最終回の感想と言うより、お纏めのようなものです。
「ゲゲゲの女房」に嵌って、次の朝ドラ「てっぱん」も引き続いて見ていました。でもなんとなく惰性で見ていたわけではありません。以前は、朝からドラマを見る習慣がなかったので「ゲゲゲの女房」が終わったら、朝ドラは終了しようと思っていました。だけど姉が、「次の『てっぱん』は凄く面白くなりそうな予感がするから見てみなさい。」と言うので、「どれどれ」と見てみたのです。
だから見たのは2回目から。でも1回目の初音と言う女性がトランペットを桟橋から投げ入れ、それを迷わず海に飛び込んで拾うあかりと言う少女の衝撃的なシーンは、繰り返し映されました。そのシーンはまるで映画「ジョーズ」の冒頭の女性が襲われるシーン同様な衝撃さがありました。「恐ろしい」と言う意味ではありません。見ているものを、その世界に引き込んでしまうスイッチ的なシーンと言う意味なのです。あかりを演じた瀧本さんが冷たい海の中を飛び込んだ甲斐もあったと思います。
そしてそのシーンは最終回には、重要な台詞となって蘇ってきます。その事は後ほど。
お話は・・こういっては何ですが、全体的にはいたって「普通」です。
こう書くと誤解され、上の一行で熱心なファンの人たちを敵に回してしまったかもしれませんが、早まってはいけません。これから一杯褒めるのです。
自分の出生の秘密を知った少女の成長の物語。
一言で言うとそんな感じです。その少女あかりが祖母だと分かった初音の家にいろいろ事情が出来て下宿人としてやってきたのは偶然と言うよりかはドラマの必然。そして、そこで「おのみっちゃん」と言うお好み焼き屋さんを開き、かつおぶしの会社の人々や下宿人たちと触れ合い、そこに様々なドラマを織り成しながら、加えて様々な秘密の扉を開けながら、触れ合った人々と成長していったと言う物語だったと思います。
と、まとめたら、やっぱり不満の声が聞こえてきそうです。分かっております。
この物語は、ダブルヒロイン(そう初音こと富司純子さんが言っていたので、そのまま使わせていただきます。)。
子を失った母の再生の物語。
てっぱんの上で焼かれたお好み焼きをひっくり返えすように、物語をひっくり返すと、実はそれが見えてくるのでした。
私はどちらかと言うと、そちら視点で泣く事が多かったかもしれません。
お話を普通と書いたのは、実は少女マンガなどを読みなれて数十年と言うものにとっては、目新しい展開はありません。でも、この物語は台詞がとってもいいのです。毎回ジーンときたりしみじみしたり、涙と共にみたりしました。加えてテンポも良いのです。正味で言ったら13分ぐらいしかないと思われるのに、盛りだくさんにお話がつまっていて毎回お話が充実しているなと思いました。そしてその素敵な台詞を、そのまま素敵に伝えてくれた俳優さんたちに拍手です。
一人ひとりのキャラがこんなに生き生きとしたドラマは、そうそうないのではないかと思います。若手の頑張りも言えていますが、やはり中堅、またはベテランの女優・俳優さんたちの演技力が全体のレベルを引き上げた事は間違いのないことだと思います。
この物語、私は家では「てっぱんクエスト」と呼んでいました。実は謎がたくさんあるのです。
千春はなぜ尾道に来たのか。千春のトランペットは、なぜ古道具屋にあったのか。あかりの父親は誰なのか。千春との間に何があったのか。なぜ初音は18年間も千春を探さないでいられたのか。初音の下宿屋の開かずの部屋には何があったのか。下宿人にも謎の人物が。例えば、なぜ冬美は変な大阪弁を使うのか。笹井さんはどうやって生計を立てているのか。
物語の展開も神田さんと小夜子さん、伝さんと初音さん、あかりと滝沢君、またはあかりと社長など恋ばなの行方も気になりました。
クエスト部分は、最後までイマイチわからないままのものもありましたが、まあ、それはご想像にお任せしますと言うところだと思います。でもやっぱり気になるのは、なぜ古道具屋に千春はトランペットを売ったのかと言う点と、笹井さんの生活費でしょうか。とうとう謎のままでした。
それはともかくとして、私はこのドラマを見ていて、やはり大事な人たちに美味しいものを食べさせ続けるという事は、とても大切な事なのだと思いました。まあ、ある意味当たり前の事でもあるわけなのですが、それでもしみじみと実感しました。飯を作ると言うのは、主婦にとっては当たり前のように課せられた仕事です。ただ毎日毎日感謝もされずに作ります。朝からメニューなどを考えたりして。でも下手をすれば食事だけしか作らなかったという日があっても、それはそれで大切な事をやった日なのだなとも、このドラマを見ていると思えたのです。
どんな辛いときでも朝は必ずやって来る。
生きる事は食べる事。
・・・そう書いて、ちょっと手が止まります。ちょっと胸も痛みます。被災地の方々には、もうちゃんと食べ物は届けられるようになったのでしょうか。小学5年生の少年の「おにぎり一個」と言うインタビューをテレビで見て「夢を見ているところ」と言う詩が出来たのですが、このドラマを見て毎朝元気付けられていた、東北の皆様に、がんばれの言葉の変わりに暖かい食べ物などが滞りなく届けられている事を祈るばかりです。
このドラマは好きでしたので、NHK-bshiで見て、bs2で見て、総合で見ていました。二回目はなんとなく時計代わりでもあったのですが、三回も見ているかなり熱心なファンのひとりだったかもしれません。でもこの震災で、bs2は中止。遅れて始まったbshiと総合では1週間のずれが出来てしまいました。だから、実は先週最終回は見ていました。でも、私にとっては今日、このドラマを見続けた人たちとご一緒に最終回を迎えたいと思いました。
それでも・・・と書いて、もういろいろ思っている複雑な部分、やっぱりもう書くのはやめておきますね。
まあ、そんな時代にあったドラマだったと、後々思い出すこともあると思います。
「ところで、おのみっちゃん、何でお好み焼屋、始めたん?」
「トランペット、拾ったからかなあ。」
「初音はん、何で定食屋始める事になったんか?」
「ラッパ、捨てたからかな。」
初回のシーン、それがあったから、彼女たちの今があるのですね。
あの時があるから今の私がいる、そう思うこと、私たちにも同じような事がたくさんあるかもしれませんね。これからの先の人生にも。
と言うわけで、恋バナ全部スルーした感想も終わりです。
エンディングもてっぱんダンスのシーンは出演者が多数出ていて大感激でした。
でも、ダントツ好きだった冬美さんがいないのが寂しかったです。後半登場ののぞみさんとは真逆の、名前とも反対の春のような人でした。このドラマの中の役割を終えて(あかりにお好み焼き屋を開かせるという役目)、途中打退場だった事が残念でなりません。
それからもうひとり。。。いいえ。橘さんではありません。
鐘のそばで隆円さんと千春さんが踊っていて、ふと気が付くと彼女はいなく、隆円さんが優しくだけど苦笑いをすると言う一瞬のシーンが欲しかったなと妄想してしまいました。と言うわけで、おしまい。ありがと。
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