田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

寒いときには焚火? 焚火と云えば 焼きイモを選ぶ

2009年11月30日 | 日記
11月30日(月) 曇り   一時雨  冷たい風  

このところ暖かさが続いていたが、今日は寒さを感じた。
太陽がでない日が2日も続くと部屋の中では本格的にストーブを焚かないとならない。
今日こそは焼きイモを作ろうと思い立ったので、先ずは灰を多くするために細い枝を沢山入れた。


3時を過ぎたころにはヤキイモ釜よろしく環境が整ったので、イモを洗い、新聞紙で包んだ。


新聞で包んだイモをボールに水を張り、包みをどっぷりと水に浸けた。


水が滴り落ちるまま次にアルミホイルでしっかりと包み込んだ。
これだと火力が強いストーブの中に入れてもイモが焦げることがない。


しっかりと燃えて灰になる直前の薪をかき分けてアルミホイルに包んだイモをおいた。
アルミホイルに赤く燃える炭状になった薪が写り込み凄い形相を呈している。
このまま約、1時間空気を遮断した。


トングで掴んでみると大分軽くなっている!!
イモの水蒸気がとんでホクホクのイモに変化したような感じた。
十三里半と云うクリよりも半理だけ美味いと云う昔の人はウマイことを云ったものだ。
取り出した包みの下の部分はアルミホイルが剥がれるように薄くなっているが新聞紙の内側は焦げていなかった。
ここまで開くと香りがストーブの上昇気流に昇り家中に香っていく。


テーブルの皿に乗せ遅めのおやつの時間となる。
それまでは自分のベッドの中に潜り込んでいた愛息Salaは定席にいつの間にか座っていた。
直視をすると涎がたれて怒られるので横目でしっかりと行方を見ていた。
十三里を超すほどまではいかなかったが少々水分が多めのねっとり感がある焼イモになっていた。
ねっとりしたイモきんとんのようだがこれにも栗は付き物のようだ。


夕方のTVではクレヨンしんちゃんのお別れ会を報じていた。
このブログにも登場する荒船山で亡くなられたとこと・・・・・
なんとなく親しみを感じる物言いが懐かしさを感じさせてくれた。


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ちょっと淋しい 霜月の前晦日

2009年11月30日 | 日記
11月29日(日) 曇り  風が冷たくなる  夕方から 雨

午前中から昼飯もとらずに一日中PCに向かった。
12月の2日迄にやらなくてはならないふるさとプロジェクトのウォーキングマップの最終版を仕上げなくてはならない。
ほぼ出来上がっているのだが、独断でなんでも作ってしまえば良いのだろうが・・・・
皆で作ることに意義があると意見を聞けばいろいろ出てくる。
かと言って意見を出した人が最後をまとめてくれるわけではない。
そんなことを承知に上で再び提案型に作ってしまった。

もう一つは4日の町民活動センターの会議資料を作る。
広報誌の編集会議に申し合わせ事項のたたき台を作っておかないと会議に時間ばかり掛ってしまう。
会議は90分以上やるのは御免なのだ。。
長引く会議は皆が同時に話し始めることが多く緊張感が保たれない表れだと思う。
あとは広報誌の割り付け見本やキャッチコピーやミニ・コピータイトルをどうするかなど少しは提案するものを書き出しておかないと・・・・

そんなことを考えながら一日過ごしてしまった。
太陽も顔をださないので光の陰も表もないのでカメラも手にしなかった。
ちょっと淋しい霜月の前晦日だった。
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第28回 佐久地区 ボランティア研究集会

2009年11月28日 | 日記
11月28日(土) 夜半に雨  雲は多いが晴れ  暖かな一日

夜中に雨の音で目が覚めたが同時にYさんに連絡をすることを忘れていたことを思い出した。
パジャマのまま起きだしてPCでメールを打ったが寒くはない。
明日も暖かいのかと思いながら再び寝室へ戻った。
時間を見るのを忘れたがそれからひと眠りして目が覚めると浅間は雲海と雲の間から僅かに朝陽をあびていた。
頂上からなだらかな稜線に沿って噴煙が転げるように落ちていくところに太陽の光がスポットライトのようだ。
こう云う景色を見るとワクワクして元気が出てくるのが不思議だ。


今朝はM共々8時15分役場に集合して佐久穂町の生涯学習館「花の里・茂来館」へ行くことになっている。
佐久ブロック社会福祉協議会主催のボランティア研究集会が開かれ立科町からは10名が行くことになっている。
集合時間の5分前に着いたが、誰もいない・・・・
車から降りて社協の玄関へ行くと職員のFさんとNさんがいた。
雨でなくて良かった・・・とか、暖かいのがよいとか・・・皆が来るのを待っている間の会話をしていたが5分が過ぎても誰も現れない。
俺が今日は皆遅いですね・・・と云うと・・・
Fさんは「4人です」と云う。
俺は「一昨日の会議で10名と聞いた・・・」と云うと
Fさんは「10名が参加人員の枠です。皆さん来ていただけないんですよね」と云う。
驚いた!! 俺も今日は“こめっこエコ体験学級”の最終日で終了式もあり蕎麦打ちの収穫祭なのに・・・・
仕方なく俺ら夫婦と社協の職員2人で車に乗った。


会場までは約一時間で到着、佐久穂町は2年前に地域のデマンドバスの視察と図書館の見学で来たこともある。
会場となっている茂来館は建物内に図書館やホールもある大きな施設になっている。
玄関には立て看板が掲げられ佐久地域の2市6町3村の集まりで当番制で会場を移動していると云う。
今日の参加者は約100名となっているが圧倒的に女性が多いのはこの世の常のようだ。


会式の後は今日の研究集会の説明があり、テーマが『災害から地域を守る種をまこう』となっている。
この地域の大きな災害は1783年浅間山の天明の大爆発と千曲川の大反乱寛保2年1742年に起きた洪水≪戌の満水≫と云われている。
現代には災害がないと云われている地域なので災害に備える心は少ないように思う。
そう云う中で炊出し訓練と云うよりも実習をして昼飯を作ることになっている。
スクリーンに大きく写しだされたオムスビの作り方・・・・
飯の時間には少々早いようにも感じた。


11時からは講演があり講師は長野県赤十字救護隊の隊長福島朝雄さんが演壇にたった。
消防署の所長を経歴にもつ実践派の話は現実味をもっていて聞きごたえがあった。
災害ボランティアに行くには全てを本人の責任で顎足マクラは自分で用意するものだという。
1時間の講演時間内を手際よく話をまとめられたのは素晴らしかった。


昼食は午後の4つの講座に分かれて摂ることになったが、ラップで包んだ炊出しおにぎりに豚汁の簡単なものだった。
これだと大勢の食事を用意する必要もなく余るものも少ないので良いアイディアだろう。
しかし、実際の大気出し訓練をするにはハイゼックス袋を使った米から炊く非常食作りの方が講座的には意味があるだろう。
食事の後はAEDの講習会、昔の言葉で人工呼吸を今では胸骨圧迫と云うそうだ。
心臓マッサージと云うと肩を揉むように胸を揉む人がいるので胸骨圧迫に変えたと云う。
AFDは日本語では≪AあってEいーな D電気ショック≫と云うそうだ・
これは何回も講習を受けているのだが、イザやってみるとシドロモドロトなるから不思議だ。


2時半に一日の研究集会が終わることになるが、全てが終わって会場を出たのは3時近くなっていた。
集会の企画から講座のプログラム、南佐久の町村の役員さんが準備をしっかりとして戴いた印象が濃かった。
大きな施設があるから楽なのだが、この施設は普段どの程度の人が活用しているのだろうか?
立科町人口の差は対して変わらないと思うが・・・・・
簡素な立科の箱物政策は堅実だが・・・・・
そんな想いを馳せながら帰路の一時間は早いように感じた。


お疲れさまでした。
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予定が埋まるのは良いのだが 内容のない会議はごめんだ

2009年11月27日 | 日記
11月27日(金) 霧   晴れ  今日も暖かな一日  

太陽が上がる前に起きだして外を見ると僅かに霧がかかっている。
東信州では11月半ば過ぎから12月には霧が発生することが多い。

日の出前の浅間山は霧が発生していることもあるが噴煙もなく頂上付近の縦じまの雪模様も見えない。
ただ静かに朝を迎える雰囲気が裾野の静けさで感じる。
晴れていれば裾野は厚い雲海で覆われるのだが今朝は碧くボンヤリとしている。


朝陽が昇る時刻よりだいぶ遅くなって南東の隣の集落との境に岬のように張り出したところから陽が昇り始めた。
一番奥に見える荒船山は霞の中にうっすらと浮かぶように見える。
太陽が高さを増すごとにオレンジと紅のグラデーションが回転するのが美しい。


朝一で歯医者へ行き、生まれて初めての入歯の型合わせをした。
奥歯の2本だけが遂にだめになり、入歯を入れた方が良いと進められた。
2本の入歯は小さなものだが、実際に口に入れて見ると煩わしさを感じた。
何もしなくても厚ぼったさを感じるのだから、これで物を食べるとなるとそうとう抵抗があるものだろう。
しかし、歯医者では俺に奥歯2本を作るために口の中の上下の歯全てを石膏のようなもので作ってあった。
医者に恐る恐る聞いて見た“この入歯が口の中に治まったあとは石膏の歯は捨てるのですか?”
医者は『入歯を作るための方ですから・・・・ね』
俺(すかさず)“欲しい・・・戴けますか??”と聞いた。
医者は至極簡単に『いいですよ』って言ってくれた。
平静さを保って良いと云ってくれるのは・・・他にも欲しがった人がいるのかもしれない。
来週の金曜日12月4日に歯医者に行くことになっているので、その立派な型をUPすることにしよう。

そんなやり取りをしながらも歯医者の椅子に座っていたのは瞬間的な短時間で合わせは終わった。
午前中は昨日のテープ起こしの読み直しをして修正したりした。
短時間で終えることができたが・・・・
とは要点をまとめておくことと、来週の会議迄に広報誌の企画案を作っておくことだろう。

夕方までには2本の電話で来週中の会議を知らせてきたが、遅いというか急すぎるのがいやだ。
二本とも役場絡みのものだが、遅くても2週間前には予定を決めておきたい。
手紙でも想わぬ会議が入るのは来年度の予算の関係だろうか?
5時を過ぎたころには南の空は秋の空のように僅かに紅に染まった雲を見ることができた。


予定が埋まるのは良いのだが・・・・・
内容のない会議はごめんだ。
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暖かな一日 家の中に籠もり夜に出かけた

2009年11月26日 | 日記
11月26日(木) 晴れ  風もなく暖かい 一日


早朝から起きだしたのだが、昨夜の会議の内容が気になり直ぐにテープ起こしに取り組んだ。
テープと行ってもICレコダーなので要所にインデックスボタンを押しておくことで簡単に戻ることがきる。
この機械は15年近く前のものだろうか?
大分前から使っている。

使い買っては簡単で長時間録音ができるのだが・・・・・
文字化するにはソフトを使うよりも耳で聞きながら書いた方が早いのだ。
ソフトを使ってもだれの声でも文字になるわけではなくいろいろ難しい。
耳で聞いても男性の声がだぶっていると殆ど聞きとりは不可能だ。
その点女性の声は高音で似てはいるが微妙に異なるので聞きとりやすい。
早朝からから初めて朝飯と昼飯を挟んでほぼ終わったのは2時を過ぎていた。

2時間の会議の最後の締めまで到達したのは3時になっていた。
再び頭にもどり声を聞きながら文字を追ってい行ったが一時間くらい進んでやめた。
それは集中力が途切れだしたのだ・・・・・・
やっていることがバカらしくなってくると文字を追いながら頭の中は別のことを考えるようになる。
っと云う訳でこの後はパソコンの機能を使い文章校正を始めたがこれもスムーズにははいかない。
会議で話をしている人の語尾に特徴がある言葉などは入力ミスとなってしまう。
書きだしたワードをホルダーに納めて終了とした。

しばし、休みをとってから7時のたてしなエコ・クラブのスタッフミーティングにでかけた。
気心知れた仲間と環境フェアのこと有線放送のエコ番組の音などを話し合った。
12月のエコ番組はスタッフのF君の自転車党によるエコ移動について話してもらうことになった。
ギアの使い方でエネルギーの省力化が可能なのかなど自転車の奥の深さをエコしてもらうことにした。
あとは12月の忘年会地産地消でマイ箸、マイ茶碗、マイ皿、マイドリンクと完全に個人主義に大宴会となることだろう。

21時ジャストにボランティアルームを出たがそとは異常に暖かい夜だった。                  
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雨上がりの暖かい一日 

2009年11月25日 | 日記
11月25日(水) 曇り 暖かい 午後には青空が広がる

第4水曜日と云うことで佐久病院へ予約を入れてある。
9時に社協へ行き夜の会議の打合せを済ませた。
病院までは30分・・・国道は青信号が続き最短時間だった。
採血と注射は直ぐに終わったが、内科の待合室は椅子が開いてない。
風邪が流行っているので患者が多いのか暫くは病院のギャラリーなど眺めながら時間をつぶした。


一回りしてから血圧を測ると相変わらず低く上が100程度だった。
眼科のある二階へ階段で上がり一回りして戻り、再び血圧を計ってみると110程度まで上がっているが下の数値に変化はなかった。
離れたところに椅子が空いたので腰かけたが時計を見ると12時近くになっていた。
内科の予約は11時半午前中の最後の人なのだ。
持って行った本を広げるが読む気が起こらない。
ボンヤリしながら名前を呼ばれるまでは相当の時間が経過したように感じた。
俺の順番が来て診察室に入ると、先生は血糖値が今日も低いですね。
これ以上低いのが続くと体に影響が出ると云う。
俺自身は全く気にもならないのだが・・・・・
診察を終えたのは2時を過ぎていて、会計を済ませて家に着いたのは3時だった。
簡単に昼飯を済ませると急に睡魔が襲ってきた。
東の窓からは浅間山が雲の切れ目から顔を出している。
昨夜の雨も暖かい南の風が入ったのか雪にはならなかったようだ。


しばし、爆睡をしてしまったが気がつくと既に日が暮れて電燈が着いていた。
慌てて見なおした部分を印刷して夜の会議に出かけた。
町民活動センターと云う新たな組織作りも軌道に乗り始めている。
課題が多いが今日の会議で統一した方向へ進みだしたのがよかった。


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憂鬱な一日  食すと云うことを大切にしたい

2009年11月24日 | 日記
11月24日(火) 曇

昼前に急にMが佐久に行くと云いだした。
目的はともかく、家で食事をしてから出かける方が俺にとってはよい。
いままでも外食をして嫌な気分にさせられたことが多いのだ。
特別に旨い物を食おうと云うわけではないが、人に食べてもらうために食事を作る姿勢は素人も商人も関係ないと思う。
俺は家でそれほど手の込んだものでなくても素材が判るものを食べるので充分なのだ。

そんなことを思いながらMの運転する助手席に座った。
走り出してすぐに国道254号線の極楽坂にさしかかる。
ここはS字が連続して急坂なので毎年、雪の降り始めは車が脇へ突っ込んでいる難所になっている。
この難所対策として既にバイパスが完成していて、合流する国道142号線を渡って役場へ向かう道もバイパスに合わせて改良されている。


R142号線からバイパスに入る右折車線もできているが肝心のバイパスには二重の柵ができており進入はできない。
これにはR254の西に進む部分では自家用車がすれ違うのも困難で、大型トラックなどはどちらかが延々とバックして交わさなければならない事情があるのだ。
来年3月までには拡幅工事が完成すると云われているが・・・・・
これも難しく先が見えないような状況だろう。

長野新幹線佐久平駅に向かうと浅間山が大きく見えてくる。
山裾から見る角度が90度近く変わった場所となるので頂上付近の形が台形に見える。


頂上の左側に見えるゴツゴツした表情を見せる前掛山は山裾から見ると浅間山に重なって見える。
南(佐久平)から見る浅間山と西の山裾、また、東の富岡付近から見る浅間山は全く違った姿を見せてくれる。
富士山はぐるっと一回りすると表情は変わるが山の形は其れほど変わらないように想う。


用事は簡単にすんだのだが、飯を食おうと云うの駅の近くで・・・・と云うことで
またも、裏切られた!!
別に特別に旨いものを目指して入った訳ではないが、人に食べ物を提供しようと云う姿勢が見えていない。
しかし、数組の客が入っているのだから其れなりに営業できているのだろう。
もう少し足を延ばし、いつもの蕎麦屋へ行けばよかった。
嫌な気持ちが増すばかりなので途中で店を出たが・・・・・
家に戻ると2時半、車が勢いよく入ってきたので畑に置いたまま鳥の餌としているヒマワリから鳥が飛びたった。
低い位置にある太陽に照らされて鳥の羽が黄色く見えたカワラヒワが来ていたようだ。


晩飯は冷蔵庫の片付け・・・・・
とMが云っていたが、昼飯より格段の美味さだった。
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静穏とi云う 正月のようだと思ってしまう一日

2009年11月23日 | 日記
11月23日(月)≪勤労感謝の日≫ 湿り気のある朝  暖かで静かな一日

いつものように夜明け前に目が覚めると雨が落ちているような音がする。
「あめかぁ~」と想いながら再び寝入ってしまったようだ。
次に起きた時に既に太陽の光は障子を僅かに照らしている程度だった。
時計を見るとあれから3時間を超すほど寝入ってしまった。

昨日、配り損ねた資料を4人分を持って昼の時間に合わせて出かけた。
皆さん農作業で出払っていてはいけないと思い、昼飯を済ませた時間を狙って出かけたのだ。
近くのTH先生のお宅では漬物をいただき、町の北の端の集落のSさんの処ではお茶でも飲んで行けと暫し雑談に興じた。
帰りには採りたての林檎まで戴いてしまったが、4軒を回って家に帰ると2時を過ぎてしまった。

昼飯を済ませてからストーブの掃除をしなければならない。
このところ燃やしているマキはリンゴの木の枝の部分が多いためか灰の量が多い。
灰だけなら良いのだが、油分が多いためか前面のガラス部分にタールが着いてしまいこの始末もしなければならない。


タールはガラスの表面に断層になって付着してそれに灰が着き更に、タールが着くと云う状況だ。
これを掃除するに周辺に広告の紙を広げ準備周到にしなければならない。


洗剤(マジックリン)を吹きつけて、そこにキッチンペーパーを張り付けつる。
そのペーパーの上から更に洗剤を噴霧して、暫く置く・・・・
ここまで近くでコーヒーを飲みながら見ていたMがその先は私がやると云う。
俺がやると何時もも辺りが汚れていて後の掃除が大変だと云う。
確かに、いつもはMが出かけているときに俺がやっていた作業だ。


そういうことなら俺は畑のホウキグサの収穫とトウガラシの種採りように残して置いたものを収穫することにした。
ホウキクサは赤く紅葉してから茶色に変化したころに採り込み形を整えて干すのが良いのだ・・・・・
しかし、少々畑に置きすぎたのか種は殆ど地面に落ちているようだ。


3時を過ぎるとここの畑には陽が当たらない。
西側の山に閉ざされて冬至のころには2時前には日蔭になってしまう。
ところが、今日は暖かい・・・・・小春日和と云うよりも穏やかで風も感じない静かだ。
唐辛子も僅かにヘタの処で枝とつながっているが乱暴に引くとヘタが取れてしまう。
乾燥は充分になされているので来年の種は確保できた。


全ての外作業を終えて、家の中に入るとストーブのガラスは綺麗になっていた。
直ぐに火を焚きたいと思ったが5時を過ぎても暖かい。
朝から風もなく穏やかな一日に・・・・
祝日だと云うのに静かで午前中は近くの田んぼでトラクターが唸りを上げていただけだ。
小春日和と云う今日6時を過ぎてから冷え込むことはないと思うがストーブに火を入れた。


暖かさを余計に感じながらアメダスを確認してみると、夜明け前も雨は降らなかったようだ。
このアメダスは役場の敷地内にあり風の強さや雨量が判るのがよい。
午前中は暖かく静か、そして風もなかったが、アメダスでは≪静穏≫と表していた。

≪静穏≫とは、俺の過去では、≪正月のような天気≫って云うことだ。

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静かな環境は 先達のありがたい活動のたまもの

2009年11月22日 | 日記
11月22日(日) 曇り   僅かに陽ざしがでる  寒い一日

昼過ぎ午後1時に向けて中央公民館へ向かった。
5分前に着き2階へ上がったが誰もいない・・・・
倉庫からテーブルと椅子をだして並べ始めると定刻にはTH先生はじめ多くの方が到着した。
会場のセッティングが整い定刻になると準備した席はほぼ埋まっている。

『浅間山米軍演習地反対運動を語る会』が9条を守るたてしなの会の主催で開かれた。
昨年からの連続講座の一環で、今沖縄の普天間基地の問題が大きく取り上げられ、沖縄には米軍の基地の75%が集まっていると云われている。
しかし、長野県には米軍の演習地が一つもないのだ。
5分押しでF君の会式のあいさつで始まった。


軽井澤の荒井さん土屋さん金井さんのお三方の紹介があった。
1952年に浅間山麓に米軍演習地が作られることが信濃毎日新聞に掲載され大騒ぎになり、特に軽井沢西部の御代田町との境、追分近くの開拓団の集落から反対運動が起こったと云う。


当時は日本国内に750か所余も米軍のキャンプが合ったと云う。
荒井輝充さんは当時20才血気盛んな若者ながら緻密な動きをして、その動向を調べると、軽井沢町長他要職の人が外務省に米軍の演習地を浅間山麓に作って欲しい陳情書を提出したと云う。
それは、町民も議会にも掛けられず一部の町の有力者がでっち上げて陳情したことが判ったと云う。
全町民と御代田、小諸、他多くの人たちが反対同盟を締結しムシロ旗を掲げて決起集会を開いたと生き証人の荒井さんは熱く語られた。


金井さんが持っていた当時の≪ピンバッチ≫浅間山の雲煙がたなびくピンバッチを同志の証として胸に掲げたという。


土屋さんが作られたパネルは当時の写真を復元して資料をもとに詳しく説明がつけられている。
金井さんはパネルの写真を指しながら詳細を説明してくれたが、かれは当時長野県には居られなかったが、その活動の詳細を調べ上げた方だ。


米軍基地反対運動は北佐久郡から長野県全域に広がり大きな反対運動となったと云う。
今の安全保障条約ということが名を代えて地位協定と云う日本にとって不利な密約がなされていることがおかしいと云う。
住民が国民が信念をもって反対することが必要だと語る。

用意した椅子は全てが埋まり盛況に終えたことに感謝したい。
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アオジ 目を合わせての生還 嬉しい

2009年11月21日 | 日記
11月21日(土) 晴れ  風が冷たい  北からのちぎれ雲が流れる

午前中はMの友人で町内に一人で住む高齢な女性の訪問があった。
手作りのクッキーと蝦薯の調理したものと土の着いたものを携えての来訪、毎年この時期に訪ねてくれる。
彼女は81才になったと云いながら話題はボランティアのことや趣味の話で積極的に社会参加をしている。
昼過ぎになって帰られるときには慎重に車の方向転換をしているのを見て安心した。

昼下がりのリビングから見えるススキがすっかり穂を開き更にその銀色の綿毛を風に乗せている。
種でも含んでいるのだろうか・・・・
順番が決まっているわけではないだろうが上からも下からも跳びだす。
見ていると余暇から来た風にはのることはないが下から吹きあげる風には僅かな動きにも見逃さないのがすごい。


3時を過ぎたころリビングで郵送する資料を封筒に詰めているとガラスに何か当たる音がした。
コトッと音がしたので直ぐに見に行くと小さな小鳥がコンクリートの上にいた。
アオジ?それともカシラダカ??上から見るとホオジロのような羽の模様が見えた。
目をパチパチしながら瞼を閉じては開けるまで時間がかかっている。
大丈夫だろうか・・・・ 
見ていてもなかなか目があかないが口をパクパク開けて“イッテぇ~”を連発しているように見える。


少し経つと目が開いてしっかりした眼差しとなったが、体はまだ動かさない。
この鳥は今まで近くでは見たことがないが・・・・・
パソコンを開き野鳥と検索していると急に身体の向きを変えた・・・・
それと同時にしゃがみこんだ・・・・目が回っているのだろうか?
再び向きを変えたが今度は目を開いたまましっかり何かを感じている様子だ。


ガラス戸を開けて覗きこむと首を左・右とゆっくり試しているように廻している。
少しだけ下を向いていたがやがて首を上げた時に俺と目線が合った。
可愛い目をしている・・・・こうなれば無事に飛び立ってくれるだろう・・・・


そう思っていると一旦腰を落としてから低い角度で跳びだした。
近くの木には止まらずに真っ直ぐに集会所の方にしっかりした羽ばたきで飛んでいた。
暗くなる前に無事に飛び立ってくれて良かった。
今年はガラス戸にぶつかった鳥はコゲラ(生還)ハト(生還)そしてこのアオジが生還した。
しかし、アオゲラが死んでしまったのは申し訳ない気がする。

封筒詰をした資料を送らなければならないが明日は日曜日なのでクロネコのメール便で出すことにした。
何れも町内の21件分を託し、残るものは明日の会合で合える人の分は直に渡すことにした。

出かけ際に東の窓を見るとちょうど浅間山に噴煙に夕日が当たっていた。
黒い雲は日本海側で雪を降らせた残りなのだろう。
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噴煙と雪 そして雲海 浅間山 

2009年11月20日 | 日記
11月20日(金) 晴れ 雲は多いが陽ざしがあった 暖かい一日

朝陽が眩しく昇り始めると東側の外でけたたましくモズが鳴いている。
近くに猫でも来ているのか騒々しいこと甚だしい。
姿を探すがなかなか見つからなかったが崖の下の田んぼの掘り起こされた縞模様に溶け込んでいた。
尾羽を指を廻すかのように上手に回転させている。
振り向きざまに目に朝陽が写り込んで切るように輝いて見えた。



朝飯を簡単に済ませて急いで車に乗り歯科医院へと向かった。
8時半が予約となっているが・・・・
予定より5分も早く着いたが今日は直ぐに診察室に招かれ治療も直ぐに始まった。
家に戻って時計を見ると9時前だったのは驚いた。
歯医者には10分もいなかったように思うが朝一の予約ならではの時間の無駄がないのはありがたい。
今まで雲が流れて浅間を隠していたがこのときには完全な姿を見せていた。
雪もすっかりと安定していたように見えたが噴火口近くは筋状に残っているだけだった。


午後は1時から≪歴史研究会の打合せ≫どうってことはないのだが12月の定例化は巡演し翌月に廻した。
学習会と懇親会を開くことになったが、人がどれほど集まるかも課題の人になった。

4時からは≪ふれ愛むら環境フェア≫次回に向けてプロジェクトを設けて細かなことを決めることで合理化を図ろうと云うことになった。
予定の6時に終わらないかと思ったがジャスト無理やりに終わらしたようだが、最終的に何が決まったのか確認がなかったのが恐ろしい。

7時までには時間があるので公民館へ行きロビーで次の会議のための飼料を読んだ。
『立科町中央公民館図書室運営検討懇話会』この会の委嘱状を受けた時に名前が言い訳がましくいやらしいと思ったが・・・・
会が進むほど知恵の輪のようにからみついて益々理解ができなくなった。
行政側の説明も意味不明なことが繰り返されて議長は話を先に進める。
意図的な方針が見え隠れしながら、資料を提示しないで議決をして欲しいようなことを云う。
こちらの会議は予定を超えての終了となったが、次回も決めずに検討して殻と云う。
検討は会に資料を配布して会議で検討すれば良いと想うが、行政のやり方には少々疑問を残したままなのは俺だけだっただろうか??
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住職と聞くと インテリジェンスを感じるのだが

2009年11月19日 | 日記
11月18日(木) 曇り  雨(東京)  晴れ(信州)

まだ暗いうちに家をでて高速道路に入った。
軽井沢過ぎ下仁田あたりで明るくなり、関越道に入るころには曇り空ながら明るくなっていた・

今日は吉祥寺の母を送る行事がある。
予定どうりに9時15分前に会場に着いたが、俺はてっきり兄弟3人だけで送るのかと思っていた。
極力簡素にしたいと言っていたのかは定かでないが、俺は大賛成だった。しかし、着いてみると親戚など多くの人が集まっていた。兄弟3人だけで執り行うものと思っていたのは俺だけだったようだ。

昼過ぎに全ての行事が終わり、品川の菩提寺から来た和尚を見送るときに、彼との会話の中で気になることを思い出した。
東京の其れなりに由緒がある寺なのだが、檀家が少なくなっていて、その少ない檀家との関係も薄くなっているという。
だからか、境内をつぶしマンションに・・・・枯山水の庭園をつぶし駐車場となっている。
これも寺の維持管理に必要な経済を支えるためには仕方がないことかもしれない。しかし・・・・
信州の俺の住む町にある同じ宗派の寺と比較しても経を読む声、息継ぎの様など重みがないのだ。
昼の会食の折に、普段の寺の行事で檀家や地域の人とのコミュニケーションのあり方を聞いたが、とくに語ることも無いようだった。
更には宗教的な意味合いを持つ「初七日」の意味を聞くと彼は『人が死んで7日経ったこと』と答えた。。。
この後に何か質問をする気が起こらなかった俺だった。

そんな会話があった後に、彼が帰る時に駐車場まで見送ったが。
彼が乗ってきた車はドイツ製の高級スポーツクーペだった。
見送ったあとに彼が書き残した毛筆の文字を見せられたが・・・・
先ほど彼が乗り込んだインテリジェンスを感じさせるスポーツクーペとはかけ離れたものだった。

合掌
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冷たい空気を一層増す 訃報

2009年11月18日 | 日記
11月18日(水) 雲が多く 冷たい風 僅かな陽ざし 寂しさを感じる

朝陽が射さない夜明け 浅間山は全容を見せないが冬の姿に変わっている。
昨日の里の雨が山では雪となって来たから東を取り巻く山々が白く変化している。
浅間山も中腹まで白く雪化粧を施しているが、北からの千切れた雪雲が勢いよく流れている。


外に出ると風が冷たい・・・・
昨夜も遅くまで外の鉢を洗い家の中に取り込む作業をしていた。
外の寒さはペアガラスで遮断され室内は暖かい。
鉢植えを家の中に入れることを前提に床に石を張った部分はこの季節から来年春まで鉢に植えられた草花に占領される。
この鉢の管理は全てMがやることになっていて、気安く手を出しては怒られるのだ。
12月になればシンビジュームの花芽が顔を出し真冬の花のない季節をカバーしてくれる。
しかし、唯一気になるのは愛息Salaが鉢植えに興味を持つことになっている。
若し、彼が鉢植えの土をいじったり花をなめたりすると結果は俺の管理責任にかかってくる。
ひと冬の無事を願っての毎朝の鉢植え点検は俺も心を許してはならない。


先週から家の周りの木部に紫外線から劣化を防ぐ塗料を塗ってもらっていた。
9年目となる家も東の面は山からの強い風雨にさらされていたのが綺麗になった。
この先10年くらいは風化を恐れることなく安心していられるのが嬉しい。
塗装会社の人が最終的にチェックをして全てが今日終わった。

美しく再生された外観ながら、予想していたよりも早い訃報が届いた。
女学生のころから世界の人と友達になりたいと云っていたと云う・・・
其れを全うし昭和初期の津田塾大に学び、戦後は個人の生活はもとより、公的な場面で国際交流を果たしてきた人だ。
悲しみと云うか明治・大正・昭和そして、平成を生きた崇高な人生を全うしたことに敬意を表したい。

夕方の浅間山は僅かな陽ざしをあびて雪雲を掻い潜って姿を現した。
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紅葉に雪 霰 やがて 雨となってつづいた

2009年11月17日 | 日記
11月17日(火) 曇り  雪  霰  雨  夜まで降り続く

今にも雨が降りそうな空で夜が明けた。
何回も降っているかと外を覗きながらベッドからでない。
電話がなって慌てて跳び起きて寒い部屋で少しだけ長く話したら眠気はすっ飛んでいた。

洗面所から外を見ると雪だ・・・・
ふわふわとしてゆったりと落ちてくる雪、カメラを構えて見ると空をバックにすると何も写らない。
南の部屋のガラス戸をあけて紅葉した桜の木をバックに写す。
雪が降っているように見えるが紅葉した葉とのコントラストが季節の移ろいが見て取れる。


秋と冬の狭間なんとも中途半端な景色が見えている。
落葉松も斑に冬の様相を示しているが、焦げ茶色から全てがグレーになると本灰汁的な冬が来ていることだろう。

雪が降っているときにはゆったりした思いを抱けたが、今は霰交じりの雨になっている。
雨よりも霰が多くなると白い雨が降っているように見える。
広重の浮世絵では雨は黒く表現されているが、この白い雨が直線的に振る景色は・・・いと おかしきものと見える。


午後になっても雨は降り続いていたが友人K夫妻が大根と林檎をもって訪ねてきたころは大分小やみになっていた。
ストーブの周りに座り、収穫を無事に終えた話題に盛り上がった。
彼は極力農薬を使わない米作りをしているが予想以上に豊作さったと云う。
また、採れた米は首都圏に住む友人に分けているが注文が多く木過ぎて自分がたべる米がなくなってしまうという。
集落のこと水のこと営農には難しい人との関わりも重要なファクターだという。

話しが盛り上がり気がつくと既に外は真っ暗になっていた。
のんびりと暗くなるまで話し込むの雨ならではできることだろう。
一日中の物降りの日だが、なにか楽しくなる話題が多かった。
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遠くの物は小さく見える 意識的に物を見るわけではないが

2009年11月16日 | 日記
11月16日(月) 朝は青空が出ていたが  雲が広がる  

目覚めて直ぐに東の窓を除くと僅かな朝焼けと青い山それに雲が流れていた。
ここから見る景色はいつも東に雲が流れていきどんどん小さくなっている。
遠くを行くほど小さくなるという遠近法を誰が発見したのは別としても絵でもある時代から遠くの物を小さく表現した。
毎朝見る景色からそれを発見し、理論的に説明できる頭脳の持ち合わせは凄いと思っている。
そんな景色は見ているだけでも時を忘れてしまい、時間までが遠近法の世界へ入り込んでしまうのだ。
しかし、時がたつほど印象が薄らいだり恐怖が遠のくは人の生きる術の櫃でもあると思っている。


だいぶ明るくなってからリビングへ行き障子を開けて驚いた。
昨夕 辺りが暗くなり始めたことバッシーンとガラスに物が当たった。
その時は何か判らなかったが、Mが外で鉢植えを片づけた時のことで鳩が落ちたと云う。
夕方になって家の中が暗いとガラスに空が写り鳥にとっては景色が続いているように見えるようだ。
ガラスには鳩の形に頭から羽の先まで綺麗に版画のように写っていた。
しかし、これって鳩は風呂に入るわけでもなく羽に埃が着いているのがガラスに映ったのだろうか?
鳩は少しだけ横になっていたがやがて飛び立って行ったという。


今日は何も予定がないと思っていたが8時半に歯科医院に予約が入っていた。
一時間くらいで犬歯の奥の葉に被せ物が入った。
その後に、昨日の蕎麦打ち道具を返しに行く予定だったが・・・・
午前中には間に合わないことが判り午後に振りあてた。

午後は社会福祉協議会で話し合いをすることになっていて短時間で済むと思っていたが・・・
なんと3時間も費やしてしまった。
予定は未定と云われているが・・・決定にあらずと云うことは何となくだらしなく感じてしまう。

物が小さく見える遠近法・・・・ 小さいものは忘れて良いと云うわけではない。
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