「日光浴ノート」番外編。
ブログのお友達、キミコさんが私の「日光浴ノート」を読んで、この歌を連想し教えてくださいました。
秋の野 井原義則 2012
最初この歌を聞いた時に、ちょっと怖いような気がしたのです。
「あの子」と言うのは、誰なんだろうー。
座敷ではないので座敷童とは言わないけれど、まるでそんな感じにも感じたのでした。
北原白秋作詞。
彼はどんな気持ちでこれを書いたのかしら。
繰り返し聞いていると、私がちょっと怖いような気がしても無理ないような気がしました。
これは私の感覚なので、もちろん正解と言うわけではありませんが、やはり「あの子」と言うのは、薄い秋の日差しが見せる幻影なのだと思いました。
だから「見たような子」つまり「みたよなあの子」なのかと。
それは過去の自分なのか。それとも大人になるにつれて離れて行ってしまった懐かしい友達の幼い姿だったのか。
または成長してしまった子供の幼かった頃の姿なのか・・・・・・・。
ああ、これはちょっと泣ける。
いずれにしてもその子は、ちょっと走っては振り返り同じ道を歩く私に微笑んでくれるのです。
秋の日のたそがれ時に寂しい野を行けば、黙々と足を左右に出して進んでいくけれど、心の中では誰かと対話していたりするものです。
その誰かとは、過去の自分であり、そして「あの子」の幻影を見るのかもしれません。
この曲を聴きながらマウスをスクロールして、私の「日光浴ノート」の画像を見てみてください。
ちょっと違う風景に見えるかもしれませんね。
女性が歌うバージョンもあります。↓
https://youtu.be/BP62jvg-4D8