田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

外れた天気予報 春は難しいのだろうか

2009年03月31日 | 日記
3月31日(火) 曇り 風が冷たい一日

天気予報ではピカピカの快晴だったが、朝から厚い雲に覆われていた。
午前中に薄日が射すが風が冷たい。

少しだけ散歩に出てみようと裏山に向かって歩いた。
道の脇を流れる水路で芹が葉を広げていたが、このところの寒さに葉の先が赤く霜にやられていた。
タンポポは緑の葉と黄色い花を鮮明にして辺りに春を告げているようだ。


庭ハズレにあるグミの木の下にムスカリが頭を出していた。
ここでムスカリを見ることはなかったが、今までグミが枝を広げ鬱蒼としていたのを去年の秋に切り落としたためだろうか?
日当たりが良くなったためにイヌノフグリも蒼い仲間として咲いていた。


風が冷たいので畑の所までで散歩を止めて戻ってきた。
ブルーシートに包まれた堆肥の山まで来ると暖かさを感じた。
シートを開いてみると内側は水滴が沢山着いて湯気がたちのぼるのが見えた。


温度計を射し込んでみると35℃まで一気に駆け上り、そこからは徐々に上に進んでいく。
シートの上に手を置いてみると暖かい。
コンポストで満杯になった堆肥に牛糞堆肥、蛎殻石灰、ストーブの灰、油かすなどを混ぜ合わせてシートを掛けておいた。
温度計は41℃までスムーズに上昇して止まった。
温度計はこのままにして様子を見ることにした。


午後は軽トラの冬タイヤを外して夏用のものに履き替えた。
車止めにはストーブの薪を使ったがこんな所にも役立つ林檎の樹が嬉しい。


今年使わなかったストーブの薪を少しでガレージの奥の方へ移したが、風の冷たさでやる気が失せてしまった。
明日からの天気予報は以前のように予想と云うことにする。
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来年の冬の準備 楽しく過ごせる

2009年03月30日 | 日記
3月30日(月) 快晴 雲一つ無い 暖かな一日

快晴の下、今年最後であろうストーブも薪材集めにりんご園に向かった。
町のいちばん北の端「虎御前」集落だが、先週に雨が降ったので3日開ければ車が園内を走れると言うことだった。
しかし、その翌日が雪で結局週明けの今日の作業となった。

家を出るときには浅間山の噴煙は風もないのか真っ直ぐに立てに煙を上げていた。
暖かで外仕事には最高の日になった。


りんご園では湿り気を確かめながら軽トラを4駆にしてソロソロ坂を登る。
既に切り倒してある樹を運ぶだけだが、荷台からはみ出すような長い枝を集めてチェンソーで切る。
ここからも浅間山が見えるが今は白い鳩が羽を広げたような煙を出している。


浅間山を実ながら身体の向きを南へ向けると頂上から北斜面が町内になる蓼科山が見える。
この山が全容を表しているのは珍しいくらい雲にかくれることが多い山だ。
また、現在では蓼科山と表すが、飯盛山とかお碗山と言うそうだ。
明治の前までは“立科山”と書き表し、その表記を現在の町名『立科町』としている。
美しい山の姿だが、その昔は活火山で大爆発して左側がすっ飛んで今の形になっていると言われてる。


太い樹を積み込んで別の畑に移動するのだが、我が家で見る軽トラはソコソコの大きさをしているが、
りんごの樹の下にあると小さく見える。


2回目の積み込みを終えて山裾に戻ってきたのは4時半になっていた。
太陽は西に傾いているが、最後の槇集めを事故もなく終えたことに虹色の光線で祝ってくれてるようだ。


浅間七変化ではないが夕方の噴煙は流れる雲と合体してまるで大爆発をしたように見せていた。
薪材集めも重労働だが、浅間の噴煙に励まされ旨い空気を吸っての作業、最高に楽しい。

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信州の粉食 せんべい なるもの 食す

2009年03月29日 | 日記
3月29日(日) 晴 風が冷たい 夕方には暖かさを感じた

冬に戻った3日間が過ぎ、今日は太陽が出始めたが直ぐに薄い雲が広がった。
9時過ぎにたてしな歴史研究会の会長が書類を届けに来てくれたが、外での立ち話すっかり身体が冷え切ってしまった。

午前中は堆肥の山を天地返しして発酵を促す作業をすることにいしていたが・・・・
冷え切った身体を温めようと紅茶にラム酒を垂らして飲んだら身体は温まったが、今度は眠気を誘ったようで予定は未定とした。
ウラウラしていると昼飯の仕度をMがしている。
昨日からの予定でこの冬に挑戦した粉食集落では『せんべい』と呼ぶものをお復習いした。

信州の粉食の代表としては「おやき」これは昨日味噌造りをした仲間が持ってきてくれた「葱味噌」を食した。
ホットプレートではニラセンベイ、ちぢみ、シンプルな粉だけの「せんべい」を焼いてみた。
チジミは韓国料理だが何が違うのか判らないがレシピ通りに焼いても韓国の味は出なかった。
ニラセンベイはそれなりに味噌あじで去年造った手前味噌を使ったので味もよい。
最後は具が入らないものだが・・・・・
集落の爺様は「砂糖醤油は贅沢だったが旨かった」と言っていた砂糖は少々遠慮した。


昼飯に粉食は良いのだが、どのくらいの量を食べたのかが判らないのが困る。
焼き手をしながら口に放り込むと目が胃袋より大きいので後になって満腹過ぎることに反省している。
のんびりと食事をして片付けると既に3時を越していた。

ストーブの薪を運ぶため外に出ると風が治まっていたので暖かく感じた。
今年は暖冬と云うことだで、予定していたより薪を使わなかったのが嬉しい。
当初の予定の4分の1が余っているが、この先どのくらい使うかは知れたものだろう。
西に傾いた陽が雲間から主観的に紅い光を落葉松林の上半分を照らした。
新芽が燃えはじめる直前枝先を赤くしているのを狙っての光線のようだった。


東の方に廻ってみるといつもの浅間山ながらこのところ冬に戻ったために頂上付近も僅かに冬の面影を見せている。
明後日からは暖かさが戻るという。
この景色も見納めになるのだろうか?


日が暮れる直前には西からの光が暖かさを感じさせてくれる明るさで浅間連山を包んだ。
空にも斜めの雲が長く遠くの上州の方まで延びていた。
俺の好きな夕景色、集落の家々は僅かに残照に映っていた。
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手前味噌だが ボランティアに徹した一日

2009年03月28日 | 日記
3月28日(土) 晴 風は冷たいが 春の臭いがする

朝飯も早々に山裾集落から2km東へ移動して午前中を過ごす。
ここからは浅間山もすそ野を東へ伸ばす姿がよく見える。


ストーブの薪集めは雪で地面がゆるんでいるため今日もお休みとする。
Mがこの1週間通いっきりで二組のグループと味噌造りをしている。
前半は千葉から移り住んだ友人の味噌造りを手伝い、後半は3人の仲間で手前味噌を造る。
早速調理場へ入ると既に昨日から電気式室(むろ)で熟成させていた麹を広げて作業台に広げているところだった。


この作業に俺が参加するのは初めてだが、材料は塩以外は全て町内産で仲間が作った米と大豆を使っている。
立科町の環境テーマでもある『地産地消』の最たるものだろう。
昨日は大豆を5時間煮込んでそのまま鍋で冷ましたものを、笊に空けて水を切った。


次はこの大豆を電動ミンチ機にいれて挽肉と同じ状態にする。
これを桶で受ける役がいるために俺がボランティアで参加した。
ボランティアながらエコ活動、積極的にそれぞれの行程で手を出し口を出すとは行かなかったが・・・・


ミンチ状の大豆を桶で受け止めて麹を広げた上に開ける。
何回も上手に絶妙なタイミングで4人がそれぞれの役をこなしていくのだった。


次には麹と大豆のミンチ状の物を混ぜ合わせるのだが・・・・
さすがに嘗ての姦しさを彷彿させるその姿には圧倒された。
素早さというかこちらは耳と目と手を同時に動かさなくてはならないのだ。


あっと言う間に混ぜ合わされた90kgの味噌の素が出来上がった。
次の作業は姦しさの中キッチリと30kgの山を三つ作る作業、尤もシビアな目と口と微妙な指先の抓み加減が際だっていた。


あとは各自の持ってきた桶にビニール袋を入れて塩をふったところへ味噌球を投げ込んでいく。
味噌に恨みがあるわけではないだろうがヤケに力が入っているのが目についた。
このところはしばし遠目からパチリとするのみで、話しかけたり顔を合わせたりは出来ない雰囲気が感じられる。


全ての作業が終わったところで桶の味噌の素を平に均し塩で蓋をするようにしてからビニールで覆った。
10ヶ月後からは口にすることが出来ると云う、月日を経る毎に色も濃くなり味噌らしくなるという。


片付けを終えて設備の清掃チェックシートを確認しながら会場を後にするのだった。
ここは町の農ん喜村交流促進センターと言い、エコ活動ではお馴染みの場所だが、新年度からは使用が有料になると言う。
無料であるときは住民の積極的な奉仕の精神で厨房の清掃や什器の使用に心がけてきたが・・・
有料で管理が役場がやるとなるどう変化するのだろうか?
しかし、気がかりなのは未だに管理方法や、費用に関して住民に広報が為されていないことだ。


俺はいつの日にか《味噌玉から醤油を絞ってみたい》
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淡雪に 紅けさるる 雅かな (哉々)

2009年03月27日 | 日記
3月27日(金) 雪 昼には雲間から陽が射す 午後 青空が広がり風が冷たい

目を覚まして雪らしい明るい障子に飛び起きた。
昨日のりんご園では明日には登り道が乾くから・・・・・ダメだ、今日は仕事にならない。
表に出て見ると大した量は降ってないが、林檎の樹を切りに行くのはやめとなった。


このところの暖かさで冬タイヤを替えようかと思っていたが、流石は信州のこと、シッカリと春の雪が降った。
俺にとっては筋肉を休める意味でも具合がよいが、りんご園では消毒の時期が迫っているので早く切り出したいものだ。
久し振りに見る集落の雪景色は見納めになると思うと情緒を感じる。


昨日堆肥を畑のあいてるところに盛ってビニールシートで覆っておいたが、発酵熱は出ていないようだ。
白い雪からうっすらとブルーのシートの色を透かしていた。
てっきり今朝は湯気を立てていると期待していたが・・・・


朝飯を摂ってる頃にはだいぶ明るさを増してきたが、集落の端に見える唐松林は何となくセピア色をしている。
春の新芽が冬のグレーから紅色を見せていたのだ。


桜の蕾「雅」も少しだけピンクの色を浮かべているが雪に閉ざされたようだ。
濃い紅色の花が咲くのももうすぐだろうが、この雪が最後のなごり雪となるのだろうか?


昼前には雪は止み陽がさしかけた頃、餌探しに夢中になっているモズが盛んに地面の虫を追っていた。
羽色と紋様がぼやけているのでモズの♀だろうか・・・嘴の先端だけが猛禽類の片鱗を覗かせていた。
タイミングを図るのか尾羽を上下に動かしながら時々横に振る。
振り向き様に斜めに飛び去った。


淡雪に 紅もかくす 雅かな (哉々)
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コンポストの堆肥熟成期に入る

2009年03月26日 | 日記
3月26日(木) 晴 昼前には雲が広がる 冷たい風が強く午後は寒い

今年の春、最後のりんご園から薪ようの林檎の樹を集めることになっている。
条件が良いところ思いながら9時半に現地に着くと4カ所のりんご園のうち2カ所は昨日降った雨で車が入れなくなっている。
今日の所は半分だけで午前中三往復すれば片付くだろう。

りんご園の中まで軽トラが入れるのでありがたいが、ここでは太い樹を切ることになった。
樹は横倒しになって2mくらいの長さにされているので、後は俺が持てる長さに切ればよい。
チェンソーも快調に動き素早く作業が終わった。
3往復の最後はさすがに草臥れを感じたが・・・・・
車の時計を見ると1時半を過ぎていたようだ。
風も冷たくなり今にも降ってきそうな雲が広がり寒さが増してきた。
家に着いたが、降ろす気力も失せて先ずは昼飯となった。


昼飯を済ませても動けず軽トラの中でしばし、昼寝と相成った。
狭い運転席でも15分くらいは寝てしまった。
荷台の林檎の樹を降ろしに掛かるがコンクリートの地面は足場がよいのでたやすくおもい物を持てた。
一通り終えてから畑を覗くと昨年のパセリとイタリアンパセリの間で零れた種から芽が出て既に葉が広がっていた。
この植物は何という名前ものだろう?


生ごみを処理してきたコンポストが満杯になり撹拌も出来ないほど重たくなっている。
地面に水分が吸収できなくなって中に溜まったものの水分が多すぎるようだ。
コンポストは“好気性微生物”で生ごみを発酵させるのだが、詰め込みすぎたため内部では“嫌気性微生物”が繁殖し臭いがキツく鼻をつく。
昨年の4月から使い始めたのだから1年になる。
ここで思い切って内部を全て出すことにした。
半分くらいまでスコップで堀あげてからコンポストを引き抜きぬいた。


分解した生ごみにを場所を移してストーブの灰、蛎殻石灰、おが屑などを混ぜ保温材として藁を被せてブルーシートで覆った。
これで約一ヶ月もすれば熟成した堆肥になるだろう。
ただし、1週間に一回くらいは切り返しをして完全に熟成させないと、畑には入れても直ぐに種を撒くわけにはいかない。


4月からはダンボール式堆肥作りとコンポストを併用してやってみよう。
畑から採れる葉物野菜のクズはコンポスト、食事ででる魚の骨や頭はダンボールとすることになるか?
雨の日の生ごみ処理は軒下のダンボールの方が素早く行動に移せるようだ。

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通院ができるありがたさを感じた一日

2009年03月25日 | 日記
3月25日(水) 曇り 雪交じりの雨激しく降る 午後 晴れ

病院の検査日と書くと、病院が監査を受けるようにとれるが・・・・
俺が3ヶ月前に予約をした検査の日だった。

検査は時間が掛かりますから午後にしましょう。1時15分には眼科の検査室に入ってください。と云われていた。
午前中は内科の受診日で同時に採血(4本)と注射がある。
朝は曇っていて天気予報では夕方から雨か雪と云っていたが、俺が家を出る少し前から雨が降り出してきた。

軽トラの荷台のシートに雨が溜まらないようにロープを縦に張ってないので少しだけ迷ったがそのままにした。
病院に着くとシートには雨水が貯まり簡易プールの用になって雨量の多さを示していた。
カサをさして建物に入り、採血・注射と順調に進んだ。
内科の待合室に行くと、雨のためかいつもより人が少ない。
ほとんどが高貴高齢者かその予備軍で俺もその中の一人だった。
空いてる割には俺の担当医の表示版には『大変申し訳ありません○○先生は60分遅れてます』とある。


学生時代からから『先生には都合があり、生徒には都合はない』と教育されていた。
素直な患者の俺は《生徒を患者》と読み替える術を持ち合わせていた。
悠長にのんびりとしている訳にもいかないことが、午後の眼科の検査との関係だ。
予約時間を60分超過した12時半になっても俺の名は呼ばれない・・・・
45分になったら尋ねに行こうと自分を押さえていると看護婦さんが此方に向かって歩いてきて、お待たせしましたと言う。
いつもならスピーカからの声なのだが今日は生の声が俺の所に届いたことになる。
彼女曰わく『眼科がありますね ゴメンナサイね お昼大丈夫ですか』と云われたが。
そう言われると俺は素直に『ハイ』と云うしかないようだが、実際には単なる口癖なのだ。

診察では血液検査の結果で、コレステロール値が高いですね!!
何か変わったことはありましたか?と見通しだった。
先日“信州ブランド食材を愉しむパーティー”がいけなかったのだろうか?
プレミアム牛肉を使った、シャブシャブ、ミートボール入りスープ、に脂たっぷりのロース部位のグリル・・・これでは身体に良いことないのは確かだ。

診察が終わったのは1時を過ぎていたが、カルテを持って眼科へ移動、眼科では待ち受けていて直ぐに視力、眼圧、から眼球?(中心部)の視野検査、これは緑内障の検査であって、今日の数値を今後の基準とするという。
それと、4年前の視床下部・下垂体の検査をCTやるので場所を1階の検査室に移動した。
約20分位だろうかドンドンドン・・・・・と云う音と共に睡魔が押し寄せ、終わったときには本当に寝ていたようだ。
目を開けると眼科で瞳孔を開く目薬を入れていたので、一瞬焦点が合わなくて台から降りるときによろけてしまった。

最後の診察には再び階段を上り眼科の待合室で待っていると、外は陽が照があたっているのか明るいところはハレーションを起こして見えない。
診察では変化はないですね!!と嬉しいお言葉。
緑内障は症状が進んで不自由になったら手術をしましょうでおしまし。

一日病院で過ごしたことになるが、佐久病院も移転問題の土地の件は解決したのでなんとなく看護婦さんも会計も言葉に優しさを感じた。
本来は地元の医者と連携していれば、もっと地域の医療が充実すると思うが、個人の医院の儲け主義が無意識に見えてしまう限り
佐久病院にお世話になろう。

眩しさが残るなか家に向かった。

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林檎畑に 足腰が負けた

2009年03月24日 | 日記
3月24日(火) 晴れ 雲はあるが 穏やかで暖かい一日 花粉は少ないようだ

前から頼まれていながらそのままになっていた、林檎の樹を取りに行った。
午前中で済ませたいと早くから家を出たが、りんご園は斜面が急で軽トラが入っていけない。
一カ所は樹を抱えて降るので良かったが、二回目の場所は逆になっていた。
斜面の上に道があり、一抱えもある樹を両手で支えて坂を登るこれがキツイ。
毎日スクワットをやっているが・・・・・


2回目の積み込みで遂に足腰が参ってしまった。
残る細かい枝を拾いながら最後の力を振り絞って家に戻ったのは12時半頃だった。
薪を降ろす前に除雪機などを片付けるためガレージの奥を掃除した。
コンクリートのタタキをホウキで掃くが大きなゴミは簡単にすまして、細かいゴミや土などは箒きの掃きめが残る。
これを“箒の草”で作ったホーキで掃くとキレイになるのが不思議だ。
今年も去年の零れタネから芽を出してくれるだろうか?


身体の別の筋肉を使う作業を下ので少しだけ楽になった。
トラックから薪材を降ろして少しだけ休憩した。


休憩しながら4月から再び《ダンボール式生ごみ堆肥化》をするのでダンボールを組み立てた。
昼の時間を過ぎると風が出てくるのが不思議だ。
ダンボールにガムテープを貼りながらクシャミが出てしょうがない。
午前中は花粉を感じなかったが、午後には峠を越していると云いながらもまだ花粉が飛び交っているようだ。
新聞紙を3日分重ねて入れて今日のところは終わりにした。


家に入る前に浅間山を覗くとまた、噴煙をあげている。
時間によっては全く噴煙を見ないのだが、一時間おきくらいにパイプの煙のように縦に煙が上がる。
噴火口近くは風がないの少し上がると南東に煙がなびいているように見える。


大した作業でもなかったのに汗びっしょりになってしまった。
林檎の樹を運ぶことより斜面の上り下りの方が疲れた。
風呂に入りのんびりとしているとMが味噌作りから戻った。
味噌を仕込む間に、豆腐も作ったと言って切り分けたものを出してくれた。
豆腐は意外に簡単に作れるので今度は家で作ってみよう。
アメリカでやっている野球の決勝戦、韓国に勝ったと報じている。
どこのテレビを回してもこのニュースばかりだ。

夜は公民館で会議があった。
活動6年目に入る「ふるさとプロジェクト」公民館事業で始まりそのまま継続していたが
来年度から自立した団体となる。
設立準備総会と言うことで、規約と役員が決まりヤレヤレだった。
会長(右)と副会長の挨拶で会議を終えた。


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飛行機も こわした 乱気流

2009年03月23日 | 日記
3月23日(月) 晴 暖かいが風が冷たい 不安定な風の動き


浅間の上空も雲と噴煙が混ざりながら横に流されている様が気流の乱れを表していた。
朝から裏山を越えてくる風が不安定に東、西と向きを変えている。
去年の秋に散った落ち葉の吹きだまりから渦を巻いて風に飛ばされいる。
まるでスクリューで混ぜ合わせるように螺旋状に横に広がりながら坂を下っている。

午後の会議に向けて資料を印刷しようとPCを開くと、成田飛行場で墜落炎上したニュースが出ていた。
写真で見るとひっくり返ったように車輪が上を向いているので旅客機でなくて良かったと思った。
亡くなった方は操縦士が2名とのことだが、端に着陸に失敗したわけではなく、気象条件が影響したようだ。


昼飯はソコソコにして13時の会議に間に合うように家を出た。
歴史研究会の総会に向けた役員会なのだが、なんとなく気が乗らない。
民主的に会員に提案する形で後から決定していくのが良いと思うのだが・・・・
役員が少ないのかやり方が悪いのだろうか、会の発足時から会員数が増えずに減ってきている。
最低でも30人の会員がいないと、財政的に運営の先が危ぶまれる。

約一時間程度で会議を終わり家に戻った。
薪の置き場を片付けることや、今年の畑の植えつけ場所も決めなくてはならない。
レタスのタネは早急に蒔いて5月には収穫したいものだ。

夕方には暖かいのか寒いのか判らないが、先ずはストーブに火を入れた。
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信州は《人も肉も野菜もブランドのようだ》

2009年03月22日 | 日記
3月22日(日) 曇り 雨 長野は激しい雨 夜 立科 雨

朝から長野へ向けて車を走らせた。
ETCが着いていることから高速道路交通料金は1000円となる。
約1時間で長野北インターを降りて友達を迎えに行く。
途中友人を向かえにお宅に立ち寄ってから駅前のメトロポリタンホテルに入る。

イベントは『信州ブランド食材を愉しむパーティー』と名打ったものだ。
立科町でも町のブランドが『蓼科牛』と云われているが、其れにしては肉の香りがイマイチのようだ。
信州ブランドと言うことだから、最高の物が出てくるものとたのしみにしていた。
受付を終えて会場にはいると、テーブルにはフルコースの食器が並べられていた。


今日のメニューと云うと信州サーモンに始まりプレミアム牛のそれぞれの部位を使った最高級料理に仕立ててあるという。
メニューは下の写真のように料理毎に詳しく記されているが、更に料理長が詳しく紹介するのが良かった。


メインは“信州プレミアム牛”ロース肉のグリエポリフェノールたっぷり塩尻産赤ワインソース、軽く火を入れた健康温野菜(長野県産旬野菜二種)
しかし、俺はこの赤ワインソースというのが苦手だ、確かに肉はA5級の最上肉だが油が強いから、大鹿村の「塩」と八幡屋礒五郎の「一味」がよろしいのではないか。
また、火を入れた野菜と云うのは「里芋」とブロッコリーだった。
里芋は松本当たりの砂地で採れたのか少々柔らかすぎてコクがない、旨味がが足りない根菜類は少々物足りなさがあった。


最後のデザートまでも平らげて約1時間30分だった。
美味しさを競うパーティーではなく、ブランドを広めるもので長野県知事が乾杯の音頭を取るほどの企画だった。

中でも立科町から出かけていって鼻高々だったのはテーブルに着いた方々は“たてしなップル”の林檎ジュースとシードルが旨いと評判だった。
あと茂田井の武重酒造も酒を出していたのが良かった。
俺が酒を飲めればもっと楽しいパーティーになったことだろう。

満腹のところでホテルをでて町を散策した。
久し振りに四角い建物が林立する姿を目にしたが・・・人が多いのには少々とまどう。


友人の案内で近くの幼児用のおもちゃや本、インテリア商品が置いてある店に立ち寄った。
彼女はここでフルートを吹いたりする仕事をしているという。


お店の名前は《D-Life Style Shop 》と言う。
http://www.iijima.co.jp/shop/shop.html
素敵な女性2名でお店の切り盛りをしているそうだが、飯島建設という会社が親会社になっているそうだ。
乳幼児の情操教育を育むプログラム等を企画して、来る5月3日にも子育て支援講演会が催されると云う。
興味のある方はあ上記サイトで問い合わせをして欲しい。

お店の中には楽しいと言うか夢が一杯詰まっている。
子どもが“これなあに?”と聞きそうなものばかり、楽しくってしょうがない。
因みにMは大きなシャボン玉作りを購入した。
さてはてどこでしゃぼん玉をするのだろうか・・・・・・・


今日の料理は兎も角、テーブルに同席した上田の方、地元長野のご夫妻、そして長野調理製菓専門学校の石坂校長と和気藹々の楽しい一時を持てたことが良かった。
信州の良さ再発見した。
信州は《人も肉も野菜もブランドのようだ》
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梅に鶯 どちらも幼さを見せた

2009年03月21日 | 日記
3月21日(土) 晴 風もなく穏やか 少しだけ冷たさを感じる風がある



今日から外仕事が本格始動です。
身体の慣らしからはじめるには最適のストーブ用の林檎の樹を軽トラに積み込んで下ろす作業だった。
普通ならチェンソーを使って切るところからはじめなくてはならないが五輪久保のYHさんは軽トラの荷台に載る長さに切ってくれてあった。
ありがたいことだ。



一回目運んで降ろし始めていると、鶯の初啼きが聞こえた。
初啼きと云うことだから“ホー”はまだ着かない、キョキョ・ケキョだけだ・・
何回啼いてもホーは云わず仕舞いだった。
俺が口笛で見本を示してやるとキョキョキョと慌ただしく3回啼いてどこかへ行ってしまった。
2~3日内にはホーを付けて啼けるようになって戻ってくるだろう。

午前中はりんご園と山裾を2往復して昼飯となった。
1回目で12時までもう少しと云うところだったが、昼飯はまだだという。
2回目に帰って来たところで全て降ろしきらないところで“昼だ”という。
どちらの都合を優先するかと云うほどのこともないので・・・・・
今年初の外飯と云うか・・・野良飯というわけだろう。


午後は2往復・・・・最後の荷下ろしは腰が結構キツイ!!
腕には力が入らなくなってきている・・・・
久し振りの重労働に身体が悲鳴を上げていた。
5時半を過ぎて全て完了・・・
庭は既に薄暗くなって来ているが、梅の木の花が咲き始めたようなの見に行く。
地面に近いところは暖かいのか二つだけ花びらを広げていた。


家の中に運び込むストーブの薪を移動して今日の仕事は最後となった。
裏口に向かうと横にある紫陽花の新芽が開きかけて淡い緑の葉を除かせていた。
昨年の花をそのまま残しておいたのが、花芽が出るのをたすけたのかも知れない。
世代交代を目で見るように昨年の花は摘み取らなければならない。
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お彼岸という一日 静かに過ぎていった

2009年03月21日 | 日記
3月20日(金) 晴 朝陽は出ているが元気がない 午後からは雲が一掃された

昨日の夕方からから気温が下がり気味だったが、三寒四温とは良く云ったものだ。
今朝はだいぶ冷えて外の空気もスッキリしている。

午前中はケーブルテレビでエコクラブの“仲間とエコを楽しむ一日”を放映したので齧り付いていた。
はじめて来てくれた人も楽しかったと云ってくれているので嬉しい限りだ。
終わってからから月曜日に役員会がある歴史研究会の年度末の会計報告、新年度の総会のレジメなど書いて終わってしまった。

「たてしな歴史研究会」は高齢者が多く、総会も事務的だけで終わったのでは、苦労して出かけてくるのだからもったいないと云う。
然りとて、どなたかに講演をお願いするわけにも行かずに、町内の『お話バスケット』という団体に出演をお願いした。
この会は、小学校で子どもたちに読みきかせのボランティアをしている。
日頃、超若い者を相手にしているので、たまには高齢者の相手も悪くはないだろう。

彼らは20年度長野県地域発げんき支援金を受けて大型紙芝居を創ったという。
それも、町内の昔話、“青木原の彦左衛門稲荷”を題材にしている。
芸達者の団体なので、我々歴史的高齢者の集まりである、『たてしな歴史研究会』の21年度総会には相応しいことだろう。

日本の野球が韓国に勝ったそうだ。
《そうだぁ~》なんて云うと今や非国民的な扱いをされると思うが・・・・
我が家ではいつの間にかMが選手の名前を呼んでアウト・セーフと叫んでいる。
かつては、右打者が打ったらサードへ、左打者が打ったらファースト・・・・と訳のわからないことを云っていた人だ。
日本の国民的な野球ゲーム イヤ ゲームが着くとお座敷での遊びなのだろうか??
とにかく日本が勝ったことは嬉しいことだろう。

アッtというまに夕方近くなった。
しかし、5時半になってもてこの小さな集落も明るくて確実に春が来ている。


世間は三連休と言うことだが、山裾の集落は人影もなくただただ静かな一日が終わろうとしている。
浅間山は最後の夕陽を少しだけ浴びて僅かに紅く染めていた。
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六十路の峠越して 花粉症となる

2009年03月19日 | 日記
3月19日(木) 朝から生暖かい 午後には風が強くなり 最悪な状況

景色はボンヤリして朝飯の時までは未だ良かったが・・・・
片付けてから生ごみの処理のために畑の端のコンポストまで歩いた。
風はほとんどないが僅かにそよぐ呈だった。
しかし、裏山の杉の木も神社の杉のかたまりも何となくざわざわして煉瓦色の枝先を揺すっている。

コンポストの底の方まで新鮮な空気を入れるために撹拌していると、鼻がなんとなくムズムズしてきた。
トタンにクシャミだ!!
目がカユイ・・・・慌てて家の中にはいるが、目の上から頭に掛けた中の方が重い。
今年はついに完全な花粉症に陥ったようだ!!
数十年の蓄積が溜まりに溜まって爆発したようだ。

目が霞む・・・・・
東の浅間山を見ると頂上付近の雪はこの暖かさでだいぶ解けているが、ベールを掛けられたようにボンヤリしている。


浅間山も杉花粉と黄砂のベールを被せられて、一気に爆発でもしないだろうか?
俺はアレから盛んにクシャミが出る。
頭は更にボーットして額の奥が重く目がかゆい。
林檎畑に薪にする樹を切りに行かなければならないが・・・憂鬱だなぁ~

夕方?夜に公民館に向けて出かけた。
風はおさまっているが暖かい風が吹いている。
クシャミをグッとこらえて軽トラのドアを締めた。

公民館に7時15分についたが仲間は誰も来てなかった。
今日から夜の会合は7時30分に変わっていた。
きょうの会議は、9条を守る会だが、実際には『暮らしの中の憲法、暮らしの中の人権』連続講座実行委員会となっている。

憲法というと難しいと言うことだ、理論的にばかり学んでも日々の生活の中でどこに関係してくるのかがわからない。
自衛隊のイラク行き反対、とか、海賊退治に自衛隊が行くと戦争に繋がる??
多くの解釈があるが、国会でも本音で議論してくれれば良いのだが、多くの議員が選挙対策として言葉を発しているのが丸見えの時が多い。

攻めてこの町では人権をお互いに認め合うことからはじめなければ、この町は存続が危ぶまれることだろう。
楽しく学べる憲法って本当にあるのだろうか?
コメント (6)
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中華料理屋さんも生ごみは堆肥にしている

2009年03月18日 | 日記
3月18日(水) 春かすみ ボンヤリした天気だが 暖かい・・・

朝から公民館に出かけて講演会の準備をした。
今日の主催は「ゴミ減らしま専科」という役場に事務局がある、生ゴミ減量化の活動だ。
会場に着いたのは9時少し前、椅子を並べ、掲示物を張り出したころに講師が到着。
今日は、食堂の生ごみ+残飯の処理をどうしているかということで、町内の中華料理屋Yさんと、隣町の望月(現佐久市)のラーメンや「どさん娘」望月店の店長Uさんとなっている。
定刻に始まったが、一番バッターは中華料理屋さんのYさん、素敵な料理人の正副で現れた。


彼の所は一日の生ごみが30kgになるという。
しかし、ここで気になったのは残飯を水で洗い流してキレイにしてからコンポストへ入れるという。
しかし、一年間で500kgのコンポスト3つ分になるという。
正月からはじめて12月の野沢菜を収穫した後に畑一面に撒いてトラクターで混ぜ込むという。
店からでる生ごみは町の収集車には一度も乗せていないというから大したモノだ。
今日は忙しいと云うことで、30分の話を終えて変えられた。

次は、ラーメン屋なので、さぞかし油分が多くスープを取ったあとのガラなどの処理は大変だろう。


彼は家庭用はコンポストでやり店の生ごみは大きな丸い枠をつくりその中に入れているという。
かれは、林檎のジュースと米のとぎ汁、それに米糠、砂糖などを混ぜた物で、酵素をつくり其れを材料にボカシを作っているという。
コンポストも超大型コンポストも彼の独創的な装置を使うことで天地返しや空気を送り込む手間がなくなったという。
会場にコンポストを持ち込み手振り身振りで説明してくれたのが判った。


上の写真の彼が左手に持っているのが空気を入れる装置だという。
理論的にできていて素晴らしいものだ。
一日の生ごみの量が30kgで週6日の営業日だから1ヶ月720kgになるという。


これを営業用として町のごみ焼却場へ出すと60万くらいに成ってしまうと云う。
ゴミ処理に情熱をもって省力化を図っているのがすごいと感じた。
早速俺もマネをして装置を作ってみよう。
講演が終わった後も、このコンポストにはひと山が耐えなかった。


講演会が終わった後は恒例の農産物お持ち帰りコーナーが待っていた。
昨年の10月にタネを蒔き、生ごみの堆肥だけで育てたほうれん草が用意された。
立科の冬の寒さを越したほうれん草は甘いという。
我が家も全て鹿に喰われてしまったので、沢山貰ってきた。
コメント (4)
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急いては事を仕損じる 種蒔きは見極めよう

2009年03月17日 | 日記
3月17日(火) 曇り 雨・雪・晴れ 雲は多いが暖かい一日

昨夜の天気予報では朝から晴れになっていたが重たい雲が今にも雨を降らせるように構えていた。
8時ころだろうか大粒の雨が降り始めたと思ったら、すぐに雪に変わった。
このところ天気予報が当たるので『天気予想』から予報に呼び名を変えたばかりだった。


ひとしきり向こうの山がぼやけるくらいに激しく大粒の雪が降っていたと思うと次は陽が射してきた。
春の雪らしく瞬間的に地面を白くしたがすぐに地中へ浸みこんでしまう。
10分くらい激しく降っただろうか・・・すると今度は雲が割れて陽が射してきた。
地面が温かくなっているところに雨がしみ込み、次は太陽の鋭い日差しが射してくる。
まるで畑で野焼きでもしているかのように煙がたちのぼった。
集落全体が湯気に包まれているような春独特の景色だ。


久し振りにのんびりした一日、予定では林檎の樹を切りに行くことにしていたが、この雨でまたのここだ。
新聞ののケーブルテレビの番組表を見ると、9日の議会の一般質問を流している。
これは見損なっていたので見ることにした。
町議員12名の内三分の一が女性議員なので、なあなあの雰囲気がなくて良い。
はじめに登壇した議員は、町のごみ対策について、これも生ごみが燃やすごみの40%くらいを占めているので
生ごみを資源として堆肥化できないかということだ。
この町は多くの家庭が庭か畑を持っているので、コンポストを利用することは可能な環境になっている。
生ごみ処理は燃やすことが一番経費がかからないとの行政側の合理主義に反発して熱い意見を述べていたのがよい。


次の議員も地球温暖化防止活動に関しても質問で登壇した。
役場庁舎には前時代的な太陽熱利用温水パネルが付けられているが、これも壊れていたりで利用していない。
しかし、誰もがあの屋根をみて進んでいる町だと感心しているのだが・・・・
町長はじめ担当課長の答弁は奥歯に物が挟まったような云いようのないじれったさを感じた。


午後には暖かく本格的な春の到来を確信させるような天気だ。
しかし、三寒四温と云う言葉の通り、この地方は5月25日までは霜が降りると云われている。
部屋の中ではシンビジュームが一斉に花を開いた。


暖かいと云って種蒔きをするのはダメ、 急いては事を仕損じる の通りだ。
コメント (4)
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