(浄土宗坂松山高岳院一心寺 大阪市天王寺区逢坂 2003年3月30日)
第二次世界大戦による空襲で山門を失ったため、斬新というべき山門が目を引く。同寺は文治元年(1185)法然が結んだ「荒陵の新別所」後の「源空庵」を始まりとする。その後、本誉存牟が法然の旧跡であるこの地で一千日の念仏修法を行い、庵を一心寺として再興したという。また、大坂冬の陣夏の陣の際には、同寺に徳川家康の陣が敷かれている。
第二次世界大戦による空襲で山門を失ったため、斬新というべき山門が目を引く。同寺は文治元年(1185)法然が結んだ「荒陵の新別所」後の「源空庵」を始まりとする。その後、本誉存牟が法然の旧跡であるこの地で一千日の念仏修法を行い、庵を一心寺として再興したという。また、大坂冬の陣夏の陣の際には、同寺に徳川家康の陣が敷かれている。