森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

見せる力・伝える力<大英博物館>

2007-11-04 01:08:04 | イギリス旅行記

 私はガイドと言うお仕事に対して、こんなに尊敬の思いを込めて凄いと思ったことはありません。<キューガーデン>の記事にも書きましたが、ガイドの彼女がいなかったら、私は見るべきものを見ることが出来なかったのではないかと思うのです。

 

 大英博物館と聞いて、皆さんは何が思いつきますか?

私は敢て何も思いつきませんでした。せいぜいミイラがあるんじゃなかったかなぐらいです。後は見切れないほどの展示物。一日かけても無理なものを、それを1時間強の時間ぐらいで通り過ぎていくわけですから、もう「行った」という記念入場みたいなものと考えていました。

 

 大英博物館の入り口を入ったところに、ロゼッタ・ストーンが飾ってあります。

「ああ、そうだった。そんなものがあったなぁ。」私は人の頭を避けて、シャッターを押しました。

ロゼッタ・ストーン、歴史の教科書のはじめの方に、よく写真で載っていませんでしたか。この石の文字をシャンポリオンが解明したと覚えさせられませんでしたか。それで、その写真の横に落書きなんかしちゃったりして・・

「おお、本物だー♪」

 するとガイドの彼女がロゼッタ・ストーンの説明をしました。もちろん遠い昔に歴史の授業で習ったことです。

忘れてしまった方はこちら→★

 

そして、彼女は続けて、この石が見つかった意義を語ります。もちろんそれも、歴史の授業で学びましたね。この石が見つかったがゆえに、文字が分かり、古代エジプトの歴史の門が開いたという意義。

だけれど、何処が違うのか分かりませんが、彼女の口調からとてつもない説得力と言うものを感じます。とうとうと語る淀みない口調が、それを感じさせるのかもしれません。

子供達にとって嫌いな教科、ナンバー1の社会。覚える事が多いからですが、彼女のように説得力ある講義で聴いたら、嫌いになんかなっていられないのではと思いました。そして何より共鳴したのは、その意義を知ることに意味があるという点でした。

私はもう一度、石の前に滑り込んで字が写る様にシャッターを押しなおしました。

   

 

           

エジプトなんかでは、猫も神様です。ミイラのお部屋には猫のミイラなんてものもあります。猫のミイラは怖くはないですよ。どちらかと言うとユーモラスな顔をしています。だから、なぜだか可哀相な気がしてしまいます。

私は、ミイラたちにカメラは向けると言う事は出来ません。なぜなら、彼らはかって人間だったもので、そして今でも人間だからです。なので、足早に立ち去ろうとしました。ですがこの部屋にある、ガイド曰く大英博物館のアイドル、 ジンジャー君の前で、思わず足は止まります。

彼は、ミイラではなく灼熱の砂漠に埋葬されて、あっという間に乾燥されその体が残されたのです。その色がジンジャー色なので「ジンジャー君」。やはり画像はないのですが、検索したらどこかででてくるかも知れませんよ。

この博物館は写真撮影も自由で、知識のお持ち帰りOKなんですから。でも、やっぱり私には写せません。

ただ、彼の体はまるで胎児のように丸まっています。古代のエジプト人が死者をそういう形にして、埋葬したのだそうです。死を悼む遺族達の優しい気持ちが、何千年の時を経てふっと伝わってくるような気がしました。

 

  

       古代ギリシャのモニュメント。

 

  

    パルテノン神殿の彫刻群

  この部分も、美術とか歴史の教科書で見覚えあるかもしれません。

 

  

  新アッシリア時代のもの(人面有翼の巨大なライオンラマッシュ)

アッシリア宮殿にも長い浮き彫り彫刻群があります。ライオン狩りの様子が描かれていますが、その狩られるライオンがあまりにもリアルで震えます。多くのライオンが描かれていますが、一匹とて同じライオンはいません。もだえ苦しむライオン、血を吐くライオン、倒れる雄ライオンににじり寄り添おうとする雌ライオン。それらの狩られるライオンが痛々しくて、やはり私はカメラを向けられません。

強い王を讃えているらしいのですが、ふと首を傾げてしまいました。これは何かの比喩なのではないだろうか。

歴史のロマンに思いは走ります。

それと同時に、これらの素晴らしいモニュメントや壁画を見ていて、美の進化とは何だろうと思ってしまいます。

    

 < これは、ポートランドの壷です。この壷についてはまた別に書くことがあると思います。>

  

 私はこの短い時間の大英博物館見学で、ガイドの人のとうとうとした語りによる、「これを見よ」という見せる力がなかったら、見るべきものを何も見ることは出来なかったのだと思います。

 ですが、ひとたびそこに目を向けてみると、言葉を持たないそれらのものたちは多くの事を物語り、伝える力を持っていました。言葉など要らない本物の力だったのかもしれません。

コメント (4)
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