田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

パリジャンに 焼かれた俺の 夢を見る

2008年01月31日 | 日記
1月31日 曇りホンの少しの陽射しあり さむ~いぃぃぃ 一日

昨晩の天気予想は大はずれ!!
快晴の朝を向ける積もりがいつまで経っても暗く時間の感覚がわからない。
最近は朝夕の日が延びたことにやっと慣れたのに・・・・・暗い。
障子を開けると南東に僅かに黄色く朝陽の気配があるが上空は青黒い雲で覆われている。

午前中は町民歴史公開講座のチラシ作りに専念して会の役員へメールで校正をお願いした。
昼前に薪運びと生ごみの堆肥化作業で外に出ると、空気が冷たい。
寒暖計を見ると左側が-温度を測り、右側は+を計るようになっている。
また、この温度計は最低と最高を記録できるようになっているが、現在の温度を見ると表示が合っていない?

昼間飯を済ませてから出かける予定にしていたが・・・・・
Mが明日のパンがないと云う!!!
予定を変更してパン作りをするが、今日は本格的なフランスパンに挑戦してみよう。
粉とイーストと塩だけで焼くが・・・・・
捏ねてから一次発酵はオーブンを使う。

外を見ると雪が降り始めている・・・天気予想は予定と同じ・・即変更なのだ。

外を眺めたりストーブに薪を入れたりしていると一次発酵も完璧。
ベンチ、成形となり、二次発酵の後に、二つのオーブンに分けて焼いてみた。
片方は高温の蒸気で焼き上げるというエクシオ・・・・・流石にそとはパリパリ中はふっくらと焼けた。

しかし、その頃にはここ山裾の集落は凍てついたモノトーン一色に包まれていたが僅かに向かいの落葉松林の頂に夕日が射したのだ。

朝の黒い雲や昼の雪はどこかえ消え失せ、空には雲一つない。
なんとなくピンク色がかった空が茜色に変わるのは時間の問題と東の窓へ向かった。
窓を全開にして浅間連山をパチリパチリとしながら、夕焼けに染まる浅間を待っているときに・・・・
なんとなく怪しい殺気と同時に叫び声が聞こえたような気がした!!
ああぁぁぁ・・・・オーブンを覗く!!
頭は夕焼けばかりに霧中となり、オーブンのことは何処かえ飛んで行っていたのだ。

簡単にはパリジャンには会えないものだろう・・・・
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蕎麦喰いは 病と病気が 遠ざかる

2008年01月30日 | 健康
1月30日(水)快晴 直ぐに黒い雲に覆われた 晴れ 暖かな一日

目覚めと共に東側の障子を開ける・・・・

写真のようにまだ俺の集落には朝陽が届いていないが浅間山には陽が当たっている。
昨日一日降った雪は湿り気があったためか木々にびっしりと凍り付いているようだ。
着替えてからリビングへ行くとさっきまで快晴だった空に雲が西から流れてきている。
雲のしたから僅かだが鋭い陽射しをこちらに向けている。

10時半に採血が有るので佐久総合病院へ向かう。
雪が溶け出してウインドウに撥ねがあがり、ウオッシャーを使いワイパーを掛けるがきりがない。
信号が黄色に変わったのでそこで止まった・・・・
交通安全遵守はウインドーの汚れ回避につながるのだ。

順調に駐車場に着いたが相変わらずの混雑で昨日は雪が降ったために今日に廻した人もいるのか???
ところが、今日はスペシャルラッキーで左側2代目の車がでるところだった。
通路に止まっている車もあるが、軽トラで来た甲斐があった!!
今日はよいことがが続く・・・
採血と注射をするのだが、次が眼科の時には通常注射は後回しになりたらい廻し状態になるのだが、一気に注射もやってくれた。
次は眼科、2ヶ月ぶりだから・・・今日は瞳孔を開き、麻酔の薬を射す!!
11時に予約で順調に呼ばれ中待合室で待つ。

ここで待つ間に眼圧を計るために麻酔の目薬を差すのだが・・・・
この待合室の壁には眼に知って置かなければならないことが張り出してあるが、読めない。
眼が眩しく読めないのだ・・・・
やがて名前が呼ばれ中へはいると、眼圧を計るとなんと14と13と云う!!
嬉しい・・・・4ヶ月前は25・・・とか云われてやがて確実に目が見えなくなりますね!!て云われていたのだ。
新薬のお陰なのか神様のおぼし眼しか????嬉しい。
緑内障の経過変化なし!!今日は全てが嬉しいのだ。
次に内科へ行く、ここではいつもは1時間半くらい待たされるがほんの少々待っただけで診察となった。

時間待ち掲示が2枚しか表示されていない珍しい現象だ。
眼科から階段を下りてここへ来る途中で血圧を測ると125:75脈80と表示されチケットがでてきた。
これも嬉しいの一つだ、いつもはジッと目をつぶりボーとした時間を30分位してから計らないと140以下にはならないのだ。
人間は良いこといことづくめで自分の思いとおりになれば、健康なのだなぁ~
内科の診察では血液検査の結果がコレステロールの値が高いというで、TVで見たABI検査をして動脈硬化の測定をして貰らいたいと申し出ると、それでは次回3月の時にやりましょうという、そしてついでに体表超音波検査もやるという。
どのようなものかは知らないがありがたいことだ。
健康の時にいろんな検査をやっておけば、具合が悪くなった時にわかるというものだ。
あっという間に診察が終わり今日は嬉しい一日だ。
会計を済ませてから運転が心配なので少々休んでから帰ることにした。
時間をおいてから駐車場で車に乗り込むと・・・・眩しい、景色がボンヤリとしか見えないのだ。

写真で表すとこんなものだが、これに眩しさを追加した状態だ。
千曲川を見ながら少しだけ休み昼飯を食いに中込の『めん茶房つたや』さんへ向かう。
http://mensabo-tsutaya.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_db52.html
ここの蕎麦は拘りの店主が心と身体で打った蕎麦で俺好みの蕎麦だ。
また、蕎麦のおかずについてくるかやくご飯に載せてある佃煮が絶品なのだ。
思わず食べ尽くしてしまってから写真を撮るのを忘れ、店主夫妻を蕎麦と佃煮代わりに味わって欲しい。

今日は旨い蕎麦も喰い、病院の検査結果も良好・・・
店主曰わく 毎日蕎麦を食やぁ病気なんぞにならねぇ~ そうだ!!
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音が消える 雪降る 夜

2008年01月29日 | 日記
1月29日(火) 雪    チロチラ雪も時間の経過と共に・・・・

静かな目覚め、障子を開けるとやはり雪が降っている・・・・
いつもの粉雪とは違い湿り気のある雪なので積もらないだろう
9時に役場へ着くように家を出る。
舌まで降りるとごみ収集車が止まり道をふさいでいるので少々待つ。
役場へ着くまでに雪が積もっているところは皆無だった。
午後からの文化財保護委員会へ「たてしな歴史研究会」の公開講座に展示する町の文化財を借用する申請書を提出しなければならない。
慌てて書いた文書なので少々心配だが、教育委員会の後援も同時に願い出るように書類を提出した。
果たしてどうなることかは判らないが・・・・毎年やっていることなので大目に見て欲しいものだ。
役場からの帰りには雪が朝よりは多く降っている。
近くの寺の参道だったんのだろうか灯籠と石碑があるが、雪を被っていてきれいに見える。

明日までに公民館へ提出しなければならない書類もまだ書いていないので、書き出す。
しかし、雪の降る庭の崖部分で鶯の地啼きだろうか?
盛んにチッツチッツと激しく啼いているが姿は見えない。
直ぐ近くにいるように大きな声で啼くのでよ~く覗いているもると・・・
鶯とは別のとりが何かの塊を啄んでいる。
嘴が尖っていて身体は丸い・・・

シャッターを押して直ぐに飛び立ったがヒヨドリだった。
寒い中なので身体を丸めていつもスマートなヒヨドリには見えなかった。

午後は、歴史研究会のチラシを作った。
3時に公民館にTH先生が講演の要項を届けてくれるというので、それに合わせるように家を出た。
午前中の雪景色とは大違いでしっかりと降っている。
公民館に俺の提出する書類と借りていた本を指しだし、TH先生の原稿を受け取った。
帰りにスパーマーケットへより買い物をしていると、〃集落の女性KMさんが完全武装して顔には大きなマスクをしている。
風邪でもひいたのかそれとも予防対策か・・・・・
家の近くまで戻ると雪の降りが激しくなって鎮守の森の冷え冷えして見える。

夕方までに公開講座のチラシを仕上げて教育委員会へ送信しておいた。

まだ先の話だが・・・大勢の人が来てくれると嬉しい。

雪明かりもない外 音もない静かな夜
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山裾にも 一足早い 年度末 (折竹)

2008年01月28日 | 日記
1月28日(月)快晴 穏やかな一日 差ほど寒さを感じない

昨晩書き上げた長野県「地域の元気支援金事業計画書諸処」の書類を抱えて役場に向かった。
役場ではアポを執っておいたので待っていてくれた。
提出書類を纏めてだすと、1頁づつ丁寧に読みながら7種類に目を通してくれた。
それからは書き足りない物、文言を役所言葉ではない言い回しにに直すことや、予算書の書き方など細かい処まで修正を指示してくれた。
購入を予定している太陽光発電装置の補助金だけではなく事務費や付随する材料費なども計上する旨教えてくれた。
一通り終わってから他の部署に呼ばれていたので廻ったりしてから家に戻ると昼近かった。

昼にはMの友人が来るというので昼飯は一緒に摂るようにと云われた。
午前中に修正してもらった書類の訂正をしていると友人がきた。
昼飯はスモークサーモンを使った押し寿司と稲荷寿司でどちらも酢がきいているので美味かった。
毎日こういう昼飯だと良いんだが・・・・
客人が来るのは大歓迎なのだ!!
午後は2時から町の老人福祉センターで商工会主催で『新春経済講演会』が催される。

5分前に会場に着くとビッシリと席が埋まっていて後のMさんの隣があいていた。
時間道理に始まり、三田育雄氏が演壇に立ち、群馬県川場村の町おこしの話題だった。
地産地消、地域の物が自ら作る物が都会の人に人気があり売れるという。
この町の道の駅「田園プラザわかば」の話で、30年間の業績を解説した。
いまでは立派な施設が完成したが、初めのころは大変だったそうだ。
http://www.denenplaza.co.jp/service/kokuzo.html
この施設は四角の建物は作らないを合い言葉にして孤軍奮闘してきたようだ。
現在は“ファーマーズマーケット”“蕎麦処虚空蔵”“ビール工房”“ぱん工房”“ミルク工房”“ミート工房”等大きな建物が出来ている。
ここでの売り上げは年間5億円だと云うが、建築物の償却、維持管理費など独立採算で出来るのだろうか??
http://www.denenplaza.co.jp/service/index.html
後援者は自らこのプラザを立ち上げて育ってあげてきた方だから儲かってるということは云いことだろう・・・・

3時半から他の打ち合わせが役場で行われるため講演会場をでたが、このあとの質疑ではどのような話題になったのだろうか・・・・

家に帰ったのはどっぷりと暗く冷たい風が漂っていた。
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PCに向かい 一日がすぎてしまった

2008年01月27日 | 日記
1月27日(日) 晴れ 穏やかな一日

朝飯の前に外を眺めているとジョウビタキが戻ってきている。
昨年は人になれて直ぐ近くまで飛んできていたのだが、同じ鳥だろうか?
梅モドキから桜の枝先に飛び、振り向きざまに少し先の小屋の屋根に移る。
動きが敏捷で尾羽でバランスを取りながら飛び移る姿が良い。


朝飯の片付けをしてから、昨晩の続き長野県の「地域発 元気支援金」を申請する書類を纏める作業についた。
http://www.town.tateshina.nagano.jp/3_information/genkizukuri/(1221)genkidukuri.html
これは町民の有志で作っている「たてしなエコ・クラブ」の基材を購入する資金を調達する計画だ。
小・中学校のイベントや町内のボランティア活動に活用したり、クラブの自主イベントにも必要だと云っている物だ。
会員個人でソーラークッカーを購入して持ち寄ったり、家にある物を利用して活動を続けているが・・・・
太陽のエネルギーをデンキに替える装置は自作するのは難しく、せめてキットを購入して組み立てて使いたい。
しかし、価格も高価のため支援機が受けられれば様々な地球温暖化対策の実験が可能となる学習用教材なのだ。
http://www.st.rim.or.jp/~hide/nmkit-list.html
クラブの庶務係をしてくれているYTさんから金銭収支の表が送られてきたので、それを決算書に作り替えた。
今年度の活動報告書やプレゼンテーションで使ったレジメなどを揃えてほぼ10頁の書類が整った。
明日は役場の担当課へ出向きお伺いを立ててみよう。
すんなり通と嬉しいのだが・・・・・・
あっという間に一日が過ぎてしまった
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空気のようなラジオやテレビ いろいろあるのだ

2008年01月26日 | 日記
1月26日(土) 晴れ 快晴 風もなく穏やか 空気は冷たい一日

町のケーブルTVで放送している地上放送の送信の可否が地上放送事業者と有線テレビジョン放送事業者で攻防していると云う。
尤も地元蓼科ケーブルヴィジョンは20数年間地上放送会社と協議の上で再送信をしていることで、2011年のデジタル化に向けて地上放送会社が今までの協議事項を見直すと云う事は身勝手な問題だと思う。
この問題の背景は『2011年の地上デジタル放送への完全移行を前に、地上放送事業者と有線テレビジョン放送事業者の間で区域外再送信の同意に関する協議が難航し、このままでは地上デジタル放送の円滑な普及に支障を及ぼす懸念がある』また、『情報通信審議会からも、再送信の制度の在り方について検討すべきとの指摘があったところ「総務省に於いては、有線テレビジョン放送事業者により再送信に関し、有線テレビジョン放送の実態及び通信・連携の進展を踏まえ、受信者の利益の保護並びに地域ニーズに対応した多様な情報の制作、調達及び流通の促進の観点から、制度の在り方について今後幅広く検証すべき。その際は、著作権法に基づく著作権及び著作隣接件の処理の観点にも充分留意すべき』と言うなんだか判らない問題が発生しているという。
この所管は総務省で行っておりパブリックコメントの締め切りが今日までなのだ。
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=Pcm1010&BID=145207235&OBJCD=&GROUP=
今までTVやラジオは空気のような物で、チャンネルを廻せば当たり前に見ることが出来ると思っていたが、色々あることが判った。
前からコメントを送らなければと思いつつ期限ぎりぎりの今日になって文章を確認してメールで送信した。
このようなことは俺がたまたま番組審議委員をしているから得た情報で、町民にも情報公開しても良いのではなかろうか?

昼飯は前から願っていたキビをいれた飯を食した。
5合の7分ツキの米に茶こし一杯では少ないかも知れないが・・・・

炊きあがりは・・・・キビが少な過ぎたようだ・・・・・

昼飯の後に外へ出てみると北側の山の向こうに烏帽子岳そして子烏帽子と雪を被りきれいに並んでいる。

土手の上に乗ってみると北側の屋根には雪が残っている。
瓦を白で埋め尽くした向こうに浅間が見る。

3時を過ぎると陽射しも弱くなり西側のこんもりした山裾へ隠れていく。
この日の最後の光線を強がりのように光を集めている。
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日の出 陽の入り 10時間

2008年01月25日 | 日記
1月25日(金)晴れ 風は穏やか 厳しい寒さ

日の出少し前に目覚めるといつもより空気が冷たい。
直ぐにストーブに薪を入れて空気孔を開く。
洗面所へ行くと東の窓に昨夜の風呂上がりの湿気か、水滴が結晶状になっている。
更に温度が下がれば雪印になるのだろうか・・・

外に出てみると寒さを差ほど感じないが、温度計を見てみると-10°を示している。

役場近くに設置されているアメダスの温度を見ると午前7時で-9.4°になっている。
http://weather.yahoo.co.jp/weather/amedas/20/48381.html
拙宅の温度計は下屋の北側で高さは1.3m位の処にある。
外気温度の正しい測り方で百葉箱の高さを調べると「通常、地上1.2~1.5mの高さに設置する(世界気象機関の規則では、地上1.25~2.0mの高さで測定することになっている)」そうだ。
そんなに厳密に計る必要はないが、気になるものは正確に計るに越したことはないだろう・・・・

朝飯を済ませた頃に集落の家々に太陽の光が届き始める。
我が家はありがたいことに高台のために朝陽を受けるのが集落では一番早い。

午後は下屋の片付けや、ダンボールで生ごみを堆肥にしたを物をビニール袋に取り込んで熟成させる作業をした。
家に入りストーブの灰をバケツに移し中をきれいにしてから火を付けた。
灰が貯まりすぎているときよりも、空気の通りが良いのか勢いよく燃える。
厳寒期は薪の使用料も増えるので灰はこまめに掃除をしたほうが燃費が良さそうだ。
休憩しているときに外を見ると背黒セキレイが雪解溶けしたアプローチを行ったり来たりしている。
ムシを食べると聞いているがこの雪のある時期に虫がいるのだろうか?

陽が伸びたとは云っても5時には暗くなってしまう。
http://www.nao.ac.jp/koyomi/dni/2008/hdni21081.html
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花もちは 寒さに 正比例

2008年01月24日 | 日記
1月24日(木) 冷たい風が吹き雪を舞い上げる 太陽の光が眩しい

昨日の夕方にしっかりと除雪して夜には月まででて晴れ渡っていたのに・・・
朝方、それも遅くなってから雪が降り新聞屋の車の跡も綺麗に新雪に消されている。
旅の疲れが出ているのか・・・、昨日の除雪作業のためか背中と腰が重い。
ゆっくりと朝飯を摂りストーブに薪を入れたりして時を過ごした。
黒い雪雲に覆われていた空から太陽の光線が軒の氷柱を照らした。
一瞬のことだが光がきれいに反射している。

10時半に家を出て隣町望月警察に向かった。
11時から安全協会の自動車運転者講習会がある。
そう聞くと聞こえはよいが昨年暮れに免許更新手続きをしたときに、4年前のスピード違反の減点消化のためだ。
そなことで忘れた頃に講習を受けるというアリガタサ!!
6月に交通ルールが大幅に変わるというので・・・・由とするか。

家に戻ったのは12時30分、新しい免許証は平成25年12月迄有効になっていた。

午後は町の公民館で男女共同参画の講演会が有るという。
広報で知ってはいたが・・・・元バレーボールのオリンピック選手が来るというが、余り興味はない。
しかし、一昨日の蕎麦会の席で主催者の一人から誘われてしまい行かないわけにはいかなかった。
13時30分に会場へ行くとほとんど女性で席が埋め尽くされていた。
講演が始まると何故かテンションの高い元バレーボール選手が声を張り上げて自分の手柄話に興奮している。ように見える・・・
前半と後半に別れるというので俺は席を立ち家に戻った。

洗面所にどこかで見た花が水に浸けてあるのでMに聞くと、正月用に買った花だという。
昨年12月初旬に買った花(アリストメディア)がまだ元気よく咲いている・・・・
これも家の中が寒い所以だろうか?
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越前の香ほり 大正ロマンがにあうまち

2008年01月24日 | 日記
1月24日 雪が風に舞う 曇り 晴れ 風が冷たい

福井の旅から戻り早3日目、玄関には越前水仙が甘い香ほりを漂わせている。
この水仙は福井市に住まわれているMの先輩でもあり師匠的存在のKさんが、俺のブログ読み・・・・
福井に来てるのなら家に寄るだろうと云うことで、越前海岸まで車を飛ばし買い求めてくれたものだ。

Mが3日目に驚かそうとして電話をして「これから直ぐにお宅へ伺うから・・・」と話したが、彼女は素知らぬふりをして「待ってる」とだけ答えたそうだ。
お宅へ着いて帰り際に水仙とカサブランカを渡されて・・・・
Mはその顛末に吃驚していた。
ホテルからのブログ発信を直ぐに読んでくれていたのだ。
また、このブログにいつもコメントを頂く信濃屋中米氏も福井の思い出がおありとのコメントをいただき、路面電車が気になっておられたようだ。
ホテルの前にも線路が通っているし、市内にどのくらいの路線網が張り巡らされているかはしらないが、旅行中のブログに乗せた電車と同じようにいろいろなコマーシャルが描かれている。


ノスタルジーを感じさせてくれるのは路面電車だけではなく、町のあちこちに点在する懐かしさを感じる建物がうれしい。

また、福井の名物というと食べ物では直ぐに『越前蟹』があがるが、これは日本海特に北陸で採れる蟹の種類は同じで場所の名前だけが冠になっている。
本当の地元の食通から云わせれば『ヨーロッパ軒のソースカツ丼』と『3年物らっきょ』だろう。
ヨーロッパ軒の店構えは名前とは異なり、大正ロマンそのもので店の壁はタイル張りになている。
また、この店の「カツ」は薄い肉に衣を着けたものでこれに合うソースが特別に旨いのだ。
今回は店に行けなかったので写真をUP出来ないが・・・・

福井へお出かけの方は是非立ち寄って頂きたいものだ。
http://r.tabelog.com/fukui/rstdtl/18000015/

市内を通る道は旧国道8号線があり、駅近くの足羽川に架かる橋は架けたばかりで広くなり通行が優しくなった。
駅舎は国道より少し奥まったところにあり近年大改装されている。

また、国道脇には裁判所があり、古き良き時代的な石造りの偉容を放っている。

海岸線へ向かうと荒海の様相は全くなく波頭が白く砕けてはいるが、上空には青空が見える。
日本海の冬の海は荒れ狂い水平線と空の区切が見えないような重たい雲がたれ込めてないといけない。
今年のような青空がでて、陽の当たる場所で海の色が変わる景色を見たのは始めただ。

海岸線の松がムシにやられ沢山伐採されていることは旅行中のブログにかいたが、新たに名所として『荒海と文学』と称して散歩道が設けられたようだ。


県庁所在地という福井県の中心地としながらも、大正ロマンや昭和の景色が当たり前に存在している街だ。
昭和23年6月の震災により江戸や明治の建物はほとんどが焼失してしまったが、
太平洋側の都市のように戦後の陳腐な近代化はなく、高層(10階)の建物は数えるほどで圧倒的に平屋が多い。
また、歩いてみるとホウロウの看板が今でも板塀に普通に貼り付けてあるような雰囲気がある。
日本全国住みやすい街の1,2を競っている都市だからロマンを感じる。
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白夜を思わす 雪中の陽 

2008年01月23日 | 日記
1月23日(水) 雪 夕方まで激しく降る 夜には晴れ間が
朝方から降り始めたのか久しぶりに激しく降っている。
午前中は片付けものをしながら送られてきた書類に目を通したりして過ごした。
昼からは友人宅へ土産物を届けに出かけた。
雪のためか車の通りが少ないような気がする。
県道まででると道路の雪は黒くシャーペット状になって車の走りはまったく問題はない。
今日の雪は細かく湿り気の少ない雪なので、スピードを上げると雪煙が上がっているのがバックミラーに見える。
帰りには津金寺の前を通ると白と黒のコントラストが美しく山門の形を表していた。

集落内の神社もすっぽりと雪景色に包まれ、メルヘンチックな装いを醸し出している。

雪が降ると距離感が解らなくなり、いつも見ている景色も別物のように見えるから不思議だ。
家の廻りを歩いていると西の木立を見上げると太陽がでている。
地上の積雪加減を覗いているのか雪の降りは激しくなっているのに不思議な光景だ。

夕方になり気温も下がり始めたので除雪を始める。
エンジンは直ぐに掛かり勢いよく雪を飛ばしているが、方向を変えようとすると動かない。
秋に点検したときにはレバーの動きに合わせて簡単に左右に上下に動いたのが・・・・
潤滑剤やグリースを吹き付けるがあまり効果はない。
仕方なくレバーと手で動かしながらの作業となり、手間は掛かったが1時間半で作業が終了した。

短時間で出来たのは途中までは集落のKSさんが大型トラクターにブレードを付けて除雪してくれたのだ。
集落内は町の福祉バスが通る道は役場から請け負った地元の土木会社が除雪をするが、他の生活道路は自分たちでやることになっている。
集落に住む大きな機械を持っている人が生活道路を除雪してくれるのはありがたく感謝感激なことだ。
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蕎麦会に 幼き友の 消息を聞く

2008年01月22日 | 日記
1月22日(火)曇り 少々寒さを感じる

暖かな海沿いの福井市に4日ほどしか滞在しないのに、山裾へ戻ると寒さを感じる。
目覚めもホテルとは異なり空気の冷たさを感じるのは仕方のないことか?

9時半に町役場隣のJA2階での会議に出かける。
2月3日に町の老人福祉センターで開かれる「生き生きネット」での分科会にむけたものだ。
分科会の名称は「農と環境コーナー」として、内容は「もったいないから始める循環型農業」としている。
会議は進行役のJAのYさん、町の環境を考える会の面々女性3名と男性は俺一人というメンバーとなっている。
打ち合わせはバッチリと決まり、当日に各人が忘れ物をしない限りは完璧に打ち合わせが完了して散会となった。

家に戻ると午後1時近くになっていた。

午後は小諸で『元気塾』なるものがあるのだが、朝お誘いがあったが今日はパスすることにして良かった。
昼飯の後に近所の方から頂いたと云う大きな干し柿がデザート代わりにだされた。
干してもこんなに大きな柿は木に成っているときはそのくらいなんだろうか??

ケーブルTVのHさんが見えて、ケーブルテレビと他地域の民間放送の在り方について話をしてくれた。
知らない世界のことだが、日々の生活に密接に関係有ることで資料を貰い少々勉強してみようと思う。
彼が帰られて時計を見ると5時15分前だった。

5時から近くの名刹津金寺で蕎麦会があり、誘われているので慌てて出かける。
昨年から自分でも蕎麦を打つことになって、今までの食べるだけではない蕎麦の奥の深さを垣間見ることが出来るようになった。
津金寺に着くと既に打ち方は済み蕎麦切りの最終段階だった。

広間にはしっかりと折り詰めが用意され、酒、ビールと全てが整っていた。

親しくしているTさんが新潟で高校教師をしていたことを初めて聴きいた。
俺の幼友達で高校までは一緒だったが、大学を出てから新潟で教師になったことを聞いていたが、そのTT君を知っているかた訪ねると、極親しくしていると云う。
奇遇なものだ・・・・
連絡先を教えて貰うことにして、蕎麦会も散会となった。

我が家へ戻るとホテル暮らしで少々不満気味だった愛息Salaもストーブの前で機嫌を戻しているようだ。

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和のしきたり

2008年01月22日 | 本の話
1月22日(火) 薄日が射す 風がないので寒くはない

最近町の図書室から借りてきた本が楽しい。
『和のしきたり「日本の暦と年中行事」』監修=国立歴史民族博物館教授 新谷尚紀さん 出版は日本文芸社

親から伝えられた意識はないが、何気ない習慣でやってきた行事や言葉のいわれが書かれていて納得する。
今の若い人たちは旧暦の言葉すら知らないと云う者がいるが、それが潮の満ち引きや月の満ち欠けに間れしている事などが分かりやすく単純明快に表現されている。

幼い頃に柊に目刺しの頭をさして玄関脇に飾ったのを思いだすが、目刺しの(鰯)を鬼が嫌うこと、鬼は生臭い者を嫌うということなど、言葉で読むと楽しい。
鬼は酒を嗜むのに塩辛い鰯の目刺しを肴にすると飲み過ぎて役目が果たせなくなるのかも知れない・・・・
こんな事からいろいろ想像していると最も俺の得意とする瞑想に耽るようになる。
自分自身は悦に入っているのだが、他人様は「何をボンヤリ遠く見ているのだろう」そろそろ徘徊が始まるのでは?と心配して声を掛けてくれたりする。

そんな俺には最適な本、目次を列挙してみても楽しい。
第一章の「しきたりの背景」では、日本人の自然観・・豊かな気候風土で育まれた自然崇拝。
「二十四節気」では立春・清明・白露・秋分など二十四の季節の目安が記されている。また、十二支と陰陽五行、六曜星など神秘的な自然の不思議を解明してくれる。
第二章では年中行事のしきたりで、初午・事始め・社日などがある。
この社日では「種蒔きの前に土地の神様にご挨拶をする日」とある。
これにはここ立科町でも蓼科山の涌水を里へ引き、その恩恵で開拓した塩沢新田があるがその一番奥に社口と呼ぶ神様の祠を納めてあるお社があるが、ここでも田の作業の折々にお祭りをするという。

この本には四章まであり、集落の日々の生活の中で行われている習慣や行事のことが文字にされているのがうれしい。

この本の姉妹版『和ごよみと四季の暮らし』写真で綴る「やさしい」暮らし歳時記が出版されているそうだ。


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何故か 家路には スピードがあがるものだ

2008年01月22日 | 日記
1月21日(月) 晴れ・・・・・曇り 

昨夜は超早寝のため雀よりも早く目覚める。
目が覚めると午前2時20分・・・・
余りにも早いが眠れない仕方なく顔を洗い歯を磨き・・眠れない・・・
やがて4時半・・・温泉だと云うので行こうと思うが電気がついていないのだ?
布団の中でしばらくじーっとしているが・・・
今日は移動日だからしっかり寝ておかなければ、と思うと余計に眠れない。
やがて朝飯が7時半だというので起きだして、食堂へ向かう。
宿泊者全員が大広間で朝飯を食うようになっている。
相変わらずの海ずくし・・・簡単に済ませて部屋に戻る。

俺たちだけ10時のチェックアウトにでるため部屋でのんびり過ごす。
荷物を車に積むため外へ出るが暖かい・・・
こんなに青空が広がるのも北陸の冬のイメージは消えてしまいそうだ。

Mの運転で金津インターへ向かうが、越前の海には欠かせない松の木が枯れているのが目に付く。
少し進むと国民宿舎近辺では軒並み切り株が目立ち美しい海岸線が近い将来には消えてしまうのではないか

高速に乗ってから氷見のSAまではMが運転を続けた。
ここの売店で驚いた物を見つけた。
なんと『烏骨鶏かすていら』と名打った超高価なかすていらを売っていた。

また、手前の棚には長野県小川村の個人が提案者として商品化されている味噌が3種類売っていた。

更には氷見牛のカレーというパッケージが有ったが、内容物を見ると鶏肉と書いてあり牛のカレーなら鶏肉を使わないでほしい。
どこでもご当地ブランドを発掘するのだろうが、高速道路のSAが有るのは最高の販路だと思う。
ここのSAには「木曽義仲昼寝の岩」と云うのが鎮座いて大きな石碑までが建っているのには驚いた。
蓼科の兜岩のようなものだろうか???

ここからは俺が運転手と言うことで一路愛息Salaのお泊まりのホテルへまっしぐら。
17時少し過ぎに東御のインターへ降りたのでした。
我が家へ到着は18時少し前・・・・ヤッパリ家がよい とのことです。
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食べることで過ごす一日

2008年01月22日 | 日記
1月20日(日) 薄曇り 信州に比べると暖かい

今日はイベントもなく昼にこのホテルでMの音楽仲間に会うことになっている。
3日続けて同じ朝飯を食するためにレストランに降りるエレベーターの中に高校生がいる。
センター試験を受けるために泊まっているのだ。
いつの頃からか俺が勤務していた大学でもホテルが当たり前になり、次には高級ホテルまでが学生を対象にするようになった。
朝飯を済ませて11時のチェックアウトまで部屋で本を読んだりして過ごした。
荷物を車に積んでから外に出ると暖かい陽射しがある。
冬に福井に来て青空を見たり太陽の光があるのは初めてだ。
12時前にホテルのレストラン入り口に着くとやがて次々にエレベーターから友人が現れた。
そのタイミングが手品のようなのだ楽しい。

ランチを揃って頼み、話の花が咲きだすとこれまた料理以上に賑やかだ。
あっという間に2時間が経ちお互いに長野の物と福井のものを交換し合って楽しく過ごした。
なんと言ってもMの明るい友人たちでまるで同級生のように楽しそうだ。

店を出てホテルの下で別れた。
俺たちは駅前の店を眺めながら小一時間過ごしMの友人宅へ向かった。
友人とは云っても大先輩でお世話になった方で今でも親しくして貰っている。
途中に懐かしい店屋を見ながら・・・・・和菓子屋なのに素麺屋という屋号なのだ。

Kさんのお宅へ立ち寄るとキチンと片付けられた部屋にシンプルで形の良いポットが置いてあった。

お一人で暮らしておられる生活には至極便利なポットだと云う。
楽しい一時を過ごしてお茶に添えられていたお菓子と金平糖を包みしていいただいてしまった。
金平糖のなつかしで俺は全てを食べてしまったのに・・・・・
次に向かうのは今日の宿、海沿いの料理割烹「満月」という店だという。
パンフレットで見ると素敵な館なので楽しみだが、到着したのは5時を廻っていた。

ここでは、Mの姉様夫妻とMの母親が揃っていた。
まぁ、葉は娘で仲むつまじく過ごすところに他人様の旦那2人がいても仕方がないので休むときは隣の部屋が男衆の場所だという。
直ぐに食事だというので別の部屋へ案内された。

ここでも海の物づくしで少々メタポの俺にとっては困ったことになっている。
食事も一時間少しで部屋に戻ると女衆の話が盛り上がる時間・・・・・

早々に引き上げて就寝ということ・・・・
お休みなさい


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ヘシコ食い 焼き笹鰈に 舌鼓

2008年01月19日 | 日記
1月19日(土)福井にて  雲の切れ目から除く朝日 北陸らしくない明るい空

昨夜はホテルの暖房が異常な暑さ(熱さ)のまま下がらず・・・・
七転八倒しながらも窓を開けようと試みるが10階の部屋故か窓が開かない!!
電気をつけてみると鍵がついている・・・・・
飛び降り自殺を防止する意味合いから施錠していると我慢・・我慢・・・・
汗ビッショリになりながらやがて空も白み始め朝を迎えたのでした。
無理矢理に窓を開けなくて良かったと思うほどに高いところに部屋は在ったのだ。

朝飯を摂るために2階のレストランにいくと和食、洋食と用意がされている。
しかし、中華がない・・・
こういう外での朝飯はおかゆを好んで食べるようにしているが・・・・
仕方なくクロワッサン風の小さなパンとパイ生地を使い中にチョコレートバーが入っているパン。
二つとも小さなパンで500gの粉だと30個くらいはできるのではないか!!
これにレタスとミニトマト3個、そして紅茶と森永のカップに入ったヨーグルト。
大体は家の朝飯と変わらないもので済ませた。

1時間ほど部屋でくつろぎ、それからは結婚式の会場へ出かけた。

青年牧師の進行でホテルの中での挙式だった。
その若い牧師がなんとも云えない趣がある。
アメリカの田舎で育ち協会を中心とした社会で育ったのだろうと想像させる。
無事に式も終わり笑顔満点のお二方・・・

今日の結婚式は両家?の身近な縁者で執り行われたため式の後は会食会となったそうだ。
すべてが終わった後たのは2時半、部屋へ戻り休憩した後に町へ出てみた。

数年前に来た時の寂れた町は見事に蘇っていた。

かつては織物の町として栄え大正時代の立派な石造りの建物が見られたそうだが、S23年6月に大きな地震がほとんどの歴史的建造物が倒壊したと言う。
それからの復興は目覚しく90年代のバブル崩壊から一気に景気が落ち込んで来たと言う。
ここ数年は老舗のだるまやデパートがSEIBUデパートの色が濃くなったのかLOFTができてから若者が舞い戻ってきたという。
ロフトに入ってみると若者はおろか中年までもがたくさんレジに並び、賑やかさが隣のビルまでも巻き込んでいた。
駅近くの交差点は都会並みのスクランブル式の横断歩道だった。

しかし、駅構内に入るとやはり寂しい・・・・・
小諸と佐久平の両駅を比べるとわかるが、小諸のように福井の駅はノスタリジーが染み付いていた。

ホテルに戻ったのは7時少し前だった。
TVのニュースを見ていると小諸で土砂崩れがあり、高速道路を塞いだと言う。
トラックも巻き込まれたが大事にならずに済んだそうだ。
晩飯を食するために2Fの和食やに行ってみた。
昨日の店と同じだが、今晩はカウンターに付くことにした。
寿司もできると云うので・・・日本海で採れる魚をお任せで握ってもらった。
そのあとに福井の名産ヘシコ(鯖の糠漬け)は塩が強いが握ってから炙って出されたので美味
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B8%E3%81%97%E3%81%93
「へしこ」には苦い(塩辛い)経験があるので、寿司ネタになるなんて思いもしなかった、ためらっていると「農山村の郷土料理百選」にないっていると云う。この言葉に弱い俺だった。それではということで握られたのがことのほど旨かった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B2%E5%B1%B1%E6%BC%81%E6%9D%91%E3%81%AE%E9%83%B7%E5%9C%9F%E6%96%99%E7%90%86%E7%99%BE%E9%81%B8次は若狭鰈(笹鰈)の焼き物、美しく包丁を入れて串を刺して焼いて出してくれた。
食べるのに霧中になり写真に収めなかったのは至極残念・・・・
http://shopping.nihonkai.com/himonoya/products/1127231097/
流石に家で焼くのとは大違い美味なこと申し分ない食事ができた。
ユアーズホテルの和食屋「橘」 これからのホームグランドにしよう
http://www.yours-hotel.co.jp/

今日のブログも写真取り込みができませんでした。
町の繁華街にはUSEケーブルなど関連の店がないという・・・・
数軒歩き回ったがだめでした・・・・自宅へ戻ってからにします。


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