森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

今やるべきことは・・・&つれづれに

2016-02-19 11:56:56 | 梢は歌う(日記)

私が今やるべきことは、ズバリ家の片づけかなと思っています。

でもこの家の片づけに終始し、その事だけで頭をいっぱいにするのは、いかがなものかとも思います。

これを仕事にしているのであれば、また別の話ですが。

 

でもやっぱり今メインでやる事は、掃除と片付け。

で、コツコツやっています。

その記事を書きたいなと思っているんです。

 

だけどその他の書きたい事もたまっていってしまうんですよね。

 

欲張り、私。

 

NHKの「あさイチ」で藤原竜也さんの楽しいトークを見ましたが、その感想も含めて、明日は「海底の君へ」の放送があるので、明日は竜也さん関連一色でいこうと思います。

 

でも今日は、溜まってしまったささやかな事をメモ的にどんどんアップ出来たら良いなと思います。

と言いながら、つべこべと文章を書くので、いつも2つで終わったりすることが多いのですが、いくつ行けるかも挑戦しちゃおうかな・・・。

 

 画像が無いのも寂しいので載せました。昨年のカレンダー写真です。

 

とりあえず、今、一番最初に言いたい事は、

失敗こそが自分の財産になる時があるって事ですよ。

いや、本来は成功の記憶が(私もそうですが)人の人生を支えるものだと思います。、失敗の記憶は辛くてずっと自分の負の部分を形成していたとも言えると思います。

だけれど人生で無駄なものは無いと言うのも本当で、その失敗の経験が必ず自分の血と肉になっていたりすることに気が付くことがあるのです。

ただそれはすぐにじゃない場合が多いのです。

 

私の場合なんて・・・・

とにかく私は、嫌な事から逃げる体質で面倒な事は後回し的な性格。だから私の人生なんか失敗の連続ですよ。

そしてその最初の大きな失敗は高校受験です。

きっとその頃までは、かなり自分に自信を持っていたのでしょう。最初の挫折に私はちょっとノイローゼになり、今みたいに心療内科みたいなお気軽に門が叩ける所があったなら、私はそこに通院したと思います。

この頃の気持ちを書いた記事が吉田拓郎氏の歌について書いた「自殺の詩」です。

 

その時の失敗は自分の中で、はっきりと負の部分を形成していました。ある意味トラウマになっていたと思います。そのトラウマから抜け出したのは、長男の受験の時でした。詳しくは書けませんが、彼が私を負の池の中から救い出してくれたように思います。

そしてその時のあれやこれやの経験は、今の私の財産です。

「その時」と言うのは長男の受験の時ではなく、私の受験のその後の時の事を指して書いたのですが、今思うと彼とまたルート君の受験も含めて、みんな良い想い出と経験になりました。もちろん良い想い出ばかりではないのですよ。

 

そして失敗の経験だけはたくさんある私に、「あの時の失敗」「この時の失敗」と言う経験が本当に役に立つ時が来たのです。

30年後に。

長い長いスパンです。

 

私にだって絶対に経験したくない事がいくつかあります。怖いのでブログにも書きませんが、その思っているいくつかを除けば、失敗こそが自分の財産になる事もあると、そう言う事もあるのだと私は思います。

 

 

 

 


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相棒14「第16話 右京の同級生」

2016-02-18 17:18:49 | ドラマ(相棒)

2月17日の水曜日、4時からの再放送では「右京の・・」タイトル繋がりなのか、「右京さんの友達」を放送していましたね。

私は、あれが凄く好きなのでライターさんの真野勝成さんは、結構好きなんですよ。

今回の山本むつみさんも「ゲゲゲの女房」とか「コウノドリ」が好きなので、信頼度が高いです。

 

小学5年生の時の、たった3日の同級生。

「先生は間違えていると思います。」

少女のはっきりとした澄んだ声は印象的でした。

そのシーンを学校の先生が見ていたとしたら、こんな先生はいないよなんて、苦々しく思いながら見たのでしょうか。

でも、ふと多くの人の中には、自分の過去にあった何気ないシーンと重なった人も多かったのではないですか。それは盗難事件とかではなくても、教室の中の唯一の大人である先生になんとなく理不尽に感じた感情。その想いをあんな風にはっきり言えるとは、半端な正義感ではないと思います。

 

最後に亘が

「初恋の人だったりして。」と言ったのは、右京は否定したものの、あながち間違いではなかったように感じました。

ただ右京が、ハッと心惹かれたのは、少女の正義感でありそこに同じ魂を感じたのかも知れません。

 

ただ大人になった小峰律子の思う正義と右京の思う正義は違ってしまいました。

 

私は時々、右京の正義にはイライラする時があると書いたことがあるのですが、でも今回は、たとえ正義感から生まれた不正であったとしても、不正を見逃すことはしないと言う右京の正義は理解できました。

この「正義」について深く書くと、ドラマの感想から離れて行ってしまいそうです。

ただ警察と言う立場を背負う人は、いかなる場合もこうでなくてはいけないなと強く思いました。

まずそこから。

そして、では今ある現実をどうしていくのかとなって行くべきだと思ったのです。

 

不正に大小は関係のない事。

そして右京は時々負けるー。

「今日はお見送りだけになってしまいますが、お迎えにも証拠を持って我々が来ます。」・・・のようなセリフ・・・

「我々はあなたを必ず立件しますよ !!!」

「やれるものならやってみろ。」

 

ううう。

後味が悪い・・・。

でも好きです。「相棒」のこういうシーン。

 

今回、凄く丁寧に作られているような気がしました。

面白かったです。

 

ただ余計な事ですが、右京さんが小峰律子さんの事が同級生だったあの律子さんだと分かったのは、名前からですよね。

だって絶対に無理ですよね。顔見て面影とかからなんて・・・・

あっ、やっぱり「愛」だな、愛。

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バレンタイン 2016

2016-02-16 12:09:55 | 梢は歌う(日記)
 
今年のバレンタインは、
このようにムーミンのパッケージのチョコが三つ。中身もそれぞれ絵柄が付いているものも入っていて、画像がないのですが、なかなか可愛いのですよ。私があげる人は、毎年決まっていて夫と二...
 

 

上の囲みは昨年の2月15日にアップしたものです。

 

では今年のバレンタインがどうだったのかと言うと、

だってそれなりの所にお買い物に行けなかったのですもの~。

じゃ、今年はいいかって思ったんだけれど、毎年何らかの形でやっているミニイベントが無いのが気持ち悪くて、金曜日の夜にバス待ちの間にコンビニで買ったんです。

コンビニにも、それっぽいのはありましたよ。

でもどうしてもコンビニでトリフっぽいのを買っても仕方がないんじゃないかなって思えてしまったんです。

それで本当に彼らごのみの美味しいチョコをあげましょうと思い、これを選んだのです。

 

で、上のやつ。

ちょっとお高めのフツーの。

で、結果はね、予想通り、喜ばれちゃった ♪

フツーのやつっておやつに食べやすいんですよね。それにこのチョコ、本当に美味しいみたいです。

 

だいたい写真を撮るのも気合が入ってないから、靴屋さんのレシートなんかが映り込んじゃっているけれど、それは次回の予告って事で。

 

こんなのもあるんですね。

 

ポッキーじゃなくてギリッキー。

これは一緒にお買い物に行った時に、夫が買って自分で食べていました。

「義理チョコです。」と明記されているのが良いですよね。

 

そうは言いながら、私は基本的に義理チョコは、男女双方の負担が大きいので止めた方が良いと思ってる派なんですよ。

うちの夫の会社はとっくの昔の禁止令が出て、みんなでホッとしたみたいです。

そんな中でそっとチョコを渡されたら、そりゃ、ドキドキしても良いですよね。

義理チョコ禁止令が出ていると、妻子持ちには渡せませんよね。

 今の時代はすぐに自分の気持ちに正直になんて言うけれど、妻ある人に渡したりするなんてその正直な気持ちの品性が疑われる行動ですよね。

そして今まで通り義理のふりして、どさくさに紛れて本命チョコを渡すなんて言うちょっと惨めで切ないドラマは生まれる事はなくなるのでしょう。

 

そう言えばこの時期、美味しそうなチョコレートがたくさん出回るから、自分の分を買うっていう「自分チョコ」っていうのがあるじゃないですか。それって良いなって思うけれど、やはりそれだって、男の人が出来る事ではないですよね。

そう言えば「その2」なんだけれど、私、「ホワイトディー」って大嫌いなんです。

うちの男どもは5年に一回ぐらいしかその存在を思い出さないみたいで、ごく稀にみじめな気持ちになるのですよね。

「何でもないわ。」って顔をしているけれど、本当はイベント好きなので、なーんとなく機嫌が悪くなるの。(心がちっちゃい (^_^;)

 

だから「バレンタインなんか関係ない。」と言いつつ、なーんとなく気持ちがざわつく男子の気持ちが分かるような気がするんですよね。

それに今はどうか知らないけれど、10年ぐらい前に中学生の女子が

「ホワイトディのお返しは2倍がえしが常識なんですよ。」なんてにこやかに言うものだから、自分も女なんだけれど、なんか嫌だな女ってと思ってしまったのでした。

 

だからいっそ、「ホワイトディ-」なんか撲滅しちゃって、「バレンタイン」に女子も男子も告白し合う日にすればいいじゃないのかしら。

そうしたら男子だって堂々と、自分チョコを買えるじゃないの、・・・・って、そこか~ ^^

 

 

追記

<アップした後に、自分の昨年の記事「今年のバレンタインは」を読んで、今、反省中 ・・・。

失ってはいけないものは常に自分の中にあるのかも。>

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真田丸第6回「迷走」

2016-02-15 09:08:55 | ドラマ (大河)

今更ですかと言われそうですが、今頃になって「タイトル」が楽しみになってきました。

「新選組!」の時もタイトルには拘りを見せていましたが、「真田丸」でもこれはずっと二文字の熟語で行くんだなと、その拘りに嬉しく思ったりもしたのです。それに気がついたのは3回目辺りと気が付くのは遅かったのですが、二文字の熟語でタイトルを貫くっていうのは、回数も多いし時は戦国とお話の内容も内容なだけに、結構難しいような気がするのですね。

だからどんな風に続いていくのだろうかと、それも楽しみの一つになったと言う次第なのです。

 

ドラマを見る前に、そのあらすじなどを読んでいた夫が、

「松は死んでしまうのかも知れないね。」と言うので、驚いて

「いや、この人は長生きよ。」

だいたい死ぬっていうキャラじゃないし。

「じゃあ死んでしまうのは夫かな。」

「いや、あの人も長生きよ。」

「じゃあ、なんで『悲しい知らせと共に帰って来る。』なんて書き方をするんだ?!」

「それは今回のドラマの中では悲劇チックな展開になるって事で、シブトク生きるって分かってるから安心して見てられるわ。」

 

歴史を描く大河の見方には実は二通りあるのかなと思います。

先の事は分かっているけれど、その展開がどう描かれるかを楽しむと言う見方と、さっぱり何も知らないのでどうなっていくのかと筋からハラハラしながら楽しむと言う見方。

そこのところを作り手が良く分かっていると、気持ちの悪いような歴史的改ざんはしないし、松の安否も次回まで引っ張るなんて事はしないのですよね。(助けてくれた男が良さそうな人で良かったですね。)

そんなわけで三谷さんの作品は、安心して見ていられます。

 

 信長が死んで、またも時代の海に放り投げだされたような真田一族。

織田の家臣として滝川の配下になるのか、北条につくのか上杉につくのか・・・・?

 

滝川が明智討伐の準備をしているうちに、秀吉が明智を打ってしまったと報告が入ります。

ようやく秀吉の名前が出てきました。名前ばかりではなく調子のよいような姿もチラリ。

「羽柴秀吉様はどのようなお方ですか?」と滝川に問う昌幸。

ようやく名前がインプットされたところなんですね。

 

一方その頃徳川は、伊賀越えの疲れが取れずに家康はお灸などして休憩中。

本多忠勝などは一日で、その疲れを取ったと豪語します。そして早く明智討伐に行こうと促すのですが、まったく行く気など家康にはなく、滝川の援軍要請にも、行くと答えても行く気なし。

狸っぷりが全開ですが、なんか彼らのシーン、今のところですがコント風で憎めないんですよねえ。

 

そして私には、男たちの汗臭い、いやその段階じゃなくて今後の未来がかかっているわけですが、その駆け引きよりもなぜか心に残ってしまったのは、きりの悲しい対応だったのです。

そりゃ、梅のように

「源二郎様が生きて戻って来てくれて嬉しいです。真田の里で何かあったら、私を守ってくださいませ。」のような事を言われたら、胸もキュっとなるってもんですよね。

それなのにきりったら、

「(松の事を)、あなたのせいではないと言って貰いたいんでしょ?」などと言っちゃうんだものね。

なんか悲しいよ、きり。

梅かきりかと言ったら、私は梅のような人になりたいけれど、なんだかきりのような人になってしまいそうで、思わず応援しちゃいますよ。

あっ、これって、作者はそれを狙ってるのかしら。

まんまとその策略に嵌っちゃってるのか、私 ^^

 

人質になって行くおばば様に付いて行く事を報告したくても、仲睦まじい梅と源二郎の姿を見て、何も言えないまま旅立つきり。

待っているのだよ。

来週は助けに来てくれるからね。

 

 


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あのチョコレートは美味しかったですか2008

2016-02-14 09:53:34 | 思いつくまま

 ある年まで2月14日のバレンタインディーの時には、過去の想い出を切り取ってその想い出を書いていました。

中にはほんの一瞬のシーンなのに、いつまでも煌めいて忘れられないそんな場面もあるのですね。

以下の記事は2008年に書いたものの再掲ですが、私にとっては今でも瞼を少しだけ濡らしてしまう想い出になってしまったお話です。

 

      ♡          ♡         ♡


2月1日の誕生日の日、なぜか私は一人の少年のことを思い出していた。彼は中学時代の同級生。異性でありながら彼には友情みたいなものを感じていた。

 昨年のバレンタインの時に、中学一年の時の友人の体験を書いたので、今年は予定では、二年の時の私の想い出などを書くつもりだった。でも、思い出してしまったので一年とんで彼の話なんかを書いてみたいと思う。

 

 彼の名前は笹目雪生(もちろん仮名)。

雪生は、今で言うところの爽やか王子のような上品な顔をしていた。真面目でおとなしく成績も中の上。なんでも一生懸命やるタイプなので、先生の信頼も厚く、生徒会では副会長なんかをやっていた。ゆえに女子にはモテた。

 私は彼と中学の二年、三年と同じクラスだった。二年の時は私の友人は彼に熱い想いを寄せていて、徹夜して毛糸で何かを作り上げ送ったのだった。だけど、その思いは通じなかった。後で雪生ははっきりと、私に彼女は苦手だと告げたことがある。

 その彼女はその当時、人気のあった吉沢京子に似ていると言われていた。つまり美人だった。だけどその美しさが年頃になって遺憾なくその力を発揮して、その美しさに見合った良い想い良い結婚をするまでには、まだ時代を待たなくてはならなかった。その頃は美人だと言う事はまったく武器にならず、彼女はもてなかった。性格ブスだった から・・・

一言で括っては気の毒だが、今回は彼女の話ではないので我慢して貰おう。

 雪生が好きになってしまったのは、顔は並、成績は並以下、だけどやたら明るく悪戯好きでお茶目な、やっぱり同じクラスの少女だった。私は、雪生が彼女のことを好きだと、そっと私に告げてきた時、正直心の中で吃驚していた。

何であんな子を・・・。

でも新たに見直してみると、彼女のような人ををキュートと言うのかも知れない。

だけど勘違いしてはいけない。美人で性格ブスの私の友人と比較してキュートな彼女が性格美人と言うわけではない。

彼女はクスクス笑いながら、そっと私に言ったのだった。
「見てな~。あんなやつ、すぐふっちゃうから。」

 

 しばらくの間は初恋に破れしょんぼりしていた雪生だが、だからと言って、彼はのんびりしているわけには行かなかった。

何かの時に彼の志望校を聞いたとき、私はあまりにも正直に言い過ぎてしまった。
「ゴメン、あなたってそんなに頭良かったんだ。私、勘違いしていたよ。」
「いや、勘違いじゃない。先生も厳しいって言っている。」

彼の志望校は、成績が中の上なんて言うのでは無理だ。上の上でなくては無理なのだ。だけど、彼は何でも一所懸命の覚悟の男だったのだ。

生徒会役員もやっていられないからとクラス推薦も断ったのに、他に推薦できる(押し付ける)相手もいなくて、彼が推薦されてしまった。
「大丈夫だよ、今度は選挙なんだから、俺には入れるなといえば選ばれないんじゃない。」とみんなに言いくるめられての立候補だった。

そして、彼は実行した。体育館での演説会で彼は叫んだ。

「頼む。僕は志望校に入りたいんだ。死に物狂いで勉強しなくては無理なんです。だから僕に絶対に絶対に入れないで下さい。」

そのパフォーマンスが受けに受け、断とつトップ当選で彼は生徒会長になってしまった。

ああ、青春は麗しい。

 

そして、三年のバレンタインの日がやって来た。

 

〈その2〉

 

自分の実力よりかなりハードル高めの志望校を目指して、笹目雪生は頑張っていた。やらない予定でいた生徒会長も、結局やるはめになってしまったが、 やると決めたからは、なんでも手なんか抜かない。そうこうして、あっという間に一年は過ぎて、公立高校の試験まで後わずかに迫ってきた。

 バレンタインディーは、そんな時にやってくる。

 

でも、彼は何かの時に私に言った。
「今年は、チョコレートなんか誰からも貰わないんだ。そんなことは全てわずらわしい。」

「え~、それってないんじゃない。」

その時は、ただの世間話だった。

 

 でもそのことは今思うと、とんでもない話だ。なぜなら、その頃はホワイトディもないが義理チョコもない時代だ。まだバレンタインも浸透しきっていたわけでもなく、猫も杓子もチョコレート売り場に殺到するわけでもない。

それなのに「チョコレートは受け取らない。」なんて決意しているなんて、とんでもないやつだ。

 

 だけど雪生にチョコレートは届くだろうかなんてことは、私には関係のないことだ。すっかり忘れていた2月14日。
休み時間、トイレに行って前の扉から教室に入ろうとすると、友人が袖を引っ張って言った。
「見て、下級生がチョコを持ってきてる。」
見ると、後ろの扉の所に雪生が下級生二人と向き合って立っていた。首を振って、手も振っている。
「本当に断っているんだね。」と、また友人。

 

 私は、心の底からムカ~ッときた。

 二年生の時の自分の体験を書いていないので、このときの私の気持ちは分かりづらいと思う。だが、、如何にバレンタインがチョコレート会社の策略で 始まっていようとも、義理チョコ、友チョコ、自分チョコ果てはお父さんに上げる家族チョコ、そんなものが出回るまでには長い歴史があったのだ。バレンタイ ンのチョコレートはお菓子にあらず。「心」なのだと思う。心は目では見えない。だからどんな「心」かは分からない。分からないものを一緒くたにバリアを 張って跳ね返すなって。どんなに切ない「心」が隠れているかも知れないじゃない。

 

「何よ~! どんな気持ちで持ってきていると思ってんのー !!!」と、
私は心の中で叫んだ・・・・・・と思ったが違っていた。
うっかりと声に出してしまったみたいだ。しかも、すこぶる大声で。

下級生がチラリと私を見た。雪生のちょっと驚いたような目が私の方に向けられた時に、私は自分が声に出した事に気がついた。

―マジィ・・・・―
次の瞬間、私はまるで瞬間移動したかのように教室の自分の席に戻り、そして何もなかったかのような顔をして本を読んでいた。

 

 しばらくして教室に戻ってきた雪生の手の中には、チョコレートの箱が二つあった。

「アレッ!?」と言うと
「・・・・・」
なんとなく彼は不機嫌そうだった。意思を通ら抜けなかったから?
「そうよ。」私は彼の背中に向かって言った。

会話になっていない二人の会話。

 

―そうだよ。チョコレートを貰らって落ちるような学校なんか辞めちまえ。

もちろん、そんな事は本当には言わない。

私は静かで目立たない大人しい子供だったから・・・・・ね。

だけど、本を読む振りをして私は密かにほくそ笑んでいた。彼が自分の信念を曲げて、下級生達が傷つかなかったことに満足していたのだった。

いや、違うー。

彼が私の一瞬の声に耳を澄ましてくれたことが嬉しかったのだと思う。

 

その雪生は、見事にさくらの花を咲かし、志望校へ進学していった。

 

 自分の誕生日のその日、私はストーブの前でソファにも垂れて、雪生の事をぼんやりと考えていた。あ あ、私も結構生きてきたなぁと思いながら、自分の人生と重ね合わせ、20代の雪生、30代の家族を持った頃の雪生、40代のおやじになった雪生、そんな彼 の人生を思い浮かべていた。

 だけれど、本当は高校一年の夏休み、彼は海で溺れて死んだ。その後の人生はない。

 人は二度死ぬと言う。肉体の死と人の中にある記憶の死。
少なくとも、笹目雪生に二度目の死は訪れてはいない。

 

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睡眠について考えてみる

2016-02-13 22:50:21 | 梢は歌う(日記)

丁寧に生きるって、どういうことを言うのだろうー。

「丁寧に生きる」を思考中。

 

※    ※     ※

 

それで睡眠時間が決して多いとは思われない自分の睡眠について考えてみました。

私は寝つきも良いのですが寝起きもとっても良いのですよ。でも時間はとっても短いのです。

ずっと昔からそうだったわけではなくて、若い時は眠り姫のように寝ていました。

夢を見るのが好きだったので、暇だと思うとお昼寝も良くしました。

 

最近睡眠時間が少ないのは、人生の半分以上を生きて来て、残りの時間が少なくなってきたので、寝るのももったいないと無意識に思っているのではないかなんて思ってみたりもします。

生きているのが好き、つまり最近の私は起きているのが好きなのです。

 

でも起きている事が好きで睡眠時間を減らし、その挙句に寿命を縮めては意味のない事です。

生きている者は、花のように眠っている方が本来の姿らしいのです。眠りは単なる休憩でもなければ、人生に食い込む無駄な時間でもないのですね。

 

ちょっと前までの私は、短いと言っても5時間から6時間ぐらいの睡眠時間を取るように努めていましたが、子猫が家にやって来てからは、子育て中と一緒で真夜中や早朝に起きなければなりません。どのような状況で起きなければならないのかは、また別のお話になるので今は語りませんが、また4時間半ぐらいの睡眠時間に戻ってしまいました。

 

夫が入院中は昼寝もナシで元気でしたが、彼が戻って来てからは、どちらが自宅療養中か分からないくらい頻繁に寝てしまっています。ちょっと持病持ちなので、時々そう言う時もあると言う事で心配はしないでくださいね。

ただ睡眠時間に関しては、今、ちゃんと向き合って悔いの残らないようにしようと思います。

ずっと昔から言っていて三日続いたら良い私の目標の一つは

「今日寝て、明日起きる生活」

なのです。

今日からはこれを頑張ろうと思います。

そしてまた三日に坊主にならないようにしたいと思います。

 

ベストな睡眠時間を考えてネットをウロウロしていましたら、勉強になる所を見つけました。

「90分の倍数の睡眠時間がスッキリ目覚めるのに理想的な睡眠時間(眠りが浅いレム睡眠の時間帯)であると言われています。」

私が12時半に寝て5時にスッキリ起きる事が出来るのは、そう言うことだったのねと思いました。

これを11時半に寝て5時に起きる事になると、ボーっとなっちゃうって事にもなるんだろうなと思います。

猫たちに5時半まで起こすなと言っておかなければ・・・・

ああ、日本語がもう少し通じればな ^^

 

でもそのサイトで眠りについてよく読んでみると、やっぱり時間に関して言えば不足しているので考えるところかもしれません。

(だけど7時間も8時間も寝るなんて考えられないわ、私。どうせ死んじゃったらずっと寝っぱなしよね。)←心の奥底から声が・・・・・。

 

見つけた勉強になる所→ここです

 

 

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報道ステーション☆吉田拓郎

2016-02-12 00:43:45 | テレビ・ラジオ

タイトル、呼び捨てですみません。

そういうの、あの方嫌いでしょ。だから最初「報道ステーションの拓郎さん」と言うタイトルにしたんだけれど、やっぱり私にも私のこだわりと言うのではないけれど、心にざわっときちゃうのはダメなのよね。と言うわけで、呼び捨てになってしまったのだけれど、先に謝っておきます。

 

日付が変わったので、おとといなのですが、たまたま報道ステーションを最後だけかけたら、明日の予告とかで拓郎さんのお姿が。

知っている人は知っていたと思うのですが、私はたまたまだったので、とっても嬉しかったです。

 

2015年は、彼はいったい何をしていたのだろうと思っていたのですが、その事も言っていましたね。詳しい事は何もないけれど、外に出なかったって。その外にと言うのは目立った活動と言う意味だと思います。

だけど今年はコンサートをやるって!!!

そして番組内では語られなかったけれど、ラジオもやるって。

待ってたよ~♪

拓郎さんのコンサートは今では誰もが行けるってわけじゃないから、やっぱりラジオっていうのが嬉しいよね。

拓郎さんの曲がガンガンかかる番組でやってもらいたいと思います。

 

拓郎節トーク面白かったですね。

安田さんの思い出話から、本当はナベプロに行くべきだったとか、いろいろ。

録画したやつをもう一回ちゃんと見ないと、記事には起こせないから「いろいろ」と書いてまとめちゃってるわけだけれど、本当にいろいろと楽しいトークをしてくれましたね。

他の内容は不正確になってしまいそうなので書かないのですが、「祭りの後」の歌について語った拓郎さんの言葉はツイッターで起こしてくれた人がいたので載せておきますね。

「フォークソングと言われた人たちは僕も含めて、若いうちから老成していたんですよ。20代で、祭りのあとの寂しさは、って歌っちゃいけなかったんですよ。ごめん!」

それを聞いて、私はだからこそずっと昔から今に至るまで私たちも歌い続ける事が出来た歌だったのではないかと思ったのでした。

 

1時間以上お話したみたいだけれど、もちろん番組内ではそんなに長くないわけで、終わってしまった後寂しかったです。

でも今年はまた拓郎さんの歌を聴く機会も増えそうで、楽しみです♪

 

 

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野田市散策日記その10

2016-02-11 17:22:50 | お散歩&写真日記

 

 

単なる冬枯れの木々を延々とアップしてる「野田市散策日記その9」の続きです。

 

「宮崎市民の森」と言う中を歩いていくと、この前迷ってたどり着いた「中央の杜」と隣接しているところに出ました。

 

この二つの森は続いているのでした。

 

 

 

「中央の杜」と「宮崎市民の森」

 

 

名前など意味のない所かもしれませんが・・・・

でも「宮崎市民の森」の方は自然に普通の道に抜けて行きます。

 

野田市はあちらこちらにごく自然に神社があったり、野の仏のような祠が祭ってあります。

そう言うものが好きな方にはたまらない場所かも知れません。

 

私は先日訪れた神社でたまたま撮った写真がちょっと怖かったものですから、最近ではそう言う所の写真は控えているので画像はないのですが。(あっ、日光での話ではありません。と言っても覚えている方っているかしら^^)

 

 

 

 

 

 

 

 

実はこの森の横は既に古い民家。間違って入って行ってしまいそうです。

森の木立は美しくても、どこからでも入っていけると言う森ではありません。

 

 

 

貧しい者は、いつも叶わぬ夢を見ます。

億万長者になった夢。

― そしたら君はどうする?

ずっと昔のラッタ君と私の会話。

― そうだな。僕は広大な森を買いたいな。

― へえ、そこを買って何をするの。そこを開拓するの?

― 何を言ってるんだい。森を森のまま残すために買うんだよ。

 

その時私は思ったのです。

父親は娘に母親は息子に時々恋をするっていうけれど、それって本当ねって。


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相棒14『第15話警察嫌い』

2016-02-11 09:30:23 | ドラマ(相棒)

どうでも良い話からちょっとしても良いですか。

スタッフブログを前ほどではありませんが、時々読んでいます。

2月5日のスタッフブログに、2月8日の『しくじり先生』に米沢守の六角精児さんが出るって書いてあったんですよ。その時私、

― ああ、六角さんも米沢キャラとは違って、私生活は相当無茶やってたと言うからなあ。

って思っちゃいました。14年間も手堅く「相棒」に出ていると言うのに、失礼なこっちゃ。なんてことはない聞き手の生徒役でした。

 

そしてそのスタッフブログによると、第15話は最終回の序章になる事件なんですって。

でしょうね。

面白かったんだけれど、すべて途中で終わっている感が否めませんものね。

広域暴力団の娘、色川は結局は痴情のもつれが殺害の理由だったと言う事で良いのですよね。

一番の、「うん? これで終わりでいいのか。」と言う部分は、警察官の父親を持つ青木がなぜそこまで警察嫌いになったのかと言う部分ですよね。

彼はまた登場してきますよね、きっと。

 

それはともかくも、今回はセリフとかお話の流れが面白かったですね。

角田が広域暴力団の組長伊縫と会っていた所から面白かったです。

「色川は実は私の・・・・」

「えっ!?」

すると周りにいる全員が立ち上がる。

周りに座っていたのは、全員組員だったのですね。

びっくりぽんや。

 

今回はこの全員がと言うのが、二か所ありましたね。ラストの強制面通し、面白かったです。あの時もお店のお客は全員が警察官だったのですね。

終わった途端に全員引き揚げっていうのも面白かったし、数で圧力と言うのならラストの取調室も笑ってしまいました。

それとあのホテルのレストランのようなお店、素敵ですね。

行ってみたいな。

やっぱり日比谷公園内のお店でしょうか。

 

今回は何気に角田回って言えるのではないですか。

やんちゃ亘の小芝居作戦に、怒りまくった角田の

「連帯責任だからな。」に右京は動いたようなものじゃないですか。

強制面通しの時にもフェイク写真にも登場。

もう笑っちゃいましたよ。

 

そして最後に「証拠隠滅罪」についてもお勉強してしまいましたね。証拠隠滅罪は犯人以外に適用される。2年以下の懲役、20万円以下の罰金に科せられる(刑法104条)・・・・・ふむふむ。

 

右京のプライベート部分は、未だに出て来ていませんが、亘のちょっとリッチなプライベート空間がちらりと出てきました。でも食事はレンジご飯。彼がおどけて過ぎるくらいひょうきんなのは、寂しい暮らしがそうさせているのではないのかななんて、ちょっとだけドラマ外推理をしてしまった私です。

 

と言うわけで、次週が楽しみに感じたかは別ですが、最終回だけはとっても楽しみになりました♪

 

 

 


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野田市散策日記その9

2016-02-10 10:38:54 | お散歩&写真日記

「野田市散策日記」も記事数が10になったらカテゴリーを独立させようと思っていたけれど、面倒なのでもう少し先延ばしにしようっと・・・・って、これは心の声。

近頃、疲れの蓄積がじわじわ来ていて、頑張る気力が少々欠けている私です。

「野田市散策日記その8」の中で言っていた、バスの中から見える気になる所と言うのには、あの時は迷ってしまって行けなかったのですが、実はワタクシ、翌日の1月26日に行ったのです。その時は忙しい毎日ながら、気が張っていて、なんでも頑張れたのかも知れませんね。

 

今回も「街の中の森・野田編」と言う所でしょうか。

でも前の「野田市散策日記」とどこが違うのか、まったく区別がつかないかもしれませんね。

延々と冬の木立の風景ですから。

 

野田市駅を降りたって歩いていくと、この街ではもう老舗になったジャスコが見えてくるのですが、その前にも小さな森があるんですね。〈林と言うべきかな〉

 

 

 

 

いつも車で来ていたので知りませんでした。

 

そう言えば、

ルート君が幼稚園の頃、サッカー教室のコーチが、

「夏休みにどっかに行った人?」って聞いたのですが、

それ、まだ夏休みのまだ前半中。

まったく何も考えるって事をしないような人だったな、その人。

その時、ルート君、手を挙げて

「ジャスコ!!」って言ったのですが、なんか微妙に恥ずかしいっていうか・・・

でも私も子供の時に家族で高島屋に行くのが凄く楽しかったし、子供ってそう言うものかなって微笑んでいたら、そのコーチが

「ああ、ジャスコ、ああ」ってなーんだみたいに言ったんです。

思わず私、フライパンで頭をバーンって叩いてやりました・・・・心の中で。

そのコーチ、その後「頭の中も筋肉さん」というニックネームになっていたのですが、誰が付けたのかは言わぬが花ですね。

 

と言うロクでもない想い出はともかくも、最近はちっとも来なくなってしまったジャスコは好きな場所でしたよ。

そんな道を通り過ぎていくと、またもこんな林に。

 

冬には冬の美しさがありますよね。この裸の木々たちも。

 

そして、この名もない林のすぐ先に

 

そうか。私の気になっていたのはここだったのね。

 

同じようにしか見えませんが微妙に違う森の写真、次回も続きます。


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