田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

10年一昔 ポンコツと云うなかれ

2010年11月30日 | 日記

11月30日(火) 晴 っと思ったが 雲が張り出し 薄日の一日 

夕方前の午後4時 浅間山からの噴煙が消えたと思ったら入れ替わるように ぽッ と雲が紅に染まった。

こう言う情景のとき直ぐに家人Mに声を掛けるのだが ・ ・ ・ 感覚の違いだろうか? 単なる夕方前の現象と捉えたようだ。確かに、俺的な物の見方をすれば全てが自己中心的で、浅間の噴煙も、朝陽がヨード卵の黄身のように赤いのも、心に染み入るのはオカシナ+ニンゲン の感覚と見るらしい。この程度だと人的被害が及ばないせいか、ちらっと東の窓を覗いただけで元の作業に向かっている。

俺は朝からINAXのHPを検索してサティスと云うウッシュトイレの仕様書を捜した。本棚の奥にしまい込んだ取説を捜せばよいのだろうが、PCの便利さを承知している者としてはネットに頼る。

取説と云っても10年前のこと、ネットの方が最新の情報を読み取れる。この要件は我が家のトイレの具合が悪い。よそ様の家でも同様だと思うがトイレは北側、小さな窓があっても太陽の温かさは望めない、ましてやシャワーノズルからでる水が冷たいままではたまらない。PDFの取説を読んでも結局は分からない。お助け電話を掛けた。

この手の電話は久しぶりだが、紋切り口調のお姉さんが出てくるかと思ったら、これが素晴らしく、ほどほど丁寧でフレンドリーな対話、瞬く間に解決と云うことで明日の、午前中に来てくれるという。その後担当者から電話があり、細かい不具合の様子などを聞かれたが、こればかりは文字にしてここに載せるわけにはいかない。

INAXと云うフレンドリーな会社 アクセスをしてみて欲しい。http://www.inax.co.jp/

午後にはもう一つに10年選手の登場となった。それは、最近我が家ではカステラやパウンドケーキと云う焼き菓子はおろか、オーブンを使った料理が食卓に上らない。木枯らしが吹くようになり、薪ストーブを炊くほど寒くないとき、オーブン料理は欠かせないのだ。

家に入れた電機製品は5年ほど前にひととおり調子が悪くなった。あれから更に5年、10年ともなると危険だ。オーブンの温度が上がらなくなった、温度が低いと焼き菓子や熱々のグラタン系の物が生焼けになる。それなら作らなければ良いのだが ・ ・ ・

調理器具の10年を顧みることなく酷使して、経年変化を思く、無意識に焼き上げた菓子は、はそれなりに立派に焦げ目が付、旨そうに見える。しかし、粉っぽく水分が飛んでいないのだ。ご当人はしっとり感があるケーキだから ・ ・ ・ だから ・ ・ ・  と次の言葉はつながらない。 

そんなときには、いち早く型番を調べ、製造番号をメモしてこれも先ずはネットだ。据え付けた店に問い合わせるのが一番と云われるが、ここ信州の片田舎では難しい。一通りマニュアルを調べ、予備知識を仕入れて電話をする。電話口では丁寧な受け答えでテキパキと必要事項を聞いてくるので、間髪を入れずに相手のリズムに合わせ要求してくる数字や記号を伝える。出来ることならば、相手の話すリズムより少しだけアップテンポがよい。少なくても、ここでモタモタしてはいけない ・ ・ ・ と云うわけで、「明日の午後に伺えます」とリズムを崩さずに云われた。 う~ン と ここでベテラン(らしい)お姉さんに一本取られしまった。明日の午後はダメ ・ ・ ・ それでは、木曜日と少しゆっくりした口調で言ってきたので、一呼吸合わせてからOKをした。 

外見はきれいなのだが ・ ・ ・ 内側を見ると相当病んでいる。庫内の通風口は汚れで詰まってないのだろうか? 明後日までに掃除をする必要がある。自動的に清掃機能が付いているのではないかとMに訪ねると知らないと云い、その後に“ネットで調べたら”と云う。当然彼女もネットが庫内を綺麗にしてくれないないことは承知なのだ ・ ・ ・  

 

10年も経つと家のメンテナンスが必要になる。今年の春は外回りの塗装を塗り替え、床暖の不凍液と温度調節バルブを交換 ・ ・ ・ ニンゲンもパーツ交換したいと云えば、下取りができれば全交換と答えが聞こえるようだ。

19時からはボランティアの役員会があった。 少ない人数ながら、濃い打合せができたことはありがたい。後期の企画は来年2月の町民活動センター活動発表会もタイトルと素案について話し合えた。来月半ばに具体的なことが決まることだろう。21時終了予定を25分も過ぎてしまった。

ボランティアだと思っていない活動、だからボランティアだと云う。

熱い意見が飛び出した。

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天使の声は マルガリータ 腹に染みいる

2010年11月28日 | 日記

11月28日(日)   晴  と思ったら 雲が多く   夜には雨がポツリ

午前中は昨夜のつづき、頼まれことをこなして届けたところクレームが ・ ・ ・ クレームと云うことは注文と違うとか歴然とした事実があることに関して成立することだと思うが ・ ・ ・

一ちゃん企業と云うか『俺だけ企業のボランティア』で賄っていること、世間からは滅多にクレームなんぞはない。しかし、家内的な請負仕事には渡される原稿もいい加減なもの(と思うが)、しっかりと文字表記がされている原稿があってワープロ打ちだけを依頼され、間違いがあるのらクレームも仕方がないだろう。しかし、クレームと決めつけられても言い訳も出来ず、反論も出来ないほどの力関係があるのでは唯々黙ってハイと決めるしか致し方ないのだろう。

そんなことを口に心に表さずに午後のコンサート会場に向かった。日曜日の午後久しぶりに教会で開かれるコンサートだ。9月の初旬に我が家に来てくれた数人が所属しているクワイヤーのコンサート。

会場は軽井沢と云うわけで友人を誘い出かけた。会場内は写真撮影禁止と云うわけでカメラはポケットの奥にしまい込んだ。その代わりに高原教会のオフィシャルブログがあるので其方を覗いて欲しい。http://www.karuizawachurch.org/blog/

コンサートはホテルプレストンコートの前庭、夕方前の4時からと云っても既に薄暗い林の中には無数に置かれたランタンに蝋燭が灯っていた。開演前に出演者控え室に顔をだすと、馴染みの天使たちが声を掛けてくれた。直ぐに開演と云うことで教会に入ったが、久しぶりに板作りの教会ベンチに腰を掛けた。席はほぼ満員ではじめの曲はKum Bbyahと云うアフリカ原住民のリズムが濃い歌で始まった。

コンサートは時節柄クリスマスの賛美歌をはさみ、ゴスペル特有のリズムとハーモニーが心を元気にしてくれる。10曲の歌声だが、それぞれソロやかけ声、手拍子などで盛り上がた。

オリジナル曲も交えてあっという間に最後の歌になってしまったが、相当昔になるが、カトリック教会の聖歌隊、バプテスト教会での賛美歌など懐かしく思い出した。中でも、バプテストの教会ではアメリカ人が中心のところで、楽譜を見ると4声の賛美歌なのだが、特有のハーモニーで魂を呼び起こすのが心地よかった。ブルーノートと云う♭系の音を間の手に入れることで次のハーモニーが盛り上がる。

今日のコンサートでも最後の“I adore you”では繰り返す毎に転調していくその間が心を熱くさせくれた。

コンサートが終わってから友人夫妻と我々の4人で、飯屋へと云うことに、天使の歌声が心に響いてるのでケイジャン料理 ・ ・ ・ と思ったが軽井沢では思い当たらないと、Trattoria La Pacchia へ向かった。

ここでもコンサート以上に楽しいひとときを過ごした。ピッツア釜のマキの炎を眺めながら語らう、40数年前からの友人だが話題は健康のこと、老後のことに触れる。しかし、その中に夢があり青春がある会話にはハラワタを裏返しにしても良いくらい本音で語り合えるの嬉しい。

      

軽井沢から家に戻る道中、天使の歌声とPizzaマルゲリータが腹の中で美しいハーモニーを奏でている。軽いエンジン音が微妙に睡魔を誘っていた。

http://www.slow-style.com/detail/index_460.html

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マキ場での食事 久々に外仕事

2010年11月27日 | 日記

11月27日(土) 晴   快晴   風もなく穏やかな一日

このところ家の中ばかりの作業に追われ、外の仕事が滞っていた。

二週間もバケツの中で過ごしてもらっているタマネギを畑に植えてやりたい。「やりたい」などと悠長なことではなく、俺的にはタマネギの夢見るほどに申し訳ない気持ちでいた。人様が余った苗だから要らなかったら捨ててもよいと云ったかは定かでないが、バケツの底に水を入れて中で過ごしてももらっていた。

バケツから取り出してみるとなんとも白い部分が長く伸びて苗として落第だなのだろう。でも、これから寒い冬を畑で過ごして来年の梅雨時まで成長を進める身、少しくらいの落第なんぞは意に介さないと勝手な解釈を思い浮かべながら植え付ける畑を少しだけ均した。 

畑の作業も10年近くになるのに、全く基本を習おうとしない身勝手なやりかた、所詮はいい加減な思いつきで、先人の農法を聞きかじりながら、食糧自給率はまったく当てにならないことを続けている。そんな手先を見ていたのか、赤とんぼ。枯れた唐辛子のように胴体を平べったくして、秋の終わりを感じ取っているようだ。 

ホンの少し余った苗だから ・ ・ ・ といただいたのだが、片っ端から植えていくと、ナンと150本くらいはあった。90本はしっかりと藁で根本を多いキッチンにならぶようなタマネギになって欲しいことを託した。残りの苗は一気に4列から6列といかにもいい加減な植え方だが、近くの畑では専門家の婆様の植えたのを見るが、苗と苗の間が狭く植えてあった。とのかく、いただいた苗は全て土の中に根を張ってくれるようにしっかりと植え付けた。

タマネギは根本を地表に出さなければ球にならないと聞いたことがある。夜中に獣たちが畑で運動会を始めると浅く植えた苗はほとんどが抜けてしまうのか ・ ・ ・

全てを植え終わると急に腰の痛みを感じる。背中を伸ばし、おそるオソル後ろへ ・ ・ ・ イナバウワーと迄は行かないがナンとの云えない心地良さがある。濃い青空の下で土いじりをする心地良さ少しだけ庭を一回りしてみた。ノコンギクはあの濃い紫は既に何処かへ去っていき、代わりに綿毛を球にして太陽の光を反射していた。次の風で綿毛と共に種が旅立つのだろうか。 

ストーブのマキも球切りを済ませたままホッタラカシになっていた。今日こそ切ってある材は割らなくてはならない。エンジン音が響く中夢中で作業をしていると飯だと云う。久しぶりの外飯も今日はマキ場でとなった。 

昼から連続してマキ割をつづけ夕方暗く゜まで夢中になってしまった。風呂に入ると手のひらや足、腰背中と俄木こりでは身体持たない。普段、少しでも時間が空いたときにコツコツと作業をすれば解決することだろうか ・ ・ ・ 

 

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月一の病院通い サバを読んだが 駐車場 

2010年11月24日 | 日記

11月24日(水) 晴    微風   温かい一日  午後は雲が張り出す

今年初めての本格的冠雪、浅間山が白く輝いていた。山裾集落から見る浅間はほぼ西側、東南東から昇る朝日が当たらない北西側はまだ光がとどいていない。手前が黒く見えて、いかにも浅間山の頂上付近だけに雪があるようだが、黒く見せているのは前掛山の稜線になっている。この姿も昼には雪は僅かしか残っていないだろう?活火山の地熱もあるが、この冠雪が3回続くと里にも雪が降り、車のタイヤも冬タイヤが必要となる。 

今朝の上空は風が舞っているのか、渦を巻いた雲がいくつも姿を表しては消える。浅間連山の上空から西に向かい濃い青空に舞っている雲が何か物言いたげのようだった。 

北側のロックガーデンの花たちはほとんど姿を消し葉までもが2回の強い霜でちりぢりになっている。枯れた葉が吹き寄せられた石の間に、既に散ってしまったかと思っていた吉祥草がしっかりと花を着けていた。今年は上から下まで全ての花が開き一片も花びらを落とさずにいる姿に吉祥天の強さを見せているようだ。  

    

 月末の水曜日、11月も最終となったので佐久病院に向かった。今日は内科だけなので予約時間を1時間も鯖読んで遅く家をでた。その方が駐車場もすいていると高を括ったのだが、見事に外れた。先週の水曜日が休日だったこともあり俺が止める小さなスペースも20分近く待つことになった。

駐車場の一番東奥に車をいれてみると、隣の畑で農作業をしているお婆さんがいた。時間もあることだし少し話をしをしてみようと声を掛けると手を休めずに呼びかけに応えてくれた。来月になると浅間降ろしが強く、畑は出来なくなる。河川敷なので湿り気があるから直ぐに凍ってしまうそうだ。

一台車が出ていきスペースが空いたのだが、婆様の話が止まらない。仕方なくやり過ごし、話を聞いていた。畑の話から柿の実はカラスが食べに来るのだという。浅間山、千曲川 ・ ・ ・次々に話題が続くが一方的に話がつづき止まらないので、病院の時間だからと駐車場所を探すために移動した。 

直ぐ近くの柿の木の実が付いたのが見えるところにスペースを見つけた。渋い柿なのかここでも誰も採らないで、浅間山の姿に合わせているのだろうか。真南から見る浅間は山裾から見る浅間とは別の山のように見える。この上部が噴火で吹っ飛んだのだろうか、嘗ては大きな山で富士山より高かったのだろう。 

 

病院は120分遅れですべてが終わったのが14時をとっくに過ぎていた。

夜には「ふれ愛むら環境フェア」の反省会があったが、奥歯に物が挟まったような物言いからも、5年目のイベントが成功とは云えないだろう。沢山と多いとか人数や握り飯の数が多けりゃ良いって云う物ではないと思うが。

イベントが終わったあとに“反省会”と云うのが気に入らない。初めっから無理を承知で開いているが、どのような作業もスタッフもそれなりに努力をしている。不足なことはあったろうが、それは反省ではなく次の課題としたい。昨年も反省会と称して意見が交わされたが、それが全く改善されていない、強く言えば改善してない面は寂しい限りだ。

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予定どうりの雨 はかどらない作業 身体に聞いて見た

2010年11月24日 | 日記

11月22日(月) 曇り 後 雨   時たま激しくふる

 朝は予報どうりに曇りそして気がつかないほど静かに雨が降り出した。昨夜の天気予報どうり。

雨を望んで希望のとおりに降りだしてくれたのはありががたい。玉ねぎの苗も雨が降った後に植えようとバケツにいれたまま置いておいたが、ひょろひょろだった苗もしっかりと太くなり根も増えたように見えた。プラスチック系のリサイクルゴミを集積所に運んだ時には降ってなかったが徐々に低い雲が張り出してきたようだ。

午前中は録音したままになっている会議記録を文字にする作業に入った。しかし、30分を文字化するのに倍近い時間がかかる。理屈を並べているような説明は書いていても面倒になるから、聞いていた人も殆ど記憶にないだろう。ノルマと云うことでこの作業も今こなしておかなければ直ぐに来月の会議がやってくる。

一時間もすると議論も佳境に入り楽しい。それぞれ、発言者は相手の云うことを理解しながら経過や手段が違うのだ。また、極端な方向に持って行く意見には周囲が異論を言いたげにザワツクのも面白い。余りにも優等生的な意見を述べる人の話はだれも聞いていないのか、終わったとたん沈黙で少しの間が空くのも愉快だ。会議もこのようのに客観的に見えれば出席していても面白さはないのだろう。

録音に聞き惚れてキーボードを打つのを忘れてしまい10分位先に進んでしまった。イヤフォンを両耳に当てているので他の音は聞こえない。玄関に人が来てもチャイムの音は全く耳に入らない。これで一番困るのは昼飯時になって、そろそろ飯かなと思い、恐るおそるリビングに行くとMは新聞を読んでいる。互いに仕事を持って出かけていれば問題はないのだが、両人の腹時計に時差が生じているときが一番困る。飯を作る人と作られた飯を食べる人では当然腹時計に時差がある。その違いが大きいときは日付変更線を跨いでしまうことさえある。

手持ち無沙汰でうろうろするのも都合が悪いが、こんなときによき伴侶はSalaとArgoだろう。彼らは常にこちらを向いていてくれる。声を掛ければ飛び跳ねて相手をして呉れる。そんな彼らの愛情は一かけのリンゴの更に小さいかけらを与えるだけで頭を低くして俺に応えてくれるのが嬉しい。

夕方までPCに向かっていたが、Mが新しい人のメールアドレスを登録する方法を教えて欲しいと ・ ・ ・ そんなときの姿を人様が見れば、中良くパソコンの前に二人で座っているように見える。何時の日かPCの画面で飯が食えるようになるとラブラブな人生が送れるのだろうか。

時間は経過し、てたてしなエコ・クラブのミーティングが19時からあるので出かけた。

勿論、晩飯は22時近く俺が帰ってきてからが常だ。

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合唱祭 まちづくり につながると云う 落ち着かない一日

2010年11月21日 | 日記

11月21日(日) 晴れ    快晴  無風 暖かい  満月

今年の2月頃だったろうか、第2回合唱祭の準備を始めるとMから聞いた。第1回と云っても年度が変わっているので、今年の1月中頃だったと思う。町の公民館2階 集会室、客席は溢れる程ただ。

だから ・ ・ ・

今年は学校の体育館に場所を移したいと云った。その時は口には出さなかったが心配だった。実行委員会で反対が決議されれば良いと思った。それから10ヵ月で今日に至ったが、どこに彼女たちの活力があるのだろう? 実行委員は町の3つの合唱団から代表がでて組織している。しかも、メンバーには男性もいるが、実行委員になっている人は全員が女性だ。素晴らしい彼女たちの統率力は第1回の昨年に充分判ったが、今年はさらに、小学校の体育館を会場にしたこと、まだ凄いのは、準備に関わってくれた団体は23年間も男子中心で活動している蓼科クラブ、同じく20年間も続いているヤラズ会、更にはコーラス団体の女性メンバーの連れ合いが椅子並べやステージ作り、演奏会の裏方まで黙々とこなしていた。

昨年の合唱祭を聴いて、やる気を起こしてくれた蓼科高校の合唱同好会7名の生徒と先生が凄い。たった7名と思うだろうが、そのハーモニー感覚がよい、そして、リズム感と歌のセンスのよさは“Smile”(作詩/作曲:しおり)に表れていた。

同じように立科中学3年3組の合唱も素晴らしかった。男子が多く、その歌声も響く発声で会場の奥まで響かせていた。

素晴らしいの連続だが、決して身内のヨシミではない。第一回の企画では難色を示していた町役場の職員たちが、新たに合唱グループを作り参加してくれた。衣装もビニール袋を活用し帽子まで揃えて素晴らしくセンス良い、金を掛けないアイディは流石・立科流なのには感服★★

町民の自由意思で企画した合唱祭に、役場職員が参加してくれること、指揮は教育長とこれまた、社会教育の代表格でもあり他の町では見ることができないのではないだろうか!!これには蓼科高校の音楽の先生が重要な役を担ってくれていることを後から聞いた。

立科小学校の合唱クラブは白のベレー帽にカラフルな蝶ネクで登場。歌声も良いのだがステージに変化を着けて全員の合唱から8人6人と重唱の表現が良かった。動きのある歌“教室大笑い”(作詞:風戸 強/作曲:福田和禾子)では子どもたちの表情が生きいきしていた。

ゲストととして東御市の合唱団が登壇し素晴らしい歌声を聞かせてくれた。彼らは毎週練習をしているという社会人コーラスとしては手音?(手本)となる合唱団だろう。 

町長は開会には所用があるとのこと ・ ・ ・ 開演中に駆けつけてくれ最後まで聞いてくれた姿には熱い心を感じた。挨拶をお願いすると、この活動のすばらしさ、町の中が歌声であふれるようになる小さな町ながら素晴らしい文化が芽生えていることに感動するとの言葉だった。

その言葉のあとには会場全員で『もみじ』を唄った。これも自然に二部合唱になり、合唱祭のタイトルのとおり ~ 響け 心をつなぐハーモニー ~ となった。

予定どおり16時に閉会になり片付けには聞きに来てくれた皆さんが手伝ってくれて短時間で終わることができた。会場の外へ出ると満月が浅間の峰々を僅かに照らし始めている。浅間の真の美しさは立科から見るのが一番と多くの人が云うが、浅間のの美しさには負けない程の、今日の歌声は素晴らしかった。 

夜には集落の収穫祭(12月12日)の打合せに出席した。伝統食の《お煮かけうどん》の復活と、恒例のモツ煮、焼き鳥 ・ ・ ・ 『伝統食の復活』は集落の課題でもある。

このところ、いろいろな行事に動きがとれず、やらなくてはならいことが遅れ迷惑を掛けている。明日は雨だと云うので、会議の録音も文字化するには好都合だろう。

家に戻る夜道は満月に照らされ雪が積もったように見えた。 

 

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地域史を紐解く たてしな歴史研究会

2010年11月20日 | 日記

11月20日(土) 晴れ   快晴 無風 暖かい 一日

たてしな歴史研究会は隔月定例会を開きながら6年目を迎えている。今日は年一回の研修として真田町を訪ねた。

いろいろと行事が重なるなか、11月第3土曜日は早くから歴史研究会の日と決めていた。立科町からは30分も車で走れば真田の町へ行けるのだが、なかなか一人で廻るとなると難しい。

先ずは立科町をはじめ、信州の佐久地方を荒らしまわった武田信玄が敗退した砥石城で記念撮影となった。

真田氏歴史館では大将のブロンズ像と欄間に掲げられた武者絵が何か寂しさを感じさせた。

真田氏本城では、韓国のTV撮影があるとかで、鉄砲隊が正装で表れた。運良く火薬不使用のため火縄銃を持たせてもらったり、会員一同感動しっぱなし、しばしドウシンに還っていた。

朝からの研修ということで、昼は幸村御膳と洒落た企画だったが写真を採るのも忘れてしまった。

午後は陽の短い季節最後の見学地信綱寺では想いの熱い歴女ガイドの熱弁でこの寺の裏山に登った。

そこには、信綱夫妻・昌輝の墓があり、語るも涙・聞くも涙のガイドの思いの丈が爆発した。墓の前には六文銭が入った鉄の門扉も錆び付き開け放たれて、墓守の石像も首が落ちたままにはいささか、哀愁が漂っていた。

9時から4時までの研修も19名の参加者全員が高齢と云う中山城を歩き、寺を廻った。観光地とは云っても限られた財政のなか良くも整備下物だと一同関心。町を挙げて真田一族を大切にすることが、マンホールの蓋の飾りにも表れている。

天候も良く、事故もなく一同無事に立科へ帰り着きました。

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合唱祭にも気合を入れなくてはならにのだが

2010年11月20日 | 日記

11月19日(金) 晴れ   快晴   寒さが緩み比較的暖かな初冬

昨夜から緊張した朝を迎えようと気合を入れて早く寝たが ・ ・ ・ 

起きた時には既に太陽が昇っていた。眼が覚めたのは5時15分、風呂に湯を入れたと思って一寝したと思って風呂場に直行、しかし、湯船には冷たいまま一滴の湯もなかった。夢だった、確かに風呂に湯を入れるボタンを押した記憶があるのだが夢の中のようだ。湯が溜まるまでは身体を丸めてジッと我慢 ・ ・ ・ 風邪を曳かなくてよかった。

午前中は2日間の研修の資料を読みながら、ブログをUP、午後にある日曜日の合唱祭の打合せの資料を読みなおした。腑に落ちないことがいくつかあるのだが、主催団体の実行委員はしっかり者のご婦人方一方的に指示を待つ形になるのもいたしかたない。

  

この合唱祭は町内にあるグループが中心となり企画から実行まで取り仕切っているのだが、今年は町役場の職員が歌のグループを立ち上げて、参加すると云う。“まちづくり”の一環で始めたこと、ここに役場の職員が自主的に参加するとはアッパレと云うものだろう。昨日の新聞にも大きく報道されていた。http://www.shinshu-liveon.jp/www/topics/2179

 

打合せを終えて家に戻ると3時を優に過ぎていた。しかし、この時間で集落は山陰になり日射しは届かない。

浅間の山は僅かに噴煙を見せているが、夏にも緑濃い針葉樹も今では黄葉し見事に色着いている。

 

 

太陽の光も僅かに向かいの山の落葉松にスポットを当てている。このような時間帯になるとArgoは必ず一人外を眺めるのだ。彼は何を感じているのかジッとして動かない。一二度名前を呼んだくらいでは視線を替えようとはせず、大きな声で呼ぶと首だけ回して眉間にしわを寄せて《ウルセエ~ナア》と云う表情をする。

そういうArgoもSalaとバトルを繰り広げたあと部屋に電灯が灯るころには自分のベットには入らずSalaの中へ入り込み占有する。その寝相の悪さと云うと仰向けになり大の字になる。

こう言うときのSalaは静かに立ち退いて城を明け渡すのが常だ。

犬たちにはそれなりに仁義があるのだろう。俺の知ったことでは内のだが ・ ・ ・

 

 

 

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二日間の記憶も 枕を過ごすと 飛んでしまう

2010年11月19日 | 日記

11月19日(金)   晴れ   快晴   

目覚めとともに2日間の研修の記憶をたどりながら文字に起こす。

研修は社会福祉協議会の事業形態等など、先進地から学ぶと云うことで、我が町(ちょっとオーバー)とは昭和62年から友好都市条約を交わした神奈川県愛川町に向かった。

3時間の町のバスに揺られ相模湖を経由し愛川町へ到着。町役場とはいっても高層の建物に案内されて会議室に招かれた。

両町の社協理事が勢ぞろいするなか、双方の社協会長が挨拶を交わしたあとはそれぞれの自己紹介、。町の概要を説明されても同じ町とは思えない規模の違いがある。

訪問したことは早速、愛川町社協のスッタッフブログはリアルタイムで掲載されているのがすごい。

また、町の詳し状況はホームページをご覧いただきたい。

秋の深まる愛川町に来たのなら、宮ヶ瀬ダムを見学と再びバスで移動となったが、生憎の雨模様と午後の遅い時間でカメラのデジタルも色の表現はイマ一歩、お見せできないのも残念なのでHPご覧いただきたい。 

宮ガ瀬ダム http://www.k2.dion.ne.jp/~denisoba/miyagase_aki.html

愛川町HP http://www.town.aikawa.kanagawa.jp/

愛川町社協スタッフブログ http://www.shakyo-aikawa-blog.com/?m=20101118

夕暮れの中、翌日の視察研修地相模原市へ向かったが、到着したときにはすでに日が暮れ、久しぶりに見る都会のネオン街 ・ ・ ・

懇親会というよりも飲み会という、かなりのハイピッチの飲みっぷりでアッという間の2時間半が過ぎた。この場面は実況放送も録画もままならないという紳士淑女の大宴会 ・ ・ ・ 皆様静かにホテルで一夜を過ごされました。

朝は8時20分出発で福祉村「タンポポの家」に向かいました。ここは入所・通所事業を始め、日中活動(生活介護・生活訓練・就労継続B型事業)、短期入所事業・日中一時支援事業等が行われているとのこと、施設の入り口にはサンタクロースが出迎えて、中は整然として清掃もしっかりとできた素晴らしい施設でした。

施設長の熱い想いが言葉に現れながらも全館を案内していただきました。

施設内では男性は外の仕事、女性は室内で裁縫や刺しゅうなど手仕事を見事にこなしていました。

何よりも凄いのは入所者も高齢になり、この施設で墓場も備えてあるという、終身施設で過ごすことに不安がないということでした。

短時間の視察なのかでお茶やコーヒー、施設内で作られているクッキーまでいただきました。学ぶことが多々あることを感じながら、最後に聞いた言葉は、『タンポポの家はどこにあるの?と聞かれたとき、“あなたの心の中にあります”と答える』とのことでした。

タンポポの家 http://www.fukushimura.or.jp/tanpopo/index.html

ありがとうございましました。

  研修の最後は相模原市社会福祉協議会、ここも米軍施設がある町ながら、大きく発展した街で、今では相模湖町など津久井郡までも合併し、70万政令指定都市となっている。この70万の人口を有する市と商産業連携の条約を交わしている立科町は7000人の人口、思えば頑張っている我が町(また言ってしまた)である。

ここの社協では事業の詳細や運営に関する諸々を情報交換し、社協の管轄範囲があまりにも広大なため各地区に分散した支部がそれぞれのボランティアなどと交流を図っているという。本音では1万人前後の行政区での社会福祉の在り方が理想的はなかろうかということだ。

相模原市社協 http://www.sagamiharashishakyo.or.jp/

この大きな社協を参考に何を取り込むかなどは立科町としても学ぶことは多い中、優先順位となると難しい選択であろうか。しかし、ボランティア活動などは大きいとか沢山という数ではなく少なくても質を大切にして、心通うまちづくり が必要だと実感した。

市役所の中には売店バオバオがあり、そこでは福祉施設で作られた、さまざまなんものが売られていた。

 手芸

陶芸

 菓子類などなど、全員がここでお土産を手に入れて

っと云うことで、帰りのバスに乗り込みました。

立科町には夕日に迎えられ日没と同時刻に到着でした。スケジュール満載の二日間の研修も一晩過ごしての書き込み、記憶も枕を通すとすっ飛びます。

いただいた沢山の資料を読み直し知恵とズクを出し会わねばなりませんネ

お疲れ様でした。。

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赤十字とボランティア どちらも聞きなれた言葉だが 

2010年11月16日 | 日記

11月16日(火) 晴れ  冷え込んだ朝  風が冷たい一日

昼からはすずらん学級という教育委員会社会教育が仕掛けた町の中の様々な分野を学ぼうという企画だ。

第17回と年間で24回学習会が開かれることになっている。今回は赤十字社から講師を招いて『ボランティアを学ぶ教室』謳っている。ボランティア=赤十字と云うがそう簡単な法則があるわけではない。主題は「もしも人間社会に赤十字の活動がなかったら」と結構強気のタイトルとなっていた。実際赤十字・日赤の赤い羽根の共同募金などの集計を見ても金額が少なくなっている。

立科町のように全戸が社員として年間600円以上の寄付をしていても集まる金額は少ない。しかし、話を聞いていると、慈善事業の発祥の元と云える活動と成っているのには頭がさがる。この町でもボランティア講座やAEDの講座など開いても、懇切丁寧に推してくれるのは日赤法師団からきている人たちだった。

      

講演はタイトルとは方向はちょっとだけずれていたが、高齢で79才を誇る講師が90分間立ちっぱなしで熱く語るのには、少々心配する気持ちも含んで感謝としたい。

終えてからいったん家に戻り、夜に開くこれもボランティアの集まりで、10月の30日に軽井沢開かれた、ボランティアフォーラム参加者に集まってもらい意見交換会を開いた。

全員では21名が参加したが、今日は17名の参加となり、10部門あった分科会に関わった人は全員出席してくれたので、良い意見が聞けたことがよかった。

夜の会議と云うことでお茶と菓子、みかん程度を用意して望んだが、皆さんハッキリと意見を述べてくれたのがよかった。最終的には来年2月にボランティア活動発表会があるので、そのときにまとめを発表することにしたい。

熱い意見がでたことはボランティアに熱心に立ち向かい、自分にとって何が出来るか、よりも、自分がどのように成長できるかを考えながら参加すると云う。真のボランティアは普段の生活の中で気がついたこと、気がついたときに自ら行動を起こすことがボランティアなのではないかと述べた人がいた。

こう言う仲間たちに支えられて町が、俺が共に前にすすめるのは心地よい環境に思う。終了予定時刻を20分もオーバーしてしまったが、片付けも全員が手をだしてくれたことに感謝をしたい。

 

 

 

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土日はマキワリもせず 多忙な一週間を迎えた

2010年11月16日 | 日記

11月15日(月) 雲は多いが晴れ  冷たい風 雪マークがついた天気予報

朝飯を終えたあとに外へ出て生ごみの処理をした。 

空気が冷たく寒さに慣れてない体には真冬よりも寒いように感じた。寒さを感じることと歳は関係ないと思っていたが、11月なのにこんなに寒いなんて ・ ・ ・

午前中は午後の打ち合わせの資料をつくり、つでに夜の打ち合わせの分にも手をつけた。ところが、人さまからプリントしたものもらいそれに色を受ける程度でお茶を濁そうと安易な気持ちだった。ところが、どうしてOCRのソフトがうまく動かない。

Mがパソコンを買い換えたのでそれに合わせて、俺も試供品のOffice 2010を仮インストしてみたのがいけなかった。なんだか慣れないというか ・ ・ ・

出かける時間ぎりぎりまでまで取り組んだが結局は無駄な時間だったようだ。公民館で打ち合わせをしたのは、20日に歴史研究会の町外研修ということでそれの、しおりや諸々を打ち合わせた。自家用車に分乗していくのだが、ご婦人たちはグループ毎に廃車までして参加申し込みをしていた。

約1時間の打ち合わせを済ませ、次は明日の夜にあるボランティア研修の意見交換会の打ち合わせを社協でしたのだが、以外にも時間がかかり、研修ツアー予算的なことでボタンの掛け違いがあったようだ。

兎に角準備は滞りなく済ませて帰宅したのは3時を過ぎてしまった。家にも戻ると浅間山麓には低いが鋭い光線が射しこんでいた。山の色も完全に変わり秋模様となっている。

すぐにPCを開き夜の会議?の資料作りをした。この会議は町活センターのパンフを作ろうと云うことになっていたが ・ ・ ・

3人で話を詰めるということになていたが、一人は家族にご不幸があり当分はこの作業には出席できないのだろうか?二人で物事を決めるのだから早い。

最も二人でも男女だと難しいのだが、男性二人だと話は早い。明日の夜の会議のことも打ち合わせを済ませることができた。

我が家では2日前からMが採ってきたキノコが食べられないまま置いてある。

ビニール袋の封をあけてナニダケだろうかと判らない二人が思案しながら箸をもって集合している。

こういう時に俺は人よりも数倍大胆にはなれない性格なのだろう?笑って人生を過ごすのもよいし、頭が弾けて野垂れ死にするのも良いと思う。

シラナイキノコハタベナイホウガヨイと町の広報でも言っていた。

 

 

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黄砂が天気予報を狂わし 俺のやる気も削いだ

2010年11月13日 | 日記

11月13日(土) 昨日に続き 天気予報が外れる 黄砂がひどい。

 

昨日12日は午前中薪割りをした。

長い樹をチェンソーで45cmに切り分け大方細い物は積み上げて片付けた。残っているのは太い木ばかりだがそれも残すとこ少しだけになった。今日の予定では朝から薪を割って積み上げる作業を一日の予定としていた。

ところが、昨日の午後から中国の砂漠で低気圧が舞上げた黄砂が日本まで来て地上に降りてきていると言う。天気予報道は朝から晴天で風もない絶好の薪割り日よりとしていた。

俺は黄砂が苦手だ。喉がいがらっぽくなっり焦げたような臭いがする。

結局、今日は外に出なかった。火曜日にありボランティア研修会の資料をつくったり、犬たちと家の中で遊んで過ごしてしまった。外を見ると割っただけで山積みにされているが薪が俺のことを見ているようだ。

この黄砂さえなければ一気に片付いてしまうのだが ・ ・ ・ 

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凩ではないと云うが 山の姿が秋色に変わった

2010年11月10日 | 日記

11月10日(水) 晴れ   強風 が 吹きまくる   生暖かい一日

昨日からの強風は夜中にも木々を揺さぶりながら朝になても吹きつけ続けている。

家の中から外を見ると寒そうに見えるので防寒具を着込んで外に出てみると生温かい。東には蒼く山並みのが続くが中央には荒船山がタンカーのように見える。

風が強いのに雲は定位置かのように止まったままだ。風も西からと思っていたが東から吹き込んでいる。低気圧が北にあるために南からの温かい風が入って来ているのだろう。

昨日は冷たく強い風が吹き込んで、チェンソーの切り屑が高く舞上げられた。今日も風が強いと云うが差ほどでもない。薪作りをしたいところだが、昨夜の社協・広報誌の編集会議で新たなことが投げかけられ、会議の整理を俺なりにしておかないと来年度には間に合わなくなる。 

強い風に舞う落ち葉と云うわけでいつの間にか白樺の下の方の葉は散ってしまった。風の当たるのは梢の方が強いと思うが、細く柔軟性があるので 葉が振り落とされることがないのだろう。

山は一気に秋色に変わった。先週末の二日間は霜が降り地表が白く見えるほどだった。明日あたりは山へ行くと唐松が金色の雨を見せてくれるだろうか?

     

昨年の今日はストーブに火を入れた。寒がり屋のSalaは直ぐに前に陣取り自分の居場所と決め込んだが、今年はArgoがいる。Argoとのバトルは見なれているが彼には初めてのストーブ戦争となるのだろう。 

 

今日は暖かいのでストーブまでは必要ないが、新たなバトルは少々不安でもある。 

 

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外仕事は一段落 タマネギとストーブの準備

2010年11月08日 | 日記

11月8日(月)  晴   温かな陽射し  昼からは風が強くなる

久しぶりに畑にでた。

9月に秋野菜の種を蒔こうとコンポストの堆肥を入れたのだが、鹿の餌を作るのか?の声に諦めた。

鹿や獣たちに食われないタマネギが良いと云うことで、苗をくれた。

伸びた草を刈りとり軽く表面を起こした、タマネギを植えるには床を叩いて締めなければならない。

一雨欲しいところなのだが ・ ・ ・

 一通り起こしてから、来年の春用に何か種を蒔いてもよいかと思い、適当に起こした。

早く芽がでれば必ず鹿に食われるだろう。鹿も餌場だと思えば仲間を誘い団体で来るようになるが、それはお断りだ。そんなことを思うとなにか適当に種を蒔くと云うわけにはいかない。

 

畑仕事はここで終わりとして休憩がてらに庭を一巡した。

吉祥草は大方、既に花が終わっているが石の間で陽が射さないところの物は花が開きだした。この花は日陰はダメかと思い植え替えをしようと思った矢先だった。

花はストレスがあった方が危機感を感じて子孫を残そうとするそうだが?

果たしてそのストレス加減が分からなくては枯らしてしまうかもしれない。 

 

南側の庭先では小さなミニバラが花を開いているいるが傍らの枝では赤い実が成っている。季節を忘れ、温かさに身を任せて花を開いてしまったのだろう。霜にあたったためか花びらが縮れているのが可哀想だ。  

 

昼飯前に薪づくりでギロチンを2回済ませておきたい。1回積み上げた薪に3カ所チェンソーを入れると4分割される。

この細い薪はストーブの脇に運び込むのは回数が多くなるので嫌がる。と云うか見ていても大変な作業なのだ。

薪ストーブを設置するときは熱効率だけを考えて部屋の奥へ据え付けてしまった。しかし、薪運びを考えると窓際の方がよいだろう。また、真冬の冷え切った空気を遮断しているガラスが耐寒用になっていても近くは寒い。だから窓際にストーブを置くのが常識らしい。

その点、我が家は常識外れは桁外れだと思う。

結局は2回目のチェンソーは終えたが、切られた薪を運び込む間で昼飯の声がかかった。

今日の昼飯はキノコづくしだと云うので、裏山が見えるところを飯場とした。クリタケやナメコ?ヒラタケ、それに大根の煮付け。

もう一つは大野の上庄芋という里芋だが、これが美味いぬるぬる感がなくしかも実が堅いのがよい。焼いてもヨシ煮てもよい代物だ。

飯は友人からもらったシメジを入れた炊き込みご飯だった。

デザートはカイジだろうか?透き通るムラサキピンクの美しい大型のブドウだった。美味い、巨峰のようにくどい甘さではなくほのかな甘さに薫りがいかにも秋を感じさせてくれた。 

       

昼休憩はしばし南の庭を廻ってみた。ここでは夏の間は黄色い花?白?ゲンノショウコウ??の葉が見事に紅葉していた。

野の草も季節の移ろいで彩りを魅せてくれるが、土地の人は枯れてると云う。 

午後は再び薪づくりを開始、積み上げたリンゴの木を一気に18本くらい切るのだが、春の葉がでる前に切り倒した木は暑い夏を過ごし、枯れている。

チェンソーの刃がきしむような音を立てながら重なり合った太い木を切る。結局午後は陽が短く影が長くなってきた。 

 あまり根を詰めて作業をしても怪我をしかねない。少しだけ小休止をしようと思っていると枯れ葉が舞って足下に落ちた。のぞき込むと葉ではなくキタテハだろうか?彼はこの冬は越冬するのだろうか?落ち葉は掃いてしまわずに蝶たちが葉の下で冬を温かく過ごせるようにしておこう。

蝶たちもこの温かな狂った季節をどのように過ごすのだろう?

温暖化だから温かい冬だと思っていたら、ラニーニャとかで厳しい冬になると云う。雪が多い寒い冬を乗り切るには今月中には薪を片付けておきたい。

既に真っ暗になってしまったが、心地よい疲労感がある。

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ふれ愛むら環境フェア 曇天から晴天へ

2010年11月07日 | 日記
11月7日(日)  曇り   温かな弱い陽射し 昼には 快晴となる

風もなく太陽の温かさが薄い雲を通してきた午前十時、ふれ愛むら環境フェアの開会式です。


開会式のあとは振る舞い餅つき、相性が良すぎてタイミングが合いすぎるのか


開会式よりずっと前にいち早く始まったのが男性陣の豚汁作りです。
薪を焚き大鍋で煮込む豚汁は味噌の香りが皆の腹を呼びます。


雲が切れて陽射しが影をクッキリと落とし始めたころ、手話の会の始まり。
日常生活に無くてはならぬ手話を会話の手段にしようと指文字から手話といろいろ教えてくれます。

     《立科の手話の会は隔週水曜日公民館で夜7時から学べます》

社会福祉協議会ではワタアメの実演ならぬ、体験コーナーです。
誰もが自分で作ってみたい、俺が作ればもっと大きく ・ ・ ・
そう 思った昔を思いださせてくれました。


消費者の会は町内スーパーではおなじみのマイバック運動やアクリルタワシ、環境に優しい石けん、日常生活の一工夫を教えてくれました。


開会イベントの餅つきは見事、きなこ と ごま に包まれて皆さんの腹に収まるの待ってました。


温暖化防止推進員会+たてしなエコ・クラブでは太陽光発電と手回し発電機で競争です。
LEDと白熱球の消費電力を体感すると電気のムダに思わず納得です。


JA有線放送のアナウンサーSさんとエコ番組リード役Nさん、有線放送には今日のイベントの取材をお願いしました。


あさがお会では花の種、野菜の種の配布です。
立科で代々受け継がれている野菜の種、花の種は繰り返し同じ種類の葉が咲く優れものです。


たてしなホームところころりんの会のゲームコーナー
10円のゲームで30円の景品がもれなくもらえると大盛況でした。


お昼も過ぎてこのイベントも絶好調で盛り上がるころ、舞台でではマジシャン加藤が主演。
見事な手さばき、脚裁きとますますの芸達者、盛り上がりました。


楽しいイベント次々とコーラスが入れ替わり、最後は全員合唱です。

    前を向いて 歩こう

  涙がこぼれても いいじゃないか

    泣きながら 歩く

  ひとり ぼっちじゃなかった夜

          (くりかえし)
     幸せは 空の上にはないよ

     幸せは 胸の中に

と 楽しい一日の終わりを更に楽しく歌い上げました。


テントを降ろし荷物を片付けて 今年のふれ愛むら環境フェアの幕が下りました。
今年で3回目、1回目は残念なくらい少ない人、恥ずかしそうに店開き
去年は沢山の人が来てくれて驚きました。


今年はなんで、こんなに沢山の人が、しかも家族連れで、小さい子も中学生も  ・ ・ ・
大勢の人が来てくれたことに驚きました。
来年の責任を感じながらテントを片付けて、トラックに積み込み ・ ・ ・
でも ~ 環境フェアも少しだけ 中途半端です。
ハンディーを持った人がもっと社会で同じように振る舞えるような町にしたい。
そういう町にしなければいけません。
やはり、来年も今年以上に来てくれる人を 前を向いて 迎えよう。

役場職員の方、スタッフの方 ありがとうございました。
沢山の写真 多すぎるくらいですが ここまで読んでいただきありがとうございます。

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