いつも通勤途中で相手をしてくれる白い猫は、今日は終始眠り猫であった。
(愛知県新城市富永字鎌屋敷 市指定史跡 1982年9月再踏)
飯田線の車窓からポツンと見える土盛りと祠がある。これは来迎松城の土塁の一部である。東の大宮川側には堀の名残があり、飯田線の南側にある理髪店が建てられる前までは、そこに堀が存在したという。
三河国二葉松(みかわのくにふたばのまつ:江戸中期の地誌)には、設楽越中守守通根城とし、正和元年(1312)に振草庄設楽郷(東栄町中設楽)から設楽庄設楽村(新城市富永)に移住し、周辺二十六村を領したのが始まりとされる。城主は隣接する構屋敷(かまえやしき)に住し、この城は家臣の夏目信久、清宗が守った。
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