桃ちゃんです。大好きな花桃の桃です。我が家の新しい家族、どうぞよろしくね。
前回は予知夢の話で、すっかり私が怪しい人になっていた所まででした。今日はその続きです。まだ、怪しい人のままです。→100年平安に生きるという事<その1>
見た夢が何かの役に立たないかなと思い始めていた私は、かなり意識して夢を見るようになりました。そして見た夢は、大型ヘリの墜落の夢でした。夢の中でドキドキしながらその落ちる場所をじっとみると、白い大き目のアパートか、マンションのようなものが見えました。その表か裏手、凄く近くに落ちていく夢でした。そのヘリの横に文字が書いてありました。ああ、良く見えないな。でも警察かな?なんかそんな感じ・・・と思ったところで目が覚めたのです。
あまりにはっきりとした夢だったので、その夢の話を夫にし、覚えていて欲しいと言いました。先に言っておかなければ意味がないのです。信用度の問題です。その翌日、目が覚めたらニュースで自衛隊のヘリの墜落の模様を伝えていました。まったく同じ。私は吃驚して
「ねえ、ほら昨日の夢の・・・」と言いかけたら、夫は嫌そうな顔をして、「人の不幸をすぐそう言う風に言う。」と頗るもっともな事を言いました。でも、私は心の底から嫌な気持ちがしました。なぜならそこには普通に存在する、驚くと言う反応が抜けていたからです。
夫の事は家族として愛していますが、こういうところが苦手です。彼は本当に人の話が聞けないのです。うっかりなぜそんな人なのかも書きかけてしまいましたが、今は関係がないので削除しました。ああ、うんざり・・・
だけど、その「もっともな事」について私は考えました。当たったとしても、それは「私って凄いでしょ」的な自己満足に過ぎないじゃないかと思えてきました。たとえ時間場所が分かっていたとしても、それを止める事が出来ないではないですか。匿名の電話をかける、せいぜいそんなところかもしれません。だけどもし大きな電車の転覆事故、今回のような大災害・・・それもかなり正確な夢を見ることが出来ても、それを生かす力などありません。
意味がない。私はそう思いました。
人は不思議な力に憧れたりもします。そして、時には自分にもそんな力がわずかにでもあれば良いなと思うあまり偶然に起きた出来事に錯覚を起こす事もあります。でも本当に必要なのはそれを生かす力だと思うのです。「知る」と言うことを活かすことが出来て、初めて意味があるのですよね。
ところで、ちょっと猫の話。
子猫のモモが来てから、早くも4日目。すっかり慣れてお転婆猫まっしぐらです。
でも夜はケージの中でおとなしく寝ています。だけど、真夜中にちょっとだけ鳴きました。どうしたのかと思ったら地震が来ました。
同じように明け方、また静かにしていたモモが鳴きました。と、また同じように地震が来たのです。その後は部屋の中を走り回ってたり冒険中なので、そのような事はなかったのですが、静かな夜、または明け方、微妙に伝わってくる振動には、人間より先に感じるのかもしれないと思ったのでした。
ビッグな摩訶不思議な力を持っている人は、世の中にはそうそうにはいませんが、人も動物と同じで、その正体が分からなくても何かを感じ取る力を持っているのは確かなことだと思います。俗に言う、シックスセンスと言うやつかも知れません。
大予言は意味が無くても、もしくは意味を持たせることが出来なくても、この小口の力、それも人のふんどしではない自分の力は大切なんじゃないかと思います。うっかり夜中でもないのに、「自分の力」ではな「く自分のおパンツ」とか書きそうになってしまいました。少々疲れてきて、本性が出てしまいそうです。
なので、また次回です。
タイトルと書いていることが一致していないと思っている方、いらっしゃいますか。
大丈夫、いつか一致するのですよ・・・。