9月19日(水) 雨 昼前に陽がでる 午後 雨
天気予報では昨夜から大雨で午前中まで続くと云われていた。月末の水曜日は病院の日と俺的な記念日としているが、今日は一週間前、これは医者の都合で来週は診察がないと云われ、俺的記念日も移動となり特段の拘りはない。雨も少しだけ小やみになり、家をでて隣町のトンネルをくぐる頃には陽射しが雲の割れ目から出始めた。太陽がでると今度は蒸し暑くなる。
病院の駐車場は相変わらずの混雑、車が入るスペースが見つからない。俺は軽トラなので入れるほどのスペースはあるが、ドアが開かないことがハッキリしている。向きを変えて出口の方に走り出したところへ、病院から戻ってくる人に声を掛けると眼の前の車を指し、家族を送ってきたので出ると云う。日頃の声かけ運動の成果があるのか嬉しい。
予約時間に少し間があるので、採血、注射をする処置室に向かう。ここでも再雇用制度の高齢者看護婦さんが担当してくれるのだが怖い。採血の針を刺すまでは良いが、刺しながら俺に話し掛けたり、採血管を差し替える度に、注射器を支えている手が上下に動く。その動きは微妙だが血管に刺さっている針は、その動きに合わせてスムーズに湾曲するようなシステムにはなっていないのだ。その度にビビッと震動のような痛みを感じる。再雇用システムとは俺も同じような世代と思うと、あまり云いたくはないし直接云うと長くなるのが困る。
次は眼科だがここでも長い待ち時間に合わせて本を持ち込んでいるので、さほど待つことが気にならない。これは、俺がイクジナシ的に腕時計を持たない人なので「今 何 時?」などと気にならなくなっている。何れは「正しい通院患者標本」として棚にツルされるかも知れない。同じ待ち時間でも、内科はこの病院一二を誇るのが俺の担当医となっている。これも何かの縁なのだろうが、窓口に声高に“何時間待たせりゃ気が済むんだ”とか息巻いている御仁もいるが、こう言うときに限って、とびっきりのカワイイ看護婦さんが済まなさそうな顔をしながら小声で言い訳を言う。こうなると他の待っている患者は、腹の中では“云え イエ~ もっとイエー”など思っても応援するのは看護婦さんの方になる。今日も老夫婦が来ていて旦那が“オリャ もうえエぇ~ 帰る”とか云っていたが、大分長く繰り返し、奥方に諭されていた。
俺の予約は午前の最後と決めているので、先生の昼飯前になる。予約時間から計算すれば二時間となるが、俺の予定したいた本読みページが余ってしまった。3分ほどの対話のあと次の2ヶ月分の予約と薬の残り数から日数を差し引いた分を出して貰うことで俺の診察は終わった。これだけのことを病院でこなして来るにはそうとうに元気でないと出来ない。午後二時を過ぎると、帰りに野暮用を済ませるので、飯処に困るとしながら、先ずはいつもの蕎麦屋へ向かった。準備中と別に看板が出ていたので車で入って見ると、タイミング良く店主が顔をだしてくれた。閉店間際に来る客はメンドクサイと知りながら助かった思いがでる。
貸し切り状態で昼飯となると困るが、閉店していてはメニューのものを頼むわけにはいかない。お任せでと云うと、いつもより盛りがよい前菜と共に女将さん特製の佃煮を載せた、かやくご飯が山盛りででてきた。この店の良いのは素朴さの裏に、しっかりと技を磨いた調理技術がある。蕎麦屋だから出汁を取るのは当たり前だが、出汁をとって残る材料を使った飛びっ切り美味いものが多い。前菜と云って出てくる季節に合わせたものは、レシピを聞くとヒミツも何もなく、その季節感と素材を知り尽くされた技からでる食感を大切にしているのが感じられる。テーブルに置かれた練り込みの小さな一輪挿しにも、そこらを歩けば直ぐ目に入るノコンギク、これだけのテーブルの演出だが、前菜の器にあるカボチャに練り込まれた薩摩芋、胡桃、干しぶどうとイカの付け合わせ。洒落ではないが、イカにも旨味があるのがこの店の女将の隠れた腕だろう。
食事をしながら目に入った、脇の棚に無造作に置かれている絵が書かれた木っ端があった。手を伸ばすと特別な木片ではないが、表に山野草の絵が描かれ、脇には花の名が書いてある。裏返すと細い筆で俳句や短歌が書かれていた。文字の流れから座って書いたものではなく、散歩に行くときに木片を手に歩きながら想うことを書き連ねたように読めた。
佐久市、中込の めん茶房つた屋
小諸から移り 益々繁盛というようだ
食事に行くのなら、軽い昼飯としても
時間だけはたっぷりと 余裕で向かってほしい