(京都市中京区門前町 国指定史跡)

延暦十三年(794)に禁苑(宮中の庭園)として作庭されたのが始まりとされる。現在の法成就池は当初から存在した湖沼を利用したものとされ、現在より大規模なものであった。天長元年(824)干魃の際、淳和天皇の勅命により、空海が善女龍王を勧請し、雨乞いを行った。以後、真言宗の道場となり、貞観五年(863)疫病流行の際には、御霊会が行われている。その後は衰退と再興を繰り返し、慶長八年(1608)二条城築城の際に苑の敷地が取り込まれて縮小して、天明の大火では伽藍を焼失した。現存する伽藍の殆どは大火以後の再建である。

