田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

林檎が“キニナル” 気になるコピーに軍配を上げよう

2011年04月30日 | 日記

4月30日(土) 曇り    雨    激しい風  寒冷前線の通過

天気予報に反して朝から曇り、上空の雲は二層になり僅かに晴れてくれそうな気配を見せた。花曇りと言い訳するほどに花に覆われていないが、レンギョ、桜、辛夷、桜と一目四種の花を目にして安息日を迎えた。

4月の晦日と云うことで冬から春の作業は薪材集めに体中の筋肉が悲鳴をあげている。

二週間ほど前にTVで青森のリンゴの焼菓子を話題として取り上げていた。番組を見るほどに立科町のリンゴと比較をしたくなりネットショップを申し込んだ。

商品名「気になるりんご」文字通りなんとなく胸騒ぎがするようなネーミングと云うこともあったが、宅配便の包みを開けるとお洒落な包装紙に包まれている。

「リンゴを丸ごとパイ生地で包み込んで焼いた」と云う、新鮮なリンゴをシロップ漬けにして、芯をくり抜いたところにスポンジをいれてある。

シロップと云ってもどのような物が入っているのか?原材料を見ると、効能はわからないが、いろいろな添加物が入っているようだ。

『丸ごとリンゴ』と云うフレーズも“気になるところ”四分の一に切りパイ皮をはがして見た。確かに、リンゴの皮が着いている。食味はどうかという一番の“気になる”ところだが、これがヨロシクない!!食感がゴリゴリしている!!そのゴリゴリ感はリンゴが正しいリンゴに成長していない若いリンゴを材としているのがわかる。皮の色を見ても富士の成長途上と云うことだろうか?

こうして見るとリンゴをいろいろ“加工したり”“いじったり”どのようにしても美味いのは完熟リンゴの生食だろう。話題性では“気になる”コピーが効いている。自分で買って食べるものでもないが、これも買わなくては解らない“気になる”ところだ。以前友人が長野の似たような焼菓子を持ってきてくれた。どちらが?って聞かれれば信州に軍配が上がると云うのは“ジモトバカ”とでも云うのだろう。

明るくなった空は再び雲が厚くなり、午後には雨が降り出した。浅間山もなんとなく寂しげに霞んでいた。

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庭も花が咲き出すと明るくなる

2011年04月29日 | 日記

4月29日(金) 晴れ   風は冷たいが爽やかな一日

一昨日の雨降りで庭の花たちが一気に花を開いた。白いハマナスの根元に何故かスミレが集まっている。

それぞれに固有の名が有るのだろうが、葉の形が違うわりには花はどれも同じような咲き方をしている。

花びらも白、青、筋が入っているもの、黄色が見えるものなどいろいろある。レンズを向けてしゃがみ込む ・ ・ ・ 

うっかりすると踏んでしまうほど、緩やかな坂にそって流れた種が花を見せてくれている。

畑ではヒメオドリコソウが我が物顔にはびこっている。小さな花をのぞき込むとシベを僅かに見ることができた。

ニラを育てている畝ではタンポポ畑と思われるように黄色い顔を見せている。ニラも植えたわけではなく勝手に生えていたのだからタンポポと差別を着けるわけにはいかない。

プリンセス雅(桜)に珍しく雀が来ている。ヒヨドリは上手に嘴を花の中央に差し込んで蜜を吸うのだが、決して花を落とさない巧みさがある。ところが、雀は嘴が短く太いためか花の顎のところを外側から嘴で挟む、結果は蜜を吸われた花は落ちることになる。

今日は一日中冬の間に剪定した木の枝や、荒れた天候で風に折られた白樺の木を片付けた。太い木は枝を払い束にした。切り落とされた枝は焚き火の燃料として一日中煙を出していた。

花壇の奥にある木瓜の木は秋に剪定したために花付きがよい。微妙に白に赤が混じった色具合に愛らしさを感じる。この可愛い花はバラのように高貴な香は伴わない。

素朴な美しさに誘われて手を出すと鋭い棘に痛い思いをさせられる。

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山にも本格的な春がやってきた

2011年04月28日 | 日記

4月28日(木)  爽やかな朝    午後からは風が冷たくなる

友人が帰る頃は浅間も僅かに紅に染まり、久しぶりに穏やかな姿を現した。春の霞んだ空気が冷たい風に押し流されすっきりした姿が似合う夕景となった。

 

朝一番で家の裏口から山を見ると枝先に黄色い塊が見えた。鋭角に切り下げられた土手をよじ登り花を見上げる。木の名前を去年も調べたがすっかり忘れていしまった。カメラを入れたウエストポーチに小さな図鑑を入れてきたので見比べるとシナミズキとある。

 シナミズキのシナは「科」の字と思っていたら、『支那』だと書かれている。中国を支那と云ってはいけないと、いつからラーメンと変わったのだろう?“支那そば”だっところは一杯35円だったことを思い出した。

 

 落ち葉や倒木が重なり合う山を登り切ると何時もの散歩道にでる。

 散歩道の山側には沢山の雑木と云っては申し訳ないが、春先に葉が出る前に花が開く樹が多い。つる性の代表格は秋の味覚と姿で一番のアケビ、五つ葉と三つ葉のものがある。下の写真のものは五葉のアケビで集落の人はほとんど口にすることはない。

 こちらの濃い赤紫の花は三つ葉アケビ、これは甘さも強く果肉が多いと云うが、俺にとってはどちらも同じように貴重品、都会では秋の宝石として果物屋で売られている。

 赤い星形の花、昨年はルビーのような透明感のある赤い実を小鳥に先を越され食べ損なった。ミヤマウグイスカグラ(深山鶯神楽)と云うように、辺りには鶯の声が響き渡っている。可憐な花ながら蕾の時の外皮は毛むくじゃらなのだ。この花が咲く頃に田植えが始まるということで地元ではタウエググミと呼ばれる方が多い。

 可憐さでは抜群のチョウジサクラ、文字通り丁の字のようにラッパ型で華奢な花だ。俺的には染井吉野のように派手な桜は遠くから見る桜、山桜の仲間は近くでその可憐さを愛でるものと思っている。

 下の写真、花?つぼみ?ウワミズザクラ?それとも柳の仲間?これから花が咲くのか、それとも既に花が終わったのか?図鑑を見てもこれだと思うものがない。

これから数日間の経過観察が必要となる  

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北国のコブシが似合う 信州の春

2011年04月27日 | 日記

4月27日(水) 晴れ 夏のような春 午後 雨 夜は本格的に降る

 朝から暑いと思うほどの暖かさ、佐久総合病院へ向かう車の中はクーラーが欲しいほどの暑さになった。道中、車の窓越しに見る山々には白い辛夷と薄いピンクの桜が目立つ。景色が変わっても、山の尾根の向きが変わっても変わらないのは春の山を色づかせる花たちだ。我が家から見る南の山々も同じように、そして、北側の山にもこの時期を通りすぎると緑の木々に身を沈める辛夷が意気揚々としている。

庭ではイカリソウが白い花を見せた。昨年は花が開いた時に雪が降り見る影もなかった。今日初めて見たのだが、近づくと花柄がついているので、二三日前から花は開いていたようだ。

イカリソウが見上げるようにアーモンドの花が咲き出した。和名はヘントウ(扁桃)とかハタンキョウ(巴旦杏)と云うそうだが、ハタンキョウと呼ばれることはない。オシャレな料理やお菓子に使われるときに、巴旦杏ではレシピにならない。

 

名前が中国風ということから思い当たるのが漢方薬、これを調べると効能にはいろいろあるようだ。風邪、食べ過ぎ、貧血、胃弱となんでも良いらしい。花の姿を見ても、美しい味の物が身体に良いと云うことに納得。

このところの暖かさで一気に元気ついたのがタマネギ。晩秋に苗を植えたたが、強い寒波でほとんどダメになったと諦めていた。近所の畑を見ると太く真っ直ぐに伸び苗の域を卒業しようとしている。俺の畑では草が大きくなり花を開き、やがては種を実らせる。この生き様をタマネギに見せることで自ら奮起して立派な玉葱になってくれると信じている。

玉葱と同じような育て方だが、少しだけ違うのは、藁を敷く代わりに草をどけて種を蒔き、薪作りの副産物の切り屑で乾燥除けとした。100 %の発芽率だが、5月の10日を過ぎると二十日大根が我が家の食卓に登ることになる。最もこれは大根自身がガンバることでなり得ること、俺としても食卓の高さを低くする位の応援は惜しまない。

肥料なし 草取りなしで菜果なし 育むものはコエ掛けるのみ

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雅は桜 桜にヒヨドリ 騒がしいだけと思うな 雅な鵯

2011年04月25日 | 日記

4月25日(月) 晴れ  雨  突風   晴れ   冷たい風

朝から荒れ模様の天気も昼頃には落ち着いた青空が広がりだした。出かける支度をしながら外を見ると、咲き始めた桜、プリンセス雅に鵯がきている。俺がのぞき込むと彼も首を長くして ・ ・ ・ 

 身軽に枝を渡りながら花の蜜を吸う。これが巧みな技で花を落とさないのがすごい。何時もはがさつな叫び声を上げるヒヨドリ、この姿を見ると愛しさを感じる。

 一時、細かい枝を渡りながら蜜を吸い続け首が疲れたのか遠くを見るようにしてジッと枝に座り込む。

 何を思ったのか、急に雄叫びを上げた。何時もは警戒の相図を仲間に伝る叫びだが、この桜の花の園では雄叫びのあとは囀りを聞かせてくれる。

ファルセットのように高い声で誰に、この密の味を教えているのか?

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庭を一回り 季節を忘れない花たち

2011年04月24日 | 日記

4月24日(日)   晴れ   湿り気のある空気 風は冷たい

今朝は雲一つ無い晴天、昨日と一日違いながら雲泥の差、こういう天気ならソーラークッカで何の料理でも可能となる。そう思っていたのは朝だけ、太陽が高くなるにしたがい、湿り気のある空気でぼんやりとした遠景、花雲りとでも云うしかない。

 朝から昨日の薪の積み替え作業に集中して休み無く作業をして昼前に終えた。昼時といっても飯の“相図もない”ので、庭を一回り、咲き出した水仙にもいろいろある。

 大型の花ばかりで小さい花の日本水仙が一つも姿を見せない。昨年から極端に数が減ってしまった越前水仙は今年は姿を消してしまったのだろうか?

 花全体が白いもの、黄色いもの、花びらが白く中央が黄色、橙色、いろいろあるがいつの日か色を分けて植え換をと ・ ・ ・ いろいろ混ざり当ているのが俺は好きだ。

 暖かな日が続き遅咲きのプリンセス雅が咲き出した。ソメイヨシノより花の色が濃く、形も大柄のように見える。

 シュウメイ菊に追われるように領域を狭められているプリムラ、桜草の代わりとヤマボウシの根元に植えられたがその後の手入れもなく心なしか寂しそうだ。

  山の絞り水が流れる土手の木瓜、棘がないので地元の人の云うジナシと云うのが正しいのだろう。

このところ姿を見せなかった土筆が顔を出していた。ムスカリと仲間かのように並んでいる姿が好い。春の香味と称するが、袴と云うのを取り除く手間がイヤだと我が家では食卓に上ることはない。

 春の食卓と云うとタラの芽もその代表格だが、我が家に生えている数本も半分は鹿に頭を食いちぎられ、棘トゲの樹皮までも剥ぎ取られ食われてしまった。天ぷらになるにはもう少しだが、鹿たちの腹に収まるか、俺の口に入るか賭のようなものだ。

明日からは本格的に薪作りが出来る体制となったが、他のことに時間を取られると梅雨入りまでに始末が付くのだろうか

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雨が降るとエコにはならない 太陽あってのエコ活動

2011年04月23日 | 日記

4月23日(土) 曇り 雨 曇り 雨 夕方からは激しく降る

昨日から雨に気を揉んでいた。それは、アースデイ イン 佐久2011と云うのが開かれる。しかも、今日は緊急イベントとして「石油文明から太陽文明へ」と名打ったトークショウが企画されている。

http://earthday.asama-de.com/home/

俺たちはそのトークには関係ないが、たてしなエコ・クラブでソーラクッカーを使って“ヤキヤキバナナ”なる物を披露しようと計画していた。当クラブのソーラークッカーはメニューも豊富でイベントでは引っ張りだこなのだが、太陽が出なければどうしようもない。緊急連絡で残念なら参加を取りやめることにした。

18日の定例のミーティングでは、当日の雨のことなど全く口の端にも上らなかった。リベンジと云うわけではないが、5月5日に佐久市の駒場公園で開かれる環境フェアにエントリーしているので“乞・ご期待”としよう。

http://www.pref.nagano.lg.jp/xtihou/saku/kankyo/11fair/11fair-bosyu.pdf

今朝になってだいぶ明るくなって雲も切れているので、迷ったが太陽の力は調理するまでには力を貸してくれないと再び断念した。電話連絡をしていると雨が降り出した。

先日もブログにUpしたツグミが雨の中、白樺の枝で連んでいる。冬越冬で過ごしたツグミは再びシベリヤ方面に集団になって渡るそうだ。ムクドリのように騒がしくなく、互いに情報交換か愛を囁いているのか、囀りを聞かせてくれる。羽を半開きにしているのは雨が翼から身体に染みこむのを避けているのだろう。

雨降りでも仕事が出来る場所、それは薪の積み替え。秋に積み上げた薪を、冬に炊いて空になった場所に積み替える。これをヤラナイと乾燥して隙間が多くなった薪は崩れる。普段はどうってことはないが、強い風や地震が来たら倒れるのは必至。午前中の作業はここまで、午後は奥を3列に上まで積み上げ手前は2列、右の奥に一列積み上げる。

脇で雨に打たれながら、俺の作業をじっと眺め、『俺たちはいつになったら屋根のあるところに入れてもらえるのだろう?』と聞こえる。彼らはこのまま秋まで外で過ごすが、4月末には上をブルーシートで覆う予定 ・ ・ ・

明日も朝から同じ作業 ・ ・ ・ 予定は未定 ・ その先は 

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激しい雨 緊張感のない選挙戦

2011年04月19日 | 日記

4月19日(火)  雨   一日中雨  数日ぶりにストーブを焚く

昨夜は突風に雨が伴う大荒れ、朝になっても風こそないが雨は降り続いていた。久しぶりに降ったことで畑には恵みの雨で、二十日大根を蒔いてある畝もしっかり黒く色が変わり水を含んでいるのが解る。

静かな雨の中何か慌ただしく人の声が響く。今日19日は4年ぶりの町議会選挙の公示日で選挙事務所の開所開きになっている。都会では考えられないが、集落の集会所が選挙事務所に貸し出されることになる。約一週間の選挙当日まで町中が大きなスピーカーから呼びかけられる声で騒がしくなる。 

 そんな選挙も議員数は12でこれ以上の候補者が無ければ選挙は為されない無投票で決まってしまう。雨に打たれる桜の蕾もまだまだ硬く、めでたく桜満開にはだいぶ間が開きそうだ。

昼頃にいったん薄日がでたので天気予報通りに青空が広がると思っていると再び降り出した。夕方には更に降りが激しくなり、花を開き始めたレンギョの黄色も明るさに物足りなさを感じさせた。 

町長も長会議員も無投票でキマルと云う、この先4年間の議会がどのような展開になるのだろうか? 

 

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不安定な気候ながら、 日々の営みをこなす

2011年04月18日 | 日記

4月18日(月) 曇り 強い風 雨が降りそうな雲 夜 激しい雨

昨日から格闘している木工細工、細工と云うほど物ではないがドリルやハンドリベッターなどは揃っている。久しぶりに道具箱から表にでた曲尺、相変わらず直角の几帳面さの顔をしている。カネジャクと読む「曲尺」そう思っていると『指金(サシガネ)』だと言う。この手の道具は昔ながらの大工が鉛筆を耳に挟んでいた時代の物とは云え、今でも便利のこの上ないものだ。しかし、久しぶりに引っ張り出した道具箱からは直ぐに使える代物だけではなく、鉋や鋸は機嫌が悪い。茶色く変色したサビサビのノコギリではろくな仕事はできない。昨日からの仕事も今日はそこそこにあきらめ、明日の心となった。  

 曲尺について詳しくはhttp://www.hand-made-home.com/daiku/daikus/sasigane1/sasigane1.html

風が強くなったので裏山にキブシの花を見に行くが様子がおかしい。11日には沢山花穂をぶら下げていたが今日は一つしかない。

鹿にでも食われたのか?それとも、 11日に見たときには既に花が終わっていたのだろうか?俺的には、これから花が開くと信じていたが ・ ・ ・ 今年も花を見ることが出来なかったようだ。

昼飯を終えたあとガラス越し外を見ていると、風知草の新緑が芽をだした近くにツグミがいた。いつものようにジッとして動かない。僅かに首を伸ばしては辺りを見回すようにするが、さりとて啼いたり囀ったりするわけではない。何時もと違うのは羽の色を婚姻色に染め上げてお洒落をしている。嘴が黄色く見えるので椋鳥?と思ったが、一向に姿勢を変えてくれない。背中の羽根色や尾羽の形状を見せてくれればはっきりするのだが、ツグミで良いとしよう。

 夕方からはたてしなエコ・クラブのミーティングがある。出かけるには少し間があるので外を眺めてると街灯が灯り、庭先の辛夷の花が辺りの暗さに反比例して銀色に怪しく光るように見えてきた。

 たてしなエコ・クラブの会議は終了時刻の21時を30分過ぎてしまった。会議次第通りに進めるのだが、脱線 ・ ・ ・ イヤ 議論が白熱しあらぬ方向に進む。地震から地球のエネジーを使いこなせば真のエコ生活が迎えられるのだが ・ ・ ・ 話題を戻すことにしよう。

 

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震災復興を見守る石神様 安政と今 

2011年04月15日 | 日記

4月15日(金) 曇り    生暖かい  午後から強い風が吹く

昼前に少しだけ裏の山を見に行こうと何時もの道を登った。この道は松本から群馬の倉賀野までつながる国道254号線(旧道)となる。 旧国道と言っても古道に近いもので、公的なものとして認定されなかった裏街道とされている。

この峠を登り切ると右側に石神様さまと馬頭観音が置かれている。道はここで五叉路となっており、地域の人たちは昭和40年代までは頻繁に徒歩で使われていたそうだ。

 この石神様は何を祭っているのかは定かで無いが、石に彫られている年号は安政7年十月吉日とある。安政の7年間は地震と共にあったと云われ、7年3月18日で元号が万延(1860年)に変わり、新たに復興を目ざしたのだろう。この石神には十月とあるのは元号が変わったことが信州の片田舎には伝わってこなかったのだろう。

安政は6年間しか無かったことだが、安政という文字から政治の安定とはかけ離れた現実があり、安政元年には東海地震があり、2年には江戸でも地震があった。また、5年には飛越、北陸で大きな地震と多くの人が震災に耐えたと言われている。幕末の頃、この道を歩いた人はどのような人だったのだろうか?

 震災で日本が一つになって立ち向かおうと言う今、頑張れとでも云っているような石神様に力強さを感じる。また、この近くには多くの道祖神があるが、人には存在を忘れられているが、路傍の花がそっと支えているように見えた。 

石塔の文字は風化して読むことはできないが、太古の時代からこの地を見守っている姿に慈しみがある

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蜘蛛の糸 人を救うと言うが したたかなものだ

2011年04月14日 | 日記

4月14日(木)  快晴   暖かな 初夏のように汗ばむ 穏やかな一日

秋に枝降ろしをして片付ける間もなく、雪に覆われていた白樺やプルーン、ラフランス、グミの枝を運び出しとりあえずは眼のじゃまにならない所に運んだ。一段落して、昨年からクリスマスローズの姿が見えなかった沙羅の木の根元をのぞき込むと小さな花が開きかけていた。茶色の蟻がついているので花付きがよくないのかとのぞき込むと蜘蛛だ。これから花を開こうと言うときを狙って蜘蛛の糸を張っている。しかも一匹では無く数匹の蜘蛛が協働作業の最中だった。

地獄の底から人を助けあげる蜘蛛の糸もあれば、花の香りに誘われて訪ねる虫を待ち構える蜘蛛もいる。どんな蜘蛛なのかと更に近寄って見ると赤い透き通っているが、足や胴はゴツゴツとしてしたたか者のようだ。

昼からの作業は畑のお越し、小さな耕耘機管理機もほったらかしながら一発でエンジンがかかった。六つの畝を立てたが振り向くと冬眠中の蛙が跳びだしたようだ。いつも見慣れたミドリの蛙だが、土の中の世界は白に近いグレーなのだろうか?

西側の端まで来て最後の畝を起こしていると脇の溝で咲いているタンポポに動く物がいる。チョウだ、キタテハだろう ・ ・ ・ 直ぐにカメラを取りに行きレンズを向けると翅を閉じたまま蜜を吸い続けている。更にレンズを近づけると開いたり閉じたりと翅を動かす。首をこちらにひねったように見えたのでパチリ ・ ・ ・

タンポポが沢山咲いているので他にもいないかと見るといた。見た限りでは四頭のキタテハが同じようにタンポポに齧り付いている。

翅を広げたところをカメラに収めたいと見回すが皆閉じている。少し離れたところ、枯葉がたまっているところでは翅を地べたに着けるように広げ太陽の光を取り込んでいるように見えた。

今朝の話だが ・ ・ ・ 

Mが十数年、イヤ 20年近くになるだろうか、毎年夏はほったらかしにしているシクラメン3兄弟+1が盛りを迎えている。シクラメンがこれほど長くしかも、毎年一月から五月頃まで沢山の花を付けて咲き続ける ・ ・ ・

咲かせるのは ・ ・ ・ 言葉には出さないが彼女の眼線が自慢げだ。

浅間連山に負けてないシクラメン三兄弟+1(ライネンカラハヨンキョウダイだそうです)

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薪割りも化石燃料に頼らざるを獲ない矛盾

2011年04月13日 | 日記

4月13日(水) 晴れ    陽射しは温かいが風が冷たい

秋に枝降ろしをした木を片付けたり、薪作りにチェンソー、薪割り木が一日中エンジン音を轟かせていた。昼間は陽の光で汗ばむほどだったが、遅めの午後、4時を過ぎ太陽が西側の山に落ちると風の冷たさを感じる。

薪ストーブはエコだと言われながら、真冬の暖かい炎の裏にはガソリンやオイルをたっぷりと使う。機械の力を借りずに、斧や鋸で薪を作れと言われると、この俺には無理だ。だから商品となった薪を買うのも作っている段階では同じ事だろう。俺が身体を張って指先まで痛い思いをすることで、化石燃料の代償とは言わないが許しを請うしか無い。

 

エコと言うことに目くじらを立て、拳をあげるということも有るのだろうが、俺に似合うのはコブシでも花の辛夷、春一番で山のあちらこちらで白いブーケを見せてくれる。向かいの山に白い塊を見て、近づくと大木なっている物が多い。他の木に葉や花が無いとき、存在を表にして、その後は仲間たちに交わり一年を過ごす。

秋に小さな花芽を枝の先端に着けて、じっと冬をやり過ごす、その殻の表面は寒さを防ぐためか、獣の毛皮のようだ。春を待ちきれずにまだ、寒い日が来ることを承知で殻を突き破って蕾が顔を出して来る。

早すぎる顔出しではないが、こちらはリンゴの木の嫌われ者、クワガタの幼虫?それともカミキリムシだろうか?俺の小指と同じくらいの長さ、太さも付け根と爪の先端と同じくらいだ。指の上に乗せて計った訳ではないが ・ ・ ・ 彼はムリヤリに顔を出され、怒り顔になっていた。

幼虫を白日の下へ引きずり出した祟りではないだろうが、俺の左手人差し指に棘がささった。ゴム引きの軍手をしての作業なのに何故だろう?一㎜にも満たない小さな異物、俺の指の大きさと比べてもホンの僅かなものだ。虫の祟り、僅かな物を粗末にしている罰として、痛みを感じるのも良い。

針先を焚き火で炙り消毒、切開手術に望んだが、巧くいかない。辺りをほじくり返し棘がどこへ行ったか見えなくなってしまった。

もう一本の棘には手を着けず我慢、風呂で指の皮を柔らかくしてから、針をカッターに変えて、何時ものように ・ ・ ・ 

いつも!! 祟りや罰を受けている訳ではないが ・ ・ ・ 

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季節の作業 味噌造りの最後の行程

2011年04月12日 | 日記

4月12日(火) 晴れ   風は強く冷たい 季節感のある一日

町の交流促進センターに9時5分前に着くと既に糀が台の上に広げられていた。

手塩にかけた手前味噌、米糀の香りと塩の手触り、これぞ味噌作りの醍醐味と些かオーバーな表現だが、この町では春先の一大イベントなのだ。

糀に塩を混ぜ合わせその上に、煮た大豆をミンチにかけたものを乗せていく。

大豆と糀を混ぜ合わせて団子にしては再び一つに合わせ、更にまた団子に分ける。これを3回繰り返したのち、目方を量り3人で分けるのに秤にかけた。

一人の分が20kgとなり1回に作れる量が60kgだと言う。この作業は1月の終わり頃から始まり、4月の半ばには終わると言うが、これが終わると直ぐに初夏となるのだろうか?

昼前には家に持ち帰り、俺の従業員的作業を終えることができた。昼過ぎには風も少しだけ収まったので裏山のキブシの花を見に行った。キブシには雄花と雌花があるという。これがキブシなのかは定かでないが ・ ・ ・ 花が咲けば解るのだろう。

裏山の西側の方にはネコヤナギの大木がある。高いところから下がっている枝には上向きに蕾が着いているが、この形から見ると辛夷のものと同じように見える。

更に西に巻く道を歩き奥へ進むと、小さな地蔵尊と大きなものが並んでいる大内道旧道にでる。小さい方は江戸末期の物と言われ、大きな方は明治の物だそうだ。謂われは地域の五集落の女衆が金をだしあい、子どもを流行病から守るために立てたと言う。俺の住む集落では来週の日曜日の六天様祭りと言うこの地蔵尊を祭る行事がある。

この祭りが行われると集落には春の花が満開になると言うが、ことしは梅が二分咲き、桜はまだだ。

これからの庭は梅の香り、花桃の濃いピンク、アーモンドの花も咲き出すが ・ ・ ・ 桃源郷 許されるのだろうか?

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山が呼んでいた アブラチャンならぬダンコウバイの甘い香り

2011年04月11日 | 日記

4月11日(月)   曇り    薄日が射すがなんとなくすっきりしない

昼前に外へ出てみると春一番の香と親しまれる蕗が花を開いていた。人の目に付くところでは緑の頭をだすと直ぐにモギリ取られ、刻まれたれり丸ごと天ぷらにされてしまう。花の両脇でブルーと白の可憐な花が咲いていた。 

オオイヌノフグリの明るく美しいブルーの花、辺りに沢山咲いているが、そのシベを間近に見ると自然の造形美に魅了させる。

 蕗の薹も蕾の時は緑の玉、大して魅力を感じないが、これが弾けて小さな花が集団で空に向かう様は素晴らしい。百合の花束を更に束ねたようなこれが真の春の息吹なのだろう。

 ナズナ ペンペングサ?と可愛いにはほど遠い名前をもらっているが、この四つ片の花は美しい。

あげた足を下ろすのを迷うように辺りに沢山咲いている。これがペノペングサなのだろうか?オコジョさんからのコメントでタネツケバナとのこと ・ ・ ・ 春らしい名前です。

 裏山との境の土手をよじ登り、更に上を目指す。この山では春を感じ取っている木はない。あと一月もすると大蛇のような木が上から紫の房を垂れ下げ甘い香りを振りまく。藤弦と言うにはあまりにも太くなりすぎている。

一気に上り詰めると甘い香りが頭上から降りてきた。 アブラチャンの花が既に咲いていた。今年は寒さが長かったので4月の半ば頃と思っていた。

枝を引き寄せて顔に近づけると甘い、懐かしい、密の香。この辺りの山には沢山あるが、近頃のガーデニングブームで盗掘されていると言う。 

香にうっとりしているところで目の前を横切るものがあった。地面を覆う枯葉に落ちる影を追うとタテハ蝶の仲間だろうか? 

 足音を忍ばせてレンズを近づけるとヒオドシ蝶だろうか?羽の下の方に蒼い鱗粉があると言う定かでない。

 

 美しい蝶 花の香り ワクワクする日が続きそうだ。 

 

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寒冷前線が通過すると言う 雲の姿にロマンを観た

2011年04月08日 | 日記

4月8日(金) 晴れ    不安定な雲が張り出す   午後には青空が広がる

鶯の声が集落を挟んで向かい側の山からも聞こえる。昨日までは初啼きらしい初々しさがあったが、今朝には自分の縄張りを主張するかのように語尾まではっきりと聞こえた。

世間の季節は既に初夏に向かおうとしてしているのか、夕方の空には不思議な雲が現れた。この雲の出どころは蓼科山と思われるが、ここからは手前の山に阻まれて蓼科の頂は見ることはできない。僅かに紅を射して湿り気のある空気を表していた。寒冷前線の影響なのか、わき出る雲は10分と姿を見せずに夕闇の中へ溶け込んでいった。 

 朝からの作業は昨日につづき、リンゴの木の枝を薪のサイズに切り分け、それを放射状に並べて積み上げるログタワーを作ることになっている。昨年の春に運び込んだ細い枝は一年以上も雨や風、雪に晒されて黒く変色している。これが硬い、硬いと言うだけではなく、小さな芽が乾燥してトゲトゲになっているのが痛いのだ。手で握ると痛いのをそのまま薪にしては申し訳ないので鉈で削り落とすと言うよりも叩き切ると表現した方がよいだろう。

昼前に軽井沢の友人がストーブの薪にするリンゴ木を欲しいと、長男を伴って軽トラでやってきた。いつものお洒落な格好ではなく、作業着のいでたち、太い木から積み込んだが、生憎、ロープを持ってこなかったのであまり高くは詰めなかった。幌付きの荷台だから安全だが、横のアオリの高さまで積んで中央に向かって山なりに積んだ。リンゴの木は密度が高く、重いが、ストーブの薪にしては長持ちする。後輪のタイヤが重さに耐えて扁平になっているが、ゆっくり行くからと、帰って行った。彼は薪ストーブに関してはベテランだがリンゴの木は軽井沢では手に入りにくいという。直ぐに割って乾燥させれば次の冬には暖を取ることができるだろう。 

薪の作業を早く終えて畑の準備をしなければならない。昨年の晩秋に植えたタマネギはほとんどが寒さに負けたようだ。ジャガイモは4月の20日頃に種芋を撒けばよいと言われている。 

 明日は雨だと言うが、あと一日あれば細い薪は片が付く。

雨は降らないで欲しいのだが、予報を狂わせるのも申し訳ない思いもする!!

 

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