田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

田舎暮らし 新規参入者大歓迎

2006年11月30日 | 講座受講
11月30日(水)曇り 朝は霧  午後からは日差しがさした 夕方月が明るい
  午前9時30分から役場町民課高齢者支援係主催の「ほっとほっとさぽーと講座」が始まった。講座は全6回+1の合計7会の講座が3月まで開講される。介護の現実として我が家でも近い将来老・老介護は間違いなく発生することなので妻・M共々参加した。第1回の講座は「住宅介護保険の現状について」「住宅改修のいろは」の2項目を役場職員が解説した。ここでは立科町の要介護者の比率が30.27%と高く、長野県の平均よりも3%程度高くなっている。次に「地域包括支援センター」として「住宅改修のいろは」について説明があったが、プロジェクターを使っての説明の割には内容は寂く、町独自の講座なのだから役場と住民のバリアを取り除けるような表現を用いられないだろうか。次回からは外部の講師によるとのことで期待しよう。
  午後はIさんから頂いたネギの土を干す。風通しの良いところで雨に当たらない北側に立てて並べる。4・5日したら米袋にでも入れて保存すれば来春まで充分楽しめる。3時に蓼科ケーブルのS氏と若い方の2名が来宅し、インターネット回線を農協の有線からケーブルテレビの回線に変更した。今までは農協に支払いなどをしてきたが技術的なサービスはなく、全てが長野市のJANISへ連絡をする方式だったが何時から手を引いたのかは解らない。蓼科ケーブルテレビの方がフットワークも良いし料金を払うにも納得がいく。
  4時ころに家から東に見える住宅を手に入れた埼玉県所沢のKさん家族が挨拶に見えた。売りに出されたときから良い家だと思っていたので嬉しい。都会からの移住者が多くなると文化にも変化があり自然を楽しむ機会が更に増すことだろう。お茶でも差し上げたかったのだが、昼間本契約をして今日は所沢へ戻るとのこと、玄関前の立ち話で失礼をした。次回はゆっくりと夢を語りあいたい。
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暖冬の庭仕事

2006年11月29日 | 野良仕事
11月29日(水)快晴 後 雲多くなる 暖かい 夕方から風が冷たくなった
  昨夜遅く寝たのに4時に目が覚めて,冴えていて眠れそうにないので、5時に起きた。外はまだ暗いので今日の作業を考えてみたが、雪が降る前にやらなくてはいけないことが沢山ある。今年は暖かいのでのんびりとしているが雪でも降ったら大変だ。昨日Iさんからもらった日本ほうれん草の種を蒔く準備、次に芝生の張替え、軽トラのガレージの清掃、樋の点検・・・・・
  朝飯を済ませて直ぐに外へ出た。畑に生石灰と遅効性の肥料を漉きこむ。表土は乾いているように見えても中はしっかりと湿っている。三本鍬の刃にべっとりと土が着いてくる。これから『ベト』という言葉が発生したのだろうか?信州でベトというと土のことで福井県でも同じだ。言葉の移動と殿様との関係があるそうだが福井と信州は何が通じているのか調べて見たい。なんとか種が負けるように土を盛り上げベッド状にした。今週中には種まきをしよう。次は芝生の張替え、梅モドキの根元までびっしりと芝が張り付いているので丸く円を描くように芝を切ってはがした。簡単に作業が終わったが、午後1時を回っていた。昼飯はまだかなあ?
妻・Mが作ってくれた昼飯は大きなおにぎり2個、サラダ、大根、漬物・・・・
大福!!大福が昼飯についている!!オドロキ(写真) 
  午後は軽トラの車庫を掃除したが、此処には畑の肥料や農機具、薪割り機、除雪機など等それ以外にも薪や牧野材料までが入っている。屋根は母屋に続いているが下は三和土なので山から風に乗ってくる落葉や畑の土が溜まっている。また、日差しが入るところでは畑の害虫天道虫ダマシが冬眠のためにびっしりとへばりついていた。これを剥がしビニール袋へ入れてゴミ箱へ入れる。最後は竹箒で細かなごみを吐き出して終了とする。既に午後3時を回っていた。
  夕方町のSさんがネギを沢山持ってきてくれた。軽の乗用車の後ろにつんできたが車のドアを開けるとネギの香りが満載だ!!今年は何も作れなかったので感謝!!
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音楽で繋がる同窓の集い

2006年11月28日 | 日記
11月28日(火) 雨 後 曇り 11月の末なのに暖かな一日だった
  朝から落ち着かない、今日は信州に移り住んだ親しい仲間が寄り合う日になっている。移り住むとはいえ数十年前に福井県から嫁いだY子さん、13年前に東京から夫婦で移り住んだM子さん、3年前に仕事に応えて信州住まいを選んだK子さん、そして山裾に移った我々夫婦。これすべて同じ大学の同窓生なのだ。年齢は60才代3名、50才代と30才代各1名の総勢5名が山裾に集結して遅い昼食を楽しんだ。
  妻・Mは何時ものとおり手際よくフライパンや鍋を使いキッチンに立っている。私はもっぱら調理以外の仕事だが、外は雨が降っているので出るわけにもいかずスリッパ、テーブルと妻の指示で動いた。Mの呼ぶ声でキッチンに行って見ると彼女が包丁で手の甲を切ったようだ。慌てずに傷バンを取り出し貼る。夏に畑のトマトで作ったソースを使い「チキンのトマトソース煮・海鮮カルパッチョ・炊き込みご飯」の準備が整ったのは12時少し前だった。
  そのころに初めの訪問者東御市のYさん、彼女は妻・Mの高校のときから一緒で我々が信州へ移住したときには大変お世話になった。予定とおり12時30分、長野市図書館で仕事をしているKさんと信州新町のMさんが一台の車で到着した。Mさんとは13年振りに合うが、彼女は2人の子供を育てているのに学生時代と変わっていないの驚いた。また、Kさんこの春の我が家の音楽会でに出演してもらっている。
  懐かしい話題と今の生活感あふれる話題、仕事のこと地域のこと食事の賑やかさを上回る話題が尽きないのには楽しい思いだ。
  3時になりKさんとMさんでフルートのデュエットをしてくれることになる。ミニミニ・コンサートの始まりだ。彼女たちは長野市や信州新町の病院や施設、イベントでコンサートをしている。先輩後輩の息の合った曲の流れで午後のひと時を過ごすことができ幸せな気持ちになった。音楽を通じた仲間が集う楽しい時間を過ごし、次に集うことを約して解散となった。
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Sala の湯上り姿は 万全だった

2006年11月27日 | 日記
11月27日(月) 雨 曇り 雨 曇り 暖かい一日だった
  6時半起床 あまり暖かいのでストーブに火が残っているのかと思い、リビングへ行って見たが、ほのかに周りの石が暖かく中に火は見えなかった。外へ出て見ると南風が入っているようだ。
  9時前に中央公民館で催されている篆刻教室のN会長から道具一式が届いているので取りに来るようにと電話があった。10時に会長の処へ行き早速、道具を開けて先生から課題として宛がわれた『福祥』の文字を彫る段取りを会長に教えていただいた。そのとき会の先輩でもあるH氏が来て、来年の干支の印を持ってきた。心構えは「長く続けることが上達すること」と励ましてくれた。何時の日かこのブログで皆さんにご覧いただける日がくるだろうか!!
  午後は愛息Salaの入浴日なので準備に入った。寒がり屋のSalaのためにストーブを焚き室温23度まで上げた。体毛が短いので普段でも室温15度以下は風邪を引きやすと云われてるので、我が家で最も待遇のよい生活をしている。風呂場でシャワーをかけると気持ちがよいのか暴れることはない。シャンプーを付けて毛が抜けるのを抑えるように洗い、次はシャワーをかけながら毛の向きに逆らってブラシングすると気持ちよさそーに目を細める!!まるで入浴介護の練習の気分だ。その後は、乾かすので妻・Mに任せるとサット拭いてリビングへ行き冬場の定位置はストーブの前だ。
  夜7時半から集落の常会に出席した。12月3日収穫祭の打ち合わせを行う。メニューは餅(臼と杵、蒸篭、竈、薪)・蕎麦・野菜サラダ・モツ煮み・・・・ 
  夫々得意なものを挙げて集落内で収穫できた農産物を持ち寄り朝から調理する。昨年はジャガイモと大根を提供したが今年は収穫ができなかったので薪を出すこととした。
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農業集落排水処理施設は蕎麦屋ではなかった

2006年11月26日 | 日記
11月26日(日)曇り 高い雲 時々薄日差す 午後からは冷たい風 どんよりした雲低い 夜 雨
  10時から地元の農業集落排水処理施設の清掃がある。此処は5つの集落で清掃管理を受け持ち輪番制になっている。
  軽トラに竹箒、熊手を積み込んで出かける。施設に着くと相棒のKさんがすでに倉庫から道具を出して始めていた。「今日は風がないので楽だにィー」と声をかけてきた。Kさんとは初めから2人一組で、今年で3回目、年1回の当番だ。夏に当番が回ってくると、秋の落葉掃きの代わりに草取りと隣接している広い場所の草刈や植木の手入れが増えてくる。
  此処に家ができる前、土・日に通ったときに、此処(写真)は蕎麦屋か民芸的な食事処だと思っていた。街道レストランにある田舎屋風の趣と似ているので初めて見ると誰もがそう思うのではないだろうか?
  集落の役員選出会議でこの当番を割り当てられたとき集落長が「Tさんは慣れてないから楽な仕事からお願いします」と排水処理場の清掃当番が当てられた。排水=汚水・下水と理解したので、もしかすると汚水処理のマンホールの清掃かと思い、合羽や着る長靴を用意しなければと過去のことが心を過ぎった。それは数十年前になるが友人のペンションでトイレが詰まった!!というオーナーの声、オーナーは合羽を着て合併浄化槽の中に入り掃除を始めた、酸欠になるため長くは入っていられない!客が来る時間になる!交代要員が要るのだ!!仕方がなく私が合羽を頭からかぶり長靴を着る役をかってでたのだ・・・・・・ そのときの事が蘇えったのだ。
  この当番のように町の施設でも、平易な維持管理業務は住人に負わされている。自立を選択したまちの財政は苦しいので今では多くの作業が奉仕となる。これが田舎の常識で結いのひとつだと思うが、都会から入ってきた者の中には理解ができず集落の活動にも影響を及ぼしていることがある。
  本来、都会でも同じこと「住んでいる地域の者ができることは自らやる」そんな世の中になってほしい。
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たてしな歴史研究会(第12回現地学習会)

2006年11月25日 | 日記
11月25日(土) 快晴 夜明け寒い 6:30霜で一面真っ白 一日中快晴
  午前中の作業はストーブの掃除だ。午後は1時30分に公民館集合たてしな歴史研究会定、16時から望月駒の里ホールでシャンソンコンサートがある。
  ストーブの掃除は春まで使ったままで掃除をしてなかった。灰の掃除は簡単だが正面のガラスにこびりついたタールはなかなか取れない。最初の頃は灰を水で錬ってガラスを磨いていたが、今ではマジックリンを汚れた面に吹き付け、ペーパータオルを張ってしばらく置く。その間に灰やドア周りの汚れをとっているとガラスのタールは簡単に取れる。1時間半位くらい掛かったがシーズン・インの作業だから入念にやらねばならなかった。
  午後は簡単な食事をして中央公民館へ向かった。公民館から軽トラに分乗して芦田城へ向かう。主郭の下で車を降りて落ち葉がつもっている中を滑りながら上まで登る。講師はT先生で歴史・芸術に造詣が深い教育者である。芦田城は古町にあり戦国時代の典型的な山城の形態を留めている。別名は「木宮城」「倉見山高井城」とも言われている。展望台に登ると町内西北部一帯を越して長和町の長久保城、丸子方面をのぞむことができた。また、説明の中で現在の笠取峠は「雁取峠」中山道がなかった時代には我が家の前にある大内道が使われていたなど身近な話が聞けた。「雁取峠」が「笠取峠」に変わったのは近くに『芦田宿本陣があるため笠を外して歩くため』と言う説もあるとか・・・・
  次に廻ったのは蓼科神社でこれも明和2年(1765年)に建てられた石碑を見ると『立科神社』となっており、古から立科の文字は“立"“科"を使われていたそうだ。この文字を使うことが伝統である正当派と言われている。此処には3回も火災にあった神大杉があり樹齢1500年を越していると言われている。古びた石段を上がると本殿の棟には菊と桐の門が飾られ、脇には神楽舞台がある由緒正しさを誇っている。毎年9月15日の祭礼には町内集落から神楽の奉納が行われているように、立科町全体のものとして崇められている。
  定例会の終了が4時半になってしまった。
  冷たい風で身体冷え切ってしまったために、シャンソンには行かないことにした。

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『女神』冠雪の浅間遠望

2006年11月24日 | 日記
11月24日(金)晴 冷たい風が気持ちよい
  昨日に続き庭仕事にでる。果樹や庭木の根本にオルトランを撒く。果たしてこれで虫が近寄らなくなるのか?既に木の根本にいる虫は死ぬのだろうか?臭いを嗅ぐと刺激があるので虫は退治できるのだろう。薬を撒いた外側に肥料として牛糞堆肥を撒いた。木の根は枝の張っている処まで伸びると何かの本で読んだことがあるのでそれに従って円を描くように撒いた。
  畑や果樹、庭木に施す肥料としてバーク堆肥を使っていたが、今までは妻・Mの友人の紹介で福井から取り寄せていた。2年前の春、仕事を早期退職したのを機に全て自分で探すことにして、群馬県の榛名町のバーク堆肥を使ってみた。これは木酢入りというキャッチコピーに吸い寄せられたためだ。袋を開けると酢の臭いが鼻を突く。木酢胃液でもそんなに臭わないと思うが、酢は人間の身体にも良いと言われているので良しとして2年間使っていた。今年は立科町芦田の角田牧場で作られている『女神』と名付けられた牛糞堆肥だ。畑には牛糞を入れなくてはダメダと言われる、一般的な牛糞堆肥はおが屑と牛糞を合わせたもので、軽トラ1杯で?千円かで分けてくれる。しかし、臭いが堪らないのだ。住宅と離れたところに畑があれば良いが我が家のような家庭菜園的な畑には不向きだ。
  『女神』に出会った経緯は、前々から地産地消を謳っている私としては町内産を使いたいと思っていた。先日ウオーキングの会の集合場所「農ん喜村」で売っているのを見て、このブログのコメンテーターでも著名なH氏が「角田牧場の牛糞堆肥『女神』は好いよ」と教えてくれた。今日初めて開封したが真っ黒な色で臭いもなく完全に発酵が済んでいるので良さそうだ。流石、商工会役員のH氏の町内製品への知識が高いのに感服。  午前中に果樹の方は終わり次に我が家のアプローチ、錦木の植え込みの根回りの草を取り「女神」を施した。東側は崖の上、梅香卯木の植え込みは昨年から元気がないので入念に笹と草(ヨモギ)を刈り取り、根回りを軽く起こした後に「女神」を土と混ぜておいた。
  来春の純白な梅香卯木の花が楽しみだ (写真:「女神」と冠雪した浅間山遠望)
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勤労に感謝する日なのだ

2006年11月23日 | 日記
11月23日(木)勤労感謝の日 曇り 雲高く浅間連山から荒船山武州の山々が見える
  予定通りに9時半に庭仕事の支度をして外へでる。風もなく枯れ葉を集めたり剪定した枝を燃やすのには都合がよい。今は日が短く夕方は5時までが外仕事の限度と思って作業を始めた。
  始めに宮城の萩の黄葉も終わり根本から切り落とした。新緑の淡い緑から黄色の秋色になるうまで枝を張り白い花を付けて楽しませてくれた。次に4年前此処に家が出来た同時に隣の集落のY氏が小さな苗木を植えてくれたのが櫟の木だった。赤い実がなると好いねと言いながら直ぐに大きくなると、あれからもう4年が過ぎている。赤い実はまだならないが今日はクリスマスツリーのように剪定する。石垣の西側にある野ばらが伸び放題になっているので赤い実を付けた枝だけ残して全てを根元から切る。山に餌がなくなればバラの赤い実も鳥の餌になるだろう。地元では強い下剤として使われているらしいが毒なのだろうか?白樺の落葉を熊手でかき集めていると根元に虫が入っている容子、おが屑のようなものが固まっている。近くのサクランボの木も根本が同じようだ。薬を入れて密封するが白樺は今年で2回目になる。妻・Mの呼び声で昼食だ。時計を見ると午後1時を廻っている。お昼はお握り2個、根菜類の煮物、花豆とお茶それに漬け物、今日は何の日か知っているのだろうか?このメニューはいつものよりも簡単??勤労感謝の日なのに・・・・ 
  午後は果樹の根元の枯れ葉や草を取り除き虫が集まらないように綺麗にした。道を隔てた畑のT子婆さんが駕籠をしょって坂道を登ってきた。聞くとタマネギの苗の元に藁を敷かないとシミちゃうニイーと積んである藁を押し切りで一束ずつ細かくして撒いている。次に登ってきた軽トラは町会議員のK婦人、山羊の餌にするのだとT子婆さんの畑の白菜の残滓を集めて縄で縛って軽トラに積んでいった。
  外仕事をするとこうして集落の人とも話が出きるの楽しいしありがたい。
  今日は仕事に感謝しなくてはならない日なのだ
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外も中も霧中の一日

2006年11月22日 | 日記
11月22日(水) 霧 後 薄日 後 曇り
  陽が登る前6時に起きたが辺り霧が深くて何も見えない。別荘のIさんが連れているドーベルマンの太い吠え声が聞こえる。
  今日は晴れて欲しい、庭の木の剪定も予定が延びのびになっているので今週中には、斬りを付けなくてはならない。無駄な枝を落とし根の周りの土を起こして堆肥を撒く仕事がある。これも3年前にやったままなので今年は是非やっておきたいのだ。畑の野菜も庭木も土を元気にさせると花も良く咲き葉も元気になる。虫が付いてから表面の消毒だけでは植物も可哀想だ。シャラの木も花柄がいっぱい付いているので落としたいが、カワラヒワやシジュウカラが冬の餌がないときには盛んに啄むので無碍に人の手で落とすのももったいない。梅モドキの赤い実のほとんどがヒヨドリに食べられて地面すれすれの枝に残っているだけになってしまった。いよいよ餌が無くなったら向日葵の種を出してやろうと思う。今年は大輪の向日葵の種が沢山取れたので雪に閉ざされたときには充分間に合うと思う。
  霧はなかなか晴れてこない風でも吹けば、一瞬に青空が覗くと思うが今日はよどんだままだ。霧の中での作業はやりたくないので午前中はプリンターの修理をすることにした。しかし、その方法を施術してもカラーインクが出ない。前より状態が悪くなっているのだろうか。初期発見初期治療 イヤ 初期修繕が第1だと思うので、エプソンに電話をすると一発で掛かった。前にも電話を掛けたが修理に関する部署は何時も話し中だった。電話のお姉さんは『door to door』が良いと教えてくれた。確かに自分で梱包して宅配するとなれば梱包のダンボールを探すだけでも大変なことだ。荷物を取りに来てくれるときに梱包もしてくれるという優れもの、買ったときのダンボールやパッキンを取って置くのは引越魔かオークション・マニアしかいないと思う。
  プリンター修理の件がスッキリしたら急にお腹の具合が悪くなってきた。
何故だろう?年賀状のプレッシャーから解放されてお腹に弛みが生じたのかも知れない。
  昼食は抜きにしよう・・・・今日は外も内も一日中霧に包まれていたようだ
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インディアン-サマーの食事会

2006年11月21日 | 日記
11月21日(火) 晴 空気が澄んでいて気持ちが好い
  昨晩の激しい雨が通り過ぎ、朝から気持ちの良い一日だ。
  朝食後、農ん喜村に頼んであった牛糞堆肥『女神』を取りに行った。畑も基礎的な肥料がないまま作物を作っていたのでしっかりと土づくりからすることにした。前回は堅くなった畑の畝を崩し管理機でかき回してみたが、本来は深く掘って塊の土を表面に投げ出し冬の本番を迎えるのが必用とのことだ。塊の土も-10°以上の気温に触れることでサラサラな土になり害虫も退治されるという。
雪が降るまでの畑仕事だ。
  農業はできないが百姓になろう!!ということだが・・・・・
  11時からはIターンで昔の土地に別荘を建てているI夫妻を招き昼食会をすることになっていた。と言うのは私が堆肥を取りに行っている間に、初冬の暖かな小春日和、燻っているよりも外へ出ようと女性軍の提案だったのだ。昼の時間には早かったので先ずは妻の作ったレアチーズケーキにブルーベリーソースを添えたものを前菜とした。甘味が少ないのが好いと言うが私はもう少し甘い方がよい!!お菓子なのだから!!!甘味を腹に収め次には、彼女得意のサーモンの押寿司、おにぎり、おかずは里芋・ニンジン・椎茸・ネギの煮物、それに風呂吹き大根に辛味噌を添えたもの。軸足をしっかり地域に留て手に入る食材は正に地産地消で田舎暮らしの真髄と言えるだろう。更におかずに加えるなら、北から東へと取りまく冠雪した浅間連山、荒船山から連なる上州の山々、それに美味しい空気と空に浮かぶ綿菓子のような雲がある。食べるものよしまた、それ以上にI氏の「農業ではなく百姓をする」持論と行動には感服する。夫妻そろって湘南での仕事の疲れを癒すには大深山の里山が一番のようだ。
  昨晩も濡らした新聞紙でサツマイモを包み更にアルミホイルで密封してストーブに入れて出来た焼き芋は癖になるほどに旨かったそうだ。
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中高年よ!!中性脂肪は玉子だ

2006年11月20日 | 日記
11月20日(土) 雨 後 晴(虹がきれい) 夕方一時雨
  佐久総合病院へ行った。病院通いもだいぶ慣れて1時間半の待ち時間も昼休みを挟んでは想定内として余裕を持つようになった。
  今日は外来第3回目の採血とその結果による診察が行われた。3ヶ月前に退院とは思えないような回復ぶりだが、自分の身体を健康に維持することへの自覚が出てきたのだと思う。仕事に就いていたときには事業所の健康診断も、手前勝手に判断して肺のレントゲンなど小学生レベルの身体検査並で済ませていた。それが体調を崩した原因だとは思わないが、今では病院の血液検査の報告書で一喜一憂をする人に変わったのだから自覚もたいしたものだと思う。
  実際に10月の検査で中性脂肪が359mg/dlで数値が高すぎると指摘されていた。中性脂肪に関して本を読み、ネットで調べた結果自分の食生活を替えなくては数値の下降は無理とわかり、毎日の食事の内容を詳しく調べた結果、影響のあるものは『卵』と判断した。玉子の料理は朝食のアイテムとして欠かさずに毎日口にしていたのを週2個に制限した。今まではハムやベーコンエッグまた、サニーサイドで2個の目玉焼きなどを食し、もっと過激なのはチーズオムレツ!!それもレア・チーズを使ったオムレツは中性脂肪には影響大であったろう。しかし、先月からは半熟卵だけにして温野菜を添える。これには焼きたての全粒粉とキャラウエイシードが入ったパンを一緒に食べるのが最高!!30日の継続でなんど数値は半減、中性脂肪値175mg/dl となった。目標値までもう少し頑張ろう。 
中高年よ 健康は自己管理 楽しんでやろう!!
パンへのこだわりは何時の日か書き込もう・・・・
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北佐久郡公民館研究集会について

2006年11月19日 | 日記
11月19日(日)曇 昼前から雨に変わり夜はかなりの雨
  昨夜の夜更かしにもめげず7時には目が覚めた。
  妻・Mは立科町中央公民館「童謡唱歌を歌う会」が『北佐久郡公民館研究会』に参加して、夕焼け小焼け、里の秋、野菊の3曲をコーラスで歌うことになっている。主催は北佐久郡公民館運動協議会で今年で第30回となる。生活の一部となっている地域の文化を担う公民館行事はありがたいことと思う。
  妻が持ち帰ったプログラムの頁を開いてみると開催要項で公民館の歌(自由の朝・山口真一作曲、下総一作詞)が載っているが、今まで立科町では歌ったことがないので知らなかった。開催要項には開会式の挨拶の後に講演「健康作りのためのレクレーション」があり次に、公民館活動を通しての実践発表の中で「立科町の童謡唱歌を歌う会」「御代田町の蘭花日本語教室」「軽井沢町の老人会シルバーダンスクラブ」と皆さんの発表となっている。当町のコーラスは人数も多く「楽譜や歌詞カードを見ないで歌っていたのが印象的だった」と他の町から来た方が感想を話してくれたそうだ。
  プログラムをしっかりと読むと感動と喜びが湧いた。それは、我々が「ふるさとプロジェクト」で立科町の里のウーキングマップを作るために公民館行事として採りあげて完成までお世話になった、S.館長 I.主事が地域の公民館優良職員として表彰されたことである。嬉しい、誠に嬉しい限りだ。特に市川理君はマップ作りで我々では気がつかない処までバックアップしていただき、17年度末に印刷ができたことはメンバーの誰もが感謝していることだ。公の場で優良職員とされたことは自分たちのように嬉しいことに感じる。
  妻の留守中に私は、近くの別荘に今晩友達が来るので、この寒さではストーブが直ぐに使えるようにと薪5束と焚き付けに使う木っ端をダンボール箱いっぱいにして、ベランダに置いてきた。たぶん今晩遅くか明日早朝に到着するのだろう。
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立科落語会開催(その2)

2006年11月19日 | 日記
  落語会を催そうというのがやらず会で言われ始めたのが既に16年前のことだそうだ。この会では春(6月)は音楽会で、秋は落語となったのもその頃からなのだろうか?もっとも私はまだ、会員としての活動は3年間しかなくその経緯をつまびらかにされたこともないので詳しくはわからない。
  落語会は今回の高座にも上がった菊輔師匠にメンバーの構成や取り纏めを一手にお願いしている。始めのころはこの地域で落語を生で聞くことができるのは珍しくチケットの売れ行きも良く大勢のお客様に来ていただいたようだ。今回の聴衆もそのほとんどが16年前からの繋がりであり、高齢化が目立つのも致し方ないことだろう。しかし、伝統芸能としての日本の話芸を耳にするためにも高校生や若者に聴きに来てもらうことが重要と思っている。現在の笑いから観るとTVのお笑い番組に出てくる若手の傍若無人の芸とは思えないような人を卑下したり食べ物を無駄にすることで笑いを誘うようなことばかりではならない。
  落語に付きものの「人の癖」「男女の生業」「言葉の綾」など、人を観察することで誰もがその可笑しさの場面に入れるようなことを口述して聞かせることで文学に相通じることがその楽しさであり笑いを生じるものと思う。下ネタもウイットがあれば笑えるが下品となれば失笑を買うようなものだ。耳や目から学ぶ落語は洒落気を養うよいものと思う。学校でも世の中でも駄洒落であれ考え落ちの本格的な洒落であっても生活の中にとけ込めればイジメなどはなくなると思う。
  今では落語協会も伝統芸能ということで小中学校で演ずる『落語教室』と称して廻っているそうだ。実際にその場面に立ち会ったことはないが、TVの笑点の番組のように会場から題目をもらって川柳や短歌を作るのは自分で試しても面白く、また、人のものを聞いても楽しい。
  公演後、会場を片付けて会員7名が集まり落語のこと、会の運営のことなど熱く語り合い「今日の落語会は何時になく盛況だった」ことを祝して乾杯!!
家路に向かったのは午前0時を廻っていた。
  いつの日か「やらず会」がプロデュースをして小・中学校で落語会ができれば町内が明るく楽しいことなると思うが・・・・     (完)
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立科落語会開催(その1)

2006年11月19日 | 日記
  11月18日(土)晴 雲多し
  立科落語会が催されるので天候が気になる。
  寒くないか、冷たい風は大丈夫か、雨はセッタイに降って欲しくない、よもや雪などはダメと主催者「やらず会」の面々の全員の思いである。
「やらず」の名前に初めは否定形で何故?と思ったが、そのころの私は地元の言葉も分からなく、『ず』とは否定形ではなく『ろう』という「呼びかけ」る言葉だと言うことが集落の集まりや共同作業の場でなまの言葉からその意味を理解できた。
  落語会の開催場所は立科町の老人センター、会員が3時に集まり舞台の設営、客席の椅子並べなど準備を始め、演者の落語家6名を新幹線佐久平に出迎えた。一行は準備ができた会場へ4時半に到着して舞台、照明の確認をする。催しものは講演会とは違うのは、必ず舞台や照明の手直しをすることがある。舞台の上に作られた高座に対して、照明の当て方などなどである。それぞれその言いぷりが可笑しいが、そこそこで治まるものだ。客席は町特有の床暖房付きの会場なので前の方の席ははゴザを引き、その後には椅子を並べた。
  6時半開演だが早くも5時過ぎにはお客様が来場し、かなりの出足の良さを感じるが、客入りが気になるところだ。やがて、会場の準備も終わりスタッフが引き上げてくると、控え室では「煮込みうどん」の炊き出しがあった。今まではカップラーメンとかサンドイッチなど買ってきたものが多かったが、今回は女性会員のお世話で炊き出しとなった。また、会員のお手製の差し入れで、鱒寿司、カステラ、太巻きなどが色を添えて盛り上がった。準備もできあとは開演を待つのみでお客様も会場いっぱいとなりありがたいことだ。私は受付係を担当したのでチケットの半券を数えてみると126名とご招待16名合計142名そして、会員や関係者を含めて160名が今日の落語を楽しんだことになる。
  全てが終わったのは9時10分演者たちは9時50分発の新幹線にならなければならない強行軍だったかも知れない。(続く)
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中山道茂田井間の宿を歩く

2006年11月17日 | 日記
11月17日(金)曇 風が冷たい一日だった
  国道142号線に面した農ん喜村に9時30分に集合し中山道茂田井宿を中心にウオーキングするイベントに参加した。集合場所から一段高い処にある施設は滞在型市民農園のクライネガルテンと都市農村交流施設としての交流促進センターが設けられている。
  このコースは我々の仲間「ふるさとプロジェクト」「たてしな歴史研究会」でお馴染みのコースなので楽しみだ。また、今日は特に町の文化財保護委員の田中幹氏が全コースに同行していただけるというありがたいことだった。農ん喜村を後にすると直ぐに、史跡「ヒノ雨塚古墳」が説明を聞かなくては解らないようなひっそりとした姿で愛おしく観じられた。やがて茂田井宿に入ると昔の家並みが白壁と黒瓦で整然として往時の繁栄を物語る。江戸時代の古文書等に見られる住居の姿や道の形ちの変容は集落が明治・大正前期に生糸によって経済が繁栄し文化を破壊して来た姿が如実に表れている。旧中山道から南に向けて参道を歩き見事な鐘楼と六地蔵で有名な無量寺、そこから東へ進み茂田井諏訪神社、この境内には拝殿と歌舞伎の舞台(現在使用不可)があるが、拝殿の中に納められている本殿には美事な彫刻が施されており大工棟梁の田中円蔵による立川流の建築として末永く保存されることを願う。
  茂田井宿は昭和に入り大澤酒造・大澤洋三氏によって「間の宿」(あいのしゅく)と付け加えられるようになたが、これは芦田宿と望月宿の間にあることからその親密度を謳ったものであろう。しかし、今では望月という表現は公にはなく佐久市にとって変わられた寂しさが感じられた。
  11時30分に出発地に戻り解散となった。今日は新しい発見が沢山あったのは田中幹先生のお陰だと思う。文化の伝承には今できることをできる人がやって行かなくてはならないと解散後に仲間で話しあったのが大変嬉しく思う。
立科町文化財委員 田中 幹先生に感謝申し上げたい。
コメント (1)
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