2月9日夕方から雪になるかも知れないと不安を抱きつつ、上野の「国立科学博物館」でやっている「世界遺産ナスカ展」に姉と二人で行ってきました。これは2006年3月にも開催されたものですが、要望にこたえてのアンコールだそうです。
ナスカの地上絵って、ロマンがありますよね。見所は「バーチャルで飛ぶ!ナスカの地上絵」なんですが、大画面で見るそれは、なかなか見応えがありました。地上絵もですが、遠くに連なる山々にも感動しました。
でも、私的には、それは思っていたほどのことではありませんでした。予想外に感心したのは、展示してある土器たちの色鮮やかさでした。
―どうしてこんなに色鮮やかなんだろう。―
―どうして、そのまま残っているんだろう。―
そんな疑問を感じていると、展示と展示の間に、そのみんなの疑問は予想済みというようにその答えが書かれたボードが展示してあるのです。
それらの土器に描かれている絵は、今の世にも通用しそうな可愛らしさです。
こんなものから携帯で撮ったので、分かり辛いのですが、鳥とピーナッツを持った猿。
←こんなもの。目盛りつき栞。
私はそれらの土器を見ていて
―物は時代だ。― と言う事を感じてしまいました。
なぜなら、それらの土器ははるか昔の、ある人たちが作ったのです。だけど私たちはその土器を見た時に、その一人ひとりに思いを馳せる事は、ほとんどないのではないでしょうか。そしてその時、私たちはナスカ人という人の集合体に思いを馳せると言うよりは 、ナスカの人たちが生きた「時代」に思いを馳せるのです。つまり、ある個人が作った壷を見て、その「時代」を思うのですね。
<絵葉書から>
この「ナスカ展」では、地上絵に関して、はっきりと宇宙人が書いたものでも超古代人とか言われているものではなく、ナスカ人が書いたのだと、明言しています。
その理由も書き方の説明もボードにて展示してありました。
なかなか興味深いです。
確かに宇宙人説はロマンがありますよね。でも、ナスカ人が書いたというのでも大ロマンがあります。
家に戻ってこの地上絵のことが、家族で話題になりました。
「でも、この絵は地上からは見ることが出来ないんでしょ。」
「見る必要はなかったんじゃないかな。見るべき人は自分達ではなく天にいる人、つまり神だったり死者だったりだったんじゃないのかしら。」
「つまり、宗教的なもの?」
「そう思うのが、自然だよね。」
実はかなり混んでいて、上の部分に関しては何かを読んでの裏づけのあるものではありません。
ただ、ナスカの地上絵は一筆書きになっています。人々はそこをなぞるように歩き、そして、祈ったと書いてあったような気がします。
情けない書き方ですが、三連休初日は結構混んでいて、なんと寒空の中入場10分待ちだったのですよ。
人と人との間をかいくぐり、感動していました。ナスカの地上絵は瓦礫だらけの平原の瓦礫をどかし、地表を出すことによってその道が線に見えるのです。三歩ぐらい歩ける体験コーナーがあって、そこに立ってみたら、訳もなく感動しました。単純な性格な方がハッピーですね。
お土産に買ったマグネット。
土器が色鮮やかなのは、顔料が鉱物系だったのと
釜を作らずに壊れた土器で蓋をして焼くからで、つまり製造の仕方によるものと言うことだったような・・・。なぜ、それが褪せずに保存されていつかと言うと乾燥された気候が、その色を守ったと言うようなことが書かれていたような・・・。責任持てません(汗)
24日までです。
この日のランチは上野精養軒にて。写真はコチラにあります。