ワタシハ、トリアエズ、ヘイワナノニャ・・
ある時まで私は、自分が先の大戦が終わって何十年も経ってから生まれてきたのだと思っていました。今二十歳を迎えた子供たちが、同じように思っているのと同じ様に。でも実はそうでもなく、自分の誕生は終戦から一昔とちょっとだった事を知ったのは、学校で「れ・き・し」と言うものを学ぶようになってからでした。
通りで母が教えてくれたじゃんけん遊びには、「軍艦」「ハワイ」「沈没」と言う言葉が盛り込まれていましたし、父が山梨から横浜に出てきたときには進駐軍にいたのだと言っていたのは、そう言うわけだったからです。
でも私は小学校の社会の教科書に載っている交差する立体道路、つまり高速道路の写真に胸をときめかせ、鉄腕アトムの漫画の世界が来るべき世界なのだと信じて疑っていませんでした。そんな世界がすぐ傍にあるような時代に生まれてきた私が、あの敗戦で多くの人が死に多くの人が飢えた時代が、「自分の時代」の近所であったなんて思いもよらない事だったのです。
でもある日年表を見ていて、戦争が終わってから私の誕生まで、と言うか、姉の誕生までほんの一昔しか空いていない事を知ったのでした。
凄いなあ、人間って。
そう思いました。
こんなちょっとの間で、大戦の傷跡を既に「過去」へと押し流してしまっていたのです。
それでもその事実を知った時には、なるほどなと思ったことがたくさんありました。だからと言ってその時も子供なので比較するにも、子供のときからさらに子供に遡ったときの子供の記憶との比較と言うわけになるのですが、それでも吃驚するような変化が町にはありました。子供の私が何処でその変化を見ていたのかと言うと、それは公園です。
何もなくて、空き地に近い公園が、時代と共にどんどん色づいていきました。この公園のお話は、また次の時に触れたいと思います。
「歴史」を学ぶということはいろいろと意味があると思います。過去の事例から多くを学び、次の時代の思考の構築に役立てるべきもの。そう思っていましたが、近頃では、ちょっと首を傾げたくなる事も多いかと思います。それはともかくとして、ある時日本は、きっちりと10年おきに当たり前のように戦争をしていた時がありました。
日清戦争1894年(明治27年)7月から1895年(明治28年)3月
日露戦争1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)
第一次世界大戦1914年から1918年にかけて
この事にも歴史を学び始めた最初は鈍感にも気がつきませんでした。だいたい学校の歴史の授業は、最初や途中で手間取って、大概先生が
「ここからが結構大事なんだけれど、間に合わないので飛ばして行きます。」などと言う事が多くて、ちっとも頭に入らないと言う事も多くあるのではないですか。
知らない事も依然多すぎて、例えばこの時代の徴兵制はどうなっていたのだろうかとか、ふと思ってみたりもします。
徴兵と言うと、先の太平洋戦争での、悲惨な学生から果ては子供のような者まで引っ張っていったイメージしか思い浮かばないのですが、それ以前はどうだったのでしょうか。調べてみましたよ←ちょっと偉そう。
私の中にも、なんとなくイメージの勘違いもありました。徴兵と召集はイコールではないのですね。20歳になったら徴兵検査を受けるけれど、闇雲に引っ張られていったわけではなかったのです。4
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あっと、やられた。近頃書きかけでちょっと席を立つと、続きを猫のももが打っておいてくれるのです。でもどうやったらこうなるんだろうか。
と、それはともかくで、お話を元に戻しますね。徴兵と召集については次のところを参考にしてください。→徴兵制度wikipedia /日清戦争・動員wiki
30年、ずっと戦争をしていたわけではありませんが、10年おきに戦争が起きればなんら影響を受けないわけではないと思います。ただこの戦争は中身がかなり悲惨でも、とにかく勝ち続け、本土は戦場にはなりませんでした。運悪く名誉と言う名目で召集に引っかかった人たちを除けば、兵隊さんたちには感謝しつつも、かなり対岸の火事的な部分もあったんじゃないかと思います。加えて好景気なんかもやってきていれば、人々の戦争と平和に対する認識も今とまったく同じとはいえないと思います。
だけど次の21年後に始まった大戦が、人々のそんな気持ちは根底から覆えされたと思います。
第二次世界大戦は1939年から1945年。
日清戦争の時代に生まれた子供も、第一次世界大戦が終わった年に生まれた子供もみんな引っかかってしまいました。この戦争の事は、今ここで深く書く必要もないことですね。
人々はこの大戦であまりにも多くの犠牲を払ってしまいましたが、それでようやく手に入れたものもあった・・とこの先を今、深く書くのは私的には怖いですよ。いろいろな方がいますからね。で、今はさらりと行く事に。でも戦争ばかりしていた日本が、65年(まだ8月がきていないので)戦争をしていないのは、当たり前ではなく奇跡かもしれません。それは・・・って、まだブログには書かないんだっけね。
私は戦争を知りません。多くの人も知らない。それって素晴らしい事だと思いませんか。
65年も戦争をしていない。凄い事だと思っているんですよ。例えば、この私が35年の寿命が有るか無いかは微妙なところですが、生きている間は戦争などは知らないと言う人生を送りたいです。そんなんでようやく100年の歴史が出来るんですよ。そしてその思いは次の時代になんとしてでも受け継いでいただいて、100年200年の歴史を作っていかなければと思っています。
なるほど、これがこの記事の結論かって・・・いやあ、ちょっと違います。
ここに書いたことは、いつも私が思っていることですが、次に書くことの下地です。前書きかな。