田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

早朝の散歩 涼しさは中途半端

2012年07月31日 | 日記

7月31日(火)  晴れ    風が涼しい   夕方には冷たい風

このところ猛暑で朝を迎えていたが、太平洋上の台風の影響か涼しい風が流れ込んでいる。窓を細く開けると勢いよく風が舞い込むが、冷たく心地良いを通り越して寒く感じた。

太陽が高くなる前のプチ散歩、足下は朝露に濡れても良いように長靴を履いた。土手沿いを歩くと相変わらず鹿が集団で登ったところは草が剥がれ土が崩れている。近くで急に鳥がキイーと鋭い声を上げて飛び立ったので見ると“キイチゴ”が赤く熟していた。白い花を見たのは大分前だが、それから黄色い実を着けていたのも見て、既に赤くなり幾つかは啄まれたような跡があった。 近くでは冷え切った身体を陽の光で温めているのか?“ツバメシジミ”が翅を半開きにしてジッと動かない。レンズをぐっと近づけるとパッと舞い上がったが直ぐに降りて隣の葉に止まった。今度は翅を閉じたまま動かなくなった。尾羽のような細い飾り羽根が風に靡き左右に振れている。

一廻りをして白樺レストランに立ち寄ると“オオヒカゲ蝶”が一番乗りに来ていた。この蝶の翅は扇子の骨があるかのように縦の線が見えるが、翅を折りたたむわけではないだろうが 、光の加減で微妙にジグザグに見える。蝶たちの祖先の翅は鳥のように折りたたみ式になっていたののだろうか?

太古の時代、蝶の仲間は身体が大きく翅をパタパタ出来なかった。そのために今でもグライダーのように滑空するだけでなく、上昇気流を掴んで巧みに上空まで昇る。これが得意なのはミスジチョウの仲間、コミスジ、ホシミスジもイチモンジも皆、滑空が得意のようだ。

白樺レストランでぼんやりと辺りを眺めていたが、クロヒカゲ蝶が舞うくらいで他の蝶は見え来ない。コスモスが一つだけ花を開いている。“秋桜” と云うだけに夏の光に弱いのか、己の葉をグリーンカーテンに替えて涼んでいるように見える。

明日から八月

盆も過ぎると 涼しさも日常のものとなる 

信州の夏は短い

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生活パターンを整えて 思いの先走りだが

2012年07月31日 | 日記

7月30日(月) 晴れ  猛暑   午後には 雷曇と少しの雨

7月も残すところ2日、8月には本格的な夏と云う意識があるが、信州の夏は短い。このところ連続して湿度と気温が高い猛暑がつづき身体もバテ気味になっている。小中学生なら“規律正しい夏休みを過ごそうとなるのだが大人の俺には呼びかけてくれる人もいない。

午前中は昨日集落内を見回った道の補修が必要なところを地図に落とし、写真に説明文を添えて係りのところへ届けた。事務的なことは家の中でやるので涼しいのだが、草刈りが遅れてる。午後も3時になると涼しくなると想定して草刈りを開始したが暑い。畑の中は野菜やハーブを刈り取らないように鎌を使って手で刈った。あとはエンジンを呻らせて刈るのだが、この暑さのためかエンジンの調子がイマイチ揚がらない。

快晴だった空に雷が鳴りだしたら急に東にはニュードウ曇が高く登っている。草刈り機のエンジンを止めると回転刃の際で見えなかった黄色い花が顔をだした。クサノウも蕾と種と花を見せているが、春先から花を開き秋まで咲き続ける。夏の花として目立つのは房空木、ムラサキの小さな花を房状にして咲く。この花は蝶たちの夏の栄養源になるのか、いろいろな蝶がくる。俺が花を見上げているとアカタテハが小さな花に口吻を入れては次に移る。一つの花の蜜の量は少ないのだろう。

土手の草刈りを始めると、ニセアカシアの実生が繁茂しているには驚いた。今年の花が種になって地に落ちたものが芽吹いたものだ。その若い木に絡まって花を見せる“ヤイトバナ(灸花)”だが、本名はヘクソカズラと云い確かに花の香りとはほど遠い臭い匂いだ。この名を着けられたがために、あとから「早乙女花」とか「灸花」と呼んだのだろう。早乙女とは何が?と思うが、ヤイトとは灸を据えられた後の赤くなった状態を表したそうだ。名前は別にして夏の花としては土手の草や低木に絡んで咲く姿は美しい。

草刈りに疲れてしばし休憩をしていると道を隔てた畑の婆様も手を休め、強い雨で畑の土が流されてると云う。確かに畑の畝立てに沿って深い溝が出きている。畑を見廻していると雷鳴とともに雨が降り出した。婆様は雨の前にキュウリとナスを採らなくてはいけないが、いらねぇ~か?と云う。ヤルと云わずにいらねぇ~か?と云うのがよい。ありがたいことで直ぐに貰うと俺が云う前からナスを挟みで切って“ほれっ”って云いながら俺の方に投げてよこす。

 

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梅雨明けあとは 町を美しくする日

2012年07月30日 | 日記

7月29日 晴れ  湿り気が多い一日  夕方には雨

朝から集落全戸がでて集落中のゴミを拾ったり草刈りの大仕事。昨夜の大雨で、抜かるんで足場の悪い斜面の草刈りは難儀する。「町を美しくする日」と云うのは年3回、5月7月9月の日曜日、今月は22日だったが、皆の都合に合わせて今日になった。

田舎の環境は田圃があるということは水路が整備されている。その水路も土手が高く持ってあるところや、深く切り込んでいるところがあるが、この斜面の草刈りが難しい。昨夜は大雨が降り何時になく水量が多く音をたてて流れている。水路脇の斜面の草刈りは草や地面が濡れているときは特に注意が必要だ。俺なんぞは腰が引けて尻餅を着きそうになるが、そうなったらその体勢で川にドボンと落ちることになる。こう言う場所は若者に任せて上から見物となrが、彼らは刈払った草を見事に上に掻き上げる。水路に草を流しては云えないことを身体で覚えているようだ。

6時から始めて2時間半で綺麗になったところで解散。その後、俺を含めた集落の役員で、道路の補修の必要な箇所を見て廻った。また、昨夜の雨で立ち木の根が洗われて畑に倒れかかった樹木、山からの流れ出た水が更に、畑の土を流してしまったところ。これらを見て廻るのには昨年度実施した「鳥獣被害防止特措法」に基づく防護策で集落全体と云うか地域全体を囲ってある。このネットを出入りしながら畑や道路の見回りをする。山に分け入ると嘗ては畑だったところに姥ユリが咲いていた。

午前中は大汗をかいて集落を一廻り、宅地のあるところと違って歩き回るには足腰の鍛錬が必要だ。午後には昨日と同じような大雨警報がでて、雷がゴロゴロ言い出した。地区の会費を集めるのは雨が降る前にと大急ぎで一廻り ・ ・ ・ 暗くなる前に雨が降り出したが、昨日ほどではないことに一安心。

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甘い香りに包まれた 人参花のベッド

2012年07月27日 | 日記

7月27日(金)   晴れ   夏日   湿り気はあるが夏の陽射し

このところ忙しいと云ってはいけないが、畑は放りっぱなしになっていた。バジルも苗も梅雨明けとともにズンズンと大きくなり、ポットの下から根が張りだして早く定植をしろと云う。午前中の気温が高くならないうちに、先ずは草刈りから始めた。草を刈って軽く起こしてバジルの苗30本を植えた。あとは刈った草で土が乾燥から守ってくれることを託して苗の開いているところに敷き詰めた。

このような単純な作業なのに俺の腰は重い。予定ではバジルを植えた後はジャガイモの畝の草刈りを考えていた。しかし、この作業をしていると風にのって甘い香りが流れてくる。バジルの香りもあるが、隣のカモミールよりも更に甘い、人参の花だ。人参は収穫よりもこの花を楽しむことを目的としている。カメラを持って覗きに行くと、ルリチューレンジだろうか?幼虫はノイバラの葉を好んで食うと云う。 

 

 人参の花は濃厚な甘い香りを放ち、カミキリ虫やカメムシ、蜂や虻の仲間が沢山来ていた。目に入ったのは不思議な光景で、赤いヘイリグロベニカミキリの上に大きさは半分くらいしかない、クロトラカミキリが上に乗っている。しかも、赤いのは逃げるように歩き回っているが、小さなカミキリはそれでもしがみついているのが判る。見ているとどうやら交尾を迫っているようだが、種の違いでも交尾は可能なのだろうか?それとも余りにも人参の香りが濃厚な甘さのために狂ってしまったのかもしれない。

花の下の方を見るとトノサマバッタが俺の視線を避けるように人参の茎に姿を隠すように横に動く。彼の目つきからも恥ずかしがりと思えるようだ。人参の花に集まり虫は多いがカメ虫は少し前の初めの花の盛りに盛んに来ていた。今日も既に花が終わり種を持っていると花柄の下でペアリングで固まっていた。こうして見ると虫にもいろいろ事情があるのだろうが、この花の塊は香と好い、身を隠すにも情事にも好都合なのだろう。キンスジカミキリらしき虫は蜂なのかかみ切る虫なのか?種の保存を壊すような甘い香りも自然界では在りなのだろう。

人参の畝から離れると一番に西の崖のところまで来る。ここでは春にピンクの軽い花を見せて暮れた庭梅、今はリンゴのような小さな実を着けている。この隣にはボケの木があるが、そこには夏に姿を見せるセニンソウが白い花を開きだした。香も良いのだが、今は人参に負けているが夏の終わり頃まで淡い香を保ってくれるので楽しみだ。

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月見草一夜の思い淡く染め 

2012年07月26日 | 日記

7月26日(木) 晴れ   空気は湿り気がなく それなりの夏日

昨日、水曜日は眼科の日で暑い夏日の中佐久市臼田まで出かけた。軽トラのエアコンお稼働させるのは殆どが夏の2ヶ月、6月7月何れも月末の水曜に病院に通うときだけだ。出かけるときに玄関から外に出ると夕べ咲いた“月見草”が薄いピンクに染まっていた。昨日の夕方、ボランティア仲間の会議に向かうときは純白のハンカチを硬く絞ったように先を膨らませて見せていた。

一夜のうちに何があったのかは知るところではないが、先日も深夜に撮影した花の姿を見ると風もないのにシベを振って花粉を振りまいていいるように見えた。夜中にムシが来るのか、それとも、人地知れず風に載せた付け文が花の紅に染める原因になったのだろうか?

それにしても大胆な花だ。“月見草”は純白な蕾のまま花を開き、朝露が降りる頃には一夜の思いを胸に秘めるのではなく、顔に表し太陽が昇るほどその紅さを濃くする。思いの丈を色濃く表すのだろうが、何時の頃の花なのだろう。対称的な“宵待草”は現代的だと思うが、一夜の思いと云うよりも数日間顔色を変えずにいるし、しかも、茎の頂上に幾つもの花を同時見せている。差し詰め現代娘の集合体、“みんなで渡れば怖くない”と云う台詞が聞こえて来そうだ。

 

“月見草”と“待宵草”何となく似た花のようだが、実物を見ると一目瞭然、どちらが好きかと云うとどちらも良いところがある。太宰治の言葉に「富士に月見草がよく似合う」と云うのがあるが、河口湖に向かう御坂峠に碑があるが、アノ辺りには宵待草が多く、月見草と宵待草を取り違えたのではないだろうか?

人それぞれで感じ方も語呂からのイメージもあるのでかまわないが、夏の花としてはムラサキシキブの花も今が見頃だ。ムラサキに金色を配した王冠のような花。遠くから見るとなんとなくムラサキの塊だが、これもひとつづつの花を見ると美しい。これと同じシロシキブ(が正しいか定かでない)があるが、これは余目立たない。ムラサキシキブを目立たせるために白としたのだろうが、何かもの悲しさを感じる。

 

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ミネラルが足りないと云う 仲間意識

2012年07月23日 | 日記

7月23日(月)  晴れ   陽の光は熱いが木陰では寒いくらい 信州の夏

朝の涼しいうちに草刈りをしようと思うが心が動かない。それでは先ずは庭を一廻りと意を決して外へでた。風は涼しいが太陽の直射日光の当たるところでは、夕べの雨も影響して蒸し暑いのは変わらない。ラベンダーのところではヒョウモンチョウが花から花へと飛び回っている。落ち着きのない蝶だと口には出さないが、俺が思うとこんどは一つの花房に大分長い間居座っていた。小さな花をひとつづつ確かめるように口吻を差し込んでは次に差し込む。足下で急にジージーと夏ムシの羽音が聞こえた。どこにいるのかと腰をかがめ草むらを覗き込むと、標識代わりに立てた細い枯れ木でキリギリスの仲間ヒガシキリギリスが根を振るわせている。彼らが啼くのは鈴虫のように根を高く掲げて振るわせるのかと思っていたが、胴体から僅かに広げて振るわせている。下の写真でも顔は制止しているが胴体の下の方はボヤケテいるのが判って貰えるだろうか?キリギリスはスイッチョンと啼くと思われているが、あれはウマオイでキリギリスはギーギーと色気のない鳴き方をする。

庭の一廻りを切り上げて草刈りをしようと鎌を取りにいくと、ガレージの前の湿ったコンクリートに大きな蝶がいた。今年はそろそろ顔を見せるのではないかと思っていた矢先、国蝶のオオムラサキがいた。相変わらずおっとりして俺が近づくと不器用な飛び方で辺りを一廻り、戻って来たかと思うと俺のジーパンの腰のところに止まった。口吻をポケットの入口に差し込んで探っている。彼はミネラルを求めているのだろう。俺が動くと転がるように落ちてコンクリートに口吻をこすりつけている。レンズを近づけて見ると口吻は二本の管で出来ているようだ。

ムラサキが目立つ蝶の出現で玄関脇で一際目を曳いていたガクアジサイも沈みがち、オオムラサキは裏山のエノキで羽化したのだろう。3日くらいは山裾で休んで貰いたいが、必要ならバナナの熟したのを提供してもよい。

大分長い間コンクリートからミネラルを摂取しているが、俺もミネラル欠乏のナトリューム欠症と診断され毎月の筋肉注射が欠かせないので親近感が湧く。明日は彼の好物のバナナをツブシテ発酵させたものを置いてやろう。

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夏草の 花と見まごう 紅しじみ

2012年07月23日 | 日記

7月22日(日)  晴れ   蒸し暑さ  午後には冷たい風と共に 雨

午後、蒸し暑さを押しのけるような東の風が流れ始めたころ、エコクラブの I さんが太い竹と手作りの“火起こし機”を持ってきてくれた。児童館の夏休みエコ教室で竹筒ご飯炊きをする。火を焚くのも燐寸などを使わずに火を起こそうという ・ ・ ・ 何れはたてしなエコ・クラブのサイトでお見せすることにして、今日は画像は載せない。彼と入れ替わりのように、次の来客は長野から、俺が勤めていた頃の仲間がお嬢さんの運転で我が家を訪ねてくれた。久しぶりに楽しい会話を交わしながら彼女たちが車に乗り込む頃には雨が降り出した。

午前中は青空も広がるほどの好天気になったが、前日の雨で畑は湿り気が多い。雨が降れば草が繁茂するのはセオリーだが、食料となる草と勝手に生えた草との境を鎌で草刈りをしようと刃を研いだ。切れ味を試そうとヒメジヨンの生えているところで鎌を使おうとするとベニシジミが“ワタシノスキナハナ キラナイデ”と手前の花に止まり翅を上下させながら一回した。それでは場所を替えてエノコログサがまとまって生えるところに行くと、ここでもベニシジミが翅の端に止まり、上に向かって歩き出し、草の葉が上下に動くのを楽しむかのように行ったり来たりしている。草があるから蝶たちが来てくれると思うと夏草を無碍に刈るわけにはいかない。

オカトラノオも花穂の先端まで開きだし、ホシミスジが来ている。この蝶はユキヤナギやシモツケで子孫を残したのだろうか?近頃は数も少なくなったが8月の中半には夏子が見られるだろう。ミスジチョウも仲間が多く、星のないものや少し小ぶりのコミスジもいる。今はニンジンの花が辺りに甘い香りを振りまいているが、そこにはカメムシやコガネムシが沢山来ている。蝶はいないかと見るとコミスジだろうか、白い花の塊の横で一際目立つ紋様の翅を広げ、小さな花ひとつづつから密を吸っていた。

フサスグリは赤く熟しているがジャムにするにも果実酒にするにも出来た後に活用することが少なく、今年は鳥や虫たちへのサービス品とした。ここにいた一際大きなミスジチョウ、飛ぶのは不器用なようで、枝から枝に移るにも翅を羽ばたくよりも足でノシノシと歩いて移動する。僅かな風でも翅を下に降ろし枝に捉まるようにして身体を支えた。口吻を赤い実の中へ射しこみ深呼吸するように見える。酸っぱい果汁を吸い取っているのだろうが、見ているが俺も唾液がでてくる。長い間いくつかの実に口吻を差し込んでいたが、再び、ズカズカと歩き出し葉の上に来ると動かなくなった。タテハチョウの仲間と云うが、これほど飛ぶのが不器用なのは彼の個性なのだろうか?

 

夏草は一つの花が綺麗だから一本だけ残そうと思っても無理だ。生い茂っている中で互いが絡み合い、寄り添って太陽に向かって花を開く。露草の花も一つだけ見るとブルーに黄色と目立つ姿で夏草を代表するようだが、これも一本だけ残すとダラシナク地面を這うような姿に変わる。キリギリスやツユムシ、コオロギなどいろいろな虫の声が聞こえるが、彼らの声を集めてスピーカーの役目をしているかのようなヒルガオの花がある。ムシの啼く間だけ俺に委せろとでもいっているのか、この花のシベの姿も、虫たちの来訪を受けて変化を見せるのだろう。

いつもは薪小屋の暗い隅で姿を見るヒカゲチョウ、草が繁茂する中で直射日光を避けながら水分補給をしているようだ。草が生えているので安心できるとでも言いたげな顔、明るい所でいると目鼻立ちがシッカリしていた。

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立科町の歴史を紐解き そぞろ歩き

2012年07月21日 | 日記

7月21日(土)  曇り  俄雨    午後   3時を過ぎて再び雨

昨夜は猛烈な激しい雨で今日の「たてしな歴史研究会」の町内歴史散歩が可能なのか心配しながら床についた。朝には昨夜の心配をよそに東の空は明るく、曇も切れ目が見えるほどだった。

町の名刹“津金寺”に集合した会員は10名、略半数の出席となったことは行事の重なる土曜日にしては上出来だろう。境内は昨夜の雨と午前中にパラパラと降った雨で木々も生き生きして、夏萩の紅い色が一際鮮やかに見せていた。開会は会長の挨拶の後、庫裡の土間に設えた休憩所で、竹花初雄先生の津金寺の概略を判りやすく解説していただいてからそれぞれの建屋を見学した。観音堂、阿弥陀堂など内部の詳しいことは下記サイトでご覧いただきたいが、この寺の美しく感じるところは、建屋から庭の隅々まで地域住民、檀家など日々の生活と直に接しているのを感じた。木々の歴史を感じる中にも手入れが施された重厚さに圧倒され心が洗われる。

http://www.janis.or.jp/users/tuganeji/index.html

 

これより本堂(観音堂)内部

仁王門奥の立川流の彫刻が施された妙見堂と北側の弁天池

護摩炊きが行われる建屋 裏には龍の彫刻が掲げられている

 護摩たき

津金寺だけでなく、この山部地区一帯が美しいだけで無く、地域の自然が守られ残されていることから、長野県の郷土環境保全地域に指定されている。2時間近くかけて津金寺を見学し、継ぎは1km北へ歩くと、長野県立図書館設立に尽力した、蓼科高等小学校初代校長でもある保科百助五無斉が始めて教鞭を執ったといわれている山部学校を見学した。ここは明治維新前は郷倉であり明治4年に改築して学校とされた。また、地区の五無斉生家には九曜星の家紋が掲げられた蔵がある。

3時を過ぎて、五無斉先生の墓を訪ねて学習会を閉じた。

この墓所にもウイットのある狂歌が刻まれた石碑が建っている。

われ死なば 佐久の山部へ おくるべし 焼いてなりとも 生でなりとも

 

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夏だからではないが 死ぬと云うこと

2012年07月18日 | 日記

7月18日(水)  晴れ   夏日  猛暑  立科でも暑い 

水曜日でも月末ではない今日、朝から佐久病院に向かった。相変わらず駐車場の混み様は凄く、数台が通路を巡って止める場所を探してる。俺が入口で、病院から出てきた女性に声を掛けると“今、出ます 主人を送ってきたから”と行って入口から2台目の場所の車に乗り込んだ。

すんなりと止めさせて貰ったが、外の熱さはすごい、眼の前の病院がカゲロウで揺らいで見える。いつものように採血と注射を済ませ、次は月末から今日に来院日を替えたMRIの検査室へ向かった。脳の検査だが俺は視床下部下垂体と云うパーツが劣化していることが既に判明している。以前CTやMRIの検査を受けたが、そのときは救急車で到着し意識がないまま、一連の検査を受けている。また、その後、一ヶ月くらいの入院中に同じような検査をしたと聞くが、全く覚えが無い。

 

自分で自ら申し出てMRI検査に望んだのだから、観察眼は蝶や昆虫を見ている目よりも厳しく当に、五感を鋭くして機械の上に横になった。

若い看護婦さんに“ヒザマクラヲをしてもらい”(身体を上向きに保つために膝の下に枕をあてがい、腰を安定させる)、次には男性の検査技師が頭の周囲に囲いを付け、更に安定させるためにパッキンを詰めた。ここで俺が一番に感じたのは『納棺して夏だからドライアイスのパックを身体の脇に詰める』これだ。こう思うと次の“カリカリガッツン”と云う重い金属的な響、更に“始めます”の声。

ガクンと云う音ともに、スルスルと俺を乗せた台が動き、やがてガシャンと重たい扉がしまうような音。次にはグワングワン・ボウボウとものすごい勢いでガスバーナーが焚かれる。更にその上にガッツガッツ・ビイ・ビイ ・ ・ ・ と断続的な音が続いた。何となく背中が熱くなってきたと思うと次に、金属的な軽い扉が開くような音が聞こえた。誰かが覗いてるのだろか? いろいろな音や響が変化しながら俺の内臓から頭の内部まで響き出す。

ウトウトとして気がつくと、“寒くなかったですか~?”と優しい声 これぞ始めて聞く“アノ世の声”と思う間も無く、検査室の鈍い蛍光灯の明かりが目に入った。どうやら僅かな時間だけど寝込んでしまったようだ。後半の記憶が飛んでいることに残念な思いを懐きながら、次の内科の待合へ向かった。

内科の待合では担当医の待ち時間の掲示が差し替えられ60分待ちとなった。予約時間は優に越している。俺はこの待ち時間を利用することを7年をがかりで学び、本を読むのが目的と、この時を楽しむ術を持てるように成長している。結果的には午前の最終患者である俺は14:30に診察を終えて会計を済ませると3時になっていた。

駐車場に戻ると猛烈な熱さは未だ続いていて、軽トラに乗り込めない。しばし、ドアと窓を開けて俺は千曲川の川原に向かった。ここから見る浅間山は台形で噴煙こそ見えなかったが、上空の曇が如何にも噴煙だと云うような様を見せていた。反対側の八ヶ岳方面を見ると夏雲と青空をホウキで掃いたような白い曇が印象的だ。

駐車場に沿った川との境には胡桃の木が多い、この木も暴れ川であった千曲の流れが上流から運んだものだろうか?オニグルミかと思っていたが、熟している実を見ると菓子ぐるみ、誰かが植えたのかもしれない。

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ホンマモンの夏は暑い 高冷地は太陽に近いことを実感

2012年07月17日 | 日記

7月17日(火)  晴れ  朝焼けは夏の色  午後に瞬間的な雨

夕べから気合いを入れて朝を迎えた。目ざめたのは4時少し過ぎたところ、東窓は赤く染まっていた。

こう言う時間帯は落ち着いて集中的に仕事ができる。今日こそは役場の休み明け稼働日なので書類を提出した。しかし、セオリーどうりのものは簡単だが、俺にとっては住所録を作のが難しい、地域は五つの集落から成り立っており、それぞれの集落の世帯主をリストアップして農業者と農業者以外と分けて標記するようになっている。五つの集落のうち、俺の住むところは一番世帯数が少なく17世帯、北側に延びる二つの集落は倍以上の世帯があるが、彼らの集落はIT化されたリストを送ってきてくれた。しかし、他の二つのうち一つは先週末、それもアナログと云うか手書きで住所の空欄が多い。残る一つの集落は完全に穴ログなのか種類も出てこない。こう言う朝の静かな時間帯に電話帳と首っ引きで掻き出すのも、土地勘も家並みの流れも判らないので時間がかかる。窓の外ではウグイスが煩いほど騒ぎ立てる。

朝飯を終えて直ぐに役場に電話を入れ、アポを取ろうとすると担当者は既にいない。午前中は他の業務の立ち会いで時間は採れそうもないと云うことを耳にして、しばし、ラッキーと時間が開いたのを喜んだ。

午後一番13:30に担当課に行くと既にスタンバイして呉れていた。俺にとって農地のどうにか長持ちさせようと云う事業は判るのだが、システムはサッパリ理解できていない。必要書類を提出して確認をしてもらう。書類の足りないものは無かったが、記述部分では微妙な表現でニュアンスが変わること、勉強になった。赤で添削をしてもらい、あとは清書をすることと印鑑が届けばよい。順調にいくと金曜日には申請書を提出できることになる。しかし、申請が採択されて事業が本決まりになると、果たして俺の事務局でやっていけるのか少々先が読めなくなった。

帰りがけ晴れていた空から急に雨粒が落ちて来た。大きな粒がフロント硝子に辺り弾ける。見る間に道路が光る。一時間くらい降ってくれると涼しくなるのだが、直ぐに止んでしまった。咲き出した桔梗が雨から元気を貰ったようだ。

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海の日だから 信州も負けじと 梅雨明け

2012年07月16日 | 日記

7月16日(月)  晴れ   青空が広がり  爽やかな空気と心地よい風  

早朝から起き出して外を一廻り、未だ梅雨は明けないことを意識させるほど陽の光も弱い。朝飯を終えて役場の始業時刻に合わせて電話を入れた。いつもより受話器をとるまでの時間が長い ・ ・ ・  ・ 女性の落ち着いた声が聞こえると直ぐに担当課のKさんをお願いした。すると、僅かの間を置いて“キョウハ キュウジツデスガ”と ・ ・ ・ 

言い分けがましいが、俺のような毎日が休日の身だと土・日以外は全てが稼働日のように思っている。確かに、今日は海の日だった。梅雨明けもままならなず豪雨のニュースばかりを聞かされていると、海の日などは耳に止まらなかった。しかし、受話器を置いてから外を見ると青空が広がっている。朝の曇はどこへいったのか?東の窓から見る景色も裾埜まですっきりと夏浅間を見せていた。

朝の散歩の時はまだ陽射しもなく、高い曇のために明るさはある。僅かな風も心地よく畑の脇でも草が繁茂している。夏草が勢いよく繁っているのにも訳があるが、それは草の花を求めてくる蝶や虫たちのためもある。今朝ももう少しでウラギンヒョウモン蝶を踏みつぶすところだった。アカツメクサの花にしっかりと口吻を差し込んで微動だにしない。ゆっくりと翅を広げてはまた閉じる。夏草に卵を産みそれを幼虫が食って育つ、そう思うと無碍に草刈り機で刈り上げるわけにもいかない。

 

昼過ぎに白樺レストランの様子を見に行くと、流石は夏空に眩しい白樺の緑と幹の白が目立つ。夏だから立ち寄りましたと云っているように、シータテハ、ヒオドシチョウ、樹上のに樹液のでる小さな穴を見つけたのか、ルリタテハもいた。これからの季節、白樺の樹液を吸いながら十分鋭気を養ってほしい。 

山陰ですっかり陽射しを閉ざした裏山との境、本格的な夏を迎えて丈を伸ばし始めたのは五色ドクダミ。陽当たりの良いところでは赤や黄色が色濃くなるが、日陰では緑に薄いクリーム色が混ざる二色になる。薄暗いところで十文字の花が紫陽花に負けじと背筋を伸ばした。信州では春が遅いので紫陽花も梅雨時に一斉に花を開くわけにはならない。夕方の景色を飾り立ててくれる紫陽花、僅かな風が木の葉をゆらす音に混じり、ひぐらしゼミが一斉に声を上げている。 

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宵待草 待宵草 どちらがホント 月見草

2012年07月15日 | 日記

7月15日(日)  朝は断続的な雨  昼前から 曇り 一日中蒸し暑い 夏の到来か

宵待草か待宵草か?それとも月見草 ・ ・ ・ どれも同じだと云う人もいるが、花の種類は違う。我が家でもMが二年前に友だちから貰ったのが増えている。待宵草のように茎の天辺に幾つもの花を着けるのではなく、丈も短く楚々とした花だ。待っていればいつまで経っても花を開かず、見たいと思うと既に開いる。一日経てば色変わりをして萎んでいる。

そんな花を今年こそは見てやろうと、しっかりと確認をした。花が開いてシベがどのようになっているのかをカメラに収めようとすると、ストロボを焚かないとうまくいかない。まだ明るいときにカメラを構えてジッと待つが、開くときには手持ちでシャッターを切るには限界のようだ。二枚目の写真の向こう側に小さな赤い塊がある。あれは一昨日咲いた花、白から肌をほんのり染め上げたようになり、そのあとはどぎつく赤いになって萎んだ。 

花が開くときの微妙な動きは動画で写せばどうってことは無いだろうが、観察して経過を見るのが楽しい。開かなかった白の桔梗、今朝の激しい雨に打たれたためか、やっと開いた。しかも、たたんだ折り紙を一片ずつ開くように咲いた。純白の花びらを開く様は神秘的なモノ、深みを感じる。少し離れたところの草むらでもムラサキの桔梗が遠慮がちに花を開きだした。秋の季節の先取りにしては少々、気が引けるのだろう。

朝飯のあと外に出ると雨粒がまだ木の枝から落ちる中で、痩せガエルが雨粒が眼の前に落ちるとのけぞるように避けた。錦木にはこの小さなカエルが沢山いる。それは蛾の幼虫が卵から孵ったところで沢山の毛虫が目的のようだ。ホシミスジも後ろ翅を蜘蛛に囓られたのだろうか?雨の滴を口吻で吸い上げているのか、胴がゆっくりと上下するように動いている。

毎年夏に玄関を飾るストレプトパーカス、今年もMが相当な数の挿し木で増やしてた。昨年の秋に株ごとボイラー室で冬を越させ、春になって挿し木(芽)をすた。今年は寒いためか大きくならないと云うが、花も咲きだし、蕾を沢山着けている。夏の楽しみが今年も巡ってくる。この花が咲き出せば梅雨明けは間近だろう。

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一寸の虫 ・ ・ ・ 3mmのムシでも 大きな魂を持っている

2012年07月12日 | 日記

7月12日(木) 雨   昼にはあがり 午後には陽がでる  夜は再びあめ

雨音をたてて降っていた雨も小雨に変わり、浅間の裾埜まで曇に隠れていたのが中腹まで消えた。屋根から落ちる雨水がテンポとリズムのバランスが取れてくると、我が家の水琴窟が響出す。昼過ぎにはすっかり雨も止み、青空こそ見えないが陽射しが影を落とすまでになった。

庭にでてみると秋の七草の筆頭にあがる桔梗が今にも花を開く体勢になっている。秋の桔梗はムラサキだが、我が家では先達としてムラサキより白が花を開く。どのようなタイミングで開くのか、爪の先や枯れ枝で紙風船の折り目のようなところを障ってみたが硬い。開くところを見たいと大分長い間、まったが蝶も蜂も来ることはなかった。

白の桔梗の脇にあるラベンダーも辺りに“石鹸の匂い”をまき散らし花を開きだした。小さな花は軸の周りに開くのだが、先ずは二つだけ。そこに不思議な虫がいた。上から見るとカメムシに見え、頭を見るとセミ。セミとカメムシは親戚関係にあるようだが、図鑑でも見ても該当するものがない。触角の先端がブラシのようになっていいるようだが、風にゆれる花を、手持ちのカメラでピントを合わせるのは至難の業。しかも小さな花、一寸もない虫の大きさだが、カメラを近づけると向きを変えた。

 

白樺レストランを覗くと今日も蝶はいない。しかも、樹液が垂れている所にはキイロスズメバチが集団で来ていた。彼らは巣を大きくする時期で、樹皮を剝いてつなぎ合わせるには糖度の高い白樺の樹液は良い材料だ。二匹三匹と数えてレンズを覗いていると俺の耳の脇でブンブンと威嚇音が聞こえた。頭を低くして早々に逃げたが、“庇を貸して母屋を取られる”と云うことになった。畑に廻るとニンジンの花が盛りを過ぎようとしている。ここではスズバチか盛んに密を集めている。他の虫がくると追い返すようにして独り占めしているが、彼も花の時期が短いことを知っての業なのだろう。

俺の管理する畑は草ボウボウ、野菜も草の内と負け惜しみを言い訳にしているが、ヒメジオンが花を開いているところに初めて見る虫がいた。これも小さな虫だが触角はカミキリ虫と同じようにノコギリ刃のようになっている。珍しいのは頭に赤い点が二つある。カメラを近づけると触角で近寄るなと云うように上下に振る。この虫の名は“オバボタル”と云う。図鑑でカミキリ虫を調べたがなく、ホタルの仲間を調べるとあった。この虫は水の中で育つわけではないらしい。発光するのかも定かでないが、どの位仲間がいるのか観察を続けたくなった。少しの間見続けていると小さなアリが近寄ると、触角を左右別に動かして追い払っている。意外に小心者のように見えて親近感が湧いた。

触角を左右別に動かすオバボタルもいれば、ムシトリナデシコに止まったモンシロチョウ、は、僅かな風が吹いても翅を微妙に動かして裁く、その間足はしっかりと花を掴み口吻は花に差し込んで密を吸っている。小さな虫でも生きる術を見つけているのが凄い。同じような動きをするのはホシミスジも同様で、四枚の翅を別々に動かして、まるでストレッチでもしているかのような動きをする。

庭の隅で赤い実を熟させているフサスグリ、雨がポツポツと落ち始めたときに辺りには沢山の小さな雨蛙がいる。彼らは今年卵から孵った子ガエルたち。腹を一杯に膨らませたモノ、背中の骨まで皮一枚のヤセッポチ・カエルと様々なヤツがいるが、皆懸命に生きている。フサスグリの葉の上によじ登ったカエル、精々頑張って夏を迎えて欲しい。

こう言う 野原の小さな生き物を見ていると

都会で飼われるパンダが悲しい

子が死んでしまったのは都会人の強欲からだ

中国の山奥自然の中で生きて行く動物

都会に連れてきて無理矢理子育てをさせることはない

都会でも足下に未だ見ぬ知らぬ生き物がいるだろうに

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まだら梅雨 とでも云うのか 晴れれば爽やかな風がとおる

2012年07月11日 | 日記

7月11日(木) 曇り  夜明けと共に青空がひろがる 夕方から曇り夜に雨

朝飯を摂っていると不器用に部屋の前を飛ぶキアゲハ、鉢植えの花に止まるかと思うと花壇のムシトリナデシコに移った。ムシトリナデシコは花壇に植えたわけではなく、いただいた草花の土についていたものだ。そもそも、この花が蔓延るようでは花壇とは云えない。我が家では蝶や虫が来る植物はどれも一級品の植物で価値あるものとされる。

チョウチョ チョウチョウ ナノハニトマレ ・ ・ ・ の唄ではないが、花から舞うように移ることができないキアゲハ、近くにある花には渡り歩くと表現したくなる。確かに横からの姿を見ると腹が太い、これでは身軽に天空を舞うのは無理のようだ。それでも小さな花ひとつずつに口吻を差し込んで密を吸っている。このムシトリナデシコにはいろいろな蝶が来るので、余程甘い蜜があるのかと一つだけ千切って吸ってみたが味はない。ツツジや菜の花の方がよほど甘みを感じる。蝶は細い口吻で密を吸い上げるにはこの花のように甘みがない方がべたついて詰まることが無いのだろうか。

 

昼前に農地管理の参考資料を届けてくれると人を待つが、昼になって電話が入り今から行くという。久しぶりにあう町内の友人、“は~るかぶり”と大きな車を降りてきた。彼が山裾集落に来た頃は、我が家の庭も木々植えたばかりだったと思う?庭に木や花が増えたのには驚いたようだ。また、畑か草むらか解らない中へ踏み入れ、ジャガイモが沢山植えてあるのに驚いていた。肥料もやらない草も抜かない、虫が食べるキャベツやナスは作らない。“こうれも農地だな”と言い聞かせるように呟くのが聞こえた。 

井戸端の近くに咲くフランネル草、この花は一日花ではないが、花びらが上にそり揚がっているのを見たことがない。蕾の時は上を向いているのだが ・ ・ ・ 蛇口の下に置いたバケツの中でカミキリ虫が溺れかけていた。束子を入れてすくい上げてやると、一時ぐったりしていたが歩き出した。“ムツボシカミキリ”水の中の方が色が鮮やかに見えた。俺が助けのだからもう少しポーズを作って呉れてもと思うが、束子の端まで来たらパッと飛んだ。

野の花も本来の可憐な姿を知らずに、都会の花や屋で珍重されるもの困りものだ。秋になると花が終わったあと、茶色く変色した花柄がワレモコウ、アレがワレモコウの姿だと信じている人が多い。しかし、実際には薄紅色の可愛い花、ウツボ草のような花ではないが花の少なくなる夏に野道でふっと目にすると嬉しくなる。しかし、大概は梅雨の後から花を見せるのだが、人手の入るところでは全村上げての草刈りが行われるので花を見ることは少ない。上から見ると線香花火のような夏の風物詩的な花だ。この花のもう一つの見せ時は、5月の若葉が開いたころにある。葉脈が葉の先端まで来ているので、根から吸い上げた水を葉の縁を水玉で縁取る。この水玉が太陽の光を受けて虹色に輝く様は、田舎に住む者だから味わえる一コマだ。

 

 

夕方に降り出した雨 雨の後は草刈となる

野の花たちを避けながらの草刈りは草臥れる

大切にしたい花がある所 “オレガヤル”と名乗り出てしまう

急斜面などそろそろ 足腰に限界を感じる

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忙しさは心を無くす 文字のとおり

2012年07月10日 | 日記

7月10日(水)  晴れ   蒸し暑さも何処へ 夕方には冷たい風が吹く

裏山との境の石積み、相変わらずホシミスジが飛び交っている。少し様子が変化したのは子孫を残そうと懸命に雌雄が絡み合う。幼虫の食草であるユキヤナギを周りながら舞う姿に真剣さがにじみ出ているように見えた。

 

朝の畑ではカボチャの花が開きだし幾つもの黄色い塊が草の中で目立つ。どの花を見ても蜂が来ているが、今年は蜜蜂が少ないと云われているが、ここに来ている蜂はセイヨウミツバチだろう。近くで蜂を飼っている人がいるが、彼は日本蜜蜂だと云っていたので、彼の蜂ではないようだ。山の木の洞などにセイヨウミツバチは巣を作のだろうか?彼らの密を横取りする気はないが、見て見たい。

畑から外れると今盛りの花はオカトロノオだ。昨日、一日中降り続いた雨で花は見る影もないほど痛めつけられていると思っていた。この花は見た目には雨に弱く水を弾くなどとは思えない。しかし、一つの花を見るとしっかりと花びらに水滴を貯めていた。

午前中はこの地域の農家の持つ田と畑のリストを整理した。印刷物で申し送りをされたモノをスキャナーで読み取りデジタル化、Excelで保存をした。昼前に仕上がったデーターを持って地区の役員を訪ね資料に農業的なことを書き足すことを頼んだ。家に戻る途中、宅配業者に会うと荷物があると云う。受け取った箱を開けると昨日頼んだパソコンのメモリーだ。早い、昨日は夕方6時前だっただろうか?ネットで注文して翌日に届けてくれた。3時過ぎまでの会議を終えてから直ぐに家に戻ってVAIOのXPのメモリーを1ギガにアップした。テストをしようとセッティングを始めたが ・ ・ ・ 電源コードがない。どこへしまったのか?

相変わらずの捜し物だ 机の中もカバンの中もない

さて ・ ・ ・ ポケットには入れた覚えはない

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