田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

なんとなく通り過ぎる 五月

2011年05月31日 | 日記

5月31日(火) 曇り   僅かながら青空がのぞく  梅雨寒

東の窓から何気なく外を見ると芝生の中に一本だけ笹が生えていた。この雨で急に成長したのだろう。何か動いたように見えるのでカメラを手に外へでた。カノコガだろうか? 

 近くの草むらには白樺の皮のような色の蛾がいた。葉にしっかりと捕まり風で葉が揺れても動かない。彼らは何故このような形と色を持つ運命になったのだろう。

 卯木の中でもいち早く花を開いたヒメウツギ? ここにはスジグロシロチョウが花から花へと不器用な足の運びで蜜を吸っている。

 しかし、よく見ると毛むくじゃらの身体に目も花粉で覆われて顔全体がアブのような姿をしている。これは蝶なの蛾なのだろうか?

 しっかりと名を調べれば良いのだろうが、わからないものは花も同じだ。ジシバリとニガナも似て非なるものだ。草むらの中で黄色く目立つ花を見せているが、黄色いこの手の花は全てタンポポで括ってしまう人もいる。

もう少ししっかりと名を調べないと自然界に申し訳ないような気がする。

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激しい雨の翌日 安息日としたいところ

2011年05月30日 | 日記

5月30日(月)  雨     曇り    青空がのぞく 

夜半まで激しい雨と風が続いた昨日は、いままでにないほどの大雨のなか道路清掃と道普請、早朝から昼前まで草刈りが続けられた。何となく身体のだるさを感じる今朝、直ぐに昨日のびしょ濡れの姿を思い出した。新しい雨具を身につけての作業、なんとなか身体の芯まで濡れることはなかった。

列になって咲くアヤメは風と雨の激しさに、花がたたき落とされたのではと小雨になったところで見に行った。

風知草は細い葉を雨でコーティングされたように、風にそよぐという風情は見えない。アヤメは雨をものともせずしゃっきりとしている。近づくと、まだまだ蕾が多いので楽しめそうだ。

南側のスズランは既に終わっているが北側の植え込みの影、一日中太陽の直接の光を受けないところではまだ蕾の花が残っていた。

6月の庭は白い花が多くなる。その先駆けとして甘い香りを伴って咲き出したのがハマナス、ナスと云うと野菜を連想させるがあの花とも実とも異なるのだが ・ ・ ・ 

雨に打たれて花がおしまいになったものが多いが、この渓卯木も大方の花は終わってしまった。僅かに残るのは石の影に垂れ下がった一枝だけのようだ。 

木の上ではヤマボウシが珍しく花を沢山付けた。しかし、この白いのは花?それとも、上の丸い球が花なのだろうか?星形の白いのが花とされているが、まだまだ大きくなり、薄暗くい夕方に見るとひときわ美しさを魅せてくれる。

裏の山には大きなクルミの木がある。昨年は花の数は少なかったが今年は一面に花がぶら下がっている。

 

この房に雄花と雌花があうのだろう。実際に実を着けるのは、手入れの悪いブドウのようで4~6個の房になる。鬼クルミは焼いたときには香ばしさがあり菓子作りなどには好まれるが、殻を割るのに力がいる。

 庭を一回りして嬉しい事を発見した。昨年の秋に無花果の木は既に6年以上経っているので、冬囲いをやめた。この地の自然環境に適するものだけでよく、冬の防寒対策をしなかった。案の定、枯れた。枯れたと思っていた。4月の上旬に強く剪定をして片付けやすくしした ・ ・ ・ ところが近づいて見ると芽が出ていた。

実を望むことはないが、花を楽しむってわけにもいかない「九」

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たった一冊の本を探し出すのだが 捜し物を忘れると云うこと

2011年05月28日 | 日記

5月28日(土) 雨     曇り    雨 の   繰り返し

木曜日に10年振りくらいにくらいに話をした友人、遠路東京から来てくれた。ソノ話の中で思い出した本を探そうと昨日は一日中本箱やダンボール箱を漁った。目に入る本は既に俺の生活には用を為さない本が多く、片っ端からページを捲っては要らない本を分けた。 

山積みのままでは本が崩れるし 要らない本だからと云って紐で縛ってリサイクルに出すには忍びない。そんなことを思いながら無心に本のページをめくっては要らない本を分ける作業に没頭したが、今朝になって本箱をひっくり返した目的を忘れているように思えた。こんどは、探していた本のタイトルが思い出せない ・ ・ ・ 

Mが昨日の玉子はどうした?とこれもすっかり忘れていた。昨日拙宅を訪ねてくれた Iさん夫妻を歓迎しようと生ゴミ堆肥を作るダンボールに玉子を仕込んで置いたのをすっかり忘れていた。本も玉子も通り過ぎたことと、どんどん忘れる。それが不自然でなく、至極自然に忘れ去るのが困るのだ。

昨日は40℃までしか上昇してなかった発酵温度も、今朝は60℃になっていた。たぶん昨日の夕方にはもっと温度は高かっただろう。

朝飯のサニーサイドと云うわけではないが、取り出してみると充分な暖かさがある。

袋からだしてしっかりと洗いMの手により器に割落とした。

見事な温泉玉子、生ゴミを米糠と腐葉土に併せた中に入れて ・ ・ ・ 勿論、生ゴミを微生物が分解するときにでる発酵温度を利用したものだ。食してみると僅かに“生ゴミの臭いがする”なぁんてことは無い、塩が欲しくなる正しい卵料理となった。

午前中は昨日の続き、本を探しながらも結局は目的の本は見つからなかった。このオルガンの本と一緒に置いておいたリードオルガンの本、どこへ出かけて行ったのだろう。

捜し物するのは本だけではなく車の鍵も、免許証の入った財布もその仲間だ。先週のこと、俺は眼鏡を洗面所に置いたまま出かけてしまった。それでも人と会い簡単な仕事をこなし、何気なく車に乗ったときふと我の顔に手をやり、眼鏡がないのに気がついた。

外で無くしたと信じて家に戻ったが ・ ・ ・  

不思議な時空間を体感するのが老境と云うことなのだろうか?

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夢中で仕事をした日が甦る 知古の友人来宅

2011年05月27日 | 日記

5月26日(木)  曇り    薄日がでたが再び曇る    夕方には雨

朝には雨かと思ったが僅かに明るさを保った曇り空だった。一昨日、友人Nさんが辛味噌用にと届けてくれた苗が元気になった。車から降ろされたときは水が切れて少々クタビレタ姿だったが、水をやり外気に当てたので生気を取り戻している。今週一杯はこの状態で気温にならし、来週早々には畑に植えるようにしよう。 

畑をみると3つの畝に50個のジャガイモを植えたがボチボチ芽を出してきた。濃いミドリの葉を魅せているもの、地面を持ち上げひび割れを起こさせているもなど、自然の力が漲っている姿を見た。

庭の方に降りると白い色のオダマキが咲いている。この花は昨年初めて見て、ピンクの西洋オダマキが色あせたものだと思っていた。3本の西洋オダマキを数年前に友人が持って来てくれたのが交配して白の花を咲かせたのだろうか?オダマキも日本古来のものが少なくなっていると聞く。 

今までにも数回登場しているチョウジソウ、花の数が増えて存在感を表している。けっして派手な色ではないが 楚々とした日本古来の美しさに魅せられる。しかし、俺の芽には丁字よりも大字に見えるのだが、高校時代の国語・古典の時間をサボっていたことに因るのだろうか。

石を積んだ山との境では渓卯木が咲出しだ。近くで見るとあまり美しさを感じないが、遠くからみるとそれなりの姿が認められる。 

下の写真はドウダンツツジではなく、ブルーベリーの花。このように枝一杯に咲いたのは初めてのこと。この土地に根付いた証拠だろう。実は小さく、野生種と聞いている。近頃は大粒、強甘味などがもてはやされているようだが、俺はこの酸味と香が強い小粒のものが好きだ。ジャムにするとペクチンが強く直ぐに固まってしまう。レモン果汁で薄めるのだが、レモンの直栽培をしたいが、これだけは冬の寒気が許さない。 

湿ったた庭を歩いていると足下の枯葉に紅シジミがいるのに気がつく。翅の鱗粉が傷んでいるようで弱っているのかと近づくと直線的に飛び去った。 

初夏を通り過ぎて梅雨の季節になった。露草が咲き出し紫の大柄のものとピンクの小さな花がある。どちらも花びらは3枚、大柄の花は雌しべが小鳥の胸毛のように柔らかそうに見える。 

朝の庭を一回りして、昼に友人が訪ねて来るのを待つ。

昼を少し過ぎた時に携帯電話が鳴り、直ぐ近くまで来ているようだ。高性能のナビが付いた車も、俺の家は圏外となり道が消えたようになる。音声ナビは「目的地近辺です ・ ・ ・ 」 ような台詞が発せられるのだ。

仕事仲間と云うよりも仕事を通じてお互いが協力するような関係だった。彼は鍵盤楽器の修復を専門として、その緻密さは日本で右に出る者はいないのではないだろうか?俺の持っているオルガンも修理をしてもらったが、楽器博物館の修復を専門にされている。昼飯を摂りながら現役時代の話しに盛り上がった。専門的な話題で始終した時間、久しぶりに楽しい時だった。

彼が帰るころはまだ雨は降り始めていなかったが、アヤメも咲きそろい小手毬の白い花が双方を際立ったせている。

 

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元気でないと通えない 病院の話

2011年05月25日 | 日記

5月25日(水) 晴れ   涼しい   久しぶりの青空

毎月最後の水曜は病院に通う。家から40分ほどのドライブで病院の駐車場に着く。

今日も駐車場は満杯、道路も珍しく混んでいて予約時間の15分前に到着、ここで車を置くスペースを探すのに時間がかかってはまずい。こう云うときはいつもながら軽トラのありがたさ、やっとドアが開けられるくらいのところに滑り込ませた。

眼科はいつものように時間が正確で予約の誤差がすくない。たまには遅れることもあるが、1時間などと云うことはない。診察まで終えて12時少し廻ったほど。次に採血と注射。これもスムーズに滞りなく済み、12時半には次の内科の待合室に ・ ・ ・ 

待合室の手前で血圧を測ると105と55だった。全体的に低いのは俺の体調が万全だと思う。待合室の椅子に腰を掛けるが、これから『如何に待つか』が体調のバロメーターとなる。この時点で内科の予約時間は既に1時間を過ぎている。11時に30分の予約は午前中の最後の人と云うことだ。何時もなら午後1時を廻った頃に名前を呼ばれる。しかし、今日はヤケに混んでいて、初めての人が多いのか、待合がザワついていた。更に30分を過ぎると受付のところで大きな声がする。『予約をとっているのに何故1時間以上も遅れるのか?』というようだ。俺も不思議に思うことで未だにそのメカニズムを解明できていない。1年以上前のことだが、長く待たされて最後に3人の名前を呼ばれ、そのなかに俺の名もあった。他の二人に予約時間を聞くと俺と同じ時間になっていた。

今日、俺が名を呼ばれたのは2時30分、予約時間を3時間も過ぎてからだ。確かに俺が午前中の最後と云うわけで医師も昼飯はまだのようだ。昼飯を摂った後は午後、摂る前は午前と解りやすい説明には納得するが ・ ・ ・ 

ところが、今日、遅れるメカニズムを発見した。たぶんそうだと思うが ・ ・ ・受付で“どうしてこんなに待たせるのか?"と大声で騒いでいた奴がいた。話を聞いていると、そいつは午後の予約を午前と間違えて来たと云っていた。ところが、俺が中の待合室に入るときに診察室から出ていったのだ。派手なシャツを着ていたから覚えている。こう言うおかしな現象を見ると腹が立つのだが、昼飯も食わずに3時近くになると怒る気力もなくなる。

病院は身体が元気でないと通えないが、精神的にもタフでないと医者にはかかれない。診察室に入ると医師は『お変わりございませんか?』と聞き、俺は“すこぶる元気です”と答えた。

よ~く考えると“スコブルゲンキ”なヤツが病院に来るから混雑が絶えないのかもしれない。

 

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身のほどをわきまえて ボラ活動

2011年05月25日 | 日記

5月24日(火) 曇り     寒い    晴れ    快晴

昨日は一日中雨、しかも昨夜から今朝方に掛けては激しく降った。

雨は止んでいるが低く雲が垂れ込め、梅雨空を思わせた。寒い、起きてから時間が経過するごとに寒さを感じた。

寒ければ床暖を入れる ・ ・ ・ しばし考える。しかし、中部電力の我が家、いまや節電を旨としなければんらない。原発停止の署名活動に賛同した我が家、一旦片付けたストーブの薪を薪を運び込み点火すると、直ぐに近寄ってくるのはSalaだった。

社協の会議が午前中にあるが、送られてきた資料にもう一度目を通す。収支の決算や補助金のことなど我々に直接関係していることは文字には表れていない。

会議は順調に進められたが、後に東日本震災復興ボランティアを社協で募り、3泊四日(車中泊)と云う事業について意見が交わされた。既に町内には広報されているが ・ ・ ・ 屈強な若男たちが集まってくれればよいが、俺も気持ちは人一倍あるが、体力には自信がないと云うより無理なことを自覚している。

昼飯を摂りながら夜に開かれる会議の打合せをした。殴り書きをしたたたき台?を前に話がそれて肝心の打合せが進まない。話に夢中になって、午後1時半に始まる北御牧(現東御市)の『オオルリシジミを守る会』の講演会に飛び込んだ。これは町の老人連合会と教育委員会の協同事業「すずらん学級」の開校式に併せてのものだった。

一端、家に戻り夜の会議のレジメを印刷し、6月5日に開くボランティア総会の資料をページに併せて並べて印刷を掛けるがプリンターが良しと云わない。並べ順が悪いのか、書式が混同しているのか、どうしてもプリンターが作動しようとしない。こう言うときは焦る、ボランティアルームにはコピー機はあるが、パソコンはつなげない ・ ・ ・ 

窓から見える浅間も雲に隠れていたが、焦っている俺に反して青空が広がり、冬の姿を見せた。落語ではないが、寒むいと思っていたが山は雪だった。

プリントは諦め社協へメールで送り、印刷をお願いした。ボランティアの会議もスタッフのなり手がないなか、なんとか集まってくれたひとで過半数となったので総会の諸々を危うくも決めることができた。

 

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瑠璃色の花が開くの待ちながら 久々の薪作り

2011年05月21日 | 日記

5月21日(土) 太陽がぼんやりと昇る 暑いが風は乾いている

日の出時刻から20分も立つと田植機の機会の音が聞こえる。どこで田植えをしているか東の窓からのぞくが見えない。軽トラが一台止まっているが ・ ・ ・ 太陽も遅めの春霞にぼんやりと昇り、浅間につづく山々もいつもより更にノンビリと見えた。

朝一気合いをいれて薪作りをそよう外にでたが、チェンソーのエンジンを掛けて運び込んである木を薪の長さに切る。半分ほどきったところで急に止まってしまった。チェンソーのメンテをしたのは覚えてないほど前だ。オーバールをしようと分解を始める。

チェーンの回転軸のある部分を開くと、切りくずが詰まっていた。こういうのはエンジンが止まった原因ではないが、先ずは動く部分を完全にきれいにした。次にはプラグを磨き、チョークの点検 ・ ・ ・ 全てが終わったのは昼前、やっと数本の木を切ったところで昼飯となった。

 昼飯を終えて少しだけ休憩しているとミスジチョウが近にきた。カメラを構えて翅の裏側が薄いブルーに見えるのを狙うが、なかなか向きを変えてくれない。翅を閉じたり開いたり。まるで自分のシルエットに見ほれているようだ。

庭を一回りしてみると、一昨日Upしたタガソデソウに似ているミミナグサが咲いていた。こう言う地面に近くで普段は草とされ、名を名乗ることもない花に癒やされるのがうれしい。

 

昨日Upしたルリニワゼキショウ、この花の名は「ルリ」が付かないニワゼキショウだと「会津のマッチャンさん」からコメントをいただいた。この花をもう一度図鑑やネットで調べてみると、この花はいろいろな呼び名があるようだ。ニワゼキショウとの違いは花びらの先端らしい。ところが、別名アイイロニワゼキショウとかヒレニワゼキショウとも呼ばれているらしい。名前はともかく上の写真の花も同じように、花が咲いてなければ誰もが雑草と云う。このような美しさを見せてくれる素晴らしさを自然は持っている。

3時を過ぎた頃にMが庭に出てきて、集落の I  さんの息子さんが亡くなったと云う。交通事故で長く入院されていたと云うが、まだ幼子がいる。20代の若者がこの世を去る寂しさがある。チェンソーを片付け、辺りを掃除して家に入った。

 Mが庭から摘み取って小さな花瓶に生けたミヤコワスレ 哀しさを物語っている。

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衣替えには早いと云うが 夏心地

2011年05月20日 | 日記

5月20日(金) 晴れ  風は涼しいが 陽の照るとこにでると熱い 

信州は涼しくて住みやすいね と都会に住む友人は云う。確かに朝晩はすずしい、今年は特に寒さがいつまでもつづき、特産のアスパラは育ちが悪いのだと云う。親しくしている生産者から昨夜の電話で同じことを聞いた。

しかし、この地を安住の地として仲間を増やし、子孫を増やしているのが下の写真のチョッジソウだ。はじめは一株二本の軸に一つの花が咲いた。それが、6年ほど立つ今年は12本の軸に増え下から新しい芽が顔をだしている。俺も充分この地に住み着き仲間も増えた。子孫を増やすまでにななのは修行が足りないようだ。

一段下がった道の脇では芹が同じように増えた。これも数年前根がついたものをもらい、葉と茎は俺たちの腹に収まったが、根を湧水が流れる溝に植えておけば良いと云われたものだ。5月の連休頃に丈が伸び始め月末には刈り取られる運命にある。既にだいぶ伸びたがまだまだ柔らかく香もつよい。

午後の庭を一回りするコース、西側から廻り入り口の風知草の上のアヤメが咲き出した。冬の殺風景な景色が風知草の明るい緑とアヤメの濃い緑、そして花が咲くと紫が加わり俺好みとなる。来週くらいになるとこの色の配合がスキだという友人が訪ねてくることとなる。

緑と紫の取り合わせが好みだから、それだけで満足というわけにはいかない。白も好きだ。白と緑、月並みのようだが、この白が透き通る白と純白のストライプ、このような配色のブラウスの袖、思いはどこかに残っているが ・ ・ ・ 少しの風にもなびく タガソデソウ ・ ・ ・ 

 思い出に耽って遠回りをしたが、紫に緑はこんな小さな草にも与えられている。花の名を忘れたが可愛い花だ。花がないときには草として毟られてしまう。

 この花は東京武蔵野でもよく見た花だが、花びらの先端が可愛い。しかも、俺好みの緑と蒼と黄色がしっかり整っている。ネットで調べてみると<ルリニワゼキショウ(瑠璃庭石菖) アヤメ科>とあった。葉の先端に特徴がある。

おんじたぬきさん HP  http://www.geocities.jp/ojinyasou/nagomi_a05.htm

 同じような配色の草だが、ブルーがやや薄い図鑑では勿忘草とあるが、葉の形が少し違うようにみえた。花をUpすれば判るのだろうが、風が強くなったので明朝の心としよう。花に顔を近づけてふっと何かの記憶が甦った。キュウリ草!!キュウリの香りがする ・ ・ ・ それほどではないが、ワスレナグサに間違えられるほどの姿、これも知恵なのだろうか?

配色では俺もダ!! 俺の写真も撮ってkuremathisuではないが、西からの低い陽射しに鮮やかさを主張していた。この花は数年間花を持たず、鉢を捨てようと管理人の呟きを耳にした覚えがある。

玄関前の階段脇には冬の色物を植えた鉢が並んでいる。ここもしっかりと役目を終えて、月末には夏用の花に植え換えられるだろう。

 クレマチスは夏を楽しみ、来年も花を魅せて欲しい。

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藪から棒 ならぬ やぶ ~ 蛇

2011年05月19日 | 日記

5月19日(木) 晴れ   高気圧に覆われたという 風は涼しいが 熱い

野暮用で今日も午前中がつぶれた。午後は6月の上旬に開催するボランティア集団の総会に併せて、東日本震災救援ボランティア体験談を話してくれる方とプロジェクターの試験映写を試みた。順調に作業も終わり、家に戻ったのは4時頃、急いで昨日の裏山へ行き、気になっていた花を再確認した。

黄色い花はどこにでもありそうな花だが、葉の形が菊のような切れ込みがあり子どもが描くチューリップの花のようにも見える。

落ち葉が重なる開けたところに細い軸ながらしっかりと立っていた。図鑑で名を調べるとヤブヘビイチゴとあった。草むらで見れば、ウマノアシガタやクサノオーと同じように見過ごしてしまっただろう。ただ、名前が蛇というのがイヤだ。

昨日は事なく歩いたのだが、今日は近道をして、落ち葉や枯れ枝の積もっているところ直行し、家に向かった。歩くたびにガサガサ音がするが、なにか軽い音が足下で聞こえ、見ると蛇だ!!ものすごく太い蛇がとぐろを巻き俺に向かって鎌首を上げている。俺は人一倍蛇に弱い ・ ・ ・ タマゲタ、慌ててカメラを構えて ・ ・ ・ 写真を見ると鎌首は枯れ枝だったようだ。それでも俺が蛇を見つけるよりも、蛇が先に俺を見つけたので若しも、大蛇だったら、このようにパソコンに向かっていることはなかっただろう。

このあとは地面に睨みをきかせて一歩一歩あるき、方向を変えて正しい道に向かった。足下には薄いブルーのスミレが綺麗だ。

この時期にスミレが咲いているとは思わなかったが、次には濃いブルーで紫に近いスミレに出会った。

地面近くに咲く花は花の期間が長いのか、春先にみたカキオドシも咲いている。

やっといつもの散歩道にでると、上から覆い被さるように垂れ下がるチョウジザクラは小さな実を付けていた。これも熟すまでには鳥たちの格好の食い物になるのだろう。

太陽の光が弱くなった道の脇ではツリバナが咲きだしていた。秋には実が弾け美しい姿を見せてくれる。

道に出るとあとは転げるように急いで急な坂を下った。下の方の田では明日にでも田植えをするのか代掻きの手直しをしていた。

なっぜか ノスタルジック  夕闇がせまる

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冷たい風 久しぶりに裏山へ 懐かしい出会い

2011年05月18日 | 日記

5月18日(水)  昨日の雷雨で急に涼しくなった  一日中青空

午前中はヤッツケ仕事で出たり入ったりの慌ただしく動いた。陽の光を受けて運転していると熱い、それではと窓を開けると寒い。こう言うときには適度な温度のエアコンを入れるのだろうが、俺は嫌いだ。東京にいたときにはエアコンが無くてはならなかった、暑さよりも空気の臭いで頭が痛くなるのだ。

昼前に戻り一仕事、2時過ぎに裏山へ軽い気持ちで出かけた。家を出て直ぐに、紅シジミが道の脇の草むらに沢山いる。ハルシオンで蜜を吸っている姿は初めてみた。

直ぐ近くではタンポポの丸い綿毛種の上に止まっている。この蝶の体重は維持できそうなタンポポの羽、タンポポは蝶が飛び立つことを知ってそれを利用しようとしているのだろうか?飛び立つのをだいぶ長い時間(数秒?)待ったが、一向にその気配はない。

何時もの散歩道を外れて昨年来てみた西側の山へ向かった。落ち葉が積もる木漏れ日の中に足を踏み入れると直ぐに出くわしたが、ヒトリシズカだった。昨年は花を見ることができず、フタリシズカと判別が出来なかった。花を見れば一目瞭然全くのヒトリシズカだった。

更に奥へ向かい昨年見つけた群生地へ通りつくと遅かった。既に花は咲いてしまっている。芯にゴツゴツとした花柄がついているだけ、去年は種を見ることも出来なかったが、来年は一面ヒトリシズカ?を必ず目にしよう。

大きく迂回をして今まで歩かなかった道へでると、底には薄紫のイカリソウが咲いていた。既に花が落ちてしまったも、これから花を付けるのか濃い赤紫の艶のある小さな葉を持った若い芽が見える。まさか、ここで自然のイカリソウに会えるとは思わなかった。近くの町では人工的に増やしていると云うが、自然が育ててくれる環境があることに感謝しよう。

更に進むとここには三本のヒトリシズカが咲いていた。不思議だ、俺が求めたていたものが一気に見ることができた。

 何時もの道にでるとムラサキケマンが一本だけ正面に咲いている。登り切ったところで少々休憩、太陽は既に西の山に遮られ急に風が冷たく感じられた。

この自然がいつまで保たれるのだろうか?

今年の秋までには鹿の害から農産物を守るためにフェンスを播磨えぐらすと云うが ・ ・ ・ 

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雷鳴 久しぶりの響き 東からそれとも西? 西からは怖い

2011年05月17日 | 日記

5月17日(火) 曇り    雷の 雨   雲が流れ陽が出る

昨日は3時から夕方暗くなるまで草刈りをした。予定でにはなかったが、ラジオで「明日は雨が降る」と聞いた。この時期は、雨が降ると草が5センチ伸び、10本増える。アメ降りの前に一気に草を刈ってしまうと云う決断が素晴らしい。 (自賛)

今朝になって草刈り具合を一目見ておこうと、庭から裏の土手、東の崖を周りニシキギの植え込みから庭を眺めた。足下で何かが騒いでいる ・ ・ ・  しゃがみ込んで目線を下げると、タンポポの種が蜘蛛の巣にかかっていた。俺には感じない風だが横になったり縦になったりモガイテいた。井戸の中ではないので下に落ちても良いと思うが、上ばかりを狙っているタンポポは強欲なのか。 

刈り残された草と云うわけではないが、ハルシオンも一本だけ立っているのが良い。不思議な花で、つぼみの時から白いのが普通だが、中にはピンクのモノがある。花が開き始める時は白が強いが僅かながらピンク色に染まっている。 白よりもなにかモノ言いたげに感じる花、ハルシオンの青春色とでも云うのだろう。

昼前に突然雷が鳴った。懐かしい響き、今年初めてだろうか ・ ・ ・ それを相図にしたように激しく雨が降り出した。雲の動きに合わせて雨が止み、陽がでる。再び雨と雷、めまぐるしく変わる天気だが、裏庭の石積みでは小さな窪みに雨水たまりそこに薄い太陽が写っていた。 

雲が流れ太陽が丸出しになって光を射し込んで来ると、水たまりが宝石のように輝き中央は錦の光、縁に光り輝くダイヤモンドが見えた。偶然に知り得たものだが、天気の変化で美しいドラマが繰り返されているのだろう。

 

宝石の隣ではオキナグサが花から実へと変化している。この中に種があるのか?種はどうなるのか好奇心が湧く。しかし、3箇所に三株づつ植えて昨年は全て花を見たのだが、今年はこの場所に三つの花しか顔を出さなかった。

名前の「翁」から親近感が湧く、仙人となることを夢見る俺の髪型に似ているからか、それとも“栄養分となる肥料もダメ” “陽当たりも少ない方が良い”と「質実剛健な生き様」(ここだけの話)から相通じるものがあるのかも知れない。

この町には回覧板と云うのがあり、いろいろな情報が挟み込まれたファイルが廻ってくる。集落のなかで班分けになって家順(やじゅん)に届けられる。

今日の回覧板には珍しく、地元の県立高等学校『蓼科高等学校』のフォトニュース38と云うのが挟まれていた。この中で注目したのは裏面の「転任職員の紹介」にあった。ある教員が『挨拶がきちんとできるなぁ。生徒に「お疲れ様」と云われた時は驚きました』とコメントされている。確かに、生徒でも大学生でも『先生にはありがとうございました』だろう。このコメントを書いた先生が『国語の担当』と云うことで、これからの蓼科高校の生徒は、先生や目上の人に“オツカレサマデシタ”と云うことは無くなるだろう。近頃は小学校でも親しみのある教育と云うのか、先生との会話が“タメゴ(正しくは、友だち言葉)”になっている。これって良いのかぁ~ 親しみと尊敬とは違うと思うね。 

 

回覧板に蓼高のこのようなモノが、挟み込まれたのは初めてだが、親近感を持った。

無断でこのブログに掲載してしまったが、もし、具合が悪ければご一報をいただきた。

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今日中にと云われたが 朝を午後に結局は明日の夜

2011年05月16日 | 日記

5月16日(月) 晴れ 朝から雲が広がる 高い雲なので雨は降りそうにない

午前中の予定が変わり、時間が空いたので新たに花が咲き出した花を見に庭に出た。ニシキギの植え込みに沿って歩いてみると一つだけつぼみを開いているのがあった。この花はつぼみも緑花もミドリから始まる。 

初夏ともなると白い花が多い。この花は「白山吹」と面白味のない名前がついている。『七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとだに 無きぞ悲しき』にある黄色い山吹とは大違い、実は沢山付き株もどんどん増えるのだ。

この花は特に香が強いわけではないが、虫が沢山来ている。どの花を見ても虫がいない花は少なく、虫がいない花も少し待っているだけでいろいろな虫が観察できる。下の写真のミドリの虫はキリギリスの幼虫だろうか?まだ羽が生えていない。

庭の中央紫式部の根元でエビネが咲き出した。スギナにいつ追い出されるかと心配していたが不思議にエビネの周りには進入してこないようだ。

昨年は遅霜で全滅、花は一つも見ることが出来なかった。つぼみのときには大きな厚い顎で覆われているが霜には弱い。蘭のような美しい花の形が魅力的だ。

東側の土手にはこの黄色い花が沢山増えた。特別な花では無くタンポポと同じように勝手に増えている。タンポポのように種が飛ばないのが嬉しい、繁殖力強いために、「草の王」と云う名が付けられているようだ。

タンポポは咲き始めは良いのだが、この種が飛ぶのがヨロシクナイ。その昔はこの種が飛んできて耳に入ると“ツンボ”(差別語、使ってはいけない)になると云われた。今ではこのような表現は使われないが、種は風が吹くとスッと飛び立つ。根元の茶色いのが種だが、繁殖力は相当なものだろう。

一回りして北側のキンモクセイの所に来て驚いた。今年は特別に寒かったので枯れたと諦めていた。常緑照葉樹であるミドリの葉が全て茶色くなってしまった。このところその茶色い葉ガハラハラと落ちていたが、その枝の先にはミドリの新芽がでいた。

 

チェンソーで根元から切ろうと思っていたが ・ ・ ・ 俺が悪かったと ・ ・

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生ゴミの堆肥化 微生物の元気だが温度計に表れた

2011年05月16日 | 日記

5月15日(日) 晴れ    再び黄砂で視界が鈍る  午後には 僅かだが回復

5月半ば、今年は遅いと思っていたタガソデフリソウがやっと一輪だけ開いた。よく見ると軸がうねり花は元気そうだが弱々しい。更に近づくとアブラムシが沢山ついていた。工具箱の筆で払い落としたが直ぐに戻ってくるだろう。

ニシキギの植え込みの下にしゃがみ込んでいると、“ ゴミ~ ”との声、二日分の生ゴミが窓から差し出された。赤いカーネーションが上に乗っている。母の日もしおれて黒く変色している ・ ・ ・ これっていいの?と思いながらも黙って受け取った。

生ゴミは段ボールの中で堆肥にしている。昨年秋に新調したダンボールもだいぶ変形して形が崩れてきた。冬を越すために二重にしてあるので微生物の発酵にはよいが、ダンボールは湿り気をため込んでしまうのだろう。

被せてある布を外して温度計を見ると60℃、順調に微生物が働いている。裏山から持っていた腐葉土も今では葉の形を残す物は全くなく、4日前にいれた生ゴミも分解されているだろう。

新鮮な空気を含ませるためにスコップで攪拌する。下の方は硬くなって僅かにアンモニア臭があるが、空気に触れることで臭いも消える。掘り返すごとに湯気が立ち昇り、臭いは蒸れた臭いだけで、腐敗臭は全くない。

ひとしきり掘り起こし作業を終えて中央に生ゴミを入れる。この上に米糠を入れて更に攪拌し平らにならすと作業が終わる。

ダンボールの横においたプラコンテナの存在を忘れていた。昨年秋に堆肥となったものを篩で塊を除いたものだけを集めてここに入れた。一冬静かに過ごしたので、硬くなっていたのだ、如雨露で水を撒き、スコップで天地返しをしてやった。

作業を終えて再びニシキギの元へいく。ここにはホタルカズラや木陰で咲く花たちがつぼみをもっていた。東側の崖下から生える木には沢山の白い花が満開になっている。香は無く虫の姿も見えない。つぼみの時は紅い色も見えたが花が開いたら白一色のものだ。

この花は数十年この地で毎年花を咲かせている。しかし、この木の名を誰も知らないと云う ・ ・ ・ 名のある花しか愛でないと云うのは世の常だろ。

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晴れ 寒冷前線は黄砂も引き連れて通過したようだ

2011年05月14日 | 日記

5月14日(土) 今日も黄砂が濃い 午後には風も治まり 視界が広がる

SalaとAlgoの飯は向かい合わせに勢いよく始まる。朝晩の一日二回の食だが、主食は365日同じ草食系のドッグフードに決められている。Algoは一粒づつ咥えては少し離れたところでカリカリと音をたてて食べる。Salaは食器に口を付けたままガツガツと一気食いをする。当然Salaの方が早く食べ終わるが、彼が食べ終わる頃、Algoは半分くらいが残っている。Salaはスキを見てAlgoの飯を横取りするのだが、このところ自己意識が高くなったAlgoはそれを許すことはない。 

 彼らの主食は365日同じ、俺たちの主食も玄米に赤米と米を混ぜて炊いたものを常食としている。おかずも今日は、ネギだけを少し甘めに煮たものとコゴミの湯がいたもの(おしたしダと言う声が飛ぶが)、今週辺りからコゴミとわらびが交互に食卓に昇る。そして、味噌汁は手前味噌で具沢山に作るようになっている。

今日の昼飯はMがチョット畑に ・ ・ ・ と云って出て行った。「今のニラは柔らかく、香も強いので美味しいのよ」と云っていたのを思い出した。ニラを小麦粉で溶いて、その中に干しエビや桜エビを入れる。ニラ煎餅と呼ぶ集落では昔からオヤツのときに作ったと云う。これに豆腐がでてきたが、辛みそを添えて食うのが実に美味い。簡単な昼飯だが、裏山や畑から取ってきたものを食卓に載せる安心感は田舎暮らしならではのものだろう。 

ニラ煎餅を焼いているときに、何時もの雀が覗きにきた。彼らは飯ときになると窓の縁まできて部屋の中を覗き込む。今は芝生の虫をついばんだり小さな虫を追いかけながら、人の食う物もたまには口にしたいようだ。 

 午後になって風も治まり、空もだいぶ青さを見せ始めたので、外に出た。西の外れでびっくりグミの花が咲いた。今年は枝落としを激しくしたので花は無理と諦めていた。

 この花も近くで見ると厚ぼったく、牛乳パックで作ったリサイクル葉書のようなザラザラ感をもっている。ランプの傘のような花びらと自在鉤のような雄しべがユニークだ。どのくらいの重さに耐えるのか試して見たい ・ ・ ・ 

ボランティアの総会の準備に追われているが、庭に次々に咲く季節の花が“草を刈ってくれ”と云っているのが聞こえる。

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つかの間の五月晴れ 黄砂で覆われた午後の陽射し

2011年05月13日 | 日記

5月13日(金) 晴れ 乾いた空気  午後には 遠くが霞む 黄砂

たっぷりと降った雨に庭の花たちは蕾から花へと変化を見せた。変化見せたのは花だけではなく、草、雑草と云われる草も一斉に緑を濃くしている。

初夏の花として俺が好きなのは亜麻、薄い水色の花びらに濃いブルーの筋が放射状に見えるその中央は黄色と清楚そのもの、初夏の爽やかな風に揺れるワンピースを着た乙女のようだ。 

 同じブルーでも清楚と云うよりも、純な田舎の女の子、ホタルカズラは蕾の時は紫に近い赤だが、花を開くと素暗がりの植え込みの下でも明るく見える。しかし、咲いたのを見るとシベが見当たらない、雄蘂も雌蘂も全く見えない、それではと開きかけのつぼみに近づくと僅かに花びらに黒いものが見える。これは雌しべ、それとも雄しべなのだろうか?

 色彩的にもブルーと並んで似合うのはピンク、ハナイチゴ?しっかりと実を付けるイチゴだが、花は白より人気があるらしい。

 同じ色でも地面から高いとこで花を開いているのはハナズオウ、咲き出したのは一週間ほど前だが、クマハチが来ているのは初めて見た。

 キタテハは白樺の樹液に陣取っているのを見るが、花の蜜は吸わないのかと思っていた。花に止まるのは初めて見た。それも、しっかりと口吻を花に入れて密を吸っているようだ。蝶に聞いてみると「俺は蜜なんかすわないよ、昨日の雨水がたまっているのだ」とツンとした顔で睨みをきかせるのだろう。

 花に虫や蝶が来るのは当然のことと思っているのは俺だけではなかった。ハナイチゴを覗き込むと花びらの隙間に何かが動いた。彼の本名は知らないが、背中から頭にかけての文様はもう一つ蜘蛛が上に乗っているように見え、まるで毛ガニのような蜘蛛だった。

 頭の上でハチの羽音が聞こえるので視線を上げて一瞬目を疑った。俺の右は手術を受けたので間違わないと、右目でもう一度確認した。ヒラタアブがホバリングしているのだが、二重に見えた。まさか網膜が破けて重なっているのか?目をしばたたかせて今度はレンズを通してパチリ。こういう姿でホバリングするとは知らなかったが、羽を使っているのは上の方だけのようだ。

 昼前に庭を一回りして部屋に戻るとAlgoは俺が椅子に座ろうとすると喉でウーとうなり声を上げた。

 彼は最近自棄に自己主張をするようになった。トイプードルのイメージが日を追うごとに覆されていく、結構な乱暴者のようだ。

 

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