田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

新しい年度を迎えるという 大晦日と同じようなものだ

2011年03月31日 | 日記

3月31日(木) 太陽は出るが雪が舞う  暖かな不思議な一日

《庭の日だまりでいち早く顔をだしたムスカリ》

朝方ベッドに入ったが寝付かれずに障子が明るくなるのを覚えている。何をしていた訳でもないが、年度末ということだけでいろいろなことを思い出す。

朝飯が遅いから昼飯はそれに合わせて4時頃に摂った。晩飯もそれに合わせて押せ押せで食事が終わったのは10時頃だろうか?その間に何をしたかというとたいした事はしていない。年度末と言えば12月の大晦日と同じような気分なのだが、なのとなく過ぎていくのが寂しい。世間は1月で始まるのは家庭的なもの、仕事の正月は4月なのだろうか。これは俺が過ごした半生が教育関係だったことに関係しているのだろう。なんとなくだらしのない年度末の一日だが、この日を境にリタイヤする人も、新たな社会へ向かう人もいることだろう。

兎に角、この22年度は今日で終わる。来年度は日本復興元年となるのだろう。今、世界が日本の再興に手を差し伸べてくれている。

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元気印 の ラッキー な一日  

2011年03月31日 | 日記

3月30日(水) 薄曇り  春霞が広がる暖かな一日

3月も終わりになると朝日の昇る時刻は早くなり、朝飯を摂るころには日差しが高くなっている。少し前は障子を開けると部屋の奥まで陽光が差し込んでいた。

サラとアルゴはベッドを窓辺に移されるが、サラが睡魔に取り憑かれるなか、アルゴはいつも外を眺めるのが好きなようだ。“何を見てる?"って聞くとニッと照れ笑いをして俺の方を振り向く、いたずら坊主そのものだ。

月末の水曜日は病院通いの日となっている。水曜日に拘るわけではないが、病は気から ・ ・ ・ 水で流そうっていうこと

出かけるときにふっとガレージの脇眼が向く、コンクリートの隙間で花が咲いている。パンジーを植えた鉢から弾き飛んだ種がこの隙間で根付いたのだ。ひとしきり流行になった“ドコンジョウ"の仲間入りになれるのだろうか?

ドコンジョウスミレの花に背中を押され、病院に着くと混雑している駐車場も直ぐ脇の車が出て行くところ ・ ・ ・  ラッキー

血液採取と注射を処置室で済ませ部屋をでると、目の前に友人T君が奥さんと共にいた。彼は今日退院だと云い、息子さんが手続きをしているとのこと。彼の見舞いにと町のグループから預かってきた物をタイミング良く渡せた。手続きを待つ間、闘病生活のことを聞いているとやがて、大きな荷物を持ちながら帰ろうと息子さんが姿を見せた。車まで見送り内科の待合室に向かった。

待合室ではいつものように、予約時間を大幅に過ぎた頃名前を呼ばれ診察室の前で待つ。血圧も低すぎずに具合が良い。壁の張り紙に目をやると、東北震災で製薬会社が被害に遭い、俺の服用している薬が品薄になっているという。診察の際も医師からこのことを告げられたが、俺は薬をきっちり飲んでいないのでだいぶ余っている。それを打ち明けると ラッキー と声がかかった。

 同じ壁にはフットケア外来と聞き慣れない診療科があるようだ。ポスターを貼って患者を募集している風にも思えるが、この混雑している病院にも患者を待ている部門があるようだ。

 今日は何となく元気印の俺だが、それには朝飯に理由がある。昨日完成したハムを一晩冷蔵庫で寝かせ、朝の食卓に昇った。味わい深い香草の香りと豚肉本来の風味が口の中で爆発したのだ。

 勿論、食卓に並ぶ前ナイフを入れるとキッチンにハムの香が充満した。懐かしい香 ・ ・ ・ 正しいハムの威厳さえ感じさせたが、それにも増して、始めの一切れが俺を呼んで、口に入れろと云った。

 元気の源はもう一つある。年度末にこの世に生を受けた者が我が家にいる。Mの誕生日に、花屋のスタッフが精一杯詰め込んでくれたバラだけの花束、年の数は花瓶に入りきれないようだった。身内の花屋とはいえ、スタッフのありがたさなのだろう。

そんな一日だが、夜にはボランティア集団「町民活動センター」の年度末の会議があった。16年前に始まったボランティアセンターを2年前に名称を変えて新しいスタッフで始めた、任期が切れる時期に新たな発信をしていこうと云う。

元気の一日だったがさすがに遅い晩飯を済ませたら睡魔に襲われた。今日の始末と云うか備忘録はこんな時間になってしまった。 

 

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徐々にからだが春に馴染んで来るのを感じる

2011年03月29日 | 日記

3月29日(火)  快晴 午後からは雲が多くなる 夕方には雪だと云うが 温かい

昨日につづき今日も燻製つくり、と云うよりも燻製たる所以の『燻す』作業となった。俺的には目をシパシパさせ、着ているもの全て体中がイブリ臭くなるほどの作業だと覚悟していた。

Iさんのお宅へ9時につくと既にピックル液からだされたハムの素はデッキの屋根のしたにつるされていた。あの肉片が塩に揉まれ、たっぷりの香草の風呂に浸けられて一週間、更に流水で塩分を落とし晒しにくるまれている。

水気を切るために冷たい風に曝されて一時間、乾いたところで燻製釜に吊される。ドラム缶を加工した燻製釜には山桜の細い枝を短く切ったチップから立ち上る煙、なんとなく懐かしさを覚える香りは“粗目砂糖”が焦げる臭いだ。このザラメを入れることで風味と艶がよくなるという。煙が出始めてから6時間燻しっぱなしにするという。 

 6時間経過すると見事純白の晒しはこのように桜色に変色し、ここでも日本の故郷の香、茅葺きの家の屋根裏に登ったときの思いが微かによみがえった。個々までの経過、煙に目が滲みる思いをして過ごしたかと云うと ・ ・ ・

Iさんの云う“ここから先の作業はチップを足したりするだけなので、用事があれば済ませてください”とお言葉通りに、役場へ行き補助金申請の修正をしたり、社協で年度末の確認をしてから家にもどり、明日の会議のレジュメ作りなど有意義に過ごした。

3時を過ぎて熱源の電熱器を止め、次の75℃の風呂に入れる準備をする。大釜を借りてきたと言うとおり、確かにでかい釜、バケツに数杯の水を入れて火をつけた。

湯が沸いたところで温度計で適温を確認して燻し上がったハムの素を湯に入れる。気持ちよさそうに大釜のそこに横たわるのを見て今までの行程を思い直した。一時間温度調節をしながら、こまめに点検するIさんの手慣れた作業は熟練ならではの段取りが素晴らしと感じた。 

釜からあげたまま、水気を切るために再び吊されるのだが、冷たい風に当てて最低3時間の風乾が必要だと云う。

ここで直ぐに味見と舌鼓を打ちたいところだが、いただいたハムを家に持ち帰り軒下に吊した。

 

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快晴 山裾にも本格的春がやってきた

2011年03月29日 | 日記

3月29日(月)  快晴  風も冷たさを感じない  穏やかな一日

町や少し離れた集落では“フキッタマを採りにいく” とか、“味噌汁にちりばめただけで春を感じた” そういう話を聞く、そして、ビニール袋に入った大量の蕗の薹をもらったりする。しかし、我が家の日当たりの良い土手や畑の脇にも蕗があるのに一向に姿を見せない。

蕗の薹が顔を出さないと云うことは、鹿や狸、ハクビシンの腹に収まったと思っていた。2月の上旬にやけに暖かさを感じてしまったが、植物は顔をだす頃合いをしっかりと見定めていたようだ。町よりも標高が高く、冬の温度差は3℃低い、町に雨が降っていてもここでは雪になるところ、蕗もしっかりと花を開き子孫を残したいのだろう。やっと、いくつかが顔をだしたので、3っつだけ採らせてもらった。

一昨日集めてきたリンゴの木も高く積み上げてみたが、少しだけ不安定さが見える。早いとこ次の作業をしないと崩れて大事になるのはいやだ。

同じ薪を積み上げたものでも、細い薪を電線の糸巻き?の上で湿り気のある雪を被りじっと我慢をしてきた。これも危なっかしいと思っていたが ・ ・ ・ やはり下の台の部分が平行にずれてきている。これも地震で揺さぶりをかけられたのだろ。

来年度に向けた会議が朝から開かれ、隣町では東信州田舎暮らしの役員会があった。予定では5月にお楽しみ会を開く予定だったが、このご時世お楽しみ会と云うのもなんだから、志向を変えて7月に順延することになった。

帰りに社協へより22年度の会計監査の状況を確認したが、来年度は心機一転新たな事業を組み込んで本格的に動き出すことになる。午後3時からは介護施設のボランティア連絡会、これには初めて出席するので皆さんの報告や意見を聞くことで学習をした。こういう会議は本音出ているのか定かでないが、腹を割って話し合うともっと前向きになるのだろう。

明るい春の光、暖かさをもたらしてくれるが、庭の梅はまだまだ硬い蕾のままだ。梅の花が咲かないので、これも鹿のえさと化したと思っていた。近くで見ても花を見せてくれるのはだいぶ先のようだ。

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豚もさらしを巻いて 更に締め上げられる

2011年03月27日 | 日記

3月27日(日) 快晴   時間の経過と共に雲が広がる  冷たい風

昨日今日と冷たい朝を迎えた。気温が下がると浅間山は元気になる。噴火の恐ろしさを知らない俺としては日々、高見の見物と申し訳ない程の眺めだ。

9時集合と云うハム作り、一週間前に豚肉のブロックに塩を擦り込み、寝かせてから軽く塩出しをしてピックル液に漬け込んだ。そういう俺は塩をスリコム作業までで、その後の作業はベテラン燻煙家のI氏の手による。

今朝の作業は塩出しをしてからの作業となった

《水道の流水で2時間の塩出し》

《晒しに巻いて両端を絞り上げて、更にたこ糸で形を整える》

簡単な作業のようだが、晒しに巻いた後が豚の抵抗なのか難しい。慎重にたこ糸と巻き付けながら引っ張るのだが、豚の怨念か俺の手に糸が食いこむようになる、巻きの力を弱めるとハムの形が真っ直ぐにならいようだ。手元の怪しさを意識しながら作業を終えた。

全ての作業を終えてからラップで包み冷蔵庫の中へ治められた。ハムを口にするときは旨いとだけ感じていたが、なにか愛おしさを感じるようになった。このあとは火曜日に朝から6時間燻すというので、これまた究極の楽しみが味わえそうだ。

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久しぶりの薪材の運び込み  力仕事は性に合っているようだ

2011年03月26日 | 日記

平成23年3月26日(土)  夜半の雪  冷たい風 雲に覆われた薄日 寒い

一週間前の電話で「リンゴの太い枝の剪定が終わったので取りに来てくれ」と町内のブランドリンゴ『五輪久保』のYさんが云ってきた。PCに向かう作業も一段落したので、朝から薪材運びを予定したが、朝になって外を見ると一面の雪景色だった。昨夜来の雪も止んで彼我で始めたので、午後からりんご園に向かった。

いつもの貯木場 ・ ・ ・ 剪定した枝を集めてある場所を俺が勝手に呼んでいるだけだが、軽トラ4杯分もありそうだ。俺が積み始めるとYさんが来て、話し込んでしまったが、今年は天候が不順だと云う。リンゴの花もいつもより遅いかもしれない、温暖化ではない逆の方に向いているのが正しいのではとも云っていた。

太い樹は下の方に積み腕の太さくらいのものを、上に積み上げる。リンゴの樹はまっすぐに伸びるのでなくねじれたりうねったりしているので、細い木を積むと高さほど重さはない。ねじ曲がった樹を積んだ後にロープをかけるのだが、「万力」と言う縛り方をする。これを覚えると便利なのもので、少ない力でしっかりと荷台に固定できる。

荷台脇に付いているフックにロープを欠けるのだが、不揃いの樹の長さで、縛りたい場所にフックが無いときには二つのフックにロープを欠けて三角形にして縛る方法がある。これはちょっとした工夫だが、この『マンリキ』を使わない今時の運送屋さんは知らないと云う。今はトラックも箱形が多く、荷物を止めるのは箱の壁にフックで止めるようになっている。

俺は学生時代にアルバイトで知った技だが、今になって知っていることがこれほど便利に活用できるとは思わなかった。

今日のところは三往復をして5時半を過ぎてしまった。高く積み上げたの薪材をこんどはチェンソーで切らなくてはならない。5月の末までには切って割る作業を終えたいと思ってるが ・ ・ ・ 

昨年は全ての樹を切って薪材にしたのは11月になってしまっただろうか?何はともかく身体を動かし、冷たい風の中でも汗をかく程に仕事をした。明日の筋肉通は承知の上だが、力仕事は気分が良い。

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年度末という ありきたりだが 決算と事業報告

2011年03月25日 | 日記

3月25日(金)  曇り  薄日がでるが 冷たい風 中途半端な一日 

このところ関わっている趣味の団体や、集落の事業の事業報告と収支決算に明け暮れていた。それにも増してボランティアの集合体『町民活動センター』の事務処理も慌ただしくなった。

事業報告が必要なのは趣味の団体では「環境学習教材の整備」と集落の「続・地域の食文化伝承と創作」、これらは年間の事業計画と予算書を提出し、補助金の申請をする。これは昨年から町内の趣味の団体にも交付が為されるようになった。

たてしなエコ・クラブでは「生ゴミの堆肥化」「JAの有線放送でエコ番組を制作放送」「児童館での環境学習」また、アースデイや、環境フェアなど町内外のイベントや独自の活動を展開している。その中でも太陽光を熱源として料理を作るなどは既に会員がソーラークッカーなどを持っているのでよいが、値が張る、エコ発電の実証実験に使う道具がなかった。これらを活動の課題として、予算を組み申請が受理されると購入して実際に活動することをレジュメにまとめて事業報告とする。なんとか、事業報告ができ、経費の75%が交付されるようになった。報告書が受理され金額も75000円の満額(75%)が交付されるという。

また、集落の『続・地域の食文化伝承と創作』事業は、前期は「安心安全な遊び場整備事業」として、集落の手作り公園の池の柵をつくり、周辺に植栽を施す事業を行い、9月には支援金の支払いを受けた。また、後期は、昨年に続き、集落の中年世代50歳代の人でも、親が作ってくれた食を懐かしく思うが、その作り方や料理の名前を忘れているということから、昨年は『蕎麦打ちとそば粉を使った料理』今年度は大豆を使った豆腐作りを計画したが、集落の大豆畑は全て鹿に食われ全滅だった。麦は冬に青葉を食われたが、7月の収穫はできたので急遽事業内容を変更しうどん作りとキビ団子などを作った。

こうして『立科町がんばる地域支援金』で目的に合わせた機材を購入することができた。しかし、集落の方は資金があるからよいが、エコクラブなどは購入した代金を誰かが立て替えなければならない。購入した時点で報告書を出すわけにもいかず、当初の目的が達成し、成果を報告書にして提出しする。その後、審査が通るまで半月くらい、購入してから5~6ケ月は費用を立て替えていることになる。

 町独自の事業で、我々にとっては嬉しい事なのだが、資金面でだれが立て替えるの?って云うことから申請に踏み出せない団体や、申請しても辞退することになってしまう。確かにこの事業を受けることで小さい事ながら元気になることは確かだ。自分たちの企画を形にする充実感と満足感、まさにボランティアそのものだと思う。

詳しくは立科町HPをご覧いただきたい。http://www.town.tateshina.nagano.jp/shisaku/157/001213.html

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忙中閑と云うほどのことはないが

2011年03月19日 | 日記

 3月18日(金) 晴れ    冷たい風   

このところ関わっている団体の年度末に向けた事務作業に追われている。毎年この時期になると安請け合いに自省の念を思う。自分で反省するだけなら良いのだが ・ ・ ・ 会の運営が悪いなどとあらぬ方向に頭が回転し更に自己嫌悪に陥るのだ。

 気晴らしに太陽光発電パネルと蓄電池をセットして電圧を調べると18ahと針が示している。太陽が出ていれば300wの電熱器は充分に使える。

大災害が起きているときに、こう云うもので遊んでは不謹慎だろうがいざというときの電源には充分使えるようだ。これはたてしなエコ・クラブで環境学習に使うために補助金で購入した。しかし、毎年のイベントでいつも雨にふられるのだが、今年は快晴ばかりで出番がなかった。

 午後には町内のIさんにハムを作るから良ければ、見にきませんか?と声をかけられた。前に彼の作ったハムをいただいたが、旨い、美味さが未だに舌の奥に残っている。

そう言うことで今日は肉を漬け込むピックル液をつくり、同時進行で一塊500gの肉10個に塩をすり込む作業を行った。

《ピックル液の材料香味野菜》 

 《塩をすり込んだ肉塊》

お茶をいただきながらのゆったりとした作業だが、ベテランらなでは手順が素晴らしい。ご夫妻揃ってのチームワークならではのものだろうか。

血だし・塩出し・乾燥・燻煙と完成には10日くらいかかると云う。

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エコなイベントだが なんとなく気が乗らない

2011年03月13日 | 日記

3月13日(日) 晴れ   暖かで穏やかな一日 

テレビやネットでも日夜「東北関東太平洋沖地震」の報道が流れており、震災の日を追う毎に津波の恐ろしさを実感させられる。

また、原子力発電所に関する政府の報道、東京電力の会見が後手後手になっている。なぜ、原発を作るときに、地域住民のシェルター的なものを作らなかったのだろうか?安全ばかりが先に進み、若しもの時の用意が皆無だったことがわかった。地域には「金銭的支援をしているからよいのだ」と云うオカミの傲慢な態度が許せない。

昼にはたてしなエコ・クラブのイベントが行ったが、これもタイトルが《仲間とエコを楽しむ一日》とするもの、このご時世に不的確だろうと、開催を取りやめるかを話したが、内容的には「安心な食を考える」ことなで、参加した人には理解を乞うことで開催をした。

プログラムは「一手間掛けて美味しいエコ」と称して燻製作りをした。また、燻している間に、映画「食の未来」2004年と言うアメリカの食糧政策のDVDを鑑賞した。

昼飯の会食では震災の話が多く、我々でも出来ることをということから、今できるのは心の応援を形にすることで、カンパに全員が応じてくれたことに、たてしなエコ・クラブの心意気を感じた。

詳しくはたてしなエコ・クラブブログをご覧いただきたい。

http://garbageate.exblog.jp/d2011-03-13/

夜には集落の総会があり、役員改選と一年を振りかえる懇親会が開かれたが、ここで地震の被害の大きさが語られ、被災者への援助には、住むところが壊滅して「移住を余儀なくされた人がいれば立科町へ迎えたらどうか」土地はある空き家はある、被災者への援助を町を挙げて取り組む様ざまなアイディアが話題となった。

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地震災害にあわれたかた お見舞い申し上げます

2011年03月12日 | 日記

3月12日(土) 晴れ    暖かい一日  昨日から沈み込む思いがつづく

昨日、今日と多くの方から電話やメールをいただき、「長野でも大きな地震があったので大丈夫か」と心配していただいた。我が家でも震度4と思わぬ揺れに怖い思いをしたが、東北・関東の方や栄村の方たちと比べれば微々たるもの。

東北方面の地震災害にはTVの画面に釘付けになったが、余りの悲惨さに申し訳内気がしてくる。宮古、釜石にも後輩がいるし、三沢にも友だちがいる。郡山の楽器店は被害はあったのだろうか?メールを出しているが、通信が途絶えているようだ。

こう言うときは、全国民一人ひとりが力を合わせることが必要だろう。そんな思いをしながら、我が家の点検して無事だったことに感謝したい。また、信州北部の地震には、多くの友人からお見舞いをいただいたこと感謝を申し上げます。

災害の無い立科町とされているが、防災の心構えは必要なことと思う。

 

 

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啓蟄がすぎたと云うのに 信州では雪も当たり前という

2011年03月08日 | 日記

3月8日(火) 相変わらずの冷たい風 雪も溶けないまま一日が過ぎた

 

日曜日は暖かく春一番ということで、田舎暮らしの仲間と薪を作る下見では汗をかいたほどだ。午後になると西からの黒い雲が張り出してきたが、真逆、雪が降るなどと思いもしなかった。

月曜日の朝になって外を見ると雪、それも湿り気のある重たい雪で集落の中央にある電信柱にも雪が積もっている。重たい雪は電線に縦に積もりいつもより低く垂れさがっているが、こう言う雪の時でも漏電しないのが不思議なほどだ。

辺りはモノクロームの世界だが、予定していたボランティア団体の会計監査に備えて、帳簿を下見した。俺は監査をするわけではないが ・ ・ ・ Mが会の監査役となっている。大きな問題はないのだが解釈の違いなどが一部のところで再調査ということになったようだ。 

午後からの作業だったが、俺は別の問題で社協の事務局長と話を詰めたのだが、これも役員会などを経なければ詳らかにならないのは仕方がないことだろう。帰りには道路はすっかり雪がなくなっていたが気温が冷え込み明日の朝には凍結してこのカーブも気をつけなくてはならない。 

今日は朝から天気が良かったのだが、俺は夜の会議に向けたレジュメつくりに昼過ぎまで頭を悩ませた。“ボランティアは楽しく” と云われるが、楽しさを引き出すのは大変なことだ。2年間の役員がこの春で終わるのだろうか?

夕方からの会議でも役員の任期のことが話題となったのだが ・ ・ ・ 

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風の冷たさに 花たちは震え上がっているようだ

2011年03月05日 | 日記

3月5日(土)  晴れ  今日も風が冷たい 午後には雲が広がる

窓を開けると入って来る風は冷たい。冷たいと云うよりも風が堅く感じた。カレンダーを破り捨てたのが早かったように思えるほど2月の気候に戻っている。SalaとArgoはこのところ別行動が多いと思っていたが、彼らも寒さには勝てないらしく一塊になってベッドにうずくまっていた。

一週間前の暖かい頃は春霞で浅間山も、その麓も姿を隠していたが、空気が冷えたためか山の襞がクッキリ見ることができる。

部屋の中は暖かく10年もののシクラメンは今年も沢山の花を見せてくれた。花びらの先端が少し紫色がかってきたので、俺が“シクラメンはもう終わりだね”と何気なく云うとMは『これから』と語気を荒げて云い、続けて「花の下を見た?」とも云う。俺は花を上からばかり見ていたが、持ち上げて見ると根元の葉の近くには沢山の蕾がスタンバイをして、更に葉をかき分けて見るとまだ白い蕾が沢山顔を出してた。我が家にきて10年近くなるが、毎年夏は外に転がすように置いてあるの見たが ・ ・ ・ 

肥料などどうしているのだろうか?

シクラメンと同じ頃に我が家に来た木彫りの人形がある。これは東京郊外にある大型家具店のディスプレーだったのを「彼らが連れて行ってくれ」と云っていると店の人に言ってムリヤリ売ってもらったものだ。我が家に来てからはリビングの片隅にいるだけで、夜なよな音楽を奏でているのかも知れないが俺の耳には全く届かないものだ。暖かくなったら玄関先の人の眼につくところに移してやろう。

庭では後から咲き出した福寿草が冷たい風を避けているのか一向に背丈が伸びない。

北側に風よけのあるところでは既に軸も延び葉も広げようとしている。同じ福寿草でも生まれた場所でいろいろ考えるとことがあるようだ。

 

 

 

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ひな祭りには冷たい風 寒が戻ったようだ 

2011年03月03日 | 日記

3月3日(木)  晴れ 風は冷たい  午後からは雲が張り出す

ひな祭りと云うなんとなく晴れやかな日なのだが寒い。さむいと云うよりも風がつめたいのだ。

ひな祭りに相応しい梅の香りを懐かしさから庭に出てみたが、まだまだ白い花びらが広がるには早いようだ。町の中央部では既に梅が咲いたと聞いていたが、ここ山裾は標高も僅かに高いことを理由に蕾は堅く閉ざされていた。

 寒にもどってしまったと云うが、春は確実に来ていて裏の土手では雪が溶けた陽当たりよいところでカワラヒワたちが盛んに餌を啄んでいた。そっと窓から覗いていると一羽だけ腹が赤い鳥がいる。ベニマシコ?頭を隠すように夢中になって草の種子を啄んでいるので鳥の種類を調べるには情報不足のようだ。

辛夷の蕾は先週の異常な暖かさで蕾の殻を弾き、中から白い花びらを見せているものがある。寒さが続くというので顔を出した花びらが凍らなければ良いのだが、昨年は霜で殆どの花が茶色くヤケけてしまった。 

浅間山も日本海側から千切れてくる雪雲に頭を押さえられ、噴煙も山肌に沿って張り付くように麓に転げ落ちるように見せている。 

陽が当たる雑木の枝が入り組んでいるところではヒヨドリが盛んに赤い実を啄んでいる。彼は鋭い嘴の先端でひねるように千切り上を向いて喉の奥へ落とし込むようにしている。ヒヨドリは花の蜜を吸うのにも器用に嘴と舌を操り花を落とさない繊細さを持っている。この赤い実は秋から木に着いたままなので、鳥たちにとっても美味いものではないのだろう。今の時期は餌がないので仕方なく腹に落とし込んでいるようだ。 

浅間を覆っていた雪雲も何処かへ移動して山の姿が顕わになった。僅かに白く見えるのは噴煙なのか雪煙なのだろうか?この山の頂上付近は猛烈な風がのべつ吹いていると聞いた。手前の前掛け山、噴火で中央が吹き飛んですり鉢のようになっている様子が判る。 

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もどり雪 と云うのがあるかは定かでないが 中途半端な季節

2011年03月01日 | 日記

3月1日(火)  薄日  暖かな朝     昼過ぎから 雪   

 昨夜まで降っていた雨も朝には止み薄日が射してきた。午前中は暖かな空気に促され、ガレージの奥にしまい込んでいたダンボールを外へ出してみた。ダンボールで燻製を作ろうというイベントに備えて大型のものを捜そうと、I さんが見に来てくれると云う。まともに使えそうなのは2個、あとは縦横長さのどれかが足りない。

 午前中にダンボールを片付けたり、薪の積み替え作業、ストーブの灰を大きなビニール袋に開けたりと予定の作業を終えることができた。

昼頃に気がつくと外は雨、やがてそれも雪に変わってきた。身も心も春になりきっていた俺には雪が降るとは想像もしなかった。冬に戻るわけではないが、春の湿り気の多い雪はコンクリートの道には黒いまま雪が積もることはないだろう。

 外の冬景色とは対照的なのは最近我が家にやってきた派手なオレンジ色の花だ。花の名はオーニソガラムと云うそうだ。Mが花の色に誘われてスーパーマーケットの花屋で買い求めたと云う。真上から見るとチューリップのようににも見えるが ・ ・ ・ 春を先取りのように感じる。

夕方になっても雪は盛んに降り続き、それまで黒々と見えていた山の木々も白い雪化粧が目立つようになった。

 

なんとなく中途半端な気分になっているのは雪のせいなのか、それとも他に原因があるのだろうか?年度末という始末を着けなくてはならないことを思うと仕方がないことかもしれない。

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