森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

日常!その3

2011-04-08 11:37:33 | 梢は歌う(日記)

また、昨晩の午後11時32分頃大きな地震。震源地は宮城県・牡鹿半島の東約40キロ。
夫がもう寝るというので、テレビも消してしまった直後です。我が夫殿は、自分が寝るときにはテレビを平気で消してしまう自分勝手なやつですが、寝つきが悪いので仕方がないと思っています。加えて、彼には働いて貰わなくてはいけないので、彼の就寝と共に我が家のテレビタイムは終わりです。

そんな話はどうでも良かったのでした。(これって前にも書いたかしら。よほど心の奥底で根に持っているのかも)

昨晩の地震の話です。テレビも消えてパソコンも開いていなかったので、行き成りの揺れにかなりビビリました。かなり大きくて本当に疲れました。宮城で震度6強、余震M7.4。でも私の地域は震度3でした。

ええ、あれでって思いました。そして、こういうときの数字ってあまり意味がないなと実感しました。それとも震度には大きな幅があるのでしょうか。すっかり余震慣れしてしまって、多少の揺れには鈍感になってしまった私ですが、久しぶりに恐怖を感じた夜でした。こんな私でも疲れを感じてしまうのですから、被災地、震源地にいらっしゃる方の恐怖、心の疲れはいかばかりかと思います。

既に目一杯に頑張られていると思うので、頑張ってくださいという言葉は控えるべきなのかもしれませんが、そのような言葉しか掛ける事しか出来ない自分を情けなく思うのと同時に、やはりそれが自分の心の中の言葉なのかと思います。

傍にいらっしゃる方と寄り添い、この不安と困難に負ける事のないように、心が折れる事のないようにと祈っています。

 

                                                                           

 

今日も前回の続き、今の我が家周辺の「日常」を書き留めます。

先日ラッタ君が水のペットボトルを片手に持って仕事から帰ってきました。
仕事から帰ってくるような息子でも「ラッタ君」・・・。
まあ、それはさておいて。

「あれっ?」と言うと、
「もう、いくらでも売っているよ。」と彼は言いました。

摂取制限も解除されて、ペットボトルの販売も需要に追いついたのですね。良かったです。

実は彼がペットボトルの水を飲むのは、昔からの習慣です。もちろん外で飲む為に買うのですが、お茶とか他の飲み物ではなく、彼はいつも水を選択するのです。

この水を飲むという事は良い事なのですね。

今はライフサイクルに合わなくてやめてしまったカーブスのコーチにも、水を飲む事を勧められて、一時期は意識して飲んでいました。まあ続かないのが私なのですが。

少し前の数日、そのラッタ君が寝る前に飲んでいるのが、大きめなグラスで飲んでいる水道水なのでした。

乳児の摂取制限が出てから、ああやっぱりと言う感じで、コンビニやスーパーからお水のボトルがなくなりました。本当に乳児のいるご家庭は大変だったと思います。それに、こういう制限が出たら、不安になるのは乳児のお母さんばかりではないはずです。1歳1ヶ月のお子さんを持つお母さん、2歳近くても体が小さい子供のお母さん、みんなさぞや不安に思ったことでしょう。

市が配布してくれるのは1歳未満の乳児の家のみですし、不安に感じたご家庭では買いに走るしかないですよね。それなのに売っていないような状態が続いたら、不安は募るばかりですよね。

えっ、なあに?
またまた、愚かなり、アレは乳児の基準値を超えた数字だから、乳児以外の家では関係ないんだよ、分かってないなって思いましたか?
でもこんな事を、もしリアル会話で言う人がいたら、私はうんざりした顔を隠せませんよ。
分かってますよ、もちろん。みんなも分かっているのです。
私は「不安」のことを言っているのです。

ここでは、本音トークでいきましょうよ。

「不安」って言ったら、乳幼児のお母さんだけじゃなくて、小学生のお母さんだってみんな不安ですよ。だって、その水は普通の今までの水ではなくて、特定の人、つまり乳児は飲む事が「出来ない」水なんですよ。

日本人は水はタダで安全が当たり前と思っている。昔、そんな風に言われていなかったでしょうか。水が豊かな国、そんな日本に生まれて、飲み水に不安を感じるなんて、初めての経験ではないでしょうか。誰だって不安にはなるのです。ただ本当に困っている人のために、その不安に扇動されて行動をしないだけで我慢をしているのです。(我慢していない人もいるような気もしますが)

入ってくる情報を正しく理解して、正しく行動しようとしているのです。

 

でもサイドのツイッター記事を読んでくださった方もいらっしゃたようで、気が付いてくれた事が嬉しかったのですが、後出しじゃんけんのように、あの日の水は汚染されていたみたいなニュース記事が出てくると、またも不信感が募るじゃないですか。

それはこちらで→ここ

上のことは、もう遠い過去の出来事同様に「なんと!」と思うしか出来ない事なのですよね。
だからと言って、もちろん我が家は水を買いに走ったりもしなければ、お料理もお茶などもみんな水道水ですよ。

そう言えば近頃すっかり常連になってしまったサイゼリアも、ドリンクバーは水道水を使っていますと明記してあって、気にせずがぶ飲みしてきてしまいました。

これは中年以上の人には、後々にも影響が出にくいという情報が元になっている行動なのかも知れませんね。

と言いながらも、春休みのサイゼ、どうしたのかと思うくらい混んでいました。幼稚園とかお休みでしたので、若いお母さんや小学生のお母さんたちが家族連れでたくさん来ていたのですね。

上には皆さん不安だったでしょうと書いてしまいましたが、まったく不安に感じていない人たちもたくさんいらっしゃるのかもしれませんね。このジュースは水道水で作られているなんて意識していなかったのかもしれません。(まだ摂取制限解除前のお話です。)

 

ペットボトルの水が一時期、スーパーやコンビニの棚からなくなると、水を習慣的に買って飲んでいた人たちも我慢が強いられる事になりました。友人も旦那さんがお弁当といつも決まったお水を買って持っていったので、なくて機嫌が悪いと言っていました。
「大丈夫よ、大人なんだから、本当は状況をわかっているわよ。」と私は言いましたが、贅沢な悩みだなと、私は思いました。

 

ある人は聡明であり、ある人は愚かである。ある人は情報弱者ゆえに自分の不安に振り回されて行動している。ある人は情報過多ゆえに扇動するような発言を振りまいたり、自分自身の不安をあおっている。

考えようによっては、それはいつもと同じ日常の光景かも知れません。でも今の日常は、ある意味非日常。こんな毎日の中で、自分らしく自分に言い訳しないように生きていきたいなと思います。

ところで、なぜ私がラッタ君の水道水を飲む姿に驚いたかと言うと、これは微妙な感覚です。

彼はどちらかと言うと情報過多な人。愚かな行動をする人ではありませんが、不安指数は私よりも上なことは確かです。そんな彼なので、乳児の摂取制限が出ている間ぐらいは、神経質になって水を素で飲むなんてことをしないんじゃないかなと言うイメージを自分の子供に持っていたのですね。

「水を飲んでいるの?」
「そうですが、それが何か。」
「いえ、なんでもありません。」

寝る前のお水、美味しいですよね。意識した事、なかったけれど、実はそのままお水を飲む事って結構あるんです。

当たり前のように蛇口からお水が出てくる、これって凄い事なんですよね。この前の夜、思わず「ありがとうございます。」とか言いながら、夜の寝る前のお水を飲みました。このお水がいつまでも安心出来るものでありますようにと祈るばかりです。

コメント (2)
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