田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

軽トラも 一夜を淋しく過ごしたようだ

2007年09月30日 | 日記
9月30日(日)雨 一日中・・・夜まで雨が降る
今朝はMが町のボランティア・グループ「ころころリン」で女神湖、御泉水公園へ行くという。
知的なハンディーを持った人たちとの交流とのことだ。
雨の中俺も車に同乗して役場まで行く?
Mの介護で行くわけではなく、昨日役場に愛車軽トラを置いたままにしたのだ。
車を降りて軽トラへ向かうと心なしか怒っているように見える!!
昨日からの雨のせいで荷台に張ったシートは“ため池”状にたっぷりと水を湛え、今にもシートを止めているゴムが切れそうになっていた。
窓から運転席を覗くとシッカリと鍵が刺さったままになっている。
昨日は高遠から戻った時に鍵がないのに・・・・・YTさんに家まで送ってもらっていたのだ。
そして、スペアキーまで車にいれたままで閉じ込めていた。
携帯でJAFに救援を頼みロックを解除してもらい感謝・感激!!
2本の先曲がりピンセットで鍵を開けたのをみて、俺も練習をしておこうと思った。
家に戻ると地元の祭りで世話になったSTさんが酒を持って訪ねてくれた。
申し訳ないやら気を使わしてしまったようで・・・・妻Mへ献呈することにしよう。

昼飯を簡単に済ませ、町内の一番標高が低い「藤の字集落」の「たてしな歴史研究会」会長宅を訪問して、次回の勉強会の打ち合わせなど確認の作業をした。
午後3時にMが女神湖から戻るとのことで公民館前の駐車場でまった。
だいぶ遅れて到着したが、車を借りた身ではタダタダじっと待つしかないのだ。

家に戻ったのは4時近かったがどっと疲れが出て・・・・一休み
夕方にはTN町議が「花オクラ」を届けにきてくれた。
本当の名前は『トロロアオイ』と云うそうだ。
三倍酢で湯がいたものを食したが、天ぷらでも良いそうだ。
雨の中をわざわざ持ってきていただきありがとうございます。
一日中雨の日に爽やかな黄色の花びらが部屋を明るく照らすようになっていた。
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楽しい体験で 一日をすごした

2007年09月30日 | エコな はなし
9月9日(土)雨 曇り・・・・・寒い一日
今日は『こめっ子エコクラブ』と称する、農耕を通じてエコを学ぶ町内の子どもの集まりがある。
集まりだしたのは8時10分前くらいだった。
実際には8時が出発なので其れのあわせて子どもたちが親に送られて集まってきた。
子どもは36名保護者が三人、スタッフは“たてしなエコ・クラブ”が三人、JAのOFさん、役場農政課のIJさんで大人は8人が引率することになった。
目的地は高遠町にある「国立信州高遠青少年自然の家」http://takato.niye.go.jp/で、此処でエコの勉強や白樺の板を使った工作をする予定になっている。
女神湖、白樺湖を通り諏訪から杖突峠を通り目的地には予定通り10時半に到着した。
外気温11,5度と寒いくらいの中子どもたちは半そでで走り回っている。
荷物を工作室に置いて「環境未来センター」に歩いて向かった。
未来センターまでは山野草が咲く道を歩き小川を渡ってから草が生えている広場を歩きその向こう側に丸い建物あった。
中に入ると“50年後の地球”という設定で環境が破壊される絵や写真がパネルで展示されていた。
子どもたちも50年と云う現実的数字に少し戸惑いを感じたようだ!!
中には「50年経ったらボクたちどうなるの?」と真剣な眼差しで聞いてくる子もいた。
此処では“たてしなエコ・クラブ”の面々が子どもたちにわかるように解説をしならが建物を一回りして次の食堂へ向かった。
食堂はバイキング形式でゴハンもお粥もあり、おかずは多種多様、子どもたちも行儀がよく楽しい食事を摂ることができた。

ここで立科町から高遠に移り住んだばかりの友人信濃屋さん夫妻が訪ねてきてくれた。
お土産に高遠名物の饅頭を戴いてしまった。
少しの時間だったが懐かしく話しができてよかった。
立科よりも素朴で文化の違いがはっきりとしているようだ。
食後は工作室で絵の具を使って壁飾りのようなものを作ったが、少々時間が足りなかったかもしれない。
帰りのバスは峠道を少なくするために諏訪から高速に乗り、定刻の5時を15分過ぎて役場前に到着した。
全員風も引かずに元気良く帰ってこられたことに感謝!!
子どもたちを見送った後にその場で、スタッフで反省会を開いた。
信濃屋さんから戴いた饅頭はこの場で皆の腹に収まった。
楽しい体験が出来た一日だった
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季節の端境期故か 不安定な空 

2007年09月28日 | 日記
9月28日(金)晴れ 強い風が吹く 熱い夏が戻ってきたようだ
天気予報は見事にはずれ快晴・・・
朝から南の方角に傘雲が三重になって浮かんでいる。
他にも羊のような雲がふわふわと浮かぶ?

10時過ぎに友人KKさんが遊びに来た。
一年ぶりだろうか?
フルートのCDをリリースすると言って試聴盤を持ってきてくれた。
日本の唱歌や童謡がピアノ伴奏で流れてくる。
純金製の楽器の落ち着いた深みのある音色が伸びやかに聞こえる。
12時過ぎに俺は役場へ行き、環境に関わる陳情をすることになっている。
多くの団体が集まり志を一つの方向に向けられたことはうれしい限りだ。
町長、副町長ともに面会をしていただき、我々の初めの目的がなされた。
しかし、我々自らの立場から見ても向後の生活の仕方など改めなくてはならないことが多々あるものと思う。

1時間くらいで自宅へ戻り、昼食をともにした。
ゆうじんKKさんの今日の目的の一つ、じゃが芋を掘る作業がある。
食後の休憩の後に、畑に出てじゃが芋を掘りまじめたが、時期的にも畝がはっきりとせずに当てズッポウで掘り始めた。
初めの畝はほとんど肥料をやらずに作ったためか小さい芋が出てきた。
2列目はダンボール堆肥を施してたので、こぶし大の物が多く取れた。
3・4列目は「キタアカリ」を蒔いたのだが、ところどころから芋が出てきていてほとんどの収穫はなかった。
今年は土の中で腐ったものが多かったと聞いていたので、我家の畑もキタアカリは全滅に近いようだった。

KKさんは長野市の北東に移り住み庭に花壇を作るというので、我家の実生で増えた草花を持っていってもらった。
Mがスコップ(移植コテ)で堀上た物をビニール袋に入れて水で湿らせたものをいくつか大きな袋に入れた。
また、トマトやかぼちゃ、自分で掘ったじゃが芋・・・・沢山のものを車に積み込んだ。
長野では都会的なものがあるのかお土産も懐かしいハイカラなものを沢山戴いた。
我家からは、農産物に加工食品を持っていってもらい4時には出発した。
無事に着くことを願う。
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バラエティーのある一日を過ごした。

2007年09月27日 | 日記
9月27日(木)晴れ 陽射しは強いが 涼しい風が吹く
8時半に地区の公民館の庭でゲートーボール大会があるので顔を出すように云われていた。
大会は、鎮守の杜の祭りにあわせた“奉納ゲートボール”だという。
ゲートボール人口はこのところめっきり減ってきたといわれているが、其れよりも老人会に入会する者が減っているそうだ。
規約では65歳になると会から誘いがあり、町からも補助金などが有るらしいが・・・・
俺自身65才になるが老人とは思っていないのだ。
今の世の中では75歳にならなければ有資格者とは言えないだろう。
定刻に始められたゲームは30分で1ゲームの区切りがつくという。
見ていてもなかなかルールが理解できない・・・・?
開会式にはどのように身体を動かすのか疑問に思っていたが、なんと開始後の動きは活発で声も大きく腰は曲がっていてもまだまだ達者なのだ。
あっという間に時間が絶ちタイムオーバーとなった。

家に戻りTVのニュースなどウヲッチしながら暫し休憩してから畑に出た。
畑は久しぶりで荒れ放題になっていた、レタスや枝豆の根を取り除き管理機で深く耕した。
堆肥を入れて牡蠣殻の石灰にリンゴの木の灰を混ぜたものを入れ、更にダンボールで作った肥料を全体に撒いて、管理機で耕した。
信州支那ダイコンの種を3粒づつ24箇所へ蒔いた。
他の場所は管理機で深く起こして堆肥を混ぜて更に耕しておいた。
後は石灰とリンゴの灰を入れるだけで充分だが、明日の作業にした。
途中Mの買ってきてくれた弁当をサット食べて作業についたが、5時を回ったので今日は終わりとした。

夜は「いろんな人のいろいろ話」の第2夜が商工会で開かれる。
今夜は「蓼科の水」に詳しいN氏と写真クラブの会長を務めるY氏が話し手で登場した。
蓼科の水に関しては興味が有るもので今までも水源地を訪ねたり書物を開いたりしたが、今日の話で納得するものが多くあった。
写真のYさんは本業は床屋さんで自己紹介のときに「モーカル仕事を・・・」と云い会場が沸いた!!
床屋は商品は向こうからやってくるから丸儲けだと思っていたので、ピッタリと納得していたら『毛を刈る』をモーカルと読んだものだった。
話しが上手で床屋の修行時代の話では、40数年前のはご苦労を面白可笑しく話してくれたのがよかった。
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充実した一日 涼しさが際立った一日だった

2007年09月27日 | 野良仕事
9月26日(水)曇り 晴れ 今日も心地よい風が吹く
午前9時に中央公民館へ着くと既にメンバーがほぼ揃っていた。
今日は“ふるさとプロジェクト”のメンバーで芦田城と古町を散策することになっている。
参加したメンバーは8名、其々が自由な発想で歩くということが好い。
風林火山がブームになっているにも関わらす、あまり訪れる人もいないようで荒れている。
嘗ては郭があったところなど竹が生えて歩くのにも不自由するくらいだった。
如何にも強者ドモの夢のあとか・・・展望台から見える西の小県の山々にには何故か物悲しさを感じる。
城を後にして元禄時代に洪水で流された寺跡の脇を通り蓼科神社へ向かった。
神社入り口には神代杉の脇に明治2年の川西騒動で刑を受けた人々への功を讃え霊を慰める大きな石碑が立っている。
杉木立の中の99段の階段を上り社を参り、裏山から光徳寺境内を見学して古町の重厚な佇まいの並ぶ旧道を歩いて公民館へ戻った。
約3時間のウオーキングでガキ大将そのままの7人と一人のご婦人には少々物足りないウオーキングだったが、内容が濃く町内の最古参の家並みを散策できたことは良かった。

午後1時半からは草木染の講座が有るため、昼飯は近くの和蕎麦屋で簡単に済ませた。
ススキで絹のスカーフを染めるという、どのような色に染あがるのだろうか??
部屋に着くと既に、ススキを細かく切る作業が始まっていた。
染めるスカーフはいつもより長いもので使いかってもよさそうだ。
ススキを煮出した液にスカーフを漬けると薄い茶色に染まったように見えたが、定着液に浸けると綺麗な黄色になった。
ヨモギのときよりも明るく軽い黄色が綺麗だ。
今日の講座が3回目でシリーズが終了となる。
全員がスカーフを首にかけて写真をとったが、そのときに秋の文化展に出品しようと云うことに発展した。
また、新たなイベント参加が決まった。

夜は「立科の環境を守る連絡会」があり陳情書を提出運びとなった。
会の代表を決め、構成団体の長が其々記名捺印をして閉会となった。
今後のこの連絡会がどのような活動を展開していくことが、立科町の住み易さのバロメータになることだろう。
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なんとなく シッカリと秋になっている

2007年09月25日 | 日記
9月25日(火)晴れ 旭が眩しい 乾燥した風が心地よい一日
朝陽が低い角度で当る庭を散歩する。
庭の景色もすっかりと様変わりして秋色が濃くなってきている。
錦木の紅葉した植え込みの根元に春先に咲いていた踊り子草と似た花が咲いているが・・・・
若しや同じ花であろうか??(写真)

9時30分から始まるJA主催「らくらく菜園塾」なるものに出かけた。
玄関前で友人OMさんと待ち合わせをして、彼に前回配られた資料を渡すためだった。
初心者のための菜園つくりのための講座で、JAの指導員が先生となって肥料のこと畝の作りかた、種の撒き方など詳しく教えてくれる。
ホウレンソーなどは種を蒔いた後は土をかけないで、藁を細かく切ったものをかけるのが良いという。
貰った種とその育て方を教わったのは、パセリ、ホーレンソー、スティック春菊、チンゲンサイだった。
講座に来ている人はほとんどが主婦、男性は4名だけだった。
野菜の自給自足が出来れば健康に良く愉しみを増えるので嬉しくなるのだが・・・
帰りにはOMさんと近くの喫茶店によった。
この喫茶店は有るのは知っていたが中に入るのは初めてで、和風の住宅を全て板張りにして、直線が目立つ綺麗な佇まいの家だった。
OGさんは隣の町のN牧場でチーズを作っていたというので、興味津々俺のやりたいと思っていたことをシッカリと身につけていた。
いろいろと学べることが有るのはうれしい限りだ。

帰りに役場へより借りていた「ヨサコイ バージョンの立科音頭」のCDをお返しした。
感想を聞かれたが、未だ耳慣れないので難とも言えないが、リズムがはっきりとした方が良いのではないか。

午後は久しぶりにゆっくりとしたが・・・・
明日はまた午前・午後・夜とスケジュールが詰まっている!!
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寝耳に辞典 秋の午睡

2007年09月24日 | 日記
9月24日(月)曇り 雨が降りそうな一日
久しぶりに予定の無い一日を過ごせる。
午前中は昨日の祭りに人づてに寄付をいただき、直に会っていない方にお礼の手紙を書いて過ごした。
また、地下室の水が浸水している対策のために棟梁が来ることになっているが・・・

昼前に庭に出てみると草が生え放題になっている中に色づいたホオズキが草に隠れていた。
草を払い起こしてやるが、横になっていたために葉の裏側が陽に当るようになるが大丈夫だろうか?
ホオズキと書く場合漢字が良いのか迷ったが、PCでは「鬼灯」とか「酸漿」と表記される。
『漿』の字などはほとんど見ることの無い漢字なので「日本語表記大辞典」を開いてみると『漿果』と書いて“みかん・ぶどう”などを表すという。
この辞典は平成4年8月に発行され直ぐに買い求めた記憶が有る。
そして、辞典のキャッチコピーには『用例豊富なワープロ・パソコン時代の言葉の宝石箱』とあり、当時はこれがあれば天下の宝刀となるように思えたのだ。
しかし、実際にはほとんどがPCに頼りっきりで、この分厚い9cmもある辞書は昼寝の枕にするには高すぎ、机の引き出しに入れるには邪魔になる代物だった。
今日からは大切に初めら読み直しでもしたいと思う座右の書となるものだろうか?

午後にはM住建の棟梁が来宅し、地下室の状況を確認するべく床の下に入っていった。
当初から俺の言っている現況を確認して初めて、俺の言うことを理解したようだがさてはていつになったら解決するのだろうか!!
水のことゆえ“寝耳に水”とならないように、分厚い辞典を枕にするのも妙案なのかもしれない。
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鎮守の杜の 秋祭り

2007年09月23日 | 山裾集落のこと
9月23日(日)曇り どんよりした雲 午後からは雨だという
今日は此処宇山の諏訪神社の秋祭りがあり、準備をはじめた。
初めは「子ども相撲」の土俵作りに取り掛かる。
稲藁を一束ずつ重ねながら荒縄で縛り、土曜の周囲に埋められる無さの物を作る。
仕切り板は
稲藁の束を使い砂が平らになるように稲藁を埋め戻した。
これで立派な土俵が完成した。
田舎でこそ簡単に出来るもので、都会では稲藁の小さい束で(此処の半分の太さ)が1束100円という高値がついている。
土俵が終わると次には宴会用のビニールシートと座卓を運んできて並べる作業に入る。
更に、境内にテントの柱を並べ、切妻型の屋根の骨組みを組み立て天幕を被せる、必要な個所を紐で結び、柱を立てる。
数分で組みあがる手練のよさには脱帽するのだ。
彼らは若い頃に地域の消防団のメンバーだったためか、退団してもその手際のよさはしっかりと個人の技として身についているのが素晴らしい。
準備の全てが終わると11時40分になっていた。
午後は2時に集まり祭りの催事の準備をすることにした。

3時から「子ども相撲大会」が始まるが、今の子どもはテレビで相撲を見ないそうだ。
昔のように家には年寄りがいてチャンネル件はオヤジであったり、子ども部屋など無く、また、TVだって一家に一台の時代だ。
今は親の世代(40才代)までが相撲はあまりTVで見ないという。
だから、子どもは相撲の仕切りの仕方もわからない・・・・
また、組み合うのも嫌いなようだ!!
相撲をとった子どもにはお菓子の景品を渡すのだが・・・・・
一人が多くのお菓子を手にするのは余り好ましくないと思うが如何なものだろうか???
相撲の次は「金魚すくい」が始まったが、これも小さい子どもからと云うのにそれを守れない子が多いのには驚いた。
今では並ぶという習慣(マナー)は身につけていないようだ。
小学生3年生以上ともなれば、そのくらいの思いやりを持って欲しいものだ。
夜は大人の宴会が始まったが、子どもが多く残っており、大人の時間に子どもが入ることにさほど抵抗が無いのかもしれない。
18時半を過ぎて片付けに入ったが、あっという間に片付けが綺麗に終わった。
疲れた祭りが終わり・・・これでほとんどのお役目が終了したようだ。
地域の皆さんに助けていただいて、この大役がなんとか無事に済んだことに感謝したい。
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秋桜 戸惑いを見せる 残り夏 

2007年09月23日 | 日記
9月22日(土)晴れ 今日の暑さは夏日だったのだろうか?
朝から蒸し暑さを感じる。
畑を一周してみると西の外れにコスモスが残り少ない寿命を訴えているように咲いているのがいじらしく感じた。
ピンク系の色見本のように咲いているのが個性のように見える。
午前中は生ゴミを堆肥化しているダンボールの具合をじっくりと見る。
箱を新しくしたために湿り気が多くなり少々ご機嫌がナナメのようだ。
このダンボールも3代目になり少々小型になってしまった。
ECOな生活循環型社会を目指して のタイトルでブログ形式で記録をとっているので覗いてみて欲しい。
http://garbageate.exblog.jp/

早めに昼飯を済ませて12時過ぎに町の中央公民館へ向かった。
既に副会長のYIさんが来ていて、今日の解説書を作ってきてたと云う。
今日は町の有志で構成されている“たてしな歴史研究会”の「町内の文化財を訪ねる会」が催される。
ポツポツと会員が集まり始め、14人が集合時間の1時に集まった。
俺は庶務係りとして出席簿に印をつけて、年会費を集めた。
今日は定例会だが、10月には町の民族資料館の見学と長窪城の見聞をすることになっている。
風林火山ブームで隣町の「長窪城」も来町者が多いそうだ、また、10月31日には「浅間の煙」先生http://blog.goo.ne.jp/h-takehanaの案内で『川中島古戦場と謙信里春日山城を訪ねて』があると言う。
早速、その場で参加を希望したが、1時15分には其々車に分乗して公民館を出発した。

ところが、俺は同じ時間帯にこの公民館で「スズランの里ゴミ減らしま専科」の講演会と役員会があるというのだ。
講演会は町内に住む方でEM菌を使って肥料を作るものだった。
話を聞いてると俺も前に専用のバケツを使ってやってたことがあるが、全て失敗だと思ってた。
この肥料の作り方は“醗酵”までをバケツでやり、分解は土の中の土着菌で初めてなされるそうだ。
ダンボール式はダンボールの中に土着菌を入れるので出来上がる肥料は完全に分解され、乾いて匂いもないし扱いがしやすいのが俺の好みだ。
講演は1時間で終わりその後は役員会が開かれた。
10月と11月に勉強会をするという。
田舎暮らしの“ゆっくりのんびり”は蒔いた種が実をつけてからの先になりそうだ・・・・・
会が終わると直ぐに明日の祭りの準備に向かった。

天候は心配なさそうだが、昨年は雨模様で寒かったようだ。
会場準備は良しとして俺は会計係のSTさんとゲームの景品・菓子類を買いに出かけた。
帰りには子ども相撲の土俵作りに使う荒縄を2巻き購入したが、以外に安いのでうれしい。
STさんをお宅へ送ってから、地区内外で寄付をいただけると云われている方のお宅へ向かった。
6軒を回ったが既に暗くなったが、今日までの準備は万端だ。

PS:
書き終わった後にPCで「ピンポイント天気」の地元を見てみると・・・・
なんと!! 明日は午後3時から雨だという!!
年間降雨量が全国一で少ない東信州で、祭りが始まる時間に合わせて雨だという!!
今となっては、神社の境内に林立する杉の巨木に棲む天狗に団扇を借りて傘代わりにするしかないだろう・・・・
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蛙のようにジーット待つ身になりたいものだ。

2007年09月21日 | 日記
9月21日(金)霧  日が注す  午後からは晴れて熱くなる 
早朝に目が覚めて直ぐに外に出て、植木鉢に水を遣る。
庭を見るとスッカリと花が夏から秋に変わっていた。
山葡萄の陽に焼けた葉の中央にアマガエルが留まっている。
じ~っとして動かないが目の玉だけは動かしているように見える。

午前中は地区の祭りに寄付を頂くためのお願い文を作った。
今まではただ行けばお金をくれたようだが、俺が行く場合はちと違うのだ。
それは地元で育った人が行けば寄付をしてくれるほうは『○ボーは大きくなった』なぁんていって軽い気持ちで出してくれるのだが・・・・・
俺の場合は何処の人と語尾が上がるのだ!!
自己紹介とこのような役を任せてくれた地域の人は偉いなどと語らなくてはいけないのだ・・・
それから、改めてご寄付をと話が進むのだが、最初が肝腎なのだ。
昼過ぎに役場とコメリ、そして寄付を頂くために一回りしに出かけた。
Mが3時頃には家に戻ると思いそれにあわせて帰ってきたがMha戻っていなかった。
今日は確実に時間通りに戻ると思ったので、家の鍵を持たないで出てしまったのだ。
仕方なく、畑のトマトを食べてみたり花の写真を撮ったりと時間をつぶしていると、早朝に葡萄の葉に留まっていた蛙がまだじっとしていた。
何を待っていてジーッとしているのだろうか????
一時間もじっと待っているとやっと帰ってきた。
既に4時を廻っていた。

夕方は7時半から公民館で「立科の環境を守る連絡会」の役員会があった。
隣の部屋で管楽器の練習をしているので、我々の文章を纏めるという作業がなかなかはかどらないのだ。
公民館で練習する場合は部屋を限定して欲しいものだ。
余りの騒々しさで最後は大会議室に移り、三人で頭を寄せ合いなんとか校了となった。
次は26日に全体会議があり、次の最終段階に移れることになる。
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歯が元気じゃなくちゃ 祭りはできねぇ~

2007年09月21日 | 講座受講
9月20日(木)晴れ 日中の暑さは夏に戻っていたが夜は涼しい風が吹く
午後1時半から小諸の農協施設で『元気塾』なる講座が催された。
内容は“歯は大切 80歳まで20本を残すために”と云うことだが俺にとっては少々遅すぎたようだ。
昨年の入院中は食事が終われば「ハイ歯磨き」と看護師(男)が積極的に指導してくれるのだった。
元気塾の講師はJA生活部に所属する歯科衛生士の方だ?
不思議なのはJAと云うと農機具の専門家や銀行員のような人が当たり前と思っていたが、歯科衛生士までいるとはオドロキだ!!
農業の衰退から幅広く展開しているのがわかるが、近い将来は“生活のデパート”とかになるのだろう。
案内に歯ブラシをもってこいと書いてあり、歯磨きの練習をするのだが、俺は今朝まで歯ブラシのブラシ一面に歯磨チューブからどさりと山盛りでつけていたがよくないそうだ。
正しいのはブラシの先端に米粒位着けて磨くのが良いとのことだ。
また、歯ブラシの圧力は200gが良いと、実際に秤を持ってきて一人ずつ指の力を図っていたが?????
余り役には立ちそうもない。
我々の年代では全部の歯(親知らずを含める)32本生えるそうだ。
しかし、最近生まれてくる子どもは30本以下の子が多いそうだ。
勿論、親知らずは大人になってから生えるものだが、進化?退化?どちらかは解らないが・・・・
柔らかいものを食べ過ぎるからそうなってしまうそうだ。
約2時間は休憩無しの講義は少々きつかったが、歯に苦労した俺だから夢中になって聞いてしまった。

夜は8月に行われた町民祭り「えんでこ」の企画委員の反省会があった。
実際には祭りは見るものではなくヤルモノ!!
観客を気にしながら神輿を担いでも意味は無い!!
ただ見に来るだけの客に樽酒を振舞ったり、焼肉をサービスしたりするのは愚の骨頂だぁ~
神輿や踊りを一所懸命していれば周りから見ても面白くなるし盛り上がる。
祭りの会場のテントを張って区切られた社会を自分たちで作り出すことはやめたほうがよい。
芦田宿の商店街でやるならば、商店が祭りの雰囲気が出るようにディスプレイをしたり、お客を接待したりする姿勢が必要だと思う。
来年はど~なるのだろうか????
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俺の目は ミミズ目と同じになるのだろうか???

2007年09月19日 | 健康
9月19日(水)早朝でも涼しくない 昼前からは涼しい風が吹き始めた
10時に向けて佐久総合病院へ向けて家を出る。
10時半が採血の予約時間だが道が込まなければ充分に余裕で到着する。
順調に病院の駐車場についたが、これが大渋滞で通路の処まで車が止めてある。
北側のハズレにはいつもスペースが空いているので、思い切って行っみた。
奥まで行くと一台の車が出るところで、合図をしてくれたので直ぐに止めることができた。
これも合図がなかったら気がつかずにウロウロしてしまうところだ。
流石に患者同士の「同病相哀れむ・・・」と云うところだろうか!!
人に優しいのは良いことだ。

直ぐに採血の部屋へ行くと「採血はできるがカルテがないから注射は出来ないと云う」
仕方なく採血のみして貰い、直ぐに階段を上がり眼科へ行った。
この眼科の混みようといったら驚いた!!
外来はどの科も込んでいて待合室の座るところがないようだ。
眼科でも40分くらい待たされて、検眼室へ入り直ぐに例の『瞳孔を開く目薬を注された』
瞬間的に有無を言わせずに注されたので断る間もなかった。
更に40分くらい待つとやっと診察の番が回ってきた。
一通り診てもらい薬の話になると、俺のほうから『前会の薬が半分残ってます』というと。
医者は注さなかったの???と不審げに云い、更に続けて『このままだと目が見えなくなりますよ』と来た。
俺:何処が悪いのですか?
医:緑内障・・・・デスネ
俺:後どのくらいで見えなくなります??
医:平均寿命まで見えるようにしたいね!!それには薬を注して眼圧を提げないとね!!
俺:耳を良くしておいた方がいーですかね??
医:???????薬だしときますから、ちゃんと注してください!!
・・・・・・・・
医者に投げ出されるような気持ちで瞬間的に俺は、ヘビとミミズの話を思い出した。
このまま行くと目が見えなくなりミミズのように声だけは出せるようになるのかなぁ~
看護婦さんに名前を呼ばれ、次回の予約は2ヶ月先だった。
直ぐに内科へ行きカルテを預けて注射をして、血圧を測ってそのまま診察室の前まに座った。
内科の予約は11時30分診察が始まったのは12時40分くらいだった・・・
半日をかけた病院通いも、なれたものだった。
瞳孔が開いたままでは運転が出来ないためゆっくりと休み家に戻った。
家ではMが2日かかりのトマトソースのビン詰め作業をしているところだった。

夜はS氏のNPO立上げ説明会に出席したが・・・・
漫然としたもので目的を絞り込む必要が有ると思えた。また、出来るものから確実に手をつけるべきだろう。


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いそがしくなって来た 神社の祭り 

2007年09月18日 | 日記
9月18日(火)晴れ 夏が戻ったような一日だった
台風12号の影響なのか生ぬるい東風が吹く。
朝からPCに向かってあせっている。
次の日曜日が地区の祭りだというのに・・・・寄付を頂いたかたを掲示するものを書いてない。
当初は横長の半紙に巻物風にお名前、金額を着ていこうと思ったが・・・・
どのくらいの数が集まるのか解らない、若し沢山書いた途中で名前を間違えたり、金額の訂正などがあると全て書き直しなのも困りものだ。
結局、PCを使いA4サイズ縦書きで行くことにした。
大体の金額の紙を作っておけば当日にご寄付を頂いたときに直ぐに書き込めば良いようにしておく。
既に頂いた方のものは書き上げてプリントもしてしまった。

昔、現役の頃(バブル絶頂)の頃には、大きな音楽関係のイベントなどに向けて寄付をお願いして歩いたことがあった。
奉加帳の一枚目には、大手の会社が頭の上がらない方を先頭に記名して特別に高額寄付金を頂いたように書いたものだ。
あのときの金銭感覚は何だったのか、今では考えられない寄付金が集まった。
大体が寄付を募るイベントは単発のものが多かったが、予算を超過して集まったお金が余ってしまったときには困ったものだった。
収益金として寄付をしたり、所属団体に振り分けたりと、帳尻を合わせることも容易ではなかった。

ここの地区の神社は常駐の神主がいるわけでもなく、担当の神主は佐久市におられるようだ。
歴史は古く西暦1700年後半の棟木残されているが、神を祭る場所としては戦国時代からのものとも言われている。
境内には大きな杉の樹や欅が林立している。
中でもご神木といわれている杉の樹は幹周り6メートルを遥に越しているだろう。
この宇山の鎮守の杜 諏訪神社は町の文化財にもなっている。
http://www.town.tateshina.nagano.jp/b03_gyousei/12_kyouiku/mybunka/28/28.html

午後は近くの友人が茸をもって立ち寄ってくれた。
名前はわからないが既に食べて5時間くらいは無事でいるから大丈夫だと言っていた。
夕方には庭の孔雀草が満開(写真)になっていたが、ピンク方はまだ三部咲きのようだ。
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賦役の 期限が守れた道普請

2007年09月17日 | 日記
9月17日(月)敬老の日 晴れ 涼しい風が吹く 少々熱いが心地よい一日
今日は集落の道普請の最終期日となっている。
目覚めたときまでは午前中に作業を済ませる予定にしていたが・・・・
一昨日に今日の昼に伺うと云ってあったのを忘れていた。
朝飯を済ませてからそのことをMに云われ、即予定変更と相成った。
彼はリンゴと巨峰を専門に作っている方だが、『今年の巨峰は春に降雹があり数が出来ないこと、温度差が極端に少ないために美味しいものが出来ていない』
この理由で地方の発送は出来ないと断られたのだ。
しかし、毎年送っている処では向こうでも待っているので・・・・・
無理強いをしに伺うことにしてあった・・・・・

午後は道普請の賦役の期限が今日までなので動き出した。(写真)
家の前の大内道、急なのぼりを一気に頂上まで登った。
この道の登りは結構きつく運動不足の俺にとってはきついが頂上で一休みとした。
まだ作業もしていないのに休憩では人が見ていたら恥ずかしい姿だ!!
このコースの草刈は二人でやることになっているが、相方は既に南側の路肩の草を刈ってくれていた。
頂上から下の集落までの作業を始めたが、アカシアの木が背丈ほどに大きくなっている。
7月に草刈を下ばかりなのに・・・・だ!!
葛の蔦や名も知らぬ太い蔦が草刈機にからみつき何度もエンジンを止めて取り除く。
何とか我家のところまで降りてきたらガソリンが終った。
休憩をしながらガソリンを入れたが、普段は上から下までは給油は必要としないのだ。
今日は土手の上から覆いかぶさっている低木や蔦、太い草など等・・・
エンジンの回転を上げてなぎ倒してきたために燃費効率が悪かったのだろう!!
伸びた草や太い木があると普段の倍は疲れる。

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披露宴 晴れの姿に 親涙  

2007年09月16日 | 日記
9月16日(日)晴れ 晴れ 熱い 熱い 一日
残暑厳しい折・・・と言うよりも、地球温暖化を身体で感じる今日この頃だ!!
今朝も早朝に目が覚めてしまい、シャワーを浴びても熱い・・・
台風の影響か湿度が高く南方系の熱さを感じてしまう。

9時半に家を出て結婚披露宴に向かった。
お呼ばれと云っても祝儀をどのように持って行くかを、事前にリサーチしておいたために落ち着いて迎えのバスに乗ることが出来た。
ご祝儀はどのようにするのか?
集落の班として持っていくのか?個人で其々が手前勝手にするのかが皆目わからなかった。
同じ班の婆さまに聞いたところ、調べておくと言って、昨日電話が掛かってきた。
「○万円は寿」「○千円はハナムケ」として二つの袋を持っていくのだと云う。
ここで耳慣れない『ハナムケ』だが、我家の田舎暮らしの先達Mに聞いても知らないと言う。
「ハナムケ」は「花向」と書くのか「華向」とするのかも見当が着かない!!
そう云えば婆さまが『100円で売ってるニィー 袋は』と言った言葉を思い出した。
そこで昨日はMが出かけたので買ってきてくれるようにたのんだ。
今日になって袋見て驚いた。

俺にとっては始めて目にする『漢字』なのだ!!
文字はと書く!!
祝儀袋には「御贐」と書いてあるのだ。
処変われば・・・・これと同時に出す祝儀は「寿」と書いてあるが、過去に多く経験している。
立派な結婚式では花嫁のご両親の姿が印象的だった。

夜は環境に関わる会が公民館で開かれた。
皆様お疲れ様でした。

こう云うご祝儀は合理的で良いと感じた。
一つの袋に纏めて入れると、この会場は高級志向だからこの金額ではたりないだろう・・・・とか
スピーチなどを依頼されればまた、金額の上乗せもしなくてはならない。
信州は“生活改善運動”が盛んな地域所以のこと思うが・・・・・
コメント (3)
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