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田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

田舎暮らし願望 <夢の実現を誓って>

2007年09月03日 | ふるさと回帰予備校
『ふるさと回帰予備校』と云う聞きなれない言葉だが、今期から我町商工会の肝いりで団塊の世代、いや30才代までをターゲットにしてこの町へ誘い込む活動が始まった。 不肖小生も都会から移り住んだ者として参加を促され企画会議、体験カリキュラム作成にと足を踏み入れた。
田舎暮らしと言えどもパターンは様々文字通りの十人十色の生き方・住(棲)み方がある。
下記の記事は俺の田舎に移り住み且つ5年を経過した経験から、書き留めてみた。
田舎暮らしの先達のご意見をバシバシ コメントをいただき、より良い町になればと思う。
向後 ヨロシクと申し上げたい。

田舎暮らし願望 <夢の実現を誓って> 
はじめに 
  私が生まれ育った東京武蔵野市、昭和22~3年、もの心が付いた6歳くらいだったと思うが、田舎と云うよりも戦後の荒廃をまざまざと見せていた。家の近くにゼロ戦のエンジンを作っていた中島飛行機の工場が米軍の爆撃で廃墟とされ、そこが遊び場の一つでもあった。工場の物資や生産物を運ぶ鉄道の錆びた線路に朽ちたままの蒸気機関車が残っていて格好の遊び場でもあった。田舎にノスタルジーを覚えたのは蒸気機関車につながる原風景が心に染み付いていたのではなかろうか。
  田舎暮らしに適応することは農業の知識でもなく、人付き合いの極意を習得していることでもない。ただ一つ、自然界の全てに好奇心を持つことが必要と思う。しかし、闇雲に全てに好奇心を持つことが良い結果を招くわけでもなく、それを必要とするか・しないかを見極める術を習得しておかないと採りとめもない不可思議な世界へ没入することになってしまう。
田舎暮らしには幾つかのパターンがある。一つは集落の中に住み、全てを受け入れて住民としての義務を果たすことから初め、変えられるところは代えて、変えられないところは受け入れる姿勢が必要だ。しかし、その中で自己主張や意見は明確に理路整然として行くことで習慣を変えていくことは可能と思う。また、二つ目は、田舎の風景や自然のみを相手にして、人との交わりを嫌う人には別荘地か町や村が造成して作り上げた住宅団地を選ぶとよい。此処では都会の郊外に住まうのと同じことで伝統的な文化は存在しない、ややおもすると隣の住民が何をしているか判らないまま過ごしてしまうことがある。残るパターンは農業や養鶏など業を目的とした田舎住まいで、これらには行政やJAなどの支援団体があるが、事前に資金の準備と専門的な研修を受ける必要があるだろう。
私自身の田舎へ移り住んだ目的は、空の区切りがビルの四角い角や直線で区切られるのではなく、自然の山や木の形で空が作られる景色を求め、また、土を素手でいじることができる安心な土地を求めることも同じレベルだった。現実には小さな集落に入り理解できない習慣や因習もあるが、自らそこへ立ち入り何故を続けていくことが大切だと思う。

初めの一歩
 予備知識 ・・・・・・・・・ 本の読み漁り
 45才から ・・・・・・・・ 現実的な将来計画 60才で仕事をやめるには
 55歳チャンス到来 ・・・・ 職場とプライベートの区切り
 土地の模索 ・・・・・・・・ 東信州を範囲とした 南向きなだらかな斜面を探す
 思わぬ出会い ・・・・・・・ 田舎暮らしのエリア発見・即購入決定

現実的な田舎暮らしに向けて <青年の心を持って>
 土地購入手続き ・・・・・・ 信頼から始まる
 土地の造成工事 ・・・・・・ メールとインターネットが役立つ
 集落を知る ・・・・・・・・ 土地の生活を垣間見る
 上下水道の組合加入の不思議 ・田舎のインフラのしくみ
 
家を建てる <施主と棟梁はヤジロベー>
家の建築 ・・・・・・・・・ エネルギーを使い果たす
設計と造作 ・・・・・・・・ 「判った」 と 「する」 の違い
見積もりと契約 ・・・・・・ 話し合いと心を通わせる
トラブルの対処 ・・・・・・ 価値観の違いを理解する
 
田舎に住まう <田舎の常識・話せば判る>
 転居の挨拶 ・・・・・・・・ 集落の組織を知る
 集落の儀式 ・・・・・・・・ 知らない人のお弔いに出かける
 賦役 ・・・・・・・・・・・ 突然の集金にとまどう
 道普請と出不足金 ・・・・・ お金の行方???
 道路補修を集落で ・・・・・ 資材は行政、人手は集落
 宗教的行事 ・・・・・・・・ 秋祭り、御燈講、収穫祭 神事や仏事が集落の行事
 人とのつながりが大切 ・・・ 1人では何もできない

趣味を生かす <エンジョイ田舎暮らし>
 薪ストーブ考 ・・・・・・・ 薪材の収集と薪割
 畑の作業 ・・・・・・・・・ 空いている土地はいくらでもあるが
 行政組織の活用 ・・・・・・ 公民館や福祉センターにはボランティア、趣味の会が多い
 住民活動に参加 ・・・・・・ より広い範囲の人脈が作れる

コメント (2)
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ふるさと回帰予備校企画会議

2007年08月09日 | ふるさと回帰予備校
8月9日(木)晴れ 雲一つ無い快晴 山は超涼しかった・・・・熱い夕方
早めに起きだして窓を開けると涼しい風が吹きもむ・・・・・
新聞を広げ、爽やかな風を受けながら目を通す。
この時間帯がなんとも言えない落ち着いた空気が漂う俺の好きなひと時だ。
朝飯のあとは慌しく出かける仕度をする・・・・
そのときに愛息Salaが俺のところに科挙って来ると同時に玄関の訪問者を知らせるピンポンが鳴る。
TH先生が「此処の集落へ来たので寄った」とのこと
独居老人に食事を配るボランティアで来たのだそうだ・・・・
到来物だと言って梨と、お手製のトウモロコシを届けていただいた。
お礼を言っているそばから、次の予定が迫っているとかで、軽トラをバックで坂を下りていかれた。
ありがたいやら申し訳ない・・・

9時半の定刻五分前に商工会へ着くと同時にTH先生も同時だった。
今日は『「ふるさと回帰予備校」講座カリキュラム作成事業』というプロジェクトの初会合があるので誘われていたのだ。
都会で田舎生活を目指す30代から団塊の世代をターゲットに立科町へ呼び込みを展開しようと云うことだ。
会場を立科高原女神湖近くの民宿Aのダイニングルームで設定したあった。
里を出て急登の道をワンボックスで登り切ると民宿Aに着く。
車のドアを開けると高原の涼しさが身体を包む!!
汗ばんでいた肌が引き締まるのが解る。
この民宿は高原の開発と同時に里から高原へ移り住んだそうだ。
テーマを決めて語り、「田舎の良いとこ困ること」など現実的な例を出しながら話が進んだ。
この民宿も昔ながらの和室8部屋を有する規模、部屋を覗いてみると山の施設特有のカビ臭い空気にむせる。
昼食にカレーをメインにした田舎料理がでた。
量が多すぎて食べきれない・・・・
食後に纏めの話し合いをして2時すぎに里へ下りた。
これが展開すると、田舎暮らしの希望者に先輩として有意義なサポートができるようにならなければと身が引きしまる思いだ。

夜は7時30分から町老人福祉センターで『分館人権同和教育指導者養成講座』がある。
人権・同和ということは法律でも新しい方策を採らなければならいのに、この町は同じことを繰り返すだけに留まっている。
今日の課題は「部落史から問題を考える」とある。
講師は長野県教育委員会事務局文化財・生涯学習課・人権教育係 小宮山公一先生が解説をしていただける。
明治維新前までは被差別の人たちも職業をもっていたこと。
銀閣寺や竜安寺の庭作りも被差別の人が作ったことなど、明治以降の差別化が著しくなったと興味有る話を聞いた。
中でも、現在この世で生きている日本人は親子の繫がりだけで考えても20代遡れば100万に27代遡ると1千万人、さらに50代遡り平安時代の祖先を考えれば1億人以上の人へ繋がることになる。自分の中に被差別の血が流れえいないわけがない。
人は白も黒も無く黄色も赤も無く、皆平等なのだ!!

今までに無くよい講座だったと思う。

コメント (2)
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