田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

遙かぶりに裏山を歩く 獣たちの強かさを知る

2013年01月31日 | 日記

1月31日(木) 晴れ 湿り気があるのか薄い曇が広がる 暖かな一日

昨日は一日、俺の医者通いで終わった。いつもより待ち時間が多かった。今日になって右腕の筋肉注射のあとに重さと痛みを感じる。

ヤッツケ仕事を午前中に済ませ、遅めの昼飯を摂り、昨日戻って来た俺の軽トラに荷物を戻しシート掛けを済ませた。薪運びと薪運びとゴッタクの片付けも勢いに任せた。暖かさに誘われて久しぶりに裏山に向かった。雪が溶けた地面には丸薬のような黒く丸い球が沢山おちていて鹿の糞だと直ぐに判る。坂道の途中にある三本杉、根元は一本だが上に行くにつれ三本に別れている。ここには墓があり一つは丸い石、他には石塔が2本建っている。年代を見ると寛永7年と一つの柱に見える。昇りきると地面は土なので雪も溶けているところはなく、鹿除けのフェンスが道沿いに張られている。このフェンスは一昨年に設置されたのだが、昨年に105ヶ所を補修した。このフェンスができてからは散歩道としては余り利用しなくなった。

 

俺が散歩道として好まないのはフェンスによって道から外れたところで花が咲いていたり虫がいたりしても、おいそれと中へ入れない。其れよりも景色を見たときもどうも一庫裡行かないのが俺的な理由だ。フェンスの無い通を選ぶと長和町に続く峠の頂に着く。ここには子守地蔵尊がいてSalaが無事に手術を終えたこともこの地蔵尊のお陰だと掌を合わせた。

家に戻る通に向かうとここでは鹿が強かさを見せていた。フェンス沿いは内外共に獣たちの足跡が多い。ニホンジカと大きな足跡はカモシカ、それにキツネと思われるリズムカルな足跡、小さく丸い2列の足跡はタヌキだろうか?それにしても、獣たち、多くは鹿の仕業だがフェンスを破り里と山とを直線的につなげている。彼らもそれなりに理由があるのだと思うが、3月になれば再び補修されることになる。しかし、いつまでこの繰り返しが続くのか?鹿は毎年数を増やしているが、ネットの補修は農水省の補助金で行われているものだ。

獣たちにとっては厳しい環境だが、散歩には素敵な通だ。初夏から秋はそれなりに緑の葉や花が楽しませてくれるが、俺はこの季節、冬が好きだ。太陽が山陰に入ると急に足下から冷たさが昇って来る。この時間帯からは獣たちと住み分けになるのだろう。

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祝 退院

2013年01月30日 | 日記

1月29日(火)  晴れ   穏やかな一日

Salaが長きの入院加療から我が家に戻った。

まだ、治療は通院は続くが一先ずは完治と云うことだろう。

病院でじっと耐えた彼 これからは家でのんびりとして貰いたい。

エリザベスを首に巻いて 久しぶりのAlgoのベッドを点検

未だ 三本足には慣れていないが 大丈夫

兎に角嬉しい 俺としては同じ時期に信州へ全てを移した仲間だ。

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朝方の雪 薄化粧も太陽の光にとける

2013年01月28日 | 日記

1月28日(月)  雪   晴れ   快晴で穏やかな一日

早朝、まだ暗いうちに目を覚まし外を見たときには雪は降っていなかった。その後一時間も経った覚えはないが、次に起きたときは雪だ。しかも、細かいパウダースノー、一瞬だが雪の量が多く見えたので直ぐに着替えて外にでた。雪は長靴の動きに合わせてキュッキュッと鳴く。除雪機のエンジンをかけて作業にかかろうとすると雪の量が少なくコンクリートを削るようなので、手作業に切り替えた。こう言う雪は軽いので楽だ。大方雪を取り除く頃、太陽がボンヤリト姿を表した。

朝飯を摂って直ぐにSalaの病院へ向かった。先週の火曜日から見舞いに行っていないのでSalaの態度が心配になる。しかし、犬の恩と云うか飼い主とのつながりは素晴らしいものがあり、病院の玄関を入ると彼の声が聞こえた。数日間ですっかり元気になり、看護婦さんが「散歩に行かれませんか?」とケージを開けてリードを着けてくれた。Salaは喜びジャンプするように俺の腰の辺りまで飛び上がる。医者は一端家に帰れますよ?と退院が可能なことを俺に話した。今日は準備をしてこなかったので、明日に ・ ・ ・ と云い、Salaをケージに入れた。

この病院に通うには国道142号線から141号線を浅間山に向けて走るのだが、そこから見える浅間の裾埜に不思議な景色がある。まるで浅間太郎がTシャツでも干しているかのように見えるのだ。レンズで近づけても確かにTシャツだ!いつの日にか近くまで行ってみたい。

昼前に家に戻ったが、太陽が眩しく照りつける集落はスキー場のような体を為している。昨日は山の上からソリで降りる子どもたちがいたそう。

 

昨日のボランティア活動発表会で一段落したが、次は来週の日曜日にイベントがある。一段落いたところで電話が鳴り、「今日が締めきりですが ・ ・ ・ 」と確認の電話を受た。安請け合いは困ったものだ、再びパソコンに齧り付く一日となった。

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は~るかぶり コノゴロは新幹線も 忙しいは嫌いだ

2013年01月27日 | 日記

1月27日(日)  晴れ  空気を透き通る 冷たい風

ブログを毎日書くのは備忘録としていたが、その備忘録を疎かにすることが多くなっている。忙しいと云う言葉は嫌いと云うよりも、文字通り「心を亡くす」ことになる。かと云って全てのコトに誠心誠意立ち向かっているのかと云われても困る。

Salaたとの面会も土曜日は病院の診察日なので夕方には行く予定にしていたが、朝から長野で開かれたイベントに出かけた。「24年度長野県農地・水の集い」~ふるさと信州の農地・水・環境を未来へ~と云う深く考えると俺が役を受けている地元の活動の事務局など恐ろしいことだと思った。行き帰りに新幹線に遙かぶりに乗ったが、イベントでの活動発表やパネル展示と俺の範疇であることが重く肩にのし掛かって来た。ところが、このイベントJA長野会館で開かれたが、5時間のイベント中狭いところに座りっぱなし、どうやらエコノミー症候群になったようだ。膝の上下の筋肉がカタマリ頗る痛みを感じている。

昨夜はその痛みをこらえながらベッドの中で膝の曲げ伸ばし、マッサージをやったので大分痛みが柔らいだ。今朝は起きて直ぐにストレッチを30分くらいやっていたが、その間に窓の外では、婚姻色を色濃くしたツグミが二羽雪の中で餌を啄んでいる。レンズで覗いていると一羽がスッと前に進んだと思ったら雪に埋まった。ツグミは地面を歩くことが多いが雪面を歩くのは難しいようだ。それを見ていたかのように、梢ではホオジロがチョチョチョジクジクジーと啼いた。

長閑な朝なのだが、太陽の光がウスボンヤリ入って来るが寒い。夕べ太い薪を入れて寝たが、朝にはキレイに燃えて僅かな火種が残っているだけだった。毎朝の仕事だが、ストーブの灰を取り、小さく炭化された火タネとなるものを集めて、火吹き竹ならぬ紙を筒状に丸めて太い薪に点火する。ストーブの前面のドアを開け放ち薪の燃える香と炎を色を楽しむのが、早朝の憩いの一時でもある。

昼前には浅間山も噴煙を上げるが、北からの強い風が山肌に押しつけるようにすそ野に転がり落ちている。浅間を正面から見ると雪が溶けて黒い地肌を見せているが、これはこの北からの風に押さえ着けられた噴煙による僅かな抵抗で雪を溶かすのだろう。

午後からは町の「ボランティア活動発表会」が開かれた。これの主催者の代表者は俺なのだが、このところの慌ただしさで集中力が欠けている。町民活動センターのスタッフの皆が、交流会のテーマを寸劇にして表して呉れたり、司会者が上手く場を繕って呉れた。仲間ということで全てをお任せして大成功に終わったのがよかった。俺としてはカメラを持っていきながら、バッテリーが入って鋳ないという失態をしでかしたり失格と云うよりも穴でも掘って入りたい気持ちだ。

 

全ての片付けを終え、スパーで買い物をして家に戻ると、満月が30°の角度に昇っていた。次は来週の日曜日、農地水保全会のイベント『たんぼの生きもの~宇山の里の農と水~』を開く。大勢の方に来場して貰いたいので楽しみでも有り、不安も募る。兎に角、お近くの方は来てみて欲しい宇山の集会所ですが、詳しくは一廻り小さくなって掲げます。

 

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越冬する昆虫 彼らは雪の多い冬を見越していたのか

2013年01月24日 | 日記

1月23日(水) 晴れ   暖かな一日  雪も溶け始める

薪ストーブの温もりと薪作りや薪運びを比較してはいけないと心に決めている。確かに、暖かな暖房と比較すれば寒く冷たい。しかし、その冷たい空気の中でも薪が積まれている隙間では温もりを感じるらしく、虫たちが冬越しをするのに必要とする場所のようだ。積み上げた薪を掴み裏側を見ると凹みに虫がいる。越年蜻蛉、全体が薪と同じような明るい色のモノと濃い茶色のモノがいた。一輪車に乗せ替えるのに彼らを潰さないように隙間を造った。

今、ストーブのある部屋には3匹の越年蜻蛉がいるのを確認している。彼らは羽音を立てる訳でもなく静かに移動しながら部屋の隅、柱の陰に止まっている。その点、テントウ虫は明るい電灯がつくと直ぐに飛び回る。しかも、不器用な飛び方で家人に見つかれば外に出されるか、紙で鋏拈り潰されるのが落ちだろう。それでも鉢植えの中で静かに過ごしてもらおうと薪と一緒に家に迎え入れた。

夜は地区を南北に通り抜ける国道254号線のバイパス工事の説明会が開かれた。R254と東京の人が聞けば池袋を通る渋滞が常の広い通、また埼玉県の人でも川越街道は片側3車線はある通と云うのが常識だろう。しかし、この地区では大型自動車だけでなく、普通乗用車でも交差するのに苦労する。トラックなら街道脇の人家の軒をかすめるように走る。しかしも、くねくねと曲がった道は危険極まりない。このところの降雪では道幅が更に狭くなっている。

会議は土地買収が終わったところから仮設道路を造り、本線の工事に入ると云うが、仮設道路とするのは3~4年間だと云う。仮設は元に戻して地権者に返すと云う。この先10年後くらいには難所が解決するらしい。

会議は集まりが悪い

地権者は高齢で大雪しかも夜

足が向かないのも致し方ないだろう

雪が溶けたらとと云うが

雪は人の手を加えてやらないと溶けない

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町役場でダンボール式生ゴミ堆肥作り

2013年01月22日 | 日記

1月22日(火)  濃霧   雨    夕方に雨は止み冷え込む

朝一で役場に行くと、環境担当の職員Nさんがダンボール式生ゴミ堆肥化に取り組んでいた。役場として生ゴミを少しでも減らそうと言う意識改革の一つで素晴らしいことだ。日本全国多くの市町村で名前こそ違うが、生ゴミの堆肥化を各家庭に呼びかけ補助金制度まで設けて取り組んでいる。役場の職員が使う茶殻や弁当の残りなどをゴミに出さないで、この枠の中の段ボールにいれているのがスゴイ。ダンボールの中には、腐葉土と米糠を半々の量で合わせた物が入っている。そこへ生ゴミをいれると、腐葉土についていた微生物が生ゴミを分解してくれる優れものだ。正面玄関脇の木枠の中には3つの段ボールが入れてあり、これも職場という大所帯の工夫だろう。俺も長く続けているが、役場でも永く継続してくれることを願いたい。こう言う立科町役場の姿勢は素晴らしい。

所用を済ませてから、帰りにドラッグで買い物をした。滅多に来ない店、Mに渡されたメモを片手に右往左往、何回も同じところを廻るがメモの薬が見つからない。食品スーパーも同様だが、対面販売でないから店の人に聞いてはいけないような気がする。3品までは自分で探せたが、一品だけはお手上げ、店員に聞いたら全く違う場所だった。しかも、その場所は店の奥、この店がこれほどまで広いかと驚くほどだった。探し求めた品は町指定のゴミ袋だ。プラスチックのリサイクル用袋などだが、誰もが買い求めるもの、店の奥に置いて多くの商品を見て貰おうという魂胆だろう。

午後には雨脚も強くなり軒から下がっていたツララも僅かになった。この雨の中Algoを東御市の美容院へ連れて行った。一端戻り、夕方には再び東御市まで出かけるという少々時間がもったいないような話だがこれも致し方無いシェアーの一つと理解している。

 

夜は町の環境フェアの会議が開かれた

開催日は7月15日海の日だという

会則や要項を見直し

7月の選挙に合わない日を決めた

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-16℃ 予想を遙かに超した最低気温 

2013年01月19日 | 日記

1月19日(土)  晴れ  快晴   太陽の熱と気温の鬩ぎ合い

未だ太陽が顔を出す前、予報通りの-13℃らしく集落から町へ繋がる道路の防犯灯が瞬きをしているように見えた。カメラを脇に置いて東の空を眺めていると僅かに木立の中が燃えているように見え始めた。寝室の東の窓では、この冬一番に冷え込んだことを形で見せている。冬将軍の紋章をガラス一面に貼り付けて、遠く浅間山を霞ませている。太陽の光がリビングに届くかとどかないくらいのとき、雪面には夜空の星の置き土産のように光を反射する氷粒が星形に見えた。

朝飯を摂るころには玄関脇の氷柱も昨日よりも丈を伸ばしている。また、今朝の低い気温のためか、氷柱の透明度が一段と高く見えるのは不思議だ。ネットで町の最低温度を見ると-14℃強とあった。我が家の標高に合わせると今朝は-16℃以上あったのだろう。

 

午前中はまじめに社協報の原稿をまとめた

午後は 同好会の役員会

その後、Salaを見舞いに行く

昨日よりも元気になっている

彼が元気なるとそれに合わせて 俺に帰るなと強く表現する

俺が病院をでると 遠吠えをしている声が聞こえた

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溶けない雪 快晴の太陽も思案しているようだ

2013年01月18日 | 日記

1月18日(金) 夜半からの雪が残る  晴れ  快晴  気温は上がらず

眼が覚めた頃は雪が舞っていた。大きな湿り気のある雪、気温が高いのだろうか?夕べの天気予報では最低温度は-11℃と報じていた。降る雪も北からの青空が広がり直ぐに太陽の光が勝った。家の裏側にある灯油のタンクはいままでになく、すっぽりと雪の帽子を被っている。除雪をするにも下に落とすと灯油の流れ出し防止の枠から溢れそうだ。陽当たりの良い南面、ツララは落ちるわけでもなく長さを増したように見える。集落から我が家に向かう通は途中湧水が流れる溝があるが、その上だけは溶けて上下は氷の塊となり車がとおるときには危なくハンドルを取られる。この氷を砕いてスムーズに走れるようにしたいのだが、氷を砕いてどけるよりも俺の手指が凍りはじめ、冷たさを通り越して痛みを感じる。ホームセンターで-20℃に絶えると云う手袋をはめているが、これは表面のゴムが冷たくなっても柔らかいということらしく、俺の手を守ることには全く役たたずだ。

昨日の夕方、Salaを見舞いに行くと、駐車場のところで看護婦さんに連れられて散歩しているのに出会った。スゴイ!!Salaは後ろ足の股関節から下を切り取り、前日に術後の整形手術を施したと云う。彼は俺の車が近づくと直ぐにこちらを向きシッポを千切れるように振る。しかし、後ろ足が一本のためにバランスがとれずに転びそうになるが直ぐに立ち直った。車から降りてカメラを向けると顔を横に向けた。前足には点滴のチューブを着けてゆっくりと歩き病室に向かった。看護婦さんが云うには俺が帰ると遠吠えを何回もするそうだ。Salaは郵便屋さんが家に来ても、俺が外にいるときに電話がかかってきても遠吠えで知らせる。俺も病院から帰るときは後ろ髪を引かれる思いだが、俺の喉はトーボエをする能力を持ち合わせていない。20分くらい彼を膝に抱えて背中をマッサージしながら過ごしたが、早く家に帰れるように祈る。 

 

太陽が出ているのに庭石の溶ける水は凍っている。薪の積み替えをするが、相変わらず俺の手指は直ぐに冷たくなる。昼過ぎにネットで買った超寒冷地向き手袋が届いたが、この手袋、定価では12,000円とされている。しかし、買った値段は半値以下の5,800円だった。オークションの一発入札、果たして効果があるかは定かで無い。値切った分低温効果も半減するのだろうか?

明日の予報では-13℃

手指だけ窓から外にだして試してみよう

 

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大雪がもたらす 氷の剣 ツララ

2013年01月16日 | 日記

1月15日(火)  極寒   雪が溶けない  

深夜に除雪をしたが、朝になって見ると作業の成果が見られない。辺り一面白一色雨樋を着けなかった南側の軒からは長い氷柱が伸びていた。僅かに玄関先だけが雪をどかされて石張りの床が見えた。

午前中は3月までの予定を見直したり、年度末の作業の段取りを予定表に書き込むだけで時間が過ぎてしまう。ごご1時には社協報の記事を載せるインタビューに出かけたが、国道と云われている地区を貫く道も車の走りには注意を要する。道が狭いなか除雪で更に道幅がせばまり、大型トラックとの出合いには慎重に脇に避けた。

午後4時からSalaの病院がオープンするのでそれに合わせて出かけた。軽トラの荷台には金属製のスコップとプラスチックの雪かき道具を積み込んた。佐久市に向かう国道142号線は流石に道路の除雪はしっかりとできているが、それでも登り坂や信号のところは車から落ちる雪が団子状になり通り過ぎる度にガタガタと車体を震動させた。

いつもの倍近くの時間をかけて到着したときは病院には明かりが灯り、駐車場は誰も止まっていない。こんな雪の時に病院に来る人はいないのだろう。人を扱う病院なら雪道で滑ったり、転んだりして怪我をした人が大勢来ているのだと思う。Salaは俺が受付に立ったときにすでに気配を察したらしい。ケージのドアに鼻をこすりつけシッポで内壁を打つバタバタと云う音が聞こえた。彼の姿を見ると以前の体型に戻り、腰から腹部にかけたムクミもすっかり取れていた。看護婦さんが言うには「今日から食事は朝晩になりました。これで体力が回復してくれば万全ですね」と云う。Salaとの面会も、談話室があるわけでもなく、お茶やスナックを売る自販機コーナーもない。ただただケージの前に座り込み彼をマッサージするだけだ。快復してきたことで彼は帰りたいの一心のようだ。前足を俺の膝に起きたいのだが、後ろ足が一本になったために、まだバランスを取ることができない。ヨロッとしたところで俺が手を出すが、これも上手に後ろ足一本で立ち上がれるようになると云う。しばらく彼と濃密?な時を過ごして病院をでた。帰りも来た道を戻るのだが、国道141号線と142号線の交差点を見ると除雪がしっかりとできていないので右折車線に移るのに慎重になった。

 

気温が下がるのと共に、路面が氷始めている

不用意にアクセルを踏み込むとタイヤがスリップした

雪道になれたころに事故ると云うのが解る

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降る雪に 負けじと燃える どんど焼き 

2013年01月14日 | 日記

1月14日(月) 雪  大雪  夕方には止む  25cmの積雪

朝にはこれほど降るとは思わなかった雪、9時には三々五々集まりどんど焼きの櫓を建て準備を整えた。予定では11時に点火だったが、急遽連絡をして10時30分には全員が集合。それでもI家が忌中と云うことで分家も含めて欠席となった。流石に子どもたちは雪に足を取られながら、正月に書いた書き初めを持ってきて、櫓の一番高いところに着けてくれと云う。

願いごとを託した書き初めも天高く昇り、繭玉もしっかりと焼き上げて無病息災五穀豊穣を願って、公民館に移り全員が汁粉を味わいながら解散となった。このところ雪の少ない冬ばかりだったので、思わぬ大仕事と櫓建て、竹が抱負にあることで助かるが、これも蔓延りすぎて困りものの一つになっている。家に戻るにも場所によっては膝下くらいまで雪が積もり歩くにも難儀。歩くところだけは雪かきをと、降りしきるスコップで下の通までを開いたが、戻って見るとすでに足跡も消されていた。

午後4時からSalaの病院は診察が始まり、面会が可能となるがこの雪では無理だ。Salaのいる部屋は24時間完全空調付きで寒く感じることはないし、夜も担当者が見てくれていると云う。予定を変更して除雪機をだして本格的な作業をと思ったが、湿り気のある雪ではムリ、除雪機のエンジをかけて先ずはエンジンの調子を整えた。除雪は夜遅く雪が凍りはじめたころを見て動き出した。大方のところは除雪をしたが、風が強くなりゴムのカッパを着ているから良いようなもの雪だるまと化した。アクセルやクラッチを操作する指は徐々に麻痺をしてきて次に痛みを感じるほどに冷えた。完全防備-20℃まで作業ができると云う、うたい文句の手袋をしているが役たたずだった。

 

 

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Salaは断脚手術に打ち勝った だが ・ ・ ・ 

2013年01月12日 | 日記

1月12日(土)  昨日に比べ暖かい  湿り気のある微風  

朝の雑用を素早く済ませ、Salaの入院している佐久市の病院へ向かった。彼は12月13日に腿の筋肉内にあった腫瘍を取り除く手術を受けた。その時も脚の先にも白い影があることが解っていたが、それが肉腫に発展するとは限らないこととして、脚を残すことを優先した手術だった。ところが、年が明け、4日だったか、足先を障ると指先に柔らかくも確実な膨らみが三ヶ所あった。これが翌日には一廻り大きくなり、Salaは細い後ろ脚を縮め、決して地面に着けようとはしなかった。

医者とも相談した結果、内臓や脊髄に転移するは早いので、命を優先するには脚を切り取るのが最良の方法だと云った。全てをお任せして術後2回目の面会の今日、3日前には下腹部がムクンでいたが大分治まっている。しかし、今度は内部の血管で問題が起きていると云う。今まで足の先まで血液を送っていたのが、股関節で断たれたことでストレスが起きているそうだ。2日前は相当に辛そうだったが、昨日からは食欲も出てきましたよ。と看護婦さんが言う。

 

Salaは運気が強い犬で古代のエジプトでも、王の守り神として飼われていた犬種と云われている。点滴の針は前足両方に指しながら、俺がケージに近づくと立ち上がろうとした。ケージを開けて「座ってイイヨ」と声をかけ、Salaの好きな鼻先と耳の後ろ、肩をマッサージしてやった。肩から前足にかけて彼は好きなところで、ゆっくりとなでながらさすると気持ちよさそうに眼を細る。

先生は「血管が落ち着くまでは少し時間がかかるかも知れませんが、適切に対処していきますから、ご安心ください」とキッパリと言った。しかし、俺的にはショックな面もあり、彼が苦しんでいるのが解る。ムリに脚を切ったのか。彼の治癒力に頼ればアノの肉腫は乗り越えられたのか ・ ・ ・ 

帰りは自問しながら車を走らせたが ・ ・ ・ 国道を右折するのを忘れて直進してしまったほどだ。でも、ボンヤリシテ ミチヲ マチガエルノワ ヨクアルコト オレノセイニスルナ”っとSalaの声が聞こえそうだ。

午後には久しぶりに夢酔氏を訪ね、地域の話やふるさとプロジェクト、歴史研究会の話をした。彼も第二の故郷として立科町を自ら選んで移り住んだ人。この町に生まれ育った人とは異なる眼を持っているので話が合う。彼は町の町民講座などに、こまめに出席している。それだけでなく、資料を俺の分を確保したり。近隣で開かれたり発行され去る資料も取りそろえてくれる。近いうちゆっくりと話をしたいと思っている。彼の好物は酒と云うことは知っているが、今は断酒をしていると聞いている。俺は酒を呑むことはできないからだ、共通して口に入れて楽しめるモノを探してみよう。

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寒さが心に沁みる 楽しい話題がないかと探すが

2013年01月11日 | 日記

1月11日(金) 極寒   小雪混じり  やがて青空が広がる

薪づくりでりんご園に行った二日間は暖かく、其れの反動か昨日は極寒だった。Salaも手術を終えたところで面会に行く。左腹の後ろに大きな傷、縫った糸が部屋の照明を反射して光るのが痛ましい。彼は俺の声を聞いたのか立ち上がりゲージの枠に顔を着けている。ドアを開けて ・ ・ ・ 胸から腹に掛けてムクミが見えるが、これもやがては落ち着くと医者は言う。痛いところがナクなって良かったネと声を掛けると小さな声を喉で響かせた。しばらく彼の首を抱きながら落ち着くのを待って、医者と向後の経過観察、ムクミが取れるまでの治療について話し、病院を後にした。

昨日の寒さもキツかったが、今朝になって更に、寒さが増している。押し出し式窓を開けるとゴムパッキンがピシッと音を立てた。かなり冷え込んでいる。浅間も噴煙を上げ廻りの黒い雲を寄せ付けないように青空を背景に姿を見せる。頭上の黒い雲からは細かな雪が舞い、地面はうっすらと白く変わっていた。

10時を過ぎる頃は北からの青空が雲を払いのけ、太陽が眩しくリビングに射し込む。Algoは小さなベッドに入り外を眺めるが、いつものようにSalaがいるときとは異なり淋しげだ。

 

昼からは地区の役員として消防団の新春祝賀会に出席をした。信号ラッパの奏楽で来賓への敬礼がなされ、隊員の主立った役が整列し来賓を出迎える。この式典初めてのときは驚いたが、信号ラッパが自衛隊以外で使われることを知らなかった俺だ。その昔、東京都下の横田基地脇に住んでいた時に、米軍の基地から毎夕daysDown と言う就業ラッパが響くのを聞いた。この地区の消防団員は25名強いると云うことだが、平日でもあり、今日の人数は少ない。彼らは自主的に加入するのだが、防火防災には日々地域を隈無く廻る作業は大変なことだと思う。玄関まで出迎えられてから、集会所の中に入り、永年勤続者や功労者、技術優秀者への表彰式が行われた。

このあとは酒宴となるのだが、手作りの料理などが運ばれて和気藹々、日頃の苦労話や組織のことなどを語りあい、我々役員は神社の正月飾りの片付けなどに向かった。午後には雲一つない快晴となったが、風は冷たく耳が痛いほどに感じた。

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Salaを見舞いに来たいところだが、病院が臨時休診日となっているのでいるので、しばし、Salaの快復を祈り、久しぶりにゆっくり足した時間を過ごした。 

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昨日の続き、薪づくり Salaの容態を気にしながら

2013年01月09日 | 日記

1月9日(水) 濃霧  寒くはないが霧氷  昼間は暖かな一日

昨日に続き、町の北部りんご園に向かう。朝からメールやら電話など打合せや、問合せでりんご園に着いたのは10時になってしまった。Salaの手術は昨日無事に終わったとのことで気になりながらも、今日のノルマは2本を伐って運び出さなければならない。低い位置の枝から切り落とすのだが、切れ味が悪い。ヤスリで研いでも直ぐに甘くなる。時間を掛けたくないので刃を新品に変えた。

切れ味は最高、仕事が捗る。要するに刃を当てただけでズンズンと切り込んで、太い枝もあっという間に落ちる。一頻り夢中で伐り、伐っては廻りを片付けて次の枝を切る。

昼にはトラックのアオリの高さまで積みこみ、昼飯を摂りに戻った。家では丸太を積み上げて一休み、昼飯もあっという間に腹に収めた。全てを伐ったのは午後4時、陽は長くなったとは云え、西に傾いた太陽は急に色が浅くなったように思えた。

 

今朝は猛烈に濃い霧で太陽が昇って来ても明るくならない。外に出て見ると太陽が薄ぼんやりと見えて来たが、当たりは暗いままだ。錦木の枝先にも霧の粒が氷り、しかも棘のように尖っている。南天の僅かに赤い実を目立たせてここでも、鋭いの霧氷の棘ができていた。

朝の濃い霧で光が弱がったが、夕方には急に冷たい風が吹き始めた。軽トラの脇に積み上げたが、少々高く積み上げ過ぎた。リンゴの樹も幹がボロボロになって朽ちて行くもの、今日伐られた樹のようにまだまだ現役ながら、世代交代で役目を降りて、人が暖を取るために役にたつ樹。今日も珍しい光景をりんご園の外れで見た。秋には小さな木に鈴なりに赤い実を着けていたのを覚えて居るが、その実が全て地面に落ちていた。そこには鳥が沢山来て俺が近づくと一斉に飛び立った。どう言う状況でこのようなことが起こったのか知りたい。

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蟻のように 来年 再来年の糧を運ぶ

2013年01月08日 | 日記

1月8日(火)  晴れ  暖かな快晴の一日  夕方には ホンの少しだけ寒い

暮れにリンゴの樹を斬ることを頼まれていた。12日迄に3本を切って欲しいとのこと、ありがたい話だ。暮れの内に作業をしてしまう予定だったが、Mの怪我やSalaの入院など動きがとれない。正月も開けてからの今日作業、温かな日で嬉しい。太い枝が四方に伸ばすリンゴの樹特有の枝の張り方だ。

脚立に乗り枝先から切り落として最後に太い樹だけにして横たわるように伐る。ところが途中でチェンソーの具合が悪くなり、ブレーキを分解して直すのに長い時間かかってしまった。直ったのは1時過ぎ、やっとの思いで一本の樹を地面に横にして昼飯とした。家にもどり久しぶりの外メシ、これも風情があってよろしい。

 

具だくさんの味噌煮込みうどん、添えは黒豆の煮物、あっという間にタイラゲ、デザートはリンゴ三切れ、立科五輪久保のリンゴは今ではカツカツと歯触りがシッカリしている。リンゴがまだ口の中にいれながら、軽トラに乗り込み、りんご園に向かった。今日伐った樹を軽トラに積み我が家へ戻った時はすでに薄暗くなっていた。

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昨夜は一晩中寝られなかった Salaの断脚

2013年01月07日 | 日記

1月7日(月) 快晴   暖かな一日   夜も差ほど寒さは感じない

昨日までSalaの癌が再発したことに迷っていた。医者からも「次の時は足は付け根からトルしかありませんね」と云われていた。俺は思案していたが、嘗ての職場の仲間Hさんからも、彼女の愛犬が骨肉腫で足を切断したとで、犬は4本足でも3本足でも生きる力を持ているし、他の犬からも差別を受けたりはしない。とコメントでも、メールでも詳しく教えてくれ

俺を勇気づけてくれた、他の友人からも『身体の形状で区別や差別をするのは人間だけだよ』と云う。

夕べは確実にSalaが痛がっているのが解った、以前はヒザより上が膨らんでいた。背中から腰、そして脚へとマッサージをすると気持ちよさそうに痛い左の後ろ脚を着けてゆっくりと確認するように歩いた。俺が意識したのは4日から、4日の朝ご飯をヤル前に背中から脚、脚から背中肩首へとマッサージすると済まそうに眼を細くして首を曲げて俺をじっと見る。しかし、歩こうとはいないし、左後ろ脚を上げて指を開き震えている。確実に痛みを感じているようだ。

朝飯は痛みを我慢しても完食してくれた。抗癌剤も多めに餌に混ぜてもしっかりと喰い、食器に薄くついた薬も長い舌で舐めた。食後30分からいはゆっくりと日向ぼっこをさせてから、病院に連れて行く。それを知ってかAlgoもなんとなく落ち着かないように、いつものように外を見ながら直ぐにSalaの方を振り向く。

病院では少し待ってから直ぐにSalaの診察の番が回ってきた。エコーで脚を見るとやはり膝から下殆ど肉が無いところに外側から目視できる腫瘍が一つ、それと眼では見えないが病巣が二つあると云う。先生もこんなに早く別の場所にできるとは驚きだと云う。しかし、命を優先にするならば、脊椎や内臓に転移したり脳に転移する前に脚を切り取った方が良いという。Salaは俺たちが話をしていることを理解できるかのように耳を立て、先生が言葉を発すると先生へ、俺が先生に聞くと俺の方に耳を向ける。

「それではよろしいデスね」と云い続けて「お預かりします」とSalaを抱きかかえて、可能な限り最良な方法で手術をしますので、またご連絡します。と云われた。先月、彼の肉腫を取るようにお願いしたとき以上に、俺の身体が細くなっているのを感じた。

家に戻ると気温は暖かいのに寒い。ストーブ温度を高くなるように薪を思いっきり詰め込んだ。いままで真っ黒に煤で汚れていたガラスが炎の勢いで微妙な曲線を描く。俺の姿を写し出している。しばらくストーブの前にしゃがみ込んだ。

夕方ボランティアの会議に行く前、少しだけ腹に入れていこうと仕度をすると、Algoは思いっきり背伸びをして美味そうなものがないか覗く、つま先だってテーブルの角にアゴを載せて、精一杯背伸びをするが、Salaがいればコウ云うときにかならず美味いものは山分けと引き寄せてくれるのだが、今は適わない。大きなベッドにSalaと一緒に横になるのが当たり前になっている生活、小さなベッドはAlgoのモノなのだが淋しげだ。

alaが我が家に来る前は

シュンップスと云う愛息がいた

彼が突然、しかも旅先で亡くなったとき

家中が沈み込みペットロス症候群とヤラレタ

直ぐにSalaが来て彼が6才になった時にAlgoが来た

アレも妻Mも彼らによって心を癒やされている

Salaが今俺と遭うことで

癒やしを与えてやれているのだろうか

Algoは小さいが

確実に我が家に癒やしをもたらしてくれる

コメント
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