「松陰神社〈世田谷散歩その1〉」の続きです。
このブログでは、私が一つのお店を記事にする事はほとんどなかったのではと思います。
だけれどもどんなに東京と言う近い所でも、そこに行くのは一期一会の縁かなと思う場所と言うものがあると思います。
例えばひとつ前に書いた「松陰神社」などはそれにあたるかも知れません。そしてそれに伴って訪れたお食事した場所も然り。
でもその場所が、とっても素敵な空間だったら申し分の出会いだったと言えるでしょう。
あっ、そうそう。
本文に行く前に、ちょっと思い出したので書かせていただきますが、10月15日の朝は、人身事故の為に千代田線が止まってしまいました。北千住で乗り換えようと立ち上がって、まさに降りようとしたらアナウンスでそれを言うんだもの。頭が切り替わらなくて降りてしまい、とりあえず千代田線ホームに行くと、まあ、なんていうかお祭りさ~。
平日の朝で、通勤の人は遅延証明とかも出してもらわなきゃならないわけだし、たまに外出のおばさんたちは(あちきも)次はどのように対応して目的地に行くのかさっぱり分からなかったりして、窓口や質問する人のために立っている駅員さんに群がり、あちらこちらで電話などを掛けている人がたくさんと言う状況が目に飛び込んできました。
ワタクシ、ほとんどスマホなるものを使いこなしていないのですが、こういう時だけ便利です。ぎゅうぎゅうの常磐線に乗り込んで上野まで行き、そこからは検索してようやくたどり着くことが出来ました。
だけどなんだかんだと言って、予定より30分オーバーで家を出てから3時間。
おばちゃん、疲れちゃった・・・・。
〈東京、近くない・・・・涙〉
と言うわけで、ようやく本題です。
「松陰神社」から私たちはタクシーを拾ってそのお店に向かいました。
なんだかリッチな感じですが、妹が電車で移動だとさらに遠回りになると言うので、ここから「古無門」まではすぐだからタクシーで行ったほうが良いと言うのでそうしたのです。
もしもこの記事のコースを参考になさる方がいらっしゃるといけませんので、一応書いておきますが、「すぐ」と言ってもワンメーターでは行きませんでした、あしからず。
でも複数の方で行かれるのでしたら、楽でお得かも知れません。タクシーはバンバン来ますよ。さすが東京です。
〈すっかり、カントリーウーマンな私。〉
何気ない街の風景の中を車は走ります。
でも私には、その何でもない風景が愛おしい。
それは心がすっかり旅人のような気持ちになっていたからだと思います。
世田谷弦巻はこんな街なんだと思いました。
たぶん一期一会の街ー。
「古無門、知ってますか?」とタクシーの運転手さんに聞いたら
「ああ、あの森の中にあるお店ですよね。」
もうその言葉だけで期待値は上がるってものですよね。
本当に森の中にあるような感じです。
窓から見た風景。
下には、何かが潜んでいました。
古無門はこなもん。
お好み焼き屋さんです。
妹がチャッチャと焼いてくれました。
母がちょっと驚きました。
「えっ、この子が!」
実家にて何かをやる時には、彼女がメインになってと言う事はあまりありませんから驚いたのだと思います。
「そうよ。鉄板は彼女にお任せよ。凄く上手なんだから。」
と、私と姉は言いました。
そう言う私たちも、2011年2月に姉妹で浅草を訪れた時に妹はこういうのは上手なのだと知ったのです。→「浅草もんじゃと東京スカイツリー」
それにその時まで、もんじゃの作り方を知らなくて、なるほどこうやって作るのかと感心したのでした。
その後、やっぱり作り方をちゃんと知らない友人に教えてあげたんだと言うと、
「結局、口だけでお姉ちゃんは焼かないのか。」と言うので
「うーん。焼く係は嫌なんだなぁ・・・。なんかいらない緊張をしちゃってさあ。」
それは、ひっくり返す時にぴゅーんとお好み焼きがあらぬ方向に飛んでいきそうだから・……じゃ、決してなくて〈やっぱり、そうかって今思ったでしょ!?〉、要するに人前パフォーマンスが嫌なのね、たぶん。
陰でこそこそが好きなのよ。
だから実家にて大量の揚げ物なんかをするのは、たいがい私のお仕事です。
家にはもんじゃを食べる小さいヘラがあったと言うのに、ちゃんとしたもんじゃの作り方を知らなかったのは、ちゃんとしたもんじゃを子供の時に食べなかったからだと思います。
「近所の駄菓子屋さんに鉄板のコーナーがあったよね。粉しかないようなもんじゃ。」
「うんうん。あんなのでも美味しいって思ったよね。」
「懐かしいね。」
おしゃべりは尽きず、だけれどお腹がいっぱいになったので次に移動です。
そこから歩いて次に向かった先は・・・・・。
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古無門の住所 「〒154-0016 東京都世田谷区 弦巻4-14-1 東急ドエルアルス弦巻1号棟」
03-5451-8800