田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

町を美しくする と云う日

2015年07月26日 | 山裾集落のこと

7月26日(日) 晴れ  猛暑  夕方まで風がない一日

7月末の日曜日 全町あげて 「町を美しする日」 とされている

一般的にはゴミ拾いだが 山裾集落はゴミはなく草刈りがメイン

公園にはじまり 集落を取り巻く農道  6時30分から休憩をはさみ3時間

草を刈れば見た目は美しくなるが 草そのものの美しさも大切

水路の脇で清楚な姿をみせるセニンソウ ヤブキリが草は刈るなと睨む 

草刈りを終え 次は農地水環境保全会の水路点検を行う

水路に沿って植えられた木が大きくなり伐採する手段を検討

斜面を下る水路はメジがずれ水はU字溝の下を流れる方が多い

田へ水を入れる門口がずれて水を止めることができないと嘆く

保守をするのは誰? に話が止まる 交付金はあるが人手がない

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年度初めの総会 季節の遅れを取り戻そう

2015年06月07日 | 山裾集落のこと

6月7日(日)  曇り  晴れ  過ごしやすい一日

 昨秋 深く剪定した沙羅紗卯木 花はあきらめていた

切り忘れの枝に小さな蕾を見つけ 花が開くのを待った

二日前 一昼夜降った雨のおかげか ピンクの側に白の花を見せた

石積みの足下に気を取られながら サラサに夢中になっていた

転がり込むように視線を横切る影 レンズを向けると2頭のテングチョウ

 

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町を美しくする日 田舎ならではの豪快な ゴミ拾いと草刈り

2015年05月31日 | 山裾集落のこと

5月31日(日)  晴れ 涼しい風 心地よい一日

毎年5月と9月の最終日曜日 町を美しくする日 とされている

6時30分 ゴミ拾い班と公園の草刈班に別れて作業を開始

思いの外涼しい風に救われながら 集落全域に草刈り機の熱い爆音が響く

公園は斜面をひな壇状にして桜を植え途中には水仙が植えてある

草に紛れた花を刈らないように注意をしながら 1時間で完了 

朝飯タイム1時間のあと 集落を取り巻く農道の草刈り

ここは昔 蓼科山から曳いた水が流れる堰 今は地下を通る 

鹿柵が道沿いに張られ 草刈り機の回転刃があたる金属音

山側では枝が伸び 覆い被さるように軽トラの通行を妨げる

西と東から二手に分かれ2時間の作業 中央で出会い暫し歓談

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新年を迎える鎮守の杜の新年仕度

2012年12月31日 | 山裾集落のこと

12月30日(日) 雨   信州の冬としては暖かな雨の一日  夜には月がでる

午後一番で鎮守の杜の正月の準備に掛かった。朝からの雨は粒数が多くなったように感じるが社殿の中に入ると茅葺きにトタンを張った屋根なので雨音はしない。また、奥の拝殿の掃除を見ると僅かながら外の明かりが見えるのが穴が空いているようだ。倉庫から取り出した諏訪社の梶の葉をあしらった紋が染め付けられているが脇に奉納した月日、大正12年と書かれていた。相当に古くなっていっているがマダマダ現役でやっくに立ちそうだ。

雨が降る中一の鳥居から三の鳥居に紙垂を着け、更にご神木にも紙垂を着けた。神殿の正面に幕を張り、賽銭箱をだして落ち葉などを掃き清め作業を終えた。これだけもで一時間くらいは掛かってしまったが、今日の雪は明日の晴で溶けることにしてあとは神様にお任せすることにして作業を終えた。

夜は昨日につづき子ども獅子舞の稽古、子どもたちには一日違っただけで成長の素晴らしさを知らされた。子ども同士の遊びの中で囃子詞の練習や太鼓のリズム、中学生を先頭に保育園児まで、集落の絆、地域の絆がこのようにして仕上がっていくのだろう。小中学生から高校、そして更に上の学校や大学、そして社会人となり地域文化の発信者に育っていくのだろう。

大人は獅子舞で子どもたちが振る梵天を新調するために、半紙を折り、切り分けて紙垂を作る。獅子が両手に持つ梵天は色紙で、風邪の神を払い出す役は白の大きな一本の梵天を使う。紙垂の作り方も代々伝わって来たことで要領がよい。俺は仕上がりを見て、半紙に定規を当てて線を引き、それを数枚作ってカッターで切る。これは大層手間が掛かる作業だが、親から子へ伝えられた更に工夫を重ねて来た面々の要領の良さには感服した。

 

新年を迎える獅子舞は大晦日の日没から始まる。信州の習わしなのか、この集落だけは定かでないが、日没に獅子舞を合図に新年行事がはじまり、神棚に二礼二拍手につづいて、神社の直会と同じように一頻り正月料理に舌鼓を打つという。それから二年参りで鎮守の杜、檀家となっている寺で除夜の鐘を突くのだそうだ。

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五穀豊穣 家内安全 無病息災 交通安全 転ばぬ先の どんど焼き

2011年01月10日 | 山裾集落のこと

1月10日(日) 晴れ 穏やか 寒い  昼過ぎには雲が広がるが 夕方は快晴

約束とおり9時に公園に行くと、どんど焼きの櫓は大方出来上がっていた。青竹の太いモノを中心に、ダルマを高く掲げるように竹に刺して立ててあった。人手は充分と云うことで集会所へ戻る。 

ここでは子どもたちが、繭玉作りを若妻会の人たちに手伝ってもらい、ヤナギの枝に刺している。集落を囲む山のドコに何の木があるかを知り尽くしている、最長老のSさんが用意してくれたのだと云う。 

厨房の方から餅が足りないから買って来てくれと声がかかる。ミカンもと追加の声に推されて軽トラで出かけたが、スーパーは9時半に開くとかで少々待たされてしまった。

買い物から戻ると公園では櫓に火を着けるところ。中学生の書き初めを一番上に掲げ火が着くとフワッと浮かび上がる。徐々に火の勢いが強くなると中の竹が爆裂、その度にドヒャ~とかワヲ~とかの声が上がる。竹の葉が黒く焦げて舞上がるが、これが降りてきて身体に触れると、無病息災・家内安全・交通安全が叶うという。

 

やがて大きな爆裂音と共に櫓が倒れ、その音を待っていたかのように、両手に繭玉をつけた柳の枝を持って子どもたちが走ってきた。竹の爆発音に怯えながら繭玉を焼く、こんがりと焼けたものをちぎっては口に入れるのだが熱い ・ ・ ・ 

焼き上がったものを集めて後のお祝いの席に出すのだと云う。少しだけ甘い味と黒く焦げた燻り臭いのが五穀豊穣に御利益があるのだろうか? 

集会所の厨房では若妻会の二班組(有るかは定かでないが) が、漬け物の塩出しをしたり、汁粉に餅を投げ込んだりしていた。彼女たちのパワーが集落の底力!!八百万の神の上を行く、山の神の化身のように見えた。

全てが整ったところで、この先一年間の集落の安心安全な願いが込められた、公民館長の挨拶でお祝いの会が始まった。 

それぞれの席には汁粉、漬け物、繭玉、ミカンが揃えられていた。 

途中で回ってきたのが強飯ならぬ赤飯だった。赤飯があるなら、黄飯が合っても良いのではと ・ ・ ・ KMさんが蒸かしたのだと云う。

今日の行事で正月が終わる。大晦日の獅子舞に始まり、新年会、そして、今日のどんど焼き、昭和の半ば頃は子供会がカルタ、大人たちは百人一首で賑わったと云う。兎に角、この先一年、五穀豊穣 家内安全 無病息災 交通安全 転ばぬ先の どんど焼き イヤ 杖も折れないような一年になって欲しい。 

黄飯を見てふっと 思い出したのだが、「ケナリも花 さくらも花」と言う本で、韓国ではレンギョウの黄色が日本の春の桜と同じように、黄色は春を表すのだと云うことが書かれていた。著者は鷺沢萌子さん、今は亡き人だが ・ ・ ・ 韓国と日本をもっと近くにしてくれる人だと思うと残念なことだ。 

 

 

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集落の祝い 龍の子広場の落成

2009年05月06日 | 山裾集落のこと
5月6日(水)振替休日 雨  雨雨  雨雨雨  一日中雨

晴れの天気を願いながら、叶わないならば曇り・・絶対に雨は降って欲しくないと祈っていたが・・雨

朝6時過ぎから芹畑に出向き芹を摘む。
上下のレインスーツを着込み、研いだばかりの鎌を持つ。
少々延びすぎた芹ながら鎌をを引くごとに好い香りがたつ。
刈り取った芹を井戸端で枯葉等を取り除き整えて公民館へ運ぶ。
公民館には既に誰から採ってきたニラが仕分けされないまま置いてあった。


次の作業は火を炊き竈で餅米を蒸す作業・・・
今日は集落の公園『大内道龍の子広場』の落成祝賀会が開かれる。
公園で行う予定も雨のため集会所に変更となった。


雨の降りしきるなか、テントを張るわけでもなく赤飯が蒸す蒸籠からは勢いよく蒸気が吹き上がっている。
主催は集落だが、共催が“ふれ愛ネット・・・・”と云う社協に本部を置き各集落に設けられている組織が準備をした。


このころ当の公園では若者集団が雨がふるなか草刈作業を行っていた。
落成式と云うことで町のケーブルテレビも取材にくるし、役場の広報の取材もあるという。
雨合羽を着ての草刈機のエンジンの回転に合わせて水しぶきが飛ぶのがキレイだ。


一時間半も湯気を揚げて赤飯が蒸し上がった。
大きな桶に蒸し上がった赤飯を開けて、そこへシトを打つのだという。
ここでは経験を積み重ねたベテラン主婦のお出まして、砂糖を溶かした水を廻し入れながら切り込むようにしている。
こうすると赤飯が固くならないそうだ・・・・・


晴れてれば公園で集落の山々から集めた山菜を天ぷらにして振る舞うことになっていたが・・・
雨では仕方なく集会場の物置きを利用して山菜の天ぷらを揚げていた。
こちらは若妻会と称する奥様がたの出番だが・・・因みにMも若妻の仲間になっているのが凄い。


11時半になって準備万端、役場の地域担当職員M女史の挨拶で始まった。
集落の3才から86才の老若男女が集まり賑やかな催しとなった。


お開きは13時を過ぎて全員で片付けと後始末をした。
いつものことだが、生ごみの我が家のコンポストに入ることで持ち帰った。

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草刈・道普請 集落の賦役 これまた 愉し

2008年06月15日 | 山裾集落のこと
6月15日(日) 晴 快晴に近い 風は涼しいかが 日照は熱い

8時に公民館集合、草刈と道普請の日になっている。
草刈機のエンジンもイッパツで掛かり順調に作業に入った。
今日の草刈場は今までとはちがい、神社裏から西北に登る農道、相手は若手のY君になっている。

道の右側を俺が左半分をY君が刈って行く。
かなり上まで昇ってきた、どの位時間がったたのかは判らない・・・
いい加減疲れたところに区長さんがバイクでお茶を持ってきてくれた。
ここで少しだけ休憩して更に上まで行く。
帰りは刈り残しを確認し刈り取りながらおりてきた。
途中にコンクリで囲んだ所で作業をしている人がいたので話を聞く。
湧き水を利用して隣の集落で使う水を引いているとのこと。
昔からこの水を炊事や洗濯、風呂に利用してきたのだという。
このところは水量が多いため溢れる水を循環させる装置を作ったという。
こういう作業は代々集落の人でやってきたが、今はやる人が少なくなったそうだ。


草刈を終えて公民館へ戻ったのは9時45分・・・
10時からは宇山堰架台の道普請をやる。
総員17名で重機の運転2名、軽トラの運転手3名、砂利の積み込みから現地での降ろし役12名となる。
軽トラに積んできた砕石を道のくぼみに降ろして平に均す作業をする。
これが意外にきつい・・・・軽トラに積み込むのは重機がやるが降ろすのは人手、
午前中は二手に分かれて作業をしたから、軽トラが来るまで多少は休めた。
作業も順調に進みアッと云う間に昼飯となった。
焼肉弁当とビールが支給・・・・
昼飯を済ませた後は1時まで暫しの休憩、仰向けに寝ころぶと腰、背中が悲鳴をあげている。


午後は大内道の登り切ったところから500mに砕石を引く。
ここは竹藪のトンネルのため道が乾かないため轍が深い。
1時間半で作業を終えて中央のところへ軽トラに乗り集まる。
途中の十字路から登る道の脇に大きな石が2コあるので公園に運ぶと言いだした。
重機を持ってきてワイヤーでつり上げるが重すぎのか重機が小さいのか・・・
小さい石でこの始末、大きい方は次回大型重機を持って来るという。
なんとかバランスを採りながら軽トラに乗せたが重量オーバーは目で判る。
無事に公園について荷台を上げて(ダンプ仕様)一気に落とした。


公園で今日の作業は終了と相成ったが、この巨石はドウヤッテ池の反対側へ移すのだろう?
集落の面々、誰かが言い出せば直ぐに行動に移る、この勢いもいつまで身体が云うことを効くのだろう!!
家に戻ったのは4時近かった・・・・
今日の予定は道普請のあとは薪作りとしていたが、予定は未定決定に非ずと云うこと。
少々 イヤ 多いに疲れた。
疲れたところで甘いもの・・・・
洋風か和風なのか? どちらとも云えないが 疲れた身体には緑茶と甘味が一番!!


さてはて、今日の大仕事は終了・・・・
Mは飲み会だとか云いそそくさとでかけた!!
車? 飲酒運転禁止と云う言葉に、今日は帰らないとのこと、安心?心配?
何れにしても飲酒運転だけは避けられそうだ。。。
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陽の光が 隅々まで届くことに感謝

2008年02月08日 | 山裾集落のこと
2月8日(金) 快晴

昨夜に続いたように早朝から置きだしている。
終われるようにPCに向かっているが・・・・・
日の昇る時間少し前に外へ出た。
北側は夜の続きのような明るさが届かない場所、分厚い雪がゲレンデ状態を見せている。
しかし、山の絞り水を利用した井戸水の温度は夏も冬も15℃とありがたい。
井戸のふたや臨時に汲み上げているホースには雪が積もらないと二重のありがたさが見える。

北側から東へ廻る少しの間日の出を待つ。
直ぐに昇りだと思うと一気に顔を出した。

家の周りを一回りしてみると全ての場所に朝の光りが届いているのがすごい。
西側の山から伸びる岬にも陽は当たり落葉松の中の竹が不自然な世界を醸している。
ここには山桜の樹があり春には花秋には紅葉を見せてくれるが、竹には弱いのだ・・・

北側の同じような山裾にはアカシアが繁茂している。
嘗ては畑使う杭にするために植林したのだというが、今では放置したままになっている。

東側はアカシアから胡桃の畑になっていたようだが、ここもご他聞にもれず高齢化からか放置されている。
これらの山の多くは地目は畑なのだ・・・・

こうして日の出とともにぐるっと一巡りしてみると、やはりありがたい環境だ。
畑に樹が生えて山となり、また、硬くの手が入り畑となる時代がくるのだろうか?
輪廻転生で俺は鼠と頼んでいたが、今では山裾の樹木がになりたいと思う。
思うことが欲望とされれば願いは叶わないかもしれない・・・・
朝陽が360°にあたる場所もそうは無いと思うが如何なものだろうか?
いまの外気温は-12°をさしている。
陽の光が反射して温度計にまで届く太陽の心遣いに 合掌
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集落の 役に徹する むごいほど 我の誕生 忘却の彼方に (哉々) 

2007年12月03日 | 山裾集落のこと
12月2日(日)濃霧 青空が広がり 暖かな一日

収穫の 実り持ち寄り 舌鼓 集う集落 深山の大里

今朝も濃霧で朝を迎えた。
玄関から集落の家並みは全く見えないほど霧が深い。

早めの朝飯を済ませて、収穫祭の準備に向かう頃には、霧が晴れた北から青空が覗き始めた。

そう、今日は集落の収穫祭が行われるので、餅つきの準備や集会所のセッティングをしなければならない。
調理する物の多くは集落内で採れた物を使い、調理は女性、竈や餅つきは男性の仕事となっている。

一臼の餅はあっという間につき上がりあんこと、海苔巻きに相成った。
今年の収穫祭は町役場の「町民全員参加の町政」を実現するために設けられた、『地域担当職員』を招きして企画になった。
初年度というわけでK町長をも含めて4人が役場から出向いていただいた。
初めの挨拶はK町長の就任御礼から地域担当職員の紹介と出前講座の一環とした町の姿勢の話で展開した。

ビール・酎ハイ・日本酒・焼酎と酒とアルコールが乱舞する中無礼講と化した収穫祭は盛り上がりに盛り上がった。

何の収穫を祭るのはかは兎も角、36名の飲めや唄えの宴会は弐度の締めと万歳をやりながらもなかなかどうして・・・・
最後は片付けを皆でして、生ゴミやら食べ残しの量は8kg弱となりました。
そこは山裾の“さくらちゃん”二号となる、通気式生ゴミ保管排出容器なる物の使い初め・・・・

余りにも多い食べ残しに『生ゴミ乾燥バケツ』も満杯の状況となり、半分の量をバケツに、残る半分はビニール袋にいれ米糠と混ぜ合わせて明日の心・・・
乾燥バケツは中空に吊して次の計量を確認したい!!

詳しくはhttp://garbageate.exblog.jp/i9/をご覧いただきたい。乞う感想をコメントに・・・・

今日は俺の65才を迎えた誕生日だったことを夕餉の時にMに告げられた。
集落の 役に徹する むごいほど 我の誕生 忘却の彼方に (哉々) 
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鎮守の杜の 秋祭り

2007年09月23日 | 山裾集落のこと
9月23日(日)曇り どんよりした雲 午後からは雨だという
今日は此処宇山の諏訪神社の秋祭りがあり、準備をはじめた。
初めは「子ども相撲」の土俵作りに取り掛かる。
稲藁を一束ずつ重ねながら荒縄で縛り、土曜の周囲に埋められる無さの物を作る。
仕切り板は
稲藁の束を使い砂が平らになるように稲藁を埋め戻した。
これで立派な土俵が完成した。
田舎でこそ簡単に出来るもので、都会では稲藁の小さい束で(此処の半分の太さ)が1束100円という高値がついている。
土俵が終わると次には宴会用のビニールシートと座卓を運んできて並べる作業に入る。
更に、境内にテントの柱を並べ、切妻型の屋根の骨組みを組み立て天幕を被せる、必要な個所を紐で結び、柱を立てる。
数分で組みあがる手練のよさには脱帽するのだ。
彼らは若い頃に地域の消防団のメンバーだったためか、退団してもその手際のよさはしっかりと個人の技として身についているのが素晴らしい。
準備の全てが終わると11時40分になっていた。
午後は2時に集まり祭りの催事の準備をすることにした。

3時から「子ども相撲大会」が始まるが、今の子どもはテレビで相撲を見ないそうだ。
昔のように家には年寄りがいてチャンネル件はオヤジであったり、子ども部屋など無く、また、TVだって一家に一台の時代だ。
今は親の世代(40才代)までが相撲はあまりTVで見ないという。
だから、子どもは相撲の仕切りの仕方もわからない・・・・
また、組み合うのも嫌いなようだ!!
相撲をとった子どもにはお菓子の景品を渡すのだが・・・・・
一人が多くのお菓子を手にするのは余り好ましくないと思うが如何なものだろうか???
相撲の次は「金魚すくい」が始まったが、これも小さい子どもからと云うのにそれを守れない子が多いのには驚いた。
今では並ぶという習慣(マナー)は身につけていないようだ。
小学生3年生以上ともなれば、そのくらいの思いやりを持って欲しいものだ。
夜は大人の宴会が始まったが、子どもが多く残っており、大人の時間に子どもが入ることにさほど抵抗が無いのかもしれない。
18時半を過ぎて片付けに入ったが、あっという間に片付けが綺麗に終わった。
疲れた祭りが終わり・・・これでほとんどのお役目が終了したようだ。
地域の皆さんに助けていただいて、この大役がなんとか無事に済んだことに感謝したい。
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遠足に人権学習会、祭り準備会議・・・ 田舎ならではのもの

2007年09月03日 | 山裾集落のこと
9月2日(日)晴れ 雲は多いが 涼しい風が吹く
目覚めと共に天気が気になるが・・・・
窓を開けると涼しい風が吹き込む。
東京ではまだまだ熱いというが、さすが信州は風が爽やか・・・
9時に公民館に行きブルーシートを積み込み、冷蔵庫から飲み物等をアイスボックスへ入れる。
準備が整ったところに全員が集まり出発をした。
今日は集落の遠足がある。

初めの目的地は国道254号線「極楽坂・改良工事」の現場を見る。
ここは十数年前?イヤもっと前からの地元の念願だったバイパスを通す要望がやっと叶ったのだ!!
現在の工事は700m次年度以降は800mと1.5kmの工事だが斜度12%と大きく、更に土質が超粘土質なのが想定外のようだ。
平成21年度にはこの区間の工事は完了し、それ以後の工事はペンディングの状態だという。
此処から次の目的地「九頭竜権現社」までは徒歩で向かう人もいるが、大方は車にに乗って出かけた。
九頭竜権現社は55段の会談を登った頂にあり、戸隠神社奥社との関係が深いとのことで、毎年戸隠講で戸隠神社に詣でている集落としては訪ねる意味が深かった。
次には名刹「津金寺」に向かい、境内を散策しながら住職の法事が終わるのをまった。
予定より15分遅れたが、住職が寺の歴史、戸隠神社との歴史的な繫がりなりなど
見識の有る解説をしてくれた。
我々の集落が戸隠神社に毎年参拝していることから、詳しいレジメを作っていただき大いに参考となった。
御礼を述べて次の中山道松並木公園へ向かった。
ここではお昼を摂ることにしている。

俺は別行動で弁当を受け取りに商店経由で公園へ向かった。
昼には当初の参加希望者を上回る人がきてくれたので良かった。
集落の行事としては高齢者の参加が少なかったが、昼飯のときだけでも迎えに行き参加して貰うことが必要だったと反省している。
この行事は町、社会福祉協議会“ふれあいネット”と“公民館”の共催なのだから集落の100%の人が参加してくれることを目標としなくてはならないだろう。
予定通りに集落へ戻り、片づけを終えたのが午後3時、点数を付ければ70点くらいのできだろうか・・・・

夕方は集落の公民館で「人権学集会」、区の「公民館」では秋祭りの会議が有った。
どちらも大切なので、人権学集会を初めの30分だけ、参加して次へ向かった。
祭りの行事は「子ども相撲大会」「ビンゴゲーム」「カラオケ」が予定されているという。
寄付集め、土俵作りと未体験のものが沢山ありそうだ・・・・・
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淡雪を かぶりし薪の 白さかな   哉々

2007年02月18日 | 山裾集落のこと
二月十八日(日) 雪 雨 霧 青空を見る 曇り 寒さは感じない一日
昨夜の夜更かし(26:15は朝更かし)で寝起きがだるい。
外は雪!水っぽいのか直線に降っている。
外に出るが寒くない。

昨晩の「立科町を語る会」で一番盛り上がったのはゴミ問題だ!!
現在、町が使用している焼却施設は川西四町村(立科町、旧浅科村・望月町・北御牧村)で構成されていたが、自立しているのは立科町のみとなっており、其々が合併した市は処理施設を持っているので、川西の施設には入れたくないとされている。しかし、現在の施設も使用できるのは数年先と云われ、その後は立科町はどのようにしなくてはならないかが課題となっている。
このことを、話し始める理論的には盛り上がったが、一番の問題はゴミの分別回収であり、それのリサイクル過程だと考える。
このゴミ問題で話し始めて町民の子供から高齢者までが自覚して納得した上で、ゴミの発生元(家庭・個人)次元で分別を可能にしていかなくてはと話し合った。
今朝も電話があり「寝ないで考えた案があるので効いて欲しいと」のこと、ゴミの問題はこれから更に熱くなりそうだ。

十一時からは集落の「御燈講」という行事があり、当番の家と集落内の家長が集まる会が開かれる。
御燈講が始まったのは明治時代と云われているが、今日集まったメンバーは最も新しい家長(代替わり)なので全く宗教てきな催しは省かれるやりかたに変わってきていのが残念だ。
俺たちが引っ越してきた頃は、長老が集会場の床の間に掲げた掛け軸の説明をしたり、何故「講」が続いているかなどを話していた。また、公民館が新築される平成八年以前は各家を家順(やじゅん・集落の中に建った家の順番)で各戸で行われたそうだ。
その家順の当番の家では「豆腐汁」+「酒一升」が出され、肴として折り詰め弁当を仕出で取り酒飲み物は集落から出すことになっている。
因みに、今日の当番はI家の新宅で豆腐汁の変わりに豚汁にパックの酒だった。
これに対して『なんでぇ 豆腐汁じゃぁねえのけぇ?酒は一升瓶ダドウ』と云う声も上がり
次回、来年の当番家に申し渡しがされた。
今日の出席者は十五世帯中11名が参加しただけなので寂しい・・・・・・
十四時にお開きとなった時には雲の切れ目から青空が覗いていた。

午後は・・・・少々お疲れのようす です
明日は病院の検査のためゆっくりしたい。
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平成18年度 収穫祭 & 町道入道線竣工祝い

2006年12月03日 | 山裾集落のこと
12月3日(日)晴 後 雲の流れが多く 風が冷たい一日
  朝の目覚め6時、朝焼けが見事だ、浅間連山の裾野から上州の山並みまですっぽりと包み込む雲海の表面が茜色に染まり、上空の雲のそこが色深い紅色から濃いオレンジ色に変化する3分後には金色の雲となった。夜明けの光彩は神々しく神のみが可能とする技としか思わずにいられない。
  8時から収穫祭の準備、持ちつきの臼や杵を洗う湯を沸かすための竈に火が着けられた。朝の風の冷たさに思わず面々は竈の周りに取り付くが、何故か特定の人のところへ煙が向かう、場所を変え、人と入れ替わっても煙は同じ人に向かい燻製状態になっている。15分もすると釜いっぱいの水は沸騰し、若い者が臼にあけ、竈からは炎がでて火力が強くなっているなか、次の餅米を蒸かすための湯を沸かす。湯を張った臼の中で杵を洗い臼を洗うとそこが見えないくらいに汚れが出てる束子でこすり、淵の汚れをこそげ落とすと去年の餅の残りか柔らくなってとれる。2度目の湯で綺麗にして流す。蒸しあがった餅米を臼にあけ二人が杵で米粒をつぶす初めの動作が湯気のなかでリズミカルに踊っているように見えた。餅は数分でつき終わり、集会所の中の女性たちに任されて餡をまぶしたもの、海苔を巻いた物に姿が変わった。
  収穫祭のメーンイベントはなんと言っても餅つきだろう。
  集会所の中では持ち寄った食材の調理も出来上がり、テーブルを並べて会場作りが始まる。トン汁、ヤーコンと人参のキンピラ、山芋、竈の残り火で作った焼き芋、モツ煮込み、沢山の料理と数種類の漬物・ ・ ・ ・ ・
  11時半に開会の挨拶があり、集落長、総代、区長と挨拶が続く、その中で今日の収穫祭にあわせて、7月に集落総出で舗装工事(道普請)をした「町道入堂線」の竣工祝いを兼ねることとなっている。私にとってはこの工事が体調を崩した一因とも考えられるので今日は大いに盛り上がらなければならない。何時もと変わらずに皆さんは酒を呑み、餡子の餅を食べ料理のほとんどを平らげて午後1時に閉会となった。
  今日の主役は収穫の裏にある主婦連だろう。普段畑で着る野良着の洗濯、豆柄の取込み、野菜の収穫は泥のまま、それを口に入るようにするには女氏(おんなし)の業が無ければかなわぬこと。感謝・御礼
  片づけを終わり家に着くと疲れた。今日は厄落としのようなものだったのか??
  夕飯は二度目の誕生日?昨晩と同じもので軽く済ました。
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