田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

遅れた薪作り 鶯とキジが応援の声を掛けてくれる

2012年03月30日 | 日記

3月30日(金)  晴れ   薄い曇が被っている暖かな一日  風が強い

夜半の激しい風は夜が明けても、朝飯を摂っているときも吹き続け、予定の外仕事を躊躇させるほどだ。

来週になれば新たな薪材を運び込むことになるので、予定は未定などと云ってはいられない。積み上げた太いリンゴの木は一本が80cm~120cmになっている。これを40cmの長さに切り分けるのが今日の作業。

切ったものは先ず、下屋に積み上げた。これは雨が降っても薪割りができる。有言実行、雨ニモマケズ といきたい。

久しぶりに昼は外飯と宣言して作業を始めたが、風の強さに外はダメの一言。一端、家に入ると飯だけで終わらないがキツい。待ってましたとばかり、Algoが俺の膝の上にのり、落としても直ぐに乗ってくる。こうしてくれるのはAlgoだけとしばし、昼休憩となった。

2時からの作業開始、球切りを全て終えたのは4時を廻っていた。3時を過ぎる頃には山際の畑にキジが現れて盛んに雄叫びを上げる。カメラに構えると今日の作業に遅れが生じるのは自明、ジッと我慢で耳で楽しむ。裏の山では朝から、鶯がしきりに啼いている。彼もすっかり縄張りを主張するだけのハリのあるウグイスの声を聞かせてくれる。

細い木は新たに積み始めたが、丸い木は安定が悪い。今年は4本のログ・タワーが立ち上げる予定だが、完成はイツになるだろう。梅雨明けには四本の高さが揃ってほしい。

久しぶりのチェンソー、中腰の作業は腰によくない。チェンソーの刃を研ぐときに俺の腰もストレッチをして手入れをした。太い樹を下屋に積み上げるのも高くなるとキツい。

積み上げた薪も割るときには降ろさなくてはならい。これを考えないであまりタカク積むのは危険だ。下屋はこのくらいにして ・ ・ ・ 

屋根の下に積み上げられないものは脇になれべて、大鋸屑の回収、オガクズは缶にいれて灯油で湿らせて、着火材として使う。全ての作業を終えたときはジャスト5時30分、実働七時間と云うことだろう。

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春が来た ほんとの春 暖かな一日

2012年03月29日 | 日記

3月29日(木)  晴れ   温かい 快晴   動きやすい一日

日乃出時刻はだいぶ早くなってきたし、朝陽も浅間山に近づいている。今朝は鎮守の杜から太陽が昇り、春本番を祝っているかのようだ。景色としてはいつも邪魔者にされている電信柱も今朝は、十字架のように黄金色に輝いている。

暖かさに誘われて庭に出ると、二番手の蕗の薹が頭を尖らした顎が突き破ってきた畑土を押しのけて開いている。春本番の暖かさだと蕾を黒くする霜は避けられるだろう。

玄関脇の黒龍、冬の間沢山の黒い実を葉の中に隠すようにしていたが、温かくなると背筋を延ばし、沢山の実を高く掲げだした。これを見つけたヒヨドリが啄みに来ているが、コクリュウも子孫を移動させる手段に、ヒヨドリを利用しているのだろう。

 

玄関前の石段では角の隙間に根を張ったドコンジョウ・ナズナ、花を見せるまでは、引き抜いては可愛そうと思っていた。

正月明けのころ、緑の野菜が少ない季節に濃い緑で食卓に彩りを見せてくれたナズナ。食卓に送り出した仲間の分までもしっかりと花を開いている。燐寸棒の先ほどの白い花、春一番の可憐な仲間にいれよう。

昼過ぎ、児童館に出かける前に浅間山を見ると、黒斑山に大きな上向きの矢印が描かれている。少し左の小さな矢印は、前にも見たことがあるが、こんなに大きな矢印と云うか、傘の雪型が見えたのは初めてのことだ。

午後は昨日のつづき、児童館の春休みEco教室。カリキュラムはゴミの分別をゲーム様式で学ぶ。先ずはNさんのMAGIC、新聞紙のリサイクルは切り刻んだ新聞紙を袋に詰めこんで、オマジナイをカケると、なんと!!新聞紙が元通りになるという。これを見た子どもたちは目を大きく見開いて・・・モウイッカイ。

ゴミは全てが宝物、「リサイクルをすると形を変えたモノが生まれる」ことは子どもたちもしっかりと学習している。お母さんのゴミ裁きを近くで見ている子は、俺にも判らなかった、牛乳パックとジュースの紙パックを一緒にリサイクルに出してはいけないという。これは、立科町方式らしいが、容器包装法とかの関係と云う。

ゲーム感覚でゴミを仕分け、Eco教室は90分で終了、二日間の“Eco教室”充実した催しだった。自画自賛ではいけないが、子どもたちの、次はイツには嬉しくなった。 スタッフの皆さんお疲れさまでした。

詳しくは http://garbageate.exblog.jp/d2012-03-29/ をご覧下さい。

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久しぶりのエコ教室 立科の子どもは逞しい

2012年03月28日 | 日記

3月28日(水) 晴れ 昼から曇り 夕方には 雪 低気圧の通過と云う

日乃出前から東の薮では鶯が盛んに啼いている。西の畑を隔てた竹藪でも陣取りに夢中な鶯は啼きかたも幼鶯とはことなり、老鶯を伺わせる技が聞こえる。

午前中は、先日会計監査を受けた「歴史研究会」の総会に向けた資料を整えた。会長から預かった事業報告を合わせ会員に配付できるようにしたが、総会は例年の如く、「田植えが終わった頃にしやしょう」と6月になる。資料をどこへ閉まったか忘れないようにすることが俺の一大仕事だろうか。

午後は、春休みの子どもたち、児童館でEco教室が行われる。カリキュラムは“たてしなエコ・クラブ"が毎年企画して、春と夏に二日間づつ受け持つ。今年は「マイ箸作り」として、モッタイナイ生活の一つ、常にマイ箸を持ち歩き、割り箸の消費を控えようと云う、町の消費者の会に賛同してのこと。

材料は町の特産品「リンゴの枝」を使うのだが、昨年の原発事故で立科町にもセシュムが飛散したと云うことから、二年前のリンゴの枝を使った。作り方はカッターで先を細く削り、その後にヒマワリのタネを絞った油を塗る。更に箸袋を作ってお持ち帰りと云う段取りとなった。

小学生一年生から六年生までが参加しているが、一年生でもしっかりと刃物を使う男の子、切り出しナイフの何処が刃なのか判らないと言う女の子、見ていると怖い怖いけれど、30分もするとコツを掴み器用に刃物を操るようになるのは凄い。

6人のスタッフで目配りを怠りなく、刃物を使い切って、それなりの箸ができた。先ずは油を塗る前に、箸の正しい持ち方を教えると殆どの子が出来ている。鉛筆のように持った一本の箸の下をくぐらせるように、もう一本の箸を持つ。ガラスのビー玉を配り箸でつまませると上手に掴むのには驚いた。箸が手に馴染むことを確認した後は、ヒマワリの油を塗り込んでできあがり。今までは白っぽかった木に肌が、亜麻色に変化して木の皮の赤茶色がシットリと輝きだした。あとは箸袋を和紙で作る。これも千代紙を貼り合わせたりしながら。自由の発想で作らせるがセンスがよい。

 

日頃の生活に三世代で生活を共にしているのが見えるようだ。話をしてみると、お婆ちゃんに教えて貰ったと云う声があるし、男の子のナイフを器用に使う子はお爺ちゃんやお父さんと竹とんぼを作ると云う。

割り箸を使わないでマイ箸を ・ ・ ・ とは云うが、食堂などでは衛生面から自分の店で出す箸で食べて欲しいと云う店があるそうだ。

詳しくはhttp://garbageate.exblog.jp/《たてしなエコ・クラブ》をご覧下さい。

児童館を出る頃には雨が降り出していたが、山裾集落に入ると雪に変わった。この所の暖かさで殆ど雪は姿を消したが、降り出した雪は止めて貰いたい。

夜、19時から落語「立科寄」と「音楽会」を企画・公演する団体、やらず会の役員会が開かれた。町内での演奏会も盛んな時期もあったと云うが、今の時代は低調になっている。役員会ではそうしても、昔の良かった話しになるが、今の現状をどのようにするかが課題だろうか?二時間の会合も、呑み屋での話し、会議と宴会がごちゃ混ぜになるのは味にも影響するが、消化不良になるのがいけない。消化不良は店の料理ではないことをお断りしておこう。

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暗闇で 冬のりこえし 花冬

2012年03月27日 | 日記

3月27日(火) 晴れ  温かい 春本番のような 一日

午前中は隣町のMさん宅に伺い、田舎暮らしの会の春のイベントや、新年度のことを話した。

彼も東京から移り住み田舎暮らしの会の役員の中心的存在になってくれている。明日は5月の塩田平らピクニックの下見に行くとことになっているが、俺は他の予定がありお任せすることになる。テレビや雑誌で田舎暮らしを、のんびりと過ごそうなどと呼びかけているが、実際には田舎に入ればそうはいかない。移り住んだところが田舎になればなるほど、地域の保全や繋がりは自分たちで守り続けなくてはならない。集落の役や区(都会の区とは違い、集落が5つくらい集まった地区)の役員に就かなくてはならない。家に戻ったのは昼過ぎになった。ガレージの奥、黒竹の植わる際に被いを掛けてある椎茸のホダ木を除くと、ずんぐりした上物のドンコ(冬)がでていた。

ドンコを覗き込むように見ると、厳しい寒さのなか、内側から少しずつ育ったためにキレイに花のような紋様ができている。手を触れるとシットリとした感触は、俺の想像に反するものだった。椎茸で云うと特別の上物とされる“花冬"だろうか。

鶯の 初なき響なひびき 花冬 (哉)

椎茸の姿を見ると既に春と云うことを実感する。Iさんから貰ったホダ木も、椎茸の菌コマも購入してある。早く、打ち込んで準備をしなくてはならない。午後は社協へ行き、明日のエコクラブで使う用具をかりだした。

廊下の脇に積み上げた薪の山もこのところ、消費が少ない。一月前はこのくらいの山は3日で灰と化した。ストーブも4月になると朝晩の僅かな時間だけ火を欲しがるが、あとは6月の梅雨寒のときに重宝する。これから花冬く薪は細いモノの方が重宝だ。焚きつけて直ぐに高温まで上げるだけで、あとは薪を必要としない。

家人Mが誕生日だと云う 幾つになったのか? 姿形では判らない

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少しだけ気が楽になる 年度末の作業

2012年03月26日 | 日記

3月26日(月)  晴れ  太陽がでていても寒い 冷たい

夕方になって西の空を見ると三日月と☆が縦に並んでいた。太陽がでていた昼間と比べると、気温は冷え込み更に風が冷たく、温度計を見ると既に-2℃。

肉眼で見ていた三日月も、カメラからパソコンに取り込んで見ると、月の内側が薄く丸く見える。月にも残照という状況があるのだろうか?それとも俺の手ぶれから光軸がずれてしまったのだろう。

 

おぼろ月手に届くほど春弥生 ☆連れ合うて 細き月かな(哉)

午前中は、社協、公民館、郵便局、役場、クロネコ・デポ、他1カ所と廻り、年度末の片付けを済ませた。役場は新年度に向けた人事異動で予定していた担当者が変わる。関連するの係りの移動、少し不安な面もあるが、行政のこと、俺ごときの心配は無用だろう。

昼の家飯(近頃は昼の外飯は皆無)のあとに、「たてしな歴史研究会」収支報告書を印刷して午後の監査に備える。これも、朝の郵便局で来年度に繰り越す現金を預金に振り込み、通帳を見ると利子が入っていた。近頃は銀行でも郵便局でも農協でも、利子などは当てにならない。これも俺の口座の桁の低さを忘れてのことだが ・ ・ ・ 

午後三時に監査役M氏宅を訪問して監査をお願いした。年間の事業も少ないこともあり、動くカネも桁は5桁までのこと、直ぐに記名捺印をうけることができた。あとは久しぶりにゆっくりとした時間、で沢山のお菓子やお茶をいただきながら、来年度の活動のことなどを話すことができた。話しに夢中になり、いただいた佐久市の観光協会発行のウォーキングマップを忘れてきてしまった。

今日は一日が短く感じたが、年度末の始末を付けると、急に来年度のことが頭に浮かび始めた ・ ・ ・ 困った性分なのだろう。

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山裾集落は日本海と太平洋の真ん中 鬩ぎ合い

2012年03月25日 | 日記

3月25日(日)  晴れ   曇り雪   晴れ   霰   夕方には快晴

朝は天気が良く障子を透す陽の光で部屋は明るかった。春の装いを観察にと外に出て見ると、風が冷たい。畑から道にでる際には、沢山の蕗が出るのだが、今年は写真の二つと他には僅かなだけだ。蕗は「鹿が食わねぇで増ぃーて困るぅ」と集落の婆様から何度も聞く言葉だ ・ ・ ・ 

朝陽がいつ曇に閉ざされたのか、風の冷たさで気がついた。庭の先端の梅が咲き出していると思ったが、ヤハリ未だだ。今年の寒さのためか、樹の花たちは冬の「日照時間の合計で咲く時期が決まる」と何かで読んだことがある。梅の花がそれに適するのかは知るところではないが、この冬は雪の降る日が多かったことは確かだ。

風の冷たさに負けて家に入ると、直ぐに雪が降り出した。窓を見てホコリっぽいように見えたのが雪だ。正月前から一週間に2回位は雪が降った勘定になるだろうか。

昼過ぎには再び青空が広がり、太陽が照りだした。薪材のリンゴの細い枝を切ったままになっているので、片付けに外に出た。新たに薪を積み上げるところを見ると、月見草の葉が密度を高くして張りだし、葉を赤くして厳しい冬から根を守りきった。春が来たことを知らせるかのように、中央の葉は上に向かいだしているように見える。この上にパレットを置いて、薪を積み上げるわけにはいかない。

月見草に敬意を表しパレットを反対側に置き、細い枝を並べ始めると、こんどは霰が降り出した。ブルーシート上でバサバサと音を立てながら弾む。濡れる訳ではないが、作業は止めろという信号と理解して、明日の心とした。

俺が作業を止めて家に入ると直ぐに霰は降り止み、陽が照りだした。今日の天気予報でも、太平洋側は晴れ、日本海沿いは雪だと云っていた。ここは、相模湾と柏崎の中間、太平洋も日本海も100kmもない距離にある。天候の左右は致し方ないが、これが原発の放射能だと困ったことになる。

夕やけに薄く染まった浅間山

放射能が人の目に見えるものだと

政府も、保安員も、原発関係者も

隠すことはなくなるのだろうか?

夕焼け空は 何時までも浪漫であって欲しい

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晴とまではいかないが 春の曇 風はまだまだ冷たい

2012年03月24日 | 日記

3月24日(土) 曇は多い 空気は冷たい 風も冷たく 午後には陽がでる

2週間前の土曜日に行われた、たてしな歴史研究会主催「町民歴史公開講座」に出席できなかった人や、後から新聞を見たので当日の配付資料が欲しいなど、数人がボチボチと我が家に電話を掛けてきた。その都度、資料を整えて送るのも手間が掛かる、数人がまとまった今朝から、準備に手を付けた。

ところが、当日の講演は長野県歴史館の学芸員が講師で、配付資料は文字が小さく、映写機で写真を多数投影したために、それが伴わないと資料だけでは判りにくい。庶務係のお節介というか、親切心というか、写真資料を適当に配した資料を、当日の写真の載っている本から取込、一部の方には午後の宅配・クロネコ便で送り出した。残る数件は明日と明後日に送り出す。

午前中は殆ど曇っていたが、遅めの午後太陽が傾いた頃、太陽がスポットライト的に群馬の荒船山を照らし出した。冷たい空気で景色がスッキリしていることもあり、荒船山につづく物見山などがユニークな姿を見せてくれた。冷たい風なのだが、空に浮かぶ雲は如何にも春の風情を見せ、白の中に薄く紅を思わせる色を観た。

外にでたついでに、庭で春一番に咲く濃いムラサキのスミレが見たいと、何時もの場所を探すが見当たらない。茶色の落ち葉の裏側で花が開いているのではと、丁寧に裏返して見たが皆無だ。 結局は幾つかの開きかけの蕗と他には、冬の間、厳しい寒さから根を守るために緑の葉をビッシリと幾重にも重ねたノゲシの仲間が見られるだけだ。

東の先に見る浅間山は、雪雲が纏わり付いて頂上部分は隠れている。冷たい風はカメラを持った指を、更に冷たく感じさせる。二月の始めにはそれ程、冷たいとは思わなかったが、今の気温は、あの頃から10℃食らい高いのに ・ ・ ・ 。

 

井戸水で洗う手に ほんのり温かさを感じた 夏の冷たさを思い出す

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濡れてはいけない春雨 雨で予定は変更となった

2012年03月23日 | 日記

3月23日(金)  曇り  直ぐに雨が降り出す  夜には風が強い

風でガタガタと音を響かせている戸袋の中の雨戸、この家ができから一度も使ったことがない。家を建てるときも雨戸はイラナイと云ったのだが、工務店の頭領が、云うにはセットになっているととか云われて戸袋の中に入ったままだ。入ったままと言うよりも、中のモノを引っ張り出したことがないので、、ホントにはいっているかは定かで無い。

AlgoとSalaは見ているだけも飽きない。この二人の関係は微妙なのだ

午前中は伸ばし延ばしにしてもらっていた、町の歴史研究会の会長宅に伺い、先日の公開講座で建て替えて貰った費用を精算した。俺はこの会の庶務ということで、たいした事はやっていないのだが、会計がズル休みをしたまま、5年以上も俺に預けたままになっている。だから、お金の管理もしなくてはならない。これも、年間に動く金額はたいしたものではないので、気は楽なのだが・・・・、会員が歴史的な部類に入る世代が多いためか、毎回、“俺は会費払ってあるかぁ~”て確認に来てくれる人もあれば、"俺は払ってあるよなぁあ"としっかりした目つきで覗き込まれることもある。こう言うことだから、会計もいつまで俺が代役をしているのもイヤだ。

そんな話をしながら、会長宅で1時間半くらい話し込んでしまった。今日の予定は去年の暮れから、庭に積みっぱなしのリンゴの薪材を長さを切りそろえて、割る作業が予定されていた。割るのはともかく、チェンソーで長さを揃えm下屋に入れておけば雨が降っても作業ができる。予定が狂うと云うことは ・ ・ ・ なのだ。

夕方、カメラに入れっぱなしだった写真を見ると、少し前の天気の良いときに写したシクラメンがある。この花も家の中で天候に関係なく花を見せてくれるが、外は寒くても陽のあたる窓際に移してやると表情が変わるし、色艶も変わってみえる。そう言うことを口に出すと、「花には変化はない」とキッパリした声が聞こえそうだが、写真を見てもやはる変化しているようにみえる。

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来年度こそは 追われない日々を 繰り返す言葉

2012年03月23日 | 日記

3月22日(木) 曇り  南からの微風 温かい 太陽は顔を見い

午前10時から福祉センターで某組織の会議が開かれた。この時期の会議は、来年度に決めるお定まり。分厚いレジメの読み上げからはじまった。

俺が、この会議に出るようになったのは3年前、ボランティア集団の連絡役程度に考えていたのが、自動的に組み込まれる組織の一人となる仕組みになっていた。もっとも、他のメンバーも団体代表や組織に携わって来られた方がいる。任期は2年、今年は何の評価もないまま継続とされて、今日の会議に出席となった。

福祉を向上させるとこと、と管理をするバランス、特に、ここの人は行政丸ごと出向しているため、福祉より行政組織の立場が優先される。金が掛かることばかりが先に頭に浮かぶ、短絡的な御仁がいるのは困ったことだ。こう言う組織が元気なるには、金だけがヤルキを起こさせるものではないだろう。“根無し草”故に立場がないのは承知のうえ、花が咲かない草でもホコリは押さえられると思う。 

云うほどに 虚しさも見え 口渇き (哉)

事業計画で様々な意見がでたのは良いこと、挙手全員で全ての議案が可決となりました。会議終了後は、明日の活力、何時ものカツ丼は姿を消し、ショーカドーって落ちがつく。

家に戻り薪割り、午前中の気分のを一掃するのに、4年前の薪を焚き着けように細く割る。モノ云わぬ、言われぬリンゴの樹 ・ ・ ・ 

しばしの休憩の後、夜に開かれる町活センターのレジュメを確認。

朝とは異なり、和気藹々と(思える)ミーティング、新年度の総会まで1ヶ月、飛ばしすぎと自問しながらも、15分超過で2時間のミーティングは終わった。

 

 余すほど 切られる想い 予算建て 拘り観える 文字の裏側 (哉)

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いつもの と云う言葉で 云ってはいけない

2012年03月22日 | 日記

3月21日(水)  晴れ   春の陽射し 冬の風  春になりきれない

月末の水曜日ではないが、病院通いとなる。2ヶ月前のこと「3月の後半は学校が休みなので混みますから、早めにしてください」と看護婦さんに言われ、いつもより30分早く予約時間を決めた。それに合わせて家を出るのも早くする。

病院に着いたのは予約時間よりも30分も早くついたが、採血をして眼科へ向かうと予想以上の混みようだった。待合のイスが満杯、隣の心療内科も、泌尿器科も、中央廊下を越した歯科も満杯になっている。そして、いつもは聞こえない子どもの泣き声が賑やかさを倍加させた。しかし、俺は廊下で立って本を読んでいると3頁も進まない内に名前が呼ばれ、視力検査となった。検査は直近のディスプレイに向かって右デス、上です・左カナ ・ ・ ひら仮名の“こ”のようですね。などといい加減な表現で応えるのだが、検査女史さんは「そうですね、ランシですから」とキッパリと言う。俺的にはこの検査女史との対話がリズムを感じるので心地よい。数分の検査で次の診察を待つのだが、不思議にも待合のイスが空いている。この数分の間に何が起きたのかはしらないがイスに座り読みかけの本を開いて、次も数頁数えるほどで診察となった。眼圧15と17、高いですねと医者の声、しかし、この眼圧の乱高下の状況がナゼなのかが判らない。辛いモノを喰ったから、夜なべしてパソコンに向かっていた、とか激しい運動をした ・ ・ ・ とかは関係ないと医者は言う。ここでも、目の中見ますヨっと云って単眼鏡のようなモノを俺の眼に当て、上・斜め右・右と順番に云うのだが、突然一つ飛ばして「左」とかになると、俺は目の玉を左回りで進めるのか、右回りです進めるのか迷う。医者としては患者に「目の中を見まる」と云ったが、実際には眼球を動かす神経の機敏さを確認しているのだろうと勘ぐってしまう。

医者通いでも、昔のように俺の躰に直に手を触れて見るのは眼科だけ、次の内科はデータ重視と云うか、直前の血液検査の結果が表示される画面を見て、数値の変動を指摘するだけで終わるのだが、今日は少し違った。俺も今年で70才になるので、躰の変化を確認しておきたいと云うことから、内視鏡検査を申し込むと予約表が画面に現れて、次の診察日に合わせて見て見ましょうと、その日の検査予定の表が、いつもは俺の血液検査結果だけを表した画面に飛び込んできた。素晴らしい ・ ・ ・ 俺的には検査室へ行って予約を採ってきてくださいと云われることを思っていた。

っと云うことで、後記高齢者予備軍の俺としては、胃癌や食道癌の検査ができる。酒も煙草も呑めない俺的には、新聞の評価基準から云えば低いランクに当たるのだが、臓器提供ドナー登録をしている故、なるべくなら前歴のない臓器を次世代に贈りたい。

全てが終わったのは1時15分、予約時間が30分繰り上げられたことで、いつもよりその分早く終わった。駐車場もスムーズに入れたし、こんな心地よい病院通いは、オマケが必要と“何時もの蕎麦屋”へよった。

今日は写真がないので ・ ・ ・ http://mensabo-tsutaya.cocolog-nifty.com/

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氷風浅春 木々の芽生え

2012年03月20日 | 日記

3月20日(火) 高い曇 弱い陽射し 春分だと云うが まだまだ

昨日のつづき、シャックリの薬の副作用が続いている。薬の袋を見ると“コントミン25mm”とあるが、ネットで調べると睡眠誘発剤とあり、シャックリにも効くとある。呑む前にネットで調べれば良かったが ・ ・ ・ 後の祭り、と言うわけで、昼を過ぎてもボンヤリしている。

俺は睡眠薬なるものは初めて服用したが、こんなに身体が薬に敏感だとは思わなかったが。昼飯を済ませても身体全体がだるく、手指もむくんでいる。困ったことは、PCで団体の年度末の〆をやりかけていたが、その資料をどこから曳いてきたのか覚えがないのだ。数字も何を根拠にしたのか、記憶にないことが多い。俺のような日頃からボケが入っているような者にはシャックリが出ている方がよさそうだ。

頭を冷やすために散歩に出たが、裏山に崖をよじ登ろうとしたが足下が覚束ない。あらためて廻り道をして石積みの上を歩くと、春から秋まで小さな可憐な花を見せてくれるイブキジャコウソウが葉を真っ赤にして寒さに耐えている。風が通り抜けるところの葉は全て茶色く枯れているが、石の温もりに枯れることはなく、色を変えて一冬を耐えたようだ。

一段上がったところにあるムラサキシキブの中に、枯れた草が垂れ下がっていた。枯れ草の垂れた先に黒い実が表面をテカテカに光らせているが、この草の名はなんだろうか?このタネをもぎ取ってポケットに入れた。黒い外側の皮に切れ目をいれて、植木鉢に撒いてみよう。 

 

裏山に入りクマササを分けて登っていくと、低いところに落葉松の枝があり、松ぼっくりが着いてた。他の季節なら差ほど気にならないが、花の咲く春には間がある今、ダリアの花のように花びらが重なり合っていた。

不整地の山を歩くと長靴が脱げそうになるくらいに歩きにくい。上の道に張られた鹿除けのネットが見えるところまで登り、方向を変えて降りのコースを歩き始めた。ここは笹の中に太い樹ががある。だいぶ下がったところまで来ると、笹の中に獣道が見えて、その先にあるニセアカシアだろうか、雄鹿が角を研いだあとがある。掌で触ってみるとその角の力強さがキズの深さで判る。反対側の樹には同じ角のキズといっしょに茶色い棘のような硬い毛まで着いていた。ここは鹿避けの金属製のフェンスを張った内側であり、鹿は来てはいけない場所なのだ。

獣害と 云われし所以 人の業 追われし山を 我の居処に(哉)

更に下ってくると、辺りにはまだ春の芽を出している樹はないが、一本だけ赤い芽を見せてくれた。手指のような赤い芽はこの先、花になるのか?葉になるのだろうか?

 

 見るほどに 冷たき春の 芽の赤さ (哉)

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シャックリ止の薬で爆睡 予定はないが困ったものだ

2012年03月20日 | 日記

3月19日(月)  雪  昼前には晴れる 冷たい風

昨日は予報では雪から雨だったが、外れて雪も雨も降らなかった。しかし、今日は朝の内雪、それからは曇りのち晴れとなっていた。と思うのだが ・ ・ ・ 夜半の雪はやんでいたが、北からの風に乗って白く舞う風花が見えた。東の空は太陽の姿は見えないが、曇が切れてオレンジ色に輝いた。

立春前だと云うのに信州では景色はまだ冬。それでも僅かに春らしく思えるのは霧が多くなったこと。浅間山は厚い雲を押しのけて地表の霧が上昇する中、勢いよく噴煙を上げている。この噴煙は太陽が正面から当たる場所から見ると水蒸気と判る白い色をしているが、逆光で見ると黒く、如何にも活火山の威厳を表すかのように黒く見える。多くは噴煙を見せない穏やかと云うよりも辺りの山と変わらない平凡で温和しい山に見える。

太陽が高く昇ったころには浅間山に掛かっていた北からの雪雲は勢いよく南に流れ始めた。昨夜の雪で白く雪化粧をした浅間山。このときは僅かに噴煙を白く見せているが、北からの風に吹き上げた噴煙は押さえられ山肌にそって裾埜へと転がり落ちるように見えた。

昼前に生ゴミ堆肥の段ボールを開けると、中の温度計は40℃を示していた。昨年の9月から2~3日おきに800g程度の生ゴミを投入しているが、微生物の分解で全体量は段ボールの2/3程度なもの。今までは寒い日が続くと生ゴミは残っていることがあったが、近頃は殆どのものは分解されている。春が近いことを証明しているかのようなものだが、来月になったら肥料にするために畑の土と混ぜて再発酵させ熟成させたい。

夕方にシャックリが出始めた。どのような状況からかは覚えがないが、これが出始めると止まらなくなる。晩飯のときは止まっていたように思うが、再びシャックリがでて止まらなくなった。仕方なく、以前、医者に出してもらっらた薬を一粒呑んだ。栗の袋には「寝る前」と書いてあったが、これは、風邪薬にも書いてあるようなものとして気にせずに呑んだ。それが、30分もすると躰の力が抜けだるい、呂律がオカシイ、睡魔!!ものすごい勢いで睡魔が押し寄せてきた ・ ・ ・ っということで、いつもより3時間以上もはやい午後10時には爆睡していた。

今朝も起こされたのが8時 ・ ・ ・ 今になって昨日のブログを書いた。。

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霧中一日 ボンヤリと過ごすには最適

2012年03月18日 | 日記

3月18日(日) 濃霧 霧が間断なく流れる 寒くはない一日

朝から深い霧、時間が経っても一向に晴れてくる様子はない。正面の民家が薄ボンヤリと見えて空が明るくなるので、太陽が出るかと思うと再び濃い霧が東から流れて手前の桜“プリンセツ雅”が見えなくなる。こう言う状況は俺の心境とピッタリして、五里霧中とでも表そう。

昼前、明るくなったころ、久しぶりにモズが激しく啼く声が聞こえた。ネコでも霧に紛れて彼の餌場で待機しているのだろうか?枝に止まりながら盛んに地面を見下ろしては、首を廻し辺りを警戒する。モズの動きに合わせてシャッターを切るが、曇り空なのでモズの目に光が入らない。この時期では彼の敵は殆どいないが、時たまモズの止まる枝を目掛けてヒヨドリが飛び込んでくるだけだ。猛禽類といっても嘴だけが武器になるという彼、足の爪で獲物を掴んで息の根を止められるのは昆虫程度だろう。モズには小動物はムリのようだ。

午後になって、益々霧が濃くなり、気温も下がってきた。ストーブに火を入れようか迷うところだが、BSテレビで“ALWAYS 三丁目の夕日を見ていたので、ストーブは後回しとなった。この映画、昭和35年頃と云うが、俺は高校生、それほど実感がわかないと云いながらも、続編まで見て夕方になってしまった。Salaはベッドで丸くなりAlgoはSalaをユタンポ代わりに枕にして寝ている。

映画が終わってから、ストーブの灰を掃除して火を着けたが、Salaは余程寒かったのか、炎が上がりだすとベッドからすり抜けてストーブの前にドサッと横になった。のんびりした一日、たまには濃い霧に包まれるのもよい。

夜になって夢酔氏のブログを見ると、昨日は家妻Mが胴体をバッサリ切られたそうだ。上下に分かれたMはどうしたのか ・ ・ ・ 下記サイトをご覧いただきたい。

http://blog.goo.ne.jp/musui1810/e/4f6ef9ba1ef0a489d9a6829597171bea 

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鬼の霍乱 予定変更で休息の一日とする

2012年03月17日 | 日記

3月17日(雨)  寒気を感じる一日

午後に社協のイベントでマジックショウがあることになっており、俺も役を言い渡されていた。しかし ・ ・ ・  

昨夜から体調が思わしくない。昼に庭の白樺を切ったときに汗をかいた。チェンソーを使えば作業も一瞬で終わるし、汗をかくほどの運動量はない。手軽な剪定鋸で簡単に切れると思ったのが間違いだったようだ。しかも、その後に汗をかいたまま薪運びをした。薪運びは一輪車3杯分を移動したのだが ・ ・ ・ 北側の冷たい風が通り抜ける場所では陽も当たらず寒さを通り越して冷たさを感じた。

今朝になってイベントの手伝いをキャンセルするために、仲間のM氏と社協のT女史に電話をした。俺が風邪で休むなどということはなかったので、少々驚きの声と共に信じられない様子だった。風邪でも熱はたいした事はないが、俺の平熱は36.5℃。1℃高い7.5℃くらいでは、余程の激しい運動でない限り問題はない。今朝はそれ以上の体温でもあるし、来週は休むわけにいかない予定がある。

朝飯は普段より少なめのトーストと紅茶で済ませ、昼はMが出かけることもあり、リゾットだと云う。リゾットと云うと聞こえは良いがシンプルな粥。栄養をつけることか、玄米に赤米(古代米)を混ぜて牛乳で炊いた粥 ・ ・ ・ 

食後のあとはよこになって、ネットラジオでクラシックを聴いていたがいつの間にか寝てしまったようだ。夕方にMが帰ってきたとき目が覚めたが、PCラジオはピアノを奏でていた。

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裏山の 梢で風が唄う 春は名のみ 風の寒さや

2012年03月15日 | 日記

3月15日(木)  晴れ  久しぶりの冷え込み 夕方は更に冷え込む

午前中はボランティア団体の一年の行事を思い起こしながら、あれこれと想いを巡らした。この時期になって、来年のことを検討するのも可笑しなことだが ・ ・ ・ 

昨日は町活センター(ボランティアセンター)の運営委員会と社協の事務局と話し合いを開いた。開いたという立場が逆だが、社協の組織であるボランティアセンターなので、社協が開くのが筋だと思うが、忙しいということでこちらから要望して実現となった。しかし、話は空鉄砲で終わったと云うか、ボランティア団体の代表で組織する運営委員会の基本的なあり方を事務局は理解するも運営までは手を出せないと云う。また、来年度の事業もノープランと云うか、あのーアイディアの状況だった。兎に角、ノーペイの町民が運営していく難しさを理解できないようなでこのまま行くと来年度で今の形は解消せざるを得ないのかも知れない。

俺が町民活動センターのことをアレコレ考えても致し方ないこと、組織として波はあるだろうが正常に運営されるをの待つしかないのだろう。

昼前に外に出て見ると、朝の霜柱は消えていたが福寿草の花は霜柱に挟まれて縦になったまま花を開いている。朝は花びらを閉じていたので霜が溶ければ太陽の方を向くのかと思っていた。

畑の隅では蕗の薹が雪解けの下から姿を見せている。今年は雪が多いので姿を見せるのが遅い。3月も半ばを過ぎたというのに風の冷たさには異常気象に近いだろう。

辺りを見廻すと一つだけ離れたところで、薄い緑色の蕗が顔をだしていた。この蕾を摘み取って春を食するという風雅なことも可能だが、今年のように雪と寒さに耐えてたえて陽の目をいたことを思うとしっかりと花を開き、子孫を残せるまでに育つのを見届けたくなる。

畑から少し下がった南の方へ行くと梅の木が数本有る。しかし、ここでも寒さの影響か三月半ばだというのに、蕾というのにはあまりにも硬く、開いて辺りに香を漂わせるのはほど遠いようだ。

「早春賦」の歌詞ではないが、“春は名のみ 風の寒さや”のとおり、まだまだ花を咲かせる暖かさに遠い。北側の屋根から降りてきた雪が樋を通り越したところで氷となって不思議な造形美を見せていた。ここを通り過ぎていく風は冷たく、薪を運ぶ手が痛いほどだ。

北側の陽の当たらないところで作業をしたが、あまりにも寒いので陽当たりの良いところへ向かったときに白樺が折れていることを思い出した。湿り気を帯びた重たい上雪のために折れたのだが、幹には無数の虫が掘った穴が開いている。これは白樺レストランを維持するには、消毒をしないので仕方がないことだろう。このように蝕まれた木は根元に近い方から新しい芽がdている。これも白樺の知恵なのだろうが、子孫を受け継ぐ準備が整ったので、雪に身を任せるようになったと理解したい。

 

午後の遅めに集落の公園整備事業の補助金申請を役場に提出した。今年度は当初の計画の3分の2程度しか達成できなかった。震災のこともあり、集落の行事も低調気味なのは致し方ないことだろう。

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