北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

京都五山送り火 漆黒の空に浮く精霊送りの伝統行事

2007-08-17 12:23:05 | 写真

■大文字五山送り火

 京都府警によれば、市内を流れる賀茂川、嵐山の渡月橋では、五山送り火を観覧するべく観光客10万人が訪れた、と発表しているが、100万都市京都にあって、屋上や屋外から送り火に手を合わせた人は更に多いであろう。

Img_8750  五山送り火は、京都四大祭とも称されるが、四条通河原町通御池通で行われる山鉾巡行を筆頭として御所から下賀茂神社、上賀茂神社に至る葵祭、平安神宮から烏丸通を経て河原町通をゆく時代祭と違い、広く京都市内からみることが出来る。

Img_8679  如意ヶ岳の大文字へ、2000時点火の瞬間の様子。75箇所の火床に護摩木が焚かれ、その瞬間を捉えようとカメラのフラッシュが白い閃光を放っているのが、写真からみることができる。ISO感度100、AF値5.6で30秒間の露光時間により撮影した。

Img_8680  大文字送り火、点火から三分後の様子。この始まりについては、平安時代初期、弘法大師空海により大の形に儀式を行ったという説、十五世紀に足利義政が近江にて戦死した実子を弔う目的で始めたという説、江戸初期に始まった、など諸説がある。

Img_8687  六分を経てなお煌々と光を放つ。この護摩木は、大文字保存会の手により樹齢30年以上の赤松を選定し、一束28本の束としたうえで一年以上乾燥させ、そして百束の麦藁を用意し、補修した山道を通り火床に添えられる。感動を生み出すには、こうした保存会の人たちの熱意がなによりも重要である。

Img_8758_1  大文字の点火から十分、2010時に松ヶ崎の妙法も煌々とその姿を夜闇に浮かべ始める。比叡を背景に、松ヶ崎西山、松ヶ崎東山の“妙”“法”の文字が浮かび上がる。400束の護摩木、松葉170束が、鉄製の火床の上で焚かれている。

Img_8691  電線やアンテナがフレームに写りこんでしまっているのが少し残念である写真。まあ、テレビアンテナや電線は現代的な情景ということでご容赦いただきたい。二つの文字は、斜面の角度が異なるが、100㍍四方に二つの文字が浮かんでいる。この“妙”の送り火は、鎌倉時代末期より始まったものとされている。

Img_8694  “法”の送り火は、“妙”とは時期が異なり、江戸時代から始まったものといわれている。ただし、双方とも確たる由来のようなものはなく、諸説あるという。そもそも、時期によっては五山ではなかったということで、最盛期には七から十の送り火が焚かれていたとの事。五山となったのは戦後からということである。

Img_8713  舟形万燈籠送り火。左大文字山とともに2015時より点火する。この舟形について、その起源は精霊流の舟に起源を求めるものや、10世紀の疫病により京だけでも数万の死者を出した際の供養、大文字と舟を併せ大乗仏教を意味するものなど、やはり諸説がある。

Img_8735  今回の写真撮影では、300㍉望遠レンズと広角レンズを併用した。特に、三脚による低ISO感度長時間露光と高ISO感度撮影を併用した。撮影場所にもよるが、公民館などの屋上が開放され、情報収集に左右される。一般に知られている“穴場”の他にも、多くの撮影ポイントはあるようだ。ただ、点灯時間は限られており、良い位置をさがし右往左往していると残念な結果になることもありうる。

Img_8722  左大文字山も、舟形とともに点火される。金閣寺付近から観ることが出来るが、今回は団体ということもあり、余り動かず定点撮影に徹した。さて、報道によれば本日も猛暑酷暑であるが、そのピークは昨日の日中とのことであった。これから少しずつ、涼しくなることを期待したい。

HARUNA

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コメント (3)
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