北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

厚木基地周遊紀行

2005-11-11 13:05:40 | 防衛・安全保障
 今回は、先日の首都圏取材の関係で厚木基地のことをお伝えしたい。厚木基地は正式な取材申請を行うのではなく、周囲から散策という形であったため、写真の不鮮明さはご容赦いただきたい。
 11月2日、米軍再編問題などに関する調査研究を行った際に、様々な研究所や識者の意見を聞いたが、その際に争点となっているのは騒がれている普天間基地ではなく、厚木基地こそが、問題の根幹と聞いた。IMG_4311 思い立ったら吉日、急ぎ厚生館でお土産を買うと、市ヶ谷から電車に飛び乗り、小田急線から一路厚木へと向かった。
 厚木基地広報の方は突然の問い合わせにもかかわらず親切に対応していただき、基地周辺のフェンス越ならば正門以外は撮影は可能との回答を戴いた。
 さて、厚木基地であるが、新宿からの所要時間は小田急急行電車約40分、首都圏の電車で一時間と掛からない地域に所在する航空基地であることを、体感的に実感した。
IMG_1031 なお、肝心の空母キティーホークが横須賀を出港していた為、厚木基地騒音問題最大の争点となる艦載機F/A-18Eスーパーホーネットは既に太平洋上にあり、厚木基地は静かな雰囲気であった。
 なお、厚木基地騒音問題のもう一つの問題点は、大学での友人I氏から教えていただいたのだが、厚木基地にF-4C(J-79エンジン双発)といった艦載機が配備される頃は、周辺が緑地であった為に大きな反対運動はなく、これは厚木市HPにも航空写真として掲載されている。従って、何故そもそも騒音問題が懸念される地域にわざわざ住宅を建てたのか?という負い目があるということだ。
IMG_4321 しかし、結果的にではあるものの、首都圏の住宅街に艦載機の基地があることに変わりなく、万一墜落事故が(過去には横浜市などへの墜落事故も)生起すれば安保体制の根幹にも関わる命題となりかねない事を考えるとこれは重大な問題であり、米軍再編との兼ね合いで艦載機はSH-60B哨戒ヘリコプターを除き岩国基地へ移転するというが、岩国基地では滑走路の海上延伸拡張工事が実施中であり、騒音問題というのは大きく軽減される。
IMG_4353 また、厚木基地には航空集団司令部/第四航空群/第51航空隊/第61航空隊/航空管制隊/航空プログラム開発隊/厚木航空基地隊の他、第71航空隊のUS-1A救難機が岩国から一機分遣され、小笠原方面への急患発生に備えている。
 他には、岩国基地への米艦載機移転の関係で、岩国基地の海上自衛隊が保有するOP-3C画像データ収集機やEP-3電子戦データ収集機などが厚木へ移転するとみられている。
IMG_4344 なお、厚木基地において海上自衛隊が運用するP-3C哨戒機は、米海軍のアップデートⅢ型と同型で最も新しい哨戒機で、ソノブイと対潜コンピュータの併用により一機で四国と同面積の海域を哨戒可能とされ、海上自衛隊は1997年までに101機を受領、内80機を運用しており、鹿屋の第一航空群/八戸の第二航空群/厚木の第四航空群/那覇の第五航空群へ配備され、わが国の死命をかけたシーレーン防衛に従事する。
IMG_4346 しかし、基地周辺を歩くと確かに広い。太平洋戦争終戦時には我が海軍の艦載機90機が配置され、現在では海上自衛隊航空部隊の最高司令部が置かれており、大和市・綾瀬市・相模原市・厚木市・海老名市を徒歩で回った時には流石に疲労困憊した。その間、第四航空群のP-3C哨戒機がタッチアンドゴー訓練を繰り返していた他は静かであり、現在の名古屋空港と見まがうばかりだ。しかし、陸上空母発着訓練を行えば艦載機の最大出力の騒音は想像に難くない。政府は硫黄島に艦載機訓練を一部移転したが、本土から遠く、万一硫黄島上空の天候が急変した場合、空中給油無しには厚木への帰投は困難となり、加えて航空自衛隊が導入するKC-767空中給油機は給油方式が異なり、航空自衛隊が19年度予算で想定する改修に期待する他は無いようだ。また、地元自治体の反対で難航しているが、三宅島への陸上空母発着訓練の移転を考えている。
IMG_4378 なお、小生が厚木基地周辺を散策していた時には、米空軍のVIP輸送機C-21が一機通過したが、他には海上自衛隊の新型哨戒ヘリコプターSH-60Kが二機、飛行実験を繰り返していた。次期哨戒機P-Xは、未成となった低騒音実験機“飛鳥”の技術が応用されるとみられ、SH-60Kも新型ローターの採用により騒音は低減されたとされる。わが国固有の問題かもしれないが、音響ステルス性を向上させる副次効果として騒音対策ともなっているようだ。
IMG_4390 こうして、五都市に渡る散策は、厚木基地正門で終わりとなり、帰路についた。基地正門は、米海軍と神奈川県警により厳重に警備されており、2001年9月12日に厚木基地に対して何者かが手製迫撃砲を発射した痕が発見された事を思い出した(着弾地は不明)。厚木基地は海上自衛隊航空作戦中枢としての機能の他、第七艦隊西太平洋における航空作戦の中枢であること、そして結果的にではあるが住宅街の中にある基地であることを印象付けた。
 後、相模鉄道に乗車し、小田急の乗り換え、町田駅隣のルミナスにおいて富士でお世話になったT氏とお会いし、ご馳走していただいた。ご馳走様でした♪本当に美味しかったです!
 なお、小田急線からJR線への乗換えを京都から支援してくれた相模原出身のI氏にも感謝の念をここに記したい。なお、厚木のお膝元に暮らす彼はF-15Jを見た事がなく、F/A-18しか戦闘機は見た事がないということで、相模原の特異性を教えていただいた。

 HARUNA

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