ここ京都郡は、恐らく奈良時代ではあろうが古代の官道や奈良時代には国府が置かれるなど重要な地域であったことは窺い知る事が出来る。が、大塚古墳は6世紀後半なので1400余年前だ。このような時代から重要な地域であったかは今後の研究を待つところである。
ついでに言えば3世紀石塚山古墳、赤塚古墳で三角縁神獣鏡が発見されている。ここ京都平野は前両者の中間地と言ってよく、三角縁神獣鏡が発見されるようなことがあれば更に興味の湧く地域になろう。数は少ないがこの地を邪馬台国に比定する方もおられるようだ。
図中四角3の日明一本松塚古墳の位置が異なっているし(これでは若松区内にある)、企救半島(門司区)がいびつになっているので北九州市の形ではなくなっている。
まあ今回のことでは影響ないかもしれんが、行ってみようと思った人が探しても探しても見つかるまい。もう少し丁寧につくって頂きたいところだ。