■京都四大祭り
京都における盆行事の一環として、京都五山送り火が八月十六日2000時より開催された。俗に“大文字焼き”といわれる五山送り火は、精霊送りの意味をもち、三大祭と併せこの五山送り火を京都四大祭りとする資料もある。
その周囲の山々に、銀閣寺に程近い如意ヶ嶽、金閣寺に程近い北山の「大」、東山大黒天山の「妙法」、流れ橋で知られる嵯峨野の「鳥居」、西賀茂の「船」を模った火を順次、点火させるもので、北大路機関でも清水寺夜景写真撮影で幾度か特集した東山の如意ヶ嶽に描かれる“大”が、もっとも高い標高で行われる事もあり、良く知られている。
五山送り火は、その名のとおり盆行事の一環であり、宗教行事であったが、夏の風物詩の一つとして室町時代から江戸時代にかけ京都の町に定着したものである。
山々に描かれる送り火に関してはその起源は諸説あるものの、確たる定説は無いとのことで、また、今日では五山となっているが、創成期の頃には長刀などを描いたものなどもあったという。
比叡山を背景に船の送り火を望む。五山送り火は、写真を見た人は一晩中点火しているような印象をうけるようだが、実際に点火しているのは30分ほど、しかも東山から嵯峨野までは大阪~西宮間、名古屋~一宮間に匹敵する距離であり、しかも点火は十五分間隔で行われる為、全てを観るのは非常に困難である。ただ、千本北大路に程近い船岡山からは鳥居型の送り火を除き全てを観る事が出来る。山といっても頂上に神社があり、参道は十分とかからず登る事が出来る。
一見すると山火事のように見えなくも無いが、金閣寺の左大文字の様子を参道付近より撮影。北大路機関からは船と東山の大文字しか見えないため、友人のK氏とともに西大路付近へ展開する。大規模な交通規制が引かれる為、俊足を持って知られるロードレーサーの機動力がモノをいう。撮影には長時間露光を実施する関係から三脚が必須となるが、かなり混雑している。ただ、点火から20分程経てば人出は少なくなり、この時点で人が集まっているところが良好な撮影ポイントである。
駐車場より続々と自動車が出てくる中、撮影ポイントを探していると、駐車場警備の人が、1700時で閉鎖された駐車場の入り口を指差し、ここに自転車を置いて撮影すると良いよ、と。ご好意に甘え三脚を据え、撮影。露出は3.5~4.5、ISO感度は100。木立に囲まれた道路から送り火を望む。
携帯電話の電波アンテナや電柱と電線、一般家屋とともにみる左大文字の送り火。くっきりと文字の様子が写し出されている。
こうした現代的なものが、やや風情を台無しにしているという声も聞こえるが、現代の京都を印象付ける写真といえ、これはこれで風情があるのではないかと小生は考えている。撮影ポイントから300㍍程度の場所に送り火が焚かれている。
金閣寺参道付近より撮影。金閣寺駐車場の方向を示した表示が左にみえる。
長時間露光にて撮影している為、自動車のヘッドライトテイルランプが光跡を空中に残している。信号機の背景に既に光が小さくなっている送り火が観える。長時間露光以外にも花火撮影で効果を上げたISO800、シャッター速度1/8にて撮影も試したが、背景も何も写らず、三脚が必須という事を改めて確認した。
噴火した溶岩が麓に流れ出した・・・、のではなく、松明をもった人の列である。信号機が全て光っているのは故障ではなく長時間露光にて撮影した為である。
送り火はガス点火なんぞでは絶対無く、護摩木を当日に山に上げ、地元の人により点火されているものである。送り火が終わると、松明を手に人々が下山する光景も五山送り火の情景の一つである。
2000時点火の東山大文字は、金属製の火床75、薪600束、松葉100束、麦藁100束。
2010時点火の妙法は火床166、薪400束、松葉100束。
2015時点火の船型は火床79、薪400束、松葉130束。
2015時点火の左大文字は火床53、薪350束。
2020時点火の鳥居型は火床108、薪108束である。
左大文字の送り火が終わり、松明を手にした人々が下山し、参道を西大路通りに向けて歩いてゆく。参道を行く松明行列に向け、観光客や住民から惜しみない拍手が自然に贈られた。
送り火については、銀閣寺、涌泉寺、西方寺、法音寺、化野念仏寺において護摩木の受付が行われる。
HARUNA
(本ブログの本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)