93歳は人間にしては長生きだと思う。
だけれど後17年ほど生きて頂き、
さすが先生、まるで妖怪ですねと
言ってみたかった。
※ ※ ※
今日(11月30日)はお昼前からちょっと出かけ、戻って来てからもしばらくはテレビもネットにも繋ぎませんでした。夕方近くにブログを書いてリアルタイム解析を開いてみたら、少々ですが「深大寺「鬼太郎茶屋」」の記事が読まれているのが気になったのです。
今度そこに行ってみようかなと思った人が、検索で訪問してくることはままある事ですが、それにしては数が多いのです。
ああ、もしかしたらと思いました。思ったとたんに、水木しげる氏の訃報の記事が「みんなのブログ」から流れてきました。
彼を偲ぶならば、その記事よりも「ゲゲゲつれづれ」のあれやこれやの記事を読んでもらいたかったなと思った私ですが、「深大寺・・・」の記事を読み返してみて、その下の方にリンクは貼ってあったことを思い出しました。
私の理想の男性でもあった鬼太郎。
鬼太郎のお父さんがなぜ目玉おやじになったのかとか、「ゲゲゲつれづれ」はその他の蛇足いっぱいのオハナシで綴った水木しげる氏との漫画の想い出です。
少し前の事ですが、お話し好きの中学生男子がホラーだったか何かの話を振ってきました。そのふられた話自体は忘れてしまったのですが
「水木しげるが戦争に行った南方の密林の中でヌリカベを見たって言うのは有名な話だ。」と私が言うと、
「ヌリカベと言うのは、これこれこのような妖怪で・・・」と講釈をたれようとする少年。
いや、待て待てとそれを制止して私は言いました。
「水木しげるを知らないんだな。『ゲゲゲの鬼太郎』を描いた人だよ。」
それを聞いて、「ああ、」と理解した様子。頭の中にアニメのキャラが浮かんできたのですね。
そしてようやく会話が成り立ったのです。
と言っても、その時の状況的にはそのような話題で長話が出来るようなものではなかったので、短い会話でした。
それでもー。
「ヌリカベと言う妖怪がいるかいないかの問題ではなくて、なぜ彼は密林でそれを見たのかと言う事が大事な事なんだと思うのよ。その妖怪は、彼の死の恐怖の化身だったのかも知れないし。現に彼は片腕を失っての帰国だったわけだしね。」と私。
彼の恐怖の化身ゆえに彼を守り助けたと言葉をつづけたくても、少年はもうその先は聞けませんでした。
「えっ!? 『鬼太郎』を描いた人って、腕がないんですか。」
彼が戦争で片腕を失った事は多くの人が知っている事だと思います。でも知らない人も多いのです。子供たちなどもそうだと思います。私自身、そんなに昔に知ったと言うわけではありません。
知った時は、今、目の前にいる少年のように衝撃を受けました。利き腕ではなかったからと言って、いろいろと簡単じゃない事がたくさんあったと思います。
きっと目の前にいる少年の胸のうちは、さながら耳が聞こえていないのに美しい曲を作曲したベートーベンのお話と同じような驚きがあったのではないでしょうか。
「ふーん、水木しげるか・・・。」と少年は言いました。
きっとそれまで、彼にとって氏はノーチェックの人だったのだと思います。でもほんのちょっとの会話でも伝わっていくものはあるのですよね。
ひとりの命は重いなと私は思います。
氏が命を戦場から持ち帰ってくれたおかげで、私たち多くの者が彼らに会えたのですから。
ありがとう。
ー 生きるか死ぬかの戦場で片腕だけを失って帰国できたことを幸いと思って、93歳まで生きた。
彼は戦場で何を見て、そして何を伝えたかったのか。-
追記:朝の情報番組での水木氏の園遊会での飄々とした態度を見ていた夫がボソリ。
「この人は、本当は妖怪だったのかもな。」
そうか。100年生きなくても、彼は既に妖怪だったのか。