田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

一手間かけて美味しいエコ 燻す心を知る

2011年02月27日 | 日記

2月27日(日) 晴れ  風は強いが 暖かな一日

 朝10時にはたてしなエコ・クラブのスタッフがIさん宅へ集まった。

昼飯時には美味そうに煙に燻された食材がぞろっと揃い、春の暖かい陽射しと共に至福の時を過ごした。

 

今日の集まりは来月13日に開く『エコを楽しむ一日』の予行演習と云うか、スタッフの一人Iさんの実践する燻製作りをダンボールを使ってやろうと云うこと。

 

Iさんのお宅に着いたときには、彼が自分で作ったという木製のベランダにはダンボールが並び食材も揃えられていた。 

短時間で食べられるようにと魚は鰺の開きを使用してダンボール箱の中にツルした。他の食材はウインナーソーセージ、笹かまぼこ、チーズ、沢庵と揃い、燻す樹種も楢、リンゴ、桜、胡桃 と食材に合わせて使った。

 昨夜からの強い風も昼に近づくと穏やかな心地よい風に変わり、ベランダの脇ではオオイヌノフグリが鮮やかな姿を見せていた。

主食は燻製で副食には持ち寄ったオニギリといなり寿司が並べられた。オニギリは古代米の赤米と黒米入り、いなり寿司は玄米にキビが混ぜてあるどちらもエコクラブらしいものだ。他にもデザートには全て手作りの干し柿や煮リンゴをワイン漬けにしたもの等、それぞれが工夫をしながら加工し、美味しさを倍加させたものが並んだ。 

ダンボールからは甘い香りや眼に染みるツーンとする薫り、そろそろ良いかと覗き込みながら1時間少しで完了となった。

テラスに並べられた食材は、全てが腹の中へ治まるのに燻した時間の半分も経たないうちに完食となった。食事を摂りながら13日本番には大きなダンボールを使うことや食材の調達など具体的な話ができたのがよかった。 

満腹になったあとは庭に植えてある果樹の話や、本格的に作る生ハムの話、大きなテーブルを作っている話などIさん夫妻が立科町に移り住んで1年半とは思えない生活観を持っていることが見えた。

俺たちが帰るときには玄関脇のローバイの花が春を感じさせてくれた。 

 

 

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春がきた 野を越え 山を越えて 春が来た

2011年02月26日 | 日記

2月26日(土) 春  暖かな 春 風はちょっぴり冷たいけど 春

フクジュソウが咲いた。いままで枯れ葉だらけの庭には春の気配すら見えなかったが ・ ・ ・ 

 

家の中で外の雪景気を尻目に春を謳歌していたシクラメン、4鉢あるなかで順番に花が咲き出した。残る二つは葉の下には沢山の花芽を抱えている。暖かな陽射しだからと外にだされたっぷりと水を与えられていた。まだ、風は冷たい大丈夫なのだろうか ・ ・ ・  

庭では星座のように福寿草が花を開いた。枯れ葉をそっと押し広げ太陽の光が無いときは、直ぐに枯れ葉の下に隠れられるようにしている。黄色い花は春一番の花 どこから春がきたのだろか? 

 花のシベは僅かな風に揺れている。陽だまりの暖かさに比べると温度差がある、冷たい風に揺れる蘂フルフルと音が聞こえるよだ。

 下屋に置かれた生ゴミを堆肥化するダンボールの被いを開けると、温度計は46℃を示していた。ここでも春が来て微生物が活発に働いていた。

浅間の麓 は春霞に覆われて姿を見せていない。春特有の暖かな空気はこの山麓から来たのだろうか。

 10日前の16日に春が訪ねてきたように思う。田んぼや住宅の屋根は雪を被って冬の最中、朝日と共に春の兆しを観じた。あのときの塊が ・ ・ ・ 

暖かい空気がかたまりとなって集落にやってきた。

 

野を越え山を越えて春が来るとは思っていなかったが ・ ・ ・ 

春が塊になって来るとは思っていなかった。

 

 

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ため息は幸せが逃げていくと云うが 深いため息なのだ ・ ・ ・

2011年02月25日 | 日記

2月25日(金)  晴れ   雲は多いが 異常に暖かい一日

 

(韃靼(だったん)ソバ僅かに黄色みがっかった、モンゴルでは常食なのだろうか)

このところ気がつくと深いため息をついている。

イスに座るときも前に気がついたときには「ヨイショッ」とか「ふ~っ」とか云うのが気になって注意をしていたときがあった。しかし、昨日の朝のことが、Mが“できた”と声が掛かったあとに、キッチンで準備されものを食卓に運び、自分のイスに座るときに気がついたのが深いため息で“ふ~っ”と云うものだった。

これを耳にした人はイヤな気持ちになるのが判っている ・ ・ ・ その前にも何か動作をする毎にため息がでる。

確かに何となく気怠い気持ちで朝を迎えるのだが、熱があるわけでもなく気のせいだと自分なりに納得しながら一日を過ごしている。意識的に思いついたことは身体を動かして行動することを心しているし、イヤなことが有るわけでもない。どちらかと云えば廻りからは楽しいと云うか嬉しいことが運ばれてくる。

 一昨日もMの友人が蕎麦を打ったからと届けてくれた。蕎麦と云うと親しくしているT夫妻がダッタン蕎麦を種から育て収穫し、小麦も同じように自分で育てた「ユメセイキ」を合わせて、製麺所で乾麺にしたと云って分けてくれた。これも昼飯に食したのが,ダッタン蕎麦40%のもので、エグイ食味が喉越しに感じるのがわかった。

こんな良いことばかりなのだが ・ ・ ・ ため息は何故出るのだろうか?

年度末で関わっていることも整理しなくてはならないし、来年度のこともある。俺個人でやっていることではないので、大して気にすることはないと思うのだが ・ ・ ・ どうやら具体的に動かないとため息は切れそうにもないようだ。

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滅私奉公と云うには楽しすぎるボランティア

2011年02月20日 | 日記

2月20日(日) 晴れ   暖かい  春は間近  心地よい一日

社会福祉協議会のある町の老人福祉センター、ここには壁に掛けてある大きな絵が何枚かある。20年以上前に描かれたと言う福祉の町・ボランティアを盛りあげようと前町長遠山氏が中心になってボランティアと共に描いたという。

この絵が表しているように様々な人が集まり、その人が出来ることから始めようというボランティア精神そのものが俺は好きだ。

今日はそんなボランティア活動発表会が午後1時30分から始まった。ボランティアセンターの名称を町民活動センターと替えて、幅広いボランティア団体が力を合わせようと云うことで、第2回のボランティア活動発表会となった。

開会宣言につづきセンター長、来賓挨拶といつものようなセレモニーも手短に終えた。

ボランティア活動発表も「立科町合唱祭実行委員会」につづき「ふるさとプロジェクト」の発表では、俺はプロジェクターの操作をしたために写真を撮ることが出来なかった。

つづいて3番目の団体は「立科町手話の会」既に26年も続いた活動をしているという。聴覚障害者を中心にそれをサポートするボランティアと共に、活動している。

日常の挨拶にはじまり、音が聞こえない世界とはどう言うものか?など、手話だけで表されたものが、桃太郎の歌だったことが解説で判った。次には日常のドアチャイムや電話(FAX)などを知らせを光で表すと云う。また、俺は知らなかったが、聴覚障害者が車の運転免許を取ることができて、そのための表示があると云う。蝶を耳に見立てたマーク初めて知ったのだが、今の運転免許講習では周知させているのだろう。

 

 後半はワークショップとなり、6~7人のグループにはコーヒーやお茶が用意され和気藹々フリートークで始まった。6つの班に分かれてのトークは“ボランティアってなぁに”が課題とされているが、各班全員がにこやかに話をしている姿に熱いものを感じた。

45分間で班ごとに話合ったことをまとめ、発表するのも楽しそうにそれぞれユニークな意見がでたようだ。

 

 どの班もオランティアが苦しんではいけない。楽しくやろうと云う言葉に救われた。しかし、後継者の問題、イザとなれば高校生や若い社会人もボランティア活動に駆けつけてくれるのだろうが、日常の平穏に暮らしている中で小さなボランティアを積み重ねる大切が訴えられていた。

 各班の発表が終わり総括の後には全員で「明日があるさ」の歌をうたった。歌詞は自分たちに合ったものに替えてあるので、全員で大きな声で合わせる心地良さに嬉しさが満ちてた。

このところいろいろなイベントに関わり、その準備に心を亡くしていたのだが ・ ・ ・ 

自分の居場所、楽しみながらのボランティアだから滅私奉公は棚上げとしよう。 

 

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イソガシイ と 心が亡くなる 

2011年02月19日 | 日記

2月19日(土)  晴れ 午前中に雲が広がるが暖かい 春を思わせる暖さ

直前になっても何人くらいの人が集まるのか?

皆目検討がつかなかった「たてしな歴史研究会」の公開講座もミニコミ誌に広告がでたりすると町外の人から電話が入るようになった。

 今年で6回目となる毎年年度末に向けて、一年間の学習をした集大成として町民の皆さんと町の歴史を学ぶということで続いてきた。準備にはあれもこれもと会員が手分けしてやらなければいけないのだが、会長の鶴の一声と云うかガマのごり押しが当たっているような、後援をお願いした教育委員会・社会教育係にオンブにダッコと云う形になってしまった。

 そう言うことで、公が関わってくれると、流石に広報もしっかりと町内に広まり、俺が予想していた4~50人を大幅に超した人が集まってくれた。町内の蓼科ケーブルテレビも録画採りに駆けつけてくれて、講師にとっても失礼がない想いが出来たことに大感謝をしたい。

70部を用意したレジュメも途中で足りなくなり、慌ててコピーに走った。こう言う講座は来てくれた人は必ずと言っていいほど、友だちに頼まれたなどと資料を自分の分とは別にほしがる。予想以上に多くの資料を用意しないといけないのは判っているのだが ・ ・ ・ 急いでの声に押されてボランティアルームのコピー機の電源を入れたが、これがいけない。相当古い形のコピー機は突然のことには対応してくれない。仕方なく手差しで操作する始末となった。

そういうときに一番に困るのは受付担当の人、彼女たちは講義が始まって資料を素に話が始まると、俺のはまだかい? などと無いことが判っていながら受付に来るのがいる。そういうときにも丁重にお待ちいただく言葉を発しつつ代わる代わるにボランティアルームに足を運んでくる。なんとか10数部をつくり次々に渡したのだった ・ ・ ・  

いろいろアクシデントはありながらも無事に2時間の講義が終わったことはありがたいこと、会場は明日もイベントがあるので、イス机はそのままで解散となった。

「たてしな歴史研究会」この春で丸6年が経過するが、役員交代も無いままに来ている。俺も会計と庶務を背負ったままになっているが、ここらで役を降りたいところだが、それが無理ならば会計か庶務どちらかにしてもらいたい。

大勢のスタッフで運営することが会が盛り上がるものと信じているのだが ・ ・ ・ 

久々のブログUPに愚痴が並ぶとは淋しいこと、これも心が亡くなると言う忙しさに起因しているのだろう。

 

 

 

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雪かきは ギンガム それとも アーガイル

2011年02月15日 | 日記

2月15日(火) 夜半 雪 思った以上に降る 曇り ときどき 陽射

夜中に眼が覚めたときに雪は止んでいた。しかし、明るくなって観ると意外に量が多いのには参った。

参ったと云うのはこの雪は湿り気のある“上雪”、俺の除雪機ではパワーが足りなくて飛ばないのだ。新聞屋の車も今日は新雪を分け入って登ってきていない。彼らでもこの重たい雪は長靴で歩いてきたようだ。

陽が昇る時刻になっても東の空は厚い雪雲に覆われていて30分くらい時が経ってから雲の隙間から僅かに朝日が覗きだした。

家から集会所へ向かう道は集落のMさんが大型のトラクターにハイドバンを着けて除雪をしてくれる。これも、集落では燃料代を負担することになっているが、彼は勤め人、早朝から除雪の作業をするのはなかなか出来るものではない。ボランティア精神と云うか集落を如何に維持していくかと云う真のジネンジョからの発想なのだろうが、ありがたく感謝する次第だ。

 

昼過ぎには大分雪も溶け出していたが、集落中央部のTさん宅では150年前の家の庇に積もった雪を落としていた。日中はお婆さん一人での暮らしだが80歳を越えての作業も辛いものだろう。

我が家の雪かきと云うと朝には30cm近くあり余りにも重たい雪なので、コンクリートに陽が当たるように ・ ・ ・ 更には手抜きを考えてアーガイルかギンガムが迷ったのだ。思ったほど太陽の熱が届かなかったので、明日の朝はガタガタになっているのだろう。

夜には次の日曜日に開く、ボランティア活動発表会の最終的な打合せをした。出席率も余り良くはないが気心が知れたものが集まるのがよい。

常連での打合せとなると全てがスムーズにいきすぎる。

当日はこんなことはないってなことが起こるのだろう ・ ・ ・ 

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上雪と表現する 太平洋の湿り気を含んだ雪

2011年02月14日 | 日記

2月14日(月) 曇り    僅かに薄日が出る  昼からは雪

 朝はうっすらと雪化粧したところへ僅かに朝陽がでたがやがて陽射しも消えモノトーンの集落へ戻った。

 

陽が出ないと云うことは一日中ストーブに薪を放り込むという作業が伴う。俺的にはPCに向かい、プリンターの用紙がスムーズに流れることを確認する作業があるが、家にいるSalaとArgoは唯々、地べたに寝転びながら背中が熱くなれば腹と入れ替える程度の自堕落な一日を過ごすことになる。

時間はあっという間に過ぎて、先週の5日間で胃袋が小さくなった俺は、昼飯を摂るには少々腹が減っていない。ひたすら遅れを取り戻すためにPCに向かいっぱなしだったが、5時を過ぎるとMも戻って来た。集落には仕事から帰ってくる車が列を為す時間帯を迎えている。

夕方からは本格的に降り出している上雪、あまり聴かない呼び方だが湿り気が多い雪だと云う。太平洋側に湿り気のある低気圧が入るときに降る雪のようだが、俺にとっては何時までもコンクリートのところが白くならないのはありがたい。天気予報でも明日は暖かいと云ってくれている。

 夜になって電灯を点けるようになると彼らはTVに釘ツケになる。ニュース番組が好きなようで、同じ画面に動きがないものは好まず、人が出てくるものを好んでいる。Argoはまだあの薄い機械の中に人や動物がいるようにおもっているらしく、といどき後ろ側へ行くき、何もないのにばつが悪そうに俺の顔を見るのだ。

そう言う俺は夜になってやっとボランティア集団、町民活動センターのパンフレットが仕上がった。薄いピンク色の厚紙に印刷したためになかなか上手く行かなかった。尤も印刷は本職に出せばよいのだが、一枚35円くらいになると云うことで、役員からは勿体ないという声があがった。

今日一日、俺は勿体ないことをしたと思って良いのだろう? 

 “どうってこたぁ~ないょ” ボランティアだから ・ ・ ・ 

この一言が次を呼んでしまうのがいけない。

 

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雪も止み穏やかな晴天 

2011年02月13日 | 日記

2月13日(日)  晴れ    風もない穏やかな一日    

今朝は再び雪と思いゆっくりとベッドで微睡んでいると急に朝陽が射してきた。慌てて着替えてリビングへ行き氷柱越しにパチリ!! 

集落に差し込む低い光線は見なれている景色も姿を変えて見せてくれた。戦国時代からあるという街道を除雪器具を着けた トラクターが唸りを上げている。ここ細く曲がりくねってしかも、逆バンクになっているので危険な道だ。集落のなかで助け合い、燃料代を出してお願いしている。頼まれる方も朝の通勤時間前に除雪しなければならないのは辛いものだと思うが、ありがたいことだ。

氷柱も朝陽を通して観ると黄金の剣のようだが、外に出てみると白く漂白したゴボウが並んでいるように見えた。 

昼過ぎに陽が当たらないのにSalaとArgoは別々のベッドに入っているが、どうやらSalaの新しいショッキングピンクのスウェーターが気になるらしい。 

 

昼飯の時にSalaが新しスウェーターを着てイスに座ったいたことがArgoには面白くなかったようだ。Argoは毛皮を着ているから寒くないのでしょうとSalaだけが買ってもらったので機嫌が悪いようだ。

昨日、エプソンから修理のプリンターが戻って来たので、溜まっている印刷物を刷り始めたが ・ ・ ・ 古いパソコンつないで印刷をしようとすると、ソフトの関係か目的のファイルが開かない、仕方なく、別の作業をしながら印刷機のうるささを我慢している。 

 

 

 

 

 

 

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笑いは人の活力を呼び起こす

2011年02月12日 | 日記

2月12日(土)  雪 午前中に止む  午後には薄日 青空もでる

昨夜も遅くに除雪をしようか迷ったと処だったが、余りにも降り続いていたので朝にすることにして休んだ。

月曜日からの胃腸に入ったビールスかウイルスかのために日夜なく振り回されたためか、ベッドメイクされた中へ治まってもいろいろ幻覚が起こる。眼をつぶっても天井の模様がPCのモノクロディスプレーになって動物や人の眼が映し出されたりする。携帯の時計を見ると深夜二時、夢のようなものを見ながら次に眼が覚めると5時になっていた。

直ぐに身支度をして外に出ると雪がまだ降っていた。先ずは軽トラのエンジンが掛かるか?バッテリーが上がっていることを覚悟して、セルを回すとナント一発でエンジンが唸りを上げた。これだとこんなに早く起きなくても良かったと思いながら、次に除雪機のエンジンを始動した。順調に除雪をしてから、ストーブの薪の積み替え作業一列だけ済ませた。

家に入り外を見ると未だ降り続いている雪のなか、切りそろえたバイカウツギの枝先にツグミが二羽途方に暮れている。彼らは普段地面に落ちた草の種等を啄んでいるがこの雪では地面が見えるところがない。

やがて一羽のツグミが下屋に向かって来てちょこっとコンクリートの三和土に降りた。見ると羽毛は中まで濡れているようだ。雪かきをしているときに俺の手指は寒さで真っ赤になり痛みを感じたくらい、彼の足や地肌はどれ程の寒さに耐えているのだろう。 

朝飯を済ませて少しだけ休んで11時に間に合うように落語会の会場に向かった。町の老人福祉センターで『やらず会』の第20回落語会が開かれる。ステージには高座を設けるためのビールケースが運び込まれ準備が始まっていた。 

高座ができて金屏風が張られると次の作業は花を生ける作業。これも毎回会員のS嬢が自ら焼いた大型の花瓶を持ち込み花もマンサク、ウメ、ユキヤナギ ・ ・ ・ 春を代表する花ばかりが整えられた。

 

最後にはマイクのテストをして準備完了となったときに、お客様が入り始めたのには吃驚した。話を聞くと近隣市町村から峠を登る道の雪を心配して早く来たのだというありがたい話だった。開演までの一時間床暖房の効いた桟敷で寛いでもらう。

落語の方はお囃子の調子もよく、可愛い女性の前座・ぽっぽさんに始まり、 古今亭菊輔さん 蜃気楼龍王さん、多いにお客様の口を開けさせてくれた。 

中入り開けの色物、曲芸の鏡味仙花 さん 前の桟敷席ではコマが回る度に空を右に左にと自分やっているように両手を広げてブランスを取っている姿に、これが多いに盛り上がった。

真打ちは三遊亭鬼丸 さん お隣上田市出身の新鋭の落語家、会場全員の肩が揺れ背中を仰け反らす大喝采で多いに盛りあげてから、最後は立科落語会20周年祈念として色紙やら記念品やらの会場満席の中じゃんけん大会が始まった。

会場の玄関のカギを掛け、全ての始末をつけて5時、打ち上げには回らずに家に戻ると、屋根の雪が溶けだしたものがつららとなっていた。朝の薪運びを一列だけ足して、家に運び込む薪をガラス戸の近くへ移して今日の一日を終わりとした。 

昨日までの七転八倒の苦しみは何処へ行ってしまったのか ・ ・ ・笑いが忌まわしいウイルスに打ち勝ったことになる。

会場に来ていただいた町の話家・水道家関ちゃんの話によると、俺が流行性感冒:インフルエンザと思い込んでいたが、彼も激し嘔吐と下痢に見舞われ、医者にいってしっかりとした『急性胃腸炎』と言う立派な名前をいただいてきたと云う。http://geocities.yahoo.co.jp/gl/sekisetubi3131/view/20110212 

俺のインフルエンザ騒動は手前勝手なモノ、風邪の神様にはモウしばらく外の景色がお似合い妥当しておきたい。

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甘く見ていた インフルエンザと云う風邪

2011年02月11日 | 日記

2月11日(金) 雪   朝から夜で降り続いた 

先週の土曜日身体の節々が痛かった。

日曜日は「生き生きネット」という集会があるので云う予定にしていたがどうにもからだがだるいと云うことで家でごろごろしていた。次のに月曜日は朝から怠さがあり食欲もなかったが、普段の朝飯と同じモノを食してたが昼は、全く食欲が湧かなかった。3時に社協に打合せに向かい5時前に戻ったが、夜にも年度末に向けた大事ない会合があったので参加をした。

このときにMが「行くの?」と怪訝な顔で云うのを耳にしながら出かけた。やはりダメダ・・・会合は気心知れたたてしなエコ・クラブのスタッフミーティング、皆持ち寄りの菓子や食料を並べてお茶まで入れてくれたのだが、手を出すことはできなかった。

俺の用件は簡単なことだが、レジュメの中にはなく番外でとなると最後になる。限界が来たところで話をだして仲間の意見がまとまったので直ぐに軽トラに飛び乗った。実際には飛び乗るなどという身の軽い動作は身体が許さなかったし、自動ドアの開きの悪い扉に嫌と云うほど右の肩をぶつけてしまった。社協のある建てモノから家までは3分程度だが、一カ所国道を渡る交差点で赤がヤケに長く感じる。じっと我慢して大型トラックたちをやり過ごし、家に着いて直行したのはトイレ、激しい嘔吐嘔吐嘔吐 ・ ・ ・ 苦しいのなんのこの世の終わりかと感じた。

それから火曜日水曜日と二日間は下痢のつづき、こんなににも酷いモノと思わなかった。飲まず食わずで水曜日まで腹の中がら絞られるように出て来るのを見ると人間は60%が水だと云うことが分かった。余りにも水分が出てしまうので水曜日になってから水を飲むとこれまた、ミルク飲み人形状態で口からも入れることができない。

こんな時のMはと言うと彼女も風邪気味らしく火曜日からは完全にダンしてしまった。一家全滅というか元気なのはSalaとArgoのみというわけで、玄関に人が来ても電話が鳴っても反応するのは犬たちだけだ。正月の獅子舞で“風邪の神たたき出せ・・・”と大きな声で先鋒が叫んだのがいけなかったのか、来年からは「風邪の神様は外の景色がお似合いですよ~」とか台詞を替えた方が良いのだろうか?

金曜日の朝になってやっと熱もなく怠さもなかったので起き出してみた。ふらふらしながら午前中をすごし、昼過ぎには風呂に入りなんとなく元の身体に戻ったような気がする。朝から降り続いた雪も夜には止んだので明日は早朝から除雪がまっている。はてさて明日の朝はどうなることだろう。

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芽吹きの音は聞こえないが 何処かで春が 生まれてる 

2011年02月05日 | 日記

2月5日(土)  なんとなく春霞 暖かさのある天気

リビングのシンビジュームがあっという間に花が開き蕾も残すところ一つだけになった。確実に春が来ているのを肌だけでなく眼でも見てとれる。そうは云っても家の中、ストーブは一日中ホンワリと暖かさを与えてくれる。

しかし、温かいのは家の中だけではなく外でもしっかりと春を感じとっているのが、生ゴミを堆肥にしているダンボールだ。いつものように被いを開けると湿り気のある空気が立ちのぼる。生ゴミだから臭いと思う人がいるが、臭いは殆どない。

中に差し込んである温度計を見ると60℃に少しだけ届かないところを示していた。本格的な春ともなればあたりまえのことだが、まだ2月のあたま ・ ・ ・ 

暖かいと云ってもまだ日陰には雪が残っている。雪が溶けて水が流れ出すと動き出すのは、集落一の元気な婆様たち。まだ地面は固まっているのに、玉ネギの苗の手入れをしてたのか、畑の脇に座り込んで辺りに響き渡る笑い声が聞こえる。

立春前は4時ともなると太陽の姿は西の山へ隠れてしまったが、今では落葉松の木々に見え隠れしながらも光を届けてくれる。一日中ボンヤリした霞が漂っていたが、これが春の所以とも云えるのだろう。

薪運びを終えてから裏山に向かったが、ここではまだ春を認めるものは雪が少なくなっていることだけだった。裏山の東斜面、フタリシズカの群生はまだ雪の下に隠れていた。

何処かで春が 生まれてる どこかで春が どこかで水が 流れ出す

そんな歌を知らないArgoとSala ただただ 春眠をむさぼるばかりだ。

 

皆さん 春を何処かで見つけましたか ・ ・ ・

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立春の日に鰯 それにわ深い理由がある

2011年02月04日 | 日記

2月4日(金) 晴れ  薄雲が広がり 春を思わせる気温

朝、窓を開けても冷気が入って来ない。立春という名のものとに冷たい空気はいられなかったのだろう。

我が家の夜の食卓に鰯が登場した。鰯が食卓に上るのは大して珍しくはなく、自然農の草だらけの畑から収穫する葉菜に似合うのは鰯が一番だと思う。浅く塩を振った生干しを更に2~3時間太陽の直日に当てると最高に旨いものが出来上がる。

ヤケに鰯に拘っているが、一日遅れ、しかも、俺の都合なのだか、昨日の節分に出番がなかったイワシには申し訳ない思いがある。節分には窓を広く開けた大きな声でオニハソト フクワウチと叫ぶのは俺的ではない。本来は「柊鰯」と云う伝統行事が性に合っている。ところが、我が家の柊はセイヨウヒイラギでクリスマスのリースに似合うものだが、鰯の頭を刺す柊はニホンヒイラギで、子どもの頃は近所の家の垣根に使われていた。学校帰りに枝先を折り、4枚の葉をねじって風車にして遊んだことを思い出す。

信州では「柊鰯」の伝統がないのか、ニホンヒイラギを見ない。俺的な理由で鰯は冷蔵庫の中で節分を迎えたのは大変申し訳ない思いだ。せめて晩飯にしっかりと焼き目をつけて尻尾の先まで腹の中へ納めてやった。

 

午前中からPCに向かい最後の打ち込みを済ませて午後の印刷、郵送の作業間に合った。全ての作業をボランティアでと云う拘りから、家のことをホッタラカシにしている。これから年度末に向かい益々そんな日々が多くなるのだろう。

 昨日きょう よなべつづきのボランティア 家のことより 外を遊先

PCの打ち込みや印刷は一人で出来るが、物事を決めるとなる皆んなに集まってもらわなくてはならない。意見だすと反論が出ないことに憤りを感じる。そんなときにキッパリとナゼと云ってくれるのは頼もしい女性たちだ。

綱渡りのような連携を持ちながら、2月20日にはボランティア活動発表会を開けることになった。ここで大勢からの意見や提言が来年度の事業に取り込めると嬉しい。大成功を願って28団体に会報と案内チラシを郵送した。

 

この催しには町内外の方も大勢来ていただきたい。近隣市町村の方々から活発な意見をもらえることが、俺たちの活動を活性化させてくれると思っている。

褒められて 煽てられての ボランティア いってみれ家 の居心地のよさ

※「いってみれ家」はボランティアルームの愛称です。

 

 

 

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12分の1が終わってしまったが

2011年02月01日 | 日記

2月1日(火)  晴れ   風もなく  暖かな一日 

1月が終わったのだが、この1ヶ月は長かったように感じている。

身体も寒さに慣れて、元旦からの温度を確認してみた。最低温度は-13℃、高い方は5℃を指していた。尤もこの温度計は寒気に対しては甘く示すようだ。

        

昨日、今日と雲一つない晴天が続き、辛夷の冬芽も春を感じているように輝いている。春一番に白い花を見せてくれる辛夷、霜を被りながらも確実に春を近づけているのが見えた。

      

太陽が高く昇ると昨日の陽の光に残された雪が溶け出し、水琴窟のようにリビングに水の響を聴かせてくれた。

Mがストーブの薪がないと云う ・ ・ ・ わかっていたのだが昼間は夕べのボランティアのミーティングで決まった、イベントのチラシを作ったりPCに向かいっぱなしだった。6時を過ぎてから一段落したところで薪運びとなったが、以外にも外はあまり寒くはない。 

昨日の夜はこの冬一番の冷え込みだったと云われ、町から帰る10時前には-7℃だった。 町の中は8時ともなると国道以外は車の通行は少なくなる。

ボランティアのミーティングも一つの方向に突っ走ることはなく、それぞれの思いと方法・手段 で話が進まなくなる。そんなときには誰のポッケと云うわけではないが、お茶とお菓子が出てくる。夜のミーティングは夜型人間が多いのか議論となると白熱するのが楽しい。

そんな夜型の集まりにいる俺だが、我が家のシンビジュームも夜型のようだ。朝障子を開けた時には蕾だけだったように思うが、夕方になってほころび始めている。 

 

 

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