田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

梅雨明けを 宣言しているかのような 野カンゾウ

2007年07月31日 | 日記
7月31日(火)晴れ 蒸し暑さから涼しい風に変わる
昨夜の豪雨のトラウマから開放される天気になった。
朝のゴミ出しで歩いて坂を下りるが脇の水路には、昨夜の雨の絞り水が勢いよく流れている。
入り口の脇には春に新芽を生で食べて食あたりをした野カンゾウ?が炎のように咲いている。
これは本当の野カンゾウなのだろうか?

午前中は町民球技大会のメンバー表の再確認をしたが・・・・
小学生の名前がわからないのだ!!
各集落ごとにメモで貰っているが、その文字が判読できない。
この町の多くの方が達筆であって、ペンで書いてある文字も崩してあるために読めない。
親の名前やその一代前の方が解れば理解できるらしいが、ここでも来た者には困難が立ち向かうのだ。
仕方なく、役場教育委員会へ出向き、その旨話をして調べて貰った。
今は氏名の問い合わせなどは電話ではできないので、仕方がないのであろうか?

午前中に“ほっとステイ”でお世話になっているYさんから電話があり、近く「ふるさと回帰塾」を展開したいので集まりに参加して欲しいとあった。
この「ふるさと回帰塾」の名称も全国各地で使われており、立科町独自の名称が付けられないものだろうか?
段階の世代の移住を如何に当地へ迎え入れようかと云うことだと思うが・・・・
人が住みやすいか住み良いかの判断は地元で育った人と来た者では相対する場合が多い。
小さな自然に対することも、流れて通過する水に大しても意識が違うのだ。
それをどのように相互理解をしていくかが課題だと思う。
安易に集落に移り住み、別荘地域と同じ生活をされても困るのだ。

夕方になってMが佐久平に行くというのでお供をした。
100円均一でファイルやらクリップを購入したが・・・・・
久しぶりに都会へ来たと思ったが、店内を廻り目的の物を探したが・・・・ない。
台所用品売り場でソーラー・クッカーに使える黒いフライパンがあったので購入した。
晩飯を済ませて帰ろうと言うことで、以前新聞に掲載されていた中国料理屋へ行ったが酷いものだった。
7時過ぎに店に入ったときに客はなく、帰るときまで誰も来なかった。
次には俺たちも行かなくなるから、「客が来てはいけない料理屋」とでも新聞に載せて欲しいものだ。
我家の飯が一番だと思う!!
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モンゴル産重曹は横綱クラスだというが

2007年07月30日 | 日記
7月31日(月)雨  一時曇り 雨
雨の音で目覚める、酷くならないで通過して惜しい・・・
今日は俺の健康記念日なのだ!!

昨年の7月31日は大雨の排水作業で体調を崩し、町内の有名医院へ連れて行かれた。
そこでは何故か胃カメラ、レントゲンなど等、意識朦朧とするなかで検査をされたのだが、俺は何の検査をされていたのかは記憶がない。
結局、大量のクスリを買って我家へ戻ってきたときには、Mの介助によってベッドにたどり着いたようだ。
その後のことは全く覚えておらず、翌日には救急車→ICU泊となってしまったのだ。
これの原因はいろいろああるが、大雨が降るとトラウマのように神経がピリピリしてくる。

朝食を済ませてから、新聞を読みPCでの選挙の結果や政党のHPを覗いたりした。
午後1時から役場・人権センター横で「生ゴミ堆肥のづくり講習会」がある。
堆肥づくりの経過を見てもらうために、俺の道具やダンボール一式を軽トラニ積み込み出かけた。
定刻になると30数名が其々ダンボールを持って会場に集まってきた。
5kgの腐葉土と3kgの米ぬかを入れるのだが、段取りが悪くてダンボールの底に新聞紙を入れるのがよいのだが、用意されていない。
準備の段階でしっかりした打合せがなかったのが反省点だと思う。
約1時間で終了したが、今日から始めた人へのサポート体制を作らなければならないだろう。
この活動を広く町民へ浸透させて、生ゴミは収集しないシステムにしたい。

夕方にTVのニュースをみて驚いたのは自民党の安部首相は辞任しないという。
続投をして政治が上手く進むのだろうか?
今後の政治が国民の生活とどのように密着して行くかが課題だと思う。

晩飯の食器洗いは俺の役目、敢えて言えば朝飯もだ・・・・
食器の洗浄には重曹を使用している。
先日、盟友夢酔氏から南信州のお土産だと言って重曹をいただいた。
それが横綱がサッカーをしたというモンゴル産なのだ。
モンゴルは金や鉱石など様々な資源があるようだが、モンゴル産の重曹は大変質が良いそうだ。
食器が綺麗になるばかりではなく、手が綺麗になるという。
そ~いう売り込みで食器洗いはMに引継げないものだろうか・・・??


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気だるさがある日曜日

2007年07月29日 | 日記
7月29日(日)晴れ 曇り 雨
今日の天気は目まぐるしく変わり、一頃は雷が鳴っていたが東に流れたようだ。
午前中の爽やかな空気が一変して向かいにある低い山肌でも霧が沸くように立ち昇るのを見た。
天気予報でも午後からは不安定な天候になると言う。
珍しく7時前に朝飯を済ませる。
Mがボランティアで国道142号線のゴミ拾いに出るという。
ゴミ拾いを終えたあとで、ミニ・コンサートがあるとのこと。
昼飯は済ませてくるという・・・・・

選挙も昨日済ませたし日曜日は草刈をしないことにしている。
球技大会のメンバー表の再確認をしなければならないが気が乗らない。
何もしない時間があるのは落ち着かないので、気になっていた腕時計の時間あわせをしてみる。
この時計は2000年にミレニアム記念として発売されたエコ・ドライブ&電波時計なのだ。
電波時計は時刻合わせもなく、更にエコ・ドライブなのだから電池切れもない。
若い頃は男は時計で働くなどと粋がって拘りの時計を手にしたが、時間に代わりがないのを身体で感じたのだ。
今では簡単なものなら何でも好い!!
しかし、東京では狂わなかった電波時計が、此処ではダメだ。
電波を受信しない。
手動でも合わせることはできるのだが、上手くいかずめんどくさい。
解説書を引っ張り出してPCの標準時間のサイトを広げたがなかなか合わせるまで行かない。
http://www3.nict.go.jp/cgi-bin/JST.pl
昼も過ぎてしまったので、止めにした。
取説と一緒に箱にしまいお蔵にした。

簡単に昼飯を済ませてから、外へ出て生ゴミの処理をした。
井戸のところへ行くと、なかなか咲きださなかった南天の蕾が開いている。
もち米のような白い蕾が開き黄色い雄しべの中に掌を合わせたような雌しべがある不思議な花だ。
花びらは白で晩秋になれば房状に真っ赤な実が成るが、ほとんどを鳥が食べてしまう。
正月の生け花にとネットを掛けておくが、ヒヨドリかムクドリが暮の押し迫った頃に全てを食い尽くすのが毎年の常だ。
鳥にも分け与えなければいけないが・・・・・・
鳥も人の分は残しておくのがエチケットだと思うがなかなか通じない。
http://www.hana300.com/nanten.html
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明日が満月なのだろうか

2007年07月28日 | 日記
7月28日(土)爽やかな朝を迎えた 陽射しは熱いが木陰は快適 良い日
朝食を済ませて早めに蓼科高等学校の図書室へ向かう。
定刻より30分前の9時半についたところへ、責任者のS氏も到着した。
夏休みで図書室は毎日開けていないためか空気が淀んでいる。
北側の窓を開けると爽やかな空気が気持ちが良い。
午前中の図書室利用者は誰も来なかった。
S氏とはこの町を元気にするには・・・・と語り合ってしまった。
1時少し前に図書室を出るが、携帯電話にMから指令が入る。
スーパーでニンニク、牛乳の500mlを買って買えることだった。
男の買い物は小さいものを少量買うことに慣れていない。
これは俺だけかもしれないが・・・・・

買い物の後に期日前投票所に向かう。
明日、投票所に行くことはど~ってことはないが、
集会所の畳の部屋で行われるため、担当者は皆座布団に座っているのだ。
都会のように列を成して投票をするわけではなくポツポツと来るだけだから、
係員も午後にでもなば横になっていることがある。
そ~いう場面に出くわすと何となく気まずい雰囲気がするのは俺だけだろうか?
皆顔見知りだから挨拶も和式の様をなさねばならない。
あの雰囲気には今でも馴染めないので、事前に投票することにした。

家に着いたのは2時を過ぎでそれから昼飯を済ませた。
5時になってから、回覧板を廻すことのお願いに行き班長役のお宅へ出かけた。
そのとき久しぶりに愛息Salaをお供に連れ出した。
集落を一回りして田圃の畦を歩いた。
Salaは嬉しそうにして鼻を突き出し風の臭いを嗅ぎまわっていた。
一回りして帰って来ると、南に見える山の上に月が見える。
満月は明日なのだろうか??
Mは友達との晩飯会?とのことで出かけて行った・・・・・
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菜な色畑は 夏野菜の宝庫なのだ

2007年07月27日 | 日記
7月27日(金)晴れ 雲は多いが 陽射しが夏になっている。
午前中は町の球技大会参加に向けて、地区代表チームの編成表を清書していたが問題が発生した。
しかし、数が合わないのだ!!
まだ役場に問い合わせようにも仕事が始まっていない、午前7時前なので小休止とした。

新聞を読みシャワーを浴びてもまだ朝飯にはならない。
8時半の役場の開店にあわせて電話を入れる。
球技大会の申込書はHPからダウンロードできますか?と聞いたが無理なようだ。
そして、更に役場の人曰く「郵送で送りましょうか?」と来た。
このコトバで一気に俺の緊張感が萎えてしまったのだ!!
申込用紙には36pくらいの大きな字で「27日提出期限厳守」とあるのだ。
驚いて聞き返すと・・・・
「皆さんご苦労されているようでまだ集まっていないのです」
これで昼過ぎに役場へ行く用事があるのでそのときに貰いに行くことにした。

朝飯を済ませてから、次の作業の回覧を作る。
8月4日町民祭りへの参加を集落単位ですることになったのだが、各戸何名行くかを調べなくてはならない。
文字を打ち表を作ってイザ印刷の段になるとプリンターが反応しない!!
昨日までは順調に動いていたが・・・・・・
いろいろ調べてみるとPCがプリンターを認知していない。
仕方なくエプソンのサイトからソフトをダウンロードして何とか反応が出るようになった。
解決したのは昼飯後の14時を過ぎてしまった。

昼飯のときにMから町内の農業をしている人が持ち寄って出店している“菜な色畑”で購入してきた野菜を見せられた。
これで100円だと言う。
ビニール袋を開けてみるとキュウリ6本ナス4本、調理用トマト10個、大きなトマト3個が入っていた。
向かいのスーパーではキュウリ1本45円だというのに。
田舎のありがたさはこれに勝るものはない。

PCの不具合と
メンバー表提出期限がなくなったことで・・・
一時間ばかり昼寝をしてしまった。
6時半に公民館に着き篆刻の会の机や椅子の並べることをしようと早めに入ったのだが既にWKさんが始めていた。
今日は別の会議が役場であるので7時過ぎには公民館を出た。
次は役場町民課環境係の肝いりである「ゴミ減らしま専科」の会議がある。
今日は役員会なので同席できないが、今年度の方針を決めるとのことなので傍聴させてもらった。
会議終了間際に俺の参加している“たてしなエコ・クラブ”の代表として「ゴミ減らしま専科」の役員にするとのこと。
協調して活動をすることからもありがたくお受けすることにした。

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飲むなら乗るな? 飲むなら呑まれるな!!

2007年07月26日 | 日記
7月26日(木)曇り 小雨 晴れ
霧に包まれた景色で朝を迎えた。
午前中は雨は降らずに蒸し暑さだけが澱んでいる。
うとうとしている処に電話が鳴り飛び起きてしまった。
内容は町の球技大会で地区代表チームのメンバー構成のことだった。
前にも会議の様子をこのブログで書いたが、さっぱり解らない。
地域特有の形態で、集落ごとに同じ苗字と似通った名前が多いのだ。
其々の集落では同じ苗字の郭が2~3で構成されており、その中の名前も二文字の漢字の上下が似通っていたり、どちらかが一緒だったりと・・・・・
俺のような来た者のには到底難しくて理解不可能なのだ。

そんな俺が大役を仰せ付かっているいるが、投票で決められてしまったのだから・・・
民主主義の不合理極まりない所以なのだ。
明日がメンバーや監督・コーチの一覧表を役場に提出する日限なのだから困ったことになっている。
午前中はそんなことであっという間に時間が経過してしまった。

午後は1時に公民館へ集合して「疏水百選」でも全国的に有名になった塩沢堰の見学に行く。
http://www.inakajin.or.jp/sosui/nagano/a/274/index.html
呼びかけは「ふるさとプロジェクト」と称して既に町内のウオーキングマップなどを作り果敢に活動しているグループ12名で構成されている。
今日の解説者は「水の大将」と呼ばれている、六川長三郎第12代の妻、いく さんにお願いしてある。
11代12代の家庭内の切り盛りと生活基盤を確立させてきた目で、堰の維持管理の裏側を解説してもらうことになっている。
町から30分くらいで現地に着き、小雨降る中をバスを降りて歩き塩沢堰を訪ねた。
解説は女性の立場からの的を得た説明で一同納得をして次の最も難工事であった場所、普請小屋跡と水路の見学をした。
説明の中で初代長三郎勝家の妻の知恵で「水路の水漏れには,竃の灰を流れに浮かべることで渦が巻く処が水の漏れる箇所」と炊事場の知恵を授けたことが文書に書かれているという。
午後の半日を公民館事務室のS氏がバスを自ら運転、行動を共にしてくれてたことに感謝をしたい。
4時過ぎには公民館に戻り、今後の計画を話し合った。

夜6時からは久々の懇親会ということで、ふるさとプロジェクトの有志が集まった。
幹事の呼びかけでこの会が大変お世話になった前教育長・公民館長のAさんの退職を祝う会を兼ねて懇親会を開くこととなった。
幹事役のTR氏は余程嬉しかったのか、最後には酩酊状態になり会話すらできなくなり、帰り際には靴も帽子も置いていく様になっていた。

都会生活の中でも廻りに大酒飲みは多くいたが、彼らの酩酊は見たことがなかったし、此処へ移り住んでからも酒の席は多くあったが、あのような状況は見られなかった。
俺の人生の中で、
あれほどまでに酒に飲まれてしまう人が居ることを始めて認識した。
帰りは店の車が各家に送っていくそうだ・・・・
これが田舎の酒飲み文化なのだろうか???淋しい
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俺 好みに何を染めるかが今後の課題だろうか

2007年07月25日 | 講座受講
7月25日(水)曇り 午後 薄日 夕方 雨
昨日の天気が今日も続くと思っていたが・・・・
梅雨は上がったのではなかったようだ。
午前中は涼しく寒いくらいだと思いながら朝飯を済ませた。

午後からは公民館で行われる草木染の教室に出かけた。
会場が狭いため募集人数が10人だったのに入れたのがラッキーだった。
大昔?どこかで体験したことがあるが、それはハンカケチを結んだり紐でしっばったりして液に浸けるものだように覚えている。
今回は身近にある草花で染めていくのでぜひ参加したかったのだ。
定刻少し前に会場に入ると既に4・5人のご婦人たちが来ていた。
先生は隣町の方で草木染のほかに和服のリフォームの教室も開いているようだ。
定刻には10人全員があつまり、講義がはじまった。

木や草の種類、季節によって抽出される色が違うということと云う。
不思議なものだが、今日はオーソドックスな「ヨモギ」で染めることになった。
染められる方は「絹のスカーフ」で純白のものだった。
簡単な科学的反応の説明と熱湯をを使うので火傷に注意することなどが繰りかえし話をされた。
早速ヨモギが大きな袋から出された。
このヨモギは公民館のSさんが休耕田?から積んできてくれたようさ。
大きなボールに草の葉だけをちぎりいれるが、流石は田舎の主だけあってあっという間にしごき、更に包丁で刻んだ。
それを鍋の湯の中にいれ30分くらい煮出して染める液を作った。
愉快なのは鍋に入ったヨモギを掻き回したり、火の加減を見たりするのに船頭がが出てこないのだ。
料理教室でもそうだが、必ず仕切る人が現れるのだが・・・・・
今回は人数が少ないためか誰もが人の動きを見てから行動を起こすような具合だ。

実際に染める段階になったら、染色→水洗い→媒染→水洗い→ソーピング→水洗い
となる。
一通り染め終わった色は薄い黄色のきれいな色だった。
これだけでは物足りない人は鉄分の入った液でアクセントをつけて染めた。
おれは布を三角に折り、横長のスカーフに波の模様を染め上げようと挑戦した。

以外にもそれが良くなったので・・・・・・
他の方が同じようにしていたが?
液に浸ける時間が長すぎたのだろう・・・・・か、俺のせいではない。
楽しい一日だった。
最後のアイロンかけは家でやることにして生乾きで持ち帰ったのだ。
次回の“ほっとステイ”でできるかな??
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麦仙翁が風に揺らぐ姿が好きだ

2007年07月24日 | 日記
7月24日(火)曇り 晴れ 快晴 爽やかな一日
天気予報では快晴となっていたが・・・・・
8時頃から青空が北からひろがりやがて雲ひとつない晴天となった。
朝飯前に玄関周りの鉢植えに水をやり、移植したトマトの苗やバジルにたっぷりと水をやった。
これからは本格的な夏になるのは良いが水遣りを怠るとしっぺ返しが来る!!
朝飯の準備が整ったとこに来客があった。
玄関の椅子にかけてもらい、町で問題になっている「産業廃棄物処理業者」の土地の買い付け問題で盛り上がった。
立科町民や東御市北御牧地区、更には千曲川に注がれる水が汚染されたらたまったものではない。
「この町のキャッチコピーは“水と太陽が輝く町”となっているのだ。
30分位の刺激的な話題を語りあったが有意義なひと時だった。

朝食を済ませて直ぐに、西S集落へ“ふるさとプロジェクト”の資料原稿を受け取りにいった。
手土産には、春に種をまきやっと花が咲き出した『麦仙翁(むぎせんのう)』(写真)の鉢植えを持参した。
http://www.geocities.jp/akids_eye/Decorative_Flowers/Agrostemma_githago.pdf#search='麦仙翁'
「水の大将」のお宅へは約束の10時を少し過ぎていたが、奥様Iさんが出迎えて座敷へ通された。
早速、お話の内容を書きとめたり、古文書を確認して一通りの解説文を纏めた時に有線放送の12時の時報がなった。
慌ててノートや資料を片付けて我家へ戻ったが・・・・・
Mは既に昼飯の途中であった・・・・

午後2時過ぎにはMの友達夫婦が我家へ立ち寄ることになっている。
我家には始めて来る客人なので、Mは昨日から イヤ 一昨日から掃除をしまくっていたのだった。
予定より30分近く遅れて近くの場所まで出迎え我家へ案内した。
梅雨が明けて雲ひとつない日の来客でよかった。
ここは北から東、南に向けて、烏帽子・浅間山、岳荒船山少し南に十国峠と上州の山々が一望できるので、これが曇りだと話題性が全くないのだ。
5時過ぎまで懐かしい話をして今日は諏訪へ泊まるそうだ。

夜7時半からは集落の常会があり、町民祭り、町民球技大会、町を綺麗にする日の道普請など等が討議された。
約一時間で集会はお開きとなった。
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夏ハゼは既に秋を感じているようだ

2007年07月23日 | 日記
7月23日(月)曇り 午後から 晴れ 梅雨が明けたように明るい空
午前中は昨晩の地区のスポーツ大会参加に向けの準備会の議事録の整理と決定事項など等を纏めていた。
役員への葉書を書く段階でコトバが何かひっかることが出てきた。
それは「忙しい」の心が亡いことの現れのようになり疑問を抱いている。
このことや当て字のことが気になりだしたので、ブログに書かしてもらった。

昨日の午後にYTさんから“たてしなエコ・クラブ”のパンフを印刷して欲しい旨連絡を受けたことを思い出した。
昼に取りに来るという。
印刷をしながら、ブログを書いたので「当て字→専科」を題材にしてしまったのだろうか?

昼飯の仕度をしているときに郵便が来た。
“ほっとステイ”で我家で迎えた関大1中の生徒と学年主任の先生からの手紙だ。学校では“ほっとステイ”を『ファーム・ビジット』と言っている。
これでは農家でない我家は益々困ってしまう。
生徒個人からの手紙では、「生ゴミを微生物が醗酵・分解するときの温度が60度以上あったことが驚きだったようだ。また、違う季節に来たいと言う」
嬉しいことだ。
返事を書いて写真を送ってやろうと思うが・・・・
7月20日から夏休みに入っているので、9月になってからがよさそうだ。

昼過ぎには青空がのぞきだし、久しぶりの太陽がまぶしくて照らした。
秋のような青空に“夏ハゼ”の赤い実と葉が色づいている。
裏の土手から大内道に沿って上から降りてアプローチの東側と一気に草刈をした。
次には畑の草がびっしりと生えて、梅雨の水分を充分に取り込みしっかりと根を張っている。
西側のニラを植えてある場所は草の丈がニラを隠している有様だ。
Mは俺が草刈を始めた頃に出かけたが・・・・・・
夕方になって戻ってきた。
俺はお茶も飲まずに草刈、草取りと蚊に攻められながら働きずめだった。
MはT市のT商店街の和菓子屋Hで旧友とお茶をしていたそうだ・・・・
http://www.okashi-hanaoka.jp/

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昨日の 当て字に想う 今日この頃

2007年07月23日 | 日記
7月23日(月)昼 曇り 小雨まじり
ここで皆さんにお断りしたことがある。
昨日の表題について
表題はいつも最後に書くのだが「忙しい一日だった」としたが、『忙しい』は『心』が『亡』となるのが嫌だ。
どんなに時間が迫ろうがイソガシイだろうが心底一所懸命にやっているのだから・・・
今日の表題を『世話しい』と表記した。しかし、
今日改めて読み直しをしてみると「アテ字」だ。
俺は当て字が嫌いなのだ。この町にも「すずらんの里ゴミ減らしま『専科』」という公の組織の名前だ。
これがイヤなのだ!!

だから今朝になって『世話しい』を『世話多い 一日だった』とした。
読んでいただくには「よばなし(が)おおい いちにちだった」としたい。

この当て字は、福井県、富山県、清水など、港がある小都会に多く観られるようだが如何なものだろうか。

やはり、俺は「当て字」と「忙」は嫌いなのだ。
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世話多い 一日だった

2007年07月22日 | 日記
7月22日(日)曇り 一時陽射しが出る 小雨 曇り
玄関前に置いてある花の名前が解らないので・・・・・
管理者Mの言う「ストレストカーパス」をネットで検索すると違う花が表示されるのだが・・・・・
検索の結果どうやら何種類かの花がこの名前で呼ばれているようだ。
我家の花と同じ種類のものは庭作りのブログに掲載されていたのだ。
http://niwaniwa.seesaa.net/article/25135967.html
別の花でも同じ名前で表記されているものもあるが・・・・
http://aanda.hp.infoseek.co.jp/y0020918sutoreputo.jpg
このように花の呼び名一つにしても拘る我家だが、決定権はもっぱらMにあるのだ。

昼前にYKさんの畑にブルーベリーを摘みに行ってきた。
レジ籠?スパーの買い物籠半分くらいの高さまで摘み取ると5kgはあるだろうか。
この夏初めての摘み取りでジャムを作る予定だ・・・(のようだ?)
畑に到着したときに太陽が眩しく照らし汗びっしょりとなってしまった。
約一時間ぐらい畑に居たが、今年は雨が多いためか甘みは薄い感じがする。
畑ではヒヨドリの警戒の声をスピーカーで流しっぱなしにしている。
これをやらないと、群れ出来る鳥たちは一晩で全て食べつくしてしまうそうだ。
摘み終った後にYKさんのご母堂さんと水の話、環境の話など・・・
エコ活動の重要性なことを話し合った。

夜は町主催の球技大会の諸事項を決める会議があった。
宇山区の連合分館(5つの集落の公民館が合同で行事を行う)会議で招集する役が俺なのだが・・・
葉書を出して集まってもらったが要領がわからない。
町公民館で数回説明会があったが、全く理解できないのだ。
その原因は人脈を持っていないことが判明した。
理屈では解っていたが今日の会議で、各集落の公民館(分館)長、青少年育成部長、体育部長の総勢13名が集まったが何処の誰かが解らない。
何とかメモを書いて貰い、説明を受けながら議事を進めたが、各集落の役員の人の良さでなんとか会議を終わらせることができた。
感謝・感謝だが・・・・・
8月19日と26日が球技大会の当日だと言う・・・・
19日は先約があるがどうしたものか!!
両日とも終了後に打上があるとか・・・・・さらに トホホなのだ!!

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町内の寺院 慧日山修學院津金寺 見聞

2007年07月21日 | 日記
7月21日(土)曇り 一時陽射しが出る  曇り
昨夜に思いついたことが目が覚めてもまだ頭から離れていない。
夢の中で見たものではないことは確かなので、直ぐにPCに書き込んだ。
記憶力が衰えて直ぐに忘れることが多くなっているが、緊張感が足りないのだろう。
朝飯を済ませて家の周りを歩くが、このところの雨で草が伸び放題に成っている。
草刈をしないまま残していると、キスゲやホタルブクロが咲いているのだ。
今月の末には集落挙げての道普請があり、草が刈られてしまう。
花がさいていても構わず、エンジン付草刈機を振り回すので残念だ。
俺がやるときにも充分に注意して花は残すようにするが・・・・・
振り向きざまにジョンッと切れてしまうことがある。
午前中に友人STさんが庭の梅が収穫できたと届けてくれた。
今年は梅酢作りをしてみたいと計画している。

午後からは「たてしな歴史研究会」の定例会があり、町内の津金寺へ出かける。
http://www.janis.or.jp/users/tuganeji/
午後2時に町公民館に集合して17名が参加してくれたので嬉しい。
26名の会員のうち半分以上が参加してくれているのが、学習会ばかりではなく町内の名所旧跡を見聞するのが良いという。
各自の車で津金寺まで移動した。
この寺は「宮城の萩」が境内に多く植えられ手入れ、既に赤い花が咲きだしている。
この寺は、大宝2年(702)大和薬師寺の僧行基により、聖観音を安置し、仏教敷衍・修学の場としてこの寺が開かれた記録があるとのこと。
矢崎大悟和尚の滑らかな解説にリズムがあり、歴史的な仏教伝来の様相が想い浮かばれる。
戦国の武将に翻弄された寺の品格も徳川の時代に入り落ち着きを戻したようだ。
普段では内部まで見ることができない「妙見堂」に入ることができたの嬉しい。
普段は外側の鞘堂(さやどう)の格子の間から中を覗くのだだが、正面や天井部分は見えない。
http://www.town.tateshina.nagano.jp/b03_gyousei/12_kyouiku/mybunka/20/20.html
妙見堂は彫刻が素晴らしく、隙間を埋め尽くすように立川流の彫刻が施されている。
彫り物は中国渡来の動植物や空想の竜が生きているかのように柱に纏わり付いているのがすごい。
あっと云う間の二時間だったが有意義な催しだった。

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式部の紫と白 趣のある花だ

2007年07月20日 | 日記
7月20日(金)曇り 午後 一時雨 曇り
夕べの続きで朝起きても寒いくらいだ。
東に向いた洗面所の窓を開けてみると、冷たい風がサット全身を冷やすような気がした。
寝起きは悪くないと自負しているが、なぜか疲れている。
蓄積疲労を回復させるには、夜の12時前に眠ることが大切だと教えられた。
何をするでもないが、思いつくまま疑問に感じているものを知らば始めると直ぐに25時を過ぎてしまうのだ。
夢中になって本を開き、ネットで探していると睡魔が襲ってくるときは良いのだが・・・
好奇心が迎合しているものとなると時間を関係なく捜し求めてしまうのだ・・・・
夕べも寝たのが25時半くらいだった。
遅寝早起きだけは、昔とった杵柄 とはいかないようだ。

午前中は“たてしなエコ・クラブ”のパンフの印刷に費やされてしまった。
このパンフも既に50枚くらいは印刷しているが、賛同者がどのくらいになっているのかはわからない。
エコを意識し始めてから、何が変わったかのかと言えば食器洗いの洗剤の使いかた、水等だが・・・
果たして地球温暖化に対してどのように貢献しているかなどは難しい問題だと思う。
具体的に生ゴミを町の収集車に乗せることはせず、自らの手で堆肥にして、それを畑の肥料とする。
これは確かに幾つかの経過を経て温暖化抑止となっているかもしれない・・・
そんな、小さなことで良いのだろう・・・
エコは不可能な生活形態の人から言わせればエゴに聞こえるようだ。

昼をとっくに過ぎた頃にMが童謡唱歌の会から戻った。
今日は「芭蕉布」の唄を謳ったようだ。
「芭蕉の木」と云うのは俺が幼い頃に、近所の家の庭にあり大きな葉が風にゆれる姿が異国情緒を持っていたように覚えている。この木にバナナがなるという信じられない木だった。
遅い昼飯を済ませてから外にでて、庭を一回りする。
下の庭におりる階段の脇に紫式部と白式部の花が咲いている。
秋には丸い実をつけて自己表現をするが、花はあまり人目につかないで終わってしまう。
静かな花だが近くに寄って見ると、華やかな咲き方で平安の栄華な姿を偲ばせる。
扇子を広げたように小さな花を並べているのが趣がある。

夜は中央公民館で開かれた「男女共同参画」(女性議員4名を迎えて)と云うテーマの集会に参加した。
3名の新人女性議員と1名の2期目で社会文教委員長が出席したが、男性は僅かに俺とTさん、公民館のS氏の三人だった。
推進委員では男性が2名で議事進行と書記をやってくれた。
会の内容は新人議員からみた役場の男女共同参画が未発達であることを話された。
俺自身からも役場では今でもお茶汲みを女性がやっていることが不自然であり、職場内ではお茶は給茶機でやれば良いと思っている。
蓼科山中腹美女下地区で産業廃棄物処理業者が土地を求めていて、地権者が手放す状況にあることが話された。
このことで議員たるもの、町民に対して情報の公開を進んでしなければならないことが求められた。
社会文教委員長であるK議員の控えめの発言には厳しい意見が発せられた。
この町が女性の力により守り作られていく片鱗を垣間見た思いだ。
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いろ鮮やかな昼飯は嬉しい

2007年07月19日 | 講座受講
7月19日(木)曇り 晴れはないが暑い 曇り
8時40分に家を出て佐久市野沢会館へ向かった。
JA佐久浅間が主催する「元気塾」へ出かける。
この会場「野沢会館」は佐久総合病院へ行くときに前を通っていたので知ってはいた怪しい建物だった。
何となく「く」の字と云うか道路や駐車場に対して正しくないのだ。
駐車所へ車を置いて建物へ向かうと、やはり戸惑う?
入り口が沢山ある。
とりあえず正面の入り口を入り2階への階段に向かうと広い、広い階段があるが中がガラアンとしているし暗いのだ。
佐久広域~とある看板の入り口を入るとサラリーマン風の人が出てきた。
「元気塾」で来た旨を伝えるが『知らない』と云う。
仕方なく表へ出てみると、仲間らしきご婦人がいたので聞くと右側の建物だという。
この建物は昔々、野沢地区イヤ野辺山方面までを含めたスーパーマーケットで「リッチランド」と言ったそうだ。
佐久平ができてからは閑古鳥が啼いて、その後は佐久市などが使っているようだ。

今日の「元気塾」は『料理の実習と講義』でJA生活部の福祉課・保科紀美子管理栄養士の指導がある。
7名の班が5つできて其々が調理実習をすることとなる。
初めて会う昔のお嬢さま方との調理実習は少々緊張するが、講義の中でだんだんと打ち解けてきた。
今日の講義は『ナトリュウムとカリュウムのバランスについて』だった。
これは、俺が昨年入院した病名が「下垂体ホルモン低ナトリウム欠症」だったので
良い勉強になる。
カリュウムを多く摂ることが汗をかく夏場の大切なことだと力説している。
カリュウムが多く含まれている食料は多い順から昆布、国産大豆、トマトジュース、サツマイモ、干ひじき、アボガドだそうだ。
俺の好きな食べ物ばかりなので嬉しいし、この一年間良く口にしてきたものばかりだ。

講義のあとは隣の調理室で実習が始まった。
調理のグループ講習では、洗う・切る・刻む・炒める・煮る・・・・・片付ける
流石に大ベテランの主婦が多いためにあっという間に料理が出来上がった。
次には盛り付けだが、グループによって趣が違うのか愉快だ。
洋風スープだからスープ・カップ、イヤ 量があるからお椀だとから、ゴハンは梅酢寿司だから平らなサラ、イヤ、シソやミョウガが入っているからどんぶりで と・・・・
喧々諤々なのが楽しい。
添えのゴーヤのゴマ和え、主菜はささみのくず打ちしたものに蒸しナス・オクラ・トマト・アオジソときれいな彩だった。

試食を済ませ片付けを終えて午後1時少し前に、解散となった。
満腹状態で少々リッチな気分の講座だった。
帰りに佐久総合病院で再採血を瞬間的に済ませたが、満腹状態でのサイケツは正しいのだろうか?
コメント (1)
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カレープラントは香りも花の色も名前のとおりだ

2007年07月18日 | 日記
7月18日(水)曇り 涼しい風 寒いくらいの一日だった
6時半に全員起床!!
愛息Salaは起きだす時にベッドに飛び込んでくるが、後は鼾をかき直ぐに寝込んでいる。
パートナーMは町の「食生活改善委員会」とかで、町役場のバスで小布施町へ研修に行くという。
俺は予定では観郷ウオーキングで大滝村へ行くことになっていた。
しかし、明日の予定が有るので申し訳ないがキャンセルをさせてもらった。
Mは8時には家を出ていた。

午前中はPCに向かい昨晩の“たてしなエコ・クラブ”の記録をつけたり、メールのチェックをしていた。
メールを開かないまま置いておいたものが相当貯まっている。
ど~でも良いと思っていたわけではないが、時間差で開き忘れていたものを整理し返信したりした。
気がつけば、とっくに昼の時間が過ぎていた。
昼飯は何を食べようかた冷蔵庫を漁り、次に冷凍庫の扉をあけるとシンプルな冷凍ラーメンがあった。
スープだけが付いている麺でレシピどおりにつくる・・・・
そこで思いついたのがレタスだ、レタスと云うよりもサンチュのチジレ葉モードのものをたっぷりと入れた。
これは畑に行けばまだまだ沢山生えていて、旬を越したものなど早く食べないと無駄になる。
ラーメンどんぶりの内側に綺麗に一巡するように並べて、そこへスープと麺を注ぎ込んだ。
少しだけ癖が有るチジレ葉レタスだが美味い!!

食後の休憩をとってから外へ出た。
北側の石積みに咲く花を東から西へ写真に撮りながら進むと、真ん中くらいに“カレープラント”がやっと花を咲かせていた。
昨年は咲くのを見ることができなかったので、初めてカメラに収めることが出来る。
この植物はは真冬でもシルバーの針状の葉をピントさせて、、手で触れると懐かしい香りがするのだ。
カレーの臭いと云うがそれだけではなく、スイスのチョコレートの香料になったり、クッキーの香り浸けにもなっている。
花はどのように咲くのか楽しみだったが、花びらは短く額が砲弾型になっている。
風が有るので写真を撮るのが難しい。

Mは6時少し前に帰ってきた。
小布施の町を見てオープンガーデンという嗜好で町が住宅の庭のパンフレットを作り開放している。
そこでは、お土産の品を販売していて、同行した人たちは必ずと云って良いほど買い物をするそうだ。
立科町は観光客が里へ来てもお金を落としてくれる場所がない。
お土産品はどこでも同じようなものを売っているのだから・・・如何なものだろうか!!

コメント (2)
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