12月30日(日) 雨 信州の冬としては暖かな雨の一日 夜には月がでる
午後一番で鎮守の杜の正月の準備に掛かった。朝からの雨は粒数が多くなったように感じるが社殿の中に入ると茅葺きにトタンを張った屋根なので雨音はしない。また、奥の拝殿の掃除を見ると僅かながら外の明かりが見えるのが穴が空いているようだ。倉庫から取り出した諏訪社の梶の葉をあしらった紋が染め付けられているが脇に奉納した月日、大正12年と書かれていた。相当に古くなっていっているがマダマダ現役でやっくに立ちそうだ。
雨が降る中一の鳥居から三の鳥居に紙垂を着け、更にご神木にも紙垂を着けた。神殿の正面に幕を張り、賽銭箱をだして落ち葉などを掃き清め作業を終えた。これだけもで一時間くらいは掛かってしまったが、今日の雪は明日の晴で溶けることにしてあとは神様にお任せすることにして作業を終えた。
夜は昨日につづき子ども獅子舞の稽古、子どもたちには一日違っただけで成長の素晴らしさを知らされた。子ども同士の遊びの中で囃子詞の練習や太鼓のリズム、中学生を先頭に保育園児まで、集落の絆、地域の絆がこのようにして仕上がっていくのだろう。小中学生から高校、そして更に上の学校や大学、そして社会人となり地域文化の発信者に育っていくのだろう。
大人は獅子舞で子どもたちが振る梵天を新調するために、半紙を折り、切り分けて紙垂を作る。獅子が両手に持つ梵天は色紙で、風邪の神を払い出す役は白の大きな一本の梵天を使う。紙垂の作り方も代々伝わって来たことで要領がよい。俺は仕上がりを見て、半紙に定規を当てて線を引き、それを数枚作ってカッターで切る。これは大層手間が掛かる作業だが、親から子へ伝えられた更に工夫を重ねて来た面々の要領の良さには感服した。
新年を迎える獅子舞は大晦日の日没から始まる。信州の習わしなのか、この集落だけは定かでないが、日没に獅子舞を合図に新年行事がはじまり、神棚に二礼二拍手につづいて、神社の直会と同じように一頻り正月料理に舌鼓を打つという。それから二年参りで鎮守の杜、檀家となっている寺で除夜の鐘を突くのだそうだ。