「日光浴ノート☆千手ヶ浜」の続きです。
私たちは、低公害バスに乗って「西ノ湖入口」と言うバス停はスルーして千手ヶ浜まで行き、そこから戻ると言う計画でした。
だけど千手ヶ浜に向かうバスの中から、ちょっと気になる事があったのです。
それは人が車道をチラリホラリと歩いていた事なんです。しかも歩道にもなっていない、いわば道なき道を〈山道と言う意味ではありません。車道の端っこと言う意味です〉。
戻ると言う事はそう言うことなのかしらー。
なんか嫌だな、そう言うの。
確かにそう思って戻りかけはしました。でも案内地図でちゃんと山道がある事が分かりました。
本当に良かったです。
ここを歩かなかったら意味なかったです。
車道を歩いていた人たちも、きっと違う用が歩く先にあったのですよね。思い込んではいけないのだ^^
私のプロフィールの自己紹介「ドラマ大好き、映画大好き、森や歴史が好きです。」。
何も間違えてはいないのだけれど、ドラマ・映画・歴史と同列に森が好きとすこぶる雑にねじ込んでいるなと、実は自分では時々思っています。
「森って何?森って!?」
と言う感じじゃないですか?
だけれど本当は本当に、森が好きなんです。
こんな美しい風景の中に身を置いてしまっては、心の中ではスキップをし
ら~ら~ららら、ら~ら~ららら♪←なんでか「雨に歌えば」
などと鼻歌でも歌いたい感じです。
でもそれはあくまでも心の中でです。
実際は、前行く人のように黙々と歩きます。
日光が美しいのは、あるがままを大切にしている自然林だからなのかも知れません。
倒木の苔がそれを物語ってると思いました。
私「ねえ、こういのを見ると『ナウシカ』とか『もののけ姫』とか連想しちゃうよね。」
通じナーーーーい!!!
そうだった。友達、映画とか見ない人でした。
「まっ、いいか。」
こういうギャップって、意外と面白いんですよ。
会話が違うふうに転がって弾むとかね。
でもある一点が共通であると言うのは大事なポイントじゃないかと思います。
この道を歩いていたら標識が立っていました。
西ノ湖までは、後どのくらいと言うものかと思って近づくと
「山の神 0.2km」と書いてありました。
「山の神 !?」
なんだろう。
山の神と言う名にふさわしい巨木だったりして。
もう気になってしまって、
「行かない?」と聞くと、みんな二つ返事です。
行ってみたら、そこは巨木とかじゃなくて本当に山の神が祭られていました。
小さな小さな祠です。
この森の大きさと比例しない小さな祠が、逆に「怖い」と私には感じました。
小さいがゆえに大きい力があると言う妄想ー。
山の神と言うのは森の神秘なるものを司り、少々怖い存在でもあるんですよね。
だから怖くなってしまった古女房をうちの山の神と言うのだと思います。
怖いと思いながら、周りの木々をさりげなく写したら、なんだかまがまがしく映ってしまいました。
だって、こんなにジィーーーっと
見られたらね・・・・。
「山の神」を後にして、カラマツの林を抜けて
吊り橋を渡り〈吊り橋の画像はないけれど、その上から撮ったもの。〉
「西ノ湖」に着きました。
いろいろ画像が足りません。空は青空だったのに森はけっこう暗くて、未熟者の私には上手く撮れなくて気持ちが凹み、撮る枚数が減ったのですね。
着いた西ノ湖は凄く静かな湖でした。
この湖は季節や水量によって大きさを変える湖のようです。
私たちが行った時には水量が多く、その静かさが癒しのパワーを放出していました。
山は真っ赤ではありませんでしたが、秋本番を待つ余裕のような優しを感じました。
この後、「西ノ湖入口」のバス停まで戻ってそこから「小田代ヶ原」に向かいました。
って、ここからバス停までがちょっとえらいこっちゃだったのよね。
そのお話は次回ね。