(そぶがわ 愛知県宝飯郡一宮町金沢 1993年3月23日)
金沢字滝平より発し、豊橋市賀茂町手棒で豊川(とよがわ)に注ぐ普通河川である。金沢字段戸に所在する照山墓地の麓を流れる川、父祖の墓前を流れるということで祖父川と呼ばれるようになったという。明治20年(1877)賀茂用水(1878-牟呂用水)が開削された際に中流が取り込まれ分断された。
その他、金沢地区の水に関係する地名として以下がある。
金沢(カナザワ)現行大字 明治11年(1878)12月28日、御薗村と養父村が合併し、金沢村となった際、生まれた地名である。旧養父村の大照山、小照山の谷あいを源とする西沢という沢がある。この沢の付近の地質に雲母を含んでいるため、水で洗われると黄金の様に輝きを放つ。そこから俗称を黄金沢と呼ぶようになったという。黄金沢は養父村鎮守大坂神社の横を通り、祖父川に注いでいたが、牟呂用水通水後は取り込まれてしまい、沢の存在をあまり知られなくなってしまったようである。この沢の名前から命名した、いわゆる好字地名「金沢」はこのような由来がある。
池川(イケガワ)現行小字 吉祥山から金沢大池に流れ込み、流れ出る池川(祖父川)に由来する。
池田(イケダ)現行小字 豊川沿いの低地は氾濫河道であったため、地形が網目状に凹凸し、上流から運ばれた土砂・沖積土が堆積した中洲・自然堤防の微高地と、流路の低い所ができた。この付近は、豊川が運んでくる肥沃な土により、平常時は水田耕作地であるが、氾濫時は豊川の流路となり、周囲の水田よりもこの池田の地が低い所であったため、水が引いても池のように水溜まりが残り、このような地名となった。
池端(イケバタ)現行小字 字池端の内、現在水田となっているところは土地が低く、大雨の際には池のようになるため、民家側の微高地を見て池の端、池端と呼ぶようになった。
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