田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

年の瀬と 云うほどもない 暮れの一日

2011年12月30日 | 日記

12月30日(金) 夜半に雪  晴れ   寒さはそれほど感じない一日

夜半に雪が降ったようだ。俺は全く気がつかなかったが、新聞配達の足跡が残っていることから朝方には止んでいたことになる。僅かに東の空が赤く色つくころソーラーのガーデンライトはまだ点灯している。普段ならこの時間には消えているのだが、今日はセンサーが綿帽子を被っているので未だ夢の中のようだ。 

夜半に雪を降らせた曇も朝には細く棚引くように消えていくが、それを追うように日の出前の光が赤く染めていた。集落にはまだ光は届かないが、この静かな中にも次を思わせる不思議なリズム感がある。 

 

東南には湿った空気が淀んでいるのか、太陽の昇る直前になると光の帯が縦に昇り上の雲の下を光らせた。太陽柱とでもいうには短いが、和蝋燭の炎のようにも見えるのは灯りの原点が太陽にあることを覗わせる。 

昨日までの重労働の見返りとして一日を安息日と決め込んでいたが、客人が多く年の瀬を感じさせられる。日頃のお付き合いの中でも晦日ともなると特別な想いを感じる。昼前の電話で明日できる新調した眼鏡が今日できているとメガネ店から電話が入った。遠近両用メガネを使い慣れている俺としては、昔の近視用のメガネでは不自由なことしきりだ。約一週間の不自由さを解消できるありがたさで直ぐに眼鏡屋に向かった。

夕方からは急に気温が冷え込んできた。集会所では明日に行われる子ども獅子舞の練習、昨年から子どもだけで、先鋒・梵天振り・獅子頭+獅子胴・太鼓・鉦と囃子を含めて全て子どもでできるようになった。賑やかな練習も8時30分には全て終わり、あとは大人たちの酒盛りの場と化した。

 

色御幣 獅子の尻尾と はしゃぐ子ら (哉) 

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外には雪 リビングに花 匂い桜は面目躍如

2011年12月29日 | 日記

12月29日(木) 快晴 日中は暖かいが 日が陰ると寒さが身にしみる

7時を過ぎた頃に朝陽がリビングに差し込む。窓際に置かれたニオイサクラはこのときとばかりに一気に香を振りまく。透き通った甘い香り、花は既に満開となっているのに虫のいない部屋、花たちは俺に早く受粉の手助けをしろと訴えているような甘い誘いだろうか。

 

ここ山裾集落は里の中では標高が高い。外では雪が積もるほどではないが日を開けて舞う雪は地面を白く見せ、信州の冬を演じるには充分だろう。 日本海側の北の方では大雪に苦慮されていることが報じられているが、ここ軽井沢、佐久地方は東京の天気と変わらず晴れの日が多い。

今朝もりんご園に伐採作業に出かけた。1月4日の仕事始めに伐採をする予定だったが、前倒しして欲しいとのことで変更となった。

林檎の木は堅い、作業の前に先ずはチェンソーの刃研ぎからはじめる。 6本のリンゴの木をきるので新しい刃を付け替えて作業を始めたが、5本も切った頃から切れ味が悪い。切れないと云うよりも手に伝わる振動と辺りに響く音が微妙に軽くなってきた。樹幹に刃が食い込まず滑るようになる前に刃を研ぐことが賢明だろう。 

チェンソーの刃を研ぐと云うと如何にもめんどくさそうに聞こえるが、リンゴの葉の落ち葉が敷き詰められた心地よい絨毯の上にどっかりと座り込む。温かい陽射しでの刃研ぎはしばしの休憩のようなもの。持って来たポットのお茶と甘い菓子が刃研ぎを誘っているのかもしれない。

 

昼に軽トラ満載にして運び出し、午後は残る一本のみ、ここはスプリンクラーがあるので傷めないように、先端の高い枝から切った。脚立に乗ってチェンソーを使うには少々足下が怖い。そこで、軽トラの荷台に立って作業をする。荷台の上でもフワフワするが、脚立の上で落ちてくる枝を避けるよりも安定はよい。

作業は短時間で終わったが、細い枝を仕分けるのには鉈を使い切り落とす。りんご園のYさんが様子を見に来てくれ話すには“珍しいね 最近ナタは使わないよ 私たちは✂だよ” って両腕を交互に動かした。そういえば俺も通販で打っている太い枝が切れるハサミが欲しい。

日が陰ると寒くなる。全ての作業を終えてりんご園をでるときには4時をとっくに過ぎていた。

 

身のほどに 脚立を選ぶ 老婆心 (哉) 

一台でも ニダイのやくめ ノジの軽トラ (哉)  

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段ボールの温もり ホームレスではなく 生ゴミ堆肥の話し

2011年12月28日 | 日記

12月28日(水)  晴れ   曇は多く 寒い 一日

今月25日に掲載した生ゴミ堆肥の段ボール箱のその後。25日はスッピンの段ボール箱の微生物は寒く冬眠状態、温度も0℃を前後するくらいで投入した生ゴミは何時までも残っていた。そして、それを解消しようと箱ごと入る一廻り大きな段ボールを用意して、間に新聞紙を丸めて詰め込んだ。

生ゴミを入れて3日経った今日開けてみて驚いたのは中の温度計は25℃を示していた。その前にフタを開けただけで湯気が立ち昇りいかにも温もりがあると云う風情だ。

 

生ゴミを段ボールで堆肥化しようという人は多いと思うが、信州の-10℃以上になるところでは外に置くのは難しいと、冬はあきらめている人が多い。ところが段ボールの暖かさと云うか断熱効果は素晴らしいもので、箱を二重にするだけで効果は高い。しかし、今朝開けたおきに、上に被せて置いた新聞史は湿り気を帯びて中の基材に落ちるかと思うほどだった。ここで少し改良を加えるべく、苗かごを置くことにした。

苗かごには新聞紙を二日分載せて、この新聞紙で基材から立ちのぼる蒸気を吸い取らせることを考えている。恁うすることで外側の段ボールが湿り気を帯びて形が崩れるk、ことを防ぎ長持ちしてくれるだろう。

下の写真、左側が新しい外箱、右側のものは昨年の冬に過ごした二重のもので、湿り気を防ぐ対策を怠ったので形が崩れた。春になってからフタの部分を切り取って布で被いをしている。

生ゴミを段ボールで堆肥化使用という試みは6年前から始めたが、毎年少しずつ知恵がつき効率が高くなっている。Eco仲間からこんなに大きな段ボールはどこで手に入れたのか? と聞かれたが、これはプリンターの修理をしたときに使われたもの。段ボールの資源回収にだすのも良いが、冬の対策として段ボールは貴重な材料とされているのは田舎でなくても周知のとおりだろう。

生ゴミも 二重の箱に 癒されて 分解酵素に 熱く委ねる (哉) 

Look!! 自然界の微生物で生ゴミが消える http://garbageate.exblog.jp/6871638/

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マイブームではないが りんご園に通い詰める

2011年12月27日 | 日記

12月27日(火)  快晴   冷たい風  穏やかな一日

朝日が昇る前に起き出すのが日課のようになっている。この時刻は家々の間に街路灯が青白い点となって見える。

天気予報とおりに快晴、予定では年内のりんご園に通う最終日としている。23日から通い詰めているが夕方の身体の軋みも朝になると収まっているので助かる。

  

二本の樹を斬ることにしているので、りんご園に着いたのは9時少し過ぎたところだ。出かける前にチェンソーの刃を研いだり燃料をタンクに詰めたりしので少し遅くなってしまった。樹齢が60年と云う風格がある樹でこの樹一本に林檎は何個くらい成るのだろうか?

 

先ずは切り倒した木をマンモスの背骨ではないが40cmの長さに切り分ける。俺のチェンソーは刃の長さが35cmなのでこの樹を斬るには少々役不足の感がある。もう少し刃の長さがあれば短時間で切ることができる。

俺と同じくらいの年代を過ごしてきた樹を斬るのだから ・ ・ ・ 敬意を表して敬礼をする。切ってしまってからどうってこたぁないのだが、初日は敬礼をすることなく作業を進めたので、樹にチェンソーを噛まれた。

昨日は休憩のお茶や菓子をもって行かなかったので、2時間半休みなしで作業を続けたため、昼飯のあと身体が動かなかった。今日はいっかりとお茶と菓子を持ち込んであるので、90分に15分の休みをとった。

12時30分には第1回の持ち帰り、軽トラの荷台に満載の林檎の木、ロープで荷物を止めるのもプロ級のマンリキ縛りを施す。近頃の運送屋さんもリープで物を止めるというこことはなくなったので、このような縛り方を知る人も少なくなったようだ。昔取った杵塚ではないが、若い頃のアルバイトが今になって役になっている。

午後は二本目を切り、細かい枝を片付けると午後4時、太陽は山陰に入り急に風が冷たくなった。

家に戻り薪材を降ろして道具を片付けると4時半、既にだいぶ暗くなってきた。部屋に入るとMが福井の三国“にしさか”の酒饅頭が届いたと云う。俺は酒飲めないがこの酒饅頭は大好き、少しだけ暖めて頬張った。

http://www.nisisaka.com/

 

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飽食の時代だが シャリバテでは仕事にならない

2011年12月26日 | 日記

12月26日(月) 雪   曇り  薄日  午後から 冷たい風

昨日は一日雪が降ったり止んだりということでりんご園にいくことはなかった。

朝には雪が舞っていたが細かい雪で薪づくりの作業には支障がなさそうだ。軽トラに道具を積み込みりんご園に着いたのは10時、作業をするには中途半端な時間になってしまった。

林檎の木は樹齢60年と聞いているが、俺のチェンソーの刃の長さではギリギリの太さになる。樹を斬ったあとは根を掘り起こすので地面から立ち上がった部分はユンボのアームが掛かるように残しておく。二股に分かれた太い幹を一本切り落としてからその樹を薪の長さ40cmに切り分ける。この樹を全て切るのに2時間かかった。燃料は2回空になったので、それを満タンにする間だけ休憩のようなものだ。

太い木を軽トラに積み込み、細い枝は別に山積みにした。これは後で鉈で枝払いをしてから、薪の焚き付けに使いたい。軽トラは板バネが殆ど平らになって悲鳴を上げているが、一回で家まで運び込みたい。

 

家に戻り積んだ薪を降ろすと2時前になっていた。遅い朝飯をとったからと言っても重労働にはきつい。山ではないが完全にシャリバテで、りんご園で帰りの予想がついたときに家に電話を入れたが応答がなかった。俺が家に着いたときMはガラス拭きをしていた。

積み降ろした長い木はここで薪の長さに切るのだが、きょうはシャリバテでムリだ。先ずは昼飯だが ・ ・ ・ 

 

次回からは お茶とオヤツ程度は 持っていこう

休憩なしの作業 一人での作業は夢中になりすぎる

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white Christmas 雪は困るが世間は別のようだ

2011年12月25日 | 日記

12月25日(日) 雪  陽がでて青空も 午後には雪 そして 曇り

未だ暗いうちに起き出して障子を開けると外は雪、雪に降られては困るのだが ・ ・ ・ 町から集落に入る道には轍も見えないことから誰も通っていないようだ。平日なら5時過ぎに勤めにでる人がいるが今日は日曜日そして、Christmasとなっている。

昨夜のテレビでも明日はwhiteChristmasと嬉しそうにキャスターがはしゃいでいたが、俺にとってはまだ雪は来て欲しくない。そう言う願いを聞き入れてくれたのか東の空。厚い雲を寄せ付けずに朝陽を迎え入れる準備をしている。オレンジ色に染まる空に上州の山々がシルエットで浮かぶのはこの季節ならではの早起きの徳とでも云うのだろう。

オレンジの空も直ぐにかき消されあきらめたところに、今度は朝日が東隣の集落の境から姿を見せた。曇が割れて太陽が高くなるにつれ青空さえ見えて来た。雪は激しく降って景色をボンヤリさせているのが、北風と太陽の鬩ぎ合いのように見えた。

雪が降らなければ庭の木々の枝おろしを予定していた。太陽光パネルを被るようになったネムノキ、電線に届く白樺、他にも枝が伸びすぎた木がある。そして、無花果の木も寒さ対策に防寒の藁コモを買って用意してある。

午前中は薄日があるので外に出ても寒くない。長靴を履いて庭木のところまで行くが雪で滑る。しっかりと降ってくれれば良いのだが2cm程度では抜かるんで始末が悪い。枝おろしや木の防寒は止めにして、段ボールの生ゴミコンポストを一廻り大きな段ボール箱に入れた。

これも防寒対策で一重の段ボールでは温度も0℃近くになるので微生物の活性は望めない。大きな段ボールの底に新聞紙を敷き生ゴミを入れる段ボール箱をいれた。廻りにも新聞紙を丸めて空気層を保ようにしたので厳寒期が楽しみだ。

昼飯を摂ってから外仕事でできることをやろうと思うとまた、雪が降ってきた。大した降りではないが、今日はChristmas、これを楽しむ人にはもっと降ってもよいと俺は外仕事を止めとした。

 

竹葉に 留まることなき 細雪 (哉)

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昨日のつづき ボンヤリは大晦日までつづく 

2011年12月24日 | 日記

12月24日(土)  快晴   冷え切った朝  太陽の恵みを受ける

日乃出前に東の窓を見ると不思議な紋様。昨夜の天気予報でも冷え込みが厳しいと伝えていたが、ガラスに描かれた絵模様を読み解いてみたくなる。朝陽が射すとガラスの下にあった模様は一面に広がり、冬将軍がアミダ籤でもやっているかのように見ええた。 

 

集落に陽が射して来る頃には遠くの浅間連峰には雲一つない。山裾ならではの景色なのだが、スッキリしないのは俺の眼のせいだ。ボンヤリして遠くを見ても近くを見ても焦点がぼやける。 

昨日は一本の太いリンゴの樹を切り倒し、トラックに積み込みを終えたとき、何となく眼がスッキリしなかった。 若しや持病の低血糖? 低ナトリュウム血症? 真逆 ・ ・ ・ と思いながらムリは禁物と急いで片付けをして我が家に戻った。家でも荷台のリンゴの樹を降ろし、チェンソーの手入れをしようとするが目眩がしたようにボルトの角が見えない。思えば、帰りがけの運転中車に酔ったような気がした。

家に入って顔を洗おうとしたときに気がついたのだがメガネがない。俺は普段遠近両用メガネをかけているが、そのメガネをリンゴの太い枝を切り払ったときに落としたようだ。

朝飯を片付けてからリンゴ畑に行き、作業をしたところでメガネを探し始めた。砂利道で縦に落ちている一円玉を探すより楽と自分に言い聞かせながら、細い枝を一本ずつ軽トラに積みながらメガネを探した。

殆どの軽トラに積み込んだとき、落ち葉と細い枝の間にメガネはあった。拾い上げてみるとレンズがない。フレームだけはひしゃげた形になり、俺の顔から外れる瞬間レンズは遠くに飛んだのだろうか?昨日の作業を思い出して見ると、切り落とした枝が思わぬ方向に転がったのを俺は瞬時に避けた。そのとき帽子を飛ばされ直ぐに拾ったが、メガネのことは全く気がつかなかった。

俺がメガネを見つけたのは下の写真、まぁよく見つけたと思う。この写真の中にメガネがあるのがおわかりだろうか?

壊れたメガネを探して貰うのは申し訳ない気がするので、俺が拾い持ち帰ったメガネをテーブルの上に置いたのを見て欲しい。その曲がり方が微妙なのだ。俺の顔から落ちて地面に接したときは無事だったのか? そう考えると地面のメガネに上から力を加えられたようだ ・ ・ ・ 

午後、佐久のメガネ屋に向かった。

「メガネ屋は何処がよい」とか「メガネはどうするのか」とか、このことに関してMとの対話はない。ストーブの薪をつくるのにチェンソーの刃や燃料に費用が掛かるのは当然、しかし、ストーブの薪とメガネの対価にどのような関連を付ければ良いのだろうか?

“煙りが目にしみる”のは世の常だろうが、暖かさを目で見るとボヤケるよりも心に沁みる。ストーブの温もりが18℃の暖かさでは帳消しにはなりそうもない。

林檎樹の 払枝踏み分け 眼を皿に  探す眼鏡の 哀れ悲しき (哉)

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リンゴに感謝を捧げ 来年の次の冬の薪集め

2011年12月23日 | 日記

12月23日(金) 晴れ   風もなく穏やか  夕方は急に冷え込む

二日前にYさんから電話を貰った。りんご園をやっているYさんの話では、「樹が多すぎて手入れができないからストーブの薪にしないか」とのことだ。ありがたい話しなので都合を聞くと今日の午後に畑に案内してくれると云うので出かけた。

浅間山はすっぽりと雪を被り勢いよく白煙を上げている。昨夜はだいぶ雪が降ったようで手前の前掛け山がなければ低いところまで白く見えるのだろう。この雪も地熱のために夕方にはだいぶ少なくなり灰色の地肌が見えだした。まだまだ全山雪化粧を常に見える冬は年を越してからになりそうだ。 

りんご園の伐採をする畑に案内されて驚いた。彼は赤いスプレーで印を付けながらこの列の7本を樹って欲しいと云う。斬るだけではなく軽トラに積み込み家まで運ぶ作業もある。足場はよいし、軽トラもそこまで入り込めるのでありがたい。このリンゴは何年前に植えたの?と聞くと、少し遠くを見ながら60年くらいだろうと云った。 

2時に幹の太いところを切り倒して、薪の長さに切り分ける「球切り」これが樹が太いので往生する。細くなるに従って薪の長さの二倍、三倍に切った。一本の木を切り分ける作業に90分くらい掛かってしまっただろうか?細い枝を落として軽トラに積み終わったのは3時30分だった。 

家の薪置き場は一カ所だけ町のMさんが採りに来ると云うのでシートを掛けてある。彼のストーブに入る薪の長さは25cmだと云うので短い薪を集めておいた。これから運び込む薪はこのパレットの上に積み上げて来年の晩秋まで外に置く。 

ストーブの薪の樹種は広葉樹が良いとされているが、リンゴを薪として使うのは最高の幸せだと云う。確かに燃えるときに穗乃香な甘い香りを感じるのは至福の時だ。

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冬至 日乃出と日没 ロンパリが直ったようだ

2011年12月22日 | 日記

12月22日(木)  薄日はでるが 曇が広がる 暖かな一日 

昨夜は激しく風が吹いていた。寒冷前線の通過、晴れても雪でもどちらにしても寒い朝を覚悟をした。ところが起きてみると寒くない。日乃出時刻の6時55分になっても東の山も見えず、太陽がぼんやり見えだしたのは7時30分既に角度は20°くらいになっていた。

冬至ということで太陽がでている時間が短く、高さの角度は32°くらいにしかならない。東南南と云うくらいに限りなく南に近い位置で曇を透かして姿を見せた。

9時前に社協へ出向き、町内の97才以上の高齢者や障がい児、施設に入っている人などへ歳末慰問が行われた。社協理事と職員が四班に分かれて廻るのだが、遠くは軽井沢、諏訪、臼田など離れている施設に入っている人もいる。俺の班は町内西部地区と上田の施設に向かった。100才近い人のお宅では「今日は暖かいから畑にいる」とか「大根の葉を片付けてる」と皆元気な様子だった。

一廻りすると昼。昼飯をどうするかということで時間にも余裕があると地元に戻り、国道142号線沿いの食堂“よしの”に入った。定食メニューから“煮カツ定食”としたが、ここで驚いたのは煮カツ本体もご飯もボリュームがあるのには驚いた。キュウリとホタテの和え物に大根の煮モノがついていたが、若い働き盛りの客が多いのに納得した。

 

社協へ戻り昼休みの後は、来年度に向けた町民活動センター(ボランティアセンター)の事務管理について話をした。経理の管理や事務事業の簡素化など、実務の簡略化など ・ ・ ・ 2時を過ぎてしまった。

冬至ということで日没を確認したいと待ち構えていたが、曇が厚くなり姿はなかった。真南を向いて日乃出と日没の位置が視野の中に入る。真夏の時は広めの視野を持つ俺の眼でもとうていムリだが、冬至は『ロンパリ』(今や死言)には到らないで済みそうだ。

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13回目の通院 健康維持には

2011年12月21日 | 日記

12月21日(水)   薄い曇が広がるやや晴れ  思ったほど寒くない一日

今年の通院は今日で13回、健康を維持するには必要不可欠な回数だろう。13回も毎月一回の通院で内科、眼科に限られているし、医師との会話もそれなりに楽しみながら自分の身体を知ることができる。 

 

毎月通っている佐久総合病院、医療センターの起工式が行われ 再構築も現実の物となった。病院の壁には医療センタの見取り図や平面図が掲げられているが、その横に、《医す者として》と云う映画のポスターが張りだしてあった。これには佐久病院が地域の農村の健康予防管理を基に「出張診療」を始めた若月俊一先生の活動を記録したものと書かれている。

若月先生は俺が佐久病院に救急で入院しているときに96才で亡くなられた。それまでに著書を読んだりしていたが真逆、俺が入院するなどと思わないし、その最中に亡くなられたということからもこの病院が近しくなった。

 映画《医す者として》 http://iyasu-mono.com/

帰りにはいつもの蕎麦屋「めん茶房つたや」へ向かった。頼むのはいつもの盛りそばなのだが、その待ち時間にはしっかりと“手ずくな”の料理がだされる。

蕎麦の待ち時間には前菜に箸を付けるのもよいが、店内に眼を移すと地域文化の色濃いギャラリーとなっている。絵手紙もいろいろで花や風景に野菜が綺麗に描かれているのが素晴らしい。 

また座敷には篆刻、木彫、版画と奥の深い文化の高さと、それを身近に見ることができる配慮が暖かさを感じさせてくれる。 

蕎麦は店主の手打ちのものだが、ゆで加減を聞いてくれるのがよい。俺的には固めが好みなので柔らかいのは好みではない。上田の刀屋さんほどでもなく、心地よい舌触りがよかった。 

前菜の調理は女将さんの“手ずくな”だが、その味も食材の選びも身体を考えてのことだと云う。そう云うのは店主だが、かれは糖尿病で苦しんでいたが、食事療法でいまでは良くなっているという。見るからに健康そうな大柄な人、このところシャープさを感じていたところ、指南役はこの本だと云って見せてくれた。江部康二さんの本でナツメ社から出版されているそうだ。

年13回の通院

これが多いのか少ないのか

健康が維持されるならありがたい

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年内は追われるモノはないと 思うのは早かった

2011年12月20日 | 日記

12月20日(火)  晴れ  強い霜  晴れているが気温は上がらない

日乃出前に起き出したが寒い。太陽南へ移動していまや最南端、これを地球の回転軸が傾いていると観るのは難しい。長野では6時55分が日乃出時刻とされているが、山裾の集落に陽が射すのは7時過ぎたころになる。

今朝も寒さは厳しく毎日のように最低温度が更新されている。夕べは雨が降ったのか仕事にでるトラックが黒く轍をひいていくのが見えた。

 

このところ頻繁にニオイサクラの写真をUPしているが、友人からのメールで「桜の種類?」と聞かれた。

花の香りは桜餅の匂い。イヤ 桜の葉を塩漬けした匂いというのがよいか?

樹種は桜ではなく“ルクリア”と云うのが正しいようだ。茜(あかね)科でインド東部のアッサム地方原産。インドでこの花を「ルクリスワ」と 呼んでいて別名「アッサム匂い桜 (アッサムにおいざくら)」 が一般的らしい。

 

今日も朝飯を摂った後直ぐに外へ出て昨日の続き、庭の背の高い白樺の枝おろしを予定していた。ところが電話があり、来年の2月にあるボランティア活動のプレゼンテーションの打合せを木曜日にしたいと云う。一週間ほど前に写真を撮りそのままになっていた。年内は追われるモノはないと思っていたが ・ ・ ・ 

32枚の写真をPPointに並べ文字を打ち込む。写真の取り込みに時間がとられてしまたが、所詮は俺が選んだ写真、このなかから使う写真を選んで貰うことにしたい。

午後までPCにカジリついてしまったが、あとは年明けの作業とししたい。

明朝は-10℃近く下がると天気予報で伝えている。

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久しぶりの外仕事 枯れ木枯れ草の始末

2011年12月19日 | 日記

12月19日(月) 曇り 昼前には青空が広がる 風が冷たい一日

寒い季節には慣れたつもりでも季節のは始めはよけに寒さが身にしみる。今朝は曇っているので差ほどでもないと思ったが、北側の日陰で顔より先に手が冷たさを感じるのを意識した。

家の中ではニオイサクラが一斉に花を開きだすほどの暖かさなのだろう。この木は花の咲くのは短く残りの11ヶ月と2週間は葉だけを見せることになる。 

朝は厚い雲が垂れ込めていたがやがて陽が射し始めるとAlgoは一番でその温かい陽だまりに座り込む。俺が椅子から離れると直ぐに自分の椅子だと云わんばかりに席を占める。 

朝飯には自家製のヨーグルトにブルーベリーのジャムを載せている。このブルーベリーだが意識して形作る分けではないだろうが、毎日いろいろな姿に変わる。熊、リス、細長いとトカゲなど、今朝は差し詰め、百舌がハヤニエにしたカエルのようだ。ウサギや犬のようなら良いのだがハヤニエは少々眼をつむりたくなる。 

9時からスタートで遅れに後れた庭の枯れ草の片付けを始めた。一番の大仕事は石積みに植えた風知草を刈払う作業。平らなと所なら草刈り機で一気に刈払うことができるが石の間に植えてあるのはカマでカルしかない。ここだけで2時間半も掛かってしまった。 

刈り込んだものはそのままに置いておくと風に飛ばされる。一山ずつ紐で縛るのだが短いモノなどは焚いた。休憩に手を温めるにも焚き火は具合がよい。

れた。

風知草の他は錦木の植え込みの廻りやアヤメの枯れ葉など、半分ほど片付けると既に陽は西に傾いている。 

最後の残渣を燃やすころは太陽は西の山陰に落ちるところだった。 

白樺の枝おろしや畑の片付けはできなかった

明日も天気が良いというが 寒さは厳しそうだ 

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師走日に コウレイの 食事会 

2011年12月18日 | 日記

12月18日(日)  晴れ   流れる曇   師走の風が冷たい

昼前に集会所に行くと皆が揃っていた。若輩者の俺が遅れては申し訳ないことになる。俺の後に続いて一人が入って来て直ぐに宴席が始まった。

集落の行事はいろいろあるが、今日は高齢者の集まりで一般的には若い人が準備をして高齢者を招く形がとられている「ふれあいネットワーク」があるが、この集落では準備から片付けまでを高齢者だけで賄うという会を開いている。

そう言う俺は男性では一番若い立場で84才を筆頭に男5人、女性5人の10名の会となった。この他に5人の高齢者がいるが今日は都合が悪いと云う。 

幾才を重ねて見るも 悪ガキの 序列は今も 遠き日のまま (哉々)>

食事もなるべく手を掛けないようにということで、オードブルや折り詰めの寿司、女性たちがつくった豚汁がテーブルに並んだ。話題は昔の話から今のコンピュータの話しなど広く、高齢化と云われながらも、新聞は全て目を通しているという。予定の二時間はあっという間に過ぎてしまった。

坂を上り我が家へ着くと、シュウメイ菊が種を含んだ綿毛を風に乗せている。寒さが厳しく空気が乾燥していると少しの風でもスッと風の流れに乗っていくのは見ていてもあきない。 

午後三時を過ぎた頃、いままで上空を被っていた厚い雲が移動すると辺りは急に明るくなった。東の窓から見る浅間は一日中曇が離れることはなく、少し前までオレンジ色に萌えた広葉樹は既に茶色に変わっている。 

陽が沈むのは早く4時前には寒さが一段下がった。家の中でも寒くなるとSalaとAlgoはカタマリになって“ストーブに薪をいれてよ” と言いたげだ。

 

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昼飯に蕎麦 師走なら笏谷蕎麦としたい

2011年12月17日 | 日記

12月17日(土)  晴れ   気温は低い  穏やかな一日

朝の低い太陽光線が畑の残渣を燃やす煙を青色に見せる。針葉樹を通り越した陽の光は煙をいろいろな姿に変え、一瞬だが“天使の梯子”のように見えた。

昼前に町内の友人Tさんが蕎麦を届けてくれた。

箱を開けると三列に並べられた蕎麦は美しく整えられ、幾分黒めで太い蕎麦は延ばすのに苦労したと云うが、一本づつがしっかとして福井の「笏谷そば」と似ていた。

イメージが決まれば食べ方は「笏谷のおろし蕎麦」に決まった。大根を荒くおろし、ネギと鰹節、蕎麦つゆは大根の汁が主となる。

言葉で言うのも難しいが器が少し小さいために蕎麦が隠れてしまったが旨い。大根の辛みとネギの風味、鰹節も充分に意味を為している。蕎麦屋の量からすれば大盛りということになったが、冬の味覚に懐かしさを覚えた。俺は福井出身ではないが、義故郷とでも云うのだろか?

 

因みに本家本元の「笏谷そば 」

師走故郷の思いが強いが

下記サイトから訪ねてみて欲しい 

http://r.tabelog.com/fukui/A1801/A180101/18000019/dtlphotolst/1/

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忘れてはいけない年の忘年会

2011年12月16日 | 日記

12月16日(金) 霧   青空がでるが不安定に雪が舞う 夜は寒い

たてしなエコ・クラブの忘年会が開かれた。今年は地震や原発事故、そして台風の水害など、毎年のように年の暮れに一年を思い返すことが多い。そう言う年を忘れてしまおうと云う志向の忘年会ではない。メンバーも見慣れたスタッフから飛び込みの方まで含めて、いつもより多く16人が集まった。

この会はどんなに多くの人が集まっても一品持ちよりなので困ることはない。今夜も様々な食べ物が集まり、蕎麦寿司、しっかり味が染みこんだ大根、自家製のハムなど胃袋の方が驚くほどバラエティーに富んでいる。

そう言う俺は何を持って行ったのかと云うと、腹が一杯でも別腹に治めて貰えるデザートとした。エコクラブということから地産地消を基本としてメインの材料は町内産のリンゴを電子レンジでシンナリとするまで煮込んだ。 

 

次にはパイ生地にスリットを入れて網目模様にするのだが、ここで生地が足りないことが判明したが後の祭りだ。 

適当のごまかしを入れながらオーブンに任せて焼き上げるとなんとか見栄えは見事に収まった。 

呑めや歌えの大宴会になるには今一控えめだったが、6時から10時までの長丁場、無事に一年を収めることができました。

家の玄関を開けるとなんとも外の温度との違いに驚くほどの暖かさ。昨日花瓶に生けたカサブランカは花をしっかり開いている。どぎついほどのシベに付く花粉、この花粉に引き寄せられるのは誰だろうか。 

コメント
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