森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

見えない誰かに謝りながら

2016-02-09 15:13:14 | 物と私と片付けと掃除

 

家が雑然としてしまうにはいくつかの理由があるけれど、私の場合は認めたくないのですが、モノに対しての執着心が強い点にもあると思います。

たぶんそれは夫殿が言う通り父の遺伝子によるものなのかも知れません。これ、まだ使えるんじゃないかしら。これ、何かに利用できるんじゃないかしら。物を捨てる場面になると、そう言う考えがむくむく起きてくる場合も多いからです。

ただこの発想は、今の世の中はまるで捨てる事が正義と言わんばかりの風潮がある中、時には早々悪い事でもないと思います。

私の知っている方で、家はピカピカでセンス良く暮らしている方は、この発想をいつもうまく利用している方で感心しています。

だけどそれも限度があって、まったく時間も知恵も浮かばない中、ただ執着のみで取っておくのは愚かと言わざるを得ない事ですよね。

何の役にも立たないのに、捨てる時にちょっとだけ心がきゅっとなるのは、昨年の美しい写真のカレンダーです。

美しい花の大きさの丁度良いものだと、私は切り取って引き出しの敷紙にする時もあります。垣間見た底が美しいからです。

昨年のはサクッと捨てましたが、やはりその美しい風景が気に入っていたので前頁を写真に撮りました。

お片付け記事の時に、そのカレンダーの写真の画像を載せていこうと思います。

 

そして本題です。

 

この美しいカレンダーの写真とは全く関係のない話です。

先日の「売れ残った恵方巻の大量廃棄」の記事を読みましたか?

ここです。

その一方、こんなニュースも。

→フランスが大型スーパーマーケットでの食品廃棄を禁止、「フードバンク」への寄付を義務付ける

なんだかいろいろと考えてしまいますよね。


だけど、今日の私は何もエラそうな事は言えません。(いつも言ってないけれど(^_^;)

今回はかなりダメ主婦の反省の記録です。


結局は夫がインフルエンザで伏せっていたのでやらなかった年末の大掃除では、ラスボスはキッチンだと思っていました。

油汚れがギトギトと言うのではなくて、食品庫がえらい事になっていて・・・・・・。


普段の買い物があまり好きでないので、まとめ買い派の上に、一昨年辺りから忙しい忙しいと暮らしていました・・・・と、言うのは言い訳です。

とにかくぐちゃぐちゃになってしまったので、きっと恐ろしい事が起きているんだろうなと思いつつ、余計に手を出したくない場所になって行ってしまいました。要するに逃げていたのです。

でもやりました!!


全部出すと言うお祭り型お片付けは、夕方までとか言う時間制限付きでは上手くいかない場合もあるのですが、夫が入院中だったのでそのやり方でやりました。これぞ家人が居ない唯一のメリットだったかもしれません。

真夜中までテーブルの上がぐちゃぐちゃでも、別に誰にも遠慮が要らないと言うか・・・・


えっ?

ルート君ですか?

いやいや、彼は平気です。

テーブルの半分を空けてあげれば、うるさい事なんか言うわけがないのです。

えっ?

そんなに時間がかかったのかって?

かかりました。

お片付けの時間制限はなくても、片付けるための時間はあまりなかったからです。


山のように賞味期限切れのものを捨てるかと思ったけれど、思ったほどではありませんでした。

思ったほどではなくても、やはり捨てるものはありました。

エイ、ヤーと捨てましたが心が痛かったです。

「すみません、すみません。」

心の中で誰かに謝っていました。

捨てたものを買うために働いてくれた夫にでしょうか。こんな妻でなかったら、うちはもっと豊かになっていたかもしれません。

食べ物の神様にでしょうか。


― あの時パン作りにちょっとだけ嵌っていて、次の粉を買ったのに、そのまま作らなかったんだわ。あれから二年もたっちゃったのね。もうこの粉、ダメなのかな。思い切って捨てようかな。

― ねえ、捨てるなら、それ頂戴。

ふと妄想の中の子供が語りかけてくる。

― もう、ダメなの、古いから。

― 古くても頂戴、それ。それ、食べたいよ。捨てるなら。


思わず私は呟いてしまいます。

「ごめんね。ごめんなさい。」


きっと私は世界のどこかにいる誰かに謝っていたのだと思います。



食材を無駄にしない。

基本中の基本。

でも時々、その基本をたがえてしまう事があります。

これからは気を付けます。


食品庫を片付けて、しっかり整理をしたので何があって何が無いのか良く分かるようになったので使いやすくなりました。

賞味期限と言う数字に追われるくらいなら、もう「買っておく」と言う買い物の仕方は止めようと思います。

とにかくこの年齢になってくると、日にちが経つのが早いんだものね。


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 丁寧な暮らしへ
にほんブログ村


gooのブログで自動的にブログ村のバナーを張れるようにしてあります。

二か所にバナーが出てしまいますが、どちらでも良いので押してくださると嬉しく思います。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真田丸第5回「窮地」

2016-02-08 09:20:43 | ドラマ (大河)

何かの番組で三谷幸喜の子供の時の遊びは、戦国武将ごっこだったとやっていたように思います。コスプレからシナリオまで作り、時には撮影まで・・・・・。(間違えていたらごめんなさいと言う所なのですが、たぶん大きくは間違えていないと思います。)

 

今回の「真田丸」を見ていて、これは三谷氏が子供の時から頭の中で何度も繰り広げていた妄想の世界の具現化かかと思ってしまいました。

昨日今日、浮かんできた発想じゃないんじゃないのかと。

 

その時あなたは何をしていたかと言う共通体験みたいに感じる大きな事件って今でもあるじゃないですか。

「本能寺」はまさにこの時代の共通体験ですよね。

その時に彼らはどうしていたのか!?

 

「本能寺」の後の家康を、こんなに丁寧に描いたもの、見たことある?

そしてこんなに面白かった伊賀越え、見たことある?

「決死の逃避行」って言葉が本当に伝わってきました。

余裕の顔の半蔵が出て来て、これでもう大丈夫なのかと思ったら「押し通します。」と言うし、一番の近道は鹿と忍者しか通らないような崖に近い険しい道。

「鹿も四足、馬も四足」って義経は言ったけれどね、人は二本足だから気合しかないですよね。

城に戻った家康は、もうボロボロのヨロヨロ。

だけどキュートで可愛い。

 

ドラマでも映画でも、敵が強くて憎たらしいと断然面白くなるってものでしょう。

だけどこの最終的ラスボスになって行くはずの家康が、こんなに魅力があると言うのは、これはまた凄い最後になって行くと期待しちゃいますよ~。

 

さて少々遅れて「本能寺」情報が流れてきた信州。

本心はと信幸に問われた時に、

思わず私「分からない!」と昌幸の代わりにテレビに向かって答えてしまいました。

すると昌幸、「まったく分からーン!!」と同じセリフ。

「だよねー!!」と、テレビと会話をしてしまった私。←孤独な老婆じゃないんだから、ヤメロ~^^

いくらなんでも情報不足で分かるわけもないし、「信長、なぜ死んだ!!」と嘆く昌幸の気持ちが分かりましたよ。

 

真面目な信幸は織田の家来になったのだから、真田の取るべき行動は決まっていると言う考え。

確かに正論なのですが、生き残ると言う本来の目的の手段じゃないのですよね。

 

さらに情報が遅れに遅れていて未だに「本能寺の変」を知らない、信州の信長の家来滝川一益との会話のシーンは静かで穏やかな良いシーンでしたね。

「戦のない世が来るぞ。」と一益に語らせ、昌幸に

「愚かな事をした、光秀。」と言わしめるのです。

 

人々の「知る」ことによっての行動の時間差が、なんか凄いと思いました。

そして上杉はいつだって上杉。美しい武将ですね。

弱った所をつつき叩くのは獣の戦いの常套です。彼らは獣戦いを戦国の世であってもしないのです。

カッコいいです。

 

信繁による松の安土城救出劇も面白かったです。

でも逃げるシーンの面白さは、今回はみんな家康が持っていってしまったので、印象は薄い・・・・^^

 

このような「本能寺の変」のドタバタ劇の中にさりげなくきりのお話が紛れていました。

お城に上がってお勤めしていたら信繁との会話する機会も増えるだろうと言う父の言葉に、廊下に出て一人になると、嬉しそうに微笑むきり。

長澤さんが可愛らしかったです。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いろいろあるから人生なんだよね

2016-02-07 07:56:01 | 期間限定泣き虫日記

自分には大きな病気なんか関係ないと、多くの人は思ってある時まで生きていると思う。

ある時と言うのは、その大きな病気に出会ってしまった時に、自分だけは特別な存在で、そのようなものから逃れられるのだと言う免罪符など持っていないと言う事に気付かされた時だ。

時にはそれは死に至る出会いだったりもする。

だけどこの出会いは彼の人生を終わらせるものではなかった。

ただそれだけを感謝しよう。

そして戻って来た平凡で穏やかな日々を大切にしよう。

 

※        ※         ※

 

いつも応援してくださった皆様。

本当にありがとうございます。

昨日、夫は退院してきました。

 

入院中の酷い有様に、この人の社会復帰はあるのかと疑ってしまいました。

退院してきた彼は確かに体力は復活していませんが、元気で命の力を感じます。生活が元通りになるには、少し時間がかかりそうですが、夫婦でゆっくり進めばいいと思っています。そして、

「大丈夫。」

と、自分にその魔法の言葉を掛けていこうと思います。

だから「期間限定泣き虫日記」はこれにて終了♪

 

あれやこれやと書き込みたい衝動を抑えて、たまには短く終了させますね。

 

ホッとしたのは私や息子たちばかりではなく猫たちも・・・・♪

 

  さっそく膝の上に乗って甘えるあんず。

 ふう、やれやれ。留守を守っていたもも吉も安心したみたいです。

 

 

 

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相棒14『第14話 スポットライト』

2016-02-06 17:13:01 | ドラマ(相棒)

遅れて視聴したので感想も遅れてアップです。

私、この「スポットライト」、かなり好きな物語でした。

 

でも本当の事を言うと、本筋の部分が良く分かりません。

だけど「分からない」と書いてしまっては、この人はとうとう理解能力が衰えてしまったのだなと思われても心外なのですが(いつかはそうなると思うけれど、まだ平気じゃないかと勝手に思っている。)、お話全般には理解してあげる事が出来ないと言えばいいのでしょうか。

最後に亘も言いましたよね。

「分かりませんね。」って。

それを右京さんがもっともらしく、「彼にはそれしかなかった。」とぎゅっと押し込んで納得させると言うごり押し展開だったと思います。

「あなたたちにはチャンスをあげるわ。」って犯人は言ったけれど、なんのこっちゃない。利用してるだけじゃない。こんな言い方もあるのか。

犯人の言いなりになって、冤罪のお手伝いをする。それ、チャンスになるのか。

観客が、その武勇伝に萌えるのか。

こりゃあエンタの神様を軽んじてるなって私は思いましたよ。

 

最後の舞台の時も人々が笑っていたのは、コースケが真実をネタにしていたからではないのでしょうか。

 

それなのに、私、この話が好きだなと感じたのです。

それは役者さんの魅力にだったかもしれません。

 

「でんすけ」ー。

実際には、まったく笑えるネタをドラマの中で見る事は出来なかったのですが、そこはドラマなので凄く面白いのだと言う設定で良いと思います。

もともと私はお笑い好きではないので、笑いのツボが分からないのかも知れません。

でもドラマ好きなので、役者さんの良い所はダイレクトに目に飛び込んできますよ。

伝役の渋谷謙人さんは子役出身のほぼ芸歴20年の実力派だったのですね。

普通に淡々とドラマは進んでいきますが、けっして大きな演技をするわけでもないのに引き付けられました。

特に舞台で、思いもよらぬネタをコースケにしゃべられて、素の自分になって舞台に立ってしまった所と「でんすけ」の伝に戻って漫才を終わらせたところなんか、ちょっと好きなシーンでした。

伝は舞台の上でも、思わず素になってしまうのに、コースケはずっとコースケのままで、そしてみんなを笑わせ続けます。そこが才能の違いなのかも知れません。

コースケ役の駒木根隆介は一応のデブキャラ俳優さん。映画の「サイタマノラッパー」とか舞台の「下谷万年町物語」にも出ている方で、ずっときらきらした汗と言うか油と言うか、とにかくずっときらきらしていた姿に、お笑いにおいての才能みたいなものに説得力がありました。

 

花のない伝。

最後に彼は、コースケをみんなに見せたくて自分もお笑いの道に入ったのかもしれないなと言います。

「でんすけ」にはファンが一人。

でも一番のコースケのファンは伝。

コースケの足を引っ張る自分の引き際とその理由を探していたと言う伝。

 

だけどコースケは借金をし続けるのだと言うのです。そしてまとめて返す、1000万。二人でM1を取ろうと伝と夢を追い続ける事を示唆します。

「僕はどうなりますか。」

「犯人隠避と言う罪に問われます。」

「すみません。それ日本語で言ってください。」

そこ、ちょっと笑った。

この二人の夢は、きっとその罪を償ってから。そしてその時に本当のチャンスが訪れると、私は思いました。

 

「相棒」の感想らしからぬ雰囲気になってしまいましたね。

でも犯罪の部分だけでは語れない今回の「相棒」だったと思います。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

邪魔する母さん

2016-02-05 12:39:58 | 期間限定泣き虫日記

生きていく毎日には遊び心が必要ですね。

思うには日本人の神社仏閣参りには信仰心はともかくも、そこには大いなるその遊び心が存在しているような気がします。

それに自分の地域にその風習がなくても、それ、面白いじゃんと思うとどんどん取り入れて行く所があると思われるのが日本人。

凄く古い所で言うとクリスマスもそうだけれど、バレンタインディーもハロウィーンもそう言えるでしょう。

下手をすればパリ祭だってお祝いしちゃいそうなところもあるじゃないですか。

あっ、アメリカの独立記念日も。

でもこれらはまず歴史のお勉強をしないと盛り上がれないし、遊びのルールが明確じゃないから、言ってる人たちがいるだけと言う感じですね。だいたい遊びのルールなんて、これらの記念日に言ったら失礼な事です。

だけどあれはこれからどんどん定着していくのではと思うのが、「クリスマスマーケット」。昨年は凄く行きたかったのに、時間が作れなくて諦めたのです。今年はぜひ行きたいな。と言っても12月の話です^^

 

 海外イベントでなくても、節分の恵方巻などの習慣も、関東では意外と新しい習慣だと思います。この習慣は関西から入ってきたものらしいけれど、関西ではいつごろからやっていた事なのでしょうか。

 

私の地域では、最初はセブンイレブンが始めた事だと、私は認識しています。

その頃の同じ仕事場の人にセブンに勤めている友人が居て、予約を取らなくてはいけなくて頼まれたのが恵方巻を買った一番最初です。

これ、凄く美味しかったのですが「高いなぁ」と思ったのも記憶に残っています。つい最近のような気もしますが、20年ぐらい前の事かしら。

えー、もう!!?

なんだかその事の方がショックです。

 

私、それから毎年買っています。

(作ろうと言う発想がない・・・(/_;) 海苔巻きを作るのが下手で。昨年は作ろうと思ったのに結局作らなくて(^_^;) ←言い訳のブツブツ

 

でもうちはあれはやらないの。

南南東を向いて黙々と頂くってやつ。

なんかそれ、客観的に見てるとその姿がユーモラス過ぎるのと、持つところにラップか何かを巻きたくなってしまうし(私、変な所が神経質)、黙々とと言うのも我が家には合わないような気がするのですね。

前に夫がやろうとして、「ふーん」と見ていたら、ひとりでやっている事に耐えられなくなって途中で止めたと言う事もあったかな。

 

今年は病院帰りに駅で、駅前コンビニが特別店舗を作って売っていたのをゲットしました。

そのお店は店舗の前にもお店を特別に出していたので、気合が入っていましたね。

海鮮恵方巻が3本で1080円。需要が増えて安くなりました。助かります。

関東で恵方巻がどんどん定着したのは、面白いだけでなく、その日には堂々と手が抜けるからじゃないかと、低レベルで推理する私。

 

電車を降りてバスの発車まで3分なので焦ってそれを買い求め、お豆を買い忘れてしまいました。

いつも小袋を家に来る小学生にあげていたのに。

その小学生に

「今日は学校の給食でお豆がついたでしょう?」と聞くと

「今日はつかなかった。でもご飯が豆ごはんだったよ。」と言いました。

― へえ、それもアリなのか ?

と、思った私。

 

と言うわけで、すいとん入りぜんざいを作りました。

と言っても小豆はレトルトパウチのものですが。

 

遅い夕食の席に座ったルート君。そのぜんざいを見て

「こ、これは !?」

「デザートの豆。」としれっと言う・・・。

「豆!?」

まあ、このようなものを同時に出すなどと夫がいたら出来ないことかもしれません。

彼は頭が固い人なので。

好き勝手出来るのも後わずかです^^

 

「そうか。節分か。」と

彼は座った途端に席を立ち戻ってきたら

「こっちだな。」と向きを変えました。

我が家からの南南東を調べてきたみたいです。

 

「えー、それ、やるんだ~。」

「ちゃんと手を洗ってきた?」←神経質・・・。

黙って頷くルート。

「食べる間、黙ってなきゃいけないのよ。」

ああ、考えてみたら彼は寡黙な人。食事中におしゃべりなんかしてたことある?

「食べている間、願い事をしなくちゃいけないのよ。今してるわけ?その願い事?今してる?何を願ってる?」

うるさいお母さん。私の事だけど。しかもワザとっぽい。

動じない彼。

って言うかさ、食べるスピードが速い。

あっという間に食べ終わり

「よしっ!」と言っている・・・・。

 

負けた~ !

 

やっぱり毎日の暮らしには遊び心は大切です♪

 

しかし「邪魔」っていう文字、凄いね。

ヨコシマな魔ですよ。

邪悪な感じ。鬼より怖いわ。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年の初めには夢を見よう2016

2016-02-04 17:48:10 | 期間限定泣き虫日記
 
年の初めには夢を見よう2015

一年の目標などを同じタイトルで書いたことがあるので、「2015」が付いています。「年の初め」と言っても、すでに2月に入っていますよと言われそうですね。だけど人が目標を立てた...
 

 

上の囲みは、2015年の2月3日に投降したものです。

上の記事の時には書かなかった事ですが、2月3日の節分の日と言うのは字の如く季節を分ける日であり、新しい春を迎える節目の日になるわけで、実はこの日に一年の新しい目標を決めたりするのは、あながち間違った感覚ではないのです。

新年の頃には漠然としていたものが、新年度が見えてきたこの頃になると、かなりいろいろな事が具体的になってきたりするでしょう。だから、新たに目標を決めると言う事がなくても、ちょうどこのころに修正をするのも良いのかも知れません。

 

昨年の2015年のまとめもしていないので比較はできない事ですが、毎年思う事は同じです。

ダイエットをしようとか家を片付けようとか、基本的な部分は進歩のない私です。

だけど常々私が感じている事は、いつも何かに追われているような気がする、そんな毎日。

しょっちゅう、ふうふう言っています。

昨年の目標だったものは、「地味に生きる」だったと思いますが、そんなに地味に生きたとは思えなかった2015年。でもその時、私は考えました。「地味に生きる」と言うのはどういう事を言っているのだろうかと。

その答えは、ふと見た「にほんブログ村」のジャンルの中に、そのヒントの言葉がありました。

言うなれば「丁寧に生きる」と言う言葉。

 

それはかつて言っていた「ちゃんと生きる」に通じるように思います。

ちゃんと生きよう、丁寧に生きようと思います。

 

多くの刺激を次から次へと望み、いろいろな事を準備不足のまま進め、終わった事を十分と堪能し、しみじみと体の隅々に行き渡るほど思いめぐらすこともなく次を求める。そんな姿勢がいつもバタバタフウフウしている自分の生活を作りだしてきてしまったのだと思います。

ゆえに昨年は、そう言う自分を戒めようと思った誓いが「地味に生きる」だったようなのですが、付いてしまった習慣はなかなか打破できません。

でも望んだことではありませんが、1月は家にいて掃除をしてるか病院に通ってるか、そして夕方からは仕事して、それだけの生活。

それだけと言っても、病院通いは、本当に本当に疲れました。

本当はもう一つ疲れる事があったのですが、それはまたいつかの機会に書こうと思います。

 

丁寧に生きるためには、やはり家の片づけは必須です。

さあ、何かを始めようかと思っても、家事時間に一日が終始しては何も出来なくなってしまうし、どこかへ行こうと思っても準備に時間がかかったり、常に何かを探している生活をしていたりしそうです。

なにも楽しい計画は並びませんが、年齢的に言うと、今の私は老いの準備をしていかなければならないと思うのです。

経済的な準備と言うのはちょっと遅すぎて、貧乏老人は決定かなと思うのですが、その老いの準備の中には、その貧しさに負けない楽しい毎日を送る方法を探すと言う準備もあるような気がします。

 

何をするかと言ったら、やっぱり好きな事をするじゃないかしら。

今はあまり具体的な事は考える事が出来ないのが本音です。

 

それでも絞り出して思っている事は、「読みます・書きます・勉強をします」かな。

これも毎年言っていますね。

ではついでに毎年言っている事を、やはり言う事にします。

「体・家・家計のスリム化頑張ります。」

これって達成していないから書くのではなくて、エンドレスな誓いなのですよね。

面白みがないので、いやいや面白くなくてもいいのだけれど、下手の横好きバージョンの誓いを言うと

「弾きます・描きます・歩きます」なんてね。

 

新しい季節の始まり。

良い一年にしよう、今年も。

立春。

春は名のみのと言葉の如く、来週には雪マークがついています。

でも本当の春は近い。

夫は今週の土曜日に退院が決まりました。

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 丁寧な暮らしへ
にほんブログ村

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新たなる気持ちで、また始めればいいや

2016-02-03 09:09:37 | 期間限定泣き虫日記

2月1日と2日は、ベランダのペンキ補修のために家にいなければならず、病院に行くのはお休みしました。

それで先週延期になってしまった人と会う約束、お仕事なのですが、それを実行しました。

詳しくは書けない事ですが、不毛の時間でした。

そして夕方に来た仕事関係の手紙も、ちょっと悲しい内容でした。

この季節は次のシーズンに向けて、ちょっと落ち着かない時期でもあります。

今年は、はっきり言って上手くいっていません。

 

でも気分はケセラセラ。

 

また今日から一から始めればいいや。

だって誕生日ってそう言う日なんじゃないのかな。

新しく始まる年の1日目。

そのスタートの日が現実を見つめる日でも良いんじゃないかなと思えたのです。

 

本当は常に人生は続いています。

今日は昨日の続きだし、今日の自分は昨日までの人生の蓄積が作り上げているもの。

昨日までの失敗を無かったことにはできません。

だけれど大切なのは気持ちの切り替えだと思います。

気持ちを大きくリセットできるチャンスの月が、新年、誕生日、新年度。

だけどさらに言うと、そのリセットチャンスは、毎朝のおてんとうさまが昇ってくるだけで訪れるものなのかも知れません。

 

誕生日の日は夫からのメール、母からの電話、姉からの電話。そして

ネットのお友達のお声がけ。

それだけでも嬉しいのです。

あっ、こらっ、妹たちはどうした!?

 

 そして2日の日はお友達に、家に来てもらいランチを頂きました。

一応メインイベントは、2匹目の猫のあんずを見に来ると言うものです。

 

モスバーガーで

 「とびきりハンバーグサンド「傑作ベーコン」スライスチーズ」

を買ってきてくれたのですが、これ、とっても美味しかったです。

でも私、こういうのを食べるのって凄く下手で、もう口の周りが大変な事になってしまいました。

 

このハンバーグと格闘している時に、ペンキ屋さんがやってきたものだから、それも大変。食べ終わった時にテーブルの上に口を拭きまくったティッシュが山になってしまいました。

 

そんな感じでいた時に、お仕事が終わったペンキ屋さんがベランダから戻って来たので

「すみません。」と私が言うと、窓を背中に座っていたお友達は、すっかりその方の存在を忘れていて、何で私がいきなり猫に「すみません。」と言ったのかと驚いたと言ったのです。

猫に「すみません。」は言うわけがないので、私はおかしくてしばらく笑っていました。

 

夫が入院中でも、今の暮らしに慣れつつある私です。

でもお友達との気楽な会話はやはり本当に楽しいものですね。今の私の日常に、足りなかったものを補えた一日だったと思います。

 

そしてトップ画像は、そのお友達が帰り際にくださった誕生日のプレゼントです。

プレゼントも素敵だったけれど、一番嬉しかったのは彼女の優しい気持ちでした。

2月2日、ツインテールの日←関係がないけれど、寒いけれど暖かい、そんな1日でした。

 

※ 夫は月曜日のCTの検査の結果で、点滴が終了になり飲み薬に変わりました。このまま上手くいけば退院に向かって行くようです。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真田丸第4回「挑戦」

2016-02-01 08:50:39 | ドラマ (大河)

先日お友達が、opの音楽のバイオリンを、そのお友達の知人の方の息子さんが弾いているのだと教えてくださいました。

友達の友達と言う時点でまったくの知らない人なのですが、それでも何か繋がっているように人は感じるものなのでしょうか。ワタクシ、今日、かなり耳を澄まして、その素晴らしい音楽を聴きいってしまいましたよ。

 

今日もシリアス&コメディ、絶妙なコンビネーションで面白かったですね。

 

騙し騙されの戦国時代。

上杉の手紙の策略のからくりを家康にはすっかり見抜かれていました。

「ぐるっとまるっとお見通しだ!」みたいな。←ふるい?

 

でもそれをあくまでもしらを切り通す昌幸。

 

この後直江兼続と会って確かめると言われても微動だにしない。それは嘘だと、こちらも見抜いていたから。

 

戦は畳の上でも続いている。

息子は父の後ろで、その様をじっと耳を澄まして息を飲んで見ています。

親の背中を見て子は育つの実践編みたいな感じです。

 

そして信長登場。

遠い所からカツーン、カツーンと靴音高く近づいてくる・・・・・・

うわーーーー、こわーーーーー

ラスボス感が漂っています。

信長はやって来て、昌幸を覗き込み

「ういやつじゃ。」

ち、ちがーーーーう !!!

 

しかしかくして真田は信長の傘下に滑り込むことが出来ました。

だけどメインの城を二つ進呈しなければならず、本当に良かった良かったでは済まないような気もするのですが、真田の結束は強く、今を生き抜こうとする強さを感じました。

 

それに直接関係のないものが歴史の大事と絡むと言う、そのやり方が上手かったですね。

信長が光秀を打ち据えるあの有名なシーンに、たまたま遠くから目撃してしまう信繁達。まったく不自然に感じなかったのが良かったです。

 

あっ、そうそう。武田に惨敗し命からがら逃げたと言う家康のエピソードも本人の口から語らせるなど、そこも面白かったです。

 

姉、松の人質エピも面白く絡んでいましたね。

松を送り届けた日〈?〉に、本能寺の変。

 

夢と気配とナレーションだけで終わった本能寺。

夜の街をウロウロしていて、リアルに目撃してしまう信繁・・・・なんて事もないわけですが、これ、良かったですよ~♪

 

そしてまたも真田に危機が訪れるわけですが、ああ、やっぱりこの時代は忙しいですね。

 

ふと、そう言えば秀吉って誰がやるんだっけと思い、HPを見に行きました。

登場人物のページで・・・・・・

「放送回の選択」で「全体相関図」を選択すると「豊臣家」が出てくるのですが、他と比べるとそのページの「まだなにも始まってない感」が半端ないです。ちょっとだけニヤニヤできますよ。

 

一応リンクしておきます→ここ

 

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする