森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「風林火山」―謀略!桶狭間

2007-11-14 10:14:42 | ドラマ (大河)
 桶狭間にいかに勘助絡むのか。有り得る展開でも有り得なくても、そこはドラマ、物語ですので、単純に楽しむことにしていました。

 そんなお気楽姿勢で見てみると、実に面白かったですね。面白かったけれど、切ない場面が多数ありました。

 まずはサクッと簡単に終わってしまった、寅王丸の最後。ああ、寅王丸、悲しすぎますよ。逃げたので追いかけて討ち取ったと言う報告に、信玄は
「本当に逃げたのか?」と、割り切れないようでした。

 死んでいった妹に、よろしくと頼まれた甥ですものね。人の気持ちとしては「仕方がない」ではすまないものがあると思います。戦国武将とはいえ、化け物と言うわけではないのですから。



 越後に帰った平蔵は宇佐美に仕える事になりました。寅王丸のことで、回想シーンでのヒサの言葉は、さらに印象深く心に残りました。
「武田を恨むものはみな死んでいく。恨みからは何も生まれない。それよりも新しい命を育てていくほうが良い。」
平蔵の心によぎったヒサの声。本当に平蔵がそう思える日は来るのでしょうか。


 
 ところで、今回の勘助の絡み方は良かったと思います。

なぜなら、わざわざ出向いて嘘偽りで欺くのではなく、気が付いた本当のことを進言しに行ったわけですから。ただ、みなまで言わなかった、ただそれだけ。
もちろん、勘助のことを心の底から嫌っていた義元ゆえに相反した行動に出るだろうと言う計算の故です。いかにも怪しげな勘助です。

 ただ「生か死か」と言えば、義元にも充分生へのチャンスがあったと言えるのではないかと思います。

 出会ったときから勘助を蔑み嫌い貶めてきた義元が、その時少しでも勘助の言葉に耳を傾けていたら違った展開になっていたと言えるでしょう。
その道を選んだのは義元自信だった―

ある意味、未来の武田の為にと言う理由のみでなく、勘助の今までの仕打ちに対しての復讐にもなっていたのかもしれません。
そう思うと、長い長い伏線でしたね。

伏線と言えば、今回見事だなと思ったのは寿桂尼と義元の絡みの台詞です。何でだったかは忘れてしまいましたが、義元が悔しそうな顔をすると寿桂尼がたしなめます。
「コレ、義元殿。そんな顔をするでない。そのような顔を家臣たちに見せるでないぞ。」

ですが、首になって戻ってきた義元の顔を寿桂尼が見たとき、
「義元殿、そんな顔をするでない。」と言うのです。

 私たちがその顔を見ることはありませんが、義元がいかに悔しい形相をしていたのかが分かります。本当に無念だったと思いますよ。

そしてその首の入った箱をいとおしそうに抱きしめる寿桂尼の姿に切なさがつのりました。


 イケメン義元も去ってしまいました。前にも書いた事があると思いますが、この谷原さんは私の中では今川義元のイメージにぴったりでした。なぜならいろいろなドラマなどで、よく京に向かう義元に対して「わが殿の美しいこと」と言う言葉を聞くのですが、美しい義元を見たことがないように思います。

本当にこんな感じの人だったのではないかなと思っていましたら、最後に今川義元の絵が映りましたね。ふっくらとしているところは違いましたが、上品な雰囲気が似ていたなと思われましたが、如何だったでしょうか。
コメント (4)
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