ある年まで2月14日のバレンタインディーの時には、過去の想い出を切り取ってその想い出を書いていました。
中にはほんの一瞬のシーンなのに、いつまでも煌めいて忘れられないそんな場面もあるのですね。
以下の記事は2008年に書いたものの再掲ですが、私にとっては今でも瞼を少しだけ濡らしてしまう想い出になってしまったお話です。
♡ ♡ ♡
2月1日の誕生日の日、なぜか私は一人の少年のことを思い出していた。彼は中学時代の同級生。異性でありながら彼には友情みたいなものを感じていた。
昨年のバレンタインの時に、中学一年の時の友人の体験を書いたので、今年は予定では、二年の時の私の想い出などを書くつもりだった。でも、思い出してしまったので一年とんで彼の話なんかを書いてみたいと思う。
彼の名前は笹目雪生(もちろん仮名)。
雪生は、今で言うところの爽やか王子のような上品な顔をしていた。真面目でおとなしく成績も中の上。なんでも一生懸命やるタイプなので、先生の信頼も厚く、生徒会では副会長なんかをやっていた。ゆえに女子にはモテた。
私は彼と中学の二年、三年と同じクラスだった。二年の時は私の友人は彼に熱い想いを寄せていて、徹夜して毛糸で何かを作り上げ送ったのだった。だけど、その思いは通じなかった。後で雪生ははっきりと、私に彼女は苦手だと告げたことがある。
その彼女はその当時、人気のあった吉沢京子に似ていると言われていた。つまり美人だった。だけどその美しさが年頃になって遺憾なくその力を発揮して、その美しさに見合った良い想い良い結婚をするまでには、まだ時代を待たなくてはならなかった。その頃は美人だと言う事はまったく武器にならず、彼女はもてなかった。性格ブスだった から・・・
一言で括っては気の毒だが、今回は彼女の話ではないので我慢して貰おう。
雪生が好きになってしまったのは、顔は並、成績は並以下、だけどやたら明るく悪戯好きでお茶目な、やっぱり同じクラスの少女だった。私は、雪生が彼女のことを好きだと、そっと私に告げてきた時、正直心の中で吃驚していた。
何であんな子を・・・。
でも新たに見直してみると、彼女のような人ををキュートと言うのかも知れない。
だけど勘違いしてはいけない。美人で性格ブスの私の友人と比較してキュートな彼女が性格美人と言うわけではない。
彼女はクスクス笑いながら、そっと私に言ったのだった。
「見てな~。あんなやつ、すぐふっちゃうから。」
しばらくの間は初恋に破れしょんぼりしていた雪生だが、だからと言って、彼はのんびりしているわけには行かなかった。
何かの時に彼の志望校を聞いたとき、私はあまりにも正直に言い過ぎてしまった。
「ゴメン、あなたってそんなに頭良かったんだ。私、勘違いしていたよ。」
「いや、勘違いじゃない。先生も厳しいって言っている。」
彼の志望校は、成績が中の上なんて言うのでは無理だ。上の上でなくては無理なのだ。だけど、彼は何でも一所懸命の覚悟の男だったのだ。
生徒会役員もやっていられないからとクラス推薦も断ったのに、他に推薦できる(押し付ける)相手もいなくて、彼が推薦されてしまった。
「大丈夫だよ、今度は選挙なんだから、俺には入れるなといえば選ばれないんじゃない。」とみんなに言いくるめられての立候補だった。
そして、彼は実行した。体育館での演説会で彼は叫んだ。
「頼む。僕は志望校に入りたいんだ。死に物狂いで勉強しなくては無理なんです。だから僕に絶対に絶対に入れないで下さい。」
そのパフォーマンスが受けに受け、断とつトップ当選で彼は生徒会長になってしまった。
ああ、青春は麗しい。
そして、三年のバレンタインの日がやって来た。
〈その2〉
自分の実力よりかなりハードル高めの志望校を目指して、笹目雪生は頑張っていた。やらない予定でいた生徒会長も、結局やるはめになってしまったが、 やると決めたからは、なんでも手なんか抜かない。そうこうして、あっという間に一年は過ぎて、公立高校の試験まで後わずかに迫ってきた。
バレンタインディーは、そんな時にやってくる。
でも、彼は何かの時に私に言った。
「今年は、チョコレートなんか誰からも貰わないんだ。そんなことは全てわずらわしい。」
「え~、それってないんじゃない。」
その時は、ただの世間話だった。
でもそのことは今思うと、とんでもない話だ。なぜなら、その頃はホワイトディもないが義理チョコもない時代だ。まだバレンタインも浸透しきっていたわけでもなく、猫も杓子もチョコレート売り場に殺到するわけでもない。
それなのに「チョコレートは受け取らない。」なんて決意しているなんて、とんでもないやつだ。
だけど雪生にチョコレートは届くだろうかなんてことは、私には関係のないことだ。すっかり忘れていた2月14日。
休み時間、トイレに行って前の扉から教室に入ろうとすると、友人が袖を引っ張って言った。
「見て、下級生がチョコを持ってきてる。」
見ると、後ろの扉の所に雪生が下級生二人と向き合って立っていた。首を振って、手も振っている。
「本当に断っているんだね。」と、また友人。
私は、心の底からムカ~ッときた。
二年生の時の自分の体験を書いていないので、このときの私の気持ちは分かりづらいと思う。だが、、如何にバレンタインがチョコレート会社の策略で 始まっていようとも、義理チョコ、友チョコ、自分チョコ果てはお父さんに上げる家族チョコ、そんなものが出回るまでには長い歴史があったのだ。バレンタイ ンのチョコレートはお菓子にあらず。「心」なのだと思う。心は目では見えない。だからどんな「心」かは分からない。分からないものを一緒くたにバリアを 張って跳ね返すなって。どんなに切ない「心」が隠れているかも知れないじゃない。
「何よ~! どんな気持ちで持ってきていると思ってんのー !!!」と、
私は心の中で叫んだ・・・・・・と思ったが違っていた。
うっかりと声に出してしまったみたいだ。しかも、すこぶる大声で。
下級生がチラリと私を見た。雪生のちょっと驚いたような目が私の方に向けられた時に、私は自分が声に出した事に気がついた。
―マジィ・・・・―
次の瞬間、私はまるで瞬間移動したかのように教室の自分の席に戻り、そして何もなかったかのような顔をして本を読んでいた。
しばらくして教室に戻ってきた雪生の手の中には、チョコレートの箱が二つあった。
「アレッ!?」と言うと
「・・・・・」
なんとなく彼は不機嫌そうだった。意思を通ら抜けなかったから?
「そうよ。」私は彼の背中に向かって言った。
会話になっていない二人の会話。
―そうだよ。チョコレートを貰らって落ちるような学校なんか辞めちまえ。
もちろん、そんな事は本当には言わない。
私は静かで目立たない大人しい子供だったから・・・・・ね。
だけど、本を読む振りをして私は密かにほくそ笑んでいた。彼が自分の信念を曲げて、下級生達が傷つかなかったことに満足していたのだった。
いや、違うー。
彼が私の一瞬の声に耳を澄ましてくれたことが嬉しかったのだと思う。
その雪生は、見事にさくらの花を咲かし、志望校へ進学していった。
自分の誕生日のその日、私はストーブの前でソファにも垂れて、雪生の事をぼんやりと考えていた。あ あ、私も結構生きてきたなぁと思いながら、自分の人生と重ね合わせ、20代の雪生、30代の家族を持った頃の雪生、40代のおやじになった雪生、そんな彼 の人生を思い浮かべていた。
だけれど、本当は高校一年の夏休み、彼は海で溺れて死んだ。その後の人生はない。
人は二度死ぬと言う。肉体の死と人の中にある記憶の死。
少なくとも、笹目雪生に二度目の死は訪れてはいない。