次産業」と、決め付けしすぎていたのではないだろうか?
「林業は木を切り出して、利益を得る」と言うのではなく、「緑豊かな山から生まれる総て」と考えれば、山から湧き出る水も大切な資源であり、もっと違う複合的産業と見ることが出来るのでは?

1次産業・2次産業と言う、「産業分け」の発想を止める時機が来ているように感じるのだ。

面子にこだわると、組織力が落ちる?

2010-11-12 12:31:40 | ビジネス
「尖閣諸島中国漁船衝突 ビデオ流出事件」で、1週間が終わりそうだ。
この事件で、流出をした海上保安庁職員の行動については、司法の判断と言うコトになりそうだ。

ただこの事件の一連の流れを見ていて、とても気になるコトがある。
それは、官房長官の仙石さんの態度と発言だ。
ニュースなどで見る仙石さんの態度や発言が、どこかヒステリックに感じるのだ。

「ヒステリーは、女性が起こすもの」と、思っていらっしゃる男性諸氏がいらっしゃると思う。
私の経験から言えば、「男性のヒステリーは、女性の比ではない」と感じている。
一旦「地雷原」を踏んでしまうと、延々とヒステリー状態が続き、周囲に当り散らすだけではなく、罵倒までする。
とにかく周囲にとっては迷惑千番。
そこまで仙石さんの態度や発言は酷くは無いのだが、「俺の面子をどうしてくれる!!!」と言う雰囲気がプンプン漂っているように感じるのだ。
どうやら男性のヒステリーは、「自分の面子を潰された」と感じる時に起きるようだ。

では、仙石さんにとって潰された面子とは何か?
それはやはり「尖閣諸島中国漁船衝突事件」での、一連の政府の行動に対する外交判断だろう。
ご本人は「ベスト」だと思ったことが、「ベストとは程遠い結果」となってしまったコトで、ご自身が不安になっていたトコロに、厳重機密としたビデオがyoutubeと言う媒体で全世界に発信されてしまったのだ。
テレビや雑誌・新聞などであれば、「どこの社がスッパ抜いた!」と怒れば何とかおさまったと思うのだが、ネットと言う方法やyoutbueと言う媒体であったコトなどが、仙石さんをヒステリックにさせているように感じるのだ。

しかし考えてみれば、仙石さんのような人は、どんな組織にもいるのではないだろうか?
自分の面子にこだわり、知らず知らずのうちに周囲に迷惑をかけてしまっているような人だ。
問題なのは、周囲にとって迷惑なだけではなく、士気も下がると言うことだ。
「どうせ、あの人に言っても、自分の面子ばかりで・・・」と、部内の人間がその人の顔色をうかがうような仕事しかしなくなる可能性が高い。
本来組織が目指すべきコトではなく、ご機嫌伺いが仕事になってしまう可能性がある。
その様なコトは、企業と言う組織にとってマイナスにはなっても、プラスになるコトは無い。

人の上に立つ人間だからこそ、ご自分の面子に対するこだわりを、時には捨てる勇気が必要だと思うのだ。



ヨン様の次は、「乙ゲー」?

2010-11-11 12:10:00 | トレンド
テレビを何気なく見ていると、やたらと目に付くCMがある。
いわゆる「携帯(電話)ゲーム」と呼ばれる、ゲームのCMだ。

「携帯(電話)ゲーム」と言っても、様々。
かつて人気のあったゲームの復刻版(?)もあれば、ネットワークゲームのようなモノもある。
ただテレビCMを見てみると、今年の春~夏頃までは若年層を対象にしていたように思われたCMが、寒くなってから大人向けと言うか、インベーダーゲームなどを体験した世代~テレビゲーム第一世代(30代後半~40代前半)を対象に移ってきたように思える。

私自身は、テレビゲームもPCでのゲーム、ネットワークゲームなどを一切しない。
「しない」と言うか、「やったことが無い」。
それは興味が無いからだ。
ただ、テレビCMを見ていると「こんなコトに興味があるのか・・・」と、勉強になる。
元々このようなゲームの対象は男性だったように思うのだが、最近では女性向けゲームもあるようだ。
例えば「キャパクラ嬢ゲーム」のテレビCMを見ていると、「今と言う時代だな~」と言う気がする。
一昔前なら、多分「若いお嬢さんがキャパクラ嬢になる」と言うコト自体、抵抗感があったように思うからだ。
他にも「男子高校に、女子が一人(ゲームをする人)が転校する」と言う、恋愛ゲームもある(と言っても、テレビCMを見ただけだが)。

そんな「女子向けゲーム」が、最近人気らしい。
「女子向け」と言うコトで、「乙女ゲーム」とか「乙ゲー」と呼ばれているようだ。
そして、30代~40代の女性が「乙女ゲーム」にはまっているらしい。

「ゲーム恋愛」と言うと、どこかオタク的で非社交的な男性のイメージが沸くのだが、「乙女ゲーム」にはまる女性達は、非社交的と言う感じではないようだ。
イベントなどでは、ゲームに登場するキャラクターの声優さんに歓声を上げ、携帯電話のカメラでパシャパシャ・・・。
その姿を見ると、まるで数年前、ヨン様に胸ときめかせた女性達のようだ。
秋葉原アイドルを応援する「オタク」さんたちと似ていないわけではないのだが、その元気度となると、女性のほうがパワーがあるような気がする。

ヨン様の次は「乙女ゲーム」と言うコトなのか?
そんな気がする、大人の女性達のゲーム熱だ。



日本の農業は競争力が無いのか?

2010-11-10 20:59:13 | 徒然
間もなくAPECが横浜で始まる。
その前からTPPに参加するか・否かで問題になっている。
理由は、地方出身の政治家の大票田となる農業団体の反対だ。

そのニュースを見ながら「日本の農業は、そんなに競争力が無いのだろうか?」と、疑問に思ったのだ。
と言うのも、スーパーや百貨店でのお米売り場で人気のあるお米は、いわゆる「ブランド米」。
もちろん「安ければ、安いほど良い」と言う、デフレ志向が無いとは言わない。
しかし、買い物をしている多くの生活者の姿を見ると「安ければ、何でも良い」と言う訳でもなさそうだ。

一時期数多く見た「中国製農産物」は、すっかり姿を消してしまった。
その理由は、おわかりだろう。
最近目にする海外からの輸入農作物と言うのは、「アメリカ産」、「オランダ産」だったり、スーパーが契約している海外の農家だったり・・・と、「安心・安全」を確保していることをアピールしている。
その売り場の中で、日本の農家(農業団体)も競い合わなくてはいけない、と言うのが今のスーパーの売り場となっているのだ。

もちろん、産地表示が義務付けられているとはいえ、一時期に比べると随分国内産の農・畜産物が増えてきているように感じる。
その産地も、日本全国津々浦々。
まるで「産地を競い合っている」ように思える時がある。
輸入農作物についても、日本では端境期に店頭に並ぶと言う傾向が強い。
だからこそ、日本のスーパーには季節を問わず様々な野菜が並ぶのだ。
おかげさまで、その恩恵にあずかっているのは私たち生活者だ。

海外、特に東アジアでは日本の農作物は「安心・安全+美味しい」と評判になっていると聞く。
日持ちがしないいちごなどは、航空運賃を加算された高価な価格であっても人気が高いようだ。
今、日本各地で「おらが地方の農作物つくり」が、盛んになっている。

そんなコトを考えると、本当に日本の農・畜産物は競争力が無いのだろうか?
農・畜産物を提供するだけではなく、「食」に対する日本文化も一緒に輸出できるチャンスなのではないだろうか?
そんな発想の転換が、日本の農政に求められているような気がするのだが・・・。


違う視点からモノを考える

2010-11-09 21:01:27 | ビジネス
昨夜遅く、NHK教育テレビ「極める」を見ていたら、京都コスメの一つ「ちどりや」の社長・堀切朋美さんが出演していた。
以前は、舞妓さんなどの和装小物を扱うお店だったように記憶しているのだが、今では「和コスメ」の人気店となっている(現在でも和装小物の扱いはしている)。

その堀切さんが、番組の中で「(美容の世界では)食べ物があなたを作る」と言うコトバがある、と紹介していた。
そして「ジャンクフードばかり食べていると、カラダもそうなってしまうのよ」とも。
このコトバを聞いて「もしかしたら、社会も同じなのでは?」と言う気がした。

時々食べるジャンクフードやファーストフードは、美味しいと感じても、それが毎日担ってしまえば、カラダに良くないだけではなく心の部分でも問題があると言われている。
それと同じように、人が集まって動く社会全体がジャンクフードやファーストフードのようなモノばかりになってしまえば、その社会思考・志向もその場しのぎ的・安直なモノになってしまうのではないだろうか?

最近問題になっている「PCの情報からコピー&ペーストで論文を書く学生」なども、学生たちだけの問題なのだろうか?
効率・成果ばかりを求めて、そのプロセスとなる思考力・行動力を評価しない社会を、大人が作ってはいないだろうか?

もう一つ「ちどりや」さんが、人気になっている理由が「ニューヨークからの逆輸入・和コスメ」だと言う点だ。
それだけではなく、日本国内での販売店は京都だけに限られている。
「逆輸入の和コスメ」と言うと、どこか違和感と言うか不思議感があると思うのだが、それは堀切さんがニューヨークでメイクアップのお仕事をされていた時、ご実家の「ちどりや」の名を使ったコスメブランドを立ち上げ、人気を博したのだった。

人気を博した理由はその効果だけではなく、とてもシンプルで引き算の美容法だったコトだ。
日本の文化は「引き算の文化」といわれているが、「引き算」をするために手間暇をかけていると言うのも事実だ。
案外私たちは、手を抜いてゴテゴテとした生活をしているのではないだろうか?

そんなコトを気付かせてくれたのは、まったく違う視点だったからだと思うのだ。
発想の転換は、普段とは違う視点の中にあるのかもしれない。







乖離しているのは、政治だけなのか?

2010-11-07 09:07:45 | 徒然
先週金曜日、YOUTUBEに掲載された「尖閣諸島、中国漁船衝突事件動画映像流出」の話題で一色となった週末だった。

確かに「機密事項扱いの情報が流出する」と言うコトは、大問題だと思う。
その前には、「テロ情報流出」があったばかりだ。
ただ「テロ情報流出」と今回の「尖閣諸島、中国漁船衝突動画流出」とは、意味合いが違うような気がする。
その点については「憂国の士」と受け止める人から、「ヒーロイズムに乗った輩」、「現政権に対する倒閣目的」と言う意見まで、様々だ。

個人的には、関係者の「憤まんやるかたない」と言う気持ちが、このような行動になったのでは?と言う気がしている。
「多くの公正な目で、事実を知ってもらいたい」と言う、気持ちを感じるのだ。
もちろん、行動としては問題だと思うのだが、そこまで彼(ら?)を追い詰めたのは、誰にあったのだろうか?という点も考える必要があるのでは無いだろうか?

ここで真っ先に上げられるのは、現政権だろう。
ただ、今回の「尖閣諸島・中国漁船衝突事件」の弱腰外交の裏には、現政権の外交センスのなさだけではなく、経済界のプレッシャーもあったのではないだろうか?
今の中国は、「世界の工場」だけではなく、「世界の消費地」と言う意味で「世界の市場の中心地」となりつつある。
経済界としては、最重要市場だ。
それに拍車をかけたのが、「レアアース」の輸出停止であり、訳の分らない理由(一応理由上げられているが)で、拘束されたフジタ社員の事件だったのでは?
それだけではなく「一滴の雫で、大波を起こす」と言うトコロが、中国にはある。
それら恩恵に預かっている経済界としては、大波が起きることを恐れ、「穏便にコトを済ませて欲しい」と言う、暗黙のプレッシャーがあったのでは?

多くの国民からすると「それはそれ、これはこれ」でも、経済界としては「それは、これの問題」だったのでは?
その意味で、国民感覚と乖離しているのは政治だけではないような気がしている。

たかが10年、されど10年

2010-11-05 19:46:35 | ビジネス
先月末、割引券をいただいた、犬山にある「博物館明治村」に行ってきた。
おそらく、割引券が無ければ行くことは無いだろうな・・・と思いながら、行ってきたのだがそこで少し考えるコトがあった。

それが、鉄道寮新橋工場・機械館で観光ボランティアの年配男性の説明だ。
この施設の見所と言うのは、菊の御紋章平板削り機などの「機械」だ。
ところが観光ボランティアの男性は、本当の見所は建物そのものにある!と、熱心に説明される。
その理由は、建物の基礎となった鉄柱はイギリスから輸入された物で、明治の始めには日本にはそのような鋳造技術は無かった。
ところが、10年余りで増築するコトになり、その時使われたのは日本製のもの。
「『もの真似作り』と言われてしまえばそれまでだが、技術そのものが無いに等しかった日本が、10年ほどで鋳造技術を国内で発展させるだけの力が当時はあったのだ」と、とても熱心に話されたのだった。

このお話を聞いた時、フッと思ったことがある。
それは、よく言われる「日本は資源が無い国」と言うコトが、日本の経済発展を支えているのでは?と言うコトだ。
特に戦後日本の経済発展は、類をみないモノだ。
発展目覚しい中国やロシアは、豊富な資源を基盤に経済発展を遂げている部分が大きい。
中国の場合は、安い人件費と国際経済の中では考えられないような、自国通貨のコントロールがあってのことだ。
だからこそ、(領土)拡大路線を目指すのではないだろうか?

例えばハイブリッド車の発想の素となったのは、1970年代の「オイルショック」だったのではないだろうか?
そして基礎となる技術は、10年かからずに出来たのでは?
その技術に磨きをかけ続けた結果が、世界をリードするハイブリッド車をはじめとする「環境車」を作る原動力となったのではないだろうか?

他にもこのような「資源が無いからこそ、出来た」と言う技術があったのではないだろうか?
今問題になっている「レアアース」にしても、中国以外の国と共同で開発するとなると10年近くの年月を要すると言われている。
その10年で、レアアースの代替触媒がもっと身近な素材で出来るようになるかも知れない。
事実、その研究・開発が進んでいると言うニュースも目にする。

資源の無い国だったからこそ、10年という時間で新しい技術開発・研究をするコトが出来たのではないだろうか?
「たかが10年」と言う時間が、日本の経済発展の基盤を作る時間だと考えれば、「されど10年」と言う時間だと考えられるし、その発想・思考力は世界に誇れるモノ・コトなのでは?
日本には、そんなDNAがあると思うのだ。