田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

事態は深刻か それとも一過性なのか 低血糖を考える

2011年11月30日 | 日記

11月30日(水) 曇り  異常な暖かさ 

月末の水曜日、毎度のことながらS総合病院へ向かった。何時もと少しだけ違うのは一週間前の水曜日が休みだったために病院は患者で混み合うということから、予約時間が1時間早くなっている。

眼科の窓口にカードを入れたのは5分過ぎていた。ここに来る前に外来処置室で採血をしたが予想以上に時間が掛かってしまった。この後はカバンに入れてきた本を読むことに没頭すればどんなに待たされてもよい。視力と眼圧などの予備検査をしてから診察になったが、医者は眼圧が高いと云う。前回は9と8、今回は15と14、この一ヶ月は新しい目薬を使いはじめたがそれが影響してるのではないだろうか?

医者の診断より俺が先に決めつけてはいけないが ・ ・ ・

「時系列になっていない予約診察進行表」  

眼科の次は注射を打って、内科では何時ものように、予約時間から2時間待ちで診察になる。眼科で待つ間に採血で血糖値が異常に低いので「何か食べてください」と看護婦さんが伝えに来た。しかし、何時もと同じように朝飯を摂っているし、原因と云うか因果関係が判らないまま対処をしてもと、何も食べることなく待っていた。

内科の医師と向き合いやっと血糖値のことを聞いた。血糖値の下がったのは今回が初めてのこと、いままで毎月の検査では異常はなかった。この下がり方が激しいので追跡調査が必要だと云う。血糖値が“52”では一般的に身体を維持できないそうだ。病名は?ときくとこのままで行けば「甲状腺機能低下症」から「バセドー氏病や橋本病と云うのもある云う。要するにこのまま放置すれば「身体がだるくなり動けなくなる」と云う。

このところ頭の回転が鈍い

心では旅行に行きたいと思うのに足が向かない

今日の検査を踏まえ明日を愉しくしよう 

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11月も明日で終わり 暖かい一日 のんびり過ごす

2011年11月29日 | 日記

11月29日(火) 曇り 温かな一日 夜は僅かに風が冷たく感じる

今朝も曇が厚くはりつき朝陽は届かない。昨日と比べる意味はないが、今朝の方が太陽が顔をだそうとする素振りは窺えた。浅間連峰をはじめ遠く群馬の山々も霞んではいるが見える。どうってことはない毎日の景色だが窓を開けると暖かく感じる。ムッとするような湿り気ではなく、晩秋の落ち葉の重なる匂いがする。  

 

いつもと変わらずに朝飯の支度はMが、片付けと洗い物は俺の役となる分業。二日おきくらいに伴う生ゴミを段ボールコンポストに入れる作業。今朝もプラケース(弁当箱形のタッパー)に入った二日分の生ゴミを持って段ボールの覆いをはずす。日曜日に入れた生ゴミは栄養価が高かったのか温度計は55℃を指していた. 

生ゴミの処理は、俺の趣味的なモノとされ、生ゴミ以外にも冷蔵庫の底からでてきた基の形が判らないものや、冷凍庫で嫌な匂いが付いてしまった食材などが窓から引き渡されることがある。

兎に角、人様が口に入れることができずに生ゴミとされた食材はこの段ボールの中へ入る。投入した生ゴミに米ヌカを混ぜ合わせ、更に基材(腐葉土+米ヌカ)と攪拌し、平らに均して作業を終える。10分くらいのものだろうか。これで町のゴミ焼却場へ運ばなくても生ゴミは処理できるし、最終的には畑の高濃度の肥料になるのだから止められない。

今日の生ゴミコンポスト続きは→ http://garbageate.exblog.jp/16887149/

 午前中はボランティア団体の後期事業の実施計画など目を通しつつのんびりと過ごすことに専念した。

遅めの昼飯を摂ってから外にでると朝よりも暖かい。今にも太陽が顔を出すのではと思わせ振りに曇が縞模様に薄くなっている。畑の脇のタンポポは先週末の強い霜に直立していた軸がやられ、種を飛ばす羽毛は枯れ葉に助けられて地面から僅かに浮いていた。

秋の深まる前に花の命を終えたキチジョウソウ。急に強い寒気に曝されたためか肉厚の花びらが枯れ葉色になっていた。いつもなら今頃は緑の種を着けているのだが ・ ・ ・  

少し前には裏山との境の土手に黄色い花を沢山見せてくれたヤクシソウ(薬師草)、強い霜にあたり花柄から綿毛をだして風に揺られている。この姿になっても時たまホバリングの名手ヒラタアブがきていた。タンポポの花にはきている姿を見るが、彼は越冬するのだろうか? 

今日きのう 空はかわらず 日乃出なく 霜月晦日 少しのんびり(哉)  

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脱原発を学ぶ 《原発?ほんまかいな》

2011年11月27日 | 日記

11月27日(日) 曇り   陽射しはほとんどないが 温かな一日

昨日、今日と朝からチェンソーの音がすり鉢状の集落に響き渡っている。町の施策で獣から農業被害を防ごうということで、鹿除けネットを集落の取り巻く山の中腹に張り巡らすと事業が始まった。

午後1時30分から“たてしなエコ・クラブ”の脱原発の学習会が開かれた。案内をだした会員は70名だが、参加した人は少なかった。何時もは半数くらいがあつまり、それに新たに来てくれる人も含めると賑やかになる。

しかし、今日は肝心のDVDを見た後の話し合いに残ってくれた人は更に人数が少なくなった。他の行事があるのか?それもと課題が重いのだろうか?原発のない県民だから言えることも、云わなくてはならないこともあるだろう。

集まった人からの意見は自分が今できることをやっていこうと言う姿勢が観られ、それぞれ小さなことながら連携して繋げることが大切だと云う。原発の必要性はどこにあるのか?原発でなければできないことは?様々な見方を比べながら話題が尽きないのが良かった。

話し合いに先立って皆で観たDVDは“原発?ほんまかいな”と云う関西系の言葉で軽妙洒脱な切り口上で原発とは何かを解説してくれる。映像も言葉も分かりやすく短時間にまとめてくれているのがよかった。

http://www.parc-jp.org/video/sakuhin/genpatsu.html

会場に用意した椅子は50脚半数くらいが埋まったので充分活動の意義がある。告発DVDにあるどぎつさと反体制のあくの強さはなく今や日本人の一般的な会話の中にでてくる『ナゼ』を見つけ出してくれた。

 

しかし、この問題は一つ見つけるとその次、

更にその先と探りたくなる

己の生活のに基づいた脱原発を心して行くことにしよう

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やらず会コンサート 弦楽器の音色が素敵と云う 

2011年11月26日 | 日記

11月26日(土) 晴れ   強い霜 風もなく温かな日中

10日前、このブログに載せたコンサートの日になった。8時30分に公民館に集合の号令が掛かっていたので会場に行くと既に調律師も来ていてピアノを移動するところだった。

午前中はあたふたと準備をしてお客さんが来だしたのは午後1時を廻ったころ、開場にはまだ30分もあるが町内いつも見る顔だし会場も馴染みの公民館ということで好きなところに荷物を置いて三々五々塊になって雑談に耽っている。

この手の演奏会はチケットが捌けないのが悩みの種と、実際に集計した数の椅子110脚を並べてある。

ところが ・ ・ ・ 開演間近になると続々と当日券を求める人が入ってくる。慌てて椅子を30脚並べて会場一杯迄に広がった。

演奏はピアノ・バイオリン・チェロの三重奏で始まり、次はピアノ連弾となった。メインのピアニストのお嬢さんと云う母娘の連弾、息も合いアニメの主題歌やゆるい系の5曲が演奏された。会場には子どもが多く、彼らが知っている曲が流れると真剣なまなざしで聴き入っているのが見えた。

後半はハイドンとベートーベンのピアノトリオだが、演奏者自ら曲目解説をしてからの演奏、聴き入る人たちも曲のイメージどおりに流れるリズムにコックリする人は皆無だった。

二つ目の曲が終わると、会場に来ている子が花娘となり花束を贈呈の後アンコール。やらず会20周年コンサートも目出たくお開きとなった。

兎角、このような演奏会は主催者が赤字を背負い込むのが多いのだが、毎回のことだが可能な限り会員の手作りで行われた。大勢のお客様に来ていただき、会場も満席になったことと一様に帰りには“弦楽器の音色が素敵”との声が聞こえた。

正面の墨書はM氏のボランティア、譜面台やピアノ椅子も公民館のものでは足りないモノはリースではなく会員が家から持ち寄るのが常になっている。

準備で一番金の掛かる舞台の花、コンサートホールなどでは舞台上に花を飾ることはしなくなっているが、やらず会のコンサートや落語会では常設ものだし、それを見に来る人もいる。花を生けるのは会員ながら普段は仕事としてやっている。

 一番の課題

今日の売り上げで全ての経費が賄えたかがキニナルところ

会計主任Rさんの話では安心していいんじゃない ・ ・ ・

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ストーブの暖かさ 自らの薪集めの成果

2011年11月25日 | 日記

11月25日(金) 晴れ   快晴  冷たい風  夕方には寒さが厳しくなる

今朝は6時半過ぎに玄関のチャイムがなった。その前に車の止まる音に続いてバッタンと云うドアが閉まる音がしたので、新聞配達でもないし誰だろうかと玄関に行くと、コンサートの横断幕をお願いしていた書家M氏だった。模造紙四枚をつなげた紙に太い字で書いてあるので裏側からも覗えた。昨日、M氏は留守だったので明日採りに来ると云ったのに申し訳ない。彼は7時から研修で出かけると云う。

家の中から外を見ると木々の枝の揺れも、草も風に靡くこともない温かそうだ。少しだけ散歩にと外にでると風は冷たい。昨日の激しい風で白樺もヤマボウシもモミジも全て葉を一枚も残さずに冬の姿に変わった。地面に近いところでは錦木の葉も常緑のウツギに守られたのか僅かに秋の風情を見せていた。

庭の先端ではシュウメイ菊の花坊主がこの所の寒さで種を飛ばすように促されたらしい。丸い花柄が膨らみ中から綿がでてその中に種が潜んでいる。

 

眩しい太陽の光を受けて時たま通り抜ける風に身を任せる。風を読んでタイミングを掴もうとする生き物のようだ。近くで見上げるように見ていると吹き下ろす風で俺の顔めがけて綿が飛んでくる。冬の庭は花が少ない季節、このシュウメイ菊の種を包む綿が開くと白い花が咲いたように見える。毎年花が終わっても残し、種が飛ぶ姿までを見届けて斬るようにしている。

3時過ぎに公民館に行き明日のコンサート会場の確認をした。しかし、演奏会場しか借りてなく控え室などをお願いした。また、演奏者の使う姿見などを社協から借りて控え室になる部屋へ移した。

1時間くらいで作業を終えて家に戻ると、太陽もだいぶ西に傾き東の上州の山々を照らす。ここからは上州の荒船山、冑岩山と光の影でいろいろな形に見えるのが楽しい。風はだいぶ冷たくなり明日の朝は冷え込みそうだ。

 

夕方早くからストーブに細めの薪を詰め込んで一気に燃え上がらせた。空気口を広く開けて酸素の供給を増やす。やがて煙突の付け根に着けてある温度計は400℃近くまで上昇したところで空気口を遮断する。

寒かった部屋も数分で暖まり、あとは3時間に一本薪を入れる程度で室温は20℃を保ってくれる。まだまだ寒さが厳しくなるが、ストーブのありがたさと共に、何時までも自分で薪を集められるか考える。

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インディアン サマー それほどではないが温かな初冬

2011年11月24日 | 日記

11月24日(木) 晴れ  強風   午後には穏やかで温かい

目覚めると直ぐに目に入るのが浅間山、すぐ近くにあるわけではないのだが、その点は人の目は思うがままに引き寄せてくれる。

東京にいたときは西に富士山が見えると安心するし、富士山が見えなくても武蔵野市あたりから西に向かう幹線道路からは大岳山が正面に見えると安心した。

信州のここ、立科町の西部に住んでからは蓼科山が町の山と云うことを知った。土地を決めて家を建て始めると訪れる人は“ロケーションが好いネ 北に烏帽子 ・ ・ ・ 浅間とつづけ東の荒船山”と山の名前を云ってから、必ず「蓼科山はここからは見えないんだ」と残念そうに云った。

今朝の浅間は黒い曇に被われていたがやがて頂上が見えるようになると雪が舞っている。浅間が三回雪を冠ぶると里に雪が来ることは先日も書いたが、今日の雪模様は薄化粧にもとどかない、粉をはたいた程度だ。

 

昨日の夜から強い風が吹いて朝まで騒ぎ立てていた。陽が昇っても相変わらずの風は木々の葉を散らしている。家の中から見ていると如何にも寒そうで北西の厳しい風と思わせた。

朝飯を片付けて、生ゴミを4日ぶりに段ボールコンポストに投入するのに、上着を一枚着込んで外に出ると寒くない。やはり日本海側は低気圧で荒れていることから南からの風が入っているようだ。段ボールで生ゴミを堆肥化するには余り厳しい寒さでは微生物が活動しなくなるので、寒さに合わせて外側を囲うもう一つ大きな段ボールを用意している。外気温は7℃くらいだが、段ボールの中は25℃を示していた。

浅間を被う厚い雲が流れてきて太陽の光を隠すと、急に冷たい風を感じる。俺が上着を一枚着込んだのを北風が見ていたようだ。

午後は机の上に重なり合っているファイルを片付けた。9月には夏にたまった資料をファイルしたのを覚えているがそれ以来積み上げたままだ。資料を整理するのと整頓をするのとでは違うことに拘ると、ファイルするためにはどうしても一時ファイルが必要になる。そのときは大切と思っても再び広げることはない資料が多い。ならば、スキャナーで読み込んでペーパーレスの生活などと思うと閉じようとした物はまた重ねて置くようになる。   

4時を過ぎてから土曜日のコンサートに使う横断幕の墨書を頼んであるので受け取りに出かけた。ところが、俺が模造紙を4枚貼り合わせた5m弱のものを届けたので、太い毛筆で書いたため乾いていないと云う。書家の墨書を汚してはいけないので明日の夕方出直すことにした。

薄紅の 曇にあわせる 夕浅間 (哉)

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香蕎麦 牛に惹かれて 布引登山

2011年11月23日 | 日記

11月23日(水) 晴れ   温かい  午後から 曇が広がる

小諸からの帰り、いつもは前を通り過ごしている「布引山 釈尊寺(布引観音)」立ち寄ってみようということで急停車。車から降りて見上げると頂上は遙か上、観音堂があるところまでどうやって登るのか?

案内板を軽く読み流して岩を削った石段を進む。樹木には黄葉した葉だけが僅かに残っていた。階段は落ち葉がしっかりとたまり、脇見をすれば直ぐに濡れ落ち葉に足をすくわれそうだ。

大きく岩が張りだしたところで登ってきた道を振り向くと、黒々とした樹木が霞幕のように後方の浅間山を見せている。この参道は岩をくり抜いたり、九十九折りに急勾配の登りになっている。角々には地蔵尊が多く、江戸中期に奉納され、参拝者の往来を見守っていた。

大きな伽藍のあるところへ登り着くと地面は石から土に変わっている。いままでの急勾配がウソのように車が止まっているのには興ざめしてしまった。伽藍の正面には大きな観音像だろうか?木彫りの象が立っている。脇の板壁には「布引」の由来が書いてあり、“牛に引かれて善光寺”の発祥の地だと謳っている。

小諸市観光協会http://kusabue.jp/nunobiki1.html

この先は切り立った岩を削って階段状の道を作ってあり、江戸時代に作られたのだろう。

細い道の突き当たりは朱に塗られた観音堂に着くが、本尊が祭られているのは更に奥の暗いところ。この観音堂は崖から突き出ていて、欄干まで行くには勇気がいる。ここから眺める伽藍(寺務所)がよく見えるし、晴れていれば蓼科山も見えるのではないだろうか。

 

帰りは登りよりも怖い急斜面になる。石段も高さがあり、片足を降ろす靴の底が届くまでに転びそうになる。ゆっくりと景色を楽しみながら散策には丁度よい距離だろう。詳しくは下記サイトをご覧ください。http://www.city.komoro.nagano.jp/www/contents/1248916342456/index.html

布引観音に偶然に立ち寄ったが今日、出かけた目的は他にあった。20日の日曜、今年の毎月行った国道142号線のゴミ拾いの先導役三人の企画だ。仲間を増やして新蕎麦を食う会とすることだったが、日程も急、行き先も侭ならず、前日の募集に反応して呉れる人はいなかった。

っと云うわけで、「ゴミを無くす暮らしを考える会」会長、「きくだけ会」の会長、それに俺だ。

蕎麦屋は小諸の井泉庵でした。

お勧めデス http://happytown.orahoo.com/seisenan/

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師走の前の庭仕事 剪定、枝降ろし そして伐採

2011年11月22日 | 日記

11月22日(火) 晴れ  今年一番の冷え込み  冷たい風 

今朝はこの冬一番の冷え込みになった。畑の青梗菜も庭の錦木も葉一面に霜を魅せている。葉の縁は氷が棘のように張りだし朝日を受けて光っていた。

太陽光パネルも一面白く被われているが、陽が当たり出すと霜が溶ける。これから3月まで毎日のようにこの寒さの中過ごすことになる。

朝飯を摂ってからメールの確認など済ませて、庭仕事にでた。北側の壁に掛けてる温度計を見ると最低温度は-3℃を記録し、午前9時30分の温度は+3℃を示していた。

庭仕事は梅の木とナツツバキ(沙羅)の剪定から始めた。ウメは蕾を持っている枝を切るのは惜しくなる。沙羅の木は蘖が大きくなりすぎてジャマになっている。先ずは細いものから斬るのだが、剪定と云うよりは枝おろしになった。

 

大内道沿いの白樺は電線に絡まるまでに大きくなってしまった。この枝を切りたいが、電線は低いところからケーブルテレビ、電話線、中部電力となっている。斬った枝が垂直に下に落ちればよいのだが、少しでも外側に膨らむように倒れると大事になりそうだ。

白樺の枝落としは後日に廻すことにしてムラサキシキブの枝を落としていると先端には未だ女郎蜘蛛が巣を張っていた。今朝の寒さで昇天しているのでは?と思い手を近づけると動いた。この寒さに耐えるには相当の獲物が必要だろう。

昼飯を摂ったあとは暫しの休憩で陽の当たる草むらを歩くとヒメジオンと思うがこの時期でも未だ花を開こうとしている。この可憐な姿が好きだ。

午後は太陽光の西側に植えたコブシが大きくなりすぎたので攻めた。高さも低くしたが切り下ろした枝には花芽が沢山着いている。可愛そうに思うが、この可愛そうで大きくなりすぎてしまったのだ。

一段落して時計を見ると二時を過ぎている。オヤツに焼き芋を作ろうと用意していたので、二枚重ねの新聞紙で包みそれを水を張ったバケツに入れた。しっかりと水を含ませてからアルミホイルで包み、焚き火の中央を凹ませてそこに入れた。

辺りを片付けている間に焼き芋はできあがった。Mが帰って来てからと待っていたが暗くなるし、寒くなってきた。ラジオの天気予報のとおり上空には湿り気のある空気が入り込んでいるのか、西陽が当たる浅間はヤケに赤く見える。空全体が夕焼け ・ ・ ・ この時期にはよく見られる夕景だ。

焼き芋は冷めてしまうが新聞紙に包んだ ・ ・ ・

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「ふじさわTOMATO」和菓子だと云う キュートな美味しさ

2011年11月21日 | 日記

11月21日(月) 晴れ 風は冷たいが爽やか 心地よい一日

俺好みの朝の景色、陽の出前の瞬間的なものだが浅間の麓の上と下の空気の違いはこの頃から楽しさを倍加させてくれる。曇が全くなくなても良くないし、曇が在りすぎてもよろしくない。また、隣の集落で点灯している街路灯が五つ星に見えるのもよい。

 

集落に朝陽が届く頃には浅間の頂は暖まった空気のためかぼんやりとしてくる。

一昨日の雨と昨日の雨で浅間山は二度目の冠雪となった。次に雪に被われると里にも雪が来ると云われている。冬の準備を終わらせなければならないが、来月まで雪は待って欲しい。

10時から町活センター広報誌の印刷と発送の準備をする予定になっているが少し早くいくと、印刷室では老人会女性部の役員が明日の会合で使う“手づくな”の準備をしていた。和紙を使って人形を作り、それが楊枝入れになるそうだ。 

10時を過ぎころに町活センターのスタッフが揃い、印刷を済ませ約50団体に送る発送の準備をした。経費を掛けないために封筒は最再利用することで作業所にお願いした。 

午後は男女共同参画のセミナーが開かれた。常々言葉使いや人と接するときには注意をしているが、このようなセミナーを受けることで新たに気がつくことがある。特に外国人は言葉が理解できないことで不快感を持たれることもあるだろう。同世代の付き合いでも高齢化による個人差から失礼な言葉を使うようなことになるかも知れない。講座は「啐啄の木」と題して、人が幸せになる切っ掛けを探るものだった。講師は長野県教育委員・庄村 道夫さん、東日本の震災から外国人差別など身近に起こり得る話は聞きやすく、2時間が短く感じるほどだった。 

帰りには友人が別荘に来ているので立ち寄り少しだけ話をした。彼らは神奈川県藤沢から来ている。そこでは最近トマトを使った和菓子を作ったそうだ。“まちおこし” の一環で試作したのを頂いた。パッケージはかわいらしく色の取り合わせもよい。

プラのケースに入っていて、白い部分は豆乳にトマトを練り込み、大納言を散りばめてある。その表面には5mm厚くらいのゼラチンで固めたトマトが被せてある。ザラザラ感はなくトマトの味がしっかりと感じられる優れものだろう。色からしても冬の菓子としても充分に魅力がある。

http://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/kouhou/khf111110/sisei05.html 

パッケージにある「ふじさわTOMATOができるまで」には大正5年からトマトの栽培が始まったそうだ。また、この菓子を作るのに、構想3年、製造120分と記されている。ご当地商品を作るのには食材も必要だが、アイディアが一番だろう。

立科町も料理コンテストをしているが、持ち帰って貰えるもの、ネットで売れる美味な商品が出来るとうれしい。 

夜明けを浅間山で迎えたからと云うわけではないが、夕方の浅間は曇に被われていた。曇の上だけ西からの陽があたり僅かに染まっている。このときを境に釣瓶落としとはよく言ったものだ。

夕方には冷たい風 明日も快晴と報じてる

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キツネの嫁入り 子狐には読み聞かせが宝

2011年11月20日 | 日記

11月20日(日) 朝は晴れ 温かい風 午後 降ったり止んだり陽が射したり

8時には権現山駐車場へ到着、昨夜の雨も止み温かな空気に眩しく朝陽が射す。今年8回目の国道142号線のゴミ拾い、社会福祉協議会と町民活動センターの共同で開催している。今日は今年最後のゴミ拾いで何時ものように冷たい風に見舞われることを覚悟していたがラッキーな朝、集まった面々は毎回参加している顔なじみが揃った。

大凡2時間を掛けて中山道笠取峠頂上から権現山までのゴミ拾い。集まったゴミは90㍑袋で13袋と観光シーズンを終えたにしては上出来な少なさだろう。ゴミ袋とトングを持って歩いて来た道を振り返るとゴミの無い道路は気持ちが良い。詳しくは下記サイトをご覧下さい。http://blog.goo.ne.jp/cyoukatutowntateshi/e/089f78093ef8461898ee80992efacca1

ゴミ拾いのあとは家に戻り、明日印刷をするというボランティア集団「町民活動センター」会報の確認をした。TSさんが一手に編集を手がけて呉れるので助かっているが、俺が埋めるコーナーは未だ記事定まらない。センター事業の一つパソコン教室の日程を講師と打ち合わせができていない。今日の夕方会うことになっているので夜には全ての記事が埋まることになるだろう。

午後1時からは町の老人福祉センター集会室で「お話フェスティバル」が開かれるので出かけた。主催は参加グループの共同公演かと思っていたが、「長野県PTA親子読書推進の会」「県立図書館」となっていて、運営主体も「北佐久PTA親子読書推進の会」とされている。これらの団体の責任者が開会の挨拶は子ども中心なので短かったのがよかった。また、ご当地、立科町の町長、教育長共に所用があり欠席と云うことで挨拶文の代読となったが、町のお歴々何方か顔を見せて欲しかった。

「大型本の読み聞かせ」として「ふれあい朗読会」が絵本の朗読をした。流石ベテラン揃いかぶりつきの子どもたちはどんどん絵本ににじり寄って行くのが見えた。

絵本の読み聞かせの後は、宮城県の津波被害にあった小学生の作文が読まれた。11才の子が書いた文を84才の竹花初雄先生が読むのだが、まるでそこに、小学生がいるように聞こえたのが胸に迫った。メンバーが交代で数人の作文を読んだが皆さん感情を抑えた抑揚で、書いた子どもの気持ちが伝わってきた。朗読の素晴らしさを再認識した思いだ。

それぞれが20分くらいの出演だが子どもにはちょうど良い時間なのだろう。次の出演は「お話バスケット」この団体は町に伝わる民話を大型紙芝居にして既に7作品を作り公演している。今日は名刹「津金寺の仁王様」と題する紙芝居だった。擬音や音楽もしっかりと入り聞き取りやすい発声が子どもたちを引きつけていた。特に小学生には馴染みのあるお寺の話だったこともあり真剣に聞く様子が見えた。大人向けにも充分価値あるもので学ぶことができた。

最後は乳児から就学前の子どもを対象に毎月公民館で読み聞かせや、人形劇をやっている「ちゅーりっぷの会」が大きな舞台装置を使って“三匹の子豚”を上演した。数年前観たときとは格段の差で上達していたが、彼らは町の保育園の保母さんOGだそうだ。子どもたちも人形の動く姿に見入っていたが、挿入歌や台詞が全てスピーカーから出ていて、しかもボリュームがスゴい。子どもたちに音の大きさで脅かすようなことではまずいし、きれいな音、やさしい音の観念が必要だろう。余りにも耳に障るので後ろの壁に逃げたが音は追いかけてきた。

音に追われるようにして逃げ帰って来たわけではないが、家に戻る途中虹を見た。車のウインドーはワイパーを動かさないとキニナル程度の雨が降っている。東の浅間山の上空だけは曇が割れ青空が覗いていた。珍しく前掛け山の内側に陽が当たり何時もなら浅間山の引き立て役が主役に変わっていた。

日照雨 キツネ嫁入り 霜月二十日 (哉)

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たてしな歴史研究会 里の暮らし 町誌を読む

2011年11月19日 | 日記

11月19日(土)  雨 温かな気温 夜には止み 星空 やがて 霧

午前中はボランティア団体のパソコン教室の企画書を書きつつ明日、講師と打合せをする段取りを組んだ。ボランティアルームのネット回線を活用することとセキュリティーをしっかりとすることのバランスが難しさを感じる。

午後は「たてしな歴史研究会」の定例学習会、“町誌を読む”を仮題にした学習会が行われた。この町には平成7年から9年に掛けて5巻で構成されている町誌が発刊されている。歴史編上下、民俗編、自然編、年表となっており、これを全て読むことで町の昭和の時代迄のことはだいたい把握できる。 

今日は民俗編の人の一生、婚姻と云う部分から入った。記述されているいるのは平成初期に各集落で聞き取り調査をしたことを纏めたもので、記録を見ると昭和30年から40年に掛けてのことが多い。また、第二次世界大戦が終わった23年頃には婚姻が多かったようだ。また、そのころは車も少なく、ハイヤーも無いので遠方からはトラックで嫁を迎えに行った話など会員の自らの話が聞けてよかった。

俺は東京生まれで育ちも同じところなので、交通の便などは当時の立科町とは大分違った感覚があるのに驚いた。また、風習と云うか嫁は婚家に入るときは台所から入り、履いてきた草履の鼻緒を斬って屋根に投げたと云う。それを介添えするのは子どもの仕事だったと云う。また、結婚式も家で行うため2~3日は当たり前の相当な酒の量だったことが想像できた。

今日の講師は竹花初雄先生で、先生ご自身の結婚までの話など、趣ある話題で高齢化を迎えているが会員も大いに発言する機会が多く楽しい学習会となった。

残念なことは参加者が少なかったことがあるが、激しい雨では致し方ないだろうか。

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西からの低気圧 暖かさと不穏な曇が流れ込む

2011年11月18日 | 日記

11月18日(金) 晴れ   昼には曇が西から広がる 生温かな一日

朝から催促を受けていたボランティア団体の原稿をやっと送った。北側の部屋での作業は寒い。床暖を入れれば良いのだが、短時間で片が付く気で始めたのに終わったのは昼近くになってしまった。

来春の薪作りに備えて、背筋を伸ばすこと、外を歩くことを日課とするのを己に誓ったばかりだ。もう一つは公言できないが、大腿筋を鍛えるために歯磨きをしている間スクワットをすることもある。これが膝を前に出さないやり方だとキツい。いつまで続くかわからないが、この大腿筋は重いモノ持ち上げるには背筋と同じくらいに仕事をさせてくれる。

昼飯前に外へでると空が高い。白い曇が濃い空色に映えているのと、木の葉がほとんど散った初冬の空とでも云うのか空気が澄んで気持ちがよいが、西からの低気圧が入り込んでいるのか生暖かいのが気になる。

集落のKさん宅の屋敷内だが竹藪の中に見事に紅葉した樹がある。春には白い花を見せてくれ秋にはこの色だ。廻りの樹はほとんどが黄色く秋を魅せるのだが、この樹だけはピンクに近い紅葉を見せる。Kさんに何の木なのか聞いたことがあるが判らなかった。

庭の中央には今頃にアカツメクサが咲いている。その顎の部分は蝶の翅のような紋様がある。はじめは遅咲きのアサギマダラ!!と見間違えるほどだった。

ヒヨドリが騒がしく鳴いていた西の外れに行くとブルーベリーの残り実が3粒ほどあった。これはヒヨドリに食われることは無かったので、真ん中の大きめのを俺の口に放り込み噛むと渋い。歯に渋みが絡みついたまま大分たっても取れなかった。

昨日は寒さが厳しかったのでシキブの葉は全て枯れ落ちていまったようだ。紫と白の実がこんどは直接寒さにさらされることになる。この実は鳥は食べないことから毒でもあるのだろうか?

1時間近くブラブラしているとさっきまでの青空はすっかり曇に被われてしまった。予報では明日に雨が降ると云っているが、この様子だと今夜から降り始めるのだろうか?

庭の中央に網を張った女郎蜘蛛、寒さに当たり息絶えたのだろうか?蜘蛛の巣には餌食になった虫は跡形もなく、ただ枯れ葉が絡まって風に揺れていた。曇の前足の様子を見ても向きがおかしい。艶やかな紋様を見せたまま事切れるとは女郎の所以なのだろう。

夕方には浅間も噴煙を上げ黒い曇を押し上げたようだが、そこへ螺旋状に気流が入り込んだのか ・ ・ ・ 回転するような波が逆巻くように曇が流され、まるで津波のようだ。

夜は公民館で“やらず会”の会議、来週の土曜日にはコンサートとなる。譜面代、ピアノ椅子、看板書き ・ ・ ・ スタッフ不足の会。 

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コマッタコト 中途半端が所以 コンサートのことだが

2011年11月17日 | 日記

11月17日(木) 快晴   霜が強く降りる  日中は暖かい陽射し

このところ困ったことがある。今月の26日土曜日に開くコンサートのチケットが売れない。この演奏会は町の有志でつくる団体「やらず会」が主催するもので、会としても20周年の記念コンサートと名打っている。

「やらず会」は設立当初より音楽会と落語会を一年に一回づつ講演することが目的の会と聞いて、俺も5年前に誘われて会員になった。落語のチケットはそこそこ自分の持ち分ははけるのだが、音楽がいけない。音楽でもクラシックに対しては売るというよりは義理買いして貰うようなので気が引けるのだ。今回のようにチラシやポスターにNHK交響楽団メンバーと入っていると、チラシを見せただけで“オレ カタイノ ダメ”と云われる。曲目を見れば童謡メドレーやテレビのアニメのテーマだからと云っても拒否反応が先に立つ。また、反対にクラシックに造形の深い人を誘うと「どこでやるの? アノ ピアノを使うの??」こう言われるのも致し方ないのだが、そう言う彼はクラシックを聴きに東京まで毎月お出かけする人だと後に友人から聞かされた。

こうなるとボランティア精神旺盛な方が、「やらず会」のためにお金を払って聴衆になれと云わんばかりの売り方をしないとノルマは達成できない。あと9日あるのだから ・ ・ ・ 

(クリックで拡大します。コンサートの内容が書かれています。)

昼からは、社会福祉協議会の理事会が開かれた。今月で2年の任期が切れるが次期も継続することになった。

会議は災害支援ボランティアなどの補正予算の承認など事務的なことだったが、立科町の障がい者支援事業所の運営状況の報告があった。

この施設は4月に開設されながら事業も思った以上に充実している。受託加工、自主生産、農業生産、その他と分けても平均して充実している様子が覗えた。中でも自主生産部門ではストーブの薪を作り販売していることが顕著に表れていた。ストーブ関連では大手の長野総商がこういった福祉施設の商品を買い上げてくれているとこはありがたいことで、それを使うユーザーもエコと共に福祉に協力できることになる。

この施設「たてしなふれ愛園」は精神、身体、脳の障害を持った人が通う作業所、「対人」的なことでは非常に難しさがあるようだが、未だ半年の運営なのでこれから益々充実して、通所者にも社会にも有益な施設となることを願いたい。

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エプソンはそう云うこと  小さな散歩 浅間の初冠雪

2011年11月16日 | 日記

11月16日(水) 晴れ   快晴   霜も本格的になる 

エプソンプリンターの修理のことが中途半端な報告の侭になっていた。http://blog.goo.ne.jp/kana655969/e/102c4fac56e9980feb5b03b48975c54a

テンションが下がってしまったのは、次は他社と決めたからではなく、エプソンでは修理は中三日でドア ツー ドアとなっているし、二日目の昼過ぎには完了したが運送費の1570円を支払って貰えるかと問い合わせがあった。そう云うことなのでその日に発送してくれている物と思っていたが ・ ・ ・ 翌日、どうしても印刷をする必要があったが夕方出かけるまで印刷が出来なかったのだ。

結局届いたのは翌日の午前中だったが俺は出かけていたので、夕方に梱包を開けて故障の状況を確認した。問い合わせがあったときの原因は“ハガキの巻き付き”と聞いていたので、その点検の仕方の説明を観ると(写真)、俺が用紙カセットを引き抜いて手を差し込んでも、覗き込んでも紙が見えなかったことが判った。それはハガキが巻き付いていた手前にガードがあり、それを持ち上げなくては見えなかった のだ。この扱いは取説の『詰まった用紙の取り除き』の解説にないことも指摘したい。エプソンにしてみれば、《素人さんに其処まで書けばもっと壊されちゃうよ!! ヤメトキナ カクノワ》と云うことだろう。修理品に添付されてきた状況写真(下の写真)にもある手を差し入れて置くの棚を上に持ち上げますとこの言葉と写真を取説に書き加えて欲しい。

(クリックすると拡大します)

どういうことであっても、どんなモノでも修理を出す側と受ける側では必要度の感覚に差異が出ることは仕方がないが、使っている途中のものが壊れるということは困る。素人が使うプリンターが壊れても命に関わることでは無いのだろうが ・ ・ ・ エプソンさん 頼ンますヨ と云うことだった。

昼前に散歩で裏山へ行ってみた。相変わらずニホンアナグマが巣穴を掘り進めているようだ。奥は見えないが新しい土が掻き出されていた。見上げると高い木の葉はほとんど風で飛んでしまい低い木だけに秋色の葉が残っている。それも技からは風が吹くだけでハラハラと舞い落ちる葉がある。  

この冬までに太い樹を伐採することを予定しているが、辺りの葉が少なくなると彼らの幹は存在感を表した。自己主張と云うよりも数本の塊が俺を取り囲むように動くように感じた。斬るなと云うことなのだろうが、所詮は人が植えたモノから実生で生えてホッタラカシにされてきた樹だ。間伐は山にとっては必要なことと割り切ろう。 

地面では落ち葉が払われて獣道ができている。狸、ニホンアナグマ、キツネの通り道になっている。鹿は獣道以上に幅も広く段差のあるところは崩している。熊笹の中を縦横に歩き回っているのがこの季節になるとハッキリと分かる。

地面ではタンポポが花だけを葉に囲まれて開いていた。ここでもヒラタアブは唯一の栄養源として頻繁に通っている。 

山と畑の境、陽射しを受けるところには、インキ草が開けぬ蕾をもったまま残っている。廻りの葉は霜で色変わりをしているが、この蕾たちも近日中に花開くことなく終えることだろう。

昼には浅間を取り巻く雲海は消えていたが、朝の景色では雲海の上に頂上を白く見せていた。一瞬、雪に被われたように見えたが、昨日見せた噴煙といっしょに振りまかれた灰なのか、ネットで浅間の情報を見ると初冠雪だと云う。この淡雪も午後には消えて無くなっていた。 

 夜には「たてしな環境フェア2012」へ向けた集まりがある。今年はそれなりに成功したと思うが、当初の想いには至っていない。次回に向けた話は夢があってよろしい。 

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予定は未定 順延とは云うのも重なる

2011年11月15日 | 日記

11月15日(火)  晴れ  曇が多い 日中も気温は上がらなかった

天気予報では今朝は相当に冷え込むと報じていた。目覚めると東の窓からは曇しか見えない。空が明るくなるまではだいぶ間があった。

ゴミ出しに集落の中央まで行く頃には曇も割れ、太陽が照りはじめると空気が暖かくなるのを感じる。

 

昼は小諸で“新蕎麦の会”をヤルというので、それまでに頼まれ仕事を片付けて11時少し前に出かけた。家から1kmくらいでたところで携帯が鳴る。車を寄せて電話にでると今日は蕎麦を打つ都合で中止にしてくれと云う。仕方なく帰りに寄る処の予定を変更して午前中に済まさせて貰った。予定は未定と云うが余りにもドタキャンでは順延という言葉にどう反応してよいか迷うところだ。

昼過ぎに家に戻るとMはAlgoのトリミングに出かけるところだった。遅くなっての食事も残りモノのカレーにうどんを入れてみたが、出汁が和風でないのはいただけない。スパゲッティーにカレーを掛けるのもオツなものだが、スパイシーなカレーに饂飩、余りにもミスマッチで味覚障害になりそうだ。

昼飯のあとは土曜日に行われる「ダンボール式生ゴミ堆肥化」の講習会に使う段ボールを組み立てたり、腐葉土を計ったりしていると携帯がなる。またも順延にしたいと云う話だ。11月はいろいろな行事があり庭の植木も枝落としをしなければならない。結局、向こうから12月10日にして欲しいと云う。順延は気が乗らないと思うのは午前中も同じことで、組み立てた段ボールもガムテープを張る前だったのでまたお蔵入りとなる。予定は未定 ・ ・ ・ 

浅間山は何を怒っているのか解らないが昼から激しく噴煙を上げている。噴煙と云っても蒸気を吹き上げることだが、噴煙を上げてない浅間は静かな装いで活火山とは思えない表情をしているが、今日の様子では結構な“シュンカンユワカシキ”のようだ。

5時前にAlgoが戻って来たが、フードの着いた赤い服を買って貰ったようだ。彼はいままで服を着けたことがない。いつもSalaの服に齧り付いていたので欲しかったのだろう。しかし、Salaはオモシロくなさそうだ。こうして見るとこの二匹の生活もSalaは相当我慢している。Salaは先輩だからと云うわけではないだろうが、犬の5才の差は人間ではどのくらいになるのだろうか。

今日はオヤツも無かったのでSalaには少し大きなものをやるとAlgoは不満げにも自分の居場所で口の中に含んだまま固まっていた。

一日が中途半端で終わってしまった

 

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