リスペクトコラムです。
これまたアップが遅くなりました。J1昇格プレーオフを制して、16年ぶりにJ1に復帰されたヴェルディさん、本当におめでとうございます。ヴェルディさんはJリーグを象徴するクラブであり、当ブログにとっても特別な存在でした。Jリーグ開幕前の1992年に開催された旧ナビスコカップからJリーグを見始め、1993年の開幕戦であるマリノス戦もしっかりTV観戦しております。当時は10チームと選択肢も少ない事もあり、当時は自然とヴェルディさんを応援していた記憶があります。
それからいろいろありましたね。最初は読売ヴェルディというチーム名で、川渕さんとナベツネ氏のバトルでヴェルディ川崎になり、まだ若かったネルシーニョ監督の腐ったミカン発言があり、その後川崎市からホームタウンを移転され、経営危機に陥り、一時期Jリーグ直轄経営になり、J2へ降格しと紆余曲折の30年でした。そんなヴェルディさんのJ1復帰。
【東京ヴェルディ、16年ぶりJ1 黄金期知らぬ世代躍動】
「J1昇格プレーオフは2日、東京・国立競技場で決勝が行われ、今季J2で3位の東京Vが2008年以来となる16年ぶりのJ1復帰を決めた。同4位の清水と1-1で引き分け、規定によりシーズン上位の東京Vが昇格した。東京Vは後半にPKで先制を許したが、追加タイムに獲得したPKを染野が決めて追い付いた。1993年のJリーグ開幕年から参戦する『オリジナル10』の両クラブの一戦に、5万人を超える観衆が詰めかけた。」
いちJリーグサポとして発言します。当ブログ的にはプレーオフ進出クラブの中で、結果的にヴェルディさんが昇格したのは良かったと思います。何しろ3位ですから。3位でも昇格できなかったクラブも今までありますが、今季のヴェルディさんは強かった。3番手でJ1に昇格するにふさわしいクラブだったと思います。同じオリ10の清水さんにも行って欲しかったですが、勝負の世界は非情なりか。
試合もDAZNで観ていましたが、清水さんがこのまま行ってしまうのかと思っていましたが、PKを与え、PKをもらってドローで優勝という結果に。国立には5万人の来場者があったようですが、果たして地元岡山が出ていたら、そこまで入ったのかとも思いました。オリジナル10同士、特にヴェルディさんだから、30年分のファン・サポーターが集ったのかな。ヴェルディさんの歴史は濃すぎます。Jクラブの栄光盛衰、まさにそんな存在。
【「格差」と人材流出に打ち勝って16年ぶりのJ1昇格 東京V・城福浩監督はなぜ成功したのか?】
〔一度は断ったオファーを受ける〕
「城福監督は2008年の東京V降格に間接的に絡んでいる。彼が監督を務めていたFC東京は同年12月6日の最終節で千葉と対戦した。FC東京は後半20分までリードしながら、その後に4失点を喫して逆転負け。降格圏内から蘇った千葉に対して『逆転降格』を喫したのが東京Vだった。」
「言うまでもなく、FC東京は東京Vのライバルだ。城福はクラブスタッフ時代も含めると長く『赤青』に関わっていて、それは気持ちに引っ掛かった部分だろう。因縁のあるクラブに乗り込むとなれば、覚悟は必要だったはずだ。
試合後の彼はこのような話もしていた。
「冬(2021年シーズンのオフ)にヴェルディさんから話があって、そのときは断りました。自分がヴェルディに行けるわけはないと思っていました。ただ、夏にもう一度オファーを頂いたときには、東京ダービーを再現できれば、またJリーグが盛り上がる(と考えを変えた)。僕はトラックの第2コーナーを走っているわけではなく、第4コーナーに差し掛かっています。これからサッカー界、Jリーグに対してどういう貢献ができるのか、覚悟を決めて夏に受けました」」
〔10年ぶりのJ2で「格差」に直面〕
「城福は2022年6月、東京Vの監督に就任した。その時点でチームは6勝8分け7敗の14位。彼は終盤戦の6連勝などでチームを9位まで引き上げてシーズンを終えた。しかしオフは厳しいものだった。
『このチームは毎年主力が流出しています。私が就任してから夏に2人、冬に4人のレギュラーがいなくなりました』」
「東京Vは育成組織も含めて有望選手を多く輩出してきたクラブだが、経営的にはJ2の中位レベル。2010年前後に経営難に見舞われた影響が今も残り、サッカー界の『経済成長』から取り残されていた。城福は2012年にもヴァンフォーレ甲府でJ1昇格を経験していた。J2経験『2.5シーズン』で2度の昇格を経験したことになる。」
「現実に格差はある。2012年度の『Jクラブ個別情報開示資料』を紐解くと、J2の中では千葉が経済的に突出していて、10.4億円のチーム人件費を計上していた。以下京都が5億円台、徳島、横浜FC、山形、甲府、福岡が4億円台という金額で、今思えばささやかな規模感だった。2022年度のJ2は5クラブが10億円以上の人件費を計上している。それに対して東京Vは4.9億円だった。東京VがJ1昇格プレーオフ決勝で対峙した清水はJ1で22億円強を費やし、J1得点王のチアゴ・サンタナや日本代表GK権田修一を残したままJ2に降りてきた。
昨シーズンのデータではあるが、東京Vは人件費的に見れば『22チーム中14位』というレベル。監督から見たとき、チーム作りの難易度が高かったことは想像に難くない。」
〔リーグ最少失点の理由は?〕
「東京Vは若手の登用、期限付き移籍(いわゆるレンタル)の活用で競争力のあるチームを作った。2023年の失点数はJ2最少の『31』で、堅守は彼らの大きな武器だった。選手が激しく入れ替わる中でも、組織に乱れが出なかった。今季から加入した齋藤功佑はその理由をこう説明する。
「そもそも選手同士のコミュニケーションが非常にいいチームなので、外から来た選手も順応しやすかったと思います。チームの雰囲気を基本的に作るのはベテラン選手で、そのコミュニケーションや雰囲気作りで結構変わってくると思いますけど、チームのことを考えているベテランがヴェルディは多かった。それでいて若手選手も勝つために要求をし合う、というのを1年間やってきました」
城福監督も会見で『このチームは非常に若くて、今日のスタメンの平均年齢は25.09歳。彼らが自覚を持つようになったのは、このチームのベテランの姿勢だと思います』と強調していた。
指揮官の指揮官の手腕について、斎藤はこう述べる。
「城福監督は本当に規律を徹底させる力があって、そこを自分は一番感じています。どうしても人によって基準を変えてしまったり、忖度があったり、気を使ってしまったりがあるものですけど、(城福監督は誰に対しても)勝つためにチームとしてやらなければいけないことを徹底させます。あと、しきりに言っていたのが『リカバリーパワー』でした。プレー選択のミスについては何も言わないけど、その後の切り替え、守備のハードワークを徹底させる。若い選手が多い中で、チャレンジさせるけれど、同時に徹底させることもできる――。そういった部分は素晴らしいなと思いながらやっていました」
シーズン半ばにC大阪からレンタルで加入し、貴重な戦力となった中原輝は言う。
「あと一歩のところだったり、さぼらないところだったり、口では簡単ですけど、(城福監督は)そういう細かなところも求めている。それがリーグ最少失点につながっています」
〔ベテラン指揮官が成し遂げたこと〕
「城福監督は単に厳しい、細かいというだけではなく、言葉のチョイスや声掛けのタイミング、ユーモアやメリハリといった『プラスアルファ』も持ち合わせた指揮官だ。特にテンポよく多彩なメニューを繰り出し、飽きさせないようにトレーニングを進行する手腕は唯一無二と言っていい。さらに勝たせるだけでなく選手を伸ばす、上手くするという両立ができる指導者でもある。
正義感が強い彼はやや世渡りの苦手なタイプにも見えるが、絶対的な能力があるから仕事が舞い込んでくる。2008年のFC東京を皮切りに甲府、サンフレッチェ広島、東京ヴェルディで計4クラブの指揮を執ってきた。
Jリーグが誕生してから30年以上が経ち、選手としてプロを経験していない監督はもう少数派だ。まして城福監督のように社業に専念した時期がある人材はもはや皆無と言っていい。彼は富士通(現・川崎フロンターレ)の選手、監督だった経験を持ち、バブル崩壊後の工場移転という『リストラ』の実務も経験したこともある。そういった社会経験は監督としてプラスになる部分だろうが、彼は同時にサッカー界の変化や進歩にも適応してきた。」
だいぶ前ですが、地元岡山でもネットで監督候補の噂が出た事のある城福監督。すごい指導者だと思います。そうですか、元々F東さんの方で、一度就任要請を断ったのですね。東京ダービーはいろいろそういう因縁もあるんですね
昨季の終盤戦の6連勝を覚えています。城福さんになってからやたら勝ってる。こりゃ来季は来るぞと思っていましたが、やっぱりという結果でした。城福監督のもっと細かい面、戦術とか選手への指示の内容などをリスペクトしたかったのですが、情報揃わず、間に合わず。またの機会に。
コラムでは人件費面でJ2の14位のクラブがJ1に行ってしまうので、来季が大変だと書いてありますが、やっぱそういう事なのかな。30年の歴史の支援者から、町田さんのようにホワイトナイトが現れるという事はないのでしょうか。もうJ2には絶対に落とさないという化学反応が働きませんかねぇ。
これらを読んでも、やはり城福監督の部分が大きかった事がよくわかります。城福監督だったからJ1に上がれたのだと。まさに「昇格請負人」。いつか地元岡山も連れて行って欲しいものです。選手出身でなく、普通のサラリーマンも経験されたのは知らなかったです。
【なぜ「毎年のように主力が流出してきた」東京Vが16年ぶりのJ1昇格を果たすことができたのか?】
「チームを取り巻く状況が変わらないなかで、城福監督は就任当初に描いた、ヴェルディを根本的に立て直すための処方箋を実践し続けた。指揮官は端的にこう表現する。
「ハイラインを保ち、相手陣内でボールを動かす。ボールを奪われたら人数をかけて即時奪回する。これらをどのようにしていくのかだけにフォーカスしてやってきた」
再び選手の引き抜きに直面しようとも、大きな影響を受けにくい戦い方と言えばいいだろうか。9位に終わった昨シーズンも、終盤戦は6連勝でフィニッシュ。総失点は2021シーズンの66から55に減らすなど、改革の効果は確実に芽を出し始めていた。
迎えた今シーズン。戦い方をより先鋭化させたヴェルディはJ2リーグ最少の31失点と、堅守を武器とするチームに変貌を遂げる。ともに夏場に期限付き移籍で加入した染野(前鹿島アントラーズ)がチーム最多の6ゴール、中原(前セレッソ大阪)が2位の5ゴールをマークするなど、ピンポイントの効果的な補強で得点力不足を補った。
リーグ戦は2位で自動昇格したジュビロ磐田と勝ち点75で並びながら、得失点差でわずかに及ばない3位だった。順位の上でアドバンテージを持って臨んだJ1昇格プレーオフでも、準決勝でジェフ千葉を2-1でまず撃破。リーグ戦で1-2、0-1と2戦2敗だった清水にも、5万3264人で埋まった国立競技場でしっかりと借りを返した。 」
城福監督は堅守のチームに作り上げたのですね。そしてハイプレスと縦パスのサッカーを追求されました。そうでした、2位の磐田さんと同じ勝ち点で、得失点差がわずかに足らなかったのでした。たぶん、今オフも主力が他クラブへ出てしまうのではないでしょうか。しかもスケジュール的に最後までシーズンが終わらなかったので、移籍市場に手を付けるのが遅れるというハンデもあります。なので、補強が難しいのかもしれません。
そうそう、当ブログで馴染みのある2選手がチームを去ります。当ブログも賛助会員登録しているFコネクトの小池代表と梶川選手です。来季はどうされるのでしょうか。Fコネクトではまだコメントが出ていませんね。今後も変わらずサッカーも活動も頑張って欲しいと思います。
【J1昇格PO】98年読売撤退、05年初のJ2降格、10年資金難/東京Vアラカルト】
「▽ヴェルディアラカルト
◆2連覇 FW三浦知良やMFラモス瑠偉らスター選手をそろえ、Jリーグ開幕の93年から2連覇。
◆読売撤退 高額年俸の選手を抱えた代償は大きく、98年シーズン終了後に読売新聞社が経営から撤退。
◆東京に移転 01年に川崎市から本拠地を東京へ移転。呼称を東京ヴェルディ1969と改称(08年から東京ヴェルディ)。
◆初のJ2降格 経営難に伴って成績も落ち込み、05年には17位に沈んで初のJ2降格。
◆再びJ2へ 一度はJ1に戻ったものの、09年に再びJ2へ。この年は胸スポンサーもなく、筆頭株主だった日本テレビが株式譲渡し、経営から撤退。
◆資金難 09年11月に新経営陣によるクラブ運営がJリーグに認められたが、10年に資金難が明らかに。
◆Jリーグが運営 Jリーグの羽生英之事務局長が代表取締役社長に就任し、初めてJリーグが1クラブの経営に直接関与。
◆コロナ禍 20年には経営陣の混乱もあってスポーツ用品販売大手のゼビオホールディングスの連結子会社に。コロナ禍で資金難に。
◆パワハラ Jリーグは21年12月、同年9月に辞任した永井秀樹前監督の指導にパワーハラスメントがあったと認定し、クラブに罰金100万円。」
最後に日刊スポーツにあった、ヴェルディさんの30年間の事象アラカルト。とてもわかりやすいですね。最初の2連覇した時の監督は、あの松木さんでした。こうして見比べると、やはり経営難の色合いが濃いですね。Jリーグ直轄経営だったのは2009年なのか。第2のフリューゲルスにはならなくて良かったですね。これには載っていないですが、いつだったかJ3に降格しそうになった事もありますね。あの時はやばいと思いました。
ヴェルディさんは、老舗のカリスマ性はすっかり薄れてしまった代わりに、総合型地域スポーツクラブとしての存在感、地域貢献活動が素晴らしいクラブに変貌しています。胸スポンサーのコカ・コーラが光っていた読売ヴェルディの時代には想像できなかった景色です。個人的には長い目で見て、あの頃のヴェルディさんよりは今のヴェルディさんの方がカッコいいと思っています。そういう事で来季J1で暴れまくって下さい。
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